Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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24話・前編 : 俄なる来訪者

 

最初に機能を喪失したのは、両耳の鼓膜だった。鈍く、頭の中が空白になっていく感触。それを認識する間もなく、空間を蹂躙した衝撃波は何もかもを粉々に砕いていった。

 

視界、宙に舞うのは手と、足と、臓物と。赤に染められたそれらが誰のものかも分からない―――原型を留めていないのは、救いだったのかもしれない。

 

四肢の感触も感じられず大気に踊らされていた白銀武は、真っ先に砕かれた吹雪の残骸を見ながらずっと、そんな事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――明後日に、国連の使節団が?」

 

「ええ。急な日程だけどお願いしたい、って連絡があったわ」

 

横浜基地の副司令の執務室の中。少しだけ真剣味を帯びた、基地の副司令として発せられた言葉を前に、武は「いよいよですか」と答えながら、その表情を引き締めた。

 

来訪する使節団の中に、国連事務次官こと珠瀬玄丞斎の名前を見つけたからだ。

 

「前もって国連の宇宙総軍北米司令部には釘を差しているけど、ねえ」

 

「だったら大丈夫ですよ。きっと……うん、大丈夫……な筈です」

 

平行世界で相手の企みを阻止した実績もあるんだし、と武は自分に言い聞かせるように繰り返した。脳裏に過った、つい先日の例外を。ユーコンで発生したイレギュラーな事態を思考の隅に追いやったまま。その表情を見た夕呼が、呆れた顔で告げた。

 

「ちょっと……しっかり頼むわよ? 今はA-01の大半が不在なんだから」

 

「はい。分かってるつもり、ですけど」

 

「つもりじゃ困るのよ。まりもを送り出すのを決めたのは、アンタでしょう」

 

207B分隊と樹、サーシャ以外のA-01の隊員は、昨日から佐渡島に近い基地へ出向中だった。名目は侵攻の予兆を感じ取ったため、とされていたが、実状は異なっていた。平行世界から持ち帰ったデータの中から、BETA侵攻における機械的なプロセスを研究した結果が記されていたからだ。

 

前回の間引き作戦の撃退数、地上に増え始めているBETAの数。夕呼はその他を含めた条件を分析した結果、1週間以内には侵攻が始まるであろう、という結論に達していた。

 

A-01の古参達が抱えていたフラストレーションの発散も必要だった、という事情もある。207B分隊との訓練や、謎の衛士“銀蝿”との戦いで、A-01の大半の衛士が、誇りの部分に埃をかけられていたからだ。弱い自分への反発心は成長の良い材料になるが、やりすぎると背筋が捻じくれる。時には自信を裏付ける経験も必要だ、というのがまりもの主張だった。一方で新しい編成で実戦時に効果的な戦闘が出来るのか、という事を試す意味合いもあるが。

 

「でも、ねえ……今のあんたなら、A-01の12機を相手にしたとして、どうかしら」

 

XM3の慣熟度が急上昇している今でも、勝てるのか。そんな夕呼の問いかけに、武は迷うことなく答えた。

 

「勝ちの目は十分に。12機編成で来てくれるなら、遣り用はあります。実は、精鋭6機で来られる方が厳しいんですよ」

 

12機ならば、隙も生じやすいという。それが、武が12機を相手に勝利を収める事が出来た絡繰の一つだった。

 

圧倒的に数で勝っている、という安心と油断を持つ衛士を生じさせる。それを逆手に取ったり、練度の低い誰かを盾にしながらベテランを優先して落としていけば、6機の精鋭を相手にするよりも楽に勝つことができるからだ。

 

「ぽこぽこ味方が撃墜されると、ベテランでも焦りが生じますからね。そこをズドンかずんばらり、って訳です」

 

「ふーん………机上の空論になっていない所が、実に手遅れね」

 

「え、何がですか?」

 

「何でもないわ。あと、斯衛の動きについては確認が取れた?」

 

「はい。崇継様達他、16大隊は前線基地に移動する、との連絡がありました」

 

九條と斉御司は帝都で待機し、斑鳩は佐渡島近くへ。当主での話し合いは済んだと、崇継からあった連絡の通りに武は説明した。

 

「16大隊に関しても……ちょっと大変かもしれないですけど、ここは頑張ってもらいましょう」

 

「……大変って、どういう意味かしら。戦力不足、という意味ではなさそうだけど」

 

「戦力は……むしろ足りすぎているからです。大変なのは介さんですね。興奮状態になっているであろう16大隊のみんなを抑えるのは、苦労すると思いますよ。XM3が配られてから初の実戦になる訳ですから……それは、もう」

 

変わっていない所が頼もしいですけど、と武は呟いた。

 

武が16大隊に入隊したのは京都防衛戦の最中だが、武はその時から集められた衛士達にある共通点を見出していた。それは、今も変わっていないものであり、隊の基本方針とも言えた。

 

まず前提として、強さに貪欲であるということ。そして漏れなくして全員が、実戦を重視しているということだ。理論上の小手先ではない、実際の戦場における強さというものをどこまでも探求するといった、修羅の道を踏破する者ばかりだった。

 

会得した技術が実戦に通じるか否か。通じた所で更なる改善点があるかどうか。彼らは戦場でも、常に企んでいるのだ。鉄火場でそれらの情報を材料として拾い上げ、訓練の時に鍛造するために。

 

「その点で言えばA-01も負けてませんから、佐渡島の方は大丈夫だと思いますよ」

 

「そうね……でも、本丸(こっち)を落とされたら、何の意味も無くなるのよねえ」

 

夕呼は意味ありげな表情で武を見た。

 

 ・・・・・・・

()()()()()()()でも隠しておきなさい。万全の備えは存在しないのよ……この先は何があるのか分からないんだから」

 

追求はしないが、隠すつもりなら完璧に、と。クズネツォワから隠し方を教わりなさい、という夕呼の物言いは呆れを含んだものだったが、武はその理屈を誰よりも分かっていたため、反論することなく頷きだけを返した。

 

夕呼はそれで話は終わり、と手を上げ。次にユウヤとクリスカ、イーニァに関するものに話題を移した。主に、ユウヤの心境と立ち居振る舞いについてだ。

 

「ブリッジスは……こういっちゃなんだけど、上手い形にまとめてくれたと思うわ。内心はかなり複雑でしょうけどね」

 

「そう……です、ね。クリスカ達が居なかったら、どうなっていたかは分からないですけど」

 

話し合いの後、ユウヤ本人から武が聞きだした話だった。あの場では機密の問題もあるためクリスカ達に関する情報をユウヤは口にしなかったが、ちゃんとそのあたりも考えていたのだ。

 

感情のまま不用意な行動を取って自分が注目されてしまうと、クリスカ達の存在も露見する。だからこそ、父親に名乗り出ることや、事を大げさにする事を止めたのだと。

 

「そう……考えた上での結論なら、言うことはないわ。何より、本人に自覚がある事は何よりだから」

 

満足げな表情で、夕呼は笑った。

 

「しっかし、ねえ? 事前にあんたから聞かされていた人物像とは、かなりかけ離れているように思えるんだけど」

 

夕呼はユウヤ・ブリッジスに対し、自分の主観に振り回されたまま行動するような無鉄砲な性格をしている、という印象を持っていた。

 

だが、実物は違った。先日のあの場面で感情による発作的な言動を取ることなく、一歩引いた立場から自分や周囲にとって最良とも言える道を選ぶことができる。そんな人物であればただの手駒だけではない、時には自分で考えた上で戦略のために行動してくれる優秀な衛士として、各所を任せるに足る貴重な助け手に成り得るからだ。

 

嬉しい誤算だ、と夕呼が呟き。武はこれから色々と酷使されるであろうユウヤに対し、無言で祈りを捧げた。

 

(でも、まあ……先生は人から借りたものは絶対に忘れない人だし。忙殺されるだろうけど、引っ張り出せる条件も増えるだろ)

 

契約と約束、取引の類には真摯に答えてくれる大人。それが武から見た、香月夕呼という女性だった。一方で味わわされた屈辱も決して忘れないことを考えると、魔女と呼ばれても仕方がないと思っていたが。

 

武はそこまで考えた後、ふと夕呼の表情を見た。そこには予想の通り、良い笑顔を浮かべた美女の姿があった。何かに感づいたのか、それともまた別の事か。

 

語らないまま振りかけられる笑みに、武は何故か寒気を感じていた。ついには堪らず、どうして笑っているのかを尋ねると、夕呼はつまらないものを見る目で告げた。

 

「はあ……本当に鈍ってるわね」

 

「すみません」

 

      ・・・・・・・・・・・

武は謝った。()()()()()()()()()()()という言い訳は口に出さずに頭を下げると、執務室を後にした。

 

その背筋は真っ直ぐであり、歩調も歩幅もいつもと変わりなく。まるで何もなかったかのように振る舞う武の背中を見送った夕呼は、誰にも聞かれないように、小さなため息を零した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「国連事務次官……ということは、壬姫の父君が来られるのか」

 

「う、うん……どうしよう」

 

使節団の来訪を聞かされたB分隊は、一つの部屋に集まり。来訪する人物の中に父親の名前を見つけて狼狽える壬姫に、B分隊の5人は首を傾げていた。

 

「どうしよう、って……喜ばしい事だと思うけど、壬姫の中では違うの?」

 

雑談の中で玄丞斎の事は壬姫から聞かされたことがあるが、いずれも自慢に近い内容のため、父娘の仲は良いことが推察されていたからだ。母も居なく、父と子二人でやってきたとも聞かされていた。軍に入ってからは一度も会っていないことから、再会の機会は喜ばしいものだ―――と考えた所で、美琴があっ、という声を出した。

 

「そういえば、人質の件は……壬姫さん?」

 

「うん……手紙でやり取りはしていたけど、その……聞けなかったの。知りたい気持ちはあったけど、本当の事を知る方が怖かったから……」

 

恐らくは人質になった理由は今更問うまでもない事であろう。それでも、最愛の父の口から語られれば。壬姫は想像しただけで、顔を青くしていた。

 

純夏と冥夜を除く面々は壬姫の内心に共感し、同情的な視線になっていた。自身の境遇から来る複雑な背景を知ることはできたが、全て飲みこんで消化できたか、と問われると首を縦に振れない部分があったからだ。

 

「……私の方は使節団の同行と案内を命じられたけど」

 

「千鶴が? ……いや、そういう事か」

 

冥夜が頷き、慧も事情を理解した後、言葉に変換した。

 

「総理大臣の娘を案内役に……基地側の見栄と、来訪者の自尊心を満たすため?」

 

「……相変わらずストレートに言うわね。まあ、概ねそんな感じでしょうけど」

 

千鶴はため息をつきながら、それでもと答えた。

 

「役割は果たすつもりよ。日本政府も、この情勢で国連軍との仲は拗らせるのはゴメンでしょうしね、きっと」

 

千鶴はそう告げながら、壬姫の方を見た。

 

「だから、事務次官の案内役は壬姫に任せるつもりだったんだけど」

 

「それって……どういうこと? 使節団の案内は千鶴さんがするんでしょ?」

 

純夏の言葉に、千鶴は考え込みながら答えた。

 

「……これは白銀中佐からの情報だけどね。事務次官を除いた使節団の方々は、基地の各所を回るだけになるみたい」

 

「え……パパだけ、別に?」

 

「そうよ。事務次官は、恐らくだけど……訓練校の視察、という名目になるらしいわ」

 

情報の出処と使節団の意図は不明だが、もしそうなった場合に上手く対処するにはどうすれば良いか。昨日から考えていた千鶴は、壬姫の方を見て説明した。

 

極東最大の国連軍基地での訓練校は、どういったものか。それを説明するには、見学者が良く知る身内の成長ぶりを通じるのが一番実感させやすいだろうと、申し訳なさそうな表情で告げた。

 

「内心複雑でしょうけど……受けてくれるかしら」

 

「……その、私が受けなかったら」

 

「壬姫以外の誰かに頼むしかないけど……誰に任せれば良いかしら」

 

千鶴は最初に美琴の方を見て、告げた。

 

「うーん……マイペース過ぎて、案内を忘れそうね。事務次官に困惑されるのはちょっとよろしくないし」

 

千鶴は衝撃を受ける美琴から視線を外し、慧の方を見た。

 

「……案内役が無口かつ語彙も少ないとなると、失礼だし。そもそも根本的に向いてなさそうだから、全面的に却下ね」

 

額に怒りのマークを浮かべる慧を置いて、純夏の方を見た。

 

「……何かやらかして国際問題に発展しそうね。敬語もしっちゃかめっちゃかだから、怒らせてしまう可能性が高いし」

 

頬を膨らませる純夏を無視し、最後の冥夜を見た。

 

「……まだ確信はないけど、斯衛と国連軍はね……ややこしい事になる可能性もあると思うんだけど、そのあたりどうなのかしら」

 

千鶴は告げながら――目配せをして。その意図に気づいた冥夜は、小さく笑いながらそれに応えた。

 

「そうだな。上下関係で誤解される危険性もあるため、あまりよろしくはないかもしれぬな……ということだ、壬姫」

 

千鶴と冥夜は揃って壬姫の肩を叩き、訓練校を守るために力を貸してくれ、と真剣な声で訴えかけた。

 

壬姫は急な要請に困惑し、「あうあうあ~」と呻きながら顔が赤くなるまで混乱していたが、二人の背後から放たれた3つの威圧感の発生源を見た。

 

(でも、あながち間違っていない、かも……? それに、ここで逃げるのは……)

 

壬姫はB分隊の仲間達の顔を見た。そして、胸中の隅に軋みが残っているのを感じ、顔を上げた。

 

「……分かりました。私が、パ……事務次官を案内します」

 

「そう……それじゃあ、お願いするわ。中佐からは分隊長代理の権限を預けても良いって言われているから」

 

この問題児達の指揮を託すから。冗談混じりに告げた千鶴に、壬姫は苦笑もなく頷いた。そんな壬姫の様子を前に、千鶴は何か言おうとしたが、途中で口を閉じると、話題を別のものに変えた。

 

「それじゃあ、案内の話はこれで終わり。次は、A-01に関することね」

 

千鶴は3人からの威圧感を袖にしつつ、割りと怒気が迸っている3人に対しても共感を得やすい話題を選んで話した。

 

「A-01の先任方だけど……貴方達はどう思った?」

 

抽象的に問いかける千鶴の言葉に、純夏を除く4人が反応した。怒気を収めてまで、そう来たか、という様子で。その反応を見た千鶴は、私だけじゃなかったようね、と安堵のため息をついた。

 

「別に手を抜かれている、って訳じゃないとは思うのよ……それでも、思っていたようなものでもなかった。そんな所かしら」

 

「……癪に障るけど、同意する」

 

「そう、だね。うん、予想外だった、っていうのは確かかな。てっきり、僕達6人ぐらい一瞬で撃退できるような腕を持っている人ばかりだと思ってたけど」

 

「そこまではいかずとも……状況判断能力や連携の練度は及ばぬのは確かだが、想像以下だった事は否めないな」

 

A-01は精鋭揃いで、元クラッカー中隊の二人に勝るとも劣らない力量を持っているという。まだ純粋な技量で及ばないのは確かだが、やり様によっては勝機を見いだせる程度の差であり、卒業試験に似た模擬戦のような隔絶した差を感じ取るまではいかない、というのが5人の感想だった。

 

「……私は、ついていくのがやっとだけど」

 

「それでも、だ。白銀中佐……いきなり中佐になっていたのは驚いたが」

 

「だよね。でも、タケル以上に強いか、と問われると……ちょっと」

 

美琴の言葉に、全員が言葉を濁した。否定が出ないことは肯定と同義になる。ならば先任が手を抜いているか、とも思えなかった。精鋭揃いだからこそ、日々の訓練で手を抜く筈がないことは確かだからだ。その先入観があるからこそ、彼女達の認識にはズレが生じていた。

 

「いや、これも罠かもしれぬ……油断した挙句に無様を晒すのは一度だけでよい」

 

「……冥夜の言うとおりね。最終試験で学んだ教訓は、絶対に忘れちゃいけない」

 

思い上がりが死を招くのだ。自分だけでなく、仲間まで巻き込んで。その時の光景を思い出した純夏以外の5人は深く頷いた後、更なる訓練を自分に課すことを決意した。

 

それから、訓練の内容の話し合いから雑談に話題が移った後、B分隊は解散して各々の部屋に戻った。

 

壬姫は部屋に入って電気のスイッチを入れた後、ベッドの方に向けて歩いていき。その途中で足を止めると、視界の端に移っていた植木鉢がある方へ足の向きを変えた。

 

「………これも、パパがくれたんだよね」

 

セントポーリア。花言葉は複数あるらしいが、傾向は似通っていた。“小さな愛”、“細やかな愛”、“親しみ深い”。いずれも、燃えるようなものではないが、親しみあった者どうしが交わす感情を示す言葉だった。

 

壬姫はその薄紫色の花弁に触れた後、自分を鼓舞するように、「うん」と小さくも強く頷いていた。

 

―――その手が少しだけ震えている事を、自分で気がつかないままに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、予定通りに使節団が横浜基地に到着した。千鶴は使節団が乗る再突入型駆逐艦(HSST)が滑走路に着陸した姿を発見すると、予定の場所へ移動を始め。壬姫は迎えに来た樹と霞と共に、事務次官を迎えるべく食堂を後にした。

 

こつ、こつ、こつと足底が硬い廊下を叩く音が3人分だけ響き渡る。そんな中で、樹は前を向いたまま壬姫に言葉をかけた。

 

「……そう緊張し過ぎるな、珠瀬。事務次官はおおらかな人だと聞いている。失敗した所で、厳しく責められることはないだろう」

 

「はい……そうですね、少佐」

 

壬姫は答えるも、その動きは霞から見て分かるぐらいにガチガチだった。壬姫の明らかに緊張している様子を前に、知らない仲ではない霞は、どうすれば良いかを考え込んだ。

 

樹のように言葉だけで訴えかけるのは、あまり効果が見込めないだろう。ならば、何か付加的要素が必要になる。

 

問題は短時間でやる必要があり、かつ効果的に。準備もなく、単純な方法で緊張を解すにはどうすれば。霞は常人とは比べ物にならないぐらい高速で思考を回転させた後、イーニァから聞いた、ユーコンで起きたとある出来事を思い出した。

 

ポリ容器を頭からかぶり、困惑させた後に言葉をすりこませる、自らが慕う人物を。だが、そんな小道具はどこにもない。霞は耳をピコピコと動かしながら、更なる打開策を必死に考えた。

 

(……力を貸して、姉さん、クリスカ、イーニァ)

 

霞から見た壬姫は、花のことで必死になっている少女、というものだった。年は自分より上だが、イーニァに似てどこか幼い所があるような。でも、花を助けようと自分の足を使って、その方法を探し続けていた人。助けたい、と当たり前に思えるような、A-01に入る予定の仲間だ。そう思った霞は必死に考え続けた。外見からは分からないが、下手をしたら頭から煙が出そうなぐらい思考を回転させた後に、気がついた。

 

要は、予想外の言葉を出して場を解せばいいのだ。そんな結論を下した霞は、武から聞かされていた駄洒落を投げ放った。

 

「ふ、ふとんが、ふっとんだー」

 

「………え?」

 

「ふとんが、ふっとんだー………」

 

「………」

 

「………」

 

地獄のような沈黙が3人を襲った。緊張した空間の中、突拍子もなく放たれた言葉に、二人は混乱に極みに陥った。

 

樹は聞き違いかとも思ったが、同じ言葉を繰り返されては勘違いのしようもない。壬姫は予想外すぎる所からの予想を遥かに突き抜けた言葉を前に、絶句する他なく。霞は黙り込んだ二人の様子から失敗を悟り、無表情ながらも泣きそうになっていた。

 

そして、その頭にある飾りがピコピコと動き。樹は霞の仕草が焦りを示している事に気づき、声をかけた。

 

「今のは、駄洒落……だよな? うん、面白かったぞ」

 

樹はサーシャほどではないが、霞との付き合いは長い。仙台基地に居た頃からずっと、サーシャの傍に居た霞とは、顔を合わせる機会が多かった。故に優しく、褒める言葉をかけたのだが、これがいけなかった。

 

「……嘘、です」

 

「え」

 

「嘘は、良くない……です」

 

「それは……そうだと思うが」

 

慰めの場が糾弾に。一気に場が変転された樹は、混乱した。同時に、霞も少女ではあるが女性だと気づいた。

 

どうすれば良いのか。樹は知人の中から、女性と接する機会が多い二人を思い出し、彼らからの言葉を心の中に浮かべた。

 

アルフレード曰く、女性は理不尽の塊。感情的に動かない女など見たことがなく、一度荒れればそれを収めるのに多大な労力を要する存在、と。

 

武曰く、女性は意味不明な行動を取ることがある。理由も分からず怒られる時はその最たるものであり、そんな場面になったらどうしてか周囲に居る他の女性も自分を咎める目をしている、と。

 

(……くそ、参考にならん!)

 

具体的には、過去の事例というか二人が犯した過去の罪状があるが故に。樹は前者も後者もいっぺん死ね、と思いつつも打開策を考え始めた。

 

一方で、壬姫は驚きに目を丸くしたまま。静かに、見落とすほど小さくプルプルと震え始めた霞を見て、考え始めた。どうして、いきなりそんな言葉を、と。

 

どんな経緯があって言ったのか、と考え―――気づいた。

 

「ひょっとして……緊張を解すために?」

 

壬姫の言葉に、霞の背筋がピンと伸びた。そして震えるのを止めると、ピコピコと耳飾りを上下動かした。壬姫は霞の耳の動作の意味がどういった物を示すのか、その知識は持ち合わせていなかったが、見る限りは問いかけられた言葉を肯定しているかのように思えた。そう思えた壬姫は、霞と樹を見ながら、申し訳なさそうに呟いた。

 

「ごめんなさい。その………私、悪い癖はまだ直せてなくて」

 

「いや……謝らなくていい。直す気があるなら、今は成長の途中だ。それよりも――」

 

樹からの目配せに、壬姫は小さく笑って頷いた。

 

「えっと―――ありがとう、霞ちゃん。少しだけど、元気が出たよ」

 

「……はい」

 

霞は無表情のまま頷きを返した。その様子から壬姫は霞が怒っているのかと思ったが、樹から苦笑混じりの注釈が出された。

 

「“どういたしまして”、と言いたいんだと思うぞ。言葉少なだけど―――」

 

樹は説明しようとしたが、前方やや遠くから聞こえてきた音に、口を閉ざした。その動作から壬姫も察し、姿勢を正して同じ方向に視線を向けた。

 

その視線の先には、紺色のスーツを身に纏った壮年の男性の姿があった。樹から敬礼、の号令が出て、壬姫と霞がそれに従った。

 

「お待ちしておりました、珠瀬事務次官殿」

 

「……ありがとう、少佐」

 

樹が名乗りを上げ、挨拶の言葉を述べた。玄丞斎も威厳に満ちた表情のまま名乗り、本日はよろしくお願いする、と告げ。視線を霞に向けた後、更に隣に居る壬姫を見ると、表情を崩した。

 

「おお~、たま~~~っ!」

 

喜色満面に過ぎる表情に声に仕草は、事務次官の“じ”の文字にも当てはまらないようで。あまりにも予想外の言動を前に、しかし樹は全く動じずに、表面上は完璧に動揺が無いよう繕ってみせた。

 

(……先に霞から予想外過ぎる一撃を喰らっていなかったら、危なかったが)

 

こちらの程度を伺うためのパフォーマンスか、あるいは素での行動か。樹には判別がつかなかったが、特に問題視することなく、父娘の再会を見守っていた。

 

壬姫はと言えば父の行動に意表を突かれつつも数秒後には平静を取り戻し、見事な敬礼と共に歓迎の言葉を告げた。

 

 

「―――お待ちしておりました、珠瀬事務次官殿」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……よし。取り敢えずだけど、問題はないようだな」

 

「それは良いことだと思うけど………なんで武ちゃんがここに?」

 

遠く、壬姫の輪郭が分かる程度の離れた距離で身を隠していた武に、純夏は戸惑いながら尋ねた。武はんー、と悩む声と共に答えた。

 

「ちょっと暇だからな! というのは嘘で……任務だな、一応」

 

「任務って……こそこそと見つからないように、ここで出歯亀をするのが?」

 

「い、いつになくキツイな純夏。それと、出歯亀の使い方を間違ってるぞ」

 

出歯亀は、変態的な男を指す言葉だ。そう主張する武に、慧が冷たい声で答えた。

 

「……どこが間違ってる? あと、今日の焼きそばパンは」

 

「ちょっと遅れるけど、用意してあるぞ……っと、やって来たな」

 

武は珠瀬事務次官の姿を確認すると、時計を見た。

 

「委員長の方は、予定通りの時間で終わりそうだし……問題はないだろうけど」

 

「千鶴ならば大丈夫であろう。あちらの案内が終われば、すぐにこちらへ合流すると聞かされているが―――」

 

其方はどうするのか、という冥夜の言葉に、武は歯切れの悪い口調で答えた。

 

「いや、何もなければそれで良いんだよ。何かあったら―――その時はその時だ」

 

軽く流す類の言葉だが、B分隊の4人は武の様子に違和感を覚えた。何がどうかと詳しく説明はできないが、どうしてか心に波風が立つような、安心できる類の感触ではなく。かといって問いかけようにも、情報が何も無いのでは為す術もなく。

 

「……何かあったら俺がどうにかする、って顔してる」

 

「え? いや、まあ……それは、違うとも言えねえけど」

 

言葉を濁す武に、美琴が追撃をしかけた。

 

「でも、タケルは強いんでしょ? なんてったって中佐だもんね。18歳で中佐とか聞いたことないよ」

 

「……そうかもな。でも、階級と強さが必ずしも比例している、って訳でもないから」

 

コネとか家柄とか、派閥とか。面倒くさいものが多いからな、と他人事に語る武の言葉を聞いた純夏が、何気なく問いかけた。

 

「じゃあ、武ちゃんはどれだけ強いの?」

 

誤魔化す言葉が一切ない、ストレートすぎる問いかけ。武は壬姫の様子を注視しながら、軽く答えた。

 

「そりゃあ、お前……いわゆる一つの最強だよ。世界最強の衛士、白銀武とは俺のことだって巷で噂されてるぐらいだからな!」

 

武は胸を張って、わざとらしく不敵な笑みを浮かべた。一対一なら誰にも負ける気はしないぜ、と付け足された言葉に、慧がジト目で片手を上げた。

 

「なら、中佐じゃなくて元帥だね。若干18歳、白銀元帥閣下の誕生………拝んだ方がいい?」

 

「いやいやいやいや止めてくれ。特に元帥のあたりとか、マジで勘弁だ」

 

「……マジ?」

 

「真剣と書いてマジと呼ぶ。古事記にも書いていたらしいって……いや嘘だから考え込むなよ冥夜。いや、違うって、冗談のつもりで……」

 

武は怒る冥夜に謝りつつも、慧の言葉には真っ向から反対の姿勢を取った。元帥=腹黒説を熱く信仰している武にとって、元帥と呼ばれるのは心外の極みだった。どこからか「誰のせいだ」という幻聴が聞こえたが、武はそれを無視しながら真面目に答えた。

 

「まあ、弱いとは口が裂けても言えないけどな……強かったら何でも出来るっていうのは違うぞ。まったくもって違ってる」

 

「……実感がこもった言葉だね」

 

慧は理屈は分かるけど、と答えた。武はそれでも、と壬姫の方を見た。

 

「軍に於いて“強い”って言われるのは替えが効かない奴のことを指すんだ。そいつが居なければ目的を達成できない、っていうような」

 

100のBETAを倒せる衛士が居るとしよう。その代わりが出来る者は、と考える。すると、すぐに見つかるのだ。100を倒せる小隊か、100をあっという間に倒せる機甲部隊など。それを聞いた冥夜が、美琴の方を見ながら呟いた。

 

「つまりは、作戦の中で地形や状況、時間といった制限が在る中でも……特定の目的があるが、特定の技能を持つ者以外では果たすことが出来ないような」

 

美琴の工作技能のようなものか、と尋ねる冥夜に、武は首肯した。

 

「そうだな。お前以外にこれはできない、って頼られる、任される奴だ。それはそれで、ドでかい名誉とも取れるけど………」

 

武は壬姫を見ながら、途中で言葉を止めた。不思議がる冥夜達の視線を感じながらも、わざとらしく時計を見た後、時間だと呟いた。

 

「それじゃあ、俺はこれで。あと、さっきの話だけど……特別じゃなくても、腕を磨いておくに越したことはないぞ」

 

「……それは、どうしてだ?」

 

「家族の絆は、軍と違う。失った大切な人の代わりが務まる人間なんて、何処にも居ないんだ」

 

時には死ねと命じられる軍においては、甘い考え以外のなにものでもない。それでも、決して犬死にするな、という隊の規則に倣うのなら。

 

「……偉そうに、語りすぎたな。それじゃあ……また、後で」

 

そう告げて去っていく武の背中は、どこか頼りないように見えて。残された冥夜達は励ますにも言葉が思い浮かばず、黙ってその背中を見送る以外のことはできなかった。

 

その後、しばらくして玄丞斎に対する、基地内における訓練校に関係する施設の案内が始まった。樹から任せられた壬姫は、分隊長代理に相応しい態度でてきぱきと説明をしていった。

 

玄丞斎はその様子を見て満足そうに頷きながらも、B分隊の面々を見ながら笑顔で話しかけ。壬姫はその様子を緊張の面持ちをしながらも、見守っていた。

 

そうして兵舎の説明が終わり、シミュレーターに案内しようと壬姫が思った時だった。

基地内をけたたましい警報が支配し、スピーカーから緊急を示す声が鳴り響いたのは。

 

「こ、これは……?」

 

千鶴が驚きと共に、困惑を示し。間もなくして廊下の向こうから千鶴達の元へ駆け寄ってきた者は、敬礼と共に玄丞斎へ告げた。

 

「―――防衛基準体制2が発令されました。事務次官は、急ぎ地下司令室へ」

 

「……何事ですか、少佐」

 

表情を厳しいものに戻した玄丞斎に、樹は告げた。

 

 

「国連の再突入型駆逐艦(HSST)がコントロールを失い、落下中です。現在は詳しい状況を調査中ですが―――」

 

 

“2機”のHSSTがここ横浜基地に向け、直撃しかねないコースで飛来しているとのことです、と。

 

樹が玄丞斎へ報告した直後、ブリーフィングルームへ集合すること、というピアティフの声が、B分隊の6人の耳目を震わせた。

 

 

 

 


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