ここからが本当の大迷宮です。
まずは中辛から。実はすでにシア編を執筆して作者は胃をやられているので今の内に慣らしておいてください。
大迷路の光り輝く出口の門に踏み込み、一直線の通路を抜けた香織は他の者達と同じく、大きな空間の中央にある円柱形の巨大な氷柱から現れた虚像の自分と対峙していた。
白い髪を振り乱し、狂気の笑顔を浮かべている、己の中の魔女と。
『さて、まずあなたは把握しているよね。ハジメ君達に何が起きているのかを』
腕の紋章を使って"縛煌鎖"を行使する魔女に対して、香織は同じく"縛煌鎖"にて迎撃を行う。空中で鎖と鎖が絡まり合い膠着状態に陥る中、魔女は言葉を紡ぎ続けた。
『あの三人の様子を見て何が起きたのかを想像してみればだいたいこんなところだろうね。……シアがハジメ君に告白して振られた。そしてハジメ君とユエはそれがキッカケになってすれ違ってあんなことになっている。詳細はわからないけど大筋は外していないはず』
「それがどうしたのッ?」
拮抗状態になりつつも、相手に攻撃を叩き込む隙を探し、そして攻撃を受けないように警戒しつつ香織は言葉を返す。
『シアが受け入れられなかったことに安堵しつつ、私は内心絶望してたよね。ああ、やっぱりかって』
「……ッ」
『本当は気づいていたよね。そしてそれこそが、あなたがずっと目を晒し続けてきた真実。私は私だからこそ、はっきり言わせてもらうから』
そう、それこそが……香織にとってこの試練で避けられない業、その中心。決して受け入れられない揺るがない事実。
『私の恋は……永遠に報われないッ! 私がハジメ君以外の男を決して好きにならないのと理屈は同じッ。ハジメ君もまた、ユエ以外の女を受け入れることは永遠にないッ。"堕天"!!』
魔女が
『オルクス大迷宮でハジメ君を助けられなかった時点であなたの負けは決まっていた。ハジメ君がユエ以外を受け入れない以上、みんな幸せのハッピーエンドはもうありえない。この恋愛には勝者と敗者以外いないんだよッ! そして……だからあなたは雫ちゃんを攻撃した。私と同じ状況、一人の男性に対して、恋焦がれる女性が複数いるという立場にも関わらず、自分だけ好きな人と結ばれて、恋敵とすら上手くやれている雫ちゃんに対して、内心嫉妬してたからッ!』
「それはッ……」
魔女が
「ッ……」
『けど、それすら本題じゃないんだよ。私が本当に言いたいことはそれじゃない。あなたが目を逸らしている可能性について。私はあなたに突きつけるよ』
魔女の般若の長ドスへの攻撃を防ぎながら苦悶の表情を浮かべる香織に魔女はさらに追撃する。
香織が目を逸らしている、禁断の果実について突きつけるために。
『ねぇ、私。もう遠慮する必要なんてないじゃない。……やっちゃえ』
それは、香織にとって甘美な誘惑。
『ハジメ君の体内にプールしてある私の魔力濃度は何%になったのかな。それに魂魄魔法を習得してからは魔物毒の精神汚染を除去するという名目でハジメ君の魂にまで干渉し始めているよね。なら、彼の心を書き換えることはもういつでもできるはず』
香織が般若を"縛煌鎖"で縛って攻撃しようとしたが、逆に自分の般若を絡め取られて長ドスの攻撃を香織の般若は受けてしまう。
「あぐっ!」
般若が切られたところと同じ部分に切り傷が発生する。
これが魂魄具現化のリスクの一つ。自分の魂を使う以上、魂魄具現体が損傷すれば自分にもダメージが出てしまう。しかも魂の傷はそう簡単には治療ができない。
『この後におよんで何を躊躇う必要があるのッ?。やっちゃえばいいじゃないッ。ハジメ君の身体を、精神を、魂をッ! 干渉魔術で私専用に作り替えて、私無しじゃ生きていけない身体にして。私だけを見てくれるよう精神を弄って。私だけを愛する私だけの魂を持ったハジメ君を手に入れてしまえばいい! ハジメ君がユエに向けている愛を、そっくりそのまま奪い取ってしまえばいい。先生から教わった。かつて存在した古の魔女のようにッ!』
己が愛した者を手に入れるためには、どんな非道なこともいとわなかった。かつて存在した愛に生きる魔女はそんな悲しい生き物だと魔女マイナは言っていた。
「けど……それはいけないことだよ」
『それがどうしたのッ? 確かに人の道には外れるかもしれないね。今まで培ってきた聖女だの救済の女神だの私にとってどうでもいい評価は地に落ちるかもね。それに仲間や親友からは軽蔑されるかもしれない。けど……ハジメ君は手に入るよ?』
「ッぐぅ、きゃあああああ!!」
魔女の般若による一撃で自身の般若ごと後方に吹き飛ばされる香織。思わず悲鳴が漏れてしまうが、空中で体勢を整え、”光輪”にて自身を受け止め事なきを得る。が……
『わかる!? 私が力を増し続けている理由がッ。それはね、あなたが私の誘惑を払いきれていない証拠なんだよッ!』
壁際まで追い詰められた香織に向かって無数の”縛光刃”が飛び交い、香織を拘束する。
なんとか般若を操作することで抜け出そうとするが、香織の般若の肩口に魔女の般若の長ドスが深々と突き刺さる。
「ッッあああああああああああ──ッッ!!」
魂を直接抉られる激痛に香織が絶叫する。肉体の痛みを遥かに超えるその苦痛を与えながら魔女が愉悦を浮かべ、ゆっくりと香織に近づいていき、香織の顔に触れ、自身の方を向かせる。
『私を受け入れなさい。そうすればあなたは……ずっと欲しかったものを手にすることができる。もしハジメ君に干渉するのに抵抗があるんだったら……そうだね。ユエの方を狙うという手もあるかもね。今のユエは精神的に弱ってるからいくらでも付け入る隙がある。その隙に……ユエのハジメ君への想いを消しちゃえばいい。今が最大の好機だよ。どちらにせよ、万全な二人に干渉するよりよっぽど仕事は簡単』
「ぐぅあぐ、誰が……ああああああああ──ッッ!」
香織が未だに抵抗を続けていることを察した魔女が般若に命じて長ドスを抉るように動かす。それだけで香織の意識が激痛により弾け飛びそうになる。
『まだ意地を張るつもり……ならいいわ。もう一つ選択肢を上げる。……ハジメ君への想いを捨てなさい。生半可なものじゃ駄目よ。それこそ記憶から消すぐらい思いっきりやらないと私には意味ないから。このまま私に身を任せてくれたらハジメ君への想いを綺麗さっぱり消してあげる』
「…………い…………や…………」
香織は未だに抵抗を続けるが、それを見た魔女が香織を冷めた目で見始める。
『……いいわ。それならあなたを殺して私があなたになる。それから魔女として己の望み通りに生きてやるから』
このまま試練は終了だと言わんばかりに反対の手に長ドスを出現させ香織に向かって振りかぶる。
『さようなら。結局あなたは……何者にもなれない半端者だったね』
心なしか、すこしだけ寂しそうな顔をした魔女が、香織に向かって刀を振り下ろした。
~~~~~~~~~~
わかっている。
己の影が言いたいことは十分わかっているのだ。
魔女マイナと出会って言われたことがある。
『端的に言って……あなたは愛が重い人間ね。それは……血筋によるものかしら。私の知っている愛重たい族とは違うみたいだけど。何にせよ。難儀な性質をしているわね』
そう言って先生は香織に諭したことがあった。
『そういう人種は私の経験上非常に危うい。基本的に頭のいい人間が多いのだけれど、その分外れてしまうと、とことん残念な方向に拗らせて周りを巻き込んで大惨事になってしまう。そして魔女を含めてそこまで堕ちてしまった人間が幸せになった例はない』
『いや、先生。いくらなんでも私はそんなことになりませんよ。恋なんてまだしたことありませんし』
その時の香織は嫌なことを思い出した顔をする先生の言葉を真剣に考えてはいなかった。なぜなら香織はまだ、その恋を自覚などしていなかったのだから。
『何百回と例の少年の話を聞かされたのは何なのかしらね。はぁ、気づいたら暴走機関車になるのに気づくまで長いのもあなた達の特徴ね。とにかく……香織、これだけは覚えておきなさい。あなた達のような人種が生きていくために大事なこと。それはね……』
『あなたの本当の望みは何なのか、そこをはき違えないということよ』
~~~~~~~~~
「そうだ……思い出した」
『何ッ!?』
振り下ろした刃を香織の般若が片手でつかみ取る。当然般若と香織の手から血が流れるがそんなことも気にせず。強引に弾き飛ばす。
『ッッ!』
その強い力に思わず後退る魔女の隙を突き、肩に刺さっているドスも抜き放ち、”縛光刃”を破壊して自由になる。
『……私の力が減衰し始めた。ならあなたは答えを決めたということ。聞かせてくれるかしら。あなたはどちらを選んだの。どんな手段を使ってもハジメ君を手に入れる人の道を外れた魔女の道? それとも全てを忘れて楽になる道かしら?』
「…………どちらでもないよ。思い出した。私ってね。……すごく我儘なんだ」
『は?』
魔女とは違い、どんどん大きくなる般若。それを香織はあえて手元で崩すことで光の玉を作っていく。
「ハジメ君に振り向いてほしい。その想いを諦めるなんて私にはできない。きっとハジメ君以上に好きになる相手なんて今後現れないと思う」
キッカケは不良に絡まられて困っていたおばあさんを助けるために、ひたすら土下座しながらおばあさんを許してほしいとそれだけを言い続けたハジメの姿。
他人からみたら馬鹿みたいな光景だろう。賢い人なら警察を呼ぶ成りなんなりしたり、助けるにも他にやり方はあっただろうと言い出すかもしれない。
けど、あの場にいた自分も含めた人物の中で、ハジメだけが行動に移した。
もしかしたらハジメにとっては勢いでやった黒歴史認定している行動かもしれない。けど香織からしたら、その光景に目を奪われてしまったのだ。
単純に言えば一目惚れなのだろう。先のやり取りはあくまできっかけに過ぎない。例えハジメがおばあさんを助けるために、不良を暴力で撃退するような人間であっても香織はハジメに惹かれていただろう。
理由なんてない。恋愛とは得てしてそういうものであり、香織のような人種はなおのことその傾向が極めて強い。
『だったらなおのこと手に入れたくなるはずだよ。あなたにはその想いがあるッ。他の選択肢なんてないよッ!』
「そうだね。確かにハジメ君が振り向いてくれないのは悲しいし、苦しいし、辛いよ。けどだからって今ある全てを壊してハジメ君だけ手に入れても意味がないんだよ。きっとそれじゃあ、幸せになれない。だからみんなハッピーエンドの未来が欲しくなるんだよ」
『だからそれは無理だってさっきから言ってるよねッ? 私だからわかるんだよッ! ハジメ君はユエ以外の女の子を選んだりなんか絶対しないッ。ユエ以外の女は全員惨めな敗北者だよ!』
「そこだね。そこが私とあなたの違うところかな。……ハジメ君に選ばれなければ惨めな敗北者だって誰が決めたの?」
香織が手に集めている光がどんどん強くなる。
「私はそうは思わない。例え想いは通じなくても、ハジメ君を想うだけで心が温かくなる。強くなれる。例えハジメ君に選ばれなくたって、幸せにはなれるんだよ」
『綺麗事言わないでッ! まさに今のあなたが行使している魔法が現しているじゃない。
献身的な愛が許されるのは己が血や魂を引く我が子にだけ。本質的に他人である想い人に見返りもなしに愛を注ぎ続ければ、いずれ摩耗し、擦り切れてしまう。そうなればどうなるのか、その先に待つのは……魂の死だ。香織が破滅の道を選ぼうとしているのを魔女は必死で糾弾する。
「大丈夫。きっと何とかなるよ。幸い想いを共有できそうな人はいっぱいいるしね。一人じゃない分気が楽だよ。それに……いつか想い続けていれば、いつかどこかで叶うかもしれないじゃない」
何と言われようとも変わらない。例えその想いを維持することが、己の魂を削る所業に等しかろうと。
白崎香織はこの想いに誇りを持ちたい。だからこそ、人の道を外れる所業は絶対にしないと決める。
そしてその想いを籠めて、香織が完成された魔法を魔女に向かって放つ。
「”
香織の手から放たれた反魔力が魔女に襲い掛かる。
『ッッ』
魔女は般若を消し、聖絶を張り巡らせ、"縛煌鎖"で氷の地面を無理やり引き剥がして盾にする。
だが魔女にはわかっていた。これが無駄なことであることを。
反魔力生成魔法”
魔素とはあらゆる自然に宿る魔力である。それは火や水、土や風などの自然現象にも含まれている。なので例え物理的な防御で防ごうとしても、そこに魔素が宿っているなら反魔力は容赦なく対消滅させていく。これを防ぐためには香織の用意した反魔力の数十倍の魔力を使って打ち消すか、或いはそういう当たり前のやりとりを
今の香織はどちらもできない。そしてそれはすなわち、自らの分身でしかない魔女もおなじであるのが道理。
最後に躱してやり過ごそうとした魔女も、いつの間にか展開されていた縛光刃でぬいとめられ、反魔力をその身で受けることになった。
~~~~~~~~~~
『あーあ。やられちゃった。まさか私がそんなに馬鹿だとは思わなかったよ。一応聞くけど後悔しない?』
「しないよ。もう決めたんだから。いつかもっといい女になって、ハジメ君を振り向かせて見せる」
反魔力の影響を受けて、末端から消え始めている魔女の言葉に堂々と返す香織。
『ハジメ君も私と同じか、それ以上に愛が重い人だから無理だってわかっているはずなのに。まぁ、これで私はたぶん一生処女を拗らせる羽目になったわけだけど、それでも幸せを掴めると言うのなら、やってみなさい』
そう言ってあきれたような顔をしながら魔女は消えていった。
「もちろんだよ、私。きっと……何とかなるから」
ある意味において、香織が選んだ道は一番厳しい道なのかもしれない。いつか己の中にあるユエへの嫉妬が燃え広がる日が来るかもしれないし、ハジメへの渇望を抑えられなくなるかもしれない。
けど、香織は一人ではないのだ。何も孤独に悩む必要はない。何なら雫に愚痴を聞いてもらうのもいいかもしれない。これから散々幸せオーラを吐き出しまくるのだろうから少しくらい幸せを分けてもらおう。きっと親友なら親身になって聞いてくれるはずだから。
香織はそう決意し、出口へと足を進めるのだった。
「さて、これからどうしようかな。正直魂の力を使ったからハジメニウムを摂取したいところなんだけど……えっ?」
香織はこのままゴールへ向かうかハジメ達と合流するか迷うが、そこで思わず足を止める。
良く知った魔力を二つ感じたからだが……
「何……これ?」
その香織が驚愕するほど強大な殺気混じりの魔力が激突するのに合わせ……
大迷宮全体に激震が走った。
香織についての考察。
本作の香織は、Dies_iraeでいうなら螢ルートにおける香純、マリィルートにおける氷室先輩ポジションに相当します。すなわちルート外のヒロインであり、主人公に選ばれなかったヒロイン。作者的に香織ルートに進むための分岐はやはりオルクスでハジメを助けられるか助けられないかですね。よくあるハジメが奈落に落ちない展開なら彼女がヒロイン筆頭になります。
ハジメへの想いは原作の頃から変わらず、結論は一貫しています。例え敵が強大でも諦めない。いつかハジメに振り向いてもらう。むしろそれはメルジーネ大迷宮の頃から変わっていません。
原作と違うところは、ヤンデレにはヤンデレの気持ちがわかるので、その恋が悲恋で終わる気配しかしないこと。そして……今の香織には手段を選ばなければハジメを手に入れる方法があるということです。
魔女の渇望。いかなる手段を用いても彼を手に入れればOKというのはシルヴァリオ系列の悪いアマツに類するものですが、その辺りはちゃんと先生に教育を受けています。
そして何だかんだいって香織は善性の存在。加えて仲間達の関係を気に入っているので、一番自分が辛い選択を取りました。
これからも香織はハジメを想い続けます。例え見返りが無かろうと、徐々に魂をすり減らすことになろうとも。
本作の終わりはハッピーエンドの予定なので香織にも何らかの落としどころをつけたいなぁ。
次回はティオの予定。
当初ではコミカルになる予定だったのですが、シア編の闇に引きずられてシリアス寄りになるかも。