Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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短編その2 : 再会と約束

「それでは、改めて………おめでとうございます、"殿下"」

 

「ありがとう、真耶さん」

 

紫がかった黒髪。冴え冴えとした美貌を持つ少女は、頭を下げる第一の臣下に落ち着いた様子で礼を言った。いつもは月詠中尉と呼ぶが、今だけは特別だった。

彼女から告げられた言葉は、先日はより大勢の者達に告げられたものと同じ内容であった。

本心よりの言葉も多かったが、別のものが含まれている者が多かった。讃えるそれではない、嫉妬か嫌悪といった負の感情を。

公式に決定した訳ではない。だが、五摂家の中での話し合いにより、ようやく最終決定したのだ。

 

来週には公の場に、国内に知れ渡るだろう。それを待つ今の状態であっても、若くして大任を負わせられた彼女に向けられた視線の色は、十人十色に分かれていた。

 

思えば、と窓の外を見る。ここは京都にあった屋敷ではなく、鉄筋コンクリート製の建物で、部屋のどこにも窓がついている。

透明なガラス越しに見える外では、雪景色を構成する小さな白い粒子達が乱舞していた。

それに触れてみたい、温かい部屋の外の冷たい空気に。そう思った彼女は、がらりと窓を開けて雪に触れた。

一つであればすぐに溶けてしまう、でも数十秒もすれば手の上にさえ集まってくる。

 

「………今宵も冷えそうですね」

 

――――あの者はどうしているのでしょうか。

 

言葉には出さず、煌武院悠陽は内心の不安と動揺を押し殺したまま、桃色の唇よりわずかに白い息を零していた。

 

 

「………殿下。不遜な言葉であり、恐れ多いことですが………私にご提案があります」

 

 

真耶の言葉に、悠陽は驚きながらも、その内容を聞くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仙台に急造で作られた、仮の基地の中。グラウンドの上を、肩で息をしながら走っている少女達の姿があった。年の頃は16を過ぎたといった所か。

その前には、赤色の髪と青色の髪を持ち、山吹の斯衛軍の戦闘服を着ている者達が大声を飛ばしていた。

 

「あ、寒い!? ――――だったら走ればいいだろ!」

 

「指がかじかんで、操縦の精度が落ちる? ――――それを遺言として、BETAに殺されたいってのか!」

 

「殺してやる? ――――だから言ってるだろ、できるならやってみろって!」

 

一方的に頭から押さえつけるような言葉を聞いて、屈辱のあまり斯衛の新人女性衛士達は殺意さえ抱いていた。

だが、その二人を前にして、磐田朱莉は更に挑発を重ね続けた。

 

その横では、相方である吉倉藍乃が。

 

「その程度の力量で増長するとか………恥ずかしくない?」

 

「基礎ができてない人間は何をやったって駄目………そう、君のことだよ?」

 

「口だけの人間は不要、衛士なら機動で語れ…………できないとは言わせないよ?」

 

心の奥深くまで突き刺さるような言葉に、衛士達は泣きそうになっていた。対称的ではあるが心と誇りに厳しすぎる言葉を前にして、配属されたばかりの新兵達の目が涙に染まっていった。

 

それを横から見ている男がいる。

白銀武、今は風守武と名乗らされている彼は、鬼もかくやという様相の二人へ恐る恐る話しかけた。

 

「あの………磐田さん? 吉倉さん?」

 

「大尉は黙っていて下さい」

 

「そうです。私達の方が階級は下なので、命令口調で問題ないですよ」

 

小さく震えている声で二人に話しかけるも、返ってくるのは辛辣な言葉だけ。武は疲れに疲れた自分の顔の、目の下にある隈を揉んだ。

これは、必要なことであるのは武も分かっていた。新人の教育を甘くすることには、弊害しか存在しない。厳しくしてこそ背中を任せられる衛士になるのだから。

 

だけど、と武は二人に改めて話しかけた。

 

「………京都を落とされて、気が立ってるのは分かるけどよ。新人に八つ当たりすんのは衛士どうこう以前に………みっともないぜ?」

 

「なっ――――」

 

二人の顔が驚きに、やがて怒りから爆発に至ろうとする。

だけど、顔を真っ赤にしたままで数秒。二人は目を逸らすと、バツの悪そうな表情に変わった。

 

その時だった。武はむこうから、こちらに向けて歩いてくる女性を捉えていた。

 

「月詠、中尉? だよな、あれは」

 

月詠真耶。先日に決定した、次代の政威大将軍となろうかという煌武院悠陽の傍役を務めている人が、なぜこんな所に。訝しむ武達に、前置きの挨拶の言葉の後、更に予想外の言葉が飛んできた。

 

「――――風守大尉に、お頼みしたいことがあります」

 

"白銀"という者を貸して欲しい。武はわざと強調された口調ではあるが、不退転の決意を秘めた瞳をしたよく見知る人間の言葉に、内容を聞く前に頷いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仙台の街を走る車中の中で、悠陽は戸惑っていた。行き先を告げられぬまま、真耶の言うとおりに移動させられるのはこれが初めてだったからだ。

目立つといけないと、用意された服を着て、髪は帽子で隠している。

提案があるという言葉の通りにした結果だ。悠陽はそれが真耶ではなく他のものであれば頷かなかっただろう。

 

悠陽が信頼深い部下からの初めての提案に、興味を覚えていたこともある。情勢と自分の立場上、外出する機会も少なかったのも理由としてあった。

 

そのまま車は進み、やがて街の中心部より少し外れた所へ。そしてゆっくりと車が止まり、そこには木造の建物があった。

趣が深い建物。しかし和風ではなく洋風であり、何かの店を営んでいることが分かる。

真耶の言うとおりに降りる。肌を刺すような冷たい空気の中、扉を開ける。建物の中は暖房が効いているのか、暖かった。

モダンというべきか、趣の深い店内はどうやら喫茶店のようだった。疑問が挟まるのは、人が居ないからだ。

 

客どころか、営業をしている店主さえいない。人気がないのだ。だけど、奥のテーブルには1人だけ座っているようだった。

俯いているので、顔は見えない。木の少し軋む音と共に歩き近づくと、その人物の肩が少し上下し、息が漏れているのが分かる。

穏やかなそれは、寝息だった。つまりは寝ているのだ、恐らくは真耶が会わせたかったのであろう、この人物は。

後ろを歩いている真耶も気づいたのだろう。悠陽は振り返らずとも、彼女が怒気を発している事を悟った。

 

手で制し、止める。そして悠陽は、その人物の対面に座った。

穏やかに寝息を立てている彼――――白銀武は、腕を組んだまま眠っている。やがて眠りが深くなっているのか、頭をこっくりと上下させるようになった。

むにゃむにゃと何事かを呟きながらまた寝息を。悠陽は、今は別の名前を名乗っている彼が酷く疲れているだろうことは、推測できていた。

 

(………京都の撤退戦に、東海での防衛戦。鬼神の如き活躍を見せたとは聞いてはいましたが)

 

斯衛の真紅を纏った武御雷の活躍は帝国軍だけでなく国連軍や大東亜連合軍にも知られていた。

遷都が成って間もなくの防衛戦、気を抜けば東海を抜けて関東どころか東北まで侵攻され、日本の全てが壊され尽くされてしまうかもしれない。

そうした絶望感が漂っている戦況下では、武御雷の活躍は非常に少ない明るいニュースの一つだったのだ。連日連夜、防衛線に現れては遊撃に努め、人類の衛士を助ける兵がいる。

 

だが、逆に分かることがあった。悠陽は後衛の衛士であっても、連日の戦闘は非常に堪えることは知識として持っているし、実際に戦った者達より聞いていた。

ならば、突撃前衛であり、移動しながら気を配り、軍の種類関係なく助けまわる彼の疲労度はいったいどれほどのものなのだろうか。

 

(とても………彼が"そう"だとは思えませんが)

 

悠陽は眠っている武の隣に移動すると、おかしそうに小さな笑いを零した。

近くから見える彼――――少年の寝顔はとても幼く、鬼の化身として噂されている衛士とは思えないからだ。

こうして寝顔を見る前からでも、悠陽には想像できなかった。印象の中に強いのは、まだ京都に居たころ、病室で言葉を交わしたただの少年であるかのような彼の言葉で。

 

「あっ………」

 

悠陽がその時のことを思い出していると、武の体勢が崩れて悠陽にもたれかかった。

肩と肩が触れ合う。悠陽は途端に顔が近くなったことと、伝わる体温に驚きつつも、頬を少し赤く染めて。

 

一方で我慢の限界に来ていた真耶が武の頭に指を添えた。

 

「………起きろ」

 

「いてっ」

 

静かな怒声と共に放たれたデコピンに、武の肩がびくっと跳ねた。覚醒し、目を瞬かせながら、気怠い様子で真耶を見上げる。

 

真耶はといえば、額に青筋を浮かべながら視線を武の方から横に。気づいた武はつられて視線を動かした。

 

「………お久しぶりです」

 

いきなり目の前に居て、そして今の自分は。状況を察した武は驚き後ろに飛び跳ねようとして、テーブルに横っ腹を、壁に後頭部を強かに打ち付けた。

痛みに悶絶する声の中、悠陽の顔には残念そうな色が、真耶の顔には呆れの色が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

気を取り直した3名は、テーブルを挟んで顔を合わせていた。座っているのは悠陽と武だけであり、真耶は横で温かいお茶を入れると、建物の奥に消えていったが。

 

ここは元は喫茶店であったらしい。だけど、経営していた人は北海道の知り合いを頼って更に疎開したという。

 

タケルは先に到着していたが、身体の疲れから眠ってしまっていた。

 

「あ~………なんていうか、すみません。ごめんなさい」

 

「いえ、呼びつけたのはこちらの方ですから」

 

だからこそ真耶も殴らずに、指で少し強く弾くぐらいで済ませたのだ。

 

疲れている中でこのような居心地のいい場所、しかも暖かいとなれば眠ってしまうのも道理だと。

 

「ともあれ、お久しぶりです、殿下」

 

「はい。其方の顔は、何度か見かけましたが、二人で会うのは京都以来になりますね」

 

悠陽は崇継の臣下として動いている武を、何度か公式の場で見かけたことがあった。

 

「しかし………"風守"武ですか。あの時は私も驚かされました」

 

「あー、いきなりでしたからね。炯子様はむしろ楽しそうに笑ってましたが。あれが喜びの笑いなのか、怒りの笑いなのか………」

 

見舞いの際の提案を蹴って、崇継の配下になったから怒っているのか。

 

「………前者でしょうね。あの方は、そういった事に怒りを覚えませんから」

 

「あ、やっぱり」

 

武は思い出していた。聞いて回った所、10人に10人が怒ってないと答えたことを。

一方で悠陽は、唐突に他の女性の名前が出たことを。そして、予てより不安に感じていたことを言葉にした。

 

それは、どうして風守武を名乗っているのか。悠陽は風守光が武の母であることを聞いて驚いたことがあった。だが、それは風守の当主代理として認められることと等号で結べない。

そして、噂されている事があった。

 

「その、其方は………風守雨音殿と婚約を結んだと聞きましたが」

 

「え? いや、違いますけど、どこからそんな根も葉もない噂が」

 

武は予想もしていなかった言葉に戸惑っていた。悠陽は否定の言葉に安堵しながら、事情を問うていた。

武はそれを聞いた後、しばらく悩んでから説明を始めた。

 

風守の当主より謝罪があったこと、そして正式に家の一員として認められたこと。今では戦いの合間に礼儀作法などを学んでいること。それが全く身につかず、むしろ迷惑をかけていることなど。

 

悠陽は武が何かを隠した上で言葉を選んでいることに気づいたが、概ねの所は本当のことを話しているのだろうとあたりをつけていた。

斑鳩崇継と真壁介六郎は武勇だけではない知恵者としてでも有名である。

 

武に関しても背景や事情が複雑であり、単純にそう収まったという事だけではないことも推測できている。だけど、目の前の同い年の少年は、そういった嘘をつく人物には見えない。話せないなりにも、誠実さは持ち合わせている人だと。

 

その一方で、悠陽には話の中で多分に引っかかる部分があった。

雨音姉さん、という彼の言葉だ。そして、言葉の端から彼女に親しみを覚えているだろうこと。

風守雨音といえば病弱であることで知られてはいるが、その容貌も噂されている人物であるらしい。

 

それとなく真耶や、臣下のものに話を振って得た情報である。

斯衛には多いという武人気質をもった女性衛士ではなく、身体が弱く陰はあるが、だからこそ男性に守ってあげたいと思わせるような美しい人物であると。

 

武の言葉の端々にも、そういった感想を抱かせるようなものが多い。教えを乞うている間でも体調が悪くなることがあり、心配であると。

自分の体験したことを話す時も、言葉を選ばなければ倒れてしまいかねないように見えると。本当はそんなに弱くなく、芯はしっかりしている人であるとも。

 

悠陽は受け答えをしながら、胸にいいようのない感情が。同時に理屈ではなく察することができていた。

 

「其方にとっては、良き姉君なのですね」

 

「あー、そうかも。今までの周囲の年上の女性が特殊過ぎたってのもありますが」

 

彼曰く、年上の女性はいつも守ってあげたいどころか、衛士としての実力が高く、あるいはBETAを素手で屠りかねない力を持っていたらしい。

一方で身体が弱く、本当に女性らしい女性っぽい年上の女性と接するのは初めてなのだとか。

 

新鮮であり――――だけど、あくまで身内扱いなのだ。異性としてではなく、家族として喜んでいる。

悠陽は、どこからともなくこぼれ出た安堵の息を零していた。

 

「そういや、殿下も――――」

 

「悠陽とお呼びください。ここには、二人だけしかいないのですから」

 

「いや、流石にそれはまずいんじゃあ。政威大将軍になるっていう方に無礼な口を聞くのは………雨音さんにも止められてるし」

 

「………ならば、こう言わせてもらってもよろしいでしょうか? ここで偶然にも再会したのは、ただの奇縁を持った少女でありますと」

 

いつかの、病院での武の言い回しを引用しての言葉である。

武はきょとんとした後、あーと呻きながら頭をがしがしと掻いて、そして俯いた。

 

「参りました………悠陽。いや、呼び捨てでいいのかな」

 

「構いませんよ。呼び捨てでも、お前でも――――いえ、お前の方がそれらしいのではないでしょうか」

 

「なにがそれらしいのかわからないしすごい強調されるのが不安なんですが、それは勘弁して下さい」

 

月詠中尉に知られたら斬殺されることうけあいだ。そう怯える武に、悠陽はふふと笑った。

 

「其方、まだ口調が硬いですよ?」

 

「あー、すみません………って悠陽だって敬語のままじゃないか」

 

「私のこれは個性でありますから」

 

「うわ、便利な言葉だな。大人の言い訳って奴? ………って別に老けてるって意味で言ったんじゃないから、その笑ってない目はやめて欲しいかな、なんて!」

 

たわいない冗談を混じえて、笑みを交わし合う。悠陽は久しく覚えていなかった楽しい感情に、更に笑みを深くしていた。

二人はその後、最近に自分の周囲であったことを話題にして話し合った。

 

とはいえ悠陽の周囲には最近の帝国の情勢が絡むことが多く、暗い話題がほとんどで楽しい話題など数えるほどであった。

対する武も似たような状況ではある。だが、いつしか話題を提供するのは武ばかりになっていた。

 

崇継とは意気投合することが多いが、介六郎は怖いということ。

気の強い部下で苦労していること、斯衛の中の自分の立ち位置の不明瞭さ。

特に礼儀作法に関しては新人にも劣るレベルではあるが、どうしてか笑われるだけで怒られるといった場面が少ないこと。

 

悠陽は聞くだけになりながらも、その顔から笑みの形が崩れることはなかった。

話を聞いているだけで楽しいからだ。武の周囲には様々な人物いる。東南アジアで戦っていた頃の話も、ためになりつつも最後にはくすりと笑みをこぼしてしまうようなエピソードが多い。

 

同時に、敗北の色が濃い戦況の合間でも、笑える話はあるのだと。人間の強さに、涙が出てくるような。

 

その表情を見た武は勘違いをして、恐る恐ると言った。自分ばかり話していて面白くなかったのかと。

 

「あ、そういえば………おめでとう、殿下」

 

政威大将軍になったことを、めでたいという。断言する武に、悠陽は少し戸惑っていた。

 

「めでたい事、ですか………いえ、望んでいたのは確かでありますが」

 

「あれ、ひょっとして成りたくなかったとか?」

 

「いえ――――望んでいました。ですが、其方はどうして私がそう望んでいたと思ったのでしょうか」

 

「あ、いや。なんとなくだけど………冥夜の事とかあるから」

 

「………それは」

 

幼少の頃より煌武院悠陽の中には、いつも犠牲にしていると言っても過言ではない妹の陰があった。

一度二度会っただけで、今となっても面と向かって会うことはない。だけど常に、自分は妹の生を下に敷いた上で生きているのだという自覚があった。

なればこそ、中途半端は許されない。煌武院の当主として、誰より立派に役割をこなさなくてはならない。

そうして五摂家である煌武院として、最善であるのは政威大将軍になることだった。

今では米国のせいで権力も失墜している立場にあるが、それでも斯衛における最高の立場といえば政威大将軍であるのだ。

 

幼少の頃より弱音を一切吐かずに努めて。弱ければ、妹の犠牲はいったい何のためであったのかと。

果てに将軍に相応しいと認められるのは、確かに自分が望んだことでもあった。

 

「確かに、その通りです。ですが、其方はどうして分かったのですか」

 

「あー………分かったとかじゃなくて。ほら、あの公園で遊んだ時のこと」

 

武の目には、悠陽が常に冥夜のことを気遣っていたように見えていたという。

優しく、絶対に傷つかせないように振舞っていたと。子供だからとはいえ、と少し警戒されていたことにも。

 

「何かを犠牲にしなきゃいけない事の辛さも、分かっているつもりだから」

 

「………そう、ですね」

 

悠陽も、白銀武が大陸で数えきれない人の死を見てきたことを知っている。

だからこそ、失うこと、何かを捨てて何かを得なければいけない立場の事を分かっているのだろう。

 

そして、悠陽の中に別の感情が浮かんでいた。

今までに、面と向かって妹である冥夜の事に言及されたことも、それが自分の中に深く存在していることも察せられたことはなかった。

 

だから、ぽろりと零してしまった。

 

「ですが………迷っています。本当に私が、政威大将軍に任命されるに相応しい者であるのか」

 

適性や立場や背景といった複雑な事情はあろう。悠陽はその中で自分が選ばれた全てが、実力だけではないことを知っていた。

女性の衛士が多い時代であり、現当主の中では一番に若い。そうした補助的な要素が無かったらと、考えてしまうことがある。

 

悠陽はそこまで話して、はっとなった。どう考えても、目の前の少年に、斑鳩崇継の臣下である彼に零す内容ではなかったからだ。

弱音を吐いた後の反応は、叱咤か、あるいは失望か。悠陽は怯えていたが、武から返ってきた言葉は予想外のものだった。

 

「悠陽なら大丈夫だって。そもそもの根幹となる実力が無かったら、選ばれなかっただろうし」

 

軽く、大丈夫だという言葉。だが確信と信頼の色に満ちているそれに、悠陽は戸惑いながらも言葉を返した。

 

「ですが………こうして弱音を吐く者が、相応しいであるとは思えません。毅然として、どんな困難に対しても強く立ち向かう者こそが政威大将軍なのですから」

 

「あー、公の場だったら確かにそうだな。でも、四六時中誰の前でも強くあり続ける必要なんてないと思うけど」

 

自分自身を責めるような悠陽の言葉に対し、武は鋼を例にした。

 

見た目には頼もしく、いざという時にも限界ぎりぎりの大きな負荷に対して高い強度を発揮してくれている。

だけど、それは負荷がかかるような時だけだ。いつも大きな力がかかっている訳ではない。

 

「大陸での上官の受け売りだけどな。衛士も、いつも気を張ってたら疲れてしょうがないって」

 

最低限の振る舞いを意識すれば、時と場合によっては息抜きをする方が正しいことがあると。

 

「万人の前でいつまでも完璧に、なんてのは理想だ。そうであった方が良いってのは分かるけど、人に見られてない私生活まで完全完璧にとまでは求められてないだろ。そもそも無理だって。人間は鋼とは違って、泣きたい時も叫びたい時もあるんだから」

 

「………いつぞやの、其方の言葉を思い出しますね。ですが、そうである方が最善なのでは?」

 

「最善と理想は違うって。それに、息抜きは絶対に必要だ」

 

頑強な鋼であっても、何度も負荷を受けて疲労すれば強度が落ちてしまう。ましてや、人間の心など。

 

「だから、弱音を吐ける相手の前なら、むしろどんどんと吐いていった方が良いと思う」

 

「相手とは………」

 

「あー………友達、とか? ほら、ただの少女なら、誰でもやってる事だと思うし」

 

「そう………いえば、そうでしたね」

 

「そうそう。あとは月詠中尉とか。それに、同じように小さい頃から愚痴りたくなるような立場に立たされている戦友だろ?」

 

経緯とかは、全部無視して。幼いころから年に似合わぬ、誰かに弱音を叩きつけたくなるような。

 

「どうして俺だけがー、とか、こんなに辛いのにBETAふざけんなー、とか、無茶ぶりばっかりしてくる奴らにお前ら大人だろー、とか」

 

「い、いえ。私はそういった思いを抱いたことは………」

 

「この期に及んで梯子を外された!? いや、それ絶対に嘘だって! ほら少しはこう、訓練とか厳しすぎるんじゃボケとか思ったことがあるって!」

 

「え、いえ………はい。少しですが、あるかもしれませんね」

 

「まだ任命前だってのに、玉虫色の政治家的回答を!? さ、さすがは政威大将軍閣下ということか………!」

 

「ふ………ふふ、ふふふ」

 

悠陽は笑みを取り戻して。そして、悪戯を仕掛けるように、聞いた。

 

「では、私から其方に質問があります。やはり………日本という国は、まだ其方にとって信用に値しないものですか?」

 

唐突な質問。武は驚きつつも、少し考えて答えた。

 

「いやー………ていうか、国がなんなのかってのが分からないのが正直な所かな」

 

あちこち転戦して配属というか所属先も変わって。多くを経験した武は、国というものが何なのか分からないと答えた。

 

「国が無かったら困るってのは分かる。国は人のために、人は国のためにっていう中将の言葉もその通りだと思う。だけど、いざ国をどうするかって問われてもな。その国ってやつが何なのか、深く理解できないんだ。実感って奴が湧かないっていうか」

 

「そうですか………日本を出て様々な価値観に状況を経験してきたからこそ、国というものが何であるのか分からなくなったと?」

 

「日本に居ても分からなかったと思う。普通の人もそうだけど、子供なら余計にそう思うんじゃないかな」

 

「かもしれませんね。小さなころは日本という国の歴史を知らず、知識を得てから国というものを形として捉える」

 

「あ、でも歴史の勉強をする前に外に行ったからってのはある。ニュアンス的にはなんとなく分かるんだけど」

 

悠陽はその言葉を聞いて、成る程と思った。

日本帝国というものがある。その中枢部に近い場所に居るもの、国での立場や長い歴史を持つ家の者はそうした国の事を強く意識させられる。

では、そもそも国といったものを学ばないか、歴史を強く意識しない民間人はどう思うのだろうか。

 

気づくと同時に、疑念があった。

 

「では、其方は今まで国ではなく――――」

 

「人のために戦ってた、かな。正確には後背に居る民間人のために。近くにいる人達のために」

 

深く歴史も知らない。だけどそれを根こそぎ壊そうとするBETAが居るから、立ち向かってきた。

切っ掛けも、国ではなく純夏や影行といった親しい者達のため。

 

道中でも、家族のように思っていた中隊のみんなや、気があった戦友、そして同期を死なせたくないから。

 

「無責任だと思う部分はあるけどな。国って奴が機能しなくなったら、そもそもの守りたい人も滅茶苦茶厳しい生活を強いられるんだし」

 

「確かに、国がなくなれば様々な問題が生まれるでしょう。司法や行政、立法の無くなった場所は………」

 

治安が乱れるどころか、生活の根底が崩れ去ってしまう。そうなれば、誰もが無事でいられるはずがない。

空気のように当たり前に漂っているはずがないのだ。多くの人間の労力と努力を以ってして初めて、国はその形を保つことができるのだから。

 

「だから、役割分担しよう」

 

「………其方は戦場で人を、私は国を?」

 

「そうそう。だって俺アホだし」

 

「また、其方は軽い口調で。将軍とはいえど、国をどうこうできる立場ではありませんよ?」

 

「知ってるけど、悠陽なら、こう、えいやって感じでやってくれそうだから。どこぞの赤鬼青鬼よりも頼もしいし」

 

「………その信頼の源を聞いてみたい気もしますが。というより、こうした場で話すことではありませんわよね?」

 

ちょっと売店行ってくるというような提案だが、中身や二人の背景を考えると笑えない言葉である。

悠陽は珍しくも呆れた感情を覚えて。同時に、言いようのないおかしさを感じていた。

 

「しかし、役割といっても色々と………そのような玉虫色の回答では、何を任せられるのか分かったものではありませんが」

 

「お前が言うな」

 

ずびしとツッコミを入れる武。悠陽は何やらお前呼ばわりされた事に強い衝撃を――――悪い方ではなく良い意味で――――受けていたが、顔を赤くするだけで笑みを保っていた。

一方での武は、お前呼ばわりしてしまったことに焦り、何やら嬉しそうな悠陽に対して笑みをひきつらせていた。

 

その後は、武の持ちうる限りの大陸での知識を。主にアルシンハ・シェーカルの事であったが、為政者的な立場にある人間における私的な見解などを話した。

自分には無理だと言う、武の言葉も。悠陽は頷き、礼をいいながらも言葉を零していた。

 

「ですが………そうですね。それぞれに努めるのが最善であることは、間違いありません」

 

悠陽は窓の外を見た。

 

熱いお茶が冷えるのにも気づかず、熱中して話し続けて。気づけば、陽の光のない夜になっていた。

そして外では、はらはらと空から白い粒が舞い降りてきている。

 

 

「外に、出ましょうか」

 

 

 

 

悠陽の提案に武は頷き、雪が降る街に出た。

 

あたりは薄暗く。吐く息は蒸気のように白く、凍える大気は人間から体温を奪い続けていく。

 

「寒く、厳しく辛く………まるで今の帝国を現しているかのようですね」

 

「そう、だな」

 

武は同意し、暗い夜空を見上げた。悠陽もつられて、空を見る。

音もなく空から落ちてくる白いそれは、星が落ちてきているようだった。

 

同じように、多くの民が死んだ。守れずに、BETAに踏み潰されて死んでしまった。

疎開先でも、治安が悪い所はあるという。食料の配給は他国より格段にまともだと言われているが、それでも溢れる命は多いのだ。

雪の落ちるように、しんしんと。見えなく音も聞こえなく、自分の知らない所で散り溶かされていく命がある。

 

故郷を失った者も多い。武はそれを人より多く知っていた。

八つ当たりをしたくなる気持ちは分かっていた。横浜を、故郷にハイヴが建てられたという報告を聞いてからは、心中での動揺を抑えられなかったのだから。

 

だけど、何より成すべきことがある。定めた今では、それに相応しい人物でありつづける必要がある。

 

「ですが………目標があれば、人は努力できますから」

 

目指すべき場所があれば、たどり着くまでの苦労は厭わない。そう告げる武に、悠陽は頷いた。

 

同じように、戦っている戦友がいる。それは白銀武であり――――冥夜もきっと。

 

だけど、悠陽にはどうしても形にしたい言葉があった。

 

「其方は、死にませんよね」

 

「………いきなりの無茶ぶりだなー」

 

「其方が居る場所を考えたのであれば………愚かな事だとは、分かっています」

 

それでも、と。悠陽は武の顔をじっと見つめていた。

 

――――不安があったのだ。言いようのない黒く重たい感情が。だけど、全てではなくてもその大半が言葉を交わすだけで晴れてしまった。

 

ただの少年として答え、ただの少女であると信じさせてくれた。

悠陽は今までも、そしてこれからも唯一と言っていいだろう存在が消えてしまうことを恐れていた。上に立つ者としては、失格にもほどがある思考だ。

政威大将軍とは、厳しく言えば比べて捨てる立場にある。そのような人間が、個人の感情を優先させることは許されない。

 

悠陽はだけどと、唇を噛んだ。

彼がBETAに殺されること、頭の中で想像しただけで震えてしまう。外から来る寒さだけではなく、頭と胸の奥から何かに凍えてしまうような恐怖があったのだ。

 

どう答えられるのだろうか。悠陽がちらりと横目で見た武は、想像どおりに頼もしい顔で親指を立てていた。

 

「俺は、堕ちないさ。こう見えても、大陸では"一番星"って呼ばれていたことがあるんだぜ?」

 

あるいは、北極星とも。武にとっては口にするのも恥ずかしい名前ではあるが、そう呼ばれる原因を考えれば、名誉なことでもあった。

北極星というものは、船乗り達や古い航空機乗り達にとっては、あてのない広い場所において目印となる象徴であったからだ。

 

その言葉にこめられた意味を、武は今では深く理解することができている。

 

「ずっと、消えないさ。助けたい人たちのために、戦う」

 

「………暗い夜空であっても、輝き続けますか」

 

「あー、そう言われれば恥ずかしいけど、そうだな」

 

国ではなく人のために。大切な人のために戦う。そう決意する少年の顔は、見惚れる程に凛々しかった。

そして、言うのだ。

 

「大切な人のために………友達のために戦うから、死なないって。約束しよう」

 

武の言葉に、悠陽は考えて。

 

そして、え、と意表をつかれた顔になった。

 

「え? ………私も、其方の大切な人に入っているというのですか」

 

「いや、まあ、当たり前だろ」

 

――――成せなかったどこかの世界の過去があるから、と武は告げずに。

 

だけど、力になりたい想いは過去や記憶に関係がなくても。そもそもの白銀武と煌武院悠陽に共通点は多く、そして。

 

「1人だけだったら辛いし、しんどいだろ? だから、俺も………友達なんだから、力にならせてくれよ。妹をずっと忘れてない、優しい姉のために」

 

「………ありがとう、ございます」

 

 

悠陽は小さい声で返した。大きな声にならなかったのは、そうすれば泣いてしまいそうだったからだ。

 

 

「あー、でも辛い時には助けてくれたら嬉しいかな」

 

「私もです。そして………愚痴を零したい時には其方をお呼びしますね」

 

「それぐらいお安いご用だ。真壁大尉と月詠中尉が怖いけど、っと………流石に冷えるな」

 

 

最後にと、武は小指を出した。

 

 

「色々な背景は、今は無視して………ただのガキとしての約束な。困った時は助けるし、悠陽も俺が困っている時は助けてくれ」

 

「はい。結ぶ理由としては?」

 

「あの奇縁と再会できた奇跡に感謝、と――――また3人で会えたらいいな」

 

 

武は、先を知るが故に多分に様々な感情を含ませて。

 

悠陽は、言い知れぬ感情を前に小指を絡ませた。

 

 

「………暖かい、ですね」

 

「生きているって、証拠だよな」

 

 

寒く辛い、夜の空の下でも、誰かがいれば暖かくなれる。

 

 

ただの少年と少女として約束を結ぶ二人は笑みを交わしながら、その事実を噛み締めていた。

 

 

 

 




あとがき

重たい責任に揺れる殿下の心中と、新(真)タケルちゃんの恋愛原子核な話でした。
原作の殿下と違う部分があるのは、立場的な(教え諭す相手ではない)違いと、まだ将軍になってないから。
あと悠陽ってどうしてか太陽より雪のイメージが強いけど、それはオルタ原作とフェイブルのせいだと気づいた。
なので絡めてみました。陽と夜、光と陰。そして白銀の星。色々と含んでいます。

悠陽は後日、武にお前と呼ばれた事を思い出し、笑っている所を真耶に見られ
激務に心を病んでしまったのではと非常に心配された心温まるエピソードががが。

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