Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

206 / 275
24話・後編 : 二輪花

「……早かったわね。訓練の賜物ってことかしら」

 

「香月副司令。これは一体、どういう事で―――」

 

急ぎ集合した207B分隊を背に、今の状況に疑問を持つ代表者として樹が質問を投げかけた。緊急事態の内容もそうだが、正式に任官していないB分隊までどうして集められたのか。

 

夕呼は泰然とした態度のまま、当たり前のように答えた。

 

「用があるから呼んだのよ。今から理由を説明するから、話が終わるまでは取り敢えず黙ってなさい……時間がないのよ」

 

叱るような声。樹はその意図に気づくと姿勢を正し、表情を平時のそれに戻した。それを見た夕呼は視線をB分隊の方に視線を移すと、告げた。

 

「貴方達には……正確には貴方達の中の1人だけど、これから始まる迎撃作戦に参加してもらうわ」

 

夕呼の言葉に、B分隊が絶句する。だが夕呼はそれに構わず、説明を続けた。

 

「事故の発生は32分前。エドワーズから那覇基地に向かっていたHSSTが1機と、同じくエドワーズから佐世保基地に向かっていたもう1機が再突入の最終シーケンス直前で通信途絶」

 

タイミングのズレはあったみたいだけど、と夕呼は顎に手を当てながら続けた。

 

―――原因不明の機内事故か、あるいは別の要因かは不明だが、乗員の全員が死亡したと判断されたこと。

 

―――機体への遠隔操作を筆頭にあらゆる方法を試したが、HSSTが備えている対テロ用の様々な防衛機構により、失敗に終わったこと。

 

「墜落ルートを精査した結果、1機はここ横浜基地へ。もう1機は横浜基地の東、数キロ陸から離れた沖合へ向けて絶賛落下中、だそうよ」

 

「……そして、ただ落ちるという訳ではない、と」

 

HSSTは相当な重量物だが、単純に滑空降下するだけなら大きな被害はない。対処方法もいくつか考えられる。だというのに準戦闘準備体制という防衛基準体制2になるのには、何か他の理由がある筈だ。樹とB分隊はそれらの情報と夕呼の物言い、そして夕呼の隣に居る武とサーシャの険しい顔を見て悟り、背筋に冷や汗が流れるのを感じた。

 

そして、樹達の予想通りに最悪の情報が付け足された。

 

事故機の航法を調査した結果から判明した事だが、機体は電離層を突破した後、何故か加速を始めるプログラムが組まれているという。それも機体の耐久性の限界ぎりぎりに収まる速度で。

 

「減速もせず、加速を……? そっ、な、何故そのような航行プログラムなど!」

 

「おかしな話よねぇ。しかもカーゴの中には爆薬が満載だそうよ? それも本来なら海上運送が望ましいとされている類のものが、2機ともにね」

 

夕呼は呆れたような声で締めくくった。数秒、場に沈黙が流れた後に千鶴から小さく震える声で質問が飛んだ。

 

被害予測は、という誰もが知りたがっている質問。夕呼は横に視線をやり、そこに居たサーシャが答えた。

 

「基地に着弾するHSSTは……試算では、地下20メートル程度を抉ると出ている。その後に爆発。最悪は、基地がある丘ごと吹っ飛ぶ」

 

搭載されている爆薬の性能を考えると、横浜基地の機能が壊滅して余りある結果になる。もう1機は、とサーシャは無表情のまま説明を続けた。

 

「墜落場所は東京湾。先の1機より少し遅れた時間に墜落し、海底を10数メートル抉った所で爆発。莫大な運動エネルギーにより、爆発地点に近い沿岸地域で津波が発生して……横浜基地への被害は未知数。ただ、先の1機が直撃して丘が平地になってしまえば、津波が流入する。その他、湾岸沿いにあるいくつかの食料生産プラント研究施設はほぼ間違いなく壊滅する」

 

「……嫌になるぐらいの徹底ぶりだな」

 

余さず残らぬよう、確実に殺しに来ている訳だ。B分隊はあまりの被害に絶句し、樹は内心で盛大な舌打ちをした。

 

「それで……国連のGHQはあくまで偶然を主張されている訳ですね?」

 

「“同じ場所、同種の機体。運用も同様にされていた機体だから、同時期に事故が起きてもおかしくはない”らしいわ。ま、実の所は――あちらの方がご存知なければ、誰にも分からないでしょうね?」

 

樹とB分隊は夕呼の視線の先の方を向き、絶句した。

 

「ぱ、パパ!? どうして、ここに!?」

 

「事務次官!? 既に避難された筈では……!」

 

驚きと戸惑いと、若干の怒りが含まれた声。それに対する玄丞斎は、淡々と答えた。

 

「職務を全うするために。この基地の訓練学校の視察、という当初の目的を果たす事を優先したまでです」

 

それに、と玄丞斎は夕呼の方を見た。

 

「避難した所で結果は変わらないとあれば、尚更です。貴重な人材を有し、また新しく優秀な人材を育てている横浜基地を……その真価を見定めることが第一。それこそが、日本政府や帝国軍の関係を発展させるために必要なことだと思われますので」

 

「っ、ですが……万が一という事があります!」

 

避難しなければ確実に死亡するだろうが、避難すれば万が一にも助かるかもしれない。樹はそう主張するが、玄丞斎は態度を毛の先ほども変えなかった。

 

「――疾風に勁草を知り、厳霜に貞木を識る。極東の絶対防衛線、その要の一つである横浜基地の本当の力を拝見するための、千載一遇の機会と言えるでしょうな。これを逃しては、無能だと誹られるだけになりましょう」

 

底力を見るには、火事場が在ってこそ。焦るのでもなく、驕るのでもなく、そう確信しているといった様子で主張する玄丞斎に、夕呼が小さく笑みを浮かべながら答えた。

 

「仕事に熱心な事で、何よりです。ただ、人の命は一つだったと思うのですけれど」

 

「二つある人間は、妖物の類でしょうな。ですが、戦死した筈の人間が実は生き延びていた、という話は世界中の何処でも、よく聞くものでしょう」

 

美談ですな、と。玄丞斎は武とサーシャの方に視線を向けずとも不敵に答えた後、一歩下がった。その様子を見た夕呼は、樹達の方へ笑みを向けた。

 

「ありがたいことに、遠慮しなくていいそうよ。なら、事態解決に向けて必要となるのは、覚悟だけになる」

 

夕呼は用意していた端末に悠然と向かい、告げた。

 

「こんな事もあろうかと、用意していたものがあるわ―――貴方達にとっては、感慨深いものになるかもしれないわね」

 

夕呼は可笑しそうに喋りながら、“それ”を映し出した。現れた映像に、B分隊が驚きの声を上げ、1人の少女の顔が青く染まった。

 

「―――試作1200mm超水平線砲(OTHキャノン)。本来は対地兵器らしいけど、この状況を打開する方法は……“あれら”を空中で撃ち落とすには、この砲を使う以外の方法は考えられなかったわ」

 

夕呼は覚えているとは思うけど、と兵器の基本性能をもう一度説明した後、映像をHSSTの軌道に関連するものに切り替えた。

 

「撃墜のチャンスは、目標が欧州上空で再突入した3分後。日本海上空で電離層を突破する瞬間だけになるわね。高度は60km、距離にして500kmって所かしら」

 

本来であれば、狙撃を考える距離ではない。そのあまりの内容に、ひゅっと息が詰まる音が零れた。夕呼はそれを聞きながらも、説明を急いだ。

 

「帝都から大阪の目標物を撃ち抜くようなものね。極音速でも着弾まで33秒かかるわ。また、別の問題もある」

 

電離層を突破した後、機体が加速すること。それから基地に激突するまで142秒、2分と少ししかないということ。

 

説明がされた後、掠れた声での質問が出された。

 

「……初弾は、33秒前に。33秒後のHSSTの位置を予測して狙撃しなければならないんですか?」

 

「ええ。そして初弾を外せば、フルブーストによって軌道誤差が生じるであろう2機を確実に当てなければならない」

 

「………次弾装填を考えると、チャンスは3回」

 

「そうよ。1射で1機を撃墜するとして、失敗が許されるのは1度だけ」

 

夕呼はそう告げた後、HSSTの予想進路周辺を指差しながら補足した。

 

「4発目が命中したとして、着弾後に爆発する場所は本土の上空。そうなった場合、破片は原形を留めたまま飛散するわ。どこに散らばるかは不明だけど、悪ければ今前線に集まっている軍に……大きな被害が出るでしょうね」

 

夕呼は佐渡島の方を見た後、映像を再度切り替えた。

 

そこに映っていたもの―――HSST打ち上げ用のリニアカタパルトと戦術機の姿を見た青い顔の少女が、下唇を噛み。それを見た夕呼が、真剣な表情でその少女に告げた。

 

「察しの通りよ。衛星データリンク間接照準による、他に類を見ない戦術機による極長距離狙撃。それを成功させられる人物は……わざわざ言わなくてももう分かってるわよね、横浜基地が誇る極東最高のスナイパーさん」

 

言葉を向けられた少女は―――珠瀬壬姫は、目を閉じたまま俯き。誰もが、何をも視線を合わせない7秒が場を支配した後、ゆっくりと呟いた。

 

「…………白銀中佐に任せる訳には、いかないんですか?」

 

縋るように、俯いたまま、肩を小刻みに震わせて。対する夕呼はそんな壬姫の様子に一切斟酌することなく、事実だけを答えた。

 

「長距離狙撃には訓練量より先天的な才能がものをいう、らしいわね。そのあたり、どう思うのかしら」

 

夕呼は視線を武に向け。武は視線を受け止めながらも申し訳がなさそうに、答えた。

 

「成功する確率は……文字通り、万に一つです。見栄を張って万に二つはいけるかもしれないですが、0.01%がたかが2倍になった所で、結果は変わらないでしょう」

 

自分では到底不可能である。そんな武の回答を聞いた壬姫は俯いたまま、拳を握りしめた。夕呼は端末に送られてきた内容を見た後、壬姫の方は見ずに言葉だけを向けた。

 

「再突入まで25分を切ったと、連絡があったわ……それで?」

 

対策が失敗に終わるなら、余寿命に等しいわね。何でもないように夕呼は告げた後、私達だけじゃないわ、と続けた。

 

「撃ち落とせなければ、基地に居る約1万人は全滅でしょうね。爆発時の深度と規模を考えると、真っ先に避難した連中も助からない可能性の方が圧倒的に高い」

 

爆発して死ぬか、生き延びた所で溺死するか。

 

「それで――――どうする?」

 

夕呼が突きつけたその言葉は、どこまでも鋭利な矛の先のように。緊張も極みに高まった場の視線が、壬姫に集中する。壬姫はそれを感じていたが、顔を上げず。

 

 

誰もが何も言えなかった、10秒の後。

 

壬姫は顔を上げないまま、ゆっくりと目だけを開けると、震える声で答えた。

 

 

「―――やります」

 

 

私以外に、居ないのなら。その返答を聞いた夕呼は内心のため息と共に、狙撃手確保の連絡をイリーナと壬姫の不知火があるハンガーへ伝えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『珠瀬……聞こえる?』

 

『―――はい』

 

壬姫は慣れ親しんだ自機のコックピットの中、入ってくる通信の声に緊張の面持ちで答えた。

 

『調整は、完了しました』

 

『そう……射撃の手順は、模擬戦の時と同じ。異なる部分は気象条件の常時自動補正と、衛星データリンクからの情報と……』

 

夕呼の説明の声が流れていく。壬姫はそれに小さな声で答えながら、着々と準備を進めていった。そして事前準備が全て終え、残り20分となった所で夕呼は通信機のスイッチを切り替えると、ため息と共に振り返った。

 

待機していた武に振り返ると、苛立たしい顔を隠そうともしないまま告げた。

 

「それで? さっきから辛気臭い顔で、一体何を聞きたいのかしら」

 

「……その、えっと」

 

「前置きはいいから、さっさとしなさい。“その、えっと”が末期の言葉になってもしらないわよ? それはそれでアンタらしい、間抜けっぷりだけど」

 

いつもの調子の、いつもの毒舌。それを聞いた武は苦笑した後、少しだけ安心して。

 

ふと、空の方を見ながら尋ねた。

 

「1機でもアレなのに2機も、ですよね……何が原因でこうなったんでしょうか。あちらさんは何を考えてるのか……」

 

想定さえしていなかった事態だ。悔恨の念を言葉に滲ませながら、武は怒りの表情のまま言葉を続けた。

 

「宇宙総軍にしても分からないことだらけです。夕呼先生からの事前の通達も無視するどころか……2機を同じタイミングで、なんてのは酷すぎる。もう事故で済ませられる範疇を越えてると思うんですが」

 

言い逃れしようが、厳しい追求は避けられない。いくら米国とはいえ、捨て身に近い方法を取るのはどうしてか。武の質問に、夕呼は呆れ顔で答えた。

 

「あんたねえ……無い頭捻ってよく考えなさいよ。2機が1機になった所で、単純な事故で済ますのは無理がありすぎるでしょうが」

 

異常過ぎる航法に爆薬に着弾地点と、条件があまりに揃い過ぎているのだ。これを偶然で済ませられるのなら、人を正面から銃を構えて撃ち殺しても、偶然だと言い張れるだろう。夕呼は忌々しそうに、モニターを見た。

 

「“あちら”にとって私達が邪魔だというのは、知る奴なら知ってるでしょうけど……いくらなんでもあからさま過ぎるわ。でも、撃墜に成功して被害は無かったとはいえ、そのあからさまな攻撃行為が許された世界があったのよね?」

 

「――それは。いえ、そうらしいですけど」

 

武はそういえば、と思い出した。撃墜したとはいえ、オルタネイティヴ4は中止になり、オルタネイティヴ5が発動した世界があったのだ。

 

そこで武は更なる疑問を抱き、夕呼の方を見た。夕呼は「簡単な話よ」と忌々しい内心を言葉に乗せて、吐き散らした。

 

「あれが直撃すればオルタネイティヴ4は終わり。最深部は残るでしょうけど、施設の復旧に時間がかかり過ぎる。経緯はどうであれ、結果を出せない計画なら国連は簡単に見限るでしょうね。なら、その後に起きることは何かしら?」

 

「主導権がオルタネイティヴ5に移されます。G弾によるハイヴへの一斉攻撃と、地球脱出の宇宙船団が……」

 

そこで、武は気づいた。気づきたくなかった裏側を。

 

「そういうことよ。それに、腹立たしいことこの上ないけど、オルタネイティヴ4はレッテルを貼られてるからね。“妄想も激しい、成功率が低い計画だ”って。なら―――今回の騒動による被害を受けない欧州やソ連の上層部その他は、どう考えるのかしらね?」

 

欧州各国やソ連は、自力で国内のハイヴを殲滅出来る目処は立っているのか。その質問に対し、素直に是と答えられる者はごく少数だろう。ただでさえ今までの戦争で各国は疲弊しているのだ。その中で、G弾という兵器があれば追い詰められた人間はどう考えるどうか。

 

「あとは……地球脱出の船の切符が少ないのであれば、ねえ? 獲得するための事前準備は怠らないでしょう。今回の件で貸しを作らせるか恩を売るか、絶好の機会だと考えてもおかしくわないわ」

 

権力を持つ人間は根回しの重要さを知り尽くしている。自分たちを売り込む方法もだ。それをよく知っている夕呼は、苛立たしけな表情になった。

 

「この事故が失敗した所で同じでしょうね。オルタネイティヴ4に成功する見込みはないと考えている連中なら、表立って追求するポーズを取るだけで、それ以上の事はしないでしょう」

 

「……保身のために、ですか。あるいは、自分たちの家族を含めた」

 

武の悔しそうな声に、夕呼は青いわねえ、と内心で呟きながらも答えた。

 

「戦場を知らない上層部あたりなら、おかしくもない話よ。一方で米国は一部の関係者にだけ、責任を取らせるでしょう。予め用意していた言い分と一緒に、“切り捨てたい部分”だけ切り捨てて、表向きの謝罪を示すだけ。追求する人間は、それを飲みながら裏で貸しを。そんな茶番で終わらせる、win-winの関係を作るのが賢い人間のやり方だ……その程度で済ませるでしょう」

 

「仮に失敗した所で、態度は変わらない。オルタネイティヴ4を仕留めれば世界の主流はオルタネイティヴ5に。そうなったらそうなったでバンザイ、ってことですか……糞の極みですね」

 

毒づく武だが、こうも考えていた。侮られているこの状況をひっくり返せるのなら、それ以上に痛快なものはないと。夕呼も同じような反骨心を持っていたが、感情に呑まれることなく事実だけを口にした。

 

「あくまで推測よ。でも、そう遠くないとも考えられる……判別する材料が少ないのが痛いわね。それに、今回のやり方はいくらなんでも強引過ぎるわ。米国らしい、と言えばらしいのかもしれないけど」

 

ユーコンの事を考えれば、違和感はあるが、根本的な場違い感はないかもしれない。だが、米国が下手人だとしても、今回の行動は荒っぽいを通り越して、お粗末に過ぎる域に落ちかけているのも確かだった。

 

そんな事実関係はどうであれ、結果的に窮地に立たされているのも事実。夕呼は忌々しげに米国を罵り、そんな夕呼の言葉を聞いた武は、下手人の方に意識を向けた。

 

「CIAかDIAといった米国の諜報機関か……外部の別の組織……例えば難民解放戦線や、キリスト教恭順派が裏で手を回している可能性も考えられるんですか?」

 

「一概には言えないわね。ただ、ユーコンの前例も考えれば……CIAらしい強引な手法、というには難しい。ならDIAによるユーコンでの意趣返しか、というのもしっくりこない。やり過ぎなのよね、いくらなんでも」

 

「ですね。あるいは……あっちにも予想外だったとか?」

 

「……そういう考え方もあるわね。もしもそうだとしたら……あまりのタイミングの悪さに反吐しか出ないわよ」

 

嫌になる、と夕呼が呟いた。複数の組織が裏で動いた事によって発生した、複雑な状況の産物かもしれない。確証はないがもしそうだとしたら、どんな間の悪さだ。夕呼は深く息を吐いた後、分かった事があると前置いたあと、告げた。

 

「原因は不明だけど、今回の事件に隠された背景と、“あちら”の雰囲気は読み取れたわ―――こちらが明確な敵、とまではいかないかもしれないけど、無視できないほど目障りになった、という事だけはハッキリしたわね」

 

事件発生を阻止できなかったという事実から、今回の事件に関連したであろう複数の勢力が総じて日本に対する害意を持っている、というのは明らかだった。それも、徹底的に潰そうとする程の敵意を。

 

「身を削る程の敵と認識される程度になった、という点だけを見れば、喜ばしいと言えるかしらね」

 

「……今後の目的を考えると、全く喜べないんですけど」

 

武はしょんぼりした様子で答えた。

 

「それでも、あちらはあちらで俺たちを見据えながら考え、準備と行動をしてきているんですね……俺たちと同じように」

 

「ええ。これから先は、何が起きるか分からないわよ。だから前もって覚悟を――」

 

夕呼が最後に言おうとした所で、緊急の通信が入った。夕呼が急ぎ通信回線を開くと同時、悲鳴染みた声が二人が居る部屋を支配した。

 

「ピアティフ!? 一体なにがあったの!」

 

『副司令! 珠瀬訓練兵に異常が……心拍数も増大中で―――』

 

バイタルデータから送られてきた情報から、イリーナが告げた。

 

とても高難度の狙撃を出来る状態ではありません、と。その通信が入った直後、武は弾かれたように走り出した。そして勢いよく扉を開き―――ちょうど入室しようとしていた玄丞斎にあわやぶつかる寸前だったが、軽やかな身のこなしでそれを回避し―――今日の今日まで鍛えてきた脚力のすべてを使って、走り始めた。

 

避難の通達があるため、通行人の姿はない。そんな無人の廊下を風のような速度で走り抜けた武は、わずか数分で目的地である屋上に到着すると、そこに居た樹に向かって叫んだ。

 

「樹、通信機を!」

 

「――ああ、分かった!」

 

ちょうど話していた所だ、と樹は武に通信機を手渡した。武はそれを受け取ると、壬姫に向かって語りかけた。

 

「―――たま!」

 

『……白銀、ちゅうさ………?』

 

通信機のスピーカーから返ってきた声は、あまりに儚げで、苦悶に満ちていて。息遣いが荒れている事から、恐らくは極限まで高まったストレスが呼吸にまで影響していると推測した武は、どうしてこんな事態になったか考え込んだ。

 

(たまは成長した。以前とは違う、あがり症も無くなったと……それに模擬戦を見てもそうだ。あんなに立派に成長したのに、なんで)

 

武は色々な理由を並べた所で、思考の方向性を変えた。何かの言い訳のようになっていたのもあるが、それよりも優先すべき事があると考えたからだ。

 

だが、何を言えばいいのか。武は迷ったが、取り敢えずは落ち着かせなければ、と冷静になるような言葉を投げかけた。

 

 

「落ち着け、たま。まずは呼吸を整えるんだ。落ち着いて、息を吸って、吐いて……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『吸って、吐いて……そうだ。俺の声は聞こえるな?』

 

壬姫は通信越しに聞こえる声の通りに、呼吸を整えていった。そうして少し落ち着いた所で自分の掌の中にあるものを再認識してしまい、小さく悲鳴を上げた。

 

機体の掌には、大きな砲身を持つ兵器が。そして、掌の中にはその引き金が―――父を含んだ、基地に居る人々の命運が。そのあまりの重さに、壬姫は思わず口を押さえた。

 

(死んじゃうよ……私が失敗すれば、みんな……シミュレーターで見た、あの人達のように……っ!)

 

冗談のような速度で突っ込んでくる飛行機のように大きい鉄塊が降ってくるどころか、墜落と同時に大爆発を起こすのだ。その中心に居る者達は、果たして断末魔さえ上げられるかどうか。

 

その結果は、分かりきっていた。シミュレーターで見せられたあらゆるステージ、その比ではない数の人々が死ぬ。そこには、大切な仲間や最愛の父も含まれる。それを想像してしまった壬姫は、目の前が霞んでいくのを感じていた。

 

(っ、気を失うのは駄目! そうなれば、みんなが……それは、それだけは………っ!)

 

己を責め立てる責任と、自分の支えになる責任感と。壬姫の内心は天秤に乗る二つの重圧に翻弄され、上がり下がりを繰り返していた。だが、眼前にある途方もない難題を直視してしまえば、重責の方が勝ってしまいそうで。

 

(なんで……情けないよ。私、吹っ切れたつもりになってたけど……っ)

 

吐き気と共に想起したのは、模擬演習の第二段階の第二ステージ。そこで見たもの、感じ取ったものを壬姫はずっと覚えていた。

 

自分の目の前で失われていく人―――その無残な姿が、自分と重なって。

 

自分に課せられた役割―――果たすだけで精一杯だった。

 

自らが望んだもの―――それを薬として、襲い掛かってくる恐怖という病に抵抗して。

 

結果的には、第二ステージはクリアできた。だがそれは必死になって頑張った結果であり、根本的に治癒された、という訳ではなかった。精一杯誤魔化して、乗り越えたように見せただけのものであり。

 

その元凶は、と。考えた壬姫の脳裏に、“上半身だけになった自分の姿”が過ぎった。

 

「ぐ………っ!」

 

『たま!?』

 

嘔吐の声が聞こえていた武が、叫ぶ。壬姫は堪らずに吐ききった後、滲んでいく視界から、自分の目尻に涙が浮かんでいる事に気づいた。

 

臭気に、汚物に。塗れた壬姫は、ついに操縦桿から手を離した。通信からは元気づける声が響くが、それに反応することもできなかった。胸中には何とかしなければ、という気持ちが湧いては来るものの、それまで。血栓があちこちに出来たかのように、気持ちが全身に行き渡らないのだ。

 

聞こえてくる声も、力になってくれている。なのにどうして、と考えた壬姫は必死に身体を動かそうとした―――だが。

 

 

『頼む、たま! これは、たまにしか出来ないことなんだ!』

 

 

その声に、壬姫は自分の中にあった何かが決壊した事を感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……どうして』

 

低く、恨めしい声。そのあまりの陰気に、武は息を飲んだ。その怯みを見破ったかのように、通信の向こうから言葉が飛び出した。

 

『なんでそんなこと言うの……!?』

 

その声に、武だけではない、樹やB分隊の5人が息を呑んだ。

 

『いつもそうだった! 第二ステージのあの時も、後が無くなったあの時も! 私にしか出来ないからって………任されて…………』

 

千切れるのは嫌なのに、と壬姫は泣くように叫んだ。怨恨の類ではない、疑問と怒りで支配された声色で。そうして思わず言葉に詰まった武に、壬姫の独り言が突き刺さった。

 

『……あがり症だ、っていうのは言い訳だよ。実戦じゃそんなの通じない。今だって通じない、そんなこと分かってるもん……でも、手がぶるぶると震えるの。心臓がどきどきって、飛び出そうになるの。頭の中がこんがらがるのも、止められないの……っ!』

 

「……たま」

 

『ここで逃げちゃ駄目なの。頭では分かってるんだよ? みんなと一緒に勝ち取ったものだもん、絶対に失いたくないの……でも、身体が動いてくれない!』

 

そこで、武は気づいた。壬姫は胸中の混乱を。そして、この言葉が誰かに向けてのものではなく、誰かを責めるためのものではない事を。

 

壬姫にも、自覚はなかった。ただ、重圧を克服できない不甲斐ない自分に対する怒りが源である事だけは理解していた。

 

―――これが平行世界のように、HSST1機だけならば。まだ撃墜できる可能性の方が高い難易度であれば、話は違っていたかもしれない。ふと、武はそんな考えが浮かんでいた。

 

(失敗する可能性の方が高いのに……逃げられない。どうしてって、隣には大切な人が居るから)

 

普通の上官であれば、軟弱であると叱咤する所だろう。だが、今は普通ではない。武は、そこだけは認められなかった。齢18の少女が大勢の人の命を背負わされるのが当たり前など、断じて認めるつもりはなかった。

 

一方で、理解できる部分もあった。そこに気づいた時点で、逃げるなんて考えられなくなる光景が。

 

(大切な人が、近くに居るからこそ)

 

空想ではない、()()()()()()()()()()()()()()()リアルに想像できてしまう。そして、千切れるという言葉を聞いた武は、もしかすれば、と思った。死の光景を幻視し、死の実態を架空であっても体験してしまえば。

 

死というものをまともに直視してしまうことほど、酷なことはない。それをよく知る武は、ぎり、と強く拳を握りしめた。

 

大切な人の直視に耐えない屍が現実として想像できてしまう、そんな地獄の如き責め苦の辛さが理解できるから。

 

そして、恐らくは自分が壬姫をそんな苦境に追い込んでしまった事が分かったから。

 

(だけど、逃げられない……そうだよな。お前にしかできないと託されたからには)

 

どこまでも共感できてしまう。そのものではないが、恐らくは自分にであろう、今の壬姫が抱いている思い。それを実感した武は、樹とB分隊に少し離れていてくれ、と告げた後、想いのままにゆっくりと口を開き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

反吐の臭気に、舌にかかる反吐の不味さに、膝に乗る反吐の感触に、煩すぎる心臓の音に、刻一刻と迫っている制限時間を示す数字に、想像できてしまう絶望の光景に。

 

六感まで揃った上での一斉攻撃に責め立てられていた壬姫は、ふと通信の声が途絶えているのに気づいた。

 

もしかして、呆れられたのか、見捨てられたのか。そんな思いが浮かんだタイミングで、通信からの声が壬姫の鼓膜を震わせた

 

『……ふざけんな、って叫びたくなるよな』

 

言葉は、乱暴で。されどこめられたのは怒気ではなく、怨みに寄っていて。独り言のような口調で、愚痴るような声は続いた。

 

『何で俺が、ってぶん投げてやりてえ。でも、変わらねえ。そんな文句を垂れても、こっちの都合なんて一切関係ないって言うみたいに難題はやってくる。嫌だって言ってんのに、重たいってクレーム入れても無駄だ。必死に断ってんのに、状況は乱暴にこっちに向けて責任ぶん投げてくる』

 

その言葉は、責めるもので。壬姫と比べ異なっていたのは、それが全て誰かに向けられたものであるということだが、壬姫に追求の言葉は思い浮かばなかった。

 

どうしてか、途轍もなく長い時間をかけて徹底的に煮詰められた怨恨に塗れていると思えたからだ。

 

『本当は嫌なんだよ。命なんて、賭けたくねえ。死にたくねえのは、人として当たり前の事だろ? そうだよ、俺は間違っちゃいねえんだ。なのに……俺にしか出来ないからって言ってくるんだよ。周囲の状況が言い訳も聞かねえってばかりに、叩きつけてくる。世の中間違ってるぜ、ほんと』

 

この世界が、自分の思う正しい姿であればどうだったか。もっと楽に、笑えるほど幸せな日々の中、こんなに辛い思いをしなくても済んだのではないか。

 

そんな思いが透けて見えるような言葉の内容は子供そのものであり。声の質は、どこまでも大人を感じさせるように、苦悶と悲嘆を帯びたもので。

 

『代わりになる奴が居れば良かった。俺よりもっと強くて賢くて、何もかも任せられる人間が居れば、って考えたこともある……お払い箱になればちょうど良いって、諦めかけたこともある』

 

疲労の極みにあるそれは、ともすれば老人のような嗄れたもので。更に、鬱々とした言葉が続いた。

 

『でも、先を考えちまうんだ。俺が辛いからってここで逃げたら、俺がその人達を殺しちまうんだから』

 

()()()()()()()()()()()があるのなら、後の言い訳は通じない。

 

諦めるか、ミスして果たせないか。どちらにせよ失敗した結果から人が()()のであれば―――()()のは、そいつ以外の誰でもない。

 

武から出たその言葉に、壬姫は悲鳴を上げそうになった。現在進行系で自分を蝕む重圧の正体に、震え上がる程に恐怖したからだ。

 

(そう……一万人を助けられなければ、一万人を殺すことになる)

 

自意識過剰だとも思うが、実際に直面すればそうとしか思えなくなる。考えるな、と言われる程に意識してしまう。どこまでも優しい壬姫はそれを理解した途端、どうしようもない絶望感を見出してしまい。

 

涙が溢れるその前に、声は鳴り響いた。

 

『でも、そんなんいつまでも考えてたら嫌だからさ。こう、逆に考えるようにした』

 

直後に出てきたのは、場違いに明るい言葉だった。

 

『俺にしか出来ない。そんな状況で役割を果たせたんなら―――他でもない俺が、そいつを助けたって、胸を張れるよな』

 

武の言葉に、壬姫は弾かれたように顔を上げた。その様子も知らず、武は更に問いかけた。

 

『一万人を、B分隊を、A-01を。親父さんを助けられるのは、お前を置いて他にはいないんだよ、たま』

 

その声に、壬姫は。

 

『たまが衛士になった理由はなんだ? 義務感か、出世欲か? ……それとも、また別の目的があったからか?』

 

前の二つのためになんて、欠片も思っていない声。

 

その声に、壬姫は答えられずにいなかった。

 

「みんなに、幸せになって欲しいから……BETAのせいで不幸になっている人達を、助けたいの」

 

1人の人間にとっては、大それた夢。だけど、壬姫は間違っていないと思えた。大げさな事でもないと確信できていた。

 

セントポーリアの花言葉のように、小さくても関係がない、誰かを想う心があるのなら、誰かを助けたいと思うのは当たり前のことなのだと。

 

そんな壬姫の想いを、声は120%同意する、という風な声で応えた。

 

『なら、いいチャンスだ。手始めにこの基地の一万人を助けようぜ、たま』

 

やってやろうぜ、という声からは信頼以外の何も感じられない。それを聞いた壬姫は、ゆっくりと操縦桿を握りしめた。

 

バイタルデータが、という別の方向から入ってくる声は聞かず。ただ、深くを吸って、吐いてを繰り返した。

 

『あと、謝らなきゃいけない事があるんだ。たまの親父さんだけどな……ずっと前から、日本のために動いていたんだよ。だって、そうだろ?』

 

眩しいものを思わせる声で、声は告げた。

 

『これは事故じゃない。狙いはこの基地と、国連の使節団だ。そして―――下手人は米国と、一部の国連だ』

 

機密なんだけどな、と何でもない風な声で。

 

『この基地は日本主導だけど、日本だけじゃない、この星そのものを助けるために動いている。それに協力して、日本との繋がりを大事にしている親父さんの言葉は聞いたよな? それを邪魔に思っているから、こういう事をする』

 

大切な娘を辛い立場に置こうとも、成すべきことのために。それを聞いた壬姫の、操縦桿を握る力が強くなった。

 

『だけどそいつらにとって誤算だったのは、たまの存在だ。その砲の存在は、知っている奴なら知っている』

 

それを聞いた壬姫は、嘘だとは思わなかった。元は民間人である純夏でさえ知っていた、という情報が裏付けているようで。

 

 

『……でも、あいつらこっちを舐めてんだ。あの2機の存在は、そういう事だ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「たまの狙撃の腕を、あいつらは侮ってるんだよ」

 

武は怒りと共に、告げた。後ろ手に、B分隊と樹と、先程やってきたサーシャに向けて「OKだ」という手信号を出しながら。

 

「たかが極東で一番、その程度の技量で狙撃を成功させられる筈がない、ってな。誰とは言わないけど、こんな無茶な企みを押し通してきたのがその証拠だ」

 

嘘の怒りではない。心の底から湧いて出る、煮えたぎる思いのままに告げた。

 

「あいつ程度なら、基地ごと潰せるぜ、ってな――世界最高のスナイパーなら、こんな時にどう応える?」

 

『……世界最高、ですか?』

 

「極東最強で世界最強な存在ならここに居るぜ。そんな俺が保証する。たまは、世界で最高の狙撃手だってな!」

 

その言葉に、誇らしいと思える気持ちに一切の曇りなく。その声には、小さな笑い声が返ってきた。

 

『でも、土壇場でプレッシャーに押し潰されそうになるような私ですよ?』

 

「万事オッケー。失敗しない人間は居ない。だから問題は、その後だ。今こうして、たまは立ち上がった。なら何の落ち度もない。むしろこの短時間でよくぞ、と称賛されるべきだと思うぞ」

 

失敗し、肥溜めの底に落とされたと感じる人間は多く。大切なのは、そこから這い上がる意志なのだと、武は告げた。

 

その言葉に、続く声があった。

 

「……ごめんなさい。そして、ありがとう壬姫」

 

『千鶴、さん?』

 

「苦しんでない、って勘違いしてた……未熟だなんて、済ませられないけど」

 

『慧さん……そんな事は』

 

「壬姫さんの内心を察せなかったのに仲間だなんて、笑えるよね……でも、みんな壬姫さんのことを信じてるんだ」

 

『美琴さん……みんな、屋上に?』

 

「当たり前だ、仲間なのだからな……何の力にもなれない我が身が情けないが」

 

『……違うよ、冥夜さん』

 

「でも、問題ないよね! だって、壬姫ちゃんの腕は世界一なんだし!」

 

『純夏さんは、変わらないね』

 

「だが、言ってる事は正しい。狙撃が成功するのは、間違いない」

 

『……紫藤教官』

 

「それに、珠瀬壬姫なら信じられる。奇跡のような狙撃を、何度も見せてくれた」

 

『クズネツォワ教官まで……』

 

通信の先からは、鼻をすするような音。

 

間もなくして、完全に変わった質で、声は告げた。

 

『情けない私が……立ち上がれたのはみんなのお陰だよ。でも、世界一だなんて、全然思えないけど』

 

関係がないと、壬姫は強い声で宣言した。

 

 

『この時、この場所で世界一になるよ。みんなを……横浜基地に居る人達全てを助けられるような、私が信じる最高の狙撃手の仕事を、見ていて下さい』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「副司令……すみません、迷惑をかけてしまって」

 

『……落ち着いたようね。もう一度確認するけど、装弾は5発。でも3発以上になると、砲身が保つかどうかは賭けになる』

 

「はい」

 

『時間的にも3発が限度。弾道の確認に使えるのは、1発だけ』

 

「問題ありません」

 

『……いい返事ね。お父様も、隣でご覧になっているわ……いいとこ見せなさいよ、世界一の狙撃手さん』

 

「え……あ、はい、必ず!」

 

聞かれていたのか、と思った壬姫は恥ずかしさに少しだけ頬を赤く染め。武と交わした言葉も聞かれていた事も察し、頬が林檎のようになった。

 

だが、動揺したのは一瞬のこと。すぐさま衛士の顔に戻った壬姫は、小さな呼吸と共に操縦桿の感触を確かめた。

 

鼻を襲う刺激臭も無視して、全身を狙撃に集中させた。

 

(……情けない私。これも私。でも、みんなに信じられてるのも、わたしだから)

 

全てを認めた壬姫は、全身に力が漲っていくのを感じた。それは、心から。心は思いから、思いは己が知る大切な人達から。

 

(もう迷わないなんて、無理だけど……せめて、この瞬間は)

 

それを積み重ねて、期待されているような頂にまで。自分と同じ恐怖を抱いている人はそうしているのだと、壬姫は思えるようになっていた。そうして壬姫は全身の震えが完全に止まった事を確認し。冷静に、通信から入ってくるオペレーターの声を聞いた。

 

『――目標、電離層突破まで60秒』

 

「了解……初弾、装填」

 

情報に従い、準備を済ませた。照準を合わせ、装填確認の連絡が入ってきた後、小さく呼吸を整えた。

 

『トリガータイミング、同調』

 

オペレーターが、発射のタイミングを告げるカウントダウンが始めた。

 

壬姫は5が数えられた時点で、操縦桿を柔らかく持ち。0のタイミングに合わせ、レバーを押した。

 

水平線砲から、発射の衝撃が伝わる。オペレータが目標の着弾までのカウントダウンを開始し、壬姫はその行方をじっと見定めながら、次弾を装填した。

 

間もなくして、目標健在と加速開始の連絡が入った。壬姫はその情報を咀嚼した上で、考えた。

 

(怯むな、胸を張れ私。託されたんなら―――それを誇るんだ)

 

頼られた事に怯えるのではなく、頼られた自分を、決断した仲間を信じろ。壬姫はそう考えると、笑みさえ浮かべながらデータを確認した。

 

 

「照準補正完了……弾道データ、修正完了」

 

 

間もなく第二迎撃ポイント、というオペレーターの声。

 

壬姫はその情報を冷静に受け止めつつ、迷いの無い声で宣告した。

 

 

「―――当てます」

 

 

確信に満ちた声は、まるでそうなる事が確定しているかのような口調で。

 

 

―――続けて放たれた弾丸が空に二輪、炎色をした鮮やかな花火を咲き誇らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――目標撃墜! レーダーに反応なし!」

 

オペレーターのピアティフが告げる。夕呼はその連絡と通信の向こうから聞こえる安堵の息を聞いても、油断することなく被害情報を確認させた。

 

「……破片の99%は日本海に、一部は佐渡ヶ島に落下したようです」

 

「そう……無いとは思うけど、帝国軍に被害は?」

 

確認した結果、作戦が展開する前なので、被害がゼロという報告が。それを聞いてようやく、夕呼は防衛基準体制を解くことを命令した。

 

それは、状況終了を示すもので。間もなくして、夕呼の背後に居た玄丞斎が見事です、と感嘆の声をかけた。

 

「流石は世界を主導する計画の一端を担う、横浜基地……装備に人材に、素晴らしい危機対処能力です」

 

隠し玉も凄まじいと、玄丞斎が告げ。夕呼は含みのない笑顔のまま、答えた。

 

「人類の未来を救うために集まったのです。ただ、次官のお嬢様が居なければこの結果を得ることは叶わなかったでしょうが」

 

「素質を見事に磨き上げてくれた、この基地の訓練の賜物でしょう。育ててくれた教官には、感謝を……白銀武に関しても、疑念の全てが晴れた訳ではありませんが」

 

感謝を、と玄丞斎は告げた。嘘を嘘と見抜く事が得意な玄丞斎をして、娘にかけられた言葉に虚飾や悪辣が含まれているとは到底思えなかったからだ。

 

「恥ずかしい所をお見せしましたね。俺の代わりがいないと――“俺でなくては世界を救えない”と主張する様は、傲慢に思われたかもしれませんが」

 

「いえいえ。むしろ豪語する声には、頼もしささえ感じましたよ。若者にありがちな虚栄心……と思えなかったのは、古巣の経験が活きているからでしょう。確か………“我こそは最後”でしたか。かの中隊の訓示は」

 

此度は有意義な視察になりました、と何かを含ませた口調で玄丞斎が言う。熱心ですのね、と夕呼がその追求を躱した。それを見た玄丞斎は悩む素振りを見せながらも、夕呼に正面から向き直ると、告げた。

 

「……副司令。これだけは誤解なきよう。我が子を危地に差出した上で無心でいられるほど、人である事を止めた訳ではありません」

 

「……人の定義付に対し、解釈の違いがあるようですね」

 

夕呼にとって人とは矛盾の巣窟だった。人であるからこそ助けるが、人であるからこそ傷つける。だけど、と夕呼は告げた。

 

「親が子を思う心だけは、信じましょう」

 

「ほう……香月博士に子供が居たとは、初耳ですな」

 

「私には居ません。ですが、何かと教え子に熱心になる者達を目にする機会が多いので」

 

軽い会話を交わした後、一転するように玄丞斎が重い口調で告げた。

 

「今回の事件……事故とは済ませられないでしょう。裏にある複雑な背景に、博士は心当たりが?」

 

「あるとしても、口には出さないでしょう。そちらと同じように」

 

下手人に関しては、ほぼ確信を持っているが、明言すると決定的な対立は避けられなくなる。そう考えての夕呼の言葉に、玄丞斎はそうですね、と小さなため息と共に頷いた。

 

「ただ、一つだけ……そうですな。情報を提供する代わりに、是非お願いしたい事が」

 

 

そうして告げられた内容に夕呼は驚き、玄丞斎の顔を見た後、無言で頷きを返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕陽が焼ける、茜色の空。その光を余すこと無く受け取れる、空が広い滑走路の下で、迎えのHSSTに乗り込む玄丞斎と、見送りの人員が集まっていた。

 

「……まるで何事もなかったかのように。静かで、綺麗な空だな」

 

「そうですね。どの場所で見ても、同じように……といった前置きはさておいて、確認したいことがあるんですが」

 

武は二人で話がしたい、と告げた玄丞斎に従うよう命令され、少し離れた場所に居た。何を言われるのか、と戦々恐々としている武に、玄丞斎は僅かな微笑みを見せた。

 

「焦る所は、やはり若いな……心配をせずとも、君の素性を追求するつもりはない。色々と見聞きさせてもらったからな」

 

図らずとも有意義な視察だった、と玄丞斎が笑い。対する武は、色々と語ってしまった自分を思い出し、悶絶しそうになった。

 

一息、小さなため息が二人の間に交わされた。

 

「……たまは、いい仲間を持った。それを見せてくれたのは他ならぬ君だ」

 

感謝を、と言う玄丞斎に対し、武は苦笑を返した。

 

「俺は発破をかけただけです。立ち上がったのはたまの力ですよ。それに、たまを今まで支えてきた、B分隊の仲間の姿があってこそです」

 

「……扇動者染みた言動があったのに、かね? いや、勘違いしないでくれたまえ。良い意味で言っているのだ」

 

「それは、どういった事でしょうか……?」

 

「言葉だけで一万人を救う助けとなった。偽りのない真意があってこそだ」

 

その意気を見込んでお願いしたいことがある、と玄丞斎は武の肩を叩いた。

 

「……人として、娘の信頼を裏切るような真似は、しないでくれ」

 

「当たり前です。世界一の狙撃手として……優しい女の子として、裏切るような理由はありませんから」

 

「……そうか」

 

玄丞斎は武の言葉に、満面の笑みを向け。そのまま強く肩を叩くと、大声で礼を言った。

 

「では、これからも“娘の事をよろしく”頼むぞ!」

 

「はい」

 

「……声が小さいのではないか?」

 

「―――はい!」

 

武は敬礼と共に、大きな声で答え。

 

直後、背後から殺気を感じたため、慌てて振り返った。

 

そこには爆発したかように頬を赤く染めた壬姫と、炯々と眼光をギラつかせる6人の女性の姿と、その迫力に呑まれて動けなくなっている樹の姿があった。

 

武は一体何が、と一歩後ずさり。玄丞斎は満足そうに頷くと、機体へ搭乗する入り口に歩いていった。

 

「ちょっ、事務次官!?」

 

「……意趣返し、といった所かな。惚気に対しての」

 

「え、惚気って何時そんなのやって……」

 

武の様子に、玄丞斎は小さくため息を一つ。そして視線を壬姫達の方に向けると、告げた。

 

「これからも色々な苦難があるだろうが……諸君ならば、と思わせてくれた視察だった。礼を言おう」

 

それは事務次官としての言葉だった。樹が敬礼の号をかけ、全員が機敏に応えた。

 

「―――それでは。諸君の一層の活躍に、期待する」

 

そう告げた玄丞斎は、敬礼をする壬姫と視線を交わし。互いに小さく笑みを交わした後、HSSTに乗り込んでいった。

 

それを見送った後、ぽつりと呟く声があった。

 

「父娘の間に多くの言葉は要らない、か……少し、羨ましいかもしれないわね」

 

「……業腹だけど、同感」

 

千鶴と慧が零し、美琴は無言のまま小さく頷いた。サーシャはラーマを、樹も実家の方ではなくラーマを思い出し。純夏はそういえば元気かな、と夏彦の事を思い。冥夜は静かに目を閉じ、武は激務に殺されそうになってそうな影行の冥福を祈った。

 

誰ともなく、空を見上げた。遠ざかっていくHSSTは、既に豆粒程度の大きさになっていた。あれを撃ち抜いたんだな、と武は呟くが、壬姫は笑って答えた。

 

「うん……でも、簡単だったよ」

 

「え……それは、何と比較して?」

 

「タケルさんを撃ち落とすの比べれば、ちっとも難しくなかった。だって、HSSTは蝿のように弾を避けないもん」

 

「……回避しないと言えば確かにそうだけど。でも蝿っていう例えは酷くないか?」

 

いくらなんでも蝿て、とショックを受ける武の姿に、全員が笑いながらも頷いていた。壬姫も同じく笑っていたが、ごめん、と謝りながらも別のものを探した。

 

そして、空の上を。ぽつ、ぽつと浮かぶ小さな星を指して言った。

 

「じゃあ、星だね。どこでも見える、北極星ぐらいの難易度かな」

 

「……それならまあ、納得かな」

 

親指を立てる武と、少し驚きを見せたサーシャと樹と、どこまでも精進しようと目指す壬姫に戦慄する他の者達と。

 

三者に分かれ三様の反応を見せた8人は、しばらく空を見上げた後、その足を動かし始めた。

 

「―――よし。それじゃあ、基地に戻ろうか」

 

暗くなってきたしな、爽やかな笑顔で武が言う。対する壬姫以外の女性陣も、爽やかに―――表面だけの笑みを貼り付けたまま、告げた。

 

「それじゃあ、集合ね」

 

「え……?」

 

「事務次官と何を話していたか、聞かせてもらおうか」

 

「何って……?」

 

武は質問に対して首を傾げるように見せて―――不意をついて、本能に従って逃げるための第一歩を踏み出した。

 

だが、その先には慧の姿が。動揺して止まった武に、10にも昇る人の手が組み付いた。

 

「ちょっ……?!」

 

「……自分ひとりじゃ無理でも、連携すれば出来ることがある。教わった通りのことをしただけ」

 

防げないとはまだまだ未熟ですよ、と慧が呟き。12に増えた手が、間髪入れずに武の身体を生贄の豚のように抱え上げた。

 

「げ、速っ……いや、そうだみんな! 同じ人間どうし、話せば分かる!」

 

「……もう離さない」

 

「そうじゃなくてだな!」

 

いくらグルカの心得がある武でも、この状況では反撃の芽さえ見いだせなかった。焦った武は矛先を別に向けるべきだと、悪魔染みた奸計を思い浮かべた。

 

「そ、そうだ! 俺なんかよりも、たまの手紙の件とか追求するべきだろ!」

 

「手紙って……それって、どういう内容なのかしら?」

 

「そ、それは……委員長は親父さんに似て硬すぎるとか、彩峰は焼きそばパンの亡者というか餓狼とか、何とは言わないがたまより平坦な誰かさんとか、しいたけと松茸を素で間違うバカとか、シスコン過ぎる誰かとか、無表情で教え子を叱るSな教官Aとか、カツラ付ければどう見ても女だろ、な教官Bとか!」

 

必死な言葉による機関銃。最初に答えたのは、首を傾げた壬姫だった。

 

「えっと……私、そんな酷いことなんて書いてないよ? そもそも、訓練中は手紙を出すような余裕もなかったし」

 

「え……マジで?」

 

「マジが何かは分からないけど、嘘はついていないです」

 

壬姫の素直な返答。それを聞いた武は、自分が致命的な失策を犯した事を悟った。心なしか自分を掴む手の力が強くなるどころか、増えたような気がした。

 

そして下からは「場所と道具の用意は任せて」「柔らかくなるまで叩こうかしら」「今こそ真・STA(スペース・トルネード・アヤミネ)解禁の時」「シスコンとはどういう意味なのだ」「それは置いて大陸で受けた屈辱を晴らす機会」「平になるまでアレを均すべきだよね」「両腕を使っての新技お披露目のチャンスだね」という言葉の数々が、途轍もない殺気と共に交わされていた。

 

武は冷や汗を流しながら、蜘蛛の糸に縋るような声で助けを呼んだ。

 

「えっと……たまさん?」

 

「ごめんなさい、タケルさん。でも二次遭難の危険は回避すべきだと教わったから」

 

「そういやそうだったかもぉ!?」

 

 

一歩後退しながら、敬礼と共に放たれた壬姫の言葉。それを聞いた武に、諦める以外の何もすることはできなかった。

 

 

掲げ上げられた武の眼前に広がる空の中で、一つの星が流れていった。

 

 

 

 

 




あとがき

これが歴史の復元能力……!
しっかし、この主人公とその周辺、いっつも世界の危機に見舞われてるような。


………横浜基地及びその関係者は、WCOPの勲章を与えられました(ピコーン

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。