Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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シリーズ:斯衛之3 殿下との日々

帝都にある、とあるビル。悠陽はその中で政威大将軍としての義務をこなしていく傍らで、楽しみにしている事があった。それは今、彼女の手で広げられている紙に滲む、黒い文字の中にある。

 

悠陽はその手紙を傍役である月詠真耶に見えないような微妙な角度にして、心の中で読み上げていった。

 

(―――久しぶり。今、俺は富士市に居ます。駿河湾沿いに侵攻してくるBETAは絶えることがなく、短い時には二日おきに戦闘が発生しています。小規模の戦闘が連続する状況に帝国軍と斯衛軍は慣れていないらしく、日々なにかしらの問題が発生しています。それでも将官の肝は太く、帝国軍では大陸に派遣された経験のある部隊が、斯衛軍では斑鳩公と九條公がそれぞれの対処にあたって、問題を解決しています。日本海側も同様らしく、新潟の糸魚川市で陣を張っているとか。あっちは尾花さん、斉御司公と崇宰公が居るから問題ないとは思いますが、士気は低い模様)

 

そこで悠陽は考えこんだ。戦闘が連続するとはすなわち、疲労感が積み重なっていくということだ。疲れている人間であれば士気が落ちるのも道理。では何故富士市の方は、と思った悠陽はすぐに思い当たったと続きを読んだ。

 

(こっちは天気が悪い日も富士山が見えるから、誰が何を言わなくても怠ける奴らが少ないようだ。ちょっと前に愛知出身の衛士と会ったけど、こういう状況になって富士山の凄さというか、素晴らしさが分かったとか言ってた。BETAは海岸沿いを侵攻してくるから富士山がどうにかされる事はないけど、もしかしたらっていう気持ちがあるから負けられねえって思いが高まっているって)

 

それを見た悠陽は、ある人物の言葉を思い出していた。

 

「………窮地にあって人はその意志の虚飾を祓われる。その時に綺麗だと、失いたくないと思えるものが多い国こそが最後まで戦えるのだ、ですか」

 

「殿下、それは………」

 

「ええ、真耶さん。彩峰元中将のお言葉です」

 

―――生家、人物といった物理的なもの。思い出、風景といった記憶的なもの。何でもよいが、命を懸ける価値があると心の底から信じられるものがあれば、兵士の士気が地の底にまで落ちることはない。

 

教師役であった彩峰萩閣が告げた言葉の中で、特に記憶に残っている言葉だ。それが現実のものになっているのは、彼が優秀な軍人であった証拠となる。オルタネイティヴ計画のためとはいえ、退役するにはあまりにも、と。悠陽は複雑な心境になりながらも、続きを読んだ。

 

(それでも、糸魚川市は大丈夫そうだって。新しい政威大将軍が生まれた効果は大きいって、真壁大尉が言ってた。こっちも斯衛の方は特に士気が向上し始めている。でも、中には若すぎるんじゃないかって声も。16大隊からも―――)

 

悠陽は読みながら眼を閉じた。動揺はしていなかった。そういう意見があることは、予め分かっていた事だった。それでも胸に小さな針が刺さるような痛みはあった、が。

 

(でも、悠陽ならやれるって。そう思ったから「俺も殿下と同い年だぜ」、ってそう言ったんだ。そうしたら雄一郎は「それもそうですね」、陸奥さんは「ふう………」とか言いながら首を横に振って、青鬼と赤鬼は「お前のような宇宙人と殿下を一緒にするな」、介さんは「お前は何を言っているんだ」とバカを見る眼になった。解せぬ)

 

16大隊の愉快な一幕を想像できた悠陽は、知らない内に唇を緩めた。

 

同時に、宇宙人という単語が気になったが、成程言い得て妙かもしれないと思った。自分も10を過ぎてからは、一部の家臣の噂を聞くことがあった。年相応ではないというのは、人に異端を思わせるものだ。家臣はそれを奇妙に思ったのか、よろしくない異名で陰口を叩いたこともあったという。一方で白銀武はその方向がおもしろおかしい方向に転がっているようだった。

 

(何はともあれ、前線はまだ大丈夫だ。先の約束の通り、俺は戦いの方でこれからも頑張っていくつもりです。という事で、今回の手紙はこれで終わりです)

 

手紙の作法も何も無い文。悠陽はそれも彼らしいと、小さく笑い、最後の文を読むと硬直した。胸の内にさざ波が生じたのだ。黙読が音読になるぐらいには。

 

「これからもよろしく………でも、懐かしいと思った。インドに居た頃はこうして純夏に手紙を書いて………ですか」

 

純夏というのは、彼の幼馴染の鑑純夏。悠陽も真耶からの報告で耳にした名前だ。

 

「真耶さん………貴方は彼から、鑑純夏という女性の事を聞いたことがありますか?」

 

「はい。その、家族も同然の仲と。バカだけど放っておけない存在だけど、あいつが居ると日本の生活を思い出せるから安心できると聞かされ………あの、殿下?」

 

「なんでしょうか、真耶さん」

 

「―――いえ」

 

そう言って一歩下がる真耶。悠陽はそれきり無言になった真耶を不思議に思ったが、息を一つ吐くと武からの手紙を丁寧に折りたたみ、引き出しのファイルに仕舞うと返信用の手紙を取り出した。

 

冒頭につける拝啓や最後に書く敬具なども、武の願いから省略することになった。万が一他人に見られた場合に、「殿下から来たであろう手紙とは思えないでしょう」としらを通しきるためにだ。紙も普通のもので、筆記用具も鉛筆と消しゴムを使っている。これだけすれば怪しまれまいという、武の願いを取り入れた結果だった。そこに至るまで何があったのかというのは聞くことができなかったが。

 

そのような機密の問題があるため、書いて伝えられる内容は多くない。民のために将軍としての責務を果たしていること、雪の夜の下で約束を交わしたことを果たすつもりである事は勿論だったが、具体的に何をしているのかは言わず、抽象的な表現しか許されなかった。あとはお決まりの言葉や、励ましの言葉だけだ。

 

(それだけ、武様を頼りにされているのです、と………あとは、富士の山ですか)

 

日本人の象徴とも呼ばれる美しい山。悠陽はあの御山のように、日ノ本の民にとって頼れる存在になれるのか、と思いついた所で思考を別の方に向けた。

 

なれるのかではなく、ならなくてはならない―――とも言わず、なって当然なのだ。代々の将軍はそう在ろうという気概を持っていなければならない。先代が存命ならば、そこで悩み立ち止まるなど言語道断と叱り飛ばされただろう。悠陽はそう思い、改めて気を引き締めた。それを、武に伝わるように文とする。

 

(………我ながら硬い表現ですね)

 

以前の手紙で指摘があったことだ。武曰くに、「何が言いたいのか分からねえ」と。それから悠陽は真耶や側近に意見を聞きながら、固くない表現を勉強していた。武のためだけではなく、これから接していく民にとっても、場合によっては伝わりやすい表現を用いなければならない時が来るかもしれないからだ。

 

そして、最後にこう書いた。

 

―――私はこの国を、誰であろうとも安らぎを持つことが出来るような、安心できる場所として作り上げていく所存です、と。

 

そうして悠陽は、“誰”という部分に残った消しゴムの跡を。一度描いて消した文字を思いながら、ため息と共に手紙を折りたたんで封筒に入れた。

 

 

 

 

 

 

 

その一ヶ月後。悠陽は緊張の中で、手紙を両手に持っていた。

 

(士気は高く、練度も十分で、弾薬も残っている。それでもBETAの数は多く、無傷とはいかなく。その日の戦闘が終わる度、誰かの遺骨を捜索する班が出て行く。その積み重ねが響いてきたようだ)

 

悠陽も前線の状況は把握していた。以前は軍部から「BETAを京都まで押し返せるか」という声も上がっていた。だが日増しに多くなっていく侵攻の規模を前に、その声は次第に小さく薄れていった。

 

(戦闘糧食の質が下がっているという声があった。どこかの隊だけに多く支給されているんじゃないかって。特に斯衛はそういう目で見られているらしい。昨日も斯衛の27大隊と本土防衛軍が喧嘩してた。防衛軍の嫌味に、謂れ無き中傷だって反論して胸を押した後はもう泥沼。陸軍も参戦してきてさ。大陸に居た時の食料と比べたら旨いじゃねえか、防衛軍のお坊ちゃまが我儘言ってんじゃねえよって。それには本当に同意だけど、俺はあんまり表に出ることができなくてさ。で、陸奥さんがやってくれました。以前に俺から聞いた話を覚えていたみたいだ)

 

―――東南アジアの方の戦闘糧食には、食えばどうしてか屁が出るものがあって、味も最悪だったらしいな。

 

―――それでもその軍は最後まで戦い、ついにはハイヴを攻略した。

 

―――そいつらに劣っている事を証明するつもりはないんだろう。

 

贅沢を言うな、当たり散らすな、負けてもいいなどと思うな。言外に忠告された事に、陸軍の衛士達は舌打ちをしながらも引き下がったという。

 

(それで、陸軍の奴らの捨て台詞に対する介さんの嫌味が面白かった。陸軍の奴らが、「流石にお坊ちゃま軍は優等生な事しか言わないな」って言葉に、「貴様の言う斯衛がお坊ちゃまなら、お前たちが表現する所の粗食を必要以上に食べる事などあり得ないだろう」、って。皮肉の内容とタイミングに、そこいらから笑いがこぼれてたよ。で、その後の騒動を収めてくれた士官が居たんだけど、驚く事に顔見知りだった)

 

巨乳の中尉が出てきて誰かと思えば、橘操緒だったという。第二次京都防衛戦で活躍した衛士で、九州から京都までの一時期は武の部下だった女性らしい。悠陽は少し時間を置いた後、続きを読み始めた。

 

(京都で別れた時とは全く違って、本当に成長してた。王紅葉―――義勇軍の頃からの同僚だけど、あいつと何かあったようだからかもしれない。王の死に、何か思う事がって、当たり前だよな。昨日に言葉を交わした誰か死んでいく。声も次第に忘れていくんだ。でも、なにかな。山彦のように、声と言葉が頭の何処かに残っているみたいだ。こびりついてるとか、そういうんじゃない。でもちょっと目と口を閉じれば、思い出せるんだけど、すぐに消えるような。でも、完全に消えることはあり得なくて。アルフレードが言う所の「出会って、意気投合して、笑いあって、夢を語り合う暇なく、死んでいく」。そんな間柄なんだけど)

 

上手く表現が出来ないのか、抽象的になっている。それでも悠陽の心の中にはストンと落ちた。知人や臣下の中には、永遠の別れを告げられた者も居る。教師役の一人であったものもそうだ。声と言葉は記憶に残っていてる、それは生きているとも表現できることで、それでも肉体は死んでいる。自分にとっての相手の視点の中に、生と死が同居しているのだ。

 

「………寿命であれば納得はできましょう。ですが、戦場においての理不尽な死であれば………納得もできないでしょうね」

 

そうして対抗する心を育てていく。悠陽は武の文の中に、そうした人の意志を見た。

 

「しかし………真耶さん」

 

「はっ!」

 

「武様は、その………大きい方が好きなのでしょうか」

 

「………はっ?」

 

「いえ、忘れて下さい」

 

その数秒後、真耶の表情がはっとしたものとなった。その後は眉間に皺が寄って、口元から何かがぎりぎりと擦れる音がしたが、悠陽は気づかなかった。

 

(………しかし、前線はそのような状況ですか)

 

悠陽の顔は曇っていた。前線の状況だけではない、別の情報も入っていたからだ。それは最近になって方針を変えたという米軍の動きについて。

 

(鎧衣の予想が間違っていてくれると良いのですが………そして、日本海側の部隊も。予め手は打ってありますが………)

 

武運がありますように、と祈る。悠陽は人事を尽くしていた。だが、後は天命を待つしかないこの身が歯がゆかったのだ。ぎゅっと拳を握り、窓越しに見える空の下で戦っている衛士達を思う。

 

だが―――その願いも虚しく。

 

糸魚川市の防衛ラインを抜かれた軍は奮戦するも、あと一歩及ばず。日本海側を駆け上ったBETAは佐渡島まで侵攻し、ハイヴの建設を開始。それに伴い、長野県に留まっていたBETAの侵攻が停滞した時に報告があった。

 

米軍が日米安保条約を一方的に破棄し、在日米軍部隊の全てを本国に引き上げさせたと。

 

 

 

 

 

 

 

2週間後。悠陽は震える手で、手紙を持っていた。

 

(死守戦だけど、今回ばかりは死ぬかと思った。けど人間死ぬ気でやればなんとかなるもので………)

 

悠陽はそれ以上読めなかった。16大隊が塔ヶ島離宮防衛の任についたという報告、悠陽の元にも届いている。控えめに表現して、普通の部隊ならば10度全滅して然るべき任務である。それでも場所が場所だけに最精鋭と呼ばれる16大隊を動かすしかなかったのだ。

 

悠陽はそう報告した臣下の意見を聞いた時は、特に何も言わず静かに頷いた。適材適所は指揮の基本である。故に、そう判断した誰かに恨み言を言う理由も意味もない。

 

それでも、夜になって空の星を見上げた時には、唇が震えてしまっていた。今は、生還の報告を受けた喜びのあまり、別の意味で唇が震えることが止められなくなっていたが。悠陽はそのまま、続きを読み始めた。

 

(俺の部隊は攻勢に出て削り、後方の部隊の負担を少しでも軽くすること。比喩じゃなく、綱渡りの連続だった。落ちれば死んじまう的な。誰か一人が死ねば瓦解すると思った。だからなんとか声をかけて、部隊をぶん回した)

 

その中に赤鬼、青鬼と呼ばれている斯衛では有名になった女性衛士の事が書かれていた。

 

(赤鬼こと磐田朱莉ってのが特に困った。基礎能力に文句をつけるところはなく、近接のセンスは抜群だけど、誰よりも訓練してる努力家だ。それでも、走り出したら止まらない性格ってのは拙い。案の定孤立した。で、援護した後に怒鳴りつけてようやく止まった。才能あって強くて力があるからって刀に振り回されて味方斬るんじゃねえよって。で、相方の青鬼の方は雄一郎がなんとかした。あっちは冷静過ぎて逆に、人の気持ちを考えない時があったけど、雄一郎の一世一代の告白は効果ありだった。陸奥さんは一本だって笑ってた。最後まで誰も戦いを投げなかったのは、あれがあったからかもしれない)

 

死地にあってなお笑えるその胆力。なるほど16大隊こそがあの任務に相応しいという意見は、正しいものだった。

 

(かなりきつかったけど、頑張った甲斐があった。なんとかして、久しぶりの休暇を貰ったんだ。あちこちにガタが来ている機体を仙台で徹底的に整備している間だけど。それで、久しぶりに母さんと雨音さんに会った。母さんは再来週には部隊に復帰するって。今は再訓練中らしい。で、部隊の衛士とか色々と話している時に分かったんだけど、母さんも努力家だった。大隊の衛士の特徴とか、俺が驚くぐらい掴んでる。復帰した後も部隊の足手まといにならないようにと、やれる事は全てやってるらしい。雨音さんも同じだけど、身体がついてこないって。でも、前よりは良くなったって。確かに、雨音さんが倒れそうになった時、思わず抱きとめたんだけど、すぐに自分の足で立てるようになっていた。でも熱が出てるらしくて、顔が赤かった。無理だけはしないでくれ、って頼んだんだけど母さんからはあの父親にしてうんぬん、とか遠い目になってた。解せぬ)

 

悠陽はその時の光景を想像した。風守光の呆れも理解した。唇が、また別の意味で微かに震えた。

 

(まあ、色々あったけど俺は元気です。悠陽もありがとうな。いっつも身体の事を気にしてくれて。部隊では馬鹿故に病原菌知らずとか、宇宙人の抗体は複雑怪奇とか、ていうか身体が機械で出来てるんじゃないか体力の権化とか言われてさあ。心配してくれんのは母さんか悠陽か雨音さんだけだってどういう事だよマジで………、ふふ)

 

悠陽はその文を見て、微笑し。真耶は同時に悠陽が小さく拳を握ったのを、見逃さなかった。

 

「しかし………再会は叶いませんでしたね」

 

今回の功績を労う場に出てきたのは、斑鳩崇継と真壁介六郎のみだった。真耶は予想されていた事です、と答えた。

 

「斑鳩公としても、彼の存在は切り札なのでしょう。見せる場は心得ている筈です」

 

「それは、かの大隊と共に戦った貴方としての意見ですか?」

 

「白銀武の人格を、多少なりとも把握している者の意見です。いつ爆発するか分からない爆弾を、あまり公的な場で見せたい者はいないでしょうから」

 

「爆弾、とはまた物騒な表現ですね」

 

「物理的、精神的にも効果を及ぼします。そして常識人や才能の無い衛士にとっての彼は、劇薬そのものでしょう。そして………いえ」

 

「………真耶さんにしては珍しいですが、教えて頂けますか? その言いよどんだ部分を、知りたいのです」

 

「………はい。彼の者の道程を知る者にとっては、面白くないでしょう。あれで、悪口を言われれば普通に落ち込む性格です。真壁少佐も素直ではないですが………彼が謂れ無き中傷に晒されて顔色を悪くする様など、見たくない筈です」

 

「そう………ですね」

 

悠陽は真耶の言葉に同意する。その物言いに思う所があったが、慣れた事でもあった。

 

 

同じように、戦いの日々は続いていく。悠陽はその中で、白銀武がどういった人物であるのかを、手紙に書かれた言葉の中で知っていった。

 

感情豊かで、その感情に素直になる場合が多い。それでも周囲への影響を少しは考えているのか、落ち込んでいる様子を外には見せない。部隊の友人や気のあった人物に対しては優しく、表向き嫌われていると思われる人物に対しても悪意を持つことは少ない。反面、明確な悪意を持って行動する者や、部隊の友人にそうした行為をする者などに対しては厳しい。大陸に居た頃の名残か、あるいは日本での環境のせいか。

 

それでも、分かる事があった。

 

「彼は―――人が、好きなのでしょうね」

 

「………はい」

 

真耶の頷きに、悠陽は思う。よく人を見ていると。そうして、勝手な印象を元に人を断じることはない。良く言えば平等で、悪く言えば八方美人なのに、致命的に嫌われる事が少ないのは、根底に他者に対する無形の信頼があるからだ。

 

「そのせいか、女性に好かれることも多いようですが………」

 

悠陽は手紙に出てきた人物を脳内で列記していった。

 

一番に出るのは、部隊で共に居る赤鬼と青鬼の二人。悠陽は赤鬼の方に、要注意という判断を下していた。離宮での一戦が終わった後に、行動が変わったというからには明確であるからだ。

 

次には、鑑純夏という同い年の少女。幼馴染であり、日常を象徴する人物であり。母の代わりであった鑑純奈という女性の影響があるからかもしれない。男性は母親に似た女性を選ぶ、という噂もある事から、油断はできない相手だ。

 

そして、風守雨音である。武も大陸で多くの女性と出会ったらしいが、病弱で儚げな女性と接した事はないらしい。そして真耶から聞いた話だが、彼女は気品がありながらも偉ぶらず男性を立てるという、大和撫子のような印象があるという。周囲を考えれば、決して無視できない存在だ。斑鳩崇継も白銀武のことを風守の当主代理ではなく当主として、自らの臣下に加えたいだろう。対外的には最もあり得る、超がつく要注意人物である。

 

その他には、葉玉玲という女性。クラッカー中隊の同僚で、一時期には英語や戦術機動を教えていた人物。年はかなり上らしいが、悠陽はこの女性衛士の名前を忘れてはならないと思っていた。勘で断じた結論ではあるが、悠陽はそれを撤回するつもりもなかった。

 

「そして………もう一人。一度も聞いてはおりませんが………」

 

「殿下?」

 

「いえ………」

 

大切な女性が居るのではないか、と思うのだ。それでも手紙に書かないのは、相応の理由があるからだろう。

 

悠陽は一通り考えた後で、小さく息を吐いた。

 

そうしていると考えてしまう事があった。手紙を見た後に、浮かんでしまう光景があった。

 

(もしも、武様がこの中の一人と結ばれて………その女性だけに特別な笑顔を向けるような事になったら)

 

白銀武は、差別をするような者ではない。それでも男性だからして、区別があるのは当然だ。自分が選んだ女性に対して向ける笑顔は、どのようなものなのか。それが他の者に向けられている光景を目の当たりにした時、自分はどうするのだろうか。

 

悠陽はちくりと刺さる痛みに、思わず胸を押さえてしまった。もう一方で、胃の方にも別の意味で相応の影響が行っていた。日ノ本における対BETA大戦における状況は、日々悪化している。横浜にハイヴが建設されてから、損耗率は跳ね上がったという。

 

いくら白銀武が隔絶した技量を持った衛士であろうと、コックピットごと潰されれば当たり前のように死ぬ人間である。不運というのは誰でもあり得る。そして、次に行われる作戦が作戦だ。

 

もしかしたら、と。考えた後は、心臓の脈動が悪い意味で高鳴ってしまう。

 

悠陽はそれでも、と表面上は平静のまま頭を働かせた。

 

(………冥夜は仙台に移動済み。私が政威大将軍となったゆえ、殺される恐れはない)

 

鎧衣は言った。政威大将軍の影武者を務められる存在になった事から、その重要性は高まった。一部の臣下の暴走で闇に葬られる可能性は少なくなった。

 

(それでも、BETAをここで留められなくなれば………東北に避難している民ともども、尽く呑まれ………正念場、ですね)

 

何としても関東の防衛ラインを守りきらなければならない。通常の方策は意味がない。そう判断した者は多く、ついには形になろうとしている。

 

全てを背負っての、最初の大きな決断となる。悠陽はそれを自覚すると、出立の意志を真耶に告げた。国連軍と大東亜連合軍と共同して行うという、アジア史上最大規模の作戦について話を進めるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――そうして、時は流れた。

 

帝都にはひとまずの平穏が訪れた。佐渡ヶ島にハイヴは健在であるが、それでも目の前の確固たる脅威であった横浜のハイヴは攻略されたのだ。

 

制空権は取り戻せてはいないが、異形を目前に怯える日々は消えた。経緯や損耗に大きな問題はあれ、それを成せなかった時の事を考えれば、良い結末になったといえる。

 

久方ぶりの勝利として、帝都は賑わいに湧いている。生憎と天気は悪く、しとしとと小雨が踊っているが、人々は興奮の中にあった。

 

その中で煌武院悠陽はただ一人、ビルの執務室の中で立ちすくんでいた。傍役であり、いつも傍らに控えていた真耶の姿も無い、正真正銘の一人きりで、手元に持っている手紙を声に出して読み始めた。

 

「明星作戦………くさい名前だけど、らしいかも。ここから人類は反撃していくんだっていうんだからな。そうして、夜が明けたら日が昇る。これは良いことなんだから………」

斯衛も総力を出しての戦いになった。当然、第16大隊も参加した。最精鋭の名に恥じない戦果を残したと、報告書には書かれていた。

 

「大東亜連合と、国連軍。古巣だけど、練度はそう悪くないと思う。特に前半は。鬼教官に率いられた部隊が、弱いはずないからな」

 

悠陽は文字の形から、武の心理状態を少しでも把握できるようになった。そうして、思う。この文字を見るに、少し高揚しているようだと。それが恐怖に打ち勝とうと励んでいるためのものか、故郷を取り戻す戦いから来るものなのか、判別はつかなかったが。

 

「厳しい戦いになると思う。それでも、俺は必ず生きて帰ってくる。なんせ約束したからな。覚えてるか? 雪の夜の空の下じゃない、公園で指切りしたこと」

 

幼い日の、奇跡のような時間。砂場での他愛無い会話。物心ついた後、年相応の子供として言葉を発する事を許された、唯一の時間。

 

同い年で、同じ誕生日だと聞いた。きぐうだな、と。その少年はどうしてか、感心したような顔をした後に言った。そでつりあうもたじょうのえん、と。父から教えられたのだという。すり合うも他生の縁ではないか、という指摘はしなかった。できなかったと表現するのが正しい。

 

だって、少年は堂々と宣告したのだ。

 

―――こまった事があったら助けてやるから、その時はおれをよべと。上から目線なのが印象的だった。理屈じゃない所で、嘘じゃないと思えた理由だけは分からなくて。

 

悠陽は思う。困っていた。負ければ国ごと滅びてしまいかねないという、瀬戸際での大反攻作戦だ。16大隊は、想定以上の働きをしてくれた。感謝だけではない、感嘆して然るべき戦果を挙げた。特に赤の武御雷は多くの友軍を救い、勇敢に戦ったという、英雄に等しいものだったと聞いた。

 

それでも、報告の結びとなる文にはこう記載されていた。

 

―――G弾の爆心地跡で赤の武御雷を発見。不可思議に、全身の損傷は少ないが、コックピット内に衛士の姿は見られなかったと。同じように爆発に巻き込まれた衛士で、生き残ったものは皆無。文字通りの、0%だった。

 

「………」

 

言葉なき言葉が脳内をめぐる。それでも、悠陽は続きを声にした。

 

「悠陽が守りたいものは分かってる。日本人なら誰でも考える、当たり前の事だ。それでも、達成するには絶叫するほど困難で。悠陽はそれを目の前にしても、諦めの心を欠片ほども持っていない。それって、凄いことだと思うんだ。俺も思うよ。本当に、悠陽は凄い、って………」

 

くしゃりと、手紙が音を立てた。

 

「俺も、負けたくない。だから必ず戻ってくるよ。何があろうと関係ない。日本を、大切な人達を死なせたくないっていう気持ちがあるから。友達との約束もあるんだ。だから………例え死のうと………KIAと判定されても………」

 

声が詰まる。手紙を持つ手に、必要以上の手がこめられた。

 

 

「ゆび、きり、げんまんだ………必ず、俺は、戻って―――」

 

 

そうして、生まれて初めて。家も、大義も、目的も、責務も。

 

煌武院悠陽は何もかもを忘れて、一つの感情に支配された。

 

 

 

「…………嘘つき…………」

 

 

 

手紙にかかれた文字が、局所的に降った水滴に降られ。含まれた塩と共に、その形を薄く滲ませられていった。

 

 

 

 


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