彼の死の価値は、彼にしかわからない────

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短編です。習作です


蒼、閃く電

閃ク電

 

 

 

1945年7月、硫黄島東方沖

 

 

「…こちらホーク1、敵機が接近してくる!戦闘機隊、迎撃してくれ!」

「無理です、振り切られました!速すぎる!」

「敵機、まっすぐ向かってきます…やられる!」

「1番、2番エンジンに被弾!ホーク1、炎上しています!」

「尾翼が飛んだ!制御できません!」

「ホーク2、この隊を頼む。総員、脱出しろ!」

「敵機、逃走します!」

 

 

 

 

パラシュートが開くことは永久になかった。炎上した左の翼から一際大きい火柱が立ち昇り、機体から飛び出した搭乗員ごと全てを飲み込んだ。かつて人間だった燃え滓やら灰やらが、あたかも水葬のように海面に撒かれていった。

 

 

 

1945年4月、各務原飛行場

 

「飛行試験ご苦労だった、大尉」

「ありがとうございます」中村は答えた。飛行服の背中には既にじっとりと汗が滲んでいる。今中村の目の前に立っているのは源田実大佐。航空戦のスペシャリストと呼ばれる大物だ。

「操縦感はどうだ?実戦に供せそうか」

「方向舵の効きが若干弱く、昇降舵は高速飛行時に動作が硬くなる傾向があります。それに、低速時に若干の振動が感じられますが、特に際立って飛行の障害にはなりません。加速は非常に良く、上昇性能、安定性も素晴らしいものであります。総じて、実戦投入に問題はないと思われます」

「そうか」源田は先程から機体を眺め続けている。流体力学によって洗練された紡錘形の胴体は全長が非常に短く、ドイツから輸入された「Me163コメート」を彷彿とさせる。しかしコメートよりも長い主翼の途中から、後ろに桁が伸び、そうしてその桁の伸びきったところに水平尾翼が付いている。エンジンとプロペラは紡錘形の胴体の前ではなく、コクピットの後ろ────いわゆる「推進型」というものであるらしい────に設置されている、なんとも奇妙な飛行機だった。

「では、今度の結果を三菱に報告しておく」

「はい」

では、と源田は背を向けた。止まっているくろがね四起まで歩いていって乗り込むと、後ろ姿が小さくなっていった。

中村は機体を見上げた。今まで見たどんな戦闘機よりも綺麗な形に見えた。暗緑色の塗装の艶が太陽の光を鈍く反射して輝いた。

 

 

 

────1945年7月、サイパン島 司令部

「そんな事があってなるものか!」マクスウェル少将は怒り心頭に達するといった風情で机に拳を叩きつけた。

「高々ジャップの戦闘機1機に60機のマスタングが振り切られた挙句、敵はB-29の1番機だけを撃墜して逃走した?信じられるものか!」

マクスウェル少将の主張に無理はなかった。1945年に入り、日本軍の戦闘機の能力はさらに1段下がっているのは間違いのない事実なのだ。日本軍は未だに速力の遅いジークを改良しただけの機体を主力に押し立てているのだ。それが極東の黄色い猿とその猿知恵の限界であるという意見を、彼は一度も曲げたことはない。その意見はまもなく実証されるだろう、と彼は確信していた。戦争はもう、終わろうとしている。

「しかし、生還した搭乗員は全員同じ内容の報告をしております。敵の戦闘機が突然現れ、1番機だけを撃墜して遁走した、と」

「護衛機を増やせ。その結果がたとえ真実だとしても、それ以上打てる手立てはない。」

飛行隊長は敬礼し、背を向けて部屋を出ようとした。

「8月の中旬に再びジャップ本土への大規模な空襲を行う。私も向かうからそのつもりで」マクスウェル少将の言葉がその背中に投げられた。

 

 

1945年8月14日

 

大日本帝国は、米、英、中によるポツダム宣言の受諾を決断、通告し、8月15日に大東亜戦争=太平洋戦争が終わることが決まった。

 

 

 

「少将」ノックとともに、一人の軍人が司令室に入ってきた。マーク・ボードウィン大佐、サイパン島の戦略爆撃機隊の参謀長である。

マクスウェルは大佐を見て、そうして虚脱したような目を窓の外に向けた。窓の外は見渡す限りの青が広がり、戦闘機が訓練飛行を続けている。

「日本はポツダム宣言を呑むと決断し、通告しました。これ以降の無用の攻撃は不要、という命令が来ております」

「第十八次空襲の出撃は、今日の午後3時だったな」

「そうです。しかし、通達が先に来てしまった以上は────」

マクスウェルは目を室内に戻した。大佐はその目に何か不吉なものを見た。何かに取り憑かれたような表情をしていたからである。

「彼らを出撃させろ」

「それは出来かねます。上層部からの通達はそれを明確に禁じています」

「今は午後2時30分、だが私はその通達を午後3時15分に見ることにする。」

「それは」大佐は言葉に詰まった。確かに司令官が通達を部隊の出撃のあとになって見たとすれば、それは既に攻撃行動に入った部隊と同等である。通達は既に攻撃行動にある部隊の行動は制限していない…

「無茶と思うか」マクスウェルは問うた。その目には奇妙に光があった。

「私の兄はパール・ハーバーで殺された。私の弟は、ペリリュー島で獲物のように狩られた。私の家族の仇は薄汚いジャップだ」言葉が零れ出た。マクスウェル少将の脳裏に号泣する彼の義姉と義妹を見舞った記憶がありありと思い出された。快活な自分の兄弟と、その家庭を殺したのはジャップに他ならなかった。

「分かったな。部隊を出撃させろ。私も行く。これは命令だ」

大佐は無言で敬礼して、部屋を去った。

 

「ジャップめ」少将は呟いた。「都市を丸々一つ、滅ぼすところを見届けてやる」

 

 

 

 

 

1945年8月15日 各務原飛行場

 

中村は点呼を終えて、掩体壕の日陰に歩いていった。日中の暑さは、飛行服を着ていると耐え難いものになる。少しでも涼しい場所にいないと、倒れてしまいそうだった。

「中村大尉」整備兵の戸村兵長が敬礼して、直ぐにまた座った。戸村兵長は同じく地面に座り込んだ中村に話しかけた。

「今日の正午にあるといってた放送、なんだと思いますか?」

「重大放送と言っていたが、内容については言われなかったな」中村は答えた。「あと、戸村兵長」

「はい?」戸村は怪訝な顔をした。

「敬語とか使う必要はないんちゃいますか、おやっさん」中村がまだ幼い頃、戸村は中村の故郷の小さい工場を経営していた。幼少期の中村は鉄屑を盗みに工場に侵入しては、工場主の戸村に追い回されていたのである。中村は鉄屑を削って銛にして、魚を捕っていた。

 

「軍隊におると、堅苦しゅうてあかん」戸村は素の話し方に戻った。「うちの工場の工員も、こんな敬語使ったことないわ」お国言葉丸出しで愚痴を垂れている。

「おっさん、賭けるか?戦争に勝つために一層邁進しろって言われるか、戦争は負けや終わりやって言われるか。さつま芋一個でどうや」中村もお国言葉で返した。重大放送の内容については、隊員の間でも意見が割れている。「皇国の興廃この戦争にかかれり。各員

一層奮励努力せよ」派と、それ以外という派で半々といった具合だった。軍人であるから、「それ以外」の意味するところが日本が負けるとか、無条件降伏するといった内容であったとしても、それを大っぴらに口には出せなかった。

「そんなん、無条件降伏に賭けるわ」戸村は躊躇いなく言い切ってみせた。「これ以上戦争しても得にはならん。その辺はようよう陛下も海軍の上の方も分かっとるはずや。要はメンツの問題やがな」

「メンツ?」中村は聞き返した。

「せや、メンツや。いくら負け言うても、犬の喧嘩とは違うんやから、お腹見せて終わりいうんとは違う。負けるにしても、ちょっとでも譲歩を引き出すンが、政治言うもんや」

「おっさん、一端の政治家やな」中村は笑った。

「こんなんで政治家言うんやったら、世の中政治家だらけや」戸村も破顔した。「お前はもうちょい『よのなか』言うもんを勉強せえ」

「よのなか?」

「せや、『世の中』や。綺麗な数学やら英語やらだけではあかんのや」

「そうか」中村は滑走路を見つめた。滑走路の脇の雑草は今や人の背丈くらいに伸びて、夏の日差しを一身に受けている。どうやら自分は『世の中』を勉強できるかもしれないぞ、と中村は思い始めた。同期は沢山死んだ。もし正午の放送が本当に日本の敗北を告げるものなら、自分はこの戦争を生き残ることになる。

「ほな、整備行ってくるわ」戸村はよっこいしょ、と声を出してから立ちあがった。そのまま腰のあたりを軽く叩いて掩体壕の奥に入っていった。

中村は叢に身を横たえた。この飛行場に動ける戦闘機はないはずだった。戦闘機が全機動けない以上、中村の仕事はない。いつしか彼は青い空を見ながら、浅い眠りに入ろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

そこら中に響く大きい音で目を覚ました。目の前を飛行服を着た飛行兵や、工具を持ったままの整備兵が走っていく。懐中時計は午前11時半を指していた。

「どないしたんや、おっちゃん」走る戸村を見つけて、中村は呼び止めた。

「空襲警報やがな、はよ掩体壕に逃げ」中村は初めて空襲警報に気がついた。「ほんまに一機も出られへんのか?」

「無理や。零戦も雷電も紫電改も、みーんな無理や」戸村は何かに気づいたといった表情で中村を見た。「でも、一機だけ、掩体壕の一番前に置いてあったやつなら、飛べるかもしれん」

中村は問うた。「どんな戦闘機やねん」

「よく分からん。名前しか書いてへん。「閃電」って書いてるだけで、なんか変な形してる」

「それ、出してくれ」中村は大声で言った。もう爆撃機が迫り始めていて、爆発音やエンジンの音が聞こえ始めていた。「乗ったことはある。いける」変な形の戦闘機と言われて、思い出さないわけがなかった。自分が試験した新型機が、きっとまだ置いてあるのだ。

「やめとけ」戸村も負けない程の大声で言った。「あの数相手にして一機だけで出たら死ぬで」

「ええから出してくれ」中村はもう一度言った。「それ、乗ってみたいんや」

「とことんまで阿呆やなあ、お前は」戸村は首を振って掩体壕の方に走っていった。掩体壕の近くにいた整備兵に何やら話しかけると、戸村は大きく手で丸を作ってみせた。

 

引き出されてきた戦闘機は、まさしく「あの」新型機だった。寸詰まりの胴体から突き出た長い主翼と、その途中から機体の後ろに伸びる桁、そして尾翼。今までに中村が見たどんな戦闘機より、それは先進的な形をしていた。

「飛べるけど、燃料があんまり入ってへん。下手したら落ちるで」戸村が大声で言った。

「分かった。戸村さん、ありがとう。エンジンかけて」中村は気にしなかった。燃料が切れても、落下傘で降りた先は日本なのだ。川面に不時着してもいい。中村にはその程度の技量なら十分にあった。

「ええか、死んだらあかんぞ」エンジンの轟音の中で、戸村は叫んだ。

中村は頷いて、風防を閉めた。敵の戦闘機が視界の端に見え始めている。彼は目を閉じ、スロットルレバーを押し込んだ。

地面が後ろに流れる早さが早まっていき、地面から感じる振動が消えた。そして彼は飛んでいた。速力計の針は既に300km/hを指していたにもかかわらず、針はまだ速力計の頂点にも達していなかった。

 

「閃電」は、700km/h以上での空戦を目指した戦闘機だったのだ。

 

高度計の針が滑らかに動いていく。既に1000メートルを超え、間もなく2000メートルに達そうとしていた。アメリカの戦闘機は、1分以上付いてくることは出来なかった。僅か1分で、その戦闘機との距離は2kmを超えてしまっていた。中村は後ろを見て、大声で笑った。誰も自分には付いてこられない。自分こそが、今この空で最も速い人間なのだ。空技廠が最後に送り出した戦闘機は、天駆け、さらに上昇していく。

 

 

いつしか中村の周りの空の青色が深まり、高度計は8000メートルを指していた。中村は懐中時計を見た。8000メートルに上昇するまでに、25分しかかかっていなかった。もう正午の放送なんてどうでもよかった。彼は右前下方を見た。B-29は各務原への投弾を始め、更に他の機体はその奥へ進行しようとしている。

 

ふと中村はB-29を落としたい衝動に駆られた。爆撃機には多くの機関砲が付いており、挑めば敵からの反撃は凄まじい。しかし中村の中で、その衝動は留まることなく膨れ上がった。中村は右に舵を切り、スロットルレバーを若干引いた。そうして彼は一直線に────あたかも獲物を狙う隼のように────B-29の最後尾に向けて突進し始めた。彼は照準器いっぱいにB-29の図体が広がるのを見た。彼は機関砲のスイッチを押した。

紫電改や零戦のものとは比べ物にならない、大きく重い音が彼の耳をつんざいた。B-29は僅か5発で炎に包まれ、そして粉々になった。彼が再びスロットルレバーを押し込むと、真新しい戦闘機はエンジンの唸り声を上げて空を突っ切った。

《これで撃墜4機だ》中村は心の中で叫んでいた。《あと1機で、俺はエースになれる》

突然無線機が雑音を発し、中村は耳を近づけた。誰の声かもわからない雑音混じりの声が、中村の耳に入った。

「War is over…!」

「Fuckin' Jap!We finally won!」

中村は自らの耳を疑った。なぜ日本の飛行機の無線機から英語が聞こえてきたのか、彼には皆目分からなかった。しかし中村には、ひとつだけ分かったことがあった。

 

 

日本は負けたのだ。

 

 

彼は前下方を見た。B-29は美しい編隊を組んで、未だに爆弾を落とし続けている。

《もし》中村はB-29を見続けた。銀色の機体が、太陽の光を跳ね返すのを見た。《ここで俺があのB-29を墜したら、どうなるだろう?》

 

俺は反撃されて死ぬかもしれない。反撃を生き延びて着陸しても、結局アメリカの兵隊に報復されて、死ぬかもしれない。

 

《それなら》B-29はまだ爆弾を落としている。《俺はあの機体を墜そう。そして死んでやる。日本海軍の、最後のエースになってやる》

 

彼は目を閉じた。そうして彼は、スロットルレバーを思い切り押し込んだ。

 

 

 

「我々は勝ったのだな」マクスウェル少将は呟いた。眼下の都市は爆炎に覆い尽くされ、正確なその姿は掴めない。しかしその光景は、彼を満足させるのに十分であった。

《私は勝った。これが私なりの復讐だ》

 

マクスウェルは恐怖に引き攣った叫びを聞いた。彼は天窓を見た。上から────真っ青な空から────一機の戦闘機が突進してくる。

 

 

マクスウェル少将はその中の人間の顔を見た。死を前にして、パイロットは不気味に笑っているように見えた。マクスウェルはその機体の中の人間の目を、呆然と見つめていた。




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