彼を初めて見たのは、まだ私が『お姫様』だった時でした。彼は突然目の前に現れ、誰も気が付かなかった魔術から体を張って、私を守ってくれました。
その時のことは鮮明に焼き付いています。
私は血を見るのも初めてで、命を狙われたのも初めてで、それこそ腰が抜けるくらいに、怖くて、恐ろしくてたまらなかった。
「へ、へ、大丈、夫、です、か?」
ですが、彼は私を見て、笑って聞いてきました。私より痛いはずなのに、私より怖い目にあったのに、笑って。
その時偶然、回復魔法が使えるようになったのは本当に運が良かったと思います。
私のわがままで街へ遊びに来たのに、そのせいで誰かが死ぬなんて、きっと私には耐えられませんでしたから。
彼が治った後、お礼を言いに行くと「仕事ですから、お気になさらず」と彼は言いました。
その時の彼の顔は誇るのでも無く、疲れたふうでもなく、本当にそう思っているようで、私は彼に興味を持ったのを覚えています。
次に会ったのは、彼が護衛として私に仕えることになった時。
近衛騎士さんは彼を歓迎しましたが、いつも私に色々なことを教えてくれる魔術師さんは、平民である彼が私に近付くことをとても嫌がっていました。
でも、私が頼んで決めたことだったので、文句は言ってませんでした。
私は彼といろいろな事を話したかったのですが、彼は余り私とお喋りをしようとしませんでした。
必要最低限の連絡を近衛騎士を通して行うくらいで、全く近寄ってこないのです。
出来るだけ話しかけるようにはしましたが、彼はどこか『お姫様』に遠慮しているようで、大した話は出来ませんでした。
魔術師さんが「平民と我々に共通の話題なんてありません」と言っていたように、彼も同じ気持ちだったのかもしれません。
ですが、そんな彼との壁が崩れる日がやって来ました。
そう、魔族による王都襲撃です。
建物が燃え、人が倒れ、混乱と恐怖に街が包まれる中、私達は彼に導かれ城壁都市を目指すことになりました。
森林街道の旅路では、彼が珍しく自分から色々な話をしてくれました。
生まれのこと、剣のこと、お金の事、昔の事。
それらは私にとってどれも新鮮で、不安に塗れた旅での中、彼の話を聞いている間は、嫌な事を少しだけ考えなくてすみました。
きっと彼もそれが狙いだったのだろうと、今は思います。
それだけに彼が怪我をした時は不安でたまりませんでした。
もし治らなかったら?このまま彼が死んでしまったら?そう考えただけで、息が苦しくなりました。
……思えばこの頃から彼の事を想っていたのかもしれません。
その時は回復魔法を自分自身に使ったばかりで、包帯くらいしか手当が出来ず、私は不甲斐ない自分自身を呪いました。
私がもっとしっかりしていれば彼が怪我を負うこともなかったのに、私がもっと回復魔法を使いこなせれば、と。
ですが、そんな時も彼は笑っていました。
「姫様を送り届けるまでは死にませんよ」という言葉が本当に頼もしかった。
魔物の襲撃で、魔術師さんが死んでしまった時などは、子供みたいに泣く私の横でずっと頭を撫でてくれました。子供をあやす様な、そんな撫で方でしたが、不思議と心が安らいだのを覚えています。
城壁都市に到着すると、私はお父様達の死亡を知らされ、王族が一人でも残っていると隣国の属国になるのに不都合があるから、身分を捨ててくれないかと領主様に頼まれました。
彼はその要求を聞いて怪訝な顔をしました。それが無礼な話だと考えたのでしょう。
ですが、私はそれを了承しました。
元々私は、王族とは名ばかりの側室もどきの子供で、回復魔法を使えるようになってまともに王族として扱われ始めたくらいだったので、王族という肩書きに興味はありませんでしたから、特に気になりませんでした。
紙にサインをすると私は『お姫様』では無くなり、彼が敬称付きとはいえ名前で呼んでくれるようになりました。
身分を捨てた理由を、彼には「民のためです」と言ったのですが、本当は『お姫様』の肩書きを捨てることによって彼と対等になりたいという気持ちの方が大きかったのです。
私と彼にはひとつの小さな家が領主の方によって宛てがわれました。
家族も、家も、大切な人も、殆どを失った私ですが、彼と一つ屋根の下で暮らせるという事実が、暗い気持ちを和らげてくれました。
一緒に暮らすことが決まると、彼は言いました。
「平民になったからには、あなたも働かなくてはいけません」
「お金、ですか?」
わたしが首を傾げると、彼は驚いたような顔をしつつ説明してくれました。
どうやら、平民として生活するには働いてお金を手に入れなければならないらしく、彼はいくつかの候補を私に提示してくれました。
私はその中から迷わずに病院を選びました。何故なら彼が、城壁都市の兵士になると言ったからです。
彼はきっとまた、誰かの為に無茶をするに決まっていますので、私が支えてあげないといけません。
病院ならば、彼が怪我をしても、傷付いても、私自身が看病することができますから、選ばない理由がありませんでした。
そんな動機で働き始めた病院ですが、想像していたよりもやりがいのある仕事でした。
人を助けるというのは、人に助けられ続けた私にとってとても新鮮な体験で、友人もでき、毎日に充実というものを感じました。
また、彼も良い同僚に恵まれたようで、帰ってきてからはよくお互いの職場の話をするようになり、初めて私は彼と一緒になれたと実感しました。
ですが、友人や周りから世間を知って、私は思うようになりました。
「何故彼は私と一緒にいてくれるのだろうか」という疑問です。
今の私は、『お姫様』でもなければ、彼の雇い主でもありません。
彼が私と共にいる利点は何も無く、むしろ負担が増えるだけ。
何故?どうして?考え始めると、止まりません。
彼の顔を見る度にそれは強まり、あろうことか私は彼にあたってしまいました。
失礼な事を言ったと思います。情けない事を言ったと思います。
「私は、あなたを守りたいからここに居るのです」
でも彼は、そう言って私を受け入れてくれました。
『お姫様』ではなく、ただの『私』を、彼は大切だと言ってくれたのです。
私の中に渦巻いていた色々なものはそれだけで無くなり、彼に抱きしめられた時、私は自らの想いを自覚しました。
私は彼にすっかり恋をしてしまっていたのです。
しかし、だからといってどうすれば良いのかは知りません。
でも、このままの関係をずっと続けていては、誰かに取られてしまうかもしれませんから、なにか行動を起こそうと思いました。
こういう時、相談するのはいつも彼だったのですが、今回ばかりはそうも行きません。なので、病院の先輩に聞くことにしました。
先輩は私の相談に親身になって乗ってくれ、一つアドバイスをくれました。
「女を磨きなさい」
ここで言う女とは、容姿に限った話ではないそうで、先輩はさしあたって、料理や洗濯などの家事をこなせるように言いました。
その中でも料理の腕は絶対に必要だと言われましたので、私はレシピを貰ってその日から毎日晩御飯を作る役を引き受けました。
初心者ながらレシピのおかげか、彼からは中々好評で、先輩には感謝してもしきれません。
彼の胃袋を掴んできた手応えを感じ始めた頃、食材を買いに夕方の市場へ行くと、彼が「隊長」と呼んでいる兵士の方と出会いました。
向こうの方から私に気が付いて声を掛けて下さり、少しだけ世間話をしていると、彼が今日娼館へ行ったという話を聞きました。
娼館とは、お金を払って女の人達といやらしい事をする場所だそうで、まさか彼がそんな場所に行くとは信じられませんでした。
どうして、私がいるのにそんな場所に行くのでしょう。私に言ってくれれば、その、いやらしい事の一つや二つくらい、別に構わないのに。
それとも、私では力不足と言うことでしょうか。
他の女の人の方が良いと、そういうことでしょうか。
うじうじと悩んでいると、彼が帰ってきました。心無しかいつもより機嫌が良く見え、なんだか嫌な気分になりました。
娼館に行ったのかを聞くと、彼は少し驚いたような顔を見せた後、肯定しました。
すっかり弱気になった私は、本当の気持ちは言わず、お金のことを理由に彼を責めました。もともと、私達にお金の余裕はそれほどありませんから、そこを突けば、もう行かないでくれると思ったからです。
ですが彼から返ってきたのは、お金は自分の範囲でコツコツ貯めたものだから問題ありません、という言葉。
自分がちゃんと言わなかったのが悪いのに、私はその返答に頭に来て、声を荒げて自分の部屋に篭ってしまいました。
そして、部屋の中で泣いて、後悔して、彼が晩御飯に呼びに来た時、ちゃんと本当の事を伝えようと決めました。
「娼館ではなく、私ではだめですか?」
私がそう言うと彼は、飲んでいた水を吹き出す程に驚き、すぐに「ダメに決まっているでしょう!」と言いました。
私は泣きたくなりました。こんなにも勇気を出して言ったのに、無様に振られて、消えてしまいたいとさえ思いました。
ですが、彼が次に言った言葉で、それが違う意味だと分りました。
「そんなに娼館が嫌ならもう二度と行かないので、そんな自分を捨てるような事を言わないで下さい」
彼は、私と自分とでは自分が不釣り合いだと考えていたのです。
ですが、こうなると私の問題と言うより、私達の関係性の問題になってくるので、余計に難しくなります。
真面目で優しい彼の事です、私がいくら好意を伝えても、きっと子供扱いをして「他にいい人がいますよ」なんて言って、取り合ってはくれないでしょう。彼はどこまで行っても、私の保護者的な立ち位置であろうとするのです。
この壁を壊さない事にはどうにもなりません。
そこで私は彼にもっと自分の事を知ってもらうべきだと考えました。
私がもう独り立ちのできる、彼と同じ大人であるということを示せば、「女」として見てくれるかもしれないからです。
彼の口から「もう大人になったのですね」、みたいな事を聞ければ完璧と言えるでしょう。
まあ、未だに聞けてはいないのですが、効果はあったと思っています。
そんなある日、彼の仕事が随分と忙しくなった頃、彼が重傷で病院に運び込まれてきました。
それを見た時は心臓が止まるかと思いましたが、命に関わるものではなく、安堵のため息を吐いたのは至極当然のことでした。
増えた魔物の駆除中に仲間を庇って傷付いたようで、一週間程は入院が必要だということでした。
足に包帯を巻いていると、彼に白衣が似合っていると褒められました。
まあ、彼は褒めるだけで何もしてこないのですが、それでも嬉しいことに変わりありません。
彼が入院してしばらくして、お見舞いに来た隊長さんから、彼が私を結婚させたがっている、という話を聞きました。
確かに私も十八歳、結婚していてもおかしくない歳です。ですが、私は好きな人と結婚したいし、お見合いなんてしたくないと、隊長さんに告げると、彼との仲を聞かれました。
私は、隊長は頼りになる、と彼が常日頃言っていたのを思い出し、全てを打ち明けて相談しました。
すると隊長さんは、彼から私が結婚相手として申し分ないという言質を取ってきてくれ、周りに根回しして、彼が理由をつけて私から逃げないように外堀を埋めてくれました。本当に感謝してもしきれません。
そうとなれば、後は私が彼に想いを伝えるだけです。
……もしかしたら断られるかもしれません、絶対に嫌だと、拒絶されるかも。
でも、それでも、私が、言わなければなりません。
────
「で、相手のやろ……方はどこにいるんですか?そのツラ……もとい、ご尊顔を見ておきたいのですが」
結婚式当日、新郎、新婦控え室。そこに今、私と彼は居ました。
彼は若干のくまが残る目で、部屋を見回しています。一週間ぶりに会ったというのに、私には眼もくれず相手の男を探すなんて少し複雑な思いです。もちろん、私のことを心配してくれているのでしょうが。
そう、何時だって彼は自分の事より私の事を守ってくれました。王都が落ちた時も、魔術師さんが死んだ時も、私が……ただの少女になってしまった時も。
ですが、私はそんな彼が心配でたまりません。いつも自分の身を削って、人の心配ばかり。
この前の大怪我だって、誰かを庇ってのことだと聞きました。私を守ってくれたのと同じように。
「お話があります」
「……何でしょう」
私が真剣な声音で言うと、彼も居住まいを正してくれました。
彼の神妙な顔を見ると、今から何を言うのか、何を伝えるのか、それを考えて、心臓が激しく鳴るのを感じました。もし、の恐怖と、少しの勇気が胸を灼いています。
「もし、相手が居ないと言ったらどうしますか?」
「えっ!?居ないんですか!?」
大声で彼が驚く。
そして、みるみる内にその顔が紅くなっていった。こんなに怒った彼を見るのは初めてで、少し怖いです。
ですが、隊長さんの言った通りです。
「奴の名前を教えて下さい、俺が引きずってでも連れてきます」
「名前は教えられません。実はその方は結婚に乗り気じゃなくてですね、私がいくらアプローチしてものらりくらりと躱してしまうんです。酷いと思いませんか?」
「ゆっ、許せねぇ、そんなやつは!切り殺して良いですか!?」
「斬りっ!?ダ、ダメですよ!そう、それでですね、ここまで準備はしたのに、断られたら私はとても悲しいです。二度と結婚なんて出来なくなるかもしれません」
ここまで怒るとは思いませんでした。ええ、嬉しいですけど!
「二度と!?ご、ご安心ください!絶対に了承させて連れて来るのでしばしお待ちを!」
「絶対に?」
「絶対に!」
言いましたね。
「じゃあ私と結婚して下さい」
「はい?」
瞬間、彼の動きが止まりました。
「相手なんて初めからいません。嘘です。でも、こうでもしないと、あなたは私の事など取り合ってくれないでしょう?」
彼はしばらく動きを止めたまま、ぐるぐると目を動かしていましたが、少しして動き出しました。
「……嘘というのは、本当ですか?」
「はい、本当の嘘です」
「俺と、結婚したいというのは?」
「……本当で、本気です」
すると、彼はまたしばらく考え始めました。
「実は、あなたの結婚が決まって、俺も色々なことを考えました」
彼の口調は穏やかで、頭の奥から何かを引っ張り出すような印象を受けます。
「相手はどんな奴だろう、あなたはどんな気持ちだろう、俺も誰かと結婚するのかな、とか色々です」
「はい」
「ですが、そのどれも深くは考えませんでした。考えようとすると、何故か気分が悪くなったからです」
「……はい」
「……でも、でも、今日。あなたのその、ドレス姿を見て思ったんです。ああ、どうして俺が隣じゃないんだろうな、って」
「……っ、はいっ」
目頭が熱くなる。まだ、まだ、決まった訳では無いのに。暖かい、彼の声を聞いていると。
「俺も貴方のことが好き、です。こんな俺で良ければ、どうか結婚して下さい」
「っ、喜んで、」
いつか『私』を見つけてくれたあの温度を感じながら、私は彼の背中を抱きしめた。
私を支え、与えてくれた人の、無防備な守るべき背中を。
これにて完結となります。
日間一位、ありがとうございました。
感想で少し言われた女魔術師の設定なんですけど、実はお姫様の実の姉で政争に巻き込まれてうんぬんで、どこぞの貴族の養子になって……みたいなのが有るんですけど、お蔵入りになりそうです。書いてやれなくてゴメンな女魔術師。
登場人物の名前を出すタイミングがなくて、最後までアレだったんで、一応書いときますね。(イメージ重視なので割とありきたりです)
お姫様→フィリア
護衛兵士→デューク
近衛騎士→アレク
女魔術師→セリカ
隊長(終盤)→ローベル