もはや現状を正しく理解できている人間は存在しなかった。
突如豹変したリューティリス・ハルツィナ。
そして襲いかかってくる穢れた蟲群。
そしてそれを退け、リューティリスの姿が映し出されている樹木を燃やし尽くしたと思ったら、その灰から再生するように出現した”悪魔”。
もはや展開が目まぐるしく変わりすぎて何をどうしたらいいのか誰もわからない。
誰もが本能的に悟ってはいる。上空に浮かんでいる悪魔が良くないものであることは誰の目から見ても明らかなのだ。だが、今まで戦ってきた敵とは毛色が違う。
誰もが思う。これとは関わってはいけない。否、関わりたくない。
心の底から嫌悪感を湧き上がらせる様はこの大迷宮の番人だった巨大ゴキブリを遥かに超越している。
ハジメ達もまさか、数時間もしない内にあの巨大ゴキブリが可愛く見えてくるほどヤバいモノに遭遇するなど思ってもいなかっただろう。
「あれあれ? 何か反応が鈍いな。もしもーし、誰か返事してくれよ。寂しいじゃないか……」
悪魔が声を発するたびに穢れが庭園を侵食していく。その様は先ほど見た光景と同一の物であり、そのことから、先程のやり取りはこの悪魔にとって攻撃でもなんでもなく、ただの呼吸に等しい反応でしかなかったことがわかる。
「うーん。このままだと、僕の一人芝居で終わってしまうなぁ。寂しいなぁ、となるともう始めてしまってもいいのかなぁ」
悪魔が一人ぼやくが誰も行動できない。蓮弥もまた同様であり、その得体のしれない雰囲気を前に、どう行動するべきか考えている。
だからこそ、
『何故この場に現れたのかはわかりませんが……早々地獄に帰ることをお勧めしますよ、『ベルゼブブ』』
それは珍しいほど嫌悪感を前に出したユナだった。その反応からして、どうやらユナは目の前の異形について知っているらしいとわかる。
その言葉を受けて、ようやく悪魔もユナの存在に気付き、そして……笑った。
「キヒ、キヒヒ、キーハッハッハッハッハッハ。これはこれは、かの『十二使徒』の聖女様じゃないか、お久しぶりだねぇ。いやぁ、懐かしい。あの頃の僕達は君のお師匠様に何度煮え湯を飲まされたことか……ねぇねぇ、そのお師匠様はげんきぃぃぃ──ッッ? 。ああ、ごめーん。もう死んだんだっけ……君が裏切ったせいで」
悪魔が穢れを放ち蓮弥に襲い掛かる。当然蓮弥は迎撃のために十字剣で攻撃するが、切った手応えがない。まるで霞みを斬ったような手応えで邪悪な霧が蓮弥の、否、ユナの周りを覆っていく。
「ねぇねぇ、今度はいつ彼を裏切るのかな? 裏切りの罰姫。堕とされた十三番目。イスカリオテのユダ。君の罪は二千年の懺悔くらいで許されるようなものじゃないだろ。君はまた同じ過ちを繰り返す。だって君は……そういう運命の下に産まれたのだから。ヒヒヒ、ハーハッハッハッハッハーッ!」
「この……黙って聞いてりゃ調子に乗りやがってッ!」
明らかなユナへの挑発に聞いていた蓮弥の頭に血が昇る。そんな蓮弥の超高速の斬撃を喰らって平然としている悪魔が今度は蓮弥に語り掛ける。
「何もかもぶち壊しちまえよ。どうせこの世界は呪われているんだ。そんなに我慢なんかせずに、壊したいものは壊せばいい。憎いんだろ、恨めしいんだろ。この世界の全てを破壊したくてしたくてしょうがない。だって君は、そういう風に造られた。そのためだけに生み出された兵器じゃないか」
『
穢れを固め、払いのける聖歌の響きが、悪魔を彼方に吹き飛ばす。だが……
「なるほど、なるほど。彼のためなら君は動くのか。あーやだやだ。いい具合に成長しちゃってさ。十二使徒はベースに光狂いが入ってるから面倒なんだよ」
あたりまえのように悪魔は再生する。邪悪な魂を砕く聖歌を受けてもダメージ一つ存在していない。
だが今の蓮弥達の攻防でようやく身体が動くようになった各人が悪魔に向かって攻撃を開始する。
「よくわからねぇが、敵なら殺すだけだ、死ね」
まずはハジメがアーティファクト『竜の息吹』にて悪魔を燃やし尽くそうと熱線で攻撃するが、当たり前のように透過される。
そして攻撃したハジメに悪魔が囁く。
「『敵なら殺すだけだ、死ね』。あまり強い言葉を使うなよ、弱く見えるぞ。なんちって、君の好きな物語の名台詞だよね。いやーそれにしても君も随分出世したものだよねぇ。地球では友達が一人もいない陰キャラのキモオタだったくせに。今や中世時代の異世界で近代兵器を持ち込んで俺TUEEEEしてイキってる、なろう系小説のテンプレ主人公みたいじゃないか。よかったねぇ、この世界に来れて。お前みたいなコミュ症のキモオタでもいっぱしの英雄扱いだ。底辺の雑魚だった君を奈落に落として強くしてくれた檜山君には、泣いて感謝したほうがいいんじゃないのかなぁ。アーハッハッハッハーッ!」
「てめぇぇ!」
ハジメがアーティファクトを瞬間錬成する。容易したのはクロスビット四基。それがすぐさま悪魔を覆うようにして結界を展開し、ハジメが手を合わせるのと同時に内部に蓄えられていた可燃空気が爆発する。
逃げ場無しの空間に閉じ込めた上での爆破。そのままハジメは魔力と空気を送り続け、内部を燃やし尽くすが……
「無駄無駄。その程度の攻撃では僕には届かない。あれだけ苦しい思いをしてもまだ虚勢張れるのか。いや、中々頑張ってるじゃないか。だけどさ……」
どこからともなく結界の外に出現した悪魔がハジメに対して穢れを放つ。今度は今までのとは違い、そこそこ悪意を籠められているからか範囲と濃度が桁違いだ。それをハジメは魔人の鎧を起動した超身体能力にて躱しながら木の枝を錬成して作った巨大質量の木槌で悪魔を押し潰す。
だが、穢れた膿汁をまき散らすだけであっさり復活する悪魔。
「ねぇ、気づいてる? 君さぁ、もうだいぶ鍍金が剥がれてるよ。僕はこれでも一応
ハジメの元にさらに悪意の暴虐が襲いかかる。ハジメがアイギスで防御する中、絶好のタイミングでユエの炎剣が悪魔に炸裂した。
ハジメの前で悪魔が爆散する。これは効いたかと油断しそうになるが……
「なーんちゃって。流石は女王様。だけど順番は守らないといけないよ、
その言葉を聞いた途端、ユエがわかりやすく動揺したのが周囲に伝わった。
「ああ、アレーティア。可哀想なアレーティア。大好きだったディーンリードの叔父様に裏切られた、アヴァタール王国最後の女王様。そうです、私は可哀想な女の子なのです。だからみんな私を見て。私に構って同情して。だってそうじゃないと私……不安で不安で、吸血鬼の癖に闇が怖くて、夜一人で眠れないのー。ギャーハッハッハッハーッ!」
「ッ!! 私を、その名前で呼ぶなぁぁあ!!」
ユエが激昂して悪魔に炎剣で斬りかかる。だが必死のユエの猛攻虚しく、悪魔には何ら痛打を与えていない。
「その名前で呼ぶなって言われてもさぁ、君の名前はこれしかないだろ。アレーティア・ガルディエ・ウェスペリティリオ・アヴァタール。鬼神の国と恐れられた古代の王国、アヴァタール王国の最後の女王。それが君の真実だろう。ま、僕がわざわざ言わなくても、当然皆知ってたと思うけどねぇぇ。ハッハッハッハッハ──ッッ!」
アレーティア。
それは少なくとも蓮弥は知らなかった情報だった。知識としてはユエが吸血鬼の王国の元女王だと知ってはいたが、その情報をユエは語りたがらない。蓮弥なら隠し事をする気持ちがわかるし、他の仲間も言いたくないことを無理に聞く人間はいなかったのでユエの過去を知っている人間はほとんどいない。おそらく名前を知っていたのはその当時を生きていたティオだけだろう。
そしてその過去の秘密の公開は……考えられる限り最悪の状態で行われることになった。
「あれ、あれあれぇ? 何この反応……皆ひょっとして知らなかったッ!? えっ、恋人であるはずの魔王(笑)も知らなかったの!? そりゃごめんねー、てへぺろ。よりによって悪魔である僕が暴露しちゃうなんてやっちゃったなぁぁ。いやー演出家失格だね、失敗失敗」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ──ッッ!!」
そうは言うが、この悪魔が悪意によって暴露したことは間違いない。よりによって悪魔によって大切な情報が暴露される。これほど汚らわしいことはないだろう。ユエは普段のクールな仮面をかなぐり捨て、激昂して悪魔に攻撃する。ユエは大迷宮のボスなら十回は死んでいる規模の攻撃を幾度も悪魔に叩き込んではいるが、未だにダメージを負う気配がない。
不死身。
その言葉がこの場にいる者達の脳裏に過る。今までも死に辛い敵は存在したが、これほどの不死性を発揮したのは過去ハジメ達が遭遇した悪食くらいだろう。だがその悪食も属性は素直で純粋だったため、これほど穢れてはいなかった。
『いけません、ユエ。戻ってください!』
ユナが蓮弥と共に、穢れた蟲群を払いながら叫ぶ。
「これなら!!」
だがその言葉が届いていないのか、それとも気にする余裕もないのか、ユエが極大の炎を召喚して悪魔にぶつけようとする。
魂殻霊装『
だが、その攻撃が悪魔に届く前に、ユエの魂殻霊装が消滅した。
「ッ!?」
活動限界を超えていることに気付かないという大失態。当然十二歳相当の姿に戻ったユエは悪魔の前で無防備を晒してしまうことになる。
そして悪魔は、その隙を決して逃しはしない。悪魔はユエをすぐさま取り囲んでしまう。
「キヒヒ、ヒーハッハッハッハッハ」
「ひっ……」
狂相をさらに歪ませた悪魔のドアップと高笑いを前にして、ユエが思わず短く悲鳴を上げる。
「いいねぇ、実にそそる表情をするじゃないか。僕はね、君のような色々拗らせた女の子が大好きなんだよ、アレーティア。そう、アレーティアだ。君の名前はアレーティアなんだよ。ユエなんて名前じゃ断じてない。
「ユエぇぇぇぇぇぇぇぇ──ッッ!!」
悪魔に襲われるユエを助けだそうとハジメは、自分が使えるありったけの兵器と魔法を駆使して周囲の穢れた蟲群を薙ぎ払おうとするが、単純に火力が足りない。払っても払っても次から次へと蟲が補充されていく。
「邪魔だぁぁッッ、どけぇぇぇぇ──ッッ!!」
「この、鬱陶しいですぅ!!」
ハジメの攻撃と共に、シアもドリュッケンを振るい蟲をまとめて潰すがそれも腐った膿汁を周囲にまき散らすだけに終わる。
「数が多すぎるし……何より妙な感触なのじゃ。このままでは……」
「けど触れちゃ駄目だよ、ティオ。これ……なにか嫌な感じがする」
ティオもなんとかユエの元に向かおうとしているが蟲に邪魔される。ティオが竜化するにはここは狭いし、何より身体を巨大にするということは的を大きくするということでもある。この蟲群にできるだけ触れないように香織が警告する以上、人の姿で戦わなくてはならない。
「マオマオ。何とかならないの!?」
「無茶言わないでッ。そもそもあいつは正真正銘本物の真性悪魔よ。人間の手に負える相手じゃ……」
周りが焦る中、ユエを対象にした悪魔の愉悦は続く。
「名前を変えたからといって……新しい自分になれると思っていたのかい? 過去の名前を捨てたからといって、
聞いては駄目だ。ユエの中で警鐘が鳴る。
もしこれ以上聞いたら……ユエの
だがあと少しで、ユエにとって致命的な何かが訪れる直前。
「調子に乗ってんじゃねぇぞ!」
悪魔の上空から飛来した蓮弥が、創造の神滅剣を悪魔に振り下ろした。
「ぎぃぃぃぃぃぃ──ッッ!!」
悪魔は悲鳴を上げ、すぐに霧散する。そして蓮弥は、解放されたことで地面に落ちそうになっているユエを抱きかかえて地上に降りる。
「蓮弥…………ありがと」
「どういたしまして。ハジメでなくて悪いが、こいつはそんなことを気にして勝てる相手じゃない。今は我慢してくれ」
蓮弥は地上に着地した後、抱きかかえていたユエを優しく地面に下ろし、警戒する。
概念破壊を悪魔に叩き込んだはいいが、未だに悪魔は健在だった。その証拠に既に再生して元の姿に戻っている。
「いやぁ、危ない危ない。流石は神殺し。流石の僕もそれで斬られ続けたら痛いじゃ済まなさそうだね。だから……」
「君には退場してもらうことにするよ」
「ッ!?」
そう悪魔が言った瞬間、ユエに刻まれていた魔法が蓮弥に向けて転写され、蓮弥をドーム状の闇が一瞬で覆い隠した。
「悪魔の本分である嫌がらせに特化した結界だ。全部で十万層ある。特に君を害する機能なんてものはないが……果たして出てこれるのはいつのになるのかな。キヒヒ、キーハッハッハッハ──ッッ!」
蓮弥の創造は効果範囲が狭いという覇道型にあるまじき弱点を抱えている。そのため数の暴力というものとは蓮弥は相性が良くない。
そしてこれはかつて王都にて神の使徒軍団と戦った時の再現だった。壊すことは容易くても数が多すぎて対処できない。仮に蓮弥が一秒に付き、結界十層破壊するとしても、全ての結界を破壊して出てこれるようになるまでは約3時間かかる計算になってしまう。
3時間も蓮弥とユナが戦線離脱するということはすなわち、最強戦力である蓮弥を戦闘不能にしたに等しい。
その結果を受けて益々警戒することになるハジメ達。だがその警戒を他所に、悪魔は自分がここにいる意味を果たそうとする。
「さて、邪魔者はいなくなったし、そろそろ本題に入ろうかな。いけないなぁ、僕の悪い癖だ。面白そうな子がいるとついついちょっかいをかけたくなる。まだ言ってない子達も大勢いるけどそれは
さらに暗い情念を乗せながら悪魔がガハルドに肉薄する。残念ながらガハルドのレベルではどうしようもない。
「ガハルド・D・ヘルシャー。幼少の頃より徹底した実力主義の教えを受け育つ。本人の気質的にもその教えは合っており、どんどん頭角を表していき、最終的には王の座をかけて実兄と決闘にて対峙し、勝利することで玉座に着く」
まるで見てきたかのようにガハルドの過去をペラペラ喋る悪魔。
悪魔は人の悪夢から生まれた悪魔ゆえに人の全てを知っている。だからこそ誰もが悪魔を前にして自分を誤魔化すことなどできない。
「まぁ、正直さぁ。君は及第点だと思うよ。徹底した実力至上主義のお手本として力で以って国民を惹きつける反面、自分より強いものに負けて全てを奪われることもそれはそれで良しとする潔さもある」
口を開いた悪魔が楽しそうにガハルドを褒め倒す。今まで誰かを貶すことしかしてこなかった悪魔からしたららしくない行動のように見えるが、もちろんそれだけでは終わらない。なぜなら……悪魔の行動は全て人の絶望のためにあるからだ。
「君が今に至るまで築き上げてきた国もまぁ、いいと思うよ。そこには熱意がある、より良く高みに至ろうする野心がある。こことは近いようで遠いところにいる僕の主なんかは気に入るんじゃないかな」
けどさ、と悪魔が続ける。つまりここからが本題。
「君の国に暮らしている国民はどうなのかな?」
「何?」
「実力至上主義を謳い、強いやつは弱いやつに何をしても許されるという理念の元、劣等人種である亜人族に徹底的に好き放題やってきたわけだけどさ。ここでもある人の例えで言おう。例えば君らのところに奴隷商人がいただろう。亜人族を取り扱っているタイプだ」
悪魔はさらに顔をにやけながら、現在進行形で周囲から攻撃されているにも関わらず、全て無視して話を進める。
「その男は貴族の端くれであり、タダ同然で亜人奴隷を手に入れてそれを上級貴族などに高く売りつける仕事をしていた。そこで今回の商品、奴隷が届いた。その奴隷は熊人族であり鉱山などの重労働系の仕事をさせるための奴隷だけあって筋力自慢の奴隷だった。さて、ここでこの二人を比べてみよう。奴隷商人は商人だけあって戦闘の心得なんてない。この世界のステータスで言うなら平均値十かどれだけ高くてもせいぜい二十かそこらだろうし、でっぷり肥え太った身体は特別戦いに向いているとは到底思えない。そして熊人族。彼はフェアベルゲンの元戦士であり、魔力が無い分、亜人族の中でも特に優れた身体能力を持つ熊人族の肉体を徹底的に鍛え上げていた。ステータスで言うなら魔力以外のステータスは軒並み二百を超えている。今この場で両者が戦えば、まず間違いなく熊人族が勝つ。そう、魔力を持たないだけで、実は亜人族はそこまで弱くはない」
悪魔が言いたいこと。それはつまり、実力至上主義の帝国に隠された歪み。
「だけど現実として熊人族は奴隷に甘んじている。いや、そこは別にどうでもいい。例えば熊人族側にも理由はあったのかもしれない。だが実力至上主義の観点で言えばこの場では熊人族に分があるはず。まあ、奴隷商人も帝国で上手くやっていく強かさがあってそれも強さだといえば強さなのかもしれないけどさ……軍事国家として考えるなら純然たる武力を持っている熊人族の方が正義だったはずだ」
「……てめぇ、何が言いたい」
「なに、要はその奴隷商人は覚悟を持って仕事をしていたのかってことさ。目の前の熊人族が、いや……奴隷にしている亜人族が死を覚悟し一斉喚起して奴隷商人をミンチに変えても、それは自分が弱かったから仕方なしだと言えるくらい覚悟をして職務を全うしていたのか。覚悟をしていたらそれでいい。だけど……無意識的に思っていたんじゃないのかな。自分は人族だから、帝国貴族だから……劣等種族である亜人族を無条件に、一方的に殴っていいし奴隷にしていいと。なんなら見たこともない神様が保証してくれるし、何かあっても国が守ってくれるから殺されることはないだろうと高を括っていたのでないか。いつもやっすい娼館で一方的に殴って蹴って心身がボロボロになるまで犯している兎人族の奴隷娼婦が、実はナイフを隠し持っていて、男が女の中で気持ちよく射精している隙に頸動脈を掻き切ってくるとは考えないのか」
帝国は強いと言えるかもしれないが帝国民が全員強いかと言えば疑問が出てくる。現に先の帝国襲撃にて、真正面から亜人族最弱である兎人族と対峙して、手も足も出なかった帝国兵なんてかなりの数いるのだ。
「身の危機を想定し、常に備えてこそ弱肉強食、それが完全実力主義に生きる帝国民としての気概というものだろう。その辺、常に命を狙われる側の皇帝陛下はわかるはずだ。そして……」
悪魔がにやりと笑う。それだけで周囲に拡散されている毒蟲の濃度が増し、ハジメ達は後退せざるを得なくなる。
「じゃあ帝国民にその気概があるかどうすればわかるのか……僕はこう思うんだ。帝都に圧倒的強者が訪れて、一方的かつ理不尽な理由でいつも帝国が亜人族にやっているような蹂躙劇を始めたら。それを前にした時こそ彼らの真価は問われるんじゃないか、とね」
「てめぇぇぇぇ!!」
ガハルドが悪魔の言いたいことを悟り、怒りを持って剣を振るうが、当然当たらない。ガハルドは豊富な知識に積み重ねてきた経験値を持つ蓮弥達が持たない力を持った強者だといえるかもしれないが、同時に蓮弥達が持っている単純な出力という意味での力を持っていない弱者であるともいえる。この場で必要なのは後者であり、この悪魔相手にどれだけ豊富な知識や経験値を持っていようが何の役にも立たない。
「そこで……僕はここを出て帝都に地獄を作る……予定だったんだけどさ」
突如悪魔の声のトーンが変わる。まるで楽しみにとっておいたおやつを誰かに横取りされたかのような声は本気で残念だと思っていると伝わってくる。だがすぐに悪魔は切り替えてなお一層テンションを高めてきた。
「というわけでハイ皆、ちゅうもーく。今からべんぼうチャンネル。略してBBチャンネルで現在の帝都の様子の生中継、はっじめるよおおおおお!!」
そこでここにいる全員の視界が強制的に切り替わる。
転移ではない。視界だけジャックされてどこか別の場面と繋げられたのだ。
そして……そこに広がっていたのは……
「なんだ……これ?」
地獄絵図だった。
「嘘……」
街が紅蓮の炎を上げながら燃えている。視点は少し高い位置にあったが、それを見る限り町の半分以上が既に何らかの被害を受けているようだった。
家屋が炎上しているところ。建物が完全に崩壊して原型を留めていないところ。被害状況は様々だが共通して存在するのは、夥しい量の人間の死体。
そして思い出す。悪魔が何と言っていたのか。ここがどこなのかを。
「じゃ、じゃじゃーん。なんと帝都は今ッ、大ッ、絶ッ、賛ッ、滅亡中でーす!! キーハッハッハッハ──ッッ!!」
視界いっぱいに広がる悪夢の光景。ついこの間までハジメ達も滞在し、雑多であり一部見るに堪えないものもあるにはあったが、それでも活気があり、皆それぞれ日常を謳歌していた帝都が、滅びようとしていた。
「さあ、さあ。この素敵な催しをしてくれたのは誰か。正直いささか直球過ぎて僕の好みとは少しずれるんだけど……あっ、いました帝都兵の生き残りです! 何やら彼らは何者かと対峙している模様。さて、その正体とは……ッ!!」
悪魔が示した通り、通路には取り残された帝国兵が剣を構えながら必死に抵抗していた。ガタガタ震え、自らの終わりを悟り、こんなはずじゃないと嘆く姿は、傲慢なれど自信に溢れていた帝国兵とは程遠い。そしてその帝国兵が相対しているのは一人だった。
それは一言で言うなら……黒。
全身覆い尽くすような黒い鎧を隙なく着こなす黒騎士だった。
「あぐぅぅ!」
誰かがうめき声を上げたが気にしている余裕は誰もない。何しろ視界を閉ざせないのだ。周囲を警戒することもできない。
そして帝国の惨劇は続く。一人の帝国兵が勇猛果敢に黒騎士に挑みかかった。
「ッ! やめろぉぉぉぉぉ──ッッ!!」
ガハルドが思わず駆けだす帝国兵に向かって叫ぶ。だがその帝国兵には聞こえない。そして当たり前のように、黒騎士の持つ、黒い光を放った剣にて真っ二つにされた。
だがその犠牲を無駄にすることなく、別の兵士達が唱えていた魔法が完成する。等級で言うならおそらく中級。だがなけなしの魔力を纏った全力なのだろう。生き残りをかけて決死の覚悟で放った魔法は、黒騎士が手でその魔法を握り潰してしまう。
「フレー、フレー、て、い、こ、く。頑張れ、頑張れ、帝国ッ! そうだ、行け、そこだ。君達が真に強者だというのなら……今こそ、その真価を発揮する時だろう。どうした? 自分達は強いんだろ? 力こそ是とする誇りある帝国兵なんだろ? だったらここで気合と根性と勇気で覚醒の一つでも起こさなきゃ」
皆が唖然とする中、悪魔だけが一人楽しそうにその恐怖劇を鑑賞していた。
だが無慈悲にも物語は続く。帝国兵の全ての攻撃を受けても無傷である黒騎士は一層膨大な魔力をその黒き魔剣に籠め、横薙ぎに薙ぎ払った。魔法師隊が決死の覚悟で障壁を張るがそんなものはこの黒き極光の前では紙屑同然であり、その区画ごと丸ごと消し飛んで消滅した。
「ねぇねぇ、皇帝陛下ァァ。どう思うどう思う? 自分が不在の間に帝都がこんなことになっている気分は? 彼らは必死に戦っているのに、お前は何をしてたんだろうね。懸命に生き残った国民に何て説明するのかな? 「ぼくちん、弱いおまえらなんか興味ないんでちゅー。それよりも気になる女の子の尻を追っかけることに夢中になってましたぁ」とでも言うのかな。かな? アーハッハッハッハッハッ──ッッ!!」
「クソがぁぁぁぁぁぁぁぁぁ──ッッ!!」
吠える皇帝に悪魔の愉悦。
誰もが何も言えない。そのあまりに残酷な光景は思わず胃液が湧き上がってきそうだった。
「ああ──、けど……足りないなぁ」
そんな中、悪魔が呟く。最初こそ熱心に実況していたが、今ではどこか冷めた様子で帝都が燃えていく光景を眺めていた。
「目には目を、歯には歯を。君達帝国は
悪魔が身を抱きしめる。まるで歓喜に震えるような、喚起に震えるような。そんな溢れ出す悪意を我慢するかのように悶える。
「僕らの痛みはそんなものではない。そんなもので晴れるものかよ……まだだ、まだこんなものじゃ足りない。もっと絶望を、もっと悲鳴を。僕らを蹂躙し、辱め、支配し続けてきた人間はまだまだ苦しまなくてはならない。そうでなければ……彼らは救われない」
その時、悪魔が飛散し、その核を晒した。
それは……すさまじい怒りと憎悪と呪いの塊。
憎い
憎い憎い
憎い憎い憎い
奴らが憎い。
俺達が何をしたなんでこんなことに誰か助けてお母さんいやあああああなんで痛い痛い痛い痛いもうやめて許さない許さない許さない許さない
絶対許さない!!
「ぐぅぅぅ」
「ぎぃぃ、ああああああああああ」
「頭がぁ、割れる!」
周囲に伝搬する悪意の奔流、それが直接ハジメ達に雪崩れ込んできて脳を汚染し始める。そして同時に悪魔の正体を皆が理解した。
悪魔には存在の核となる生贄が必要だ。
その生贄になる魂が深い絶望に染まっていれば染まっているほど、呼び出される悪魔は極上のものとなる。
そして悪魔とはその生贄になった魂の色によって影響を受ける。例えば、実姉に告白して、強い男が好きだと返された弟が、強くなれないと知り絶望して死んだ念を媒介にすればその姉に執着するようになる。
そう言う意味で今回の悪魔の正体とは。
解放者の時代から数千年。エヒト教やアルヴ教にて獣同然の畜生だと認定され、帝国からは都合のいい奴隷扱いされ、迫害されてきた亜人族達の、フェアベルゲンの森に蓄えられた人への怨念そのもの。
「おっと、いけない。思わず漏らしちゃったよ。ま、というわけだからさ。彼らはまだ許さないという以上、彼らの恨みによって呼び出された僕は本分を全うしないと。だが僕は脚本家を自称していてね。自分が直接動いてあれこれするのは悪魔のルールに反する。だからこそ、僕はあくまで舞台を整えるだけ……動いてもらうのはこいつだ」
そして、悪魔の声と共に、視界が元の庭園に戻る。
だが、その様相は一変していた。
「地面が真っ黒に……まって、これってまさか!」
真央の呟きの通り地面は黒一色に染まっていた。一応身体にには影響は見られないが、それが異常事態であることは明白だった。
だが真央の声をキッカケに、周囲の仲間も気づいてしまう。
今自分達が、
神樹『ウーア・アルト』が、悪魔による汚染を受け、黒に染まっていた。そして注がれる悪魔の穢れた魔力により、失われた伝説が一夜の復活を果たす。
「さあ、よみがえれ神樹『ウーア・アルト』。いや、大災害『樹樹』! 答えは出た。あの時、眷属の意思を尊重し、人と眷属の共存を願ったきみの想いは間違いだった。なら、その間違いを正すために、今一度世界を厄災で覆うがいい。アーハッハッハッハッハ──ッッ!!」
蘇りし、黒き神樹が全長数千メートル越えの巨体を周囲に晒す。黒い葉は生い茂り、その異様な瘴気を吹き出しながら世界を汚染する。
今夜の大舞台最後の演目。かつてその権能にて愛する子らを守るために、世界を森と眷属で覆い尽くそうとした大災害の一柱が今、動き出そうとしていた。
>魔王(笑)
ありふれ原作、二次創作内で光輝を勇者(笑)と表現する場面は数あれど、ハジメを魔王(笑)と呼んだのはこいつが恐らく初めて。
悪魔からしたらハジメのやってることは魔王ごっこにしか見えないし、正田世界の魔王の敷居はそんなに低くない(アヴェスターの七大魔王をチラ見しつつ)
>容赦のない暴露
今回もっとも悪魔の被害にあったのは間違いなくユエ。悪魔は人の夢から生まれた存在なので基本こいつに隠し事は通用しない。
そしてこれらの展開から、最後の大迷宮がなぜイージーモードからベリーハードモードになるか薄々見えてくるはず。
>魔王のお説教
悪魔はこことは違う。近いようで遠い世界の主の思想をネタに帝国を煽る。
本気でやれよ。どうして覚醒しないんだ?
>大災害『樹樹』
四体目の大災害にして四度目の世界の危機。悪魔の魔力と亜人達の怨念により復活中。果たして今度は無事突破できるのか。