汎人類史アナスタシアの短編SSです。
また連載中の「Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女」とは繋がりもありません。
またあくまで筆者の自己解釈となります。
それはいつの日のことだっただろうか。
随分と前のようにも、つい最近のようにも思える。ただ、昨日今日の話ではないことだけは確かだ。
きっかけは些細なことで、その日はたまたま、いつもより長めに食後のお茶を楽しんでいたことだった。
カルデアの食堂は腕の良い厨房係がいることもあり、食事時ともなれば多くのサーヴァント達で賑わいを見せている。
幼い子どもの英霊達が机を囲んでいることもあれば、家族やパートナー同士で食事を取る者、戦友同士で健闘を讃え合いながら祝杯を上げる者。
時代も国も異なる英霊達が一堂に介して食事の席に着くなど、それこそお伽噺の光景だ。
だが、アナスタシアはそんな雰囲気が少しだけ苦手であった。
別にカルデアの環境や他の英霊達が嫌いな訳ではない。単に他人と深く関わる事が怖いだけだ。
たまに話をする分には構わない。お茶の席を設けるのもいい。ただ、それ以上は求めないし求めて欲しくもない。
寂しくないといえば嘘になるが、自分には常にヴィイが寄り添ってくれているので苦痛を感じたことはなかった。
幸いにも英霊達はそういうデリケートな問題には寛容だ。大抵の英霊は生前に何らかのトラウマを抱えているものなので、ほとんどの者は親しく接しつつも境界線を見定めてそれ以上は踏み込んではこない。
空気を読まないアイドルだとか、嬉々として地雷を踏み抜こうとする道化師などもいるが、カルデアの環境は騒々しいという一点を除けば北国の皇女に優しかった。
なので、その日も他のみんなとは時間をずらして食堂に顔を出し、一人で遅めの昼食を取っていた。
食後の紅茶を一杯余分に注いだことを除けば、それはいつもと変わらない食事風景のはずだった。
閑散とした食堂。一人で使うには広すぎるテーブルと遠くから聞こえる洗い物の音。
何ら変わらないいつもの光景に赤い異物が迷い込んだのは、全くの偶然であった。
「悪いな、ここ座るぜ」
そう言って、モードレッドはアナスタシアの対面の席に腰かけた。
何故、という疑問が浮かんだ。
他に空いている席はあるし、モードレッドは他人とコミュニケーションを取りながら食事を取るような人間ではない。
食事の受け取り場所からこの席までは距離があるし、セルフサービスの給水タンクも反対側だ。
それなのにどうして、彼はここを選んだのだろうか。
何らかの意図があるのか、それとも単なる気紛れか。
静かな食後の余韻を邪魔されたこともあり、抗議の意味も兼ねて問い質してやろうかとも思ったが、そんなことをすればモードレッドは不快感を露にするだろう。
事を荒立てるようなことはしないだろうが、今後の共同生活において何らかのしこりを生むのは避けたい。人間関係に溝を作るのは本意ではないのだ。
気に入らなければさっさと自分が退席すればいいだけだと言い聞かせ、アナスタシアは努めて目の前の騎士の存在を意識から外し、残った紅茶を味わうことに集中する。
だが、そんな慎ましい努力も破裂音の如き爆音によって虚しく吹き飛ばされてしまった。
「ああ、悪い」
謝りながら、モードレッドは手にしていた機械のダイヤルを弄る。すると、食堂に響いていた爆音が吸い込まれるように消えていった。
あれは確か、音楽プレイヤーというこの時代の蓄音機だ。マスターが時々、空き時間を潰すのに聞いているのを見たことがある。
モードレッドはそれを使って音楽を聞きながら食事を取ろうとしていたようだが、誤って音量を大きくし過ぎてしまったようだ。
「それ……」
「あん?」
「随分と、大きな音ね」
聞こえたのはほんの一瞬だったが、聞いたことのないメロディだった。
太鼓と金属の音はわかった。電子音のようなものも聞こえてきた。歌い手は何かを叫んでいたがそれはよく聞こえず、しかし、強く胸に訴えかけるものがあった。
自分が生きていた時代にはなかった音楽だ。
「気に障ったか?」
「いえ、不思議な音だと思ったの」
「聞くか?」
彼としても驚かせてしまったことに対してバツが悪かったのだろう。なので、こちらが怒ることなく興味を持ったことに対して戸惑っているようだった。
ただ、変に勘繰らないのがモードレッドの美点だ。彼は耳に差していたコード――イヤフォンを引き抜くと、その内の一つをこちらに差し出した。
手に取ったイヤフォンをしばし興味深げに見回したアナスタシアは、恐る恐る自分の耳にその先端を差し込み、モードレッドに目配せをする。
「――ッ!?」
鼓膜を震わせたのは、聞いたこともない楽器の旋律だった。
雷鳴にも似た弦の嘆き、慟哭を叩きつけているかのような太鼓とシンバルの音。主旋律に隠れてよく聞き取れないが、腹に響くような重低音も聞こえてくる。
耳をつんざくのは獣の叫びだ。怒りや嘆き、悲しみにも似た強い感情が胸を震わせる。何を言っているのかさっぱりわからない。
音が大きすぎて歌い手が紡ぐ歌詞を言葉として認識できないのだ。だから、これは獣の叫び。狼の遠吠え、巨像が行進する踏み足の音だ。
正直なところ、良さが一ミリも理解できない。こんなにもうるさい音を聞きながらよくモードレッドは落ち着いて食事ができるものだ。
「落ち着かない音」
「バーカ、ロックってのはそういうもんだ。乗れればいいのさ」
「そう……ありがとう」
イヤフォンを返し、アナスタシアは席を立つ。
耳朶に残る耳鳴りが煩わしい。そのせいで去り際に言葉を交わしたブーディカの声もよく聞こえなかった。
ただ、アナスタシアはその音を耳から消す事には抵抗があった。
初めて聞く音。
うるさいだけで芸術性の欠片もない騒音。
それなのに、何かが胸を掻き立てる。
それが何なのかわからないまま、その日は何をするでなく自室にこもったまま一日を終えることになった。
□
あれからモードレッドと話をすることはなかったが、あの時に聞いたロックという音楽はアナスタシアの耳に残ったまま離れることはなかった。
興味を持った、とはまた違うのだろう。カルデアの端末を用いて何度か聞いてみたが、モードレッドが言うところのノリというものがちっとも理解できない。
早鐘を打つようなリズムも、焦燥感を掻き立てる旋律も、鼓膜を破く勢いの音量も、彼女からすればうるさい、煩わしい、耳が痛いという感想しか抱けない。
なのに、気が付くとまたロックを聞いている自分がいることに気づく。
理由はわからない。
生前にはまだない音楽だし、あれを聞いたのはあの時が初めてだ。
それなのに、懐かしいと思っている自分がいる。
うるさくて、忙しなくて、耳が痛くなる音ではあるが、それを苦痛とは思えないでいることが不思議でならなかった。
「極稀にではあるが、英霊となってからも考え方が変わることがある」
「召喚後の経験は記録という形で座に持ち込まれる。それが霊基に影響を及ぼすことはなくはない」
そう教えてくれたのは施しの英雄と赤い弓兵だった。
過去か未来か、こことは異なる聖杯戦争において呼ばれた時の記憶。
それをハッキリと思い出せる者もいれば漠然としか覚えていない者、擦り切れてしまって思い出せない者もいるらしい。
大抵のサーヴァントは気にも留めないのだそうだ。良い思い出もあれば嫌な思い出もあり、それをいちいち覚えていたのでは気が持たない。
何しろサーヴァントは仮初の存在にして聖杯戦争という儀式の道具。召喚されれば血生臭い戦いは必定であり、最終的には離別が待っている。
ただ、仮にそうだったとしても、自分がこのようなふざけた音に興味を持つようなことがあるだろうか。
恐らく、今の自分が抱いている感情こそがアナスタシア・ニコラエヴナとして正常な感覚のはずだ。
果たして、以前の自分は召喚先で如何なる経験を積んだのだろうか。
価値観を覆されるほどの何かがそこであったというのだろうか。
それを知りたいという欲求はあったが、同時に触れてはならないという忌避感も働いた。
これは以前の自分の思いであり、今の自分が安易に触れて良い代物ではない。
だから、アナスタシアはそれ以上の詮索も思索も放棄することにした。
後に残ったのは、ただうるさいだけの音楽のレパートリーが、少しずつ増えていくだけの自室の端末。
相変わらず良さはわからないが、いつしかアナスタシアはそれらに耳を傾けるのが日課となりつつあった。
□
イヤフォンの向こうで男性の遠吠えが耳をつんざく。
不快そうに眉をしかめながら、しかし底に響く低音まで聞き逃すまいと必死に音を拾い上げながら、アナスタシアは時が来るのを待っていた。
世間はクリスマスを目前に控えた十二月であり、カルデアでも少し前に新たなサンタクロースが産声を上げていた。
そんな中、メキシコで発生した微小特異点において真のサンタクロースを決めるというサンタタッグトーナメントが開催されることとなり、アナスタシアはイヴァン雷帝をタッグパートナーとしてその大会に参加することとなった。
サンタクロースとは
故にこれは利害の一致。史上最強のツァーリの娘が史上最強のツァーリを誘った夢のコンビの誕生である。
「時間だ。アナスタシア、闘技場に出向くぞ」
「……ええ」
低くこもるようなイヴァン雷帝の声で現実に引き戻され、アナスタシアは音楽プレイヤーのスイッチを切る。
見上げた雷帝の姿はとても人には見えぬ巨体。魔獣と結合した異形の姿であった。
どこかの世界においてそういう歴史を辿ったイヴァン雷帝がおり、カルデアにはその雷帝が召喚されたのだ。
「また、聞いていたのか?」
「はい」
「余にはわからぬ。お前ならばもっと高尚な音楽を嗜んでいたはずであろう?」
「ええ、もちろん私も同じ意見です。けれど、これはこれで心を昂らせるには丁度いいの。音楽としてのよさはちっともわかりませんが、早鐘を打つリズムは少しだけ勇気をくれます」
「そうか…………因果なものよ」
どこか遠い場所を見つめるように、イヴァン雷帝は呟く。
彼は時々、よくわからないことを口走る。
その目は何かを悟っているかのようで、事情がわからないアナスタシアからすれば不気味で恐怖すら抱かせる。
それでも今は大事なタッグパートナーだ。怖いのは我慢して、優勝のために力を合わせなければならない。
(だから、少しだけあなたの気持ちをお借りします。私ではないアナスタシア。どこかの世界で呼ばれたもう一人の私)
戻ってきたらまた音楽を聞こう。
自分が知らない世界の音。
どこかの皇女が聞いたであろう、猛々しい狼の咆哮を。
イベントを見て書かずにはいられなかった。
後悔はしていない(BOXガチャ的な意味で)。