世界から忘れ去られたエミリア──彼女に刻まれた呪いは、かの魔女のもとで残酷にも牙を剥く。
スバルも、エミリアも、誰もがその真意に気付けないまま。
歴史の楔は、深く深く、奥底に突き刺さって離れない。

※リゼロ六章53話の続きをバッドエンド風に妄想した短編です。なので54話以降、こちらとは矛盾が生じると思いますがその点ご理解いただければ幸いです。

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いつか見た世界

 銀髪の知らない人と、ラムはそう言った。

 その人が『暴食』の大罪司教と今なお戦っているのだと、確かに言い放った。

 

「それって……、」

 

 世界の最果てへと続く地の一つ、アウグリア砂丘。その一角にて、天地を縦に縫い止めるままに堂々と聳立するプレアデス監視塔──ないし、プレイアデス大図書館。比喩的にも現実的にも四百年の歴史を孕んだその場所は現在、中の人間を鏖殺せんと波濤のように迫り来る凶暴極まりない魔獣によって包囲され、あまつさえ『暴食』の大罪司教の侵入までも許したという。

 そこまではまだ分かる。考え得る最悪の状況に一歩近づいたことは言うに及ばないが、理解するという意味であればこれ以上ないほど分かり易い脅威だ。数の暴力に、予期されていた敵の到来が思っていたよりも早かっただけ。

 

 しかし、そうだというのならば……予想内から片足を出した事態に引き起こされる予想外の連鎖は、どうだ。

 スバルたちのいる監視塔という一種の城を、敵は攻略する必要があった。攻城戦とは理屈上、防衛する側に有利な立ち位置が与えられる。防壁を突破する間に身を晒して尚且つ到達までに労力を費やす攻撃側に比べ、基本として地理と状況が味方するのだから。相手が懐に入り込んでくるまでに、威嚇攻撃も威力偵察も、場合によっては実質的な被害ゼロで撃退することさえ可能だ。

 

 そのため攻城する側としては数による包囲や力任せの強行突破、次に交渉などが求められ、どれにしても対等な立場で矛を交えることがまず出来ない。

 現状で言うならば、魔獣の処理はシャウラとメィリィに任せるに足りた。包囲はひとまず安心していい。不穏分子に数えられるレイド──言動は予期不能だが、少なくとも、直接的な敵対には至らないはずだ──はさておき、敵の真打ちである『暴食』への対策がまだ確立していない。それでも全く太刀打ちできないほどの戦力差があるわけでもなく、皆で一丸となって抗えば、それなりに善戦が出来るだろうとスバルは高をくくっていた。

 押し寄せる魔獣と同様、目に見える形で仕掛けてくると前提を置いていたためだ。自分たちがまともに準備を終えるより早く塔の内部に侵入してくるなど考えてもみなかった。

 情報戦になるから相手を上回らなければ、と啖呵を切った途端に裏を掻かれたのだ。しかもその被害は──、

 

「エミリアだ……! エミリアちゃんが、『暴食』に——」

「待つかしら、スバル」

 

 ラムの報告を聞き、彼女の来た方向へ走っていこうとしたスバルの手を後ろから握る。ベアトリスだ。

 

「本当に『暴食』の大罪司教が現れたのなら、迂闊に近づいても仕方がないのよ。姉妹の妹や他の人間の記憶を持っている以上はベティーたちの名前もすでに知られていると考えたほうがいいかしら。一度でも、触れられたら即終わりなのよ」

「でも、銀髪の知らない人って……エミリアちゃんだろ!? すぐそこで、今も戦ってる! 加勢しにいくべきだ!」

「だから、それが命取りになると言っているかしら! そもそも、その銀髪の人だって……」

 

 縋るように腕を引っ張るベアトリス、その群青の瞳に浮かび上がった感情を、スバルは読み取る。「うそ、だろ……」わなわなと、震える口に後の言葉は紡がれない。

 

 懐疑と、恐怖。

 未知の存在に対して、警戒するのは生き物として当然のことだ。人はもちろん、生を背負った精霊も然り。得体の知れない誰かを、初めて認識する誰かを信じるは難しい。まして生死の懸かった状況となったらなおさらだ。

 たとえそれが元々知っていた存在であっても……『暴食』の悪意は、頼もしい既知を恐ろしい未知へと変える。仲間が他人に、信頼が疑心に──温かい眼差しが、敵へ向けるその冷徹さと同等になる。

 

「どうやら今回も君だけが覚えているようだが……正直、全幅の信頼を置くにいささか躊躇いを覚えるのは否めない。ラム女史が見るに、その人の印象はどうだった?」

「……言動だけを見るなら仲間だった可能性は高いけれど、そうね。背中を預けるには少し不安が残るわ」

「いや、待て、よ……ちょっと、待て」

 

 君だけが覚えている?

 背中を預けるには不安が残る?

 

「ボクも概ね彼らに賛成だ。その銀髪の人が、魔女教の設置した罠である可能性も否定しきれない。不確定要素は出来るだけ慎重に扱うべきだと思うよ」

「そういうことなのよ。戦闘に入り込むといっても、その人が敵か味方かを確かめる必要があるかしら。スバルの気持ちも分からないではないけど、今の状況は、負うべきリスクが大きすぎるのよ」

 

 魔女教の罠?

 敵か味方かを確かめる?

 ──なにを、こいつらは何を言っているんだ。

 

 その言葉の一つ一つが鼓膜を震わすたびに、純粋な感情がスバルの胸中に芽生えては大きくなる。怒り、焦り、戸惑い、悲しみ、憎み──ぐちゃぐちゃに入り混じり、変色し、肥大化したそれは純粋な狂気。

 鼻をくすぐる懐かしい香りに、呼び起こされるようにして狂気が脈を打つ。心臓から血管へ、血管を通じて全身へ、そして脳まで。

 大熱を持って巡る感覚、しかし反面に冷酷さを以って狂い咲くもう一つの意識。

 

 未曾有の恐怖を前にして立ちすくむ『怠惰』を塗りつぶし、手の中の全てを守り抜くと決めた『強欲』をも飲み込んで支配する。

 逃避の安寧に身を投じた愚か者達への抑え切れない激情。

 これは自分だけのものだと一方的に断ち切る真逆の欲望。

 

 それを嫉妬と呼ぶか傲慢と呼ぶか、混沌としたスバルの頭では判別がつかなかった。

 

「——スバル!」

 

 それでも、銀鈴の声音はどんなに強固な影の殻も通り抜ける。耳朶に響いた呼びかけに、スバルは沈みかけた意識を浮上させた。

 通路の向こう、丸みを帯びているために死角となった前方から、わずかに覗く銀色の輝き。弱々しいベアトリスの手を振りほどき、駆け寄るスバルを止める者はいない。輝きと共に迫り来る濃密な影の波に飛び込むなど、スバル以外には、誰も。

 

「エミリアっ、無事か!?」

 

 無事なはずがない。彼女はたった今、世界から存在が忘却されたのだ。

 エミリアが姿を現すと同時、スバルの背中に突き刺さったのは感じたこともない数多の視線。

 ふと振り返ったスバルの目に映る、色とりどりの双眸。その瞳の奥に過る、隠しきれない驚愕の色。……誰かの呟く、全員分の代弁。

 

「銀髪の、……ハーフエルフ」

 

 その響きにエミリアがびくりと体を震わせた理由を、スバルは何も知らずに見つめる。青ざめた顔色も、まだ震えたままの指先も、助けを求めるように触れた、耳元の髪飾りの意味も。

 認識が改ざんされたベアトリスたちが、エミリアのことを知らないというのなら。

 スバルもまた、彼らと違って知らないことがある。

 

 後ろ足に重厚な影を引き連れて、名も無い彼女はなるほど誰の記憶にも残っていない形骸だ。『暴食』の被害者だと、見れば納得できる希薄な印象。

 しかし、そんな考えをあらかた吹き飛ばす第一印象があった。

 

 背を包むようにして伸びた嬋娟たる瓏銀の髪筋と、エルフの血を如実に表す先の尖った長い耳。

 そもここは、この場所は、魔女の祠が最奥に鎮座するといわれるアウグリア砂丘。そしてエミリアはその中核に現れた、見知らぬ銀髪のハーフエルフ。

 スバルが、もし『嫉妬の魔女』に関する古き伝承と……周囲に漂う薄い瘴気の流れに気付いていれば。

 ベアトリスの、ユリウスの、エキドナの、ラムの——瞳の奥底に色濃く刻まれた、畏怖と嫌悪に理解するところがあったのかもしれない。

 あくまでも仮定の話だ。この世界はもう、遅きに失した。

 

「なん、だよ……その目は……。エミリアちゃんを、そんな目で見るんじゃ、ねえ…………!」

 

 互いが互いの未知に近づけない仲違いの状況だ。分かり合えないことへの不可解と苛立ちが、無言の裡に募る。

 さっきまで普通に話し合っていたのに。一緒に心配していたのに。覚えていたのに。

 

「魔獣が暴れることで地下が崩壊するって推測は良かったけど、塔の床も壊れた場合に瘴気が漏れるってことまでは予想できなかったみたいだね。あはっ」割り込んできたのは、軽やかで楽しげな声。「ほらほらほら、この絶望はどうするのサ、英雄さーん?」

 

 子供が遊びまわる時の掛け声のような、あるいは不調和に諧謔を弄する、たちの悪い罪人のような。

 歯車が致命的に狂ったこの状況を、その微笑みは心底楽しそうに見下ろしていた。


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