Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
小さい時から、ずっと一緒だった。私の隣には、私のオシメがまだとれていない頃から、いつもタケルちゃんが居た。もちろん、覚えているわけない。物心がついた時って人はいうけど、それが何時なのかなんて私には分からない。だけど私が持つ一番古い記憶は、タケルちゃんが私をからかっている時の顔だった。あとは、胸を張りながら変な自慢顔をしている顔とか。
その後も、色々なタケルちゃんの顔を見てきた。もしかしてお父さんやお母さんよりもずっと一緒に暮らしていたかもしれない。遊ぶ時はいつも一緒で、学校が始まってもずっと一緒で、家に帰っても一人で部屋に居るタケルちゃんの所に遊びに行ったりして。幼馴染だったけど、家族でもあったんだ。住んでいる家も近く、というよりもすぐ隣だったし、なんていうか同じ家の一部として見ていたような。私の部屋の窓からは、タケルちゃんの部屋が見えたこともある。何かあれば窓を開けて手を伸ばして叩いて、それだけで届いた。
影行おじさんは光菱重工の技術者で、仕事が忙しく家をよく空けていた。そのおじさんが、タケルちゃんの事を、お父さんとお母さんに頼み込んでいた所を見たことがある。理由は分からなかったけど、すごく申し訳なさそうにしていたのが印象的だった。
"タケルちゃんの事だから、別にそんな顔をしなくてもいいのに"。おじさんの顔を見ながら、自分がそう考えていたのは覚えている。お父さんもお母さんも同じような事を考えていたのか、任せて下さいとむしろ嬉しそうな顔で頷いていた。幼稚園、小学校に入ってからもずっと一緒だった。私は、私よりも少し大きいタケルちゃんの背中をいつも追いかけていた。
「ほらーすみか、もたもたすんなって」
タケルちゃんは足が速かった。切っ掛けは、授業参観で誰も来なかったのを馬鹿にされた時のことだと思う。その馬鹿にした男の子はクラスでも一番に足が速くて、だからタケルちゃんは負けたくなかったのだ。放課後に必死になって走って、ついには男の子に勝ってしまった。その時のタケルちゃんは格好良かったけど、わたしもおいつけなくなってしまったのは困った。困って泣いて、次の週からはわたしを見ながら少しスピードを落してくれたけど。
「すみか。えっと、これが松茸っていうんだぜ?」
あとで聞いたけど、実は椎茸だったらしい。お弁当に松茸が入っていると自慢した所、クラスの女の子にすごく馬鹿にされたのを覚えている。騙されたのを知ったわたしは怒ったけど、タケルちゃんは屁理屈ばっかり。当時テレビでやってたオグラグッディメンっていうアニメの必殺技を真似て、右のパンチをお腹に当ててやった。
あの時にドリルミルキィパンチは誕生したのだ。そして今は更に上位の技を練習している。
「あーばか。そこの英文はそうじゃないって」
頭も良かった。特に英語の成績はクラスでも一番だった。影行おじさんに英語は将来必要な、重要なものだぞと言われたからだと思う。それから必死に、真面目に取り組んでた。仕事のせいで顔をあわせる回数が少ないおじさんに、満点が書かれている英語のテスト用紙を自慢気に見せていた。頭を乱暴に撫でられてるタケルちゃんは、照れくさそうにしながらも、嬉しそうにしていた。顔赤くしてたねーってからかうと、割りと本気っぽくチョップされた。痛くて、怒って、後は喧嘩になって………勝負はわたしの勝ちで終わった。
「だからこれは脱皮したんだって!」
わたしがアンモナイトの化石を壊しちゃった時のことだった。ちょうどタケルちゃんはその時に隣にいて。泣いて動揺するわたしに、慌てながらもいいアイデアがあるって、だけど生きたカタツムリを持ってきた時にはどうしようかって思った。駆けつけてきた怖いことで知られる先生に、タケルちゃんはアンモナイト脱皮説を熱く説いた。こう、なんていうか身振り手振りを混じえての熱弁に先生は思わずと納得しかかっていた。だけどそんなことあるかって、最後にはタケルちゃんが拳骨をうけて。いつの間にかタケルちゃんがやったってことになってた。帰り道にどうしてあんな事言ったのか、かばってくれたのかって聞いたら、「親父との喧嘩で拳骨には慣れてるからな」って。あとは、純夏の右があの先生の腹に突き刺さるのはまずいとか、からかってきた。
いつも一緒だった。起きている時はいつも。
――――だから、分かってた。
タケルちゃんが寂しがっていたってこと。おじさんはほとんど家に帰ってこなくて、おかあさんが居ないことに悩んでたことも。だけど、それを認めたくなかったんだと思う。いつも強がって、自分は大丈夫だって風にしていた。
おじさんおばさんの事で馬鹿にされたらすごくムキになってた。その度に馬鹿にされないように、頑張って。クラスの女の子達にもきゃーきゃー言われてたけど、タケルちゃんは気づかなかったみたい。だけど、年上の女の人、先生や私のお母さんには弱かったように見えた。男の先生の言うことは聞かないのに、女の先生の言うことは聞いてたりして。
たまに美人の先生にでれでれしているのにムカッとして、つい抓ったりしてしまった時もあったけど。あと、私のお父さんも他の男の人とは違って、特別みたいだった。お父さんも、『娘もいいけど息子も欲しかったな』と言っていて。休日には、よくキャッチボールをしていた。お母さんにも、本当にたまにだけど甘えていたように思う。
たまにタケルちゃんが私のお母さんのこと『母さん』『母さん』なんて言ってしまったりして。顔を赤くしたタケルちゃんは、なんて言うか可愛かった。あらあらと、嬉しそうな顔をしたお母さんが、タケルちゃんを抱きしめて頭を撫でてしまうぐらいに。
その日はタケルちゃんの好きなお母さん特製のカレーだった。昔はお好み焼きとか餃子とかたこ焼きとか好きだったみたいだけど、合成食料が増えてからはあまり好きじゃなくなったみたい。タケルちゃん、目を輝かせて、何杯もおかわりしてた。
その時も、母さんって、思わず零してしまっていたようで。
………思い返せば、そういう言動は何回もあった。お母さんの事を知らない。おじさんが居ない。それが寂しいって、ことを示すサイン。お父さんとお母さんに、おじさんと顔も知らないおばさんの事を重ねていたように思う。
サンタクロースの話をしていた時の事も。サンタクロースは居るって言う私に、タケルちゃんはそんなの居るもんかって。俺の所にはこないって、怒ってた。
言い合いをして、喧嘩になって、「タケルちゃんは悪い子にしてるから来ないんだよ」って言ったら、タケルちゃんは更に怒って私の大切にしていたウサギのぬいぐるみを壊して、外に出て行った。私は泣きながら、少し離れた所にある帝国軍の基地があるっていう場所の裏庭の山に忍び込んで、その丘の上でずっとサンタクロースを待ってた。
あの日は寒くて、日が完全に落ちてからは雪が降ってきて。鼻水まで出てきて、でも鼻紙なんて持ってなくて。鼻をすすりながら、でも我慢して。でも月は雲で隠されてしまって、あたりはどんどんと暗くなって。
心細かった。怖かった。何が怖かったのか、分からなかったけど、身体は寒さと怖さに震えていた。
ついには我慢も限界を越えて、声を上げながら泣いてしまった時だった。
「すみか!」
声がした。振り返ったら、肩で息をしているタケルちゃんが居た。ぜーはーと、俯きながら白い息を吐いていた。鼻には寒いのに、汗が浮かんでいた。そのままタケルちゃんは顔を上げないまま、私の方に手を伸ばしてきた。
「サンタ………ウサギ………?」
「ん」
手のひらの上に乗っていたのは、サンタクロースの衣装が着せられた小さいウサギのぬいぐるみ。名前をサンタウサギっていうらしい。私はサンタウサギを手にとって、たけるちゃんと交互に見た。
「サンタクロースはいたか?」
「え………えっと、ううん。来なかったよ」
「あー………き、きっとすみかの家に居るんじゃないか。ほら、プレゼントはいつも家に届くしよ」
「サンタさん家に来てるの?」
「そうなんじゃないかって。だから、ほら」
タケルちゃんはそう言いながら、手をこっちに出してきた。
「家に帰るぞ。おばさんも、おじさんも待ってる」
目を逸らして、タケルちゃんはちょっとばつがわるそうに言った。
「うん………でも、あの」
「なんだよ」
「これ、タケルちゃんが作ってくれたの?」
「い、一応な。ほら、帰るって!」
ほっぺたが赤くなっているのは、走ってきたからだけじゃないって、私にも分かった。そんなタケルちゃんは、いつもどおり素直じゃなかったけど。
「ありがとう!」
プレゼントと、そして来てくれてありがとう。そう言って私はタケルちゃんの手に自分の手を重ねた。すると、タケルちゃんはいつもの顔に戻って。おう、と言いながらいつものように手を引っ張ってくれた。その後はお父さんとお母さんに怒られた。あと、お母さんは何か言おうとしていたタケルちゃんに向けて、人差し指を唇に当てていた。
あの時からだったと思う。タケルちゃんを、意識するようになったのは。まるでアニメのヒーローのように、辛い時にはいつも来てくれるタケルちゃん。調子にのって拳骨を受けたり。
いきなりとんでもないことをしたり。それでも優しいタケルちゃんが好きだって思った。だからわたしは、このままずっと一緒だったらって思ってた。タケルちゃんのおばさんが、タケルちゃんはお母さんがいなくて寂しいけれど、私がいるからって。
私も、お母さんも、お父さんも。ずっとこれからも一緒に居るって、言おうって思ってた。
これまでのように。来年も、これからも、ずっと。
………だから神様って人はいじわるだと思う。そう決めた次の日に、おじさんの転勤が決まったんだから。場所は、インドって国。それまでの私達は、世界を騒がせているBETAというものについてあまりよく知らなかった。知ったのは給食とか、家の食べ物のことから。あとは、同じクラスの子の父親や親戚やお兄さんが亡くなったって話。先生の厳しさや、授業の内容。いつかBETAが日本に来るかもしれん、だから日常でも気を引き締めろと先生は言っていた。
空気も、何となく違っていたように思う。何と比べてって言われると困るけど、だけど何か違ったものを感じていた。あとは、食料が天然のものから合成のものへと変わったことかな。直接的なものは何もなく、色々な所にBETAというものの影が見える場所はあったんだ。
それが急に身近なものになってしまった。お父さんもお母さんも、おじさんを止めていたみたい。死ににいくようなものだって、必死になって。タケルちゃんも止めていた。置いていくのかって。だけどおじさんは行くと言った。絶対に無事に戻ってくるって、タケルちゃんと約束して。
だけどタケルちゃんは必死になって止めた。私も同じだった。嫌な予感がする、というのはあのことをいうんだって思う。それでも、おじさんは聞かなかった。タケルちゃんも、最後まで納得しなかった。横浜の港の海と空が痛いように青かったのは覚えている。タケルちゃんは、船が見えなくなっても、ずっと俯いたままだった。
そこから、何もかもおかしくなっていったと思う。おじさんが旅立って、しばらくして私が風邪で寝込んでいた日のことだった。タケルちゃんが怪我をして帰ってきたのだ。膝をすりむいた跡と、肘を痛めていた。お母さんが喧嘩でもしたのかって聞くと、タケルちゃんはどもりながらもうんって答えてた。その次の日の朝、私はタケルちゃんの声で目覚めた。
聞いたことのない、聞くだけで泣きそうになるぐらい、悲しくて怖い叫び声。聞けば、嫌な夢を見たんだって言って。その次の日も、次の日も。数日期間が空くことはあるけど、タケルちゃんの嫌な夢は消えなかった。お医者さんにいっても、父親が単身赴任に出ているから、それが原因で心労が重なっているのだろうと。そんな事ばかりだった。
そして、小学校の運動会が終わった後のことだった。
「オレ、親父の所へ行く。行き方も分かったんだ。一緒に連れて行ってくれるって人も」
最初は何を言っているのか分からなかった。
理解した途端に、お父さんとお母さんは猛反対していた。
私はまだ事情を飲み込めていなかった。だって分からないので。タケルちゃんはここに居て。いつも居るのに、居なくなるという。おとうさんがしににいくようなものだって言ってた、BETAとのせんそうが起きている場所へ行くって。
私は泣いた。泣いて、止めた。止めないと、タケルちゃんが死んでしまうから。
「ダメ! 絶対ダメだからね!」
「行くったら行くんだ。純夏、止めても無駄だぜ」
「ダメ! やめてよ! そんなに危ない所にタケルちゃんが行かなくてもいいじゃない! おじさんだって絶対帰ってくるって、タケルちゃんも約束してたのに!」
「俺は納得してない。だから約束は無効だ」
「でも………無茶だよ!」
「そんな無茶な中に親父は居るんだ、だったら行くしかないだろ!」
大声で、夜中まで喧嘩してた。近所迷惑だって、向かいの人が怒鳴りこんでくるまで。お母さんも止めてた。だけど、タケルちゃんは、お母さんの言うことだけはよく聞くタケルちゃんは首を横に振るだけだった。その日の夜、お母さんが居間で泣いていたのを覚えてる。
それからも、タケルちゃんが旅立つその日までずっと私は止め続けた。おじさんと同じ、ううんもっと大きな、嫌な予感が止まらなかったから。それに、気になっていることがあった。悪い夢を見るようになった頃からだろうか。タケルちゃんの仕草とか、喋り方とかが少しづつだけど変わっているように思えたのだ。お医者さんは一過性のものだとかなんとか言ってたけど、私にはそうは思えなかった。それに、少し背も大きくなっているように見えた。実際、タケルちゃんの背は夢を見始めてから伸び始めていたように思う。
だけど、そんな不安を他所に、ついにその時は来てしまった。
「純夏………泣くなって。手紙だって送るし、何もこれが最後の別れってこともないんだから」
「だって………だって!」
私は、それ以上何も言えなかった。悲しい感情が胸いっぱいになってしまって、出てくるのはしゃっくりだけだったのだ。涙と一緒に、鼻水まで出てしまって。タケルちゃんは困ったようにしながら、ぽりぽりと頭をかいていたけれど。
最後は、私の頭を撫でて、言うんだ。
「大丈夫だって。俺は絶対に帰ってくるって。あ、そうだその時は盛大なパーティーの用意をしててくれ!」
「っ、………ぱー、てぃー?」
「そうそう。ほら、おばさんのカレーとか、去年に横浜で食べたラーメンとか」
あー今から楽しみだな、ってタケルちゃんが大げさに喜ぶ。
「………だから、さ」
約束だって、タケルちゃんは小指を出した。
「指きりげんまん。嘘ついたら冗談抜きに針千本だ。純夏もだぞ?」
「わたし、も?」
「当たり前だろ。俺は美味しいカレーが食べたいんだからな。それに俺の帰国パーティーなら、純夏も手伝わなきゃ。んー、それとも純夏くんには荷が重いのかな?」
「わ、わたしだって出来るもん! その気になったら、タケルちゃんの顎でも溶かせるカレー、作れるもん!」
「いや、顎を溶かされるのはちょっと………でもいいや。じゃあ、ほら」
そういって、差し出された小指。私は嫌だけど。本当に、嫌な予感が一杯で、納得はしたくなかったけど――――小指をからませた。
「よっし。じゃあ………行くわ」
「タケルちゃん!」
「おじさん、おばさんも今までありがとう………ってのはおかしいか」
タケルちゃんは、照れたようにほっぺたをかきながら。
「俺、戻って来るから。だから………ちょっと、行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい。私も、純夏と一緒にごちそうを用意して待ってるからね」
「俺もだ! あと、昨日に渡した旅の心得は忘れるなよ! それに、影行の奴に一発ガツンとかましてやれ!」
「はい!」
タケルちゃんの、周囲の人と比べれば一段と小さく見える身体が船の中に消えていく。だけど、私はずっと視線を外さなかった。船が出発して。
甲板の上から手を振るタケルちゃんに、手を振り返して。
海の上を滑るように進んでいく船が、海と空の向こう側に消えた後も、ずっと。
--------------------------------------------------------------------------
「それが、5年前までの話?」
「はい、そうです………
落ち込む赤色の髪を持つ少女を見ながら、お茶をすする。そして考えた。鑑純夏という、巌谷中佐から頼まれ我が家で預っているこの少女のことを。
(白銀影行………耳にした事がある名前です)
夫が主査を務めていた瑞鶴の開発チームの中に、そういった名前を持つ人間が居たような記憶がある。そして、この少女の事が朧気ながらに見えてきたこともあった。鑑純夏さんが横浜からここ京都に来たそもそもの発端の事を思い出す。なんでも、横浜の鑑の家に手紙が届いたのだという。それは消印も何もない怪しい手紙で。
だけど、白銀影行の息子である白銀武という少年からの手紙が。待ちに待っていた一家はそれを開けてしまう。そこに書かれていた内容は、一つ。
白銀武はミャンマーで死亡したという、最悪の結末を知らせるものだった。
(まず、あり得ないでしょうが)
死亡通知というものは、そんなにいい加減に扱われるものではない。その上で、家が隣だからという理由だけで血縁も何もない鑑家にそのような手紙が届く理由がない。そういったあたりの事情は彼女の両親の方も考えられたようで、すぐに嘘か悪戯だと断定したようだ。
だけど折しも、その時はマンダレー・ハイヴの攻略に成功したという、世界を轟かせるに足るニュースが世間を駆け巡っていた頃である。偉大な功績、しかし犠牲者の数も多いと報道された。
鑑家の中には、もしかして何らかのトラブルに巻き込まれたか、いやいやに現地で徴兵された挙句、戦いに駆り出されて戦死した、という疑念が生まれたかもしれない。
(特に、この純夏さんは衝撃を受けたよう………無理もない話です)
彼女の立場になって考えれば、理解できる話だと思える。実際に、彼女の境遇には私自身思う所が多くあった。武家と一般人という異なりはあるでしょう。ですが、一人の男児を待ち続ける女というもの。傍にはおらず、そして見送った男性の往く場所や立場といった異なりはあれど、異口同音のようなもので似たような部分がある。特に料理の話に関しては、私も意気投合してしまった。その時に感じたことも、手に取るように分かる。
料理をする、とはいっても外で自身を削りながら働いている夫と比べれば小さきこと。上達する事は嬉しいけれど、だけど私にはこんな事しかできない、という想いが上手くなる度に襲ってくる。
夫のように戦術機を開発し、BETAという人類の大敵と戦う者達の助けになることはできない。
この篁の家を守ること、夫が帰る家を守る自分の役割が大事であるとは、頭では理解できている。
だけど頭ではない所で沸き上がってくる感情は、理屈だけでねじ伏せられるものではなく。
(だけどかかってくる電話や、月の変わり目には必ず届く手紙に一喜一憂してしまったりして)
まるで年端の行かない少女のようだと自己嫌悪してしまうのだが、こればかりはどうしようもない。表に出さないように、感情を制御することは当然ながらに出来る。それは出来て当たり前のことだ。
だけど、もしもと考えさせられるものがある。
それは、純夏さんの手紙の内容の事。詳しく聞くと………装飾を省けば、一言になってしまうもの――――“可哀想”という言葉だった。
「タケルちゃんは………その、向こうで出会ったっていう女の人の事ばかり書くんですよ」
思い出してしまったのか、彼女が愚痴るように呟いた。最初の頃は違ったらしい。父君の事や、身の回りのこと。しかし、ある時を境に話題は一転したという。主に女性の話に。厳しい褐色の女性の事か、荒っぽい金髪の年上の女性の事か、自分より少し年上の変わった性格をしている少女の事か。それも内容がどう考えても突っ込みどころ満載な。ツッコミという言葉は過分にして知らないけれど、何となく意味が分かるような。
「とにかく、心臓を泡立たせるような内容を書くんですよ!」
「そうですか………正しくは波立たせる、だとは想いますが意味は分かりました」
指摘すると、純夏さんは顔を赤くして黙ってしまった。
こういう所は昔の唯依を思い出してしまう。あの子も、戦術機の事を勉強しては祐唯さんに問いかけて、間違ってるよ、と指摘される度に顔を真っ赤にして。ひどい間違いをした時なんて、自分の顔を覆い隠して座り込んでしまうことがあった。
今ではもう見ることができなくなってしまった光景に、やわらかな気持ちになってしまう。
だけど、純夏さんは柔らかい気持ちになるどころかトゲトゲしい気持ちになってしまうのだという。
(無理もないことでしょう)
彼女の事も、手紙に書いてはいるけれど、正直彼女にとっては気が気じゃなかったことは想像に難くないこと。自分に置き換えれば、どうか。私ならば、卒倒して。ずっと、不眠症になってしまうことでしょうから。厳格たれと、自分に言い聞かせてきた部分はある。武家の妻とはそういうものだ。小さな頃からずっと、教えられてきたこと。
だけど、私とて取り繕えなくなることは、あるのだと思う。同じように、鑑純夏という少女が両親に黙って京都に来た理由も、理屈ではない感情で理解できる部分がある。それは、彼女の誕生日だという7月7日、その前日のこと。街を歩いている彼女に、顔も知らない男がすれ違い様に手紙を懐に入れてきたのだという。それも、「帰って一人で読め」という言葉を添えて。本当であるかどうかは分からないが、彼女はそう主張している。
彼女は怪しみながらも、どうしてかそうしなければいけない気持ちになり、言われた通りに家の自分の部屋で手紙を読んだ。書かれていたのは、「白銀武についての真実を知りたければ、京都にある武家、風守の家を自分一人で。両親には黙ったままで訪ねろ」というもの。
彼女自身、両親が自分に隠れて会話をしている中で、“風守”という単語を聞いたことがあったらしく、意を決した彼女はお守りにと話の中で少年にプレゼントされたというサンタウサギを手に、手紙と一緒にあった切符と地図を元に、黙ったまま京都に来たらしい。そして、辿り着いた先に武家はなく、通りすがりのトレンチコートを来た男と軍人らしき男に、この篁の屋敷がある場所を案内されたという。
(目的の人物とは会えたようだけれど………)
問いかけた直後に、BETAの日本侵攻の予兆を知らせる情報が入ってきたと聞いた。肝心の白銀武の行方について、聞きたい言葉は聞けないまま。酷く落胆したまま彼女はこの家に戻ってきた。
その後も巌谷殿から、そして風守家の風守光殿から彼女をまた預かって欲しいと頼まれた。
夫の方にも話はつけているとのことなので反論する余地もない。しばらくは目的を達成されなかった事から落ち込み続けて、部屋に閉じこもったまま。だけどここ数日はこのままじゃ駄目だと、奮起したらしく、何か手伝えることがあれば言って下さいと私に頭を下げてきた。
風守の家から頼まれている事もあり、いわば客人という扱いなので気にしなくてもいいと説明したけれど、彼女は頑なに断り続けた。
何かをしていなければ、たまらないのだとすぐに分かった。何故ならば、今の私がそうだから。BETAの二度目の日本侵攻、その上陸が予測されている日は明日と言われている。それは、今基地で待機している唯依が初めての戦闘に出る日になるかもしれない日で。
(そして、あるいは………)
武家の責務を果たすということは、十二分に“そのようなこと”になる可能性がある。想像するだけで目眩がして、居ても立ってもいられない。そう考えれば、彼女のじっとできないという気持ちも理解できた。じゃあと、白銀武という少年について、ここに来た経緯を語ってもらえればと提案したのが今日の朝のことだ。今はもう、日が真上に照っている最中だった。
ここまで話を聞くことになるとは思わなかったけれど、退屈には縁遠い話だったこともあり、素直な彼女の事を見ていると唯依が戦いに出ている事で生まれた、胸の隙間が少しだけれど埋まったように思えた。
一つ分かったことがある。彼女の話、日常や身の回りのこと、周囲にいる人々の話。夫も、そして唯依もそんな彼女達を守るために戦いに出ていることを、改めて実感できるようになった。人のために命を賭けて戦っている2人がいる。それを改めて理解したことで、誇らしい気持ちが湧いてくるのが分かり、全てではないが心を落ち着かせることができたと思う。
「いい時間ですね………それじゃあ、ご飯にしましょう。でも、そうね………純夏さん手伝ってくれるかしら」
「え、いいんですか? わ、私なんかがこんな立派なお屋敷の台所に立って」
恐れ多い、という顔をする純夏さんに、私は微笑みながら頷いた。どうしても立場を重ねてしまい、応援したい気持ちが出てきたからだ。すると彼女は嬉しそうに、勢い良く立ち上がって。
「う、あっ!」
だけど立った途端に足をよろめかせると、途端お尻から転んだ。どうやら長時間の正座で足が痺れていたらしい。ポケットから落ちた、彼女のお守りであるサンタウサギが棚の方に転がっていった。
大丈夫かしら。そう思い、歩み寄ろうとした時だった。
「奥様。その、外に………お客様が」
「………来客の予定は無かったはずですが」
尋ね、そのお客様の名前を聞いて驚いた。
「御堂様の………?」
御堂家は、篁の主家たる崇宰家の御傍役を代々務める“赤”の武家。それが何故、このような時分に主の居ない時期であると分かっている我が家に訪ねてくるのであろうか。当惑している内に、入り口の廊下より我が家の使用人の声が聞こえてきた。
「こ、困ります!」
「道を開けろ…………ここだな」
現れた軍人らしき者は、見覚えがあった。御堂家と縁深い、山吹は永森家の次男である、名を永森英和という者。衛士としての適性が低く、ついには衛士を育てる訓練学校に入学出来なかったことで家の中でも冷遇されているという。
そして永森英和は私に「ご無礼を」と一礼すると――――座っている純夏さんに向き直り、告げた。
「鑑、純夏というのは貴様だな」
「は、はい。そうですけど、あの…………?」
「――――白銀武」
端的に、乱暴に、名前だけを告げた。純夏さんが、驚いたように立ち上がる。
「会いたければ、我と一緒に来い」
「なにを、急に………無礼ですよ!」
事情を知っている使用人が声を荒げた。しかし、男は鼻で嘲笑い私の方に声を向けてきた。
「風守家の者からも許可は取っている。問題はなにもない………決めるのは貴様だ、鑑純夏」
声を再度向けられた純夏さんは、驚きを隠せないまま。
「………会いたいです、でも」
「返答を確認した。あなた方も聞いたな? ………さあ、ならば共に来い!」
「え、ちょっと………っ!?」
手を引っ張られ、乱暴に連れて行かれそうになる純夏さん。到底許せることではなく、制止の声を上げようとした途端に、永森英和はこちらに振り返った。
「“篁”栴納殿………貴方は邪魔立てをするというのか?」
篁という部分を強調して告げてくる。それは、主家たる崇宰の傍役を務める御堂の決定に異を唱えるのか、ということを暗に示していた。風守の家の者からも許可を取っているのであれば、こちらからは何も言うことができない。だが、おかしい部分はある。
「祐唯様に話を通さず、急にこのような形で少女を連れて行くのは何故でしょうか」
「俺も従っているにすぎん。理由も聞かされていない。それを問いたいのであれば………分かるな」
それは命じた者、即ち上役に問えという言葉である。武家の者として。そこに私が介在できる余地はなかった。男の眼光には、どこか危うさを感じさせるもので、思わずと私は黙りこんでしまった。
「ごめんなさい、栴納さん………お世話になりました!」
彼女の声が響く。私は夫か榮二さんに連絡を、と思ったものの、自分の不甲斐なさに俯いてしまう。
そこで、見つけたものがあった。
「………これは」
持ち主を失ったお守り。
サンタウサギという小さなぬいぐるみが、畳の上でうつ伏せに横たわっていた。