暖色の照明光が降り注ぎ、弦鳴楽器の優美な音色がホールを満たしている。
絢爛極まる装飾の施された広間には、仕立て上げられたばかりであろう礼服を身に着けた数十組の男女が密集し、それぞれが舞踏に興じている。一人残らず容姿端麗、選りすぐりの美男美女であり、楽し気に笑い合い、輝かんばかりの白歯を瞬かせていた。
吹き抜けとなった二階部分には、染み一つない純白のテーブルクロスを掛けられた小ぶりな円卓がひしめき、同じく礼服を着た人間たちが座して食事と会話を楽しんでいる。一様に慇懃な笑みだけが目立ち、やはりそこにも美しい出で立ちの男女以外は存在しなかった。
反吐が出そうになる。死にたくなるほど耐え難い空間だ。オレという人間が場違いである以上に、ここは臭くて醜く耳障りで、否応なく気分は最悪。ここに比べれば糞の掃き溜めの方がまだマシだと思える。それほどまでに、オレはこの空間を嫌悪していた。
事実、この空間は腐っている。この世界で、この街で、最も汚らわしく華々しい者たちが集まった極め付きの黄金腐乱世界。誰も彼も、莫大な財産を築いた特権階級者であり、クラヴァーに置いては疑いようもなく絶対的な強者たちだった。
だが、そう。これはこの街における常識であるのだが、彼らのように美しく絢爛であるほどに、その魂は醜く惨く、疑いようもない罪人だ。或いは詐欺者であり、或いは殺人者であり、それぞれが程度の差はあれ、愚かな屑を食い物にして頂点に至っただけの、他の芥よりも強く、他の塵よりも賢かったに過ぎない屑たちだ。だが、この街では彼らのように者が勝者であり、ただ踏みつけにされるしかない何の役にも立たない弱者たちこそが敗者なのだ。
故にここは臭い。どれだけ美しかろうと、どれだけ輝かしかろうと、それらの眩さは全て腐り切っている。内情を深く知る者からすれば、あり得ないほどに狂い荒んだ欲望の坩堝でしかなかったのだ。
けれどその様はある種、完璧な秩序を描いてさえいた。事実、この街は比類なき高度発展を続け、大陸随一の都として燦然と確立されている。その内実は致命的なほどに無秩序であるはずなのに、渦巻く混迷の中にしかし、確実に秩序はあったのだ。言うなれば、分かりやすい。複雑なことは何もない。この街では強い者が正義だ。どれだけの最底辺に居ようとも、力があれば、足掻き方を弁えていれば、不思議なことに――どのような人間であろうとも、一定の成功を掴んでしまう。それが、オレが嫌悪しつつも面白いと感じてしまう、この狂った街の特徴であった。
「楽しんでいるかねナナキ!」
数々の高級料理を挟み、オレの真向かいへ同席する男より、異様に明るい声音で呼びかけられた。
別に。という意味を込めて、オレは空を右手で払うような動作で返す。声の主はさも愉快そうに口端を吊り上げ、それから肉片の突き刺さるフォークを口へ運んだ。
「結構! 先ほどから全く楽しくなさそうに見えたのでね……あえて聞いてみたんだ!」
彼は艶のある黒髪を全て後ろに撫でつけ、純白のスーツを着用した褐色肌の男だった。人懐こそうな笑みの中には皺の一つも見当たらず、壮年期を半ばほど過ぎた歳には到底見えないほどに、端麗な容姿の持ち主である。
彼こそがカリス=レイドライナー。クラヴァーを統べし者であり、この広間に集まった者たちの精神性や資産、その他あらゆる全てにおいて圧倒的に凌駕する異常者。すなわち悪辣無道の王その人であった。
「ナナキ。それを付けているなら、普通に話せばいいじゃないか」
カリスの右隣に座る蒼髪の男が、意地の悪い笑みを浮かべつつ自分の喉元を指差してみせる。オレの首には、機会音声による発声を可能とする特殊な器具が取り付けられていた。
「やめなよおヴィーちゃん。ナナきゅんはおしゃべりするのが苦手なだけだよ。いじめちゃかわいそうでしょお」
オレの隣に座る赤髪の男が、妙に間延びした口調で割って入る。一見、オレを庇うような言動だったが、その実揶揄するような意味合いが過分に盛り込まれている。
「それにさあ、その首輪使うの。ナナきゅんは嫌いなんだもんねえ」
赤髪の男が気だるげな流し目をオレに向ける。血のように赤い長髪と同様に、その瞳も炎の如く激しく、妖艶に輝いていた。極めて中性的な容姿のために、一見すれば女性と見紛いかねないほどに美麗な顔立ちだ。
名を、クルーガーという。のんびりとした物腰と、その優れた器量のために、大抵の者はこいつに警戒心というものを抱きづらいが、ある一部の人種。例えば、「仕事仲間」であるオレのような人間からすれば、こいつとこの距離に居ると、常に首筋へ刃物を当てられているような気分にさせられた。
「君も、凄まじい目つきで睨まれているが?」
せせら笑う蒼髪の男。鋭く細められた目つきが鷹、或いは狼を想起させた。
奴はセーヴィル。クルーガーと同じく、オレの仕事仲間であり、オレたちのまとめ役を担う男であった。
オレの視線に気付いたセーヴィルが手話を用いて「殺したかったら言え」と物騒な合図を送りつつ片目を閉じたが、肩を竦めるだけに留めておく。
「あれえ。何今の、いつの間にヴィーちゃん手話なんか覚えたの。ずるい、おれもナナきゅんとそうやって話したい」
「クルーガー先輩。そう言ってナナキ先輩に教えてもらった時に、結局やる気がなさ過ぎて怒らせてたじゃないですか」
「るさいよネッド。アレはナナきゅんの教え方が悪いのお」
ネッドと呼ばれた亜麻色の髪をした少年が、苦笑しながらこめかみのあたりを摘まむように揉んだ。奴が困っている時によくやる癖だ。
ネッドもまた仕事仲間であったが、この中では最年少であり、仕事を始めてからの日も浅い。しかしあどけない顔つきに似合わず、その実力に関してはオレも認めるところがあった。
これで、オレを含めて計五人の男たちが円卓に並び座していることになる。カリスを筆頭にそれぞれがフォーマルな装いをしていたが、オレやクルーガーのように大胆に着崩したり、あまり意識して着揃えていない者。ネッドやセーヴィルのようにしっかりと着こなしているな者など、統一性は薄い。それでも、全員が全員、色の異なるネクタイを着用している点だけは共通していた。
オレは赤を。クルーガーは黒、ネッドは黄。そしてセーヴィルは蒼。カリスは白色のネクタイを首に巻いている。それはオレたち四人。つまり、カリス=レイドライナーという男に仕える私設部隊、サイレント・ラウンジに属する人間に設けられた規則のようなものだった。仕事の際には、必ず独自に用意したネクタイを着用すること――個人的には、甚だ訳の分からない決まり事だったが。
「諸君、相変わらず仲が良くて何よりだ。結束は大事だし、君たち四人はチームとして組むケースも多いのだから。その調子で兄弟仲を深めてくれると、私も父親として嬉しいよ」
あくまで微笑みながら、そう言ってカリスはワインの入ったグラスを傾ける。ラウンジの大半、主にセーヴィルやネッドたちは幼少期に孤児だったところをカリスに拾われ、以来実子のようの育てられてきたらしい。故にカリスは、度々オレたちと自身の関係を親子に例える。クルーガーやオレはこの街に流れ着いたところを雇われただけなのだが、それでもカリスの態度はセーヴィルたちに見せるものと同じだった。
彼と出会ってから一年ほどの歳月を過ごしただろう。その間、オレはこの男が笑う以外に感情を示したところを見たことが無い。確かに柔和な男に見えるが、彼はこうして笑いながら食事を楽しみ、笑いながら子供の頭蓋を叩き割るような男であることは、この街の住民ならば誰もが周知のことだった。
「僕は、父さんと一緒に食事ができるだけで嬉しいですよ」
そう言って笑うネッドの顔は年頃の少年そのものだ。奴は、本来なら殺人行為を嫌う種類の人間であるのだが、他の誰よりもカリスを慕っている。カリスのためならば、人殺しに手を染めることすら厭わないのだ。
「ネッド! お前という奴は私の喜ばせ方を完全に理解しているな。よし、では何が欲しいか言ってみろ。なんでも買ってやろう。これからの報酬も五倍までなら上乗せにしてやるぞ!」
「抜け目のない子だ。ネッド」
「ヴィ、ヴィル兄さん。そんなつもりじゃないって」
「はあ? またネッド贔屓? おれだってめちゃ働いてんですけどお」
「君は無関係の人間を殺し過ぎだよ。だから殺戮狂と呼ばれるんだ」
「そうだともクルーガー。今度からはセーヴィルたちにバレないように殺しまくりなさい。ネッドの教育にも悪いからね」
『……カリス。仕事の話ハなさらナイノですか』
カリス。さっさと仕事の話をしたらどうだ。口に出したのはそんな愛想も何もない言葉のつもりであったが、頸部に着けた機器が勝手に「補正」する。これがオレは気に喰わなかった。自由に言葉を選ぶことが出来ないのであれば、進んで話す気力すら湧かない。それにどうせ、対話を楽しむ性分でもないのだ。
「おっと。そうだったね。全く短気だなあナナキは」
『……』
痺れを切らしたオレの様子に、カリスは人差し指を立てながら口元をナプキンで拭う。
そう、何も好き好んでこのような場に顔を見せたのではない。郵便受けにあった赤い羽毛。あれはラウンジの構成員に対する支配階級からの招集状であった。
「では、ナナキに首を引き裂かれないうちに本題に入ろうか。どうにも彼はこの空間が嫌でたまらないようだし」
――俺もだよ。セーヴィルが合図を送るのが見えたが、無視した。
「先日、五等区の“畑”がペインキラーの方々に燃やされた。三等区と四等区に引き続きだ。それに“輸送業”の方でも被害が大きくなっている。これらは最近になって立て続けに齎されている被害だ」
「連中、調子づいていますね。放置しておいたのが仇になったのでは?」
セーヴィルの言葉に、カリスは叱られた子供のように唇をすぼめた。
「お前の助言を聞くべきだったかな、セーヴィル。私も少々楽しみ過ぎた。ビジネスパートナーたちはペインキラーを相手に街で戦争を起こしそうなほどお怒りだ。無論、それでも面白くはなりそうなんだが、あんまり騒ぎを大きくするとさすがに王都からの介入を受ける恐れがある。そうなると、まあ楽しくはなくなってしまうだろうな」
楽しいか、楽しくないか。面白いか、面白くないか。カリスの判断基準は全てそういった類の二者択一により先行される。
ペインキラーとは、要するところの支配階級に対する抵抗組織だ。この街で真っ当に成り上がることを放棄した――所謂、良識のある真っ当な――人間たちが集まり二年ほど前に姿を見せるようになったと聞く。支配階級を突き崩さんと画策しているらしいが、所詮は羽虫のような存在でしかなかった。それが近年、勢いを急激に増している。
「彼らが数を増しているのは確かだ。さすがにそろそろ動かねば面倒なことになるだろう。クルーガー、まだ彼らを叩くのは容易だと思うかね?」
「思うよ」
即答であった。話を振られた当人は、にっこりと愛嬌のある顔を作り、まるでなっていない所作で料理を摘まんでいる。
「ほう、何故そう思う?」
「だってさあ。結局はみんな蟻さんでしょ。そりゃたくさんいたら気持ち悪いけどお。“頭”を潰せば、みんな死ぬんじゃない」
「ふむ――そうだろうね。結局は、“騎士殿”が要だ。つまらん」
その一瞬、カリスの瞳に影が見えた気がした。
「“騎士殿”が死ねば、ペインキラーは勝手に瓦解するだろう。そうでなくとも、鳥合の衆へ様変わりだ。後は一気に叩けばよい。ああ、つまらないね。虐殺というものはとっても扱いずらいんだ。分別もなくやらかすと、恐ろしく退屈なだけの行為となってしまう」
まるでペインキラーを脅威と見ていない口ぶりだが、事実そうだ。確かに度重なる破壊行為を受けてはいるが、それはあくまでカリスが本格的に対処を行っていなかったから罷り通っていたことだ。この男は、他の支配階級の人間を抑えてまで、連中の好きにさせておいたのだ。端的に、とんでもない大馬鹿としか思えないのだが、カリスを論理的に評する行為こそがあまりに愚かであった。故に、その気になればペインキラー程度の組織は簡単に叩ける。実際、数を増してはいるだろうがそれでも精々が数百程度に違いない。
ただ唯一厄介であるのが、“騎士殿”とカリスが呼ぶある男の存在だった。彼一人のために、素人の集まりでしかないペインキラーは若干の手強さを獲得していると言っても過言ではない。
「なるほど。では――今夜、始末をつけると」
「ああ、彼の所在は割れた。ええと、なんだったかな。“どうしようもない社会的弱者の巣窟”……違うな。“ドブネズミの住処”……ンン?」
『……最下等区、のことデしょウカ』
「ああその通りだ! その、あー。“汚物廃棄所”だったかな? 騎士殿は今そこにいることが分かっている。詳しくは追って他の者にすぐ連絡させるから、まずは各々、準備を整えておいてくれ」
あくまで惚けたカリスの物言いに、クルーガーは声を上げて笑い。ネッドは得意の曖昧な苦笑を浮かべ、セーヴィルは露骨に溜息を吐いた。ならばオレの心境と反応は想像に難くないだろう。
「名残惜しいが、そろそろこの騒ぎにも収拾をつけなければね。名高き“騎士殿”にはご退場願おう」
いつも通りだ。カリスや、他の支配階級の人間より命ぜられ、誰かを殺す。それがオレたちの仕事だ。支配階級に仇をなす全てを始末することこそが、サイレント・ラウンジの役目だから。
「では諸君、頼んだよ。ペインキラーの統率者――アインハルト=クライシーゲルを殺したまえ」
そう。いつもの濡れ仕事でしかないと、この時のオレは、愚かにもそう思い込んでいたんだ。
歴戦女王