「ここは……」
転移が終わった後、蓮弥はすかさず周囲を警戒する。それは広い空間だった。天井幅共に二十メートル以上、大き目の体育館くらいはあるだろうか。視界は薄暗い、どうやら緑光石が少ないようだ。
蓮弥はハジメ達と分断されたことを把握する。もしあそこが本当にゴールだったのだとしたら、転移したここには今までになかったような試練が用意されているのがテンプレだろう。
蓮弥が慎重に進んでいき、丁度真ん中あたりにきたところで、突然今までまったく感知できなかった気配が膨れ上がるように現れた。
「っ!」
それは紅だった。
そこら中に紅い光が、蓮弥を囲むように現れた。もしそれが全部敵だったとしたら百や二百では済まない数だ。
蓮弥は右腕を構える。隠れるところがない上に囲まれている。典型的な四面楚歌、油断していい状況ではなかった。しかし、警戒しつつ進んではいるものの、下に落ちていた石を軽く蹴り飛ばしてしまう。それが開戦のゴングになった。
まずは周りの紅い光の内のいくつかが、蓮弥に向かって襲いかかって来た。蓮弥は右腕を振り回してそれに対処する。何かをまとめて潰す感触に蓮弥は眉をひそめるが、そのまま床に叩きつけた。
続けて蓮弥の死角になる位置から紅い光が襲いかかってくる。それを感知していた蓮弥は体を回転させた勢いで纏めて薙ぎ払う。そこでようやく目が慣れて来たのか、それの正体に気がついた。
バスケットボールほどの大きさの黒い球体には、よく見ると紅い血のような斑紋がついており、そこから生える複数の針金のような長いものが、小刻みに震えている。
「……蜘蛛か?」
蓮弥は腕を振り上げ纏めて数体挽き潰す。それは紅い目を不気味に光らせる、蜘蛛型の魔物だった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
蓮弥が戦闘を始めて十分以上は経過していた。その間に蓮弥が潰した蜘蛛は百匹以上、かなり潰したと思ったが数が減る様子がない。これはもしかすると千匹以上いるかもしれないと蓮弥が長期戦を覚悟していたその時、蜘蛛の攻撃パターンが変化した。
周りの蜘蛛が粘液状の何かを一斉に射出したのだ。放たれたなんらかの液体を蓮弥は受けずに避ける。そしてすぐ避けて正解だと悟った。その液体が触れた地面がドロリと溶けているのがわかる。
(溶解液……もしくは毒か……)
馬鹿の一つ覚えみたいに特攻していた蜘蛛は、今度は近づくことなく遠距離から毒液を放ち始めた。どうやら近接攻撃では効果が薄いと判断したらしい。蓮弥は右腕を大砲に変化させ、周りの蜘蛛を撃ち落としつつ走り回る。同じ箇所にとどまっていても只の的だ。
(どこだ? どこにいる?)
蓮弥とて闇雲に戦っていたわけではない。蓮弥は気がついていた。一見無謀に突撃してくる蜘蛛だが、やけに統率が取れていることに。毒液散布も周りが一斉に行ってきた。となると考えられるのは一つ。どこかにこいつらを統率する親玉がいる。
周りの蜘蛛を倒してもキリがない。ならば統率をとる親を潰せばいいと考え、探し回るがそれらしい個体がいない。
(おかしい。周りをどれだけ探しても、それらしい個体がいない)
この見た目がほぼ変わらない蜘蛛の中のどれか一匹が、ボス蜘蛛であると言われれば蓮弥は周りを残らず殲滅するしかない。しかしアリやハチの女王しかり、群れのボスはやはりなにか特徴があるものだ。統率をとる以上、この中にはいるはずで、しかも全体を見渡せる位置にいる。
そこで蜘蛛の生態を考えた蓮弥は、まだ確認していない箇所があることに気がつく。突撃するにしろ毒液を放つにしろ包囲網を狭めず一定の距離をとってくるので意識しなかった死角。
「俺の真上か!」
大砲に変えた腕を上に向け、砲撃を放つ。轟音が鳴り響き、蜘蛛が攻撃を中断する。
そして、それは現れた。
全長は五メートル以上。
八つの紅く光る目。
それは胴体に小蜘蛛より複雑な赤い斑紋が、体の半分を覆うように広がる巨大な大蜘蛛だった。
(
蓮弥はその
だが直撃したにも関わらず効いている様子はなかった。 見つかった以上隠れるのはやめたのかこちらに向けて落ちてくる。間近で見てわかるような異様なデカさだ。威圧スキルがあるのかおぞましい圧力も感じる。
(こいつは……やばいッ)
蓮弥は悟る。今まであってきた魔物とは格が違うと。ひょっとしたら降りてきたのは蓮弥を観察して取るに足らないと判断したからかもしれない。
すると今まで近づいてこなかった小蜘蛛がカサカサ、わらわら寄ってくる。まるでリングの周りを囲む観客のように。赤蜘蛛がその巨体に見合わない速度で接近して、鋭い前足の一つを叩きつける。
それをかろうじてよけた蓮弥が今度は鉤爪状にした右腕を叩きつける。だがダメージらしいダメージは与えられなかった。
このままではまずい。蓮弥は焦り始める。もしこれがハジメなら、他に武器はいくらでも作れるのかもしれないが、奈落に落ちた蓮弥にはこれしか武器がない。数で圧倒的に負けている上に、ボスに太刀打ちできないのであればこのまま嬲り殺しになる未来しかない。
今度は赤蜘蛛が魔法陣を展開した。途端に地面が鋭く隆起して襲いかかってくる。土魔法だ
(その上魔法まで使ってくるのかよッ)
蓮弥も魔法が使えないわけではないが適正がある魔法がないため大したものは使えない。相手の戦力は強大、こちらの武器は通じず、相手にはまだまだ武器がある。この期に及んで蓮弥の取れる手段は……一つしかなかった。
(到達するしかないッ……『形成』に!)
術者の魂と融合した聖遺物の武器具現化ができるようになる位階である。人と魔術武装の霊的融合が成されることにより、この位階に入ったものは人の範疇から外れた超人となる。
内包する魂の質と絶対量に相当する五感の超進化。百の魂を持てば百人分の生命力を有する単独のレギオン。文字通りの一騎当千の力を手に入れることができる。
(だけど都合よく至れるのか……ここで)
蓮弥はもちろん形成に至るために色々試してみてはいた。活動位階は不安定な位階であり、また暴走する危険がある以上、聖遺物の力が安定して使える形成を取得しようとするのは当然だった。だが未だに成功の兆しはない。相変わらず聖遺物とリンクしている感覚が曖昧だった。
「だけどやるしかないだろッ」
覚悟を決める。ここで至れなければ死ぬしかない。蓮弥はイメージする。雫と見たあの宝物庫の十字架を。もしあれがそうならそこに繋がるイメージを持てばいけるかもしれない。
親蜘蛛と一緒に迫ってきている子蜘蛛を蹴散らしつつそれに願う。
頼むッ、力を貸してくれッ
聖遺物は…………蓮弥の想いに応えなかった……
ドクン
…………どこを見てるのですか?
「えっ……」
その声に気づいたとき、蓮弥は身動きが取れなくなっていた。
「なっ!? しまっ……」
気がついた時には遅かった。蓮弥は空中に吊り上げられる。おそらく今まで何らかの魔法で隠蔽されていたのか。罠にはまった蓮弥を相手に隠す必要がないと判断したのかはしらないが、それは部屋中に張り巡らせられていた。
恐らく小蜘蛛が突撃した時から仕掛けられていたのだろう。そして準備ができたら
それは自然界最強のナノ繊維であり、同じ重量であれば鋼鉄よりも頑丈で、ケブラー繊維の10倍以上の強度を誇る蜘蛛最大の武器。
蜘蛛の糸に蓮弥は絡め取られていた。
「くそッッ」
今更抵抗したところで遅い。おそらくこれはそういうものなのだろう。赤蜘蛛は蓮弥と共にゆっくり天井に登る。
そして蓮弥は見た、周りにも捕らえられたであろう獲物らしきものがいるということを。蓮弥達がそこそこ苦戦した魔物もいくらか捕らえられていた。どうやらまだ生きているらしく、もぞもぞ動いている。
蜘蛛は生きた餌しか食べない。おそらく彼らは保存食なのだろう。そして、今夜のディナーはついさっき捕らえた新鮮な獲物らしい。捕らえられた蜘蛛の巣に向かっておぞましい数の蜘蛛が登ってくる。蓮弥の背筋が凍る。このままあれに生きたまま貪り食われるのか。
(くそッ、 ……ここで終わりか)
小蜘蛛の大群がすぐそばまで迫ってきている……体は動かせない。
だから今でも思ってる。きっと蓮弥が本気になれば、なんだってできるんだって。
走馬灯だろうか。雫とのあの夜のことを思いだす。
違う……俺はそんなやつじゃない。
結局一人ではなにもできない中途半端野郎だった。
これはお守りだと思ってもらっときなさい。
その言葉を思い出したのか。蓮弥は蜘蛛の大群に飲み込まれる寸前に、動かない体の代わりに
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そして蓮弥は再びここに呼び出される。
崩れた教会、そこに磔にされた女の子。
そこで蓮弥はようやく自分がとんだ勘違いをしていたことを理解した。
こっちを見て
彼女はそう言った。だからイメージすればいいのかと瞑想していたが、
それでは力を貸してくれないはずである。そっぽをむいて見当違いの方向に祈りを向けていたのだから。
「この十字架が……聖遺物?」
首から下がった十字架を見る。雫に誕生日だと言われて貰ったものだ。
事前にそれらしいものを見たことと、蓮がマリィに出会った時とそっくりだったことで、Dies_iraeの原作に惑わされていた。
「やっとこっちを見てくれました」
彼女が薄く微笑む。どうやら待たせてしまったらしい。
蓮弥は改めて彼女を見て、大事な事を聞いていなかったことを思い出す。
「待たせてしまってごめん。俺は藤澤蓮弥……君の名前を聞かせてほしい」
その言葉に少し迷った挙句、蓮弥に答えた。
「あなたが付けて。私の真名はあなたに相応しくありません」
そうして以前、彼女に出会った時のことを思い出す。
十字架に磔にされたもの。
それを見上げる彼女。
右手には短刀、左手には
正体は察することができる。でもだからこそ、蓮弥は彼女の要望に応えることにする。
「なら……ユナでどうだ?」
察した正体から連想したなんとも捻りのない名前だが、彼女は気に入ったのか微笑み頷く。
「ユナ……俺はここから生きて帰りたい。その為には力が必要だ。君のことに気づかなかった間抜けだけど……君の力を俺に貸して欲しい」
その言葉に彼女は目を閉じ答える。
『あなたに祝福あれ』
光が溢れ出し、蓮弥は再び戦場に舞い戻る。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
気がついた時には周りにへばりついていた蜘蛛が弾け飛んでいた。蓮弥が首元を見ると十字架が光っている。その光る十字架を蓮弥は
「──
「──
蓮弥に絡みついていた蜘蛛の糸が切断される。そして蓮弥はそれを手にする。
それは、鍔の部分が十字架になっている剣だった。長さは太刀と呼ばれる刀と同じくらいあるだろうか。今までの活動形態とは違い握っているだけで凄まじい存在感と力を感じる。
蓮弥は武装を振り上げ、赤蜘蛛の背中部分目掛けて斬りかかる。活動では何発叩き込んでも傷一つ負わなかった硬い外骨格を豆腐を切るかのように斬り裂いた。
蜘蛛の巣から逃れた獲物が、自分に斬りかかったことに気づいた赤蜘蛛が堪らず蜘蛛の巣から落下する。
「逃すかッ」
そのまま落下する赤蜘蛛を蓮弥は追撃する。たがその攻撃は群がってきた小蜘蛛に防がれる。
親蜘蛛を攻撃されたことによる危機感か。それとも赤蜘蛛が指示を出したのか、どうやら数の差で押しつぶすつもりらしい。今まで待機していた蜘蛛も含めて蓮弥に一斉に襲いかかってきた。
視界全てが蜘蛛で覆われる程の物量を向けられても蓮弥に焦りはない。形成位階に到達したことで増した膂力を使って剣を振り抜くだけで数十匹がまとめて消し飛んだ。
とはいえ、数が数だけに斬っても斬っても数が減らない。
(数が鬱陶しいな……まとめて葬れればいいんだが)
その思いに応えたのか蓮弥の頭の中に声が広がる。
『──術式展開──』
『──
その詠唱と共に刀身が青白い炎を纏いだす。突然の現象に少し驚くも聞き覚えのある声だったこともありそのまま剣を構え、蜘蛛の群れに向け、横薙ぎに振り抜く。
刀身から炎が吹き出す。
そのまま蜘蛛の集団に対して放射状に進み……進行方向状の蜘蛛をまとめて焼き尽くした。
(……すげぇ)
その炎は止まらず燃え広がり、蜘蛛を数百匹消し炭にした後止まった。
炎を纏った剣を振りながら周りの蜘蛛を殲滅していく。そうしてあらかた殲滅が終わったころ背筋に怖気が走る。
赤蜘蛛は小蜘蛛がやられている間も行動せず力をためていた。
口元に膨大な魔力が溜まっていく。
蓮弥はそこから離脱しようとして、足元に蜘蛛の糸が絡み付いていることに気づく。すぐに炎で焼ききるも赤蜘蛛にとって十分な隙だった。
「ギィアァァァァァァ!!!」
咆哮と共にブレスが放たれる。勝負を決めにきたようだ。
『──
再び声が頭の中に流れ、目の前に障壁が展開される。
放たれるブレス
それは数十秒照射され続けた。
余りの熱量にまるで空間が軋むかのように感じられるほどだった。
そして放射が終わる。そこにはなにも残っていない。蜘蛛が勝利を確信したのか、心做し笑っているように見えたのは錯覚か。だが、蓮弥は赤蜘蛛の攻撃が終わった直後、蜘蛛の頭上に飛び上がっていた。
「お前の敗因を教えてやる……」
剣に纏っていた炎が収束し、ビームサーベルのように伸びる。
「……顔の差だよ……蜘蛛の美醜なんてわからんけど」
その一言と共に剣を振り下ろし、呆然と佇む赤蜘蛛を……真っ二つに両断した。
ヒュドラ「やーい、お前のレギオン千匹ぽっち〜(笑)」
赤蜘蛛「」
というわけで、お茶の間の代表格シュピーネさん登場回でした。
……一応嘘はついていない。
茶化してはいますが、ちゃんとハジメが戦ったヒュドラと同格の化物であるという設定。実は糸に魔力遮断物質が含まれていて純粋な筋力でしか破れないとか。当時のハジメが苦手な数による面制圧ができる点からハジメ達が戦っていたらヒュドラより苦戦した可能性あり。
あと気づいた方もいるかもしれませんが、宝物庫にあった十字架はブラフ。ただの呪いのアイテムです。なまじマリィとの出会いにそっくりだったため主人公は勘違いした感じです。
本物の聖遺物は、かの者が処刑された時に使われた聖十字架の欠片を煮溶かして精錬したもの。なんでその当時に金属の十字架なんだよというツッコミは無しで。石槍であるはずの聖槍もあの世界だとキンキラキンだし。
そして本格登場したオリジナルヒロイン、ユナ。
正体はわかる人にはわかるはず。
次回、第1章エピローグ