【DQⅪ】Quod Erat Demonstrandum【グレイグ&ホメロス】   作:千葉 仁史

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本編(真エンディング)より五年後のグレイグが主人公で、ホメロスの墓(Grave)をたてる話。だが、其処に墓場特有の霧(mist)はない。

※ホメロスは亡くなっているので、グレイグの回想でしか登場しない。
※終始、勇者は出てこないが、彼はうっかりさん設定。

→後書きに解説あり。だが、解説を飛ばして次の話を読んでも構わない。


第五話 Grave mist(墓場の霧)

 世界に平和が戻って――ホメロスが亡くなって五年の月日が流れた。この年の流行色はツートーンカラーで、どの街に行っても上下で対比のある服飾が好まれていた。

 

 二年前にデルカダール王国を逃げるようにして飛び出して以来、グレイグは様々な国や町、村を周った。キャラバンの一行にお邪魔することもあった。ユダの言葉が真実ではないことを一つでも払拭したくて、ホメロスの真意を知るために親友のことを会う人会う人に聞いて回った。しかし、手に入れた情報は嘘とも真とも取れない悪評ばかりで、ボタニカが話したような善い話を聞くことは全くなかった。世界には、ホメロスが『悪』であることが余りにも定着し過ぎていた。誰も彼もが元海軍将校を足蹴に存外に言葉裏で罵った。その雰囲気の中、裏切者である彼を弁明できる者がお優しい英雄以外で存在できるだろうか。たった一つの例外であるボタニカがグレイグにホメロスの善いエピソードを漏らしたのも、名も知らぬデルカダール兵を見送って感傷的になっていたからに過ぎない。それでも、グレイグは辛抱強く聞いて回った――その度に「どうして今更になって?」と質問され、英雄の心を確実に削っていったとしても。

 

 それよりも英雄の心を掻き乱したのは赤紫色の瞳を持つ男の幻影(ファントム)だった。その男はグレイグがホメロスを思い起こそうとすると決まってブロンドを靡かせながらフラリと姿を現し、英雄を『恥知らず』と罵った。

 

(あの男はホメロスが裏切った理由を分かっていたと言っていた。三十年も一緒にいた俺が分からなかったというのに、狂信者如きに、たかが十年しか傍にいなかった男に分かる訳が無い! あれこそ妄言だ、狂信者特有の思い込みだ。第一、あの場で彼奴は『その理由』を話さなかったではないか。それがその証左よ。ホメロスの真意――ホメロスが裏切った理由が分かれば、ユダの言葉が間違いだったと証明できる。俺が『恥知らず』ではないことの何よりの証明になる! 覚えてろ、ユードゥシュカ(ユダの蔑称)め! 貴様の妄言を必ずや叩っ切ってやる!)

 

 その男が姿を現す度に――宵闇に浮かぶ赤紫色の二つの幻焔を見付ける度に、グレイグは天を焦がす炎のような激情を奔らせ、旅の目的に対する決意を強くしたのだった。

 

 その宛のない道中で聖地ラムダに寄ったのは雨宿りをするためだった。カミュのように指摘されるのが怖くて世界を共に救った仲間の住む町や国を避けていたが、天候ばかりは仕方ない。曇天から降り出した雨が英雄の頬を撫でる。雨によって体温が奪われる前に、とグレイグは駆け出していた。

 

(また歓迎されるのだろうか、あの疑いのない眼差しと優しい善意で)

 

 寒さ以外で体が震えた。ひっそりと休息して、ひっそりと旅立とう。身構えながら足を踏み入れると、村人の姿はなかった。何かあったのだろうか。逸る気を抑え、人の気配がする方へ足を運ぶ。

 集落から少し離れた雑木林にラムダの住人は集まっていた。小さな森は雨のせいで更に薄暗さを増していたが、皮肉にもその空を覆うような葉によって人々はあまり濡れないようであった。うっすらと霧も出てきているなか、木々に囲まれた少し開けたところで人々は集まっており、その中心にはモーニング・ベール(ヴェール付きの帽子)を被った中年の女性が立っていた。長いヴェールのせいで顔立ちは不明だが、黒のレースの袖口から覗いた――指輪も腕輪も手袋すらつけていない――ほっそりとした白い指がグレイグの目を引いた。

 俯き加減な彼女は地面に置かれた『何か』を覗き込んでいた。それが何なのか気になったグレイグは思わず足を一歩進めてしまい、落ちていた枝を折ってしまった。その音に大半は気付かなかったが、世界を救うため過酷な旅をしたことがある仲間は気付いたようだ。あ、と人々の群れの中にいた双賢の姉妹と目が合った。途端、目くじらを立てる姉を妹が制止し、グレイグに「後で」と微かなサインを送った。これ以上、音を立てる訳にもいかず、グレイグは足を踏み出した格好のまま木立の中で立ち尽くすしかなかった。

 モーニング・ベールを被った女性は悼辞を述べると、手にしたナイフで自身の後ろ髪を切り落とし、地面に置かれた――先程まで覗き込んでいた棺の中へとてもゆっくりとした動作で収めた。周りの男共によって閉じられた棺が地面の中へ消えていく。未亡人だろうと思われる女性は泣き崩れることなく、黙って見詰めていたが、彼女の指先は先程よりももっと白くなっていた。

 雨音が弔いの歌のようにさえ聴こえてくる、しずかな葬式だった。

 

「ちょっと、グレイグ、来るなら来るで言いなさいよ! それにしても、なんで急にデルカダールから出て行ったのよ! あのねぇ、マルティナさんがどれだけ心配しているか――」

 

「落ち着いて下さい、お姉さま」

 

 葬式後、ラムダの双賢の姉妹の家に招かれたグレイグはベロニカから早速とばかりに詰問を捲し立てられた。あの旅の終了以降に本来の姿を取り戻した少女は――性格こそ変わらなかったが――今や立派な妙齢の女性となっていた。怒りを隠そうともしない姉を、旅していた当時と同じようにセーニャが困った顔をしながらグレイグの間に割って入って止める。おじさまにはおじさまの理由があるのでしょう。そう続けて言うセーニャにグレイグはいたたまれなくなって「葬式中に済まなかった」とだけ謝った。

 

「棺の前に立っていた女性の夫の葬式か?」

 

「いえ、違います。彼女は病死した女性の知音です。亡くなった方は身寄りのない方でしたので、親友である彼女が喪主を務めたのです」

 

「私たちが生まれる前より、ずっと昔から一緒で姉妹のように育ったんだって。見送るのは辛いけれど、これが親友にできる最後の友義じゃないかしら」

 

 てっきり故人は彼女の主人とばかり思っていたが、同性の友人であったらしい。双子でありながら、対照的な性格を持つセーニャとベロニカの話を聞きながら、頭を拭くタオルもそのままでグレイグはその内容を反芻した。

 

「ところで、グレイグ! 私の話は終わってないからね! マルティナさんの為にも教えて貰うわよ! どうして、出て行ったのかを!」

 

「棺の中へ髪を収めていたのは此方の風習か?」

 

「ええ、そうです。故人の親しい人の髪を入れるのがラムダ式の葬式なんです」

 

「ちょっと! 私の質問に答えなさいよ!」

 

 まるで世界を救う旅の最中の幼子のように騒ぐベロニカの問い掛けを躱しながら、グレイグはセーニャに質問する。英雄と呼ばれた男は聖女から得た回答に一寸考え込み、国を飛び出してから一度も切ったことのない後ろ髪をタオルで絞った後、口を開いた。

 

「その風習、もっと詳しく教えてくれないだろうか」

 

 グレイグの頼みごとにセーニャはベロニカの口を封じながら「構いませんよ」とたおやかに微笑んだ。

 

 明るい森の中を進んでいく。グレイグはセーニャから葬式の仕方を教えて貰った後、ベロニカからの問いには一切答えないまま、「葬式後に逗留するのは迷惑だから」と雨上がりを確認するや否や二人の引き留めも聞かずにラムダの里を旅立った。

 その途中で形のいい、片手で持ち上げられるほどの大きな石を拾い、野山を進んでいく。雨雫で森は青々しさを取り戻し、顔を上げると命の大樹が両手を広げるように枝葉末節まで伸ばし、空を舞う鳥は命の歌を高らかに歌っている。片手を塞がれているとはいえ、流石に英雄に手を出す魔物はおらず、グレイグは意気揚々と歩くことが出来た。

 ラムダの里へ続く道のりを逆戻りし、奥まった――誰も好き好んで歩かない海岸線沿いの森を歩くうちに少し開けた場所に出てきた。先程の里の墓場とは違い、木々は空を覆っておらず、陽光が結界のように照らし込んでいる。そして何よりも気に入ったのは、視線を遠くに飛ばすと深緑の木々の間から青い海が見えたことだ。

 

 ここにしよう、とグレイグは決めた。英雄は石を置くと、その陽光の結界の真ん中で皮手袋をはめたまま剣の鞘を使って穴を掘り始めた。浅すぎて掘り返されたらたまったものではなかったが、後で上から石を置くのだから、と考えて、あまり深く掘らないことにした。ある程度、掘り終えると、グレイグは袋から小さな木箱を取り出し、その中へ首から下げていたペンダントの一つを入れた。久しぶりに取り出されたペンダントは明るい日差しの中で太陽光を吸収するようにキラキラと輝いている。その事実に目を細めるとグレイグは小刀で自身の後ろ髪を切り落とした。これでデルカダール王国を飛び出す前の髪の長さに戻っただろう。紫色の髪をペンダントの入った木箱へ収めると、閉めた木箱を穴の中へ置いた。鳥たちからの讃美歌を聴きながら土を被せていき、最後に持ってきた石をその上に置いた。石に名前を彫ることが出来なかったが、これで十分だろうと両手を握り、膝を折ったグレイグは瞼を落とした。そう、これはホメロスの墓であった。

 

 ホメロスはこの世界に誰も知らない者はいない程の極悪人だ。だから当然ながら彼の墓は作られていなかった。そもそも彼は天涯孤独の身の上で両親も親族も兄弟も妻子もいなかったから、作ろうとする者自体がいなかったの方が正しいかもしれない。第一、彼は魔族に身を落としていたので、死んだと同時に霧のように消えてしまったのだから、遺体も存在しない。つまり、埋める『もの』もなければ、埋めてくれる『者』もいなかったのである。

 

 ラムダの里で知己の葬式の喪主を務める女性の姿を見て、グレイグはホメロスの墓を建てようと閃いた。これこそがベロニカが言っていた『親友にできる最後の友義』だろう。セーニャからやり方を聞き、彼奴は海軍将校だったからと海の見える場所を選んだ。埋める遺体は無けれども、誓いのペンダントという遺品はある。それと共に故人にとって親しい人である己の髪と共に埋葬した。

 出来上がった墓を前にグレイグは故人たる親友の冥福を祈った。魔族は命の大樹に戻れない、つまり輪廻転生の理からは弾かれてしまっている。ならば、その逝く先は冥府だろう。その冥府でも心穏やかにいられるように、と祈りを捧げる英雄の耳に聞き慣れた罵倒の声が入ってきた。

 

『これが墓だって! 元帥閣下も随分と笑えるジョークをされるのですね』

 

 陽光に反射するはオレンジ色にも似たブロンドであった。デルカダール王国の蒼い兵服と赤いマントを身に着け、皮肉で唇を歪ませた男の幻影がグレイグを見下ろしている。赤いピアスが先程の誓いのペンダントのように煌めき、赤紫色の瞳も爛々と輝いていた。

 

「ユードゥシュカ!」

 

 その姿を認めたグレイグが憤怒の声と共に立ち上がった。元帥の一喝に鳥たちは一斉に羽ばたいていったが、名前を呼ばれた本人は大男に見下ろされているというのに、ニヤニヤと瞳同様に薄気味悪い笑みを浮かべただけだった。

 

『墓場特有の霧もない、太陽光だけでなく木々や空、海までありとあらゆるものが燦燦と輝き、鳥たちが歌うこの場所が墓場なんて、何の冗談でございましょうか』

 

「黙れ、ユダ! これは親友たるホメロスの墓だ、貴様なんぞには分かるまい!」

 

『常にお気楽気分の英雄殿の気持ちなんて、この忠義心の塊たるユダに分かる訳がないでしょう。最も理解する気も毛頭ございませんが。……無知蒙昧の輩め、これだからホメロス様は今尚地獄の底で苦しみことになるのだ』

 

「煩い! 貴様こそホメロスの墓を作らなかったではないか!」

 

 直感的に放った科白だったが、グレイグは『勝った』と瞬間的に思った。ユダにようやっと反論できたことに仄暗い喜びが湧いた。悔しかろう、何も言い返せないだろうと考える英雄の耳に届いたのは狂信者の盛大な笑い声だった。

 

「何がおかしい!」

 

『語るに落ちましたな、英雄殿』

 

 高笑いにつられて『見上げた』ユダの顔は愉悦を滲ませていた。もう一度、グレイグが怒鳴り声をあげる前に狂信者は言い切った。

 

『知らなかったぞ、貴様の中では友義と忠義が同列に語られるものとは』

 

 冷水を浴びせられたかのようだった。陽光も木々も空も海もこんなに明るいのに、グレイグの身体の末端まで一気に冷え込んでいく。

 

『俺はあの方の配下だ。ホメロス様に純然たる忠義心を捧げ、あの方に付き従うのが俺の役目であり、この世に俺が存在する理由だ。あの方が死して尚、それは変わらない。俺の忠義心に終わり等ない。終わりを意味する墓を作る訳が無い。……それと同時に俺はフランシス・メーベ・アウグストに友義を感じている。彼奴等とは轡を並べ、同じ目的のために協力する同士だ。共に戦い、嬉しさ・楽しさを共有し、悲しみを分かち合った。フランシスが亡くなったことを知った時、俺は涙を流し、アウグストと共にその死を悼んだ。其処に上下関係など存在しない』

 

 ユダの瞳に逆巻く焔が宿る。その瞳は嵐のように荒れ狂う憤怒の色に染まっていた。

 

『その忠義と友義を貴様は同列に語ったのだ。貴様がホメロス様の親友だと? 嘯くな! 貴様のいう『友義』が『忠義』と同義というのならば、貴様がホメロス様を自身より下だと認めていた何よりの証拠ではないか! 貴様はずっとホメロス様をその目で見下し、その口で同等の立場たる知己などという嘘を吐き続けたのだ! そのような千三(嘘つき)に親友だのと生前も死後も呼ばれ続けたホメロス様の気持ちが貴様なんぞに理解されてたまるものか! そして何よりも貴様はホメロス様が裏切ったことを嘆きながらも、その理由を今の今まで探そうとはしなかったではないか! 所詮、貴様にとってホメロス様とはその程度の関係だったのだ! まさしく長年顔の見慣れた『赤の他人』そのものだったのだ!』

 

「違う! 俺はホメロスの……ホメロスは俺の――」

 

『では何故墓を作るのに五年も掛かった! 貴様はホメロス様の裏切った理由を嘆く一方で墓を全く作ろうとしなかったではないか! あの方には両親も親族も兄弟も妻子もいなかったのだぞ! 双賢の姉妹の言を真に受けるのならば。墓を作れるのは『親友』だけだというのに、今の今まで作らなかった貴様が何をほざく! 墓を作る、ただそれだけのことをこの瞬間まで考えもしなかったというのに『親友』だと! とんだ愚者だ! ホメロス様を愚弄するのもいい加減にしろ! 貴様がそんな態度だから、ホメロス様は地獄の底で苦しみ続けるのだ!』

 

「待て、ユダ。ホメロスが地獄の底で苦しんでいるのは国を裏切った後悔からであろう……?」

 

 怒涛のユダの指摘にグレイグは横隔膜から声を絞り出すようにしか出来なかった。心臓が切り刻まれる幻を何度も味わい、呼吸も苦しそうな大男に狂信者は鼻で笑って切り出した。

 

『貴様は愚かだ。救いようのない愚かさだ。いつまでホメロス様がウルノーガに操られているという幻を追っているのだ?』

 

 もはや憐憫すら覚える、と吐き捨てるとユダは目を伏せて呟いた。

 

『あの方は自らの意思を以て魔王ウルノーガに膝を折った。あれは間違いようのない正気であった。俺はホメロス様にこの純然たる忠義心を信じさせることがとうとう出来なかった。これは俺の不明の致すところよ。……もしあの方が言って下されば、このユダ、たとえ地獄の底まで御供しましたのに』

 

「だが、貴様は本当の『地獄の底』まで逝かなかったではないか」

 

 息を整えた大男の言葉に狂信者の瞳の中でくすんでいた炎が再び燃え上がり、噴火時のような熱さを以てユダは口火を切った。

 

『愚図め、言ったはずだぞ! この世はホメロス様にとって生き地獄であり、そして死して尚、あの方は苦しんでいる、と! ……叶うならば、俺は今すぐにでもあの方の元へ馳せ参じたい。だが、俺が死ねば、地獄があることの証明になってしまう。あの方が地獄で苦しみ続けていることを認めることになってしまう。だから後を追わない。死ねば『無』だ、地獄なんて存在しない。俺が死んだところであの方には会えず、意味のない『無』になるだけだ。これが今の俺が出来る唯一無二の純然たる忠義心の証よ』

 

「では、『何』が死して尚、彼奴は苦しませている? 生き地獄とは一体何なのだ?」

 

『貴様がそれを言うのか! 貴様はホメロス様を『親友』と呼びつつも、その生前中に何一つ『親友』らしきことはしなかったではないか! 生前のあの方に対して、貴様は追い詰めるだけ追い詰め、知らぬ存ぜぬを貫いただけであった! 死後に至っては『親友』と呼びながらも五年の間墓一つ立てず、自身の名声や人徳を得るためにあの方の功績を奪い取り、泥濘に塗れた地へ貶めた! 挙句の果てに、そんな確固たる事実があるにも関わらず『その気はなかった』なんてふざけたことを言う始末だ! よく聞け、愚物! 『親友』とは良き理解者のことを呼ぶのだ。あの方を一縷の理解もしようとしなかった癖に『親友』気取りとは笑わせる。あの方のことを微塵も理解していないにも関わらず、その総てを理解していると公言する貴様の行為――これを冒涜と言わず何と呼ぶ! 貴様は生前も死後もあの方を冒涜し続けたのだ! 貴様の存在そのものがホメロス様の地獄が地獄たる最たる所以よ!』

 

 グレイグはユダの瞳の中で吹き荒れる嵐の音をしかと聴いた。視界が赤紫に集約していく。大男の喉は震え、同様に体まで震えてくる。頼む、これ以上言わないでくれ、と祈りたくなった。しかし、狂信者の声は止まらず、大男の頭の中で大審判の鐘の音のように響き渡った。

 

『だが、貴様は墓を作り、故人の冥福を祈った! 地獄が存在することを願った! あの方が苦しみ続けることを望んだ! 貴様が墓を作ったのはホメロス様の為ではない、他ならぬ自身の為よ! 貴様の中に存在する息苦しさを解放するためだけに作ったに過ぎぬ! だから五年も経った今更になって貴様は作ったのだ――俺の言葉を否定するために、手っ取り早く『親友』であることを証明するために、己の苦しさを軽減するために! 貴様は死して尚あの方の苦しみを増幅させたのだ!』

 

 さんざめく光を浴びる『石』を背に、ユダはグレイグに最後の一太刀を浴びせる。

 

『これが墓だと? 笑わせるな! こんな日の当たる、墓地特有の霧もない、空と海と木立が煌めく場所に作って何が墓だ! これは墓ではない! 貴様の恥の碑だ! 貴様は此処に恥を埋めたのよ!』

 

 心の臓が見えない氷の刃で貫かれる。あまりの恐怖にグレイグは腰を抜かしたかのようにその場に崩れ落ちてしまった。

 

 鳥の鳴く声がする。それにつられるようにして顔を上げると、『石』が目に入った。日向の暖かな匂いが辺りに充満し、木々の隙間から時々白く光る海が見える。陽光が照らすなか、『石』は――『碑』は白日の元に確かに照らし出されていた。

 ひ、と悲鳴を上げる。倒(こ)けつ転(まろ)びつしながらグレイグは其処から遠ざかった。振り返るなんて、とんでもなかった。迫り来る恐怖と具現化した恥の象徴から一刻も早く逃げるために大男は獣道を駆けて行く。

 

 英雄が其処を訪れることは二度となかった。

 

 

 

つづく




◆◇ 解説 ◇◆

※これを飛ばして次の話を読んでも構わない。

 実は、この「Q.E.D」で作者が一番好きな話。最高にキレッキレなユダと、それに翻弄されて否定できないグレイグ。

名前を呼ばれた本人(ユダ)は大男に見下ろされているというのに~高笑いにつられて(グレイグが)『見上げた』ユダの顔は愉悦を滲ませていた。

 最初は、グレイグはユダを「見下ろして」いたが、後の文面ではグレイグはユダを「見上げている」という文面。グレイグにとって、ユダは自分より小さくて若くて身分も低くて力も弱い存在であるので当初は“怒り(憤怒)”を以て「見下ろしている」が、自身すら知らぬ闇の側面を指摘・嘲笑するユダに“恐怖(恐れ)”を覚えて「見上げている」という、グレイグの心理を表している。
(ちなみに、これは「うしおととら」のラスボスを参考にして思い付いたもの)

 ユダのいう「地獄」について。もし、あの世(地獄)というものがあって、今は亡きホメロスが下界(この世)を見ていたら、どう思うだろうか?

 どんなに修行してもホメロスはグレイグの力と輝きに敵わず、嫉妬に押し潰されて魔王に与したというのに、その魔王に用無だと殺され、ホメロスが死んだ後、グレイグはデルカダールの盾を手に入れて勇者と共に世界を救い、名実ともに英雄となり、姫との結婚を控えて、ホメロスの苦しみも悲しみも何一つ知らず・知ろうともせずに「親友だ」と吹聴して英雄としての株を上げ、ホメロスが一から作り上げた海軍を滅茶苦茶にして部下を殺し尽くし、デルカダールだけでなく、世界中から慕われた挙句、ホメロスが提案した策を生前は散々無視したのに、死後はグレイグが思い付いた策として披露して大成功を収め、口を開けて仲間と楽しそうに笑い、まるでワインを一人飲んだ際に不意に思い浮かび、お酒同様明日にも残さない程度の都合のいい感傷としてホメロスを思い返し、史書に英雄として刻まれ、未来永劫に称えられるグレイグ。

 はっきり言って憤死するレベルである。自らの胸を爪で切り裂いて自害したくなる程だろう。だから、ユダは「地獄なんて存在しない」と言い切っている。「地獄なんて無い、死ねば『無』だ」=「地獄なんてないから悲しむホメロス様なんていない」と断じている。本来なら、ホメロスを敬愛するユダは死にたくて死にたくて仕方がないだろう。死んで、地獄でホメロスに会いたいと心から願っているだろう。だが、それ(死ねば、地獄でホメロスに会える)を認めてしまえば、地獄でホメロスが悲しんでいることを認めることになってしまう。だからこそ、ユダは死なない――「死んでも地獄で会えないこと」=「地獄が存在しないこと」を証明するためだけに。たとえ、それでホメロスの冥福を祈ることができなくても。ユダは己の心よりも、ホメロスの心を優先させたのだ。
 それに対して、グレイグは「墓を作る」=「冥福を祈る」=「地獄がある」=「地獄でホメロスが苦しんでいる」ことを望んだ。親友ホメロスの心よりも、グレイグの心を優先させた。ユダの怒りが爆発するのも当然である(幻覚だけれども)。

 ちなみに、グレイグが髪を切ったのは「死者へ手向け」よりも「髪を切る前(デルカダールにいたとき)の自分に戻る」という意味合いが強い。
 
グレイグは小刀で自身の後ろ髪を切り落とした。これでデルカダール王国を飛び出す前の髪の長さに戻っただろう。

 つまり、グレイグは「何も知らない頃の自分に戻りたい」「姫様と結婚して、英雄に戻りたい」と願っている。ユダの怒りが~(以下略)。

 グレイグの精神疾患(幻覚)は更に進み、第三話では一度交わした会話+色を付けたようなものだったのが、第四話では会話を繰り広げ、第五話では一方的に罵られる始末。

 グレイグの旅の目的は以下のように徐々に変わってきている。

 第四話:
あの男の言葉を否定するには彼奴の知らないホメロスの事項を探し出さねばならぬ。それを一つでも見つけ出すことができたならば、きっと彼奴の言葉は否定できるはずだ
 ↓
 第五話:
ホメロスの真意――ホメロスが裏切った理由が分かれば、ユダの言葉が間違いだったと証明できる。俺が『恥知らず』ではないことの何よりの証明になる!

 グレイグにとって「ホメロスが裏切った理由」を探すことは目的ではなく“手段”なのであって、彼に取って最大の“目的”は何よりも「己が恥知らずではないことの証明」である。
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