ありふれた日常へ永劫破壊   作:シオウ

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最近マスクをつけすぎて耳が痛い作者です。

今回はいよいよ、奴が特別ゲストとして登場します。


黒い悪魔

 巨大蝶を倒して少し経った頃、蓮弥達は毒鱗粉による身体の痛みと痺れが抜けるまで休んだ後、自分達の状態を再確認していた。ユナと真央が確認したところ、痺れと痛みはあるが、致死量には届いていないらしく後遺症の類もないらしいとわかって全員ホッとしていた。

 

『問題ありません。霊的装甲も元に戻りましたし。今後は蓮弥の精神系魔術障壁も組んでおくべきだと思いますがどうしますか?』

「その辺は正直俺にはよくわからないからユナに任せるよ」

 

 どうやら本調子を取り戻したと判断した蓮弥は雫達の方を確認しようとした。蓮弥のはた目には異常がなさそうだが、実際のところはわからない。

 

「雫達はどうだ? 今度こそ違和感とかないか?」

「私は平気よ。振り返ってみればあんな状況でよく女子同士の話をしてたと思うわ」

「じゃあ、急ぎましょう。このままここにいて無事である保証はないし」

 

 真央の一言で先を目指す一行。ある程度進むと例によって樹の洞に魔法陣があり、光っているのが確認できる。

 

「一応気をつけよう。次がないとは限らないからな」

『了解』

 

 

 光が収まったあと蓮弥達の目の前に広がっていたのは……庭園だった。

 

 

「どうやら本当に終わりらしいな」

 

 

 天井がとても近く感じ、空気はとても澄んでいて、学校の体育館程度の大きさのその場所にはチョロチョロと流れるいくつもの可愛らしい水路と芝生のような地面、あちこちから突き出すように伸びている比較的小さな樹々、小さな白亜の建物があった。

 

 

 そして一番奥には円形の水路で囲まれた小さな島と、その中央に一際大きな樹、その樹の枝が絡みついている石版が存在している。

 

 

 そこまで歩こうとした瞬間、側に魔法陣が展開され、ハジメ達が転移してくる。蓮弥が見た限り、疲れているようではあったが、全員無事のようだった。

 

「どうやらお互い無事に攻略できたみたいだな」

「だな。一時はどうなるかと思ったが……できれば二度と来たくない。アレの大群とか軽くトラウマだ。精神的ダメージがでかすぎる」

 

 ハジメが何かを思い出して鳥肌を立たせている。見ればハジメ達は皆大体ハジメと同じような態度をしていた。心なしか少し顔色も悪い気がする。

 

「まあ確かにちょっとおっかなかったけど、見た目は中々華やかだったよな」

「そうね。少しだけ倒しちゃったのがもったいなかったかもしれないわね」

 

 蓮弥と雫は、自分達が戦ったボスであった巨大蝶と色鮮やかな蝶たちを思い出す。確かに全部毒蝶というかなりおっかない集団だったが、試練が始まる前に見せた色鮮やかな蝶が飛び回る光景は中々忘れられない美しい光景だったと言ってもいい。

 

 

 だがその発言を聞いたハジメサイドは全員、蓮弥と雫をまるで宇宙人を見るような目で見始めた。

 

「な、なんだよ」

「蓮弥……お前、本当に攻略できたのか? ユエ、検査してくれ。どうやら蓮弥の奴、まだ魔法に掛かってるみたいだぞ」

「ん……探ってみる」

 

 ハジメが蓮弥の頭がおかしいことを確信したような言動をとり、ハジメの指示を受けたユエが探査魔法を蓮弥に放つ。その魔法を軽くレジストした蓮弥が当たり前の反論を行う。

 

「おい、やめろ。ここにいるということは攻略できたに決まってるだろ」

「そうよ。まあ、虫が嫌いな人にとっては嫌な光景だったかもしれないけど……私は中々綺麗なものを見れたと思うわよ」

 

 雫が再び無数の色鮮やかな蝶が飛び回る光景を想像して言ったが、その態度に顔を青くした香織が雫に聖棺を使う。

 

「な、ちょ……」

「雫ちゃん……今から精密検査するから。ないよ。アレは虫が好きとか嫌いとかそういうレベルの物じゃないからッ、私なんて向かってくるところを想像しただけで未だに鳥肌が立ってくるのに!」

 

 実際鳥肌を立たせながら香織が雫の検査を続ける。そして香織の聖棺を解法で破壊した雫が反論を行う。

 

「香織、やめなさい。……そこまで嫌がること? 確かに突然顔に飛んで来たらびっくりするかもしれないけど、そっと手で包んで逃がせば終わりなんじゃ……」

「いや──ッッ!! 言わないで言わないで雫ちゃん! もう思い出したくないから!!」

「蓮弥、お前も香織のチェック受けとけ。あの黒いのは誰も受け入れられないから。たぶんお前、どっかおかしいんだと思う」

「確かに黒いのはあの世の使いとか言われてるけどな。……人によってはその模様が美しいとかでコレクションしている人がいるんだぞ。俺も父さんの知り合いに一度コレクションを見せてもらったことあるしな」

「いや、ないだろ。アレの羽の模様を気にする奴とかいないだろ。百歩譲って集めることがあるとすれば……それは研究用のサンプルがせいぜいだろ」

 

 蓮弥がハジメサイドを見てみると、どうやら全員ハジメの意見に同意らしい。光輝達すらも蓮弥を何か異界の生物みたいな目で見てくる始末だ。

 そしてここにきて蓮弥はようやくハジメと何か話がかみ合っていないことに気付く。そして思い出す。オルクス大迷宮の時、蓮弥とハジメは別のボスモンスターと戦っていたということを。

 

「……どうやら何か認識に誤解があるみたいだな。……同時に言ってみるぞ。このフロアのボスモンスターはなんだ?」

「あ? ……言いたくねぇけど仕方ねぇ……アレは……」

 

 

 

「ゴキブリだろ!」

「蝶だろ!」

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 蓮弥とハジメ、いや両サイドで沈黙が広がる。その空気の中、先に再稼働したのは蓮弥だった。

 

「ゴキ、ブリ……なるほどレギオンG……それは……なんというか……正直どんまい。じゃあ気を取り直して先に……」

「ちょっと待てや」

 

 聞かなかったことにして先に進もうとする蓮弥に対して凄みながら待ったをかけるハジメ。

 

「なんだよ。もう誤解は解けただろ」

「いやだから問題なんだろ。蝶ってなんだ?」

「いやだから俺達のボスは巨大蝶だったんだよ。なんなら吉野が動画取ってるから見てみればいい」

 

 そして真央によって薄暗い森の中で色鮮やかな蝶が美しく舞うという幻想的な光景を見せられたハジメサイドは……

 

 

 

『はああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ──ッッ!?』

 

 

 

 一人の例外もなく、全員がクレームの叫び声を上げた。

 

 

 

「ちょ、蓮弥、おま、ふざけんなッ。なんで俺の方とお前の方で試練にこんなに差があるんだよ。なんだその動画越しにも伝わってくる幻想的ファンタジー空間! そんなの俺も生で見たかったわ!」

「雫ちゃんずるい!! 私なんか……私なんかもうしばらく黒い物なんて見たくないのに!」

「というかそれであの試練成立するんですぅ!? 好感度反転魔法の意味ないんじゃないんですか!?」

「そのせいで私なんて一時的にアレを心の底から好きになって……げぇぇ」

 

 ハジメサイドから飛んでくる怒涛のクレーム。方や地球のファンタジー映画にも出てきそうな美しい蝶が舞う幻想的な光景。方や見たらトラウマ必須の超レギオンGの悪夢。確かに雲泥の差である。

 

「落ち着けって。そんなこと俺に言われても困る。それに俺達は好感度反転魔法じゃなくて危機感破壊魔法だったから」

「それに香織はずるいって言うけどね。この蝶は全部毒蝶で、危機感なくしている間に毒耐性効かない毒を吸わされたせいで痛みと痺れで大変だったんだからッ!」

 

 蓮弥が正論で反論すると流石に蓮弥に言っても仕方ないことが分かったハジメが引き下がる。だがまだ納得いってないのは気配でバレバレだ。これはこじれる前に先に進んだ方がいいかと思う。

 

「まあ、攻略できたならいいだろ。先に進むぞ。この雰囲気から察するに、最奥まで辿り着いたみたいだしな」

 

 そして一行は奥にある石板に向かって歩み始める。

 

「これが……真の大迷宮のゴールなんだな」

「ああ、そうだ。そこで俺達の大迷宮での活動が評価されて、神代魔法を授かるに値するのか精査される」

 

 蓮弥の言葉に光輝がそっと息を飲む。光輝の気分は合格発表を待つ受験生そのものだった。

 

 

 蓮弥の感覚的に、意外と光輝達は頑張っていたように思う。だがそれはあくまで蓮弥の考えであって解放者の合格基準とはまた違うのかもしれない。

 

 

 水路で囲まれた円状の小さな島に、先にハジメ達が可愛らしいアーチを渡って降り立つ。途端、石版が輝き出し、水路に若草色の魔力が流れ込んだ。水路そのものが魔法陣となっているのだ。ホタルのような燐光がゆらゆらと立ち昇る。

 

 

 いつもと同じように記憶を精査されるような感覚が過り……

 

 

 魔法陣は光を消すことになった。蓮弥の頭にはいつもの魔法を刻まれる感覚がない。つまり……

 

「これは……失敗したのか?」

 

 正直蓮弥個人としてはその結果は意外だったのだが、どうやら蓮弥は合格に満たないとみなされたらしい。残念だが、仕方ないと割り切っている蓮弥とは違い。ハジメ達の顔色は良くない。そこで蓮弥は悟る。

 

「おい、ハジメ……まさか」

「ああ、いつもの感覚がねぇ。これは……」

「私達……攻略に失敗した?」

 

 話からしてハジメもユエも神代魔法を得られなかったのがわかる。周りの反応を見る限り、神代魔法を授かったメンバーはいないらしいとわかる。

 

「それは……困ったな」

 

 正直、蓮弥はさほど神代魔法にこだわっていないので習得できなかったとしても仕方ないで割り切るつもりだが、ハジメとユエに関してはそういうわけにはいかない。

 

 何しろ地球帰還の概念魔法はハジメ達にしか生み出せないのだ。そして概念魔法を発動させるためには、一つでも神代魔法が欠けていてはならない。

 

「マジか……つまり、最初からやり直しってことだよな」

「うえぇぇ、またあの試練を受け直すんですかぁぁ」

「…………また、ゴキブリや媚薬を通ると」

「それは……遠慮したいよね」

 

 ハジメが項垂れる。今回の大迷宮はいつもよりかなり精神を消耗させられたので最初からやり直しとなると、うんざりしてくるのは理解できる。シアなどはすでにやる気が空になってしまっているのが伝わってくるような態度だ。ユエや香織は今までの大迷宮の仕掛けを振り返り、もう一度受け直さなければならないことを素直に嫌がっている。

 

 

 そんな中、ユナが前に出て石板に手を付く。

 

「どうしたんだ、ユナ?」

「……いくら何でも全員不合格というのは少しおかしいと思いまして。少なくとも蓮弥にはミスらしいミスはなかったはずですし、今までの大迷宮の試練の採点を基準に考えれば、少なくとも蓮弥は十分合格に達しているはずなのですが…………やっぱり」

 

 ユナが霊的感応能力による読み取りを終えると原因について皆に語る。

 

「どうやら皆さんが体験したという悪夢に原因があると考えられます。アレは本来大迷宮には存在しないイレギュラーでした。その異物が侵入した結果、大迷宮の採点機能が狂ってしまったのだと私は判断します」

「つまりあれか……俺達は試験中に乱入してきた異常者が暴れまわったせいで採点が狂って攻略が認められなかったと」

「そういうことになりますね」

 

 ハジメが受験をイメージしてユナに聞くが、それを聞いたとしても合格にはならないのだ。

 だが蓮弥はそういう事情があるのならと少し考えた。その結果、少しズルをさせてもらうことにする。

 

「そういう事情なら仕方ないな。お前ら、もう一度魔法陣に乗ってくれ」

「何をするんだ、蓮弥?」

「なに、今回の試験はイレギュラーの介入のせいで台無しになったんだったら、イレギュラーで修正してもいいだろうという話だ」

 

 蓮弥の言われるがままに魔法陣の上に集まる一行。そして再び石板は光出し、水路の魔法陣が起動する。

 

 

 このままだと先ほどと同じ結果が出るだけだが、完全に魔法陣の展開を終える前に、蓮弥は創造を発動し、神滅剣を魔法陣の描かれる地面に突き刺した。

 

 

 再び光が溢れだし、今度は先ほどとは違う結果が生じる。知識を無理やり刻み込まれる感覚。蓮弥達が慣れ親しんだ感覚であり、初めての人間はその違和感から思わず声を上げていた。

 

「これで良し。全員に神代魔法は行き渡ったみたいだな」

 

 蓮弥が周囲の反応を伺った後、地面に刺した神滅剣を回収する。

 

「ああ、昇華魔法……確かに習得したみたいだが……蓮弥お前、何をした?」

「簡単な話だよ。神滅剣を使って魔法陣の負の概念を破壊した。合格か不合格か、その二択しかない場合において、失敗、不合格といった負の概念がなくなった場合、矛盾を無くすために自然と合格に流れるしかないだろ」

 

 つまり不合格という概念を破壊したがゆえに、この魔法陣は乗れば誰であっても無理やり合格と判定され、神代魔法を簡単に習得できるアイテムへと変化したのだ。ミレディ達には少し申し訳ないが、この場所にたどり着くまでが既に相当な難関なのでそれで許してほしいと思う。

 

「お前……そんな無茶なことができるのか。それに……これじゃ試練の意味がねぇじゃねぇか。そんなインチキがまかり通るなら、奥にたどり着けさえしたら誰でも習得できるってことだろ」

 

 神代魔法を入手できたのはいいが、まるでゲームでチートを使って無理やりダンジョンを攻略したような状況にゲーマーなハジメは少し複雑そうだった。

 

「これは概念魔法相当の力だからな。多少の無茶も押し通せる。全員習得できたんだからいいだろ。ほら、いつものメッセージが始まるみたいだ」

 

 

 蓮弥の指摘の通り、一行の目の前に存在する石版に絡みついた樹がうねり始めた。

 

 

 何事かとハジメ達が身構える。そんなハジメ達を尻目に立ち昇る燐光に照らされた樹はぐねぐねと形を変えていき、やがて、その幹の真ん中に人の顔を作り始めた。ググッとせり出てきて、肩から上だけの女性とわかる容姿が出来上がっていく。

 

 

 そうして完全に人型が出来上がると、その女性は閉じていた目を開ける。そして、そっと口を開いた。

 

「まずは、おめでとうと言わせてもらうわ。よく、数々の大迷宮とわたくしの、このリューティリス・ハルツィナの用意した試練を乗り越えたわね。あなた達に最大限の敬意を表し、ひどく辛い試練を仕掛けたことを深くお詫び致します」

 

 その挨拶と共に、解放者リューティリス・ハルツィナのメッセージが始まった。いつもとは違い自分達が何者かについての説明がないのはこの大迷宮が後半で訪れることが確定している大迷宮ゆえか。

 

「わたくしの与えた神代の魔法”昇華”は、全ての”力”を最低でも一段進化させる。与えた知識の通りに。けれど、この魔法の真価は、もっと別のところにあるわ」

 

 そして今までとは違い語られることになる。神代魔法の先にある境地について。

 

 

 概念魔法。

 

 

 蓮弥達にとってすでに既知の情報ではあるが、情報源がフレイヤだけに完全に信用するわけにはいかなかった情報が解放者によって語られる。

 

「概念魔法──そのままの意味よ。あらゆる概念をこの世に顕現・作用させる魔法。ただし、この魔法は全ての神代魔法を手に入れたとしても容易に修得することは出来ないわ。なぜなら、概念魔法は理論ではなく極限の意志によって生み出されるものだから。わたくし達、解放者のメンバーでも七人掛りで何十年かけても、たった三つの概念魔法しか生み出すことが出来なかったわ。もっとも、わたくし達にはそれで十分ではあったのだけれど……。その内の一つをあなた達に」

 

 リューティリスがそう言った直後、石版の中央がスライドし奥から懐中時計のようなものが出てきた。それを手に取るハジメ。表には半透明の蓋の中に同じ長さの針が一本中央に固定されており、裏側にはリューティリス・ハルツィナの紋様が描かれていた。どうやら攻略の証も兼ねているようだ。ハジメが、手中のそれをしげしげと見つめているとリューティリスが説明を再開した。

 

「名を”導越の羅針盤”──込められた概念は”望んだ場所を指し示す”」

 

 つまりこれがあればどんな場所にも行けるということかとハジメは懐中時計を観察した。

 

「どこでも、何にでも、望めばその場所へと導いてくれるわ。ただし、気を付けて。概念魔法と言えども創られた概念は永続的に残り続けるものではありません。羅針盤には使用回数制限があります。だからこそ、使いどころはどうか慎重に見極めて」

 

 この世界に新たな概念が生まれるということは、世界にとっては体内に異物が生まれるに等しい。だからこそ世界は異物を排除しようとする。この世界で永続的に理を歪めることは不可能だ。

 

「つまりこれがあれば地球の座標がわかるってわけだ。後は……移動手段があればいいということだな」

 

 ハジメがそう結論付ける。おそらく本来はエヒトのいる世界まで行くための魔法なのだろうがそういう使い方もできるはずだ。

 

「問題はあと何回使えるかだが……ストーカーをぶち殺すために1回、地球へ帰るために1回。流石に1回使っただけで使えなくなるとは思いたくはねぇが……」

 

 早速ハジメは羅針盤が何回使えるのか。いつ使うべきなのかを考えている。既にリューティリスの話を聞いていない。

 

「ええ、そう……だから……自由な意志のもと、あなた達の進む未来が……」

 

 光輝達は手に入れた神代魔法について考え、蓮弥達は最後の大迷宮に対して思いを馳せる。

 

 

 

 だからこそ現れた解放者リューティリス・ハルツィナが……

 

 

 

 

 

 

 

爛れ、腐敗、絶望で溢れていることを祈っているわ

 

 

 

 

 急に狂気に染まり始めたことに気付くのが遅れた。

 

 

「…………え?」

「キヒヒ、イーヒヒヒ。ギヒ、ひぃアっああぁアああアははははぁぁぁ──ッッ!!」

 

 悪魔に取り憑かれたかのように下品に笑うリューティリス。

 

 

 そして大迷宮最深部が強烈な殺気で包まれた。

 

「なッ!?」

 

 

 その庭園に現れたのは蟲。この大迷宮を攻略するために幾度となく戦うことになった蟲たちだが今度現れた蟲は性質からして違う。

 

 絶対不可侵のはずの聖なる庭園が侵されていく。その身に纏う穢れに触れた物全てを腐食させるかのようにあらゆるものを喰らい付くしながら、得物を囲むように旋回を始める。

 

 

「おい。もう試練は終わっただろうが。一体どうなって……」

「ハジメ。考えるのは後だ。どうやらまたイレギュラーが発生したらしい。お前達も気を付けろ!」

 

 ハジメが羅針盤をしまい、代わりに錬成材料用のクロスビットを展開しつつ言葉を漏らす。

 

 

 花畑が腐り落ちた。美しい装飾品が解け崩れた。蟲が這いよった地面は腐臭を放つ黄ばんだ粘液が滲み出している。

 

「うぐぅ、何これぇぇ」

「一体どうなってんだ!」

 

 鈴が美しい庭園が穢れていく様を見て吐き気を堪え、前に立つ龍太郎が背筋を凍らせて警戒する。

 

「ユナ!」

『何かはわかりません。ですが……これは今まで出会った敵と種類が違います。気を付けてください!』

 

 ユナの言葉と共に、一斉に毒蟲の大群が蓮弥達に襲いかかった。

 

「”聖絶"」

 

 まずは皆の守りをと言わんばかりに、魔法に特化した者達は障壁を展開する。その障壁を前にしても躊躇なく襲い掛かる毒蟲の大群が結界ごと全てを飲み込もうと襲いかかる。

 蟲たちの耐久はそれほど強くないのだろう。結界に躊躇なく突撃をかましてくるが、ぶつかる端から潰れて弾けてしまっている。だが……それが何の意味もない行為なのかといえばそれは違うと断言できる。

 

 

 なぜなら潰れた蟲たちは黄ばみ、穢れた粘液を残していくからだ。それが魔法という神秘を汚染し、その構成そのものを腐らせようとしてくる。すなわち……

 

「うぇえぇ、結界が溶かされて。もういやぁぁぁ」

「悪食の溶解液とも違う……なんというか……それよりも、もっと凶悪な何かだよ」

 

 鈴が涙目になり、香織が冷静に分析する。香織の言葉の要点はこのまま守っていてもジリ貧だという事実だ。よって攻撃に出なければならないと判断した者達が攻撃を開始する。

 

「まとめて燃え尽きろ!!」

 

 ハジメが手を合わせ、アーティファクトを瞬間錬成する。

 

 アーティファクト『竜の息吹』

 

 水晶に巻き付く龍の形をした衛星が火炎放射を出すことで周囲を丸ごと燃やし尽くすことに特化したアーティファクトだ。それを周囲に複数展開し、片っ端から穢れた蟲群を燃やし始める。

 

「”蒼龍”」

 

 ユエもお馴染みの炎の龍にて蟲を燃やしていく。

 

 その成果もあり、周囲の蟲群が跡形もなく消えたかと思うが……

 

 

「ヒヒヒ、ヒィハハハハハハハハ──ッッ、増殖昇華ァァァァ」

 

 相変わらず狂った笑い声を上げるリューティリスの昇華魔法により、すぐさま次の蟲が補充されてしまう。

 

「駄目だッ、キリがない!」

「魔法がだんだん効かなくなってきておるかもしれぬ。このままだと押し切られるぞ」

 

 光輝が聖剣の放つ光の斬撃にて蟲群を薙ぎ払うも一瞬で元通りになってしまう。そしてティオの言う通り、周囲の魔素が腐っているからか、仲間達の魔法の威力が目に見えて減衰し始めた。

 

『蓮弥……こいつにも核がありません。よって概念破壊はできないと思ってください』

「そんなのばっかりだな、嫌がらせかッ。少しくらい圧倒的強者ムーブをさせやがれってんだ!」

 

 ユナの報告を聞き、舌打ちする蓮弥が風と炎の聖術でまとめて燃やすが、それでも効果がない。レギオンとも違う感触。レギオンには実体があったが、今回の敵はまるで霞みを払っている感覚でどうにもやり辛い。

 

「私がやる」

 

 そこで前に出たのはユエだ。手には青い炎の玉を構えている。

 

「ユエさん、それって……ゴキブリ群を燃やした魔法ですよね」

「うん、そう。だけど今回は……」

 

 シアがハジメから渡されたスターズの焼夷弾を撃ちながらユエの魔法を見る。

 

 

 それはハジメサイドの最後の試練にて、襲い来るゴキブリの大群をまとめて燃やし尽くした大魔法。

 

我が前に立ち塞がりし、罪深きものよ。我が焔にてその魂ごと焼き払わん ”神罰之焔”

 

 魔法が完成し、それが行使される。その瞬間、ユエの足元から巨大ムカデが出現し、ユエの足を取って結界の外まで放り投げた。

 

「ッ! ユエ!!」

 

 結界の外に放り出されたユエを救うために、ハジメがムカデを瞬間錬成したチェーンソー型のアーティファクトにて断ち切りながら叫ぶ。

 

 

 穢れから守っていた聖なる守りの加護を失ったものなど、この毒蟲達にとっては格好のエサだった。すぐさま空中にいるユエを覆い尽くす。

 

固着(セキュア)憑依(アニマ)

 

 黒い毒蟲の海に飲まれる寸前、ユエが完成した魔法を固着し、握り潰す。

 

 

「ユエさん!!」

『大丈夫です、シア。どうやら間に合ったようです』

 

 

 ユナの言った通り、ほどなくして黒い汚濁の塊を燃やしながら十七歳まで成長した肢体に白と赤の巫女服を纏い、美しく輝く炎髪をツインテールにした炎の巫女を思わせる姿でユエは、穢れつつある庭園にて降臨した。

 

 

”神罰之焔”──装填

神ノ律法(デウス・マギア)──魂殻霊装

 

天照大神の巫女装束(ココノエ・アマテラス)

 

「はぁぁぁぁぁぁぁ──ッッ!!」

 

 空中に浮かぶユエが手に炎の剣を出現させ、まとめて蟲群を薙ぎ払った。

 

 

 魂魄魔法と高次元で融合したその神炎は敵の本質、魂を焼き滅ぼす。それだけに及ばない。その炎は不浄の穢れ以外を燃やすことなく、庭園を浄化していく。

 

『すばらしいですね。狙った物だけ燃やすことのできる選定能力なら仲間を巻き込む心配もない。いい選択です』

「俺の理屈で言うなら求道型かな。見たところ相当身体能力も強化されているし」

 

 火女神の炎舞衣装(ヘスティアフレアスカート)と比較すれば、攻撃規模や威力こそ劣るが、身体強化能力と対象選定能力に特化しており、そのおかげでユエは現在、大幅に強化された身体能力にて、襲い来る蟲群を両手の炎剣を縦横無尽に振りながら、敵を斬り裂き浄化する。

 

 

 穢れを浄化するために祭壇にて舞い踊る姫巫女。それはさながら一種の儀式を思わせる美しい光景だった。

 

 

「これで……終わり!」

 

 ユエが止めとばかりに炎剣の刃を飛ばし、狂った笑い声を上げるリューティリスを燃やし斬る。

 

「ギャァァァァァァァァァァァ──ッ、アツイアツイアツイアツイィィィィィィ」

 

 耳を塞ぎたくなるような金切声の断末魔を上げながら樹木ごと炎上するリューティリス。ユエの炎はユエが許可したもの以外全てを焼き尽くす浄化の炎だ。ゆえに、その断末魔の悲鳴が消えるまで炎は消えることはない。

 

「ィィィィィィィィィハハハハハハハハハハハハハハ。アーハッハッハッハッハッハッ──!!」

 

 

 

 

Sancta Maria ora nobis.(さんたまりや うらうらのーべす)

 Sancta Dei Genitrix ora pro nobis.(さんたびりごびりぜん うらうらのーべす)

 

 

 炎上し、炭化した樹木の残骸から歌が聞こえた。

 

 それは人をあらゆる堕落と退廃に落とす、悪徳の調べ。

 

 

Sancta Virgo virginum ora pro nobis.(さんたびりごびりぜん うらうらのーべす)

 Mater Christi ora pro nobis.(まいてろきりすて うらうらのーべす)

 Mater Divinae Gratiae ora pro nobis.(まいてろににめがらっさ うらうらのーべす)

 

 響き渡るその意味は祝詞(オラショ)

 本来それは祝福を与える聖句に等しい。かつて日本に存在した隠れキリシタンが唱えた聖なる祈り。

 だがそれも、この歌い手にかかれば全てが反転する。

 歌詞の意味も、込められた思いも、何もかもを呪いの原材料に落としてしまう。

 

Mater purissima ora pro nobis.(まいてろぷりんしま うらうらのーべす)

 Mater castissima ora pro nobis.(まいてろかすてりんしま うらうらのーべす)

 

 聖なる森の中枢にて広がる濁りきった不協和音。

 蟲の残骸が折り重なって輪唱される不快の音は、正気を犯す聲の響き。

 それは人の声帯では決して出せない。声の主が人を外れた邪性だと雄弁に語っている。

 声が近づいてくる。一定の方向からではない。まるで空間全体で包み込むかのように。

 

 溢れる羽音。闇にも見紛う黒色の正体は蟲の郡。

 羽搏き、蠢く蟲の大群が寄り集まり、一個のカタチを形成していく。

 不快、不吉を示す祝詞の主、深淵の彼方より来たるその存在が、ついにその姿を現した。

 

 

「ああぁ、あんめいぞぉ、ぐろぉぉろりああす──」

 

 それは、あらゆる不浄の集合だった。

 

 白黒反転した僧衣、首に下げられた逆十字、肌は一点の漏れのない暗黒で、狂気と悪意に濁った瞳。

 

 それの周囲には鼻の曲がるような悪臭が充満している。それは腐乱死体から発生する穢れた蛆虫か、それとも腐肉の上を這いずり回り、糞を貪る死出虫が如き穢れの臭いか。

 

 見た目は一応人のカタチはしている。だがこの存在を前にしては、それ自体が人に対する冒涜だ。

 

 断言してもいい。これは人ではない。名状することさえ憚られる、獄の底より這い寄る混沌の化身。

 

 

 その存在を表現するのにこの言葉ほど相応しい物はない。

 

 

 すなわち──”悪魔(じゅすへる)

 

 

 これに比べたらハジメ達が遭遇した巨大ゴキブリなど綺麗なものだろう。それほどまでにそれは膿み穢れ、腐り果てていた。

 

 人々を穢し、陥れ、堕落への道を歩ませる。その意義で以て駆動する人類に対する冒涜者。

 

 この世に解き放ってはいけない、地の獄に封じておかなければいけない邪悪の化身。

 

 

 その存在を前に、唯一この中でそれに関する知識を備えている真央が、呆然としながらそれの正体を暴く。

 

「第八等指定廃神『蝿声厭魅(さばえのえんみ)』。そんな……どうしてこんなやつがここに!?」

 

 

 そしてその”悪魔”は、眼下で呆然としているしかない彼らに向かって声をかけるのだ。

 

 

「やあ、諸君。初めまして。ボクの名前は……まあ、たくさんあるんだけどね。とりあえず『あっきー』と気軽に呼んでほしいな。短い付き合いかもしれないが、宜しくねぇぇ、キヒッ、ヒヒヒハハ、アーハッハッハッハッハ──ッッ!!」

 

 

 悪夢はまだ終わらない。それを示すかの如く。悪魔の降臨と共に、庭園はいつの間にか闇に閉ざされていたのだ。




>羅針盤の回数制限
原作より概念が強固になった副作用。羅針盤を使えば使うほど羅針盤に籠められた解放者の魂の力を消費していき、いずれ使えなくなる。


天照大神の巫女装束(ココノエ・アマテラス)
種別:求道型
服装:巫女服
髪型:ツインテール
髪色:炎髪

ユエの魂殻霊装。同じ炎の魂殻霊装である火女神の炎舞衣装(ヘスティア・フレアスカート)が中遠距離型ならこちらは近接特化型。神罰之焔と同じく対象選別能力があり、その辺りの事情も求道型に近い。この系統の魂殻霊装を身に纏えば、ユエでも近接タイプの仲間や敵とも互角に渡り合えることができるが精霊使役能力は使えない。

>廃神
神祇省が定めた世に仇成す堕ちた祟り神。等級は一等から八等まで存在し、数字が大きいほど神格が高くなり脅威度が上がる。
第八等指定廃神は神祇省が観測する最大規模の大災害であり、発生したら国の存亡を揺るがすレベルの大惨事を起こすので最重要警戒対象。
基本的に人間が制御、打倒できる存在ではなく、鎮めたり封じたりするのが関の山。だが、真に完成した盧生はそれらを自由自在に召喚、使役する能力を持つとされる。

>黒い悪魔
ハルツィナ大迷宮最深部にて召喚された第八等指定廃神。
彼が召喚されたのは複数の偶然が重なったことによる不幸な事故。
逆十字は生前、悪魔崇拝に病魔克服の可能性を見出し、一時それに没頭していたが、大した成果を上げられずに撤退(その際、関係者を皆殺しにしている)
だが、その儀式を通じて彼の存在を知った悪魔は大いに逆十字を気に入る。
そして、この場に夢を繋ぐ盧生の存在があったことと、彼の核となるべき絶望に染まった魂が存在していることにより顕現。
複数の悪魔や堕天使、悪神の概念の集合体であり、神祇省の視点では蝿声厭魅という魔性だが、ユナの視点で言えば『ベルゼブブ』と呼ばれる悪魔の王(魔王)の一柱。
なお、この世界では知りえないことだが、逆十字とこの悪魔にはある種の絆のようなものが存在する。


戦神館シリーズで同様の悪魔は出てきますが、核が違うので同じであって同じではない存在。そのため本作では彼の一番通りがいい名前はあえて使わないつもりなので悪しからず。
そして地球に存在する地獄の悪魔の王がトータスに迷い込むのは、なんとありふれ原作設定。第六章は原作沿いという設定を見事に守っていますねぇ。

なお、デモンレンジャーという幼女が使役できるような生易しい存在ではなく、危険度は桁違いですが。

次回、悪魔が喋りまくって煽りまくります。

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