体に纏わりつくような濃霧の中を、迷いのない足取りで進む人影がある。
シアを先頭に、蓮弥達は現在、大迷宮攻略のために大樹に向けて歩みを進めていた。フェアベルゲンに到着してから二日目に、ちょうど大樹への道が開ける周期が訪れたのである。
ついてきているメンバーはハジメパーティー、蓮弥パーティー、勇者パーティーはもちろん、今回はそれとは別のメンバーが参加していた。
「なあ、吉野。もう一度聞くが本当に参加するのか? わかってるとは思うけど真の大迷宮は相当危険だぞ」
そう、本来は非戦闘員でありエンジニアとしてついてきているはずの吉野真央が大迷宮攻略に参加していた。
「ここで手に入る神代魔法は昇華魔法らしいじゃない。ちょっとその魔法に用があってね。ご心配なく。これでも多少の戦闘の心得はあるから。それにいざという時身を守るための懐刀も持ってるし」
どうやらそれなりに自信があるらしい。このメンバーの中では特に頭がいい人物筆頭の一人ではあるので勝算もなしに付いて来たりはしないだろう。なので問題と言えば。
「なるほどな。こうやって濃霧から魔物が襲撃してくるわけか。道理で帝国兵に無理やり奥に進軍させても戻ってこないわけだ」
「…………今更なんだけどな皇帝陛下。あんた、なんでここにいるんだ?」
恐らく初めて来たであろうフェアベルゲンの森の奥の樹海を興味深げに観察をしつつ、時折出てくる魔物を撃退しているのは誰あろうヘルシャ―帝国皇帝、ガハルド・D・ヘルシャーその人だった。
当初予定としてはフェアベルゲンの族長たちに聖約の宣言を行った後、用済みになったガハルドを強制的に帝国に送り返そうとしていたわけなのだが、その際にガハルドがゴネたのだ。
『真の大迷宮攻略なんて面白そうだな。つい最近俺もまだまだ弱いということを思い知らされたばかりだしな。これからも積極的に亜人達との共存を推進する代わりに、俺も混ぜろよ』
当然ハジメは、聞く耳持たずに強制的に送還しようとしたのだが、蓮弥が待ったをかけた。
ユナの聖約はそこまで万能ではない。聖約に逆らえば強制的に実行させようとしてくるのだが、色々抜け道を探ろうと思えば探れるのだ。効果時間が長い聖約ほどその傾向が強い。そのために、カムと一対一で決闘を行い、敗北を突きつけるというガハルドが納得しやすい形に持ってきたのだ。ここでガハルドに積極的に亜人族との仲を取り持つよう約束させればこの後待ち受けているであろう亜人族の真の解放まで大きく近づくことになる。後のことを考えればここでさらに恩を売る価値はあると言えるだろう。
『はぁ、わかった。その代わりに死んでもしらねぇからな』
ハジメは死にそうになっても助けないと宣言したが、それは望むところだと威勢よく返事をガハルドは行った。曰く、ここで死ぬようなら所詮自分はその程度。不可能を可能にしてこそ真の強者らしい。
結局、邪魔をしないという条件で合意することになった。そして道中のやり取りをそれとなく観察していた蓮弥だったが、言うだけあってその戦い方は危なげない。慣れない濃霧での戦闘と言う意味では光輝達と同じはずなのにすぐに対応できているあたり流石の経験値というところか。
「みなさ~ん、着きましたよぉ~」
そうこうしている内に、シアが肩越しに振り返りながら大樹への到着を伝える。濃霧の向こう側へ消えていくシアを追って蓮弥達も前へ進むと霧のない空間に出た。前方には以前見た時と変わらない枯れた巨大な木がそびえ立っている。
「これが……大樹……」
「でけぇ……」
「すごく……大きいね……」
頭上を見上げ、大樹の天辺が見えないこと、横幅がありすぎて一見すると唯の壁のように見えることに口をポカンと開けて唖然とする光輝達。きっと、初めて訪れたとき自分達も同じような表情になっていたのだろうなと、ハジメとユエは顔を見合わせて小さく笑みをこぼしていた。
『かつての同胞の残骸がこの有様とはな、退いたのは奴の判断だったが、いささか早計であったと言わざるを得んよ』
「つまりこの大樹が元大災害なのかの、龍神様よ」
『大災害などは人間が勝手に呼んだ名前よ。神樹『ウーア・アルト』。人間どもが『樹樹』などと名付けておった太古の時代に存在しておった大精霊だ。言っておくがこやつの全盛期はこれほど小さくはなかった。それこそ森の外から見えるほどの巨木であり、その生い茂る葉を広げるだけで森を覆い尽くすほどの巨体を誇っておった』
「それは……想像もつかぬスケールじゃな」
龍神の言うことが正しければ、どうやらこの大樹の全盛期はもっと巨大であり、森を覆い尽くすほどの巨大さだとすれば推定数千メートルは下らなかっただろう。やはり大災害ともなるとスケールの桁が違う。
「よし、準備はできた。じゃあ、攻略の証を嵌めていくぞ」
ハジメが各大迷宮を攻略した際の攻略の証を次々淡く輝く石板に嵌めていく。すると大樹自体にも紋章が浮かび上がる。
「む? 大樹にも紋様が出たのじゃ」
「……次は、再生の力?」
浮かび上がってきた七角形の紋様に歩み寄ったユエが、手を触れながら再生魔法を行使する。
「これは……」
ユナが興味深げに目の前で起こった現象に注目する。ユエが再生魔法を行使した瞬間、光が大樹を包み込み、その光から栄養を取り込むかのように光を隅々まで行き渡らせ徐々に瑞々しさを取り戻していく。
まるで、生命の誕生でも見ているかのような、言葉に出来ない神秘的な光景を持って、大樹は一気に生い茂り、鮮やかな緑を取り戻した。
「のう龍神様よ。大樹が蘇ってしもうたのじゃが、大災害復活なんてことはないんじゃろうか?」
『さきほど申したであろう、全盛期のこやつはこんなものではなかったと。残骸を一時的に修復したとて所詮、残骸は残骸よ』
そもそもこれで大災害が復活するようでは大迷宮の試練が成立しない。そして一行が抱えている大災害の脅威に対する不安をぬぐうかのように、樹の根元に入口らしきものが出現する。
「これ、俺達も入れるんだよな? さっき四つの証を持ってないと入れないみたいなことが書かれていたと思うんだが」
光輝が疑問を呈する。確かに入口には再生魔法と四つの証を持つ者しかこの試練に挑めないと取れる文言が書かれていた。それを素直に捉えると挑戦資格があるのがハジメや蓮弥達だけになってしまう。
「光輝、それは問題ないわ。以前私と蓮弥が攻略したバーン大迷宮も攻略の証を二つ以上所有していることが挑戦資格みたいだったけど、当時一つも神代魔法を持っていなかった私でも問題なく神代魔法を習得できたわけだし。たぶん入りたければ、あるいは入れるものなら入ればいい。但し、生きて出られる保証は微塵もないというスタンスなんじゃないかしら」
「お、おう。なら頑張らないとな」
雫は脅しのつもりで言ったわけではないだろうが、光輝達初挑戦組は結構気合が入ったようだ。これで二回目の挑戦となる鈴と優花も表情を引き締める。彼女達はなまじ大迷宮の試練が生半可なものではないことを知っているが故に、その気合も当然と言えるだろう。
「よし、行くぞ。大人数での挑戦になるからな、もしかしたら分断される可能性がないとも限らねぇ。だから初挑戦組みたいに自分の力に自信がないやつは強い奴の側にいとけ」
オルクス大迷宮最深部にて蓮弥とハジメが別々の試練を受けたり、バーン大迷宮にてハジメ達のパーティーが最大二人のチームに分断されたりしたことから、真の大迷宮は所謂数の力にものを言わせる戦法が取りづらい仕組みになっている可能性は大いにあり得る。今回大迷宮に挑戦するのは総勢14名という中々の大所帯だ。試練の内容次第では容赦なく分断されることを想定していなければならないだろう。
各々覚悟を決め、洞の奥に進むと少し広い場所に出てくる。一部が行き止まりかと疑うがそれは足元に光る魔法陣が出てきたことで警戒を露わにする。
「これは……」
「空間転移、皆一か所に固まって」
光輝がかつて自分達が召喚された魔法陣を思い出し、空間魔法師として鈴が性質を看破してみんなに警戒を促す。
そしてほどなくして、蓮弥達の視界は暗転することになった。
~~~~~~~~~~~
「ここは……どうやら無事に真の大迷宮に入れたみたいだな」
蓮弥達の視界に映ったのは、木々の生い茂る樹海だった。
「みんな、無事か?」
蓮弥が一緒に飛ばされたメンバーを確認する。ハジメの言う通り、分断される可能性は十分ある。組み合わせ次第では至急救援が必要な組み合わせもあるだろう。だが蓮弥が心配せずともどうやら挑戦した者達は全員この場所にいることが分かった。大迷宮初挑戦組である光輝、龍太郎、真央、ガハルドも側にいるので問題はないだろう。
「南雲、ここが本当の大迷宮なんだよな? ……どっちに向かえばいいんだ?」
蓮弥達が飛ばされた場所は周囲全てが樹木で囲まれた空き地であり、通路がない分いきなりどこへ行ったらいいのかわからなくなる。これからの方針を決めるために一応暫定リーダーであるハジメに光輝は今後の進み方について尋ねたのだ。
「俺達が大迷宮挑戦を行うにあたってまず最初にやることがある。ユナ」
「はい、少し待ってください」
ハジメの要請を受けて、ユナが地面に手をつき、大迷宮の構造解析を行う。大迷宮攻略を行う際の定石となっている行動であり、ユナの感知能力には幾度も助けられてきた。
よって……
「これは……よくわかりません」
この一言は、大迷宮攻略になれた蓮弥達をも驚かせることになった。
「わからない? ユナの能力でもか?」
今までユナの霊的感応能力を妨げるものは存在していなかった。それは大迷宮すらも例外ではなかったはずだが、ハルツィナ大迷宮は違うと言うのだろうか。蓮弥が再度確認するがユナの答えは変わらない。
「おそらく試練の中身がわかっていると意味のないタイプの試練なのではないかと思います。解放者達の想定ではこの大迷宮は終盤に訪れることが確定している迷宮です。もしかしたら神代魔法の組み合わせで迷宮の仕組みを探られないような防御措置が取られているのかもしれません」
「マジか。だとすると手探りで進んでいくしかねぇな。だけどその前に」
「ハジメさん? どうしたんですか?」
シアがハジメに声をかけた瞬間。ハジメが両手を合わせて錬成魔法を発動した。
すぐさま地面が錬成され、石の鞭となり仲間達の幾人かが拘束される。拘束された人間は三人。ユエとティオ、そして……
「動くなよ」
ユエ達と共にハジメに拘束された雫に手を伸ばす蓮弥とユナ。
「
ユナが雫に触れて相手の魔力を阻害する聖術を使用する。そしてユナが行使した聖術はすぐに効果を発揮した。
雫の姿が変わり、赤錆色のスライムに変化して溶けだしたのだ。
「えっ、な、これは……」
「偽物だな。見た目は良く似せてあるが、雫の魂が入ってないんじゃ意味はない」
蓮弥が厳しい目をしながら赤錆色のスライムを踏みつけて潰す。
「駄目だ。こいつら答える機能がないみたいだ。ユエ達は自分達で探さないと」
同じくユエもどきを赤錆のスライムに変えたハジメが口を開く。どうやらユエやティオも同様の状態であり、ユエ、ティオ、雫の三人は当初から分断されていることになる。
「へぇ、相手の遺伝子情報をコピーして再現する魔物というところかしら。中々興味深い生態ね」
真央が冷静にスマホらしきものを取り出してスライムの残骸を解析する。
「チッ。流石大迷宮だ。いきなりやってくれる……おそらく気を許した後、後ろから襲うという感じだったんだろうけど。この面子相手なら無意味だな」
「だが一応他にいないか検査はしたほうがいいな。順番に見ていくからそこを動くなよ」
蓮弥とユナが手分けして視て回ったがどうやら最初の三人以外入れ替わっている人物はいないとわかり少しホッとする。
「蓮弥君、本物の雫達はどこに?」
「おそらく別のところに転移されたんだろうな。大迷宮が攻略されることを前提に作られている以上、即死ということはないはずだから雫なら上手くやってるはずだ」
「だけどこれからも入れ替わるなんてことがあり得るかもしれない。お前ら、定期的に入れ替わってないか確認しながら進むぞ。少しでも怪しい動きをしたらとりあえず殴るから覚悟しとけ」
「マジか。こりゃ仲間だからって気を抜けねぇな」
ハジメの脅しともいえる言葉に龍太郎が反応する。敵に警戒するだけでなく、この大迷宮では仲間すら気を付けなくてはならない。気を許した途端、後ろから刺されることもあり得るのかもしれないのだから。
~~~~~~~~~~~~
まるで扇風機を最大速で動かしているような、そんな音が樹海に響く。一つや二つではない。おびただしい数のそれは羽音だ。超高速で羽ばたかれる半透明の羽が、既にそれ自体攻撃になりそうな騒音を撒き散らしているのだ。
「うう、キモイよぉ。”聖絶”」
「ああ~、ちょろちょろ鬱陶しいな。いい加減落ちやがれぇ!」
「くっ、素早い! ”天翔閃”」
光輝達勇者パーティーは現在、前線にて大きい蜂型の魔物と対峙していた。空中を素早く動き、群れを成しながら毒針を飛ばしてくる魔物に中々苦戦しているようだった。
蓮弥達は現状戦闘には参加していない。もちろん襲ってくる魔物は返り討ちにしているがそれだけだ。今は光輝達が大迷宮で戦っていけるのか試していると言うわけだ。
「ハジメ、どう思う?」
「そうだな。谷口は虫にビビって力を発揮できてねぇ。へっぴり腰になってるしな。坂上は……あれは相性が悪いな。あいつのスタイルだと的が小さくて素早く動く敵は戦いづらいだろうな。まして毒針飛ばしという遠距離攻撃をされるならなおさらだ。天之河は……なんか緊張してるな。動きが鈍い」
勇者パーティーを淡々と評価していくハジメだったが、蓮弥も大体同じ評価だった。どうやら虫が苦手らしい鈴は、そのせいか防御にしか意識が回っていない。今の鈴の結界ならそう簡単に壊れはしないだろうが守ってばかりではジリ貧だ。
龍太郎は単純に相性が悪い。豪快を絵に描いたような戦闘スタイルの龍太郎にとって素早い動きと遠距離攻撃、数による連携を基本とした蜂型の魔物は戦いづらい敵だろう。この辺は経験が物を言うのかもしれない。そして光輝は何やら緊張しているのか動きが鈍くなっている。
「まあ、天之河にとってはある意味初陣みたいなものだからな。少しくらいは固くなるのは仕方ないかもな」
今まで熱に浮かされていたような光輝だったが、メルドとの語り合いと決闘により、ようやくこの場所が物語の世界ではなく現実だと認識したようだ。だがそれ故に、動きが固くなるという状況に陥ってしまっている。確かに進歩してはいるのだろうが、いつまでもこれではこの先戦っていくことができない。
そろそろアドバイスの一つでもしてやるかと思った蓮弥だったが、先に動いた男がいた。蓮弥達と同じく戦闘に参加せず見に徹していたガハルドだった。
「おい、ガタイのいい小僧。その年にしてはいい筋肉してるが、それだけじゃ攻撃は当たらねぇな。もっと敵をよく見て動きを先読みするんだ。よく見れば動きに規則性があるのがわかるだろう」
「なるほどな。…………こうか!」
龍太郎がガハルドのアドバイスに従って一旦呼吸を整えて蜂の動きをよく見る。そしておもむろに前に飛び出し、ちょうど龍太郎の目の前にやってきた蜂を叩き潰した。
「嬢ちゃんはビビりすぎだな。それだけ頑丈な結界が張れるなら心配する必要なんかねぇだろ。案外こういうのは女の方が対処できるってもんだ。気合をいれな」
「うう~、わかってるんだけど……ひぃぃ」
「なら筋肉小僧が守ってやれ。怖がる女を守るのも男の甲斐性だ」
「おうよ!」
龍太郎が鈴の周りに張り付き、飛ばしてくる毒針を拳で撃ち落としていく。その曲芸じみた動きがツボに入ったのか、少し余裕が出てきたらしい鈴の顔色が変わる。
「そして勇者は……なんだこんなものか。もっとやれると思ってたんだがな。どうした? もう限界か?」
「なっ、バカにするなよ! これくらいやってやるさ!」
ガハルドはあえて光輝を挑発する。元々人間的に相性が悪いガハルドに挑発されたことで光輝の頭に血が昇る。今までの光輝なら暴走の兆しだったが、今回はいい意味で作用したらしい。緊張で硬くなっていた身体が心の昂りに比例して動くようになっていく。そうなれば蜂など今の光輝の敵ではない。
(へぇ、この辺りは流石だな)
蓮弥は勇者パーティーの士気を向上させ、立て直したガハルドの手腕を素直に称賛する。この辺りは流石の経験値と言ったところか。荒くれもの集団を統率していたのは伊達ではないらしい。
「意外だな。天之河達なんてあんたは興味なんてないと思ってたが」
「あん? そりゃ、勇者に初めて出会った時は、一目見ただけで駄目だと思って鼻で笑ってやったが、帝国で会った時は少しマシな面構えになってたからな。俺は強い奴も好きだが強くなりそうな磨けば光る原石も好きだ。ああいう少し手を加えただけで爆発的に伸びる奴にはついついちょっかいを懸けたくなる。今恩を売れば後で返ってくるかもしれねぇしな」
「なるほど……」
どうやら帝国の皇帝らしく、打算で動いているらしい。それでもその場で掛けられるガハルドの言葉が常に的確なものであるがゆえに、どんどん勇者達の動きが良くなっていく。
「龍太郎君。少し大技使うからしばらく私を守ってくれるかな」
「おうよ。泥船に乗った気でいな。絶対守ってやるからよ」
「そこは大船って言うんだよ。泥船だと沈んじゃうからね。
鈴が結界の種類を変え、それが周囲に広がっていく。半径二十メートルくらいまで広がった辺りで鈴が目を閉じる。もちろんその間鈴は結界の無い剥き出しの状態を晒すことになるが、鈴に対する攻撃は全て龍太郎が対処する。
「対象捕捉──”固定”!」
その詠唱を行った瞬間、空中に浮かんでいた夥しい数の蜂が一斉に動きを止めた。
「これは……すごい。空間を固定して魔物を止めてる」
香織が鈴の使った魔法を評価する。蓮弥の目には透明な箱のような結界が蜂一匹一匹を包み込んで身動きを取れなくしているように見えた。あの数を一瞬で捕捉する辺り空間魔法の使い手としてはユエを上回っているというのは間違いないらしい。
「結界術──”爆結”!」
鈴が手を握りしめる動作を行うと同時に、結界が縮まり蜂群を圧殺する。空中で血の花が咲き、辺り一面を蜂の魔物の血で染め上げる光景は正直見ていていい気分になるものではない。その証拠にその光景を作った張本人が虫が次々潰れて弾ける光景に顔を青くしている。
「なるほどな。確かに今のこいつらなら大迷宮攻略に参加しても不足はなさそうだな」
ハジメが素直に関心したように勇者パーティーを評価する。最初は介入が必要かと思ったが冷静になれさえすれば今の光輝達は十分大迷宮攻略についていけることが分かった。特に空間魔法の使い手として才を発揮し始めた鈴などは最前線で戦えるレベルになりつつある。
「なんというか……この生理的嫌悪感を煽る虫型の魔物といいこの大迷宮は相手の不安とか心を乱すことに特化してるのかもしれねぇ。だからお前ら、くれぐれも冷静に行動しろ。誰かが暴走すると他も巻き沿いになりかねないからな」
ハジメの言う通り、ユナの霊的感応能力が効かなかった以上、この先に何が待っているのか何もわからない。今までの傾向的に挑戦者の心を乱そうとしてくる方向に特化している可能性は十分考えられる。
一行はハジメの忠告を心に留め、先を進むのだった。
~~~~~~~~~~~
というのが数十分前のやり取り。
そして現在。
「オラァ!! 森ごと果てろやァ、ドカス共がァ!!」
絶えず響き続ける轟音に混じって、そんなガラの悪い叫びを放っている男は件の忠告を行った張本人である南雲ハジメその人だった。
現在ハジメは大気錬成によって作り出した圧縮可燃空気にスターズやオルカンによって火をつけることで森を焼却している最中だ。魔物が出てきた瞬間可燃空気の爆発によって粉みじんになるのでもう訳が分からない。
「あ、あの、ハジメさん、もうそれくらいで……」
「そ、そうだよ、ハジメくん。きっとあの魔物も、もう死んじゃってると思うし……」
ハジメがなぜバーサーカーになっているかと言えば、少し前に話は遡る。
蜂型の魔物と戦ってから三十分ほど経過した樹海の中で、猿型の魔物群と遭遇したことがキッカケだった。
その魔物は群れを成して襲ってきたが、今のメンバー相手では大した敵ではなかった。龍太郎も比較的殴りやすい相手なので剛腕で蹴散らしていたし、苦手な虫じゃなくなったことで鈴なんかは地道に結界を使って倒していったくらいだ。もちろん調子を取り戻し始めた光輝も堅実に成果を積み上げている。
中でもハジメは攻性錬成魔法のいい実験台だと、蜂の時とは違い積極的に猿軍団を殲滅にかかったのだ。
猿たちはどこからともなく出現する石槍に貫かれたり、落ちている木の枝を加工した木製巨大ハンマーに押しつぶされていった。猿たちも反撃しているのだが圧縮窒素を纏ったハジメには生半可な魔物の攻撃は通らない。逆に圧縮空気の塊で押しつぶされたりといったまさに実験台のような無惨な殺され方をする。
ハジメもこの世界に来てようやく魔法使いっぽい戦い方ができてご満悦なのか、この時は機嫌よく魔物相手に無双していたのだ。
流れが変わったのは猿たちがハジメにはかなわないと絡め手を使用しようとした時だった。
猿型の魔物には”擬態”という固有魔法が備わっていた。赤錆色のスライムと同じく何かに変身するための技能なのだが、それを用いてあられもない恰好をした傷だらけのユエに擬態したことでハジメが切れた。しかも今にも事切れそうな声でハジメに助けを求めるおまけ付き。
そこでユエに関して沸点が限りなく低いハジメが暴走を開始して森を火の海に変えているというわけだった。
「うぅ……怖いよぉ。誰か南雲君を止めてよぉ~」
鈴が泣きそうな顔で誰かに懇願をしたのをきっかけに視線が蓮弥に集まる。まるで暴走したハジメを止めるのはお前の役割だ、みたいな目を向けられて蓮弥は内心ため息を吐き、ハジメに近づいていく。
「いい加減、やかましいんだよ!! 少しは冷静になりやがれ!!」
「ぐはぁぁ!!」
そして暴走するハジメの頭に、蓮弥は割と本気でげんこつを落とした。何かがぱっくりと割れる音が聞こえたのは気のせいだと思いたい。
~~~~~~~~~~
「暴走したのは悪かったけど……俺じゃなかったら死んでるからな、これ」
「お前じゃなかったらこんな止め方はしない。頭から血が抜けてすっきりしただろ」
暴走をやめ、現在香織による治療を受けつつも現在進行形で頭から血を吹き出しながら文句を言うハジメ。げんこつを落とした衝撃で地面が陥没しているあたり運動エネルギー量は計り知れない。間違いなく他の人間が受けていたら頭が砕けている威力だった。
「おい、南雲ハジメ。落ち着いたんなら俺の目の前にあるものを何とかしやがれ。前が見えねぇだろうが」
「うう、何も見えない」
「顔をぬぐっても払えねぇしよ。一体どうなってんだ」
そう言ってガハルドは文句をいう。ガハルドの言う通り現在蓮弥以外の光輝達男性陣にはハジメが錬成した灰色の雲が眼前に張り付いており、そのせいで目の前の視界が塞がっている状況だった。
「ん? ああ、忘れてた。ま、自分の恋人のあられもない姿を他の男に見られるか否かの瀬戸際だったんだ。許せ」
ハジメは再び錬成を行使、光輝達の目の前の雲を取り払い軽く謝罪する。
ハジメはユエもどきがあられもない姿で出てきた瞬間、錬成魔法にて灰色の雲を光輝達の眼前に貼り付けたのだ。ちなみに蓮弥はハジメが何かする前に、形成したユナが両手で蓮弥の目を塞いだのでお咎めなしだった。
「まさかこんな絡め手で来るなんてな。それにしても目を塞ぐのはやりすぎじゃないかハジメ。この大迷宮で視界が塞がるなんて隙を晒すようなものだぞ」
「そうはいってもよ。だったら蓮弥。お前もしユエみたいに八重樫があられもない姿で出てきたらどうするんだ」
そう言われて蓮弥は少し考える。入口でいなくなったのは雫とて同じであり、ユエと同じく雫の存在を罠として使われる可能性もある。蓮弥だって男だし偽物とはいえ、恋人のあられもない姿を他の男に見られたくはない。
「そうだな。まずはお前は見ないよな。ユエがいるんだし」
「あたりまえだな。ユエ以外の女の裸なんて興味ないし」
その言葉で地味にダメージを受けるシアと香織を他所に、蓮弥は話を続ける。
「そして天之河と坂上も大丈夫だ。なぜなら俺達は知ってるからな。……マジギレした雫の恐ろしさを」
「「ハイ、ゼッタイミマセン」」
「なんでぇ!?」
蓮弥の言葉で何を想像したのか、光輝と龍太郎がガタガタ震えながら片言で即答する。鈴は驚くが幼馴染の男にしかわからない共感というものが存在するのだ。
「あとは皇帝陛下だが……その場合は残念ながらハジメとユエの忌み名を少し借りてクリスタベル店長に紹介することになるだろうな」
「おい、何だそのクリスタベルってやつは。なぜか知らないが鳥肌が立ってきたんだが」
「おい、蓮弥。縁起でもないこと言うな。これ以上筋肉が増えたら俺の身が持たない。うっ、はぁ、はぁ」
「ハジメ君!? 今は発作を起こさないでねッ。ティオがここにいない以上、再起不能になられても困るからッ!」
ガハルドとハジメには悪いが。もし雫のあられもない姿を見られたらこの世界に筋肉漢女が一人増えることになる。
そんなやりとりをしつつ、蓮弥達はハルツィナ大迷宮の奥へと進んでいくのだった。
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とある男の話をしよう。
生まれた時よりあらゆる分野において天賦の才を与えられておきながら、呪われた肉体を持って生まれた男の話を。
その男は学者の道を歩みだし、若き身でありながら常識を超える才覚を発揮し、名を馳せていく。同時に人間としては大いに問題と欠陥のある人物で、相当な人嫌いな上に凄まじいまでの利己主義者であり、高慢を絵にかいたような性格をしていたのだと言う。
己こそが天上に生きるもの。その辺りの凡夫とは違う。
だが、彼の呪われた肉体は徐々にその呪いを強めていく。
端的に言えば、男は死病を患っていた。それは生半可なものではなく、幾人もの名医達が、こぞって手の施しようがないと匙を投げるレベルの代物だった。
だが、男は諦めない。
『生きたい』という原初の願いに従い、幾度の余命宣告を跳ねのけ、意志力のみで生き永らえてきた。
副作用も気にせず間に合わせのためだけに強い薬を飲み続け、延命の研究のために人体実験を繰り返すなど狂気的な努力を続けた彼が行きついた先は……オカルトだった。
邯鄲法と呼ばれる一度歴史ある組織の長が考案し、失敗に終わったその超理論を彼はその才覚でもって完成直前まで形にすることに成功する。
だが、結果的に彼は失敗した。その作り上げた超理論を実証することのできる被検体が現れなかったのだ。
そして追い詰められた彼が一か八か、自分にその邯鄲法を施術し、それによって自分に資格がないと判明した時点で彼の命運は尽きる。
その後、彼の遺体は彼の隠れ家の一つから発見された。
並みの術者では近づいただけで発狂するレベルの怨念を纏ったその死体を、神祇省という組織の長が浄化することでその男は家族の元で供養されることになる。
だが話はそこで終わらない。確かに彼は死んだが、その魂は生き続けていた。
彼の死に際に抱きかかえられ、その男の常軌を逸する想念を宿すことになった、邯鄲法に宿ることで。
彼は今も、自分以外の全てを呪いながら、現世への帰還を夢見続けている。
ハルツィナ大迷宮の難易度が爆上がりする理由。それは大迷宮のシステムに外部から極めて危険なウイルスが侵入し、相当やばい異常を発生させるからである。