Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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ひらひらさん、フィーさん、sakura01さん、佐武 駿人さん、distさん、
戌亥@さん、コビィさん、三本の矢さん、E46さん。

誤字報告ありがとうございます。(土下座✕30



4話 : 再会、そして(後編)

古来より人類は多くの未開拓地を踏破してきた。陸地のほぼ全てを余すこと無く、自らが作りだした地図に収めた。例外は海の中、光さえも届かない深海底ぐらいのもの。同様に人は自らの身体の機能をも地図に収めようとした。内臓器官の動く止まるを観察し、実験を繰り返して未知を既知のものに変えていった。だが、未だにその全容を手中に収めきれていないものがある。

 

「解明できている部分もあるんだけど………それでも、まだまだ人間の脳については未解明の部分の方が多いのよ」

 

平時、運動時、異常事態において脳が見せる動きは様々で、現在も研究中だ。だというのに、その深奥がどこにあるのかさえも分からないのが現状で。

 

深海を闇の世界と例えるなら、脳は神話を越える迷宮の世界と言える。複雑さは他の臓器の比ではなく、繊細も極まる部位であり一度間違えれば取り返しがつかないということから、無茶な実験を繰り返すこともできない。

 

香月モトコの説明に、武は無言で頷いた。とんでもなく複雑なものだということ、それは理屈だけしか分からないが、脳の機能を自在に操るのが非常に困難であるということは理解できていた。

 

そもそもそんな事が可能であれば、オルタネイティヴ3は打ち切られていないからだ。良い悪いに関係なく、ソ連は一定以上の成果を上げられていた筈だ。イーニァが言っていた、互いを深くリーディングしてプロジェクションしあう事によって起きる“フェインベルク現象”も、その要因はほぼ分かっていないに等しいのだ。かといって無策のままでは迷路の途中で尽き果てるしかなくなる。

 

部屋に重い雰囲気が満たされていく。説明をしたモトコ、それを聞いていた武と樹は口を閉ざしたまま動こうとしなかった。

 

その時、扉が開かれた。モトコの次に出てくるであろう言葉に集中していた二人は反応するのが僅かに遅れたが、すぐに部屋に入ってくる人物を視界に収めた。

 

目立つのは銀色の髪。方や頭の上にうさぎのような髪飾りをつけて、方やヘアバンドのような飾りで一房の髪を首の後ろで束ねていた。

 

「サーシャ、霞!」

 

武は椅子から立ち上がると、入ってきた二人に駆け寄ろうとして、その途中で違和感を覚えた。思い出すのは仙台の基地で会っていた頃のこと。無邪気すぎる子供のように活発で、落ち着きが無い。そんな様子が、目の前のサーシャから感じ取ることができなかったからだ。それでいて、その視線は虚空を彷徨っているだけ。完治しているとも思えない様子に武は困惑し、その想像が悪いものへと変わっていく寸前に樹が横から補足した。サーシャの様子は、ここ一ヶ月で徐々に変わっていったのだと。

 

「変わった………もしかして」

 

「悪い方向じゃない、と診ているわ。話をするから………座ってくれるかしら」

 

モトコに促されるまま、最初に霞が用意されていた椅子に座った。横目で武を見ながら、気にしている様子で。武もいきなりの再会に何かを伝えたくなったが、今はサーシャの方だと考え、大人しく椅子へと戻った。サーシャも同じように椅子に座ったところでモトコは説明を再会した。

 

「先ほどの話に戻るけど………脳は繊細な器官なのよ。大きな損傷を受ければ、日常生活を送ることさえままならなくなる。そして、自己治癒も限定的よ。常識的な見解を言うと、壊れた脳が元に戻ることはあり得ない」

 

モトコの言葉に、武が絶望的な表情を浮かべた。だが一転して、呼びだされた時の事を思い出す。治せる目処が立ったと、あの香月夕呼が悪趣味にも程があり、かつ人を傷つけるだけの嘘をつくとは思えない。

 

武は考えた。なら、この話には意味がある筈だと。そうして、気づいた。大きな損傷を受ければ、日常生活もできない。なら、あの直後のサーシャは、仙台に居た頃はどうだったか。かつての面影はないが、それでも2歳時レベルにはコミュニケーションが取れていたのではないか。どういう事だと、武は困惑し、それに答えるようにしてモトコが溜息をついた。推論に推論を重ねた結果だけどね、と前置いて告げた。

 

―――サーシャは脳に重大な損傷を受けた事で今の状態になった訳ではないと。

 

「は………? え、でも、じゃあ………何が原因で」

 

「そうね………ブレーカーが落ちた、と言えば分かりやすいかしら。私も夕呼からある程度の事情は聞いているけど、当時の深雪さんは衛士だったのよね?」

 

感情だけとはいえ、強いリーディング能力を持っている上に感情の激流が渦巻く戦場に居たこと。肉体的にも疲労が蓄積されていた事。モトコは一つ一つ告げると、武と樹に尋ねた。

 

「人間の身体は上手くできているわ。無理が祟れば必ず、それを報せようとするサインを出す………紫藤少佐はその様子を見た、と聞いたけれど」

 

「………そうですね」

 

「え、樹?」

 

「隠して欲しいと言われていたからな………話さなかったのは俺の意志だが」

 

樹は当時、サーシャが目や鼻から出血していた事があったと説明をした。肉体的な疲労は気力で抑えようとしていたため、戦闘能力が著しく落ちることはなかったが、そこかしこにそれまでは無かった歪が現れ始めていたと。

 

その上でハイヴ攻略作戦に、誘拐。最後には武が傷つけられた後に、強烈な指向性を持つリーディングによる記憶の流入があった。度重なる疲労と限界を超えたストレスを受けたため、サーシャは元の人格を失ったかのように見える状態になった。

 

モトコは珍しいケースでもあるけれど、と言った。

 

「通常、極度の疲労やストレスが原因で人格を失った人達は、もっと破綻している。とても霞ちゃんがついているだけでは日常生活も送れないぐらいにね」

 

「なのに、サーシャはそこまでにはならなかった………原因は何でしょうか」

 

「断定できるものは無いわ………納得できないでしょうけど、その他に言えることは無いの。だから、ここから先は診断結果と例のデータからの推測になってしまう」

 

ESP能力が発現する理由は解明されていない。脳のどこにどのような機構が存在し、それがどういった方向で動けば超常とも言える能力を発揮することができるのか。その過程で、ソ連が非人道的な実験を繰り返していた事はモトコも聞いていた。

 

その中でサーシャが受けたのは特殊な指向性蛋白の投与と、生存した後は別種の薬物の投与。それにより何らかの条件を満たしたサーシャの脳は感情のみを強くリーディングできるようになった。

 

「見えるところではそれだけね。でも、それだけじゃなかった………これを見なさい」

 

モトコはサーシャの脳をスキャンしたデータを見せた。日付が沿えられている。

 

最初は、仙台基地に到着して間もなく。次に、明星作戦の前の。最後は、昨日にCTスキャンを行ったもの。それを見せながらモトコは、破壊されたと思われる脳細胞が徐々にだが元に戻りつつある事を説明した。

 

「特に明星作戦の後からは加速度的に、ね」

 

「脳細胞が再生した………そんな事があるんですか?」

 

「この規模で考えれば、常識的に考えてあり得ない。でも………脳を弄った挙句に効果が不明瞭な薬物を投与しようなんて発想が非常識的だもの」

 

結果的に失ったものは多い。サーシャ以外のほぼ全員が、何もかもを奪われた事を考えれば。モトコは、溜息をつきながら言った。

 

「………夕呼は差し引きゼロ、って言っていたけれど」

 

環境と能力のせいで普通の生活を失ったが、回復にも役立った。マイナスばかりじゃないのは救いかもしれないけれどと、モトコは言いながらも表情は暗いままだった。武と樹、霞はその原因を何となく察していた。

 

戻った所で待っているのは次の戦場だ。そしてサーシャ・クズネツォワはそこでどういった選択をするのか。逃げて欲しいと思いつくことに罪はない。それでも許されないのが現実で、この基地はその渦中に存在する。そして、機密を抱えているサーシャがここより他に逃げられる場所などどこにもない。

 

「それでも、回復する目処はついたんですよね。いや、そもそも再生が終わったのならもう戻っているはずなのに………」

 

「………断定する、という所までは行かないの。ただ、その可能性以外は考えられないということだけで」

 

「戻らない原因が、分かっていると?」

 

「そうね。脳機能の話に戻るけど、その大部分が未知とされているのには理由があるの。その内の一つが、心に関すること」

 

人間の心は、意識は、魂は脳と心臓のどちらに宿っているのか。結論は出ていないが、人体の失っては生きられない器官の二台巨頭であるそれらは、心が宿ると冗談でも称されるほどに重要かつ複雑なものだ。

 

「脳の機能を大きく失することなく、人格だけが失われた原因。それについては、いくつか推論が立てられるわ。あの時、見たくない記憶に晒された彼女は完全に壊されない内に自ら壊れることで身を守った。理解する能力を遮断したのね」

 

「っ………そう考えれば、自殺にまで至らなかった理由としては説明がつくと」

 

「ええ。そのまま、戦闘の連続で限界にまで達していた脳細胞を回復するために、傍目には子供のような状態になった」

 

モトコの言葉に、答えたのは霞だった。

 

「そう、かもしれません………姉さんは、私と生活している間はリーディングを使用していませんでしたから」

 

「そうね。それが本能によるものなら、見事だわ。だけど問題があるの」

 

「………その心を戻す方法がわからない、ですか」

 

傷の深さと形が分かるなら、相応の治療は可能となる。でも、目に見えない傷に対処するのは至難の業だ。手探りでやっていくしかない。

 

何か手がかりはないのだろうか。視線で訴える武に、モトコは申し訳無さそうに答えた。100%の方法は残念ながら思いつかない、と。

 

「そんな………でも、ここまでサーシャの容態を把握している先生なら!」

 

年を越える時間を診てきたお陰か、こちらの香月モトコはあちらの世界とはまた違った方向で治療方法を見出していた。なのにどうして、と訴える武にモトコは表情を変えずに答えた。

 

「それも、貴方が持ち帰ったデータがあっての事よ。ここまでの断定は、あのデータ無しには話そうとも思えなかった」

 

武が持ち帰ったのは、サーシャが指向性蛋白を受ける前の脳のスキャンデータと、リーディングを得るようになってからのデータ。その後者に見た脳と、現在回復が終わったと思われる脳はほぼ一致していたと、モトコは言う。

 

「でも、何か方法が………!」

 

武は軋む程に強く拳を握りしめ、歯を噛んだ。それを見た霞と樹が沈痛な面持ちになる。経緯を知るからこその反応だ。

 

そのまま、誰も何も言わないまま時間だけが過ぎていく。武は必死にその方法を考えていた。だが、心が壊れた者を戻す方法など。

 

そこまで思い至ったあと、武は電撃を受けたかのように顔を上げた。この自分は経験した事がない。それでも、あちらの世界で別の自分が経験した記憶があった。

 

心が壊され、人間としての人格も曖昧のまま―――それは00ユニットの処置を受けた後の純夏に似ていた。

 

同じではない。所々違うが、やることは同じで良いのかもしれない。武はモトコ達に相談することにした。純夏であるという部分を告げずに、大陸の戦場で経験したと嘘を告げる。一通り説明すると、モトコは渋い顔をしたままでも頷いた。やってみる価値はあるかもしれない、と。

 

「ただ、同じように………心の深い所に語りかけなければ意味がないの。それも同調できるような形で。それも遠回しな表現を使うのも、駄目」

 

「えっと………それは、つまり?」

 

「くだらない事でも何でもいいから、とにかく深雪………サーシャさん? と貴方が一緒に過ごしていた時の事を話すの。互いに印象が深かったと思える出来事ならより良いわ」

赤ん坊に迂遠な言い回しが通用しないのと同じで、心の根底を揺さぶる方法でなければ意味がない。モトコの説明に武は頷くと、樹の方を見た。

 

手伝ってくれ、と。告げる寸前に、樹は黙って首を横に振った。

 

「俺が居ては………駄目だ。リーディングも、ゼロではないのだろう。だとすれば、余計な不純物が混ざってしまうだけ成功率が下がる」

 

「な、サーシャはそんな事思わないって!」

 

「そう………かも、しれん。だが、お前だけが適役だ。お前以外には居ない。それに、一対一じゃなければ晒せない部分があるだろう」

 

お前にも、サーシャにも。言外に語る樹の言葉に、武は首を横に振れなかった。確かに、あるかもしれないと。

 

「なら、前だけを見ろ。一対一なら得意中の得意だろう? ………軍であり群れを相手にするのではなく、対人で個を相手にした時のお前に並ぶものは、世界を探した所で居るはずがない」

 

人を惹きつける所まで、と言葉を添えて樹は武の肩を叩いた。

 

「頼んだぞ、我らが突撃前衛長(ストームバンガード・ワン)………そういう事です、香月先生」

 

「………分かったわ。付き合いが長い貴方が言うのなら、きっと間違いがないのね」

 

武はモトコの言葉に頷き。そこで、服の裾を握る存在に気がついた。

 

「霞? どうした………それは」

 

「こんな事もあろうかと。夕呼先生から教えられた言葉です」

 

何か役に立つかもしれないと、霞が持ってきたもの。武はそれを受け取ると、ありがとうと霞の頭を撫でた。

 

「悪いな。帰ってくるなりドタバタ続きで」

 

「………悪く、ありません。落ち着いて話せる時は、きっと来ますから」

 

それと、と。武は頭の中に送られた光景に、顔をひきつらせた。

 

「えっと………霞さん?」

 

「涼宮遙さんから、少し前に教えてもらえました………世界中の女の子が夢見る物語に欠かせない、絶対必要なシーンだと」

 

霞は親交を持った相手を、涼宮遙に見せてもらった絵本を手本にと告げた。武は驚くが、すぐに気を取り直すと親指を立てて応えた。

 

後は任せろ、と。

 

 

 

 

 

そうして、部屋には武とサーシャだけが残された。武は椅子を寄せてサーシャの近くに座ると、その瞳を真っ直ぐに見据えながら大きく深呼吸をした。

 

一方でサーシャは、感情も意志もこもっていないような虚ろな瞳を武に向けているだけ。見ているのではなく、どこか遠い所を眺めている。武はその光景を前に、左手の掌で右手の拳を包むと、強く握りしめた。

 

絶対に。そう誓い、武は純夏の時の事を思い出しながら口を開いた。

 

「………最初に会った時のこと、覚えてるか? 俺は覚えてるぜ。いきなり深い所を突いてきやがったからな」

 

逃げるか、戦うか。恐らくは、逃げたとして許されたかもしれない。だが、あの時に留まっていなければ、今の自分は此処に居ないだろう。

 

「逃げてもいいから、逃げる。許されるから………それが本当に正しいのか? 今でも分からない。でも、あの時の俺は、きっと逃げちゃ駄目だったんだ」

 

初めて見出した立脚点だった。武は振り返り、そう思った。

 

「でも、当時はまだ迷っててな。そんな所に、お前が来た。あっさりと人の弱点をついてくれやがったな」

 

体力不足で、それを痛感させられたこと。何度も挑んだが、負けたこと。衛士としての力量に大きな差はなかったが、それでも悔しかった事だけは覚えていた。頭の出来に関してもそうだ。いつも上を行かれていた。

 

「はっきりいって、むかついてた。なんなんだよって。お前、マジで無愛想だったしな。変な奴だって………でも落ち込んだりもしなくて、体力もあって頭もあって衛士としての腕もかなりのもんで。強い奴なんだって、そう思い込んでた。違うって気づいたのはボパールハイヴでズタボロにやられた後だ」

 

初めてのハイヴ攻略作戦に失敗し撤退した後。その会話の中で、武はサーシャの弱さを見た。疲れている所と、一瞬だが血の気が引いた顔を見たこと。その表情を、武は知っていた。子供の頃、クリスマスの夜、家の鏡で見た自分の顔と同じだった。

 

「あの後も………妙につっかかってくるし、ポーカーで金ぶん取られるし。撤退戦が終わった後、アンダマンのキャンプにもどうしてかついてくるし………でも、色んな人と会ったよな」

 

毎日が戦闘だった訳ではなく。土地を移る度に新しい光景が待っていた。戦闘を控えた場所であってもだ。

 

「ほんと、ボパールでの夕焼けは綺麗だったな。ナグプールで見た星空もそうだ。撤退戦の時、船の上で見た夕焼けは忘れらんねえ」

 

いずれもが、戦の隣に在って。

 

「アンダマンの海は覚えているよな? タリサが妙につっかかってくんの。で、揉めたお前らと止めようとした俺も一緒に転けて、水ん中に沈んで、何とか顔を上げた時に見えた、あれが蒼穹って言うんだろうな」

 

場所が変わっても。

 

「………タンガイルの朝焼けは思い出したくねえよな。燃えるダッカを背に逃げなきゃならなかった時の事も」

 

多くを見て、出会い、同じだけ別れを経験した。武は話しながらも、新しい事実に気づく。こうまで同じ思い出を語れる相手が居るということを。その理由を。どうして、樹に黙っていてくれと言っていたのか。武は霞から預かったものを取り出し、言った。

 

「これ、覚えてるよな………あの時にお前にプレゼントした、サンタネコだ」

 

本当はうさぎを作るつもりだったが、耳の部分の細工で失敗してネコになった。武はそう説明した時のことを、二人で町に出た所で何があったかを思い出しながら、言った。

 

日本に帰るかどうか。話していた時のサーシャの顔を。子供を見送った顔を。そして、空を見上げながらの言葉とその心境を。迷子になって泣いていたら、探しだして抱きしめてくれると言った時のことを。武は噛みしめるように反芻しながら、一人だけで家に居た頃の自分の顔を思い出しながら告げた。

 

「お前―――寂しかったんだよな。置いて行かれるのが、怖かった」

 

それ以外の感情も、あるのかもしれない。だけど根幹は寂寞の念であり、武には理解できる。目を閉じれば、思い出せる光景があった。

 

武は思う。自分の時は、駅の近くで自分を抱き上げながら涙を流す母の顔を、今では形に出来るその言葉を。

 

―――置いていかないで。お願いだから置いて行かないで、と。

 

武は記憶に翻弄されるも自分を保てる理由は、あの一時の別れがあったからこそだと思っていた。平行世界の武とは根本が違う。共有はできない絶望感を。

 

その時は言葉にするだけの知恵もなく、泣き叫ぶだけしかできなかった。武は、サーシャの別れは知らない。聞き出したことはない。覚えていないかもしれない。それでも、痛みは確かに残っている。

 

武がそれを思い出したのは、平行世界の自分の記憶を見た後だ。

 

「同じじゃないかもしれない。けど、別の俺もな………いっつもだよ。先に逝かれた。一人だけ、置いて行かれた。こっちでもそうだった。出会いと同じぐらい、別れがどんどん増えてった」

 

手を伸ばしても届かない。届いたとして、魂が抜け落ちた死骸だけ。酷い時はそれさえも見届けられずに。

 

武は覚えている。サーシャがクラッカー中隊のみんなを大切に思っていたことを。隊の中で、家族のような存在だけには、たまに見たような外部の誰かに見せる鋭すぎる視線を目にすることはなかった。

 

居場所を失くすことが怖かったのだ。感情を取り戻した、という言葉の詳細を問うたことはない。それでも失う事、恐れることを知ったサーシャは、帰るべき場所もない事にも気づいた。ラーマとターラーの事を父のような、母のようなと思いながらも最後に迷惑をかけるつもりはなかった。それだけ、ソ連が担う計画の、権力を甘く見てはいなかった。だから、限界を迎える最後までクラッカー中隊で戦い続けた。

 

強がっていたのは、弱ければ置いて行かれると思ったから。だから、ずっと意地を張っていた。ここしかないから、と背中に崖を幻視しながら戦っていた。

 

それでも、見えたものはあるのか。フラッシュバックした言葉のこと。他者を見ることを覚え、一人ではないのかもしれないと考えた。

 

それでも、不安は消えなかった。別れ際に聞いた告白、それを思い出すだけで分かる。BETAと闘いながら、ずっと一人になる恐怖とも対峙していた。思えば、ヒントは在ったのだ。それを答えに結び付けられないでいた。孤独というものを、置いて行かれる怖さを知っているはずなのに、それを軽いものと扱った。

 

置いて行くより、置いて行かれることこそを恐れる。私が居なくなってもという言葉は、遺言だったのだ。

 

真実、そうだったのだろう。もしも、奇跡が起きなければ。武はその先は、考えるだけで止めた。

 

じっと、サーシャの瞳を捉えた。いつの間にか、虚空ではなく真っ直ぐにこちらを見据えているその姿を。

 

「でも、な………呆れられるの分かってて言うぜ。今になって、どうしようか迷ってる。戻っても、きっと戦いが待ってるからな」

 

回復したとして、今までと同じにサーシャを死と絶叫が渦巻く只中に戻すのか。このまま過ごすのと、どちらが幸せであるのか。武は迷いはあるけど、と言いながらも立ち上がった。一歩前へ、サーシャの肩を掴んだ。

 

「それでも………違うよな。何も聞かれずに、背中向けられる方が怖いんだ。置いて行かれた時の寂しさは………言葉になんてできない」

 

会えるのならいい。でも、二度と会えないという事実を認識してしまった途端に、骨も肉も食いつくされるのではないかと錯覚するばかりの悲しみが全身を襲う。

 

だから、と武はサンタネコを手渡した。よほど持ち歩かれたのか、ボロボロになったそれを、サーシャは握りしめた。

 

「勝手に決めるんじゃなくて………問いかけることにするよ。お前にも、あいつらにも。人間には、言葉というものがあるんだから」

 

親しい人と交わせば嬉しく、怒りを聞けばその人の大事なものが分かり、悲しい時には一人ではないと思うことができて、楽しい時はバカをやっていても楽しい。

 

武は、そうして一歩を詰めた。

 

霞の言われた通りに、サーシャの顎に手を添えて。

 

 

「………文句も聞いてやる。だから―――戻って来てくれ」

 

いつかと同じで一緒にバカをやろうぜ、と。

 

今は武の方が上回っている身長。その差が唇を接点として、ゼロになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――っ!」

 

霞が、声なき声を発する。言葉はなくプロジェクションもない。それでも息遣いが、悲しみではあり得ない歓喜を帯びていて。待ちきれずに扉が開かれた。たったったと駆けていく音が廊下に響く。

 

それを聞いていた者は、その場に二人だけ。立ち止まる音と最初から動いていない音が、視線も交わさずに言葉を交わしあった。

 

そうして、立ち止まる者は何も言わず。座り込んでいた者は数秒だけ虚空を見上げた後に立ち上がり、何かを呟きながら扉とは逆の方向に去っていった。

 

残った者―――モトコは遠ざかっていく背中を見送った後、小さく溜息をつくと3人が居る部屋の中へと足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同じ時間では、部屋の中で熟れた林檎が二つ出来上がっていた。霞はその二人を見ながら、混沌も極まった思考を感じ取っていた。

 

片や、“こっ恥ずかしくてたまらねえ”と無言の全力で叫びながら緋色で。

 

片や、万色とも言える色々な感情がそれでも喜びの方向にまとめられるも、どう返していいのか分からないとばかりに、耳まで紅が引かれ。

 

その感情の奔流に当てられた霞も、頬を朱に染めた。

 

 

そのまま沈黙すること、ゆうに2分。何とか呼吸を平常一歩手前にまで戻したサーシャは、自分を強く抱きしめる武に問いかけた。

 

「………今は、何年かな。あれからどれだけたったの」

 

「2000年の11月だ………4年もかかっちまった」

 

大切な時間だったのに、と謝ろうとする武に、サーシャは違うと否定の声を伝えた。

 

そしてかつてとは違って、包むのにもすんなりとはいかない。見違えるように逞しくなった背中を。それでもいつか以上に、外も中も傷だらけになった身体をぎゅっと抱きしめたサーシャは、(うた)うように笑いながら言った。

 

 

 

「とっても―――はやかったよ?」

 

 

 

 

 


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