【DQⅪ】Quod Erat Demonstrandum【グレイグ&ホメロス】 作:千葉 仁史
副題は「この世界に救いなんて存在しない」。
※ホメロスは亡くなっているので、グレイグの回想でしか登場しない。
※勇者はDQの定義上、主人公=プレイヤー(あなた)なので出てこない。
※ここで終わらすこともできるので、最後に「おわり」と明記。
→後書きに解説あり。だが、解説を飛ばして次の話を読んでも構わない。
ホメロスが亡くなって六年の月日が流れた。この年の流行はモノクロのアクセサリーを身に着けることで、スカーフやベルト、蝶や花を象った白黒のブローチ等を誰かしら何処かしらにあしらっていた。民衆の歌の好みも変わり、平和を讃える穏やかなメロディから陽気で誰もが踊りたくなるような曲調へ変遷していった。
旅に出て三年が経った。グレイグのルーチンは変わらず、自身の知らないホメロスの事項を探す日々だった。目深にフードを被るようになったからか、歓迎されることはほぼ無くなっていて、そもそも英雄と認識されることもぐっと低くなっていた。無論、理由はそれだけではない。魔王が倒されて六年も経っている。代わり映えのない平和に慣れた民衆からの関心が薄れつつあったのもその一つだった。
しかし、それと同時に親友の噂話もぱったり途切れてしまっていた。行く先々の住人に尋ねたところで「誰だっけ?」「ほら世界を裏切った極悪人の」「ああ、そんな奴いたなぁ」なんていう興味なさげな態度を取られ、話もそれ以上続かず、嘘に塗れた悪評すら聞かなくなっていた。世相が変わったことで親友の情報を得るのはかなり至難の業となっていた。
ならばせめて、とグレイグは自身の記憶の中の知己を思い起こそうとした。ホメロスとはデルカダールの王宮で初めて出会ってから三十年来の付き合いだ。彼奴と親しい者なんて自身を置いて他にはいない。だが、いつだって思い出の紐を手繰った先にいるのは、小麦畑のような淡い金髪の同年齢の男ではなく、オレンジ色にも見えるブロンドの年若い男であった。その赤紫色の瞳を見付ける度にグレイグは「ユードゥシュカ!」と罵った。大男の猛りに狂信者は一塵も臆することなく『貴様のくだらない感傷にホメロス様を付き合わす訳にはいかない』と立ちはだかり続けた。これもただ向かい合うだけならまだ良かった。ユダの幻影は、時には英雄の心を踏み荒らし、魂の輝きまで刈り取るような言動までした。そのおかげでグレイグは幼馴染のことを思い返す度に恐怖で慄く羽目になり、次第に思い出に浸る行為から疎遠がちとなっていた。
他者から情報を得られず、自身から知己を思い起こすことも出来ない。しかし、だからといって、グレイグは旅を辞める訳にはいかなかった。ユダの言葉を否定する為にも、親友が裏切った理由を知りたくて――ホメロスが魔王ウルノーガに操られていただけという確証が無性に欲しかった。
時には一回訪れたことがある場所へ再び足を運んだこともあった。今度は違う発見があるかもしれない。そんな安易な期待を抱いて向かったところで情報収集の成果はなく、それどころか、ホメロスが以前訪れたときよりも世界から忘れられつつある現実を叩き付けられただけであった。六年という月日の流れの恐ろしさを思い知らされる度に、一つしかないペンダント越しの胸が痛んだ。それでも真実を掴むために英雄は国や町、村々の地を何回でも踏む道を選んだ。
そんな再訪を続ける一方で、全てを見通したかのような瞳を持つ勇者が治めるユグノア、英雄を恥知らずと罵った狂信者に邂逅したクレイモラン、騎士の中の騎士と呼ばれる師匠が住むソルティコには決して行かなかった。行ったが最後、きっと不可視の刃に心の臓を貫かれてしまう。身包みどころか、魂ごと剥がされて誰にも言えないこの『恥』を暴かれてしまう。グレイグにとって、其処へ近付かないことそのものが赤紫色の瞳を持つ幻影から己が心を護るための『最後の砦』だったのである。
その一つであるユグノアに辿り着いてしまったのは英雄にとって全くの想定外であった。旅の路銀を補うため、グレイグは一時的にキャラバンの護衛となったが、思わぬ事故によりルートを変えざるをえなくなり、勇者の治める国ユグノアにて急遽休息することになったのだ。
ユグノアは勇者が生まれたときに魔王に侵攻され、死の都と化していたが、世界に平和を取り戻した後、人々の希望と熱い援助により復興され、再び国史を歩み始めていた。復興の象徴と呼べる象牙色に輝く王宮を拠点として、国王となった勇者とその妻エマ、そして老賢ロウが治世を敷いている。出来れば――いや、決して会いたくないものだ。手配された宿屋から出て行きたくもなかったが、武器を研ぎ屋にもっていかなければ護衛としてままならない。仕方がなくグレイグはフードを眼深に被ってから宿屋を出立し、何も見ない様に何も聞かない様にしながら目的地へ足早に向かった。剣を預け、鍛冶屋で待つこと数刻。店主から渡された番号札より先の番号ばかり呼ばれ、あまりの遅さにグレイグが痺れを切らした瞬間、長旅で擦り切れた外套を引っ張られた。
「久しぶりじゃのう、グレイグ」
迂闊だった。今の武器は勇者が鍛冶したものだ、他の者には真似できない神託の加護が宿っている。それを瞬時に見抜いた研ぎ師が密告したのだろう。どうやら此処の研ぎ師は一級の目利きだったようだ。此の店を選んだのは間違いであり、間違いではなかったが、店主が相当の腕前を持っていることはまた別の方法で知りたかったとグレイグは心密かに嘆いた。
「お久しぶりです、ロウ様」
こんな簡単な台詞を舌に乗せるだけなのに、グレイグは自身の喉が焼けついたような気分に陥った。いっそのこと、『恥』が露呈しない様にこのまま焼け落ちて声が出なくなってしまえたらどんなに良かっただろうか。妄想にもならない妄想を描きながら大男が振り返る。視線を落とした先には、かつて共に世界を救った仲間の一人であり、勇者の祖父に当たる老賢が蓄えた白髭を揺らして微笑んでいた。
「お主がデルカダールを出奔して早三年か。モーゼフもマルティナも随分心配しとったよ」
ユグノアの若き国王夫妻は生憎――グレイグにとっては幸運だが――外交中で不在らしい。復興した王宮内を案内されながらのロウからの優しい問い掛けに、英雄は不躾とは知りつつも沈黙を貫いた。
「して、グレイグよ、何故国を出て行った? お主程の忠義に篤い男が出て行く理由など何処にもなかろうに」
賢老からのその質問にも英雄は答えなかった。頑なに無言を選び続けるグレイグにロウはそれ以上質問を浴びせることはせず、代わりに「お主に見せたいものがある」と言って、英雄を王宮内で一番広いバルコニーへ呼び寄せた。
夕風が靡き、裏地も白いカーテンが翻る。此処から眺めるのは、かれこれ何年ぶりだろうか。此のバルコニーから若き王がユグノア国の復活を唱えたとき、宮廷はまだ半分しか完成しておらず、眼下に広がる街は都ではなく寒村のようであった。それでも、集まった人々は復興への熱を上げ、若き王の宣誓に万歳三唱した。来賓として招かれたマルティナ女王と共に此処から見下ろしたときのことをつい昨日の出来事のようにグレイグは思い出していたが、今覗ける景色は全く違っていた。
「これじゃよ」
そう告げたロウの向こう側には、夕焼けに染まる城下町の姿があった。全てが暖かな金色に照らし出され、皆が
皆、終わっていく今日と言う日に感謝を告げ、希望に満ちた明日がくることを信じて待っている。石畳で整備された大広場では市場が開催されていて、様々な花と声で溢れかえった城下町に過去の寒村のようなイメージはまるでなく、かつての――勇者が誕生した時分の賑わいを取り戻していた。
先程まで歩いていたはずの広場なのに、高いところから見下ろすのではこうも感想が異なるのか。英雄が訪れなかった三年の間にユグノア国は完全に息を吹き返し、新たな時代を謳歌していた。
「きれいじゃろう? わしは夕日に照らされたユグノアを見るのが一等好きじゃった。この光景をもう一度見たくて――ただそれだけの想いで老体に鞭を打って此処までやってこれた。グレイグよ、お主にもあったはずだ、心から見たい景色というものが」
「俺の見たい景色……」
ロウの言葉をグレイグは味合うように舌に乗せて、ゆっくりと転がした。デルカダールを思い出す。あの国は故郷を失った幼いグレイグを受け入れ、新たな帰る場所を与え、優しさを施してくれた。その恩義を報いるため、グレイグは己が身を、陛下を支える剣に、王女を護る盾に、国民を庇う鎧に置き変えてきた。
(俺が見たいものは第二の故郷ともいえるデルカダールの平和と繁栄だ)
それは今、此処ユグノアの王宮から見下ろす景色に似ていた。将軍の地位を授かったとき、幼い頃からの夢が叶ったのだと、この国を支える騎士になれたのだと、グレイグは感慨に耽った。魔王も邪神も斃し、女王マルティナの戴冠式を元帥として迎えたときも同じくこの場にいることを誇らしく思ったものだ。
「グレイグ、その見たい景色を守り続けることがお主の使命ではないのか?」
グレイグはロウの問いに対して「仰る通りだ」と思った。己は己が見たい景色の為に責務を果たすべきだと、忠義に従うべきだと心の重荷が解き放たれるのを感じ取った。肩の力が抜けていく。此処ユグノアへ来て良かった、と心からそう思った。
(そうだ、デルカダールへ戻ろう。己が『見たい』景色のために。それが一番の選択だ)
バルコニーから風が吹き抜け、花の香りが夕焼けに滲んでいく。広場から漂ったものだろうか、その優しい香りをもっと嗅ぎたくて瞼を落とした瞬間、今の今まで視線を合わさないよう気を付けていた赤紫色の瞳と対峙してしまった。しまった、と英雄が思う間もなく、狂信者は静かに告げた。
『貴方様の『見たい』ものは分かりました。では、その貴方様の後ろには何がありましたか?』
幻影を振り払おうと瞼をこじ開ける。赤紫色の焔が消えたと同時に何かが転がり落ちる音がした。それはグレイグが握っていた鍛冶屋の番号札だった。落とした音がするまで握っていたことすら、すっかり忘れていた。失礼と言って、グレイグは番号札を拾い上げようと、ロウから――光に満ち溢れたバルコニーから背を向けた。振り返った先には、黄昏に染まった城下町とは対照的に闇が暗く広がっていた。大男なだけに彼の影は大きく伸びていて、落ちた番号札どころか、調度品すら隠してしまっている。通ったことのある部屋なのにどんな内装だったのか思い出せず、それどころかまるで初見のようにさえ感じられた。
(俺の後ろには闇が広がってる……? それがいったいどうしたと――)
言うのだ? と思い切る前に凄まじい怖気がグレイグを襲った。その影の中に潜んでいた『真実』をとうとう見付けてしまったからだ。
(俺が双頭の鷲と讃えられることに誇りを感じていた時、陛下は魔王ウルノーガに取り憑かれ、親友ホメロスは魔に身を落としていた。世界を救った後、俺が元帥と呼ばれることを誉(ほまれ)と信じていた時、勇敢なる海の男だったフランシスは獄死し、陸軍副官パウロの大粛清により多くの元海兵がその叫びを届かせることなく無様に死んでいった。これは『歴然たる事実』だ。言い訳も出来ず、誰にもひっくり返すことは出来ない! 俺はデルカダール国軍のトップでありながら何も気付いてこなかった。俺はいったい今まで何を見てきたのだ? 本当にただ『見たい』ものしか見ず、信じたいものしか信じてこなかったとでもいうのか? もしかして、もしかしなくても、俺がこの闇を呼んだというのか? ユグノアの悲劇で俺がデルカダール王国へ連れ帰ったのは魔王ウルノーガに取り憑かれた陛下であった。パウロの暴走も発端は俺の盲目の信頼による見落としであった。ならば、ホメロスの裏切りの真相も俺の影の中にあるとでもいうのか! ……そんな訳がない! それだけはあってはならないことだ!)
壁にまで伸び上がる自身の影にグレイグの視界が塗り潰されていく。幼い頃、闇を恐れていたのはグレイグだった。その恐れてやまない闇を今度は己が造り上げた。その『闇』の中に総ての原因があり、真実があるのかと思うと、グレイグは悪寒が止まらなかった。
「グレイグ?」
ロウの呼び掛けにグレイグはその巨体を大袈裟に揺らした。目の前にあった、水溜りのような闇に落ちていた番号札を拾い上げる。まだ夕日は沈んでいないのだろう、己の影以外はオレンジ色の光の中にあった。
戻ります、と影に視線を落としたまま、グレイグは呟いた。明日にはキャラバンが出立するので、と端的に続けて告げる。ロウの息を吸い込んだ音が聞こえた。そんな老賢の背後には光り輝く世界――見たかった景色が存在している。だが、グレイグはもう振り返って見ようとは思わなかった。今は闇以上に光が恐ろしかった。
(ロウ様は闇を見たからこそ、光を望んだ。闇を見続けながら、光を追った。だが、俺は光しか見てこなかった。闇から目を背け、光だけを追った。『見たい』景色ばかりに気を取られ、『見るべき』ものを見ず、『見たい』ものしか見てこなかったのだ)
例えば、それは書類仕事。あれは軍のトップが『すべき』仕事であった。それをグレイグは放棄し、部下に任せ、安着で盲目、愚かとも呼べる信頼に甘えた。己が『信じたい』ものだけを信じた。その結果、多くの元海兵が死んだ。
(ホメロスもそうだったのだろうか。俺は彼奴の何を見て、何を見てこなかったのだろう。……俺の『見るべき』ものは何だったのだろうか)
真相は文字通り『闇』の中にあるのかもしれない。
老賢の呼び止めを振り切り、過去の仲間の顔を見ることなく、グレイグはその場を後にする。優しき花の香りは過ぎ去り、この重荷が消えることはない。此処に来なければ良かった、と心からそう思った。
クレイモランへ行こう。そう決めたのは年の瀬が迫る頃だった。
ロウとの邂逅の後、グレイグは驟雨に降られたかのように憔悴し切っていた。あの後もホメロスの裏切りの理由を知るために国々を聞いて回ったが、はっきり言って梨の礫であった。なんでもいい、証左が欲しかった。『恥知らず』ではないことを、総ての原因が己の『闇』の中にはないことを証明したかった。
しかし、その為にはグレイグの知らないホメロスの事項を探し出さねばならない。ホメロスとは三十年来の仲だ。ほぼほぼ一緒だったが、数年だけ離れた期間があった。それぞれ別の国へ修行に行った時だ。グレイグは剣術を学びにソルティコへ、ホメロスは魔術と兵法を学びにクレイモランに赴いた。留学の間、手紙のやり取りこそしたが、まさしくグレイグの知らないホメロスが其処に存在していた。修行に行った時期はユグノアが滅びる前だったが、もしかするとこの時には既にウルノーガはホメロスに接触していたのかもしれない。もしそうであるならば、グレイグの与(あずか)り知らぬところだ。グレイグの『闇』と言う名の『影』の中に真相はないことの何よりの証左となる。
年の瀬に向け、毎年、クレイモランでは大きなミサが行われる。多くの巡礼者に紛れて、グレイグは定期船に乗り込んだ。願いを込めて、その船内でも親友のことを聞いたが、結果は言うまでもない。
大海原を進む船上から夜空に浮かぶ星を見詰める。寒いと星の形が良く見えるんだ、と教えてくれたのは、どの手紙だっただろう。その手紙も、もう何処にやってしまったか思い出せない。あの国で狂信者に会ってから三年も経っている。もういる訳がないはずだ――否、いやしないだろう。波の音を聴きながら、グレイグは旅の終わりが近いことを祈った。
その国でグレイグを待っていたのは、ホメロスのことが完全抹消された数々の書類と事項だった。留学された事実が記された書類は墨で塗り潰され、人々は「そんな奴、知らないね」と歯牙にも掛けなかった。国民は裏切者を修行させてしまったことに心から恥じていたのだ。今まで以上の収穫の無さにグレイグは寒さ以上に心が折れそうだった。
そのクレイモランでグレイグは一人の老婆を助けた。助けたといっても、凍った道で転びそうになったところを支えただけだ。彼女の荷物を家まで運び、ついでに薪を暖炉にくべた。今宵の宿を探さねばなりませんから、と言って立ち去ろうとしたグレイグを老婆は呼び止めた。
この時期は巡礼者で何処の宿屋もいっぱいだから、此処に泊まればいい。主人が生きていた頃は留学生が泊まる宿屋として繁盛していたが、今はこの通り裏寂れたものだ。此処には荷物だけ置いて古代図書館に入り度って滅多に帰ってこない変な客が一人いるだけ、気を使わなくて構わない。どうかお礼として泊って欲しい。
そのようなことを言われて断れるグレイグではなかった。この寒さの中、野宿する気にも、さ迷い歩く気もない。大男はその好意に甘えることにした。
幸運なことに老女は眼が悪いらしく、グレイグが英雄であることに全く気付いていなかった。折角泊めてくれるのだから、と大男はあれこれ動き回って老婆の手伝いをした。彼女の手の届かないところを掃除したり、雪下ろしをしたりした。そういうことをし続けたものだから、夕飯を馳走されたとき、もし可能なら今宵用意した部屋の桐箪笥を動かして落ちたものを拾っておいてくれないか、と老婆に頼まれた。グレイグはそれに対して「ええ構いませんよ」と軽く了承した。
それじゃあミサに行ってくるからね、と出発した老婆を見送ってから、グレイグは宛がわれた部屋へ向かった。その桐箪笥は花嫁道具とのことだった。こんな立派な箪笥を動かそうと思ったら少なくとも成人男性二人いなくては無理な話だ。だが、大男であるグレイグにとっては朝飯前のことで、いとも簡単に箪笥を動かすことができた。老女の言っていた通り、箪笥の裏には小銭やアクセサリー等の色んなものが落ちていて、小さなメダルまで見付けたときはつい笑ってしまった。いっそのことついでだ、別の家具も動かして探してあげよう。次にグレイグは化粧台を動かして細々したものを拾いあげると、今度は壁に接して置かれていた横長のソファを動かした。
其処にも埃に塗(まみ)れたアイテムが落ちていて、グレイグが拾い上げようとしたとき、その壁に何かが書いてあることに気が付いた。それは誰かの手記であった。その手記は三回に分けて書かれており、まめまめしいことにそれぞれ書いた年代・日付まで書いかれていた。その癖のある繊細な文字にグレイグは見覚えがあった。間違いようのない! これはホメロスの文字であった。
グレイグはソファを無造作に思いっきり動かすと、一番年代の古い落書きを探った。書かれた年号はホメロスがクレイモランへ修行していた時期と符合した。十三歳のときで修行一年目に当たる。逸る心を抑え、指で文字を辿っていく。其処にはデルカダール王国の騎士になることの憧れと強い意志、共に目指すと誓い合ったグレイグとの約束に対する未来への希望が刻まれていた。
『僕は絶対にグレイグと共に強い騎士になるんだ! あの盾をその手に掴むんだ!』
何度読み直しても、少年期の情熱以外に其処に刻まれたものはなかった。魔王のことは一片も出てこなかった。
二番目の書き込みはユグノアが滅ぼされてから――グレイグが将軍になってからの青年期のものだった。年は二十三歳、少年期から一変して其処には出世への焦りが刻まれていた。
『どうして認められない。俺だって血反吐を吐くような修行をした。なのに、なんで彼奴ばかり賞賛される。グレイグ、どうしてお前は俺を置いて先へ行くのだ』
その文面をグレイグは何度も指でなぞった。ホメロスが何故そのようなことを書いたのか素直に理解できなかったからだ。
ユグノアの一件でグレイグは歴代最年少ともいえる二十歳で将軍になった。ホメロスは最初陸軍にいたが、その三年後に海軍のご意見番のクラウスに呼ばれて、デルカダール王国海軍の提督になった。それから三年間、『海に野猿が落ちてきた』と揶揄されてきた海軍を立て直し、規律のある軍隊に仕立て上げた。そして、その功績を認められて彼は特別に海軍将校になった。グレイグより六年遅れ、ホメロス二十六歳のときであった。
確かにホメロスはグレイグより遅咲きだった。親友が海軍の将軍に任命されたとき、グレイグは「お前なら、もっと早く来るかと思った」とその肩を叩いたものだ。ホメロスは、最終的には双頭の鷲と呼ばれる将軍になれた。なのに、何を此奴は焦っているのか。グレイグにはとんと理解できなかった。何よりも一番理解できなかったのは青年期の最後の書き込みであった。
『同じ景色を見なくては隣に立つ資格もないのか』
王国一の騎士となる。グレイグとホメロスはそんな同じ目標を掲げていたというのに、何故このような書き込みをしたのだろう。分からない、と口の中で呟いてからグレイグは最後の落書きに目を通した。
三番目の手記は賛辞と感謝で溢れていた。頻りに『あの方』と書かれており、ホメロスらしくなく何度も賞賛していた。いくらグレイグでも『あの方』が誰を差しているのか分かった――総ての元凶である魔王ウルノーガだ。
『あの方だけが私を認めて下さる。あの方だけが私を理解して下さる。私にはもうあの方しかいない』
其処には今までのようにグレイグのことは書いておらず、ただただウルノーガを讃えていた。前の書き込みからあまりにも内容が飛躍し過ぎていて、グレイグは整理がつかない。せめてものと書いた年月だけでも知ろうとした。やはり前回から十年後に書かれていて、ホメロス三十三歳の時であった。だが、問題なのは年号ではなかった。書かれた月だった。此処にホメロスが刻んだのは、彼が唯一大失態を起こし、クラウス筆頭に大勢の海兵を失った海賊退治から三か月後の月だった。
あれはホメロスにしては珍しい失態だったとグレイグはその時感じたことを思い返していた。陸軍の援軍もあり、海賊退治には成功したが、完全無欠な彼奴でも失敗するのだな、と思った。だが、ホメロスは立ち直り、海賊へ海軍の情報を売り渡した密告者を処罰し、海軍を復活させた。やはりホメロスは強い男だとグレイグは感心したものだった。
では何故あの事件から三か月後にホメロスはウルノーガ礼賛の落書きをしたのだろう。その最後の一文はこう書かれていた。
『過去の私よ、もう一人で涙を流す必要はない。あの方が私を見付けて下さるのだから。私のことを親友とも思わない、あの男の影で泣く必要なんて一つもない』
あの男の『影』。その言葉にグレイグは身が凍えるのを感じた。ユグノアの白いバルコニーを思い出す。グレイグは自身の暗い『影』の中から飛び出そうとする真相を必死で抑えた。だが、真相はその太い指をすり抜けて『影』から姿を現した。真相は赤紫色の瞳を持っている。白い服を着たその幻の名はユダといった。
『元帥閣下、本当に分からないのですか?』
激情に駆られた風ではなく、老賢と会った時のようにそっと話し掛けられる。幻なのに、何故か香水の匂いがしたような気がした。何を? とグレイグは訊こうとしたが、唇が震えて声にならない。おかしい、暖炉の炎は消えてないのに。
海賊退治の三か月後の落書き、ウルノーガを讃える言葉の数々、そしてグレイグを『あの男』と他人のように呼んだこと。『何故』『どうして』が積み上がり、本当に分からないんだ! と叫びたくなった。なんでもいい、救いが欲しくてグレイグが誓いのペンダントに触った途端、暖炉にくべた薪が折れて崩れ落ちた。それは了承印を押すような軽妙な音に似ていた。
あの海賊退治の失敗はホメロスのせいではない。海賊に海軍の情報をリークした奴がいたのだ。密告したのは船長のヤハウェであった。何故売ったのか、グレイグは知らない。こればかりは本当に知らない。近隣を荒らす海賊を退治するための密議にヤハウェは勿論参加していた。何隻でどのように攻めるのか、武器は何を積んでいるのか、遊軍の位置は、等と彼は全てを知っていた。ホメロスは彼に船長としての全信任を置いていたのだ。
その彼が裏切った。リークされた海賊は幾つかの海賊同士で手を組み、一国の軍隊並みになって襲い掛かった。一団の海賊のみと戦闘する予定だったデルカダール海軍は逆に包囲され、次から次へと沈んでいった。多くの海兵が溺れるか、海賊に斬られるかで命を落としていった。ユダとアウグストが別艦で戦っていたが、海賊連合の攻勢はやむことなく、とうとう本艦までその手が及んだ。その時はまだヤハウェが裏切ったからだと誰も気付いておらず、極める混乱の中、ホメロスはきっと周りの兵を鼓舞しながら戦ったに違いない。
その最中、メーベが叫んだ。あ、と思う間もなく敵の弓矢の一斉射撃がホメロスを襲った。動けたのはただ一人だった。その男は全ての矢を体に受け、言葉を残すことなく絶命した。義兄弟クラウスの死に、斧を奮っていたフランシスが絶叫するが、その瞬間、彼の顔面をカットラス(海賊の武器、三日月刀)が斬り付けた。フランシスは崩れ落ち、その巨体は血と共に甲板を滑っていった。
ホメロスを守る兵士が誰もいなくなった瞬間、鬨の声が響いた。陸軍の援軍が来たのだ。船を近付けるや否や、グレイグは黒馬リタリフォンに乗ったまま、本艦へ飛び移った。抵抗する海兵相手に海賊も疲弊していたところへデルカダール本国から援軍がきたのだから、たまったものではないだろう。海賊は瞬く間に駆逐されていった。
グレイグは敵を蹴散らしながら、きっとホメロスの傍を擦れ違ったはずだ。グレイグはそのあったかもしれない瞬間を思い出せない。
陸軍の援軍により海賊退治が終わった頃には、多くの海兵の亡骸と船の破片が波間に漂っていた。負傷者だったフランシスやメーベたちは軍の病棟へ運ばれ、クラウスたち戦死者は丁重に葬られた。
いざこざが起きたのはその晩のことだった。誰も守れない海軍将校なんざ、と馬鹿にしたパウロを満身創痍だというのにユダが噛み付いたのだ。陸軍がいなければ死んでいたくせに、総てを守れる英雄とはまるで違う、と暴言を吐くパウロにユダが「ホメロス様を愚弄するな!」と飛び掛かり、殴られても殴り返し続けた。いつの間にか其処は陸兵海兵の殴り合いとなっていた。ホメロスはそれをとめようと声を上げていた。でも誰も止まらなかった。あのユダですら止まらなかった。喧噪を聞いたグレイグが「やめんか!」と一喝すると、兵士は一気に静まり返った。ユダとパウロには再び謹慎処分を言い渡され、兵は各自の持ち場に戻っていった。残ったのはグレイグとホメロスのみだった。
茫然と立つホメロスにグレイグは「らしくないな」と思った。冷静で軍律を重んじる此奴にしては部下の喧嘩一つすら止められないなんて。だから、グレイグはその肩を叩いて、こう言ったのだ――「しっかりしろよ」と。そのままグレイグは親友の顔を見ることなく、その場を立ち去った。
あの後、陛下がホメロスを王の間に呼んだらしいことをグレイグは翌日になって人伝に聞いた。処分を言い渡されたのかと思ったが、ホメロスが将軍職を辞することはなかった。陛下らしい寛大な処置だ、とその時のグレイグは思っていた。
それから数日もしないうちにアウグストが裏切者のヤハウェを捕まえてきた。遺体もなく、負傷者リストにも載っていないのを怪しんで、戦のあと、独自で調査していたようだ。流石、諜報部のアウグストらしい仕事の速さだ。ホメロスは裏切者ヤハウェを拷問の上、フランシスに斬らせた。遺体は埋葬せず、海に撒いたというのだから「裏切者とはいえ元仲間に酷いことをする」と非難したグレイグに「お優しい英雄殿とは違いますので」とホメロスは見向きもせずに言っただけだった。
陛下の恩情により立ち直ったホメロスは国の為とますます精力的に働いた。陛下に具申し、海軍を立て直し、寝る間も惜しんで活躍した。時には敵に対して目を覆いたくなる様な非情な策も敢行することもあったが、軍略は以前よりも冴え渡っていた。陛下は軍師として一皮成長したホメロスを褒め、親友は猫のように目を細めて喜んだ。より一層忠義心を深めた親友を見て、グレイグも喜んだものだった。
それから三年後に悪魔の子こと勇者が現れた。ウルノーガの命で、命の大樹の元で勇者を襲ったホメロスは返り討ちに遭い、グレイグが連れてきたデルカダール王に取り憑いていた魔王によって口封じのために殺害された。何とも味気のない、呆気のない最期だった。
『あの事件』からホメロスが死ぬ瞬間までがグレイグの頭の中を過(よぎ)っていく。本当に分からないのですか? と幻が大男を追い立てる。息を吸って吐いてを繰り返す。上手く呼吸が出来ない。瞼を開けると、赤紫色の瞳を持つ真相とばっちり視線があった。
もう誤魔化せない。嘘は付けない。気付かなかった振りもできない。グレイグは震える声で真実を口にした。
「あの時、ホメロスは傷付いていたのだな――本当に心から、どうしようもないくらいに」
ホメロス率いる海軍は彼が一から作り直したといっても過言ではない。大概の部下はホメロスが見付け、育て上げたようなものだ。自慢の部下たちだった。その部下の一人で信頼していた船長ヤハウェに裏切られ、ホメロスはどんなに悲しかっただろう。その裏切りで多くの部下を死なせてしまって、どれだけ辛かっただろう。自分に海軍という新たな居場所を与え、ずっと支えてくれた恩人クラウスに目の前で死なれ、どれだけ口惜しかっただろう。どれだけ心の中で涙を零したのだろう。絶叫したのだろう。自分の不甲斐なさを悔いたのだろう。
『貴様はそのホメロス様に何をした?』
「俺は……彼奴らしくないと、『しっかりしろよ』と呼び掛けて――」
『船長に裏切られ、部下を大勢失い、平生を失ったあの方に貴様はそんな言葉しか掛けられなかったのか? その言葉をあの方がどう受け取ったのか考えなかったのか』
瞠目する。ホメロスは部下同士の喧嘩すら止められないぐらい弱っていたのだ。将軍としての器が無いと陸軍副官に罵られ、きっと心臓を掴まれたかのような気分だっただろう。それでも止めようとホメロスは声を上げたのにそれは全く届かず、なのにグレイグの一括で喧噪が収まったのを見て、将軍の器としての差を見せつけられたと感じたに違いない。そして、陸軍の将軍から「しっかりしろよ」と言われたホメロスは、全く後ろを振り返らずに立ち去るグレイグを見て、同僚としても『失望された』と思っただろう。この作戦の失敗でホメロスは民からも部下からも陸軍からも同僚の将軍からも『失望された』と思い、彼の心は折れてしまった。
「ユダ、待ってくれ。だが、彼奴は立ち直ったじゃないか。俺の言葉と陛下の――」
最後まで言うことなく、グレイグの顔が青褪めていく。あの時、既にデルカダール王は魔王に取り憑かれていたのだ。グレイグが立ち去った後、ホメロスは陛下に呼ばれた。あんな心が弱っている状態の時に独りにして、魔王と対面させた。一番会わせてはいけないときに会わせてしまったのだ!
魔王はホメロスに何を吹き込んだのだろう。ぶるぶると唇が震える。己のせいではない、と否定しなくては。こんな証明を許す訳にいかないとグレイグは幻に訴え続けた。
「馬鹿な! いくらホメロスが弱っていたとしても魔王相手に膝をそんな簡単に折る訳がないではないか! 彼奴は人一倍用心深い性格なのだぞ! そんな、そんな訳が――」
『では、ずっと前から陛下がウルノーガに取り憑かれていることに勘付いていたとしたら? 勘付いていなかったとしても、何かしらの疑念を抱いていたとしたら?』
ユダの静寂にも似た囁きに、グレイグの喉の奥からひゅっと音が出た。歯が震えて上手く声に出せない。それでも、グレイグは口を開いた――真相を封殺するために。
「それならば尚更、何故俺には言わない? 俺に言えば絶対に――」
『お前はあの地獄を見たことがないからそんなことが言えるのだ!』
過去に己が叫んだ台詞が瞬間的に蘇る。二十三歳のとき、ホメロスはその三年前から「陛下の様子が変だ」とグレイグに訴えていた。愛娘を失った悲しみは分かる。だが、今のあの方は我々が父として慕った陛下とはまるで別人のようだ。何度もホメロスに言われ、グレイグはその愛娘を守れなかったから陛下がああなったのだと指摘されているような気がして、そもそも陛下への忠誠心を疑うこと自体許せなくて、ホメロスにそう言ったのだった。
『魔王の軍隊に襲われ、一夜で廃墟と化したユグノアの地獄のような光景を見ていない癖に、何も知らないお前に、そんなことを言う資格はない!』
グレイグはそう吐き捨てると、振り返ることなくその場を離れた。それ以降、ホメロスはそのことに触れなくなったので改めたのかとグレイグは思っていたが、そうではなかった。彼は独りでその疑惑と戦う決意をしただけだった。グレイグに相談することを諦めただけだったのだ。
幼い頃、共に国を守る騎士になろうと誓った友人は足早に将軍になり、ホメロスを振り返らなくなっていた。形ならぬ疑念を相談したのに一蹴され、親友ではないと言われたかのような気持ちになったに違いない。もうずっと前から――二十三歳の頃から、グレイグとホメロスは親友ではなかったのだ。
『同じ景色を見なくては隣に立つ資格もないのか』
ホメロスが二十三歳の頃の落書きをグレイグは絶望的な気分でもう一度見詰め直した。戦功に焦る気持ちがつらつらと書き連ねてあり、英雄と呼ばれるグレイグを妬む気持ちと信じあえる親友でなくなったことを悲しむ気持ちで溢れて返っていた。
「だが、ホメロスもあの後、将軍になったではないか。俺と同じ立場に――」
『本当にそう思っているのですか?』
赤紫色の焔がまたもや静かに問い掛けた。喉がからからになった気分に陥りながらも、グレイグはそれに頷こうとしたが辞めた。代わりにもうやめてくれと懇願したくなった。鼓膜の奥で英雄と呼ぶ民の声がリフレインする。誓いのペンダントを掴む指先は震えっぱなしだった。
グレイグはユグノアのただその一件のみで陸軍の将軍になった。ホメロスが海軍の将軍になれたのは三年間に及ぶ海軍の立て直しが評価されたからだ。
彼が赴く前の海軍は本当に悲惨で、海賊と戦っていたらどっちが海賊か分からない程の野蛮だと言われる程であった。要は陸軍にはいられない『ならず者』の巣窟だったのだ。それなりのチームワークがあったが、軍律と言うものは存在していなかった。『陸から海へ猿が落っこちて出来た軍隊』と揶揄されるのも如何せん仕方のない烏合の衆であった。
そんな海軍の総まとめ役であり、ご意見番と言われていたクラウスはそのことに大層頭を悩ましていた。このままでは駄目だと理解していたが、取り締まれる存在がいなかった。其処で目を付けたのがクレイモランで兵法と軍律を学んだ若きホメロスであった。陸軍で親友グレイグの出世を妬み、軍功も立てられず歯痒い思いをしていたホメロスをクラウスは海軍に誘い、立て直しを頼んだ。この時、ホメロスは二十三歳、クラウスは四十代だった。自身より二回りも年上に懇願され、グレイグとはまた違う場所で騎士として認められるためにホメロスは海軍の若き提督になることを決めた。
無論、その道中は険しかった。クラウスが自らホメロスに臣の姿勢を見せたが、他の者は「海の戦いを知らない初心野郎」と罵った。嫌がらせも受けた。髪が痛み、凄まじい心労がホメロスを襲った。それでも彼はやり遂げ、クラウスをご意見番にして、フランシスを切り込み隊長として任命し、メーベを殿隊長として取り立て、軍律と階級を叩き込み、部下に己の存在を認めさせ、デルカダール海軍を立派な軍隊として立て直してみせた。この三年間の偉業を受け、ホメロスは海軍将校となったのだった。
しかし、ホメロスがどんなに頑張ろうとも、英雄グレイグには敵わなかった。皆、『英雄』という輝かしい名に惹かれた。だから、海軍に来て二年目を迎えた元新米兵士は何も称号のない男に仕えるよりかは『英雄』の称号を持つ男の元で働くことを望み、異動していった。
『兵の皆が皆、国へ忠義を捧げていると思っているのか? ならば何故、ホメロス様が率いる海軍から貴様率いる陸軍への異動者が多かったと思う?』
クレイモランの場末のバーでユダの台詞が蘇る。今ならその答えが目に見えて分かった。本来ならば、グレイグは己が威光にだけ惹かれて兵が来ていたことを見抜いて、異動者を選抜しなくてはならなかった。なのに、グレイグは副官任せにして、結局は深く考えずに異動希望者を全員受け入れた。その光景はホメロスにとって、どのように映ったのかなんて言うまでもないだろう。そんなに彼奴がいいのか、己では駄目なのか、俺の海軍から兵を奪いたいのか、とホメロスは誰にも悟られぬようにきっと唇を強く噛んで耐えていたのだ。
そして、だからこそ自ら志願したユダを可愛がったのだろう。
ユダは――ジューダスはホメロス同様にクレイモランで研鑽を積んだことがあり、兵法に長けた男であった。若かりし頃、陸兵だったジューダスは己の兵法を採用しない上官に腹を立て、地面に木の棒で軍略を描いていた。其処へ偶然通りかかったホメロスに「良い策だな」と褒められ、「此処をもっとこうすれば良くなる」と上から手を握られ、木の棒で書き足していった。ホメロスが去った後、ジューダスは「あの方だ! あの方だけが私を認めて下さる!」と心に決め、「良禽(りょうきん)は木を択(えら)ぶ」に則って、自らホメロスの部下になることを選んだ。
陸軍から海軍に唯一異動者であった彼を、ホメロスは訝しみ、揶揄いついでに「ユダ」と言う名を授けた。だがしかし、ジューダスはその名を受け取った。「今日より私めは貴方様のユダでございます」と膝を折った。フランシスもメーベも元から海軍にいた兵士で、アウグストはホメロスがスカウトした兵士だ。ホメロスに自ら部下になると公言したのはジューダスだけだった。熱狂しすぎて物真似してしまうのも、純然たる忠義心ゆえに喧嘩っ早くても、ホメロスはなんだかんだ嬉しかったのだ。
ホメロスは彼を誉め、伸ばし、成長させ、最終的に副官四人衆へ加えた。敬愛する上司に認められ、ユダはどんなに嬉しかっただろうか。陸軍で腐っていたホメロスをクラウスが認めてくれたように、同じく陸軍で腐っていたユダをホメロスが認めた。つまり、ホメロスは彼に自分を重ねて見ていたのだった。
だがしかし、ホメロスが認めて欲しかった相手は部下という目下の者ではなく、上司や同僚と言う目上や同じ立場の者であった。彼はユグノアの悲劇以降、変わってしまった陛下に疑念を抱いていた。つまり、彼を認められるのは同じ将軍職の立場にいるグレイグしかいなかったのだ。友人ではなくても同僚として認めてほしかったのだろう、隣に並び立つ者として認めてほしかったのだろう。だから、グレイグから策を求められたとき、彼は最善の手を提供した――少ない労力で最大の結果を得る策を。なのに、やっぱり面倒だと策を理解していなかったグレイグは単騎突撃し、その策をしっちゃかめっちゃかにしてくれた。運が良いのか悪いのか、グレイグには膂力があった。兵を統率できるカリスマがあった。策が失敗しても自力で捻じ曲げる天賦の才があり、ユダの言葉を借りるなら『無意識のうちに自分の思い通りにする天才』であった。折角の策を不意にされたホメロスはどんな気持ちだっただろうか。作戦を望んだ癖して自ら崩した挙句『自分が動いた方が早いと思った』と笑う陸軍将校にどんな感情を抱いただろうか。作戦は大失敗なのに「凄まじい白兵戦でグレイグ将軍の活躍を間近で見られた!」と興奮する陸兵を、「英雄にせこい兵法なんていらないなぁ」と笑う民を見て、何を感じただろうか。
そうして今更になってグレイグは世界を救って三年後に出てきたホメロスの幽霊が幽霊ではなかったことに気が付いた。あれはただ過去の記憶をグレイグが回想していただけであった。病死したリタリフォンの話が出たり、ホメロスが改装で消えた扉に向かって行ったりしたのもそのためだ。所詮、過去の会話をなぞっていただけに過ぎない。だから、グレイグはホメロスと軍議以外の会話が出来なかった。あのやり取りが回想だと気付かないぐらいにグレイグは忘れていたのだ――ホメロスが自分に何回も何十回も策を授け、注意し、海軍の話をして、時には叱ってくれていたことにに。
室内では暖炉の薪から火花が散り、外では雪が沈黙を以て降り積もっていく。真実は足音もなくグレイグに忍び寄り、その耳元でそっと囁いた。
ホメロスはずっと前から、ユグノアの悲劇からすぐに陛下の変化に気付いていた。でもまさか君主が魔王に取り憑かれているとは夢にも思うまい。ホメロスは何度もグレイグにその疑問を訴えたが、それは通じなかった。むしろ、同じ光景を見ていない癖して、と詰(なじ)られた。話が通じ合わないことを悲しみつつ、ホメロスは独りでこの疑念を立ち向かうことにした。その間にグレイグに軍功で先を行かれたこと、彼が此方を振り返らず、それどころか全く気にしていないことに心を痛めたが、新たな活躍の場・海軍にて彼は励んだ。苦節三年の果てに、ようやく海軍将校になれたが、グレイグはただ「お前なら、もっと早く来るかと思った」と笑っただけだった。彼はホメロスのことを何も見ていなかったのだ。苦労も努力も苦しみも何もかも! 民も兵も英雄グレイグを望み続けた。
それでも、私には海兵がいる! 一から作り上げた自慢の海軍がある! と邁進するホメロスを『あの事件』が襲った。信頼してきた船長に裏切られ、自分に居場所を与えてくれた恩人は目の前で絶命し、多くの部下が負傷し亡くなった。そんな絶体絶命の時に現れたのが英雄グレイグだった。圧倒的な膂力を以て黒馬を率いて戦場を蹂躙する様はまさしく英雄だった。ホメロスにはないものだった。ホメロスが永遠に持てないものだった。恩人の重くて冷たい亡骸を抱いて、ホメロスは己の情けなさに身体が震えた。
その晩起きた喧嘩の内容はグレイグを英雄だと称え、ホメロスを無能だと貶すものだった。戦争後の傷だらけの身体と精神に鞭を打って、ホメロスは喧嘩を辞めるよう声を張り上げた。しかし、誰にも届かなかった。なのに、グレイグの声は届いた。同じ将軍職に就いていながら、なんて差であろうか。そして、グレイグは喧嘩の内容を――昔にパウロがホメロスとユダの関係を疑って揶揄したとき同様に――一切否定することなく、ホメロスに「しっかりしろよ」と肩を叩いただけだった。そして、陸軍将校の背が振り返られることはなかった。
失望されたと思った。民や兵だけでなく、グレイグから親友としてだけでなく、同僚としても隣に並び立つものとしても見放され、失望されてしまった。今まで積み重ねたものが音を立てて崩れていく。おしまいだと思った。
絶望しきった瞬間、陛下に呼ばれた。厳罰か降格か、いっそのこと処刑か。ホメロスは陛下と二人きりの王の間へ通された。頭を垂れる。顔を上げよ、と言われたが、ホメロスに上げる気はなかった、このまま断首してくれ、と祈るホメロスを包み込んだのは陛下の腕だった。それはまるで父が子供を抱き締めるかのようであった。与えられた熱にホメロスの目尻に涙が浮かんだ。嗚咽を噛み殺しながら、昔は父と慕った王の背に腕を回す。そんなホメロスに王は言った。
「わしはデルカダール王ではない。魔王ウルノーガである。このことを告げる意味、お主には分かるな」
王の言葉にホメロスは一瞬言葉を失ったが、その意味を軍師特有の理解の速さですぐに飲み込んだ。此の方はたかが人間風情に名を明かしたのだ。それは魔王ウルノーガからホメロスに与えられる『最大の敬意』以外の何ものでもなかった。
「よくぞわしを十三年間片時も疑い続けることが出来た。それが出来たのはホメロス、お主ただ一人だけだ。そんなお主を人間でいさせておくなんて勿体ない。これぐらいのことでお主を失わす訳にはいかぬのだ」
嗚呼、嗚呼! ホメロスの身体は歓喜で震えた。
(この十三年間、私は『あの男』に認められるように努力する一方で、ずっと陛下を疑っていた。結果、『あの男』は見向きもしなかった。だが、此の方はずっと私を見ていたのだ。この十三年間は無駄ではなかった。この十三年間は『あの男』ではなく、此の方のためにあったのだ。此の方だけだ! 私を必要として認めて下さるのは此の方しかいないのだ!)
ホメロスは魔王から離れると膝を折った。もう言うべきことは決まっていた。
「貴方様こそ我が主です、ウルノーガ様。今日より私は貴方様のホメロスでございます」
『あの方は私にだけ名前を明かして下さった。優しく包み込んで熱を下さった。あの熱に勝るものはない。私が必要だと言って下さった此の方に己が智勇の全てを捧げよう。この日より、私はあの方の為に戦う肉体となり、あの方のために死ぬ魂となった。あの方だけが私を認めて下さる。あの方だけが私を理解して下さる。私にはもうあの方しかいない。喜べ、過去の私よ。もう一人で涙を流す必要はない。あの方が私を見付けて下さるのだから。私のことを親友とも思わない、あの男の影で泣く必要なんて一つもない』
九年前の落書きは、海軍将校が心から魔王に忠義を誓っていた証左であるとともに、グレイグとホメロスが親友ではなく、長年顔の見知った『赤の他人』であったことを何よりも証明していたのだった。
グレイグの絶叫が宿屋の小さな部屋に反響する。涙を零し、誓いのペンダントを潰すくらいの勢いで握りこんでいた。これが真実か! これが真相か! と頭を床に打ち付ける。床に額を付けたまま、視線を壁に向けた。ホメロスは用心深い性格だ。ウルノーガを示唆するような三番目の書き込みを許す訳がないのだ。なのに、彼奴はわざわざ落書きしにこのボロ宿へ来た。ホメロスは二十三歳の自分自身を慰めに来たのだ。慰めることができるのは己だけだと分かっていたからだ。助けることが出来るのはウルノーガだけだと分かっていたからだ。ホメロスが望んだ光の中に救いなどなく、ホメロスが忌避した闇の中に救いがあるなんて、酷い皮肉ではないか! その皮肉に気付かないぐらいにホメロスはウルノーガに救われたのだ。
ホメロスの真意は、グレイグが出会ってからの三十年間にも、三年間巡り回った世界の何処にもなく、こんな世界の端のボロ宿のソファで隠された壁に存在していたのだった。
どうしてユダがホメロスの裏切りの理由と時期に気付けたのか。それは単純にずっと主人であるホメロスを見てきたからに過ぎない。『あの事件』からの異様な立ち直りの早さ、部下に対する信頼が薄くなりつつあること、一人行動が増えたことをユダはきっと不思議に思っていただろう。だが、ユダはホメロスの部下だった。部下が上司を疑うなんて許されるはずがない。あれから疑問を抱き続けていたユダであったが、『陛下が魔王に取り憑かれていた』という最大のヒントを得て、総てが一本の線に繋がっただけの話だ。三十年来の親友と嘯く男より、ユダの方が遥かにホメロスを理解していただけの話だった。
そして、そのユダの存在こそが真相のヒントだった。ユダは誰かに己を認めて欲しかった。そんな彼をホメロスが認め、それに対し、ユダは絶対の忠義を捧げることを決めた。それと同じだ。ホメロスは誰かに己を認めて欲しかった。そんな彼をウルノーガが認め、それに対し、ホメロスは絶対の忠義を捧げることを決めた。ユダは本当にホメロスそのものだったのだ。
声にならない呻き声を零しながら、グレイグは今こそ己を罵ってくれと狂信者に懇願した。しかし、狂信者の幻からの回答はなかった。ユダの幻はまるで用は済んだとばかりに姿を現さなかった。狂信者が消えた、だがそれは守護者が消えたことを意味していた。ようやくホメロスに会える! と顔を上げたグレイグの目の前には何もなかった。髪の毛一本すら存在していなかった。グレイグはホメロスの姿を思い起こそうとした。だが、何も思い浮かばなかった。
本当はもうずっと前からグレイグはホメロスのことを思い出せなかった。もし覚えていたのなら、ユダに初めて邂逅したとき、ホメロスのあまりの生き写しっぷりに驚いていたはずだ。グレイグはホメロスを思い出す度にユダを重ねていった。狂信者に邪魔されることで思い起こす回数が少なくなり、正確には思い出せなくなっていた。ユダは『くだらない感傷にホメロス様を利用させる訳にはいかない』と言った。その通り、狂信者はグレイグのくだらない感傷からホメロスを守り切り、とうとう思い起こすことすら出来なくさせてしまったのだ。彼奴は本当に忠義の士であったのだ!
遠くから讃美歌が聞こえてくる。ミサが行われているのだろう。グレイグの抱えるものが『罪』だったなら、告解をして神の御前で許されただろう。だが、これは『恥』なのだ。『恥』は晒すものではない、神が許すものではない。これは永遠に雪辱がこない『恥』なのだ。
もう終わりだ、もうおしまいだ。証明は終了してしまった。結局、この旅はユダの言葉を――己が『恥知らず』であることを証明させただけであった。グレイグは涙を流しながら頭を抱える。
あとはただどうしようもなく夜を待つ。
おわり
◆◇ 解説 ◇◆
※これを飛ばして次の話を読んでも構わない。
ユダの言葉を証明終了したお話。タイトルが「Amazing Grace」なのに、副題は「救いなんて、この世界の何処にもない」という、えぐい以外の感想が出ない総まとめのような第六話。「グレイグに厳しい話が続いたけど、第六話のタイトルが『Amazing Grace(大いなる恩恵)』だから、やっとグレイグの心は救われるよね」と思った読者を地獄の底に叩き落す結果となる(それをねらったのもあるが)。
ちなみに、pixivではもっとえぐい演出をしており、第一話の時点から各タイトルを以下のように表記していた。
1、Ghost
2、Guy called Judas
3、Go away
4、Guardian
5、Grave mist
6、Amazing Grace
第六話が最終話だと思うし、タイトル的に第六話で「グレイグが救われる」とミスリードさせている。
第六話は今までの総まとめなので、色々と比較してみよう。
第四話:
あの男の言葉を否定するには彼奴の知らないホメロスの事項を探し出さねばならぬ。それを一つでも見つけ出すことができたならば、きっと彼奴の言葉は否定できるはずだ。
↓
第五話:
ホメロスの真意――ホメロスが裏切った理由が分かれば、ユダの言葉が間違いだったと証明できる。俺が『恥知らず』ではないことの何よりの証明になる!
↓
第六話:
ユダの言葉を否定する為にも、親友が裏切った理由を知りたくて――ホメロスが魔王ウルノーガに操られていただけという確証が無性に欲しかった
↓
なんでもいい、証左が欲しかった。『恥知らず』ではないことを、総ての原因が己の『闇』の中にはないことを証明したかった。しかし、その為にはグレイグの知らないホメロスの事項を探し出さねばならない。~(ホメロスが)修行に行った時期はユグノアが滅びる前だったが、もしかするとこの時には既にウルノーガはホメロスに接触していたのかもしれない。もしそうであるならば、グレイグの与(あずか)り知らぬところだ。グレイグの『闇』と言う名の『影』の中に真相はないことの何よりの証左となる。
第四話:ラスト
夜が支配しつつある部屋のなか、グレイグは「明かりを」と祈った。闇を照らす光を心から欲し、望んだのだった。
【光(自身にとって都合のいい理想の希望)を望むグレイグ】
↓
第五話:ラスト
鳥の鳴く声がする。~木々の隙間から時々白く光る海が見える。陽光が照らすなか、『石』は――『碑』は白日の元に確かに照らし出されていた。ひ、と悲鳴を上げる。倒(こ)けつ転(まろ)びつしながらグレイグは其処から遠ざかった。振り返るなんて、とんでもなかった。迫り来る恐怖と具現化した恥の象徴から一刻も早く逃げるために大男は獣道を駆けて行く。英雄が其処を訪れることは二度となかった。
【(真実の)光から逃げ出すグレイグ】
↓
第六話:ラスト
あとはただどうしようもなく夜を待つ。
【闇(現実と言う絶望)に呑まれるしかないグレイグ)
ちなみに、グレイグは隙あらば、何も知らない振りして(かっこいい言い訳をして)デルカダールに戻ろうとしている(歴然たる真実から逃げようとしている)。文面には書いてないが、グレイグの行動はひたすらに「俺のせいじゃない」と言いたげである。第二話に置いて、フランシスが獄死し、メーベが出奔したのはグレイグのせいだとユダに指摘された際、グレイグは怒って「それはホメロスが裏切ったからだ!(=俺のせいではない!)」と言い返している。
ホメロスさえ裏切らなければ、フランシスもメーベも死なずに済んだし、パウロも暴走しなかったし、嘘の史書が発刊されることもなかった! みんなみんなホメロスが悪い!
……とでもグレイグは言いたげである。確かにそうであろう。だが、ならば、そのホメロスの親友であるグレイグは何をしてきたのだろう? 親友だと嘯くばかりで何もしなかったゆえの結末である。
海賊に海軍の情報をリークした奴がいたのだ。密告したのは船長のヤハウェであった。何故売ったのか、グレイグは知らない。こればかりは本当に知らない。
……という文面があるが、第四話にこんな一節がある。
真相に気付いたのはプチャラオ村に来た時だ。其処でも歓迎されたグレイグはいつも通りホメロスのことを聞いて回った。その時聞いた悪評はホメロスが父親同様に国庫金を横領したというものだった。だが、それはすぐに嘘だと判った。横領だなんて、そんな話をグレイグは聞いたことがなかった。デルカダール国の事件なのに、辺境の村の民が知っていて、その大国の元帥たるグレイグが知らないことなんてあってたまるものか。
つまり、海軍の一大事件の真相(ヤハウェの裏切った理由)を同国の陸軍将軍たるグレイグが知らないのはおかしい話なのである。仮に(魔王に膝を折った)ホメロスが話していなくても、第三章でグレイグが「過去の忘備録」を読んでいた描写があったので、確かめれば、すぐに分かるはずなのだ。なのに、それ(裏切った理由)を知らないというのは、グレイグが自ら調べていない+知ろうともしなかったのであって、即ち、ホメロスに興味がない=ホメロスを見ていない証(あかし)である。「グレイグは知らない。こればかりは本当に知らない」と必要以上に繰り返しているのは「本当に俺のせいではない、魔王が裏で糸を引いた裏切りだ」と全ての原因を魔王に押し付けていたい気持ち(自己弁護)の現れであった。
完全に裏設定だが、船長ヤハウェの裏切りの理由はメーベやユダへの嫉妬である。グレイグは軍功主義(戦での働きで昇格)でだったが、ホメロスは能力主義(能力で昇格)であった。ヤハウェはフランシス同様に古くから海軍にいたのに、たかだか水夫であったメーベが殿(しんがり)務めの副官へ、ぽっと出のユダが側近の副官になったので、凄まじく嫉妬していた。だが、ヤハウェはホメロスを恨んでいたわけではない。むしろ、自分を認めて欲しかったのだ。だから、海賊にリークして、ユダとメーベを海賊に殺させ、それによりピンチに陥ったホメロスを助けて認めてもらおうとしたのだ(要は完全なマッチポンプ)。しかし、まるで当て馬みたいにやられるほど海賊は馬鹿ではない。一団の海賊とでしか対戦しない予定という情報を得た海賊は、近隣の海賊と結託して、大船団となって襲うことにしたのだ。ホメロスを助けて認めてもらうどころか、仲間に大損害+重鎮クラウスの戦死に恐れをなして逃げ出したヤハウェだったが、戦死者リストにいないのに行方不明なことを疑問に思ったアウグストによって掴まり、ホメロスの前にしょっ引かれ、フランシスの手で断罪された。(※注意※ この裏切った理由は他の兵士の動揺を誘うため、ホメロスとフランシスとアウグストしか知らず、この忘備録は将軍と王族でしか閲覧できない)
つまり、魔王ウルノーガが全く関知していない事件だったのだ。
ヤハウェの裏切りという「自分がやってきた能力主義の全否定」を受け、本来ならショックを受けるであろうホメロスであったが、ウルノーガに認め(慰め)られていたことで「人間社会なんざ、今更どうでもいいわ」と開き直ることができた。
信頼している部下に裏切られ、大勢の部下を失い、目の前で恩人に死なれ、落ち込んでいるところに親友(?)かつ同僚であるグレイグから「しっかりしろよww」と顔を見ることなく、その場を立ち去られたら、ホメロスからするとぶっちゃけ自害ものである(かなり悪意を以て書くならば)。偏(ひとえ)に死ななかったのはウルノーガがいたからこそであった。
仮に魔王がいない世界で二人が将軍になっていた状態でこの事件が起きたら、ウルノーガはいないのでホメロスの自害を止める者はおらず、彼は白い水(毒薬)を飲んでいただろう。ホメロスが亡くなった後、グレイグは「親友たる俺の言葉は届かなかったのか」と悔恨の涙を流し、民草の同情を十二分に攫ってくれたはずだ。まさか、この親友の言葉が「しっかりしろよ」の一言だけで、むしろそれこそがホメロスを絶望に叩き落したとは誰も――グレイグですら夢にも思うまい。
裏設定その二だが、魔王がグレイグを二十歳の若さで将軍にしたのは「無能な働き者」を作りあげたかったから。若い頃に「英雄!」「英雄!!」とちやほやされたら、誰だって奢るはずだ。しかし、グレイグは自律ある青年だったから、そのようにはならなかった。けれども、本来なら若い頃に下積みで経験する事柄(戦の運び、軍略の大切さ等)を彼は知らずに将軍になってしまったのが不運であった。凄まじい膂力の持ち主であったグレイグは自身が頑張れば策がなくとも突破できることを学んでしまった。それはグレイグだからこそ出来ることであって他の者にはできない、ということを彼は学びそびれ、若き将軍(英雄)になった故に誰も彼に進言できず、兵や民は盲目なまでに持ち上げるだけであった。
しかし、その中で魔王の存在を疑う者がいた。陛下らしくない陛下に疑念を抱くホメロスである。王の秘蔵っ子に無体な真似は流石にできず(そんなことをしたら他の者に疑われてしまう)、グレイグにチクったらどうしようか、と心配していたら、グレイグがはねのけてくれて、かつホメロスは陸軍から海軍(陸から海へ落っこちたサル共の集団)に転向したので、ホッとしていたら僅か三年で立て直してしまったので、将軍として認めざるを得なくなり、まずいなー困ったなーと思っていたら、なんか勝手に裏切り事件が起きて海軍が大ピンチになり、グレイグがホメロスの心にトドメを刺してくれて、知らんうちに優秀な男ホメロスをゲットすることができたという棚から牡丹餅状態の魔王。
本当は何処かに書きたかったのだが、魔王がホメロスを誘ったのは作戦ではなくて「マジで可哀想だと心から同情したから」。ホメロスが魔王を疑っている間、魔王もホメロスを観察していた。十三年間も疑う心を無くさないほどの優秀な男が周りから失望されたと項垂れる様は魔王ですら哀れに思った。だから、魔王は彼を抱き締め、敵ながら天晴(アッパレ)! と言いたくて、最大の賛辞として名を明かしたのだった。名を明かす=最大の賛辞と一発で見抜けるほどの優秀さを持つホメロスへの魔王なりの誠意であった。この調子でホメロスを斬った理由を考えるならば「敵に斬られるならば、いっそ上司であるわしの手で」といったところか。
グレイグからすると、敵(しかも冷酷非道な魔王)からすら哀れだと思われるほどホメロスが追い詰められていた事実に親友である自分が微塵も気付かなかったことに、絶望を通り越した悲しみと怒りが沸き上がっただろう。
ちなみに、ゲームにある騎士(将軍?)の授与式の握手無視事件を描かなかったのは、グレイグがマジで覚えてなかった(気付いていなかった)から。覚えてないことは思い出せないので、グレイグ視点のこの話では敢えて書かなかった。
では、気付かなかったことは罪ではないのか? 以下はアニメ「遊戯王GX」から抜粋した会話である。
佐藤先生「君はこんな質問を聞いたことはないか? ゴミが落ちているのに気付いて拾わない者と、気付かずに拾わない者。さて、どっちが悪い?」
十代「そんなの、気付いて拾わない奴に決まってるだろ」
佐藤先生「違うね。落ちたゴミに気づいていれば、いつかは拾うかもしれない。だが気付かない者には、永久にゴミを拾う可能性は無い。十代君。君こそ、落ちたゴミに気づかない愚かな人間だ」
つまり、グレイグは「気付かない側」の人間だ。だから、本来ならば永遠にホメロスの真意(悲しみ・怒り等の負の感情)に気付く可能性(必要)が無かった。なのに、彼は気付いてしまった――ホメロスが死んで、どうしようもなくなってしまってから!
この話「Q.E.D」はホメロスがよりどうしようもない程に惨めかつ哀れに、グレイグはより度し難い人物になることを念頭に置いて書いている。
こんなグレイグだが、ロウとのやりとりの最中、彼はようやっと“己(英雄という光)の影(闇)”に沈んでいった人たちに気付き始める。
グレイグの影となってしまったことで嫉妬に呑まれ、闇に落ちたホメロス。
グレイグの「盲目の信頼」により実行された軍事行動で死んでいった元海兵や新兵たち。
見たいもの(輝かしい光)だけを見て、見るべきもの(恐るべき闇)を見なかった真実をグレイグは今更ながら思い知ったのだった。
ホメロスの三つの落書き(書き込み)は、グレイグへの救済策。こうでもしなければ、グレイグは永遠に分からなかったから。それでも、ユダの幻がいなければ、三年間ホメロスの事項を探し回らなければ理解できなかったというのが、なんとも言えない。
(つまり、本編中や本編終了すぐのグレイグだったら絶対に分からなかった)
ユダの幻の格好について。
第四話:
(ホメロスの)後ろ姿が瞼の裏に浮かぶ。白いマント、裏地は赤だったか。デルカダール鎧は裏切者がデザインしたという理由で四年前にグレイグの分まで即刻廃棄処分されたので細部まで思い出せないが、鎧も白色だったのは確かだ。髪は穂のような色の金髪で、赤い紐で一つに括っていて随分と長かった。後ろ姿が出来上がったので、グレイグはその男に振り替えるように念じた。マントと金髪が翻る。実年齢よりも若く見える整った顔立ち。赤いピアスが微かに光り、右目を前髪が隠している。白い鎧を着た男が瞼を開ける。其処にはシソの葉を煮詰めたかのような薄気味悪い赤紫色の眼球が収まっていた。
【ホメロスを想像しようとしていたので、顔付は恐らくホメロスそのもの。最後の瞳の色が「赤紫色」というだけで、この人物はユダの顔付ではなく、ホメロスの顔付であるのに「ユダ」になってしまった】
↓
第五話:
陽光に反射するはオレンジ色にも似たブロンドであった。デルカダール王国の蒼い兵服と赤いマントを身に着け、皮肉で唇を歪ませた男の幻影がグレイグを見下ろしている。赤いピアスが先程の誓いのペンダントのように煌めき、赤紫色の瞳も爛々と輝いていた。
【髪の色がブロンドなので完全に「ユダ」。ホメロスは第四話の通り「穂のような色の金髪」なため】
↓
第六話:
真相は赤紫色の瞳を持っている。白い服を着たその幻の名はユダといった。~幻なのに、何故か香水の匂いがしたような気がした。
【ホメロスを思い出せないグレイグは、ホメロスにそっくりな「ユダ」ですら、ぼんやりとでしか思い浮かべない】
段々とユダの格好の説明の描写が短く、かつホメロスの若い頃の姿になっている。それだけ、グレイグはホメロスのことを忘れつつあり、ユダがグレイグの記憶の中のホメロスを侵食しつつある描写である。香水の匂いに至っては「何故か」とまで言っている(生前のホメロスが香水を付けていたことすら、グレイグはもう覚えていない)。
さらに言うならば、ユダの幻とのやり取りは、第三話ではユダとした会話に+αしたようなもの→第四話では会話→第五話では一方的な罵りから、この第六話では静かな問い掛けばかりとなっている。第六話では、幻のユダを形成するホメロスのことが薄れ(忘れ)つつあるので、短い質問やセンテンスばかりになっているのだ。
その結果、総ての真相を知り、グレイグがトチ狂いたくなった瞬間にユダの幻が消え(幻を見ていた精神疾患が消え)たことで彼は正気に戻ってしまった。
最高にタイミングの悪い瞬間である。
最後のホメロスとウルノーガのやり取りはグレイグの妄想。悲しいかな、鈍感で他者の気持ちを推し量れなかったグレイグがこんな妄想(想像)が出来るようになるくらい、三年間ずっと親友のことを考え、真相を追っ掛けた結果が《これ》とは「もう終わりだ、もうおしまいだ」と絶望するのも無理らしかぬ話である。
ユダとホメロスの台詞の比較については下記の通り。
第二話:
「俺の命はあの方のためにあった。あの方の代わりに斬られるための肉体であり、あの方のために死ぬ魂だった!」(ユダ)
第六話:
『私が必要だと言って下さった此の方に己が智勇の全てを捧げよう。この日より、私はあの方の為に戦う肉体となり、あの方のために死ぬ魂となった。あの方だけが私を認めて下さる』(ホメロスの書き込み)
第二話:
「では、今日より私めは貴方様のユダでございます」(ユダ)
第六話:
「今日より私は貴方様のホメロスでございます」(ホメロス)(※ただしグレイグの想像)
文字通り、ユダはホメロスをコピー(理解)していた。
そして、そのユダの存在こそが真相のヒントだった。ユダは誰かに己を認めて欲しかった。そんな彼をホメロスが認め、それに対し、ユダは絶対の忠義を捧げることを決めた。それと同じだ。ホメロスは誰かに己を認めて欲しかった。そんな彼をウルノーガが認め、それに対し、ホメロスは絶対の忠義を捧げることを決めた。ユダは本当にホメロスそのものだったのだ。
心の中で散々詰(なじ)ってきた男こそが、真に親友を理解していたと知った時のグレイグの気持ちの落ちようは如何程であっただろうか。
オマケに、この第六話の最後の一文「あとはただどうしようもなく夜を待つ」は千葉仁史が十年ぐらい前に書いた二次小説(無双OROCHI)の最後の一文をそのまま使用。夕暮れのなか、兄・孫策の討伐に失敗した孫権が処刑覚悟で遠呂智城に帰るシーンを描いた暗い作品(ストーリー上、次の話で孫策は孫権を助けに行くんだけどね)。「あとはただどうしようもなく夜を待つ」=「日が暮れて夜になるように、運命は変えられないものである」=「処刑からは逃げられず、己の死を受け入れるしかない」という暗示。グレイグの場合、「絶望を受け入れるしかない」といったところか。
このタイトルの「Amazing Grace(大いなる恩恵)」は、長き果てに理解者からの言葉(賛辞)を得たホメロスの心からの安堵を差している。親友を救うはずの親友が追い詰め、親友を追い詰めるはずの魔王が救うという事実は、グレイグにとっては痛烈な皮肉になる訳だが。
「※ホメロスは亡くなっているので、グレイグの回想でしか登場しない」と注意書きした通り、ホメロスの幽霊なんてものは存在せず(ユダの言う通りならば、ホメロスは無になったとでも言うべきか)、この第六話までに登場するホメロスは所詮グレイグの回想(一部、妄想あり)でしかない。(注意書きの伏線回収)
最後に「おわり」と入れたのは本来ならば此処で終わらすことができるから。ぶっちゃけこの先にグレイグが出来ることは何もない……はずであった――禁断の書を開かなければ。