お待たせしました、ハジメ回です。
今回は割とハジメフルボッコ回なので若干アンチみたいになっているかもしれませんがそんなつもりはありません。あくまで大迷宮の試練です。
あとこれでも削ったのですがそれでも結構な文量があるので無理せず時間をかけてお読みください。
では、どうぞ。
扉を潜り、視界を染め上げた輝きが収まってすぐに、ハジメはゆっくりと目を開いた。
「……分断されたか。まぁ、予想はしてたがな」
今にも舌打ちしそうな雰囲気で眉間に皺を寄せながら呟いたハジメ。その周囲に仲間の姿はない。
視線を周囲に巡らせば、ハジメのいる場所は細い通路のようだった。二メートル四方のミラーハウスで、上下左右に自分の姿が映っている。
「…………俺もずいぶん変わっちまったな」
自分の姿を見て南雲ハジメは思う。自分などつい半年前までは何でもないただの学生だったと言うのに。
『いや、君は変わらないよ……昔からね』
目の前の氷柱にハジメの姿が映し出される。
だがそれはそっくりそのままの姿ではなかった。ハジメが知るはずがないが蓮弥のような己の前世と向き合うという趣旨とも異なる異常。いや、ある意味前世とも言い換えてもいいかもしれないが。
『何だよ。最後の試練の中身くらい予想してたんだろ。それなのにずいぶん意外な顔するねぇ、まさか
ハジメの前に立っていたのは『南雲ハジメ』だった。ただし今とは違う。ハジメが奈落に落ちる前の、無力だった頃の、心に空虚を抱えていた頃のハジメの姿だ。
『さて、さっそく試練を始めたいところだけど、一応確認しておくけど試練の中身は本当に理解しているよね?』
ハジメより頭半分背が低い『ハジメ』がにやにやしながらハジメの顔を覗き込んでくる。それに対して、心の底から嫌悪感を感じているハジメだが、それを抑え、己の影の質問に答えてやることにする。
「……この迷宮のコンセプトは『自分に打ち勝つこと』だろ? 己の負の部分、目を逸らして来た汚い部分、不都合な部分、矛盾……そういったものに打ち勝てるか。おそらく、神につけ込まれないための試練なんだろうな」
『おみごと、流石僕。全くもって、その通りだよ』
『ハジメ』がわざとらしい仕草でパチパチと拍手をする。そのしぐさに苛立ちを覚えつつもハジメは冷静に相手を観察する。既に試練は始まっているのだ。ここから先何が起きるかわからない。
そしてハジメが警戒する中、『ハジメ』は鏡の中から現れる。白い服を着た黒い髪の自分。白い髪の自分と対になるようなカラーだが、それはまさしく奈落に落ちる前の南雲ハジメそのものと言ってもいい姿だった。
『おっと、今早速攻撃を仕掛けようとしたみたいだけど、それはやめた方がいい。後悔することになる』
そして『ハジメ』は開幕速攻でドンナーによる攻撃を行おうとしたハジメの行動を読み、牽制する。それにハジメは舌打ちしつつ素直に銃を収め、素直に撤退する。
『君が素直に引いた理由を当ててやろうか。俺の予想だとこの試練は自分に打ち勝つことがコンセプト。なら当然最後の試練は己自身との戦いが来るはず。なのに俺の影はなぜ弱かった頃の自分の姿をしているのか、それがわからなくて不気味だ、ってところかな。いい読みだね。もちろん僕がこの姿であることに意味はある』
まず君の勘違いを正そう。そう言って『ハジメ』はこの戦いにおけるルールの説明を始めた。
『まず僕を力で屈服させることは君が思うよりずっと簡単だと言っておこう。なぜなら見た通り、今の僕は君が奈落の底に落ちる前、つまりクラスの中でも落ちこぼれの役立たずだった頃の力しかないからね。今の君ならそれこそ、僕を指先一つで殺すことができるだろう。だって今の僕はこの世界の子供くらいの力しかない無能の雑魚だから』
自虐するように無能、雑魚、役立たずと言う言葉を使う『ハジメ』。それはすなわちハジメへの侮辱にも繋がることだが、ハジメはまだ黙ったまま話の続きを促す。
そのハジメの態度に『ハジメ』は機嫌よく話を続ける。
『だけどさぁ、それを実行すると君はただゴールに進めるだけだ。……ここまで六つの大迷宮を攻略してきた君なら言っている意味はわかるだろ?』
「…………つまり、お前を殺すと神代魔法は手に入らない」
その言葉に対し、『ハジメ』はただにやりと笑い、本題に乗り出す。
『要は僕に暴力は駄目だということだよ。この大迷宮は己との対話が目的だからね。何でも暴力で解決する奴には決して攻略することはできない仕組みになっている。さて、なんでも暴力で解決することに慣れ切った君に、最後に試練を言い渡すその瞬間まで我慢できるかな?』
その長ったらしいセリフ回しといつまで経っても試練らしきものが始まらない現状に少しイラついていたハジメは話を先に進めるために少し威圧を放つ。
「御託は良いんだよッ! だったらさっさと試練を始めやがれ!」
『はいはい。全くせっかちだなぁ』
やれやれとポーズを取りながら『ハジメ』はハジメの周囲をゆっくり歩きながら話を始める。
『さて、まずはそうだな……君がこの大迷宮に入ってから聞こえていた声に付いて話をしようかな。君には『いい加減に諦めたらどうだ』とか、『人殺しが普通の生活なんて出来ると思っているのか?』とか『化け物に居場所があるわけないだろう?』とか聞こえてたはずだよね。けど……』
ハジメは手を付いてごめんね、と舌を出して笑う。自分がてへぺろする姿にまた苛立ち指数が上昇するハジメだが、それは相手の思う壺だと思い我慢する。
『あはは、あれはね、嘘なんだ。だってさ……』
いちいち勿体付けたように言葉を区切りながら、『ハジメ』がにたりと笑う。
『そもそも南雲ハジメは普通の生活なんてしてなかったし、あの場所に君の居場所なんて最初からなかっただろ。そんな奴が今更、普通の生活だの居場所だの気にするわけないじゃないか』
『ハジメ』の言葉が、氷柱の部屋に響き渡る。心なしか部屋の温度が下がったような気がするのはハジメの気のせいだろうか。
『南雲ハジメという少年は、南雲愁、南雲菫夫妻の子として生を受けた。一人っ子だったからね。両親は当然僕を愛してくれたし可愛がってくれた。そしてそんな両親の愛を一身に受けて育った南雲ハジメという少年は、両親が重度のオタク趣味だったということもあり、幼い頃からオタク知識に浸かりながら成長していった』
言うまでもなくそれは南雲ハジメの原点。ゲーム会社を経営している父親、人気少女漫画家の母親に育てられたハジメは幼い頃から、オタクの何たるかを叩き込まれながら育った。
『まあ、今時の子供ならそんなに珍しい話でもないだろう。きっとそれだけならありふれた少年Aの話で終わったはずだ。だが……』
とことん勿体付けた喋り方をする『ハジメ』。それはどこかの脚本家のような、ねっとりした口調。それだけでハジメの心がささくれ立っていく。
『君が他と違うところがあるとすれば、君は並み外れて優秀だった。そう、実は南雲ハジメは小学校低学年までは成績優秀の神童だったんだ』
当然両親も予想していなかったことだが、子供であったハジメは並み外れて頭が良かった。学校のテストで百点しかとらないことなどあたりまえ。家ではパソコンを使い、父親の仕事の一つであるプログラミングに興味を持ち、それをキッカケにモノづくりに関わる技術というものを勝手に習得していく。
両親も息子の出来の良さに戸惑いつつも、ハジメが望むままに知識を与えていく。子供の頭が良くて困る両親というのも珍しいが、それもハジメの両親の味というものだろう。
『実際、小学校低学年まではよかったよね。学年で一番勉強ができる君は、クラスで最も頼られるポジションに付くことになった。思えばあの時が現実で一番楽しかった時期だったんじゃないかな』
そんな順調な滑り出しで始まった南雲ハジメの学生生活だが、小学校高学年、つまり子供にもある程度の分別ができるようになったころ。ハジメは周囲との明確なズレを感じることになる。
『両親の影響でオタク知識を深めることになった僕は当然、成長してより一層それにどっぷり嵌ることになった。最初は初心者用のアニメや漫画に手を出し、年を追うごとにマイナージャンルにも嵌っていくことになる。だが、それが始まりだった』
それは南雲ハジメが小学校高学年に上がった頃のこと。
『ある時君は気づいた。クラスメイトと話が合わないことに。そりゃそうだよね。二次元に傾倒しすぎた君は気づいた頃には、現実を捨てすぎて親しい友人の一人もいなかったんだから』
二次元に嵌るあまり、現実をおろそかにしすぎる。現代日本で生きる子供達ならもしかしたらそれなりに経験していることなのかもしれない。昔は何か遊びを行うためにはすぐ側の他者の存在ありきだった。だからこそ、自然とコミュニケーション能力が身に付き、同じく自然と友人ができていく。だが、あまりにゲームの世界に嵌りすぎて、現実に存在するクラスメイトと碌に話したこともない子供は現代にどれくらいいるのだろうか。
『もちろんそこからでも友達を作ることは可能だっただろう。何だかんだ小学生だし、遊びが上手い奴は総じて人気が出やすい。ゲームが得意な奴、面白い漫画を持っている奴、最近なら動画とかかな。それらが得意で人気者になるなんて子供なら当たり前だ』
ゲームが得意で人気者になるなどよくある話だろう。小学生ならスタートダッシュに遅れたとしても、十分挽回可能だっただろう。だが……
『けどさ、君が得意なはずのオタク知識は、その頃になると深すぎて逆に周囲から引かれたんだよね。そしてなにより、その年頃になると君はもう一つの事実に気付くことになる。そう、同学年の子供達と知能的に話が合わないという事実に』
オタク知識だけでなく、ハジメは様々な雑学に興味を持って学んでいった。例えば漫画の中には科学や動物、それらを取り扱うことで子供達がそれに興味を持つように促すような作品だって多数ある。ハジメは医療漫画に嵌れば医学書を読み、科学漫画に嵌れば英語で書かれた論文を漁ると言う普通の子供がやらないような学習方法を続けることができてしまい、その結果、全く同じクラスの人間と話が合わないようになっていた。
『中学生になった頃なんて正直クラスメイトなんてみんな低能な猿にしか見えなかったもんね。そしてクラスメイトも口を開けばオタク知識をひけらかす、授業は寝てばかりの癖にいつも成績はトップ。そんな奴がクラスになじめるわけがない。僕の孤立はさらに加速していった』
中学一年生の時に孤立している状況に遅まきながら気づいたハジメは一応周囲に馴染む努力はしたのだ。だが、如何せん一般的なコミュニケーション能力を磨いてこなかったハジメには、自分からクラスになじむために何をするべきかわからない。
コミュニケーションが取れないわけじゃない。だが、極めて人と関わりの薄いハジメが出会う人物は父の会社の社員、母の仕事場のアシスタントなど全員ハジメに対して良識のある態度をとってくる大人達くらいだ。彼らと会話できても同世代との付き合い方は学ぶことができなかった。
『中学時代、僕のクラスには学年一の人気者の男子生徒がいた。成績優秀、スポーツ万能、容姿だって優れていて、絵に描いたような陽キャラのコミュ力抜群のクラスのリーダー。今でいう天之河みたいなやつかな』
『そんな奴がいたから得意の勉強だって注目されなかった。クラスメイトが教えを乞うのは一番勉強ができる君じゃなくて学年成績十番以内にギリギリ入らないそいつだった。そいつは陽キャラだからね。当然クラスで孤立している僕にも気さくに話しかけてくれるが、陽キャラと陰キャラは話が合わない。むしろクラスの人気者がわざわざ話しかけているのに剣呑な態度を返す自分に他のクラスメイトが嫌味な視線を向けてくるクソみたいな現実。そしてそのまま中学二年生になった直後、転機が訪れる。ネット上で仲間ができたことだ』
その当時、ハジメはネット上にその才能を使って適当に作ったアプリなどを暇潰し目的で無料アップロードしていたわけだが、それを見て人が集まってきたのだ。それが後に創世神と呼ばれるメンバーである。
『あの頃は楽しかったなぁ。まさに南雲ハジメにとっての絶頂期だった。クラスの低能な猿共とは違う。初めて自分と同じレベルで話ができる友人との出会い。人との触れ合いに飢えていた君はどっぷり仲間達との活動にのめり込んだ。己の全てを受け止めてくれる彼らとの時間はまさに至福の時間だった。彼らの大半が学生で、昼間はネット上に来れないという状況じゃなかったら君は不登校になっていただろう。だが、そのせいで君は益々現実から遠ざかった』
仲間ができたとはいえ、それはあくまでネットサークルでのこと。彼らとの出会いによって得た知識は膨大かつ最先端のものであり、それらを余さず吸収していくハジメは益々普通の中学生から遠のいていく。
だがその日々は続かない。創世神のメンバーがプライベートの問題で段々会えなくなってきたのだ。そしてネット上に逃げ道がなくなったハジメは今度は両親の仕事にのめり込み始めた。
『幸い、僕には凡人を凌駕する科学知識と技術があった。両親の仕事でも一線級の活躍ができる確信があった僕は、中学卒業と同時に両親の仕事を本格的に始めることにした。だけど……』
そこで両親から初めて待ったがかけられたのだ。両親もハジメの歪さには気づいてはいたが、自分達も学生時代誇れるほどカーストが高い位置にいたわけじゃないこともあり、どう言ってやればいいのかわからなかったのだ。
学校にはちゃんと行っている。成績だって優秀だ。どうやらネット上に友達がいるようだし、自分達だってそこまで学校生活を重視していたわけじゃない。だけど、流石の両親もハジメが現実を完全に投げ打つ姿勢を取っていることに危機感を覚えたのだ。学生時代友達が多いわけじゃなかった両親すらも、自分と趣味の合う友達の一人や二人いたのだ。にもかかわらず、ハジメには現実に一人も友人がいない。
『今思えば父さんと母さんもわかってたんだろうね。僕が自分達の仕事を覚えているのは、煩わしい現実をあしらうための手段を習得してるだけだってね。『趣味の合間に人生を』。ははは、まさに人生舐め腐ったクソガキに相応しい座右の銘じゃないか。……そんなもの真っ当な社会人でもある父さん母さんが容認するわけがない』
そこで両親は自分達の仕事に本格的に参入するのは高校卒業してからだと条件を付けた。いい顔をしなかったハジメもさすがに両親の初めて見る悲しそうな顔には何にも言えず、しかたなく高校生活を始めることにした。
『けど案の定、君は何も変わらなかった。相変わらず君の周りには馬鹿ばっかりだし、おまけに天之河光輝のようなかつての鬱陶しい奴と似ている陽キャラと同じクラスになる始末。そしてさらに意味が分からないのは学年二大女神の一人である白崎香織が僕に話しかけてくることだ』
今まで同世代相手のコミュ力を碌に磨いてこず、女なんて二次元か母親とそのアシスタントのおばさんくらいしか関わりがなかったハジメにとって、白崎香織という女は、いっそ気味が悪い未知の生物にしか見えなかったのだ。自分に懸想していると考えたこともあるが、常識的に考えてあり得ない、これなら
『そして君は彼女のせいで今までと輪にかけて鬱陶しい生活を送ることになった。彼女に好意を向けられるせいで、彼女のことが好きな馬鹿な男達には妬まれ、注目が集まった君は趣味のせいで女子からも気味悪がられる。おまけに天之河みたいな正義感全開のアホに絡まれる。全くストレスが溜まる日々だったよ』
美少女と仲良くなれて嬉しいとは限らない。ある程度つり合いが取れているならいいが、客観的につり合いが取れていないとそのしわ寄せが思いを寄せられる男に向けられる。当時のハジメにとって、白崎香織と関わるデメリットは多数あれど、メリットなど一つもなかった。
『そんな苦痛以外なにものでもない環境の中であっても、君が卑屈にならず表面上毅然としていられたのは。別に心が強いとかいう精神論じゃなくて、君には武器があったからだ。そう、かつて創世神のメンバーと共に磨いてきた技術という武器が。だって君がその技術を悪用すれば、気に入らない奴を破産させて一家露頭に迷わせることだって簡単にできたのだから。自分を馬鹿にする奴らは英語の論文一つまともに読めない馬鹿ばっかりだし、将来大成することが確定の自分とは住む世界が違う。そう、君はみんなから馬鹿にされながら、実は内心周りを見下し続けてきた』
だが……
そこでまた言葉を区切り、いやらし気にハジメを見る『ハジメ』。
『だからさ。トータスに来た時には本当に焦ったよね。何せここでは君が培ってきた技術はほとんど役に立たない。おまけに自分だけ非戦闘職の劣等だと言われる。内心屈辱でいっぱいだっただろう。自分より知能指数に劣る馬鹿どもより、自分が劣ると具体的な数字で示されたんだから』
ハジメが最悪の環境の中にあって、自分を貫けたのは武器があったから。だから中世時代のトータスに呼ばれたハジメは最大の武器を失った。おまけにステータスでは一人劣等扱いされる。辛うじて普通に会話することはできたが、まともにコミュニケーションが取れないから、訓練に参加することもできない。
『まあ、蓮弥みたいに話が分かるやつもいるにはいたけどね。蓮弥は自分に対して絡んでこない大人しい奴だったし、実際喋ってみれば周りのガキどもより精神的に成熟した大人であることはすぐにわかった』
こうして蓮弥という話し相手ができたハジメはなんとか自分を再構築しようとした。なんでもいい、何か拠り所があれば自分の世界に戻れる。
そう思いながら少しずつ唯一の武器である錬成を鍛えながら過ごしていたハジメに、運命の時が訪れる。
『そして君は奈落の底に落とされた。後は腕食いちぎられて、必死に錬成して洞窟に立て籠って、偶然神結晶を見つけて命繋いで、発狂して魔物を食べて力を手にしたんだ。……こうして、キモオタのボッチ君は奈落の底で薄汚い一匹の化物に変わってしまいましたとさ。以上、これが君だ。どうだい、自分のことを客観的に聞かされる気分は? 是非感想を聞いてみたいねぇ』
ニヤニヤ笑う『ハジメ』に対し、ハジメは絶対零度の瞳を己の分身へと向ける。
ハジメは『ハジメ』の自分語りに対し、確かにそれは己の過去であることを内心素直に認めていた。細かいところで文句を言いたいこともなくはないが、それでも大筋は正しい。
南雲ハジメは、元々大した人間ではない。
才能はあったかもしれないがその人生に熱なんてものはなかった。
会社の即戦力になれるだけの技術を持っているが、実際人々を感動させるゲームを主導して作っていたわけではない。
漫画家としてプロも認める技術を持っている。だが実際に出版社に己の作品を投稿したことは一度もない。
他を超越した素晴らしい技術を持っている。だがその活動は単なる暇つぶしで趣味の範疇を超えたことがない。
どれだけ素晴らしい才能があろうと、南雲ハジメは小物でしかなかった。
「話は終わったのか。さっきから好き勝手言いやがって。……確かに、それは俺なのかもしれない。だけどそれがどうした? そんなもので今更俺が心動かされるとでも?」
『動かされるさ。人間ていうのはそう簡単に変わらないんだよ。要は君はまだコミュ障のキモオタのボッチという……ユエの知らない自分を隠しているんだ』
ここにきて、ハジメが初めて明確に反応を示した。
『奈落の底で戦闘力は手に入っても、人付き合いが良くなるわけないだろ。陰キャラは陰キャラで、コミュ障はコミュ障だ。そんな君が今までトータスでどうやってコミュニケーションを取ってきたのか。そう、君はこの世界がファンタジーワールドという非日常であることを上手く利用したんだ』
今までは地球にいた頃のハジメの話。そしてこれから『ハジメ』が語るのは、トータスに来て、ここに至るまでのハジメの話だ。
『僕の知っているラノベにこういう作品がある。とあるネトゲーマーがある日突然、自分が操作するキャラに乗り移る形で異世界に召喚されるという話だ』
『その主人公も重度のオタクでありコミュ障。いきなり外の世界に連れ出された引きこもりが他人と上手く関われるわけがない。さて、その主人公はどうしたのか。自分が操作していたキャラをロールプレイすることで乗り切ろうとしたんだ』
『魔王系のキャラを使っていたから誰に対しても高圧的に、悪党相手には容赦なくとことん追い詰めて攻撃し、ヒロインになりそうな女の子に対しては優しい態度を取る。そういうキャラになり切ってコミュ障の自分を上手く誤魔化したのさ。おや、どこかで聞いた話だとは思わないかな。…………全部お前のことだよ南雲ハジメ』
人間とはつまるところ積み重ねの生物だ。他の野生動物と違い本能が薄れている分、理性と知性を獲得したわけだが、逆に本能に任せた行動というものは中々取りにくい。もし本当に本能で動いているような奴なら誰であれ会話など成立しないだろうし、ここまで上手く過ごすことはできなかった。
『つ~ま~り。君は奈落の底に落ちて豹変した悲劇の魔王……のふりをして今までトータスを渡り歩いてきたんだ。ある程度話の分かる大人なら父母の関係で培った経験で話はできる。チンピラや同世代に対しては基本的に高圧的な態度を取ってマウントを取り続ける。なのに基本美女美少女には優しい。ははは、さっき僕が言った魔王ロープレキャラにそっくりじゃないか。だからさ。お前は仲間にも、恋人であるユエにさえも。本当の自分というものを見せたことがない。ねぇ、もう一人の僕。君に聞きたいんだけどさ……』
『もしユエが、君の真実を知った時、果たしてどう思うかな』
「どう……思う?」
『そう、ユエならあっさり受け入れてくれる? いや、君はそう考えてはいない。現に今までユエに本当の自分なんて見せたことはないし……少しだけ本性が垣間見えたあの夜、ユエは君を拒絶したじゃないか』
「ッ……」
ハジメの心の一番弱い部分に、容赦なく『ハジメ』はメスを入れる。
『そうだ。確かにあの日あの時、ユエは僕を拒絶した。頬を打たれて、正気に戻った際に見た、自分を見るユエの怯える顔がずっと頭から離れない。そこで君は……恐怖を覚えたんだ』
果たしてユエは、ありのままの自分を受け入れてくれるのだろうかと。
『恐怖……それは君が奈落の底に落ちてから長らく忘れていた感情だった。多分魔物肉の毒に頭がやられて半分ラリッてたからだろうね。危機感、恐怖心、倫理観。それらの感情を君は失っていた。思えば魔王ロープレが上手く言ったのも魔物毒で頭がアレしてたのも関係するのかもね。誰しも酒に酔っている時は気が大きくなるものだよ』
確かに奈落の底から出てきた当初のハジメには恐怖や倫理という感情が欠如していた。人を殺すことにためらいがなかったのもそれが影響しているのだろう。奈落の底に人がいたのならまだしも、今まで魔物しか殺してこなかった平和な日本出身の少年がいきなり人を殺せるわけがない。それこそ蓮弥みたいに事情があって仮想殺人訓練を長年行ってきたなどの例外でもない限り。
『だが今は違う。香織の調律によって、毒が除染され、君には確かに恐怖心が戻ってきている。……怖いんだろ。ユエにありのままの自分を知られるのが。かつての自分が今とは全く違う、友達が一人もいなくて、まともにコミュニケーションも取れなくて、内心で周囲を馬鹿にして悦に浸っているようなキモイ野郎だったと知られるのが。今までユエの前で築き上げてきた魔王の鍍金が剥がれ堕ちるのが怖い。ユエに、自分の異常な感情を知られるのが怖くて怖くてたまらないんだ』
ハジメの感情を伺いつつ、『ハジメ』は盛大にハジメを煽る。だがハジメは拳を強く握りしめはしても、『ハジメ』に対して襲いかかろうとはしない。反論しても無駄だと思っているのか、それとも……
『本当、男のヤンデレとかどこに需要があるんだよ。ユエが欲しい。その髪から足先まですべて欲しい。誰にも触れさせたくないし、何なら誰にも見せたくない。ユエを下衆な目で見るやつとか全員殺してやりたいし、ユエがどこにもいかないように閉じ込めてしまいたい。心のどこかでそう考えている自分が怖いんだ』
ハジメが恐怖という感情を取り戻した時に、真っ先に恐怖したこと、それは己の中に燃え盛る、ユエに対する激しく暗い感情の渦だった。
『このままだと、いつか自分がユエを傷つけてしまうのではないかと危惧した君は……あの日あの時、シアを受け入れようとした。そうすれば普通になれると思った。ユエに対する感情もマイルドになって、傷つけることもなくなると。幸いユエはシアとの仲を応援してくれているし、自分にそれを望んでいる。だからシアを受け入れて、ユエの望む本物の魔王として振る舞うことができれば、万事上手くいくんじゃないかとあの時君は本気で思ったんだ』
ユエがハジメに魔王になることを望んでいることは薄々気づいていた。それはハルツィナ大迷宮でのユエの夢にも現れている。ユエはあの時、己の理想を映し出す世界にて、魔王となって玉座についたハジメを思い描いた。つまり、ユエにとっての理想の世界、理想のハジメとは、無数の女を囲い王者のような振る舞いをしながら覇道を行くことであることの証明。
『そういえば、君の夢はありふれた日常をユエと送ることだったよね。内心劣等感丸出しの
だからこそ、ハジメは内心気づいてしまった。
穏やかで一般常識的に平凡な日常を心では望んでいたハジメと、玉座に付き、女を侍らせ、世界に対して覇を唱えるユエの理想とは相いれないと。
『さて話を戻そうか。こうしてシアを受け入れれば万事うまくいくと思っていた僕は、一人の女の子に女として大恥をかかせる形で振るという最悪の結果に終わったわけだ。そしてその後ユエがやってきてシアをなぜ受け入れなかったのか暗に攻めてくる。流石に限界だった君はユエに襲い掛かった。これが昨晩のできごとなわけなんだけど……僕はその時はっきり理解したはずだ。ユエの望むような魔王に僕はなれない。自分をあそこまで慕ってくれる優しい女の子一人受け入れられない器の小さい男だってさ』
容赦なくハジメの鍍金を剥がそうと口撃を加える『ハジメ』。見た目を取り繕っているだけでかなり効いていることが手に取るようにわかる『ハジメ』は別の方向から攻めようと口に弧を描く。
『そもそもの話。君は本当にユエの運命の人なのかな』
「……何?」
今まで反応しなかったハジメもユエのことに関しては反応せざるを得ない。
『だって君が奈落の底で生き残れたのは、君の実力なんかじゃなく、ただラッキーだっただけだろ。偶々落ちた際に即死しなくて、偶々爪熊の攻撃を受けて腕一本の被害ですんで、偶々必死に逃げ込んだ洞窟に神結晶があって、偶々武器を作るのに必要な材料が全て揃っていて、偶々魔物肉に高い適正があった。それのどれか一つでも欠けていたら僕は無様に死んで、屍一つ残さず食われていただろう』
落ちて即死したら先はないし、爪熊を相手にした時は一撃で死んでいた可能性の方が高かった。洞窟に神結晶が無かったら暗い洞窟の中で絶望しながら死んでいたし、ドンナーを作る材料が一つでも欠けていたら爪熊には勝てなかった。そして魔物肉に適正がなければ、武器が優れていてもいずれスペックの差で詰んでいた。
『そう、君は偶々生き延びて力を手に入れたに過ぎない。君は……藤澤蓮弥とは違う』
「ッ……」
そう、それこそが。ハジメが内心で抱えているもう一つの傷。
『蓮弥は神結晶もなく生き残り、聖遺物という常人が触れたら発狂するような代物を扱えるほどの精神力を持ち、たった一人で奈落の底の深部へと至った。その後の活躍なんて言うまでもないよね。大災害相手でも特殊な神の使徒だろうが退けてきた。もしこの世界が物語の世界だとしたら、まさしく蓮弥こそが主人公だろう。だとしたらさ。ひょっとしたら本当は……ユエを助けるのは僕の役目じゃなくて、蓮弥の役目だったんじゃないの? 君は蓮弥からユエをかすめ取っただけなんじゃないの?』
「違うッ! それだけは……絶対に違うッ!」
『お前は内心そう思っていない。だからこそ前の部屋でお前は蓮弥を攻撃したんだ。本当は気づいているんだろ。僕じゃ蓮弥には勝てない。全てを手にするのは蓮弥であって僕じゃないと理解しているんだ。こんな風に……』
『ハジメ』が両手を合わせ、錬成魔法を行使する。
そして、周囲の風景は、一変することになる。
「これは……」
そこは何でもない映像。旅をしている最中なのだろう。今まで旅をしてきたメンバーがそこに勢ぞろいしていた。だがその映像の中で現実と違うところがある。
それは、ユエがハジメの隣ではなく、蓮弥の隣を歩いている光景。
『ふふん。神ノ律法を使えるようになった私に隙はない。体型も蓮弥好みにすることができたし、これで蓮弥の正妻の座は私の物』
『調子に乗らないように。ユエはまだまだ成長途中なのですから、抜け駆けなど考えないようにすることですね』
『そうよ。それにみんなで話し合って決めたでしょ。私達の間で明確な上下関係は作らないって。大丈夫、蓮弥は器の大きい男だから。みんな平等に不足なく愛してくれるわ』
『そうだった。ごめんなさい。でも蓮弥は優秀だから、優れた女を囲うのは当然。蓮弥ならきっと、もっと多くの女の子を幸せにできるし、王者の風格を持った私の理想の立派な魔王様になれる』
ユナと雫、そしてユエが蓮弥の周辺で楽しそうに会話している一場面。そしてその場面にハジメの姿はない。
『そう……』
だが存在しないわけではないようだ。ふとした拍子に、ユエがこちらを振り向く。だがそのユエの目は、幾度となくユエ達にナンパしようと声を掛けてきた男達を見るような冷たい目をしていた。
『そこにいる、コミュ障でキモオタの器の小さい男と違って』
ユエのハジメへの罵倒がキッカケになり、周囲に人影が増えていく。
同じく蓮弥に寄り添うように歩きながら、シアがこちらを蔑むかのように見てくる。
『そうですぅぅ。ねぇ皆さん。知ってました? あの人、私が全裸で迫っても勃たなかったんですよ。複数の女の子を同時に愛せる蓮弥さんと違って、基本的に男として劣等なんですよ。あんなんでよく今まで偉そうにできましたよね』
『本当よね……恋人とはいえ女の子をレイプしようとするし、最低ね。私は南雲君のこと、もっと心の強い人だと思ってたのに、あそこまで理性のきかない
『所詮身の丈に合わない力を手に入れただけの野蛮な男だったということじゃろ。一瞬でもアレをご主人様などと呼んだのが間違いじゃったわ』
シアの言葉に対し、雫とティオが汚らわしいものを見るかのようにこちらを見てくる。そしてその次に出てきたのは……香織。
『ねぇハジメ君。私はね……揉め事に対して暴力ではなく、対話で解決しようとする優しくて勇気のあるハジメ君が好きだったのに……本当、幻滅したよ。今のハジメ君ってさ、結局おばあさんを脅してたあの時の不良と大差ないよね。あーあ、私も見る目ないなー。結局、あたりまえのように光輝君の方が素敵な人だったよ』
『そうだね。カオリンの言う通り、最近の光輝君って精神的にも見違えるほど成長してきているし、やっぱり何だかんだ人って普段の行いと積み重ねが物を言うんだよ。光輝君が藤澤君と並び立つのはそう遠くないんじゃないのかな』
魔女の冷笑をハジメに浮かべる香織と勇者を称える鈴。
『本当だよなぁ、南雲ぉ。ホルアドでは俺に偉そうにしやがったけどよ、結局強くなってもお前はエロゲばっかりしてるキモオタのまんまなんじゃねーかよ』
『そうそう。偶々奈落の底に落ちて、ラッキーで力を手に入れただけじゃん。同じ条件なら俺でも強くなれるっつーの。それなのに実力で力を手に入れたみたいに振る舞ってるしさ』
『それでも藤澤には全然勝てないけどな。やっぱり本物と偽物は違うわー』
『ま、それでも作るアーティファクトだけは優秀なのは認めるけどな。だったら大人しく、俺達のためにアーティファクトだけ作ってろよ。バーカ』
クラスの小悪党四人組が地球にいた頃と同じく、ハジメを貶していく。
そして、最後に周囲に女を囲っている蓮弥がこちらを振り向いた。
『……なんだ、まだいたのかお前。いい加減気づけよ。お前は主役でもなんでもない。偶々力を手に入れただけの、ただのモブキャラなんだってな。そんなお前がユエに相応しいわけないだろ。ユエに相応しい男は……この俺だ』
『蓮弥……』
『ユエ……』
そうして側にいたユエを蓮弥は優しく抱き寄せ、そのまま顔を寄せ合い……
影が一つになる前に、部屋に銃声が木霊した。
そして周囲の光景は元の氷柱の部屋に戻る。ハジメがドンナーで銃撃した場所には、クロスビット型の映写機が四隅に転がっていた。
「ハァ、ハァ、ハァ」
『あーあ、壊しちゃった。せっかくここから面白くなるところだったのに』
「……いい加減にしやがれッッ!!」
平時と何ら変わりない口調で『ハジメ』がこれから始まるシーンを惜しむが、そんな『ハジメ』の態度に怒りが頂点に達したハジメがドンナーを向ける。
「さっきから俺を貶すだけかッ? それが大迷宮の試練かッ、違うだろッッ。これじゃ乗り越えるも何もねぇぇッッ。いいからさっさと超えるべき試練てのを見せたらどうだッッ、でないと俺もそろそろ我慢の限界だぞ!!」
『ハジメ』に対して、殺気と威圧を向けるハジメ。だが殺気と威圧を向けられた『ハジメ』は余裕を崩さない。なぜならわかっているからだ。ハジメが撃たないということを。
『はい、そうやって切れた振りしつつも頭の中でごちゃごちゃ考えているのがハジメちゃんでーす。……お前は撃たない。わずかでも攻略失敗の可能性がある限りお前は撃つことができない。ついでに言うとお前は知る機会はなかったけど、一度失敗判定された大迷宮は、失敗から1年は再挑戦できない仕組みになっている。解放者からすればせっかくの最奥まで到達した貴重な人材を、数うちゃ当たるで挑戦してほしくなかったんだろうね。だから最悪、お前は1年もこの世界から出られないことになる。ほら、これで益々撃てなくなった』
『ハジメ』の言う通り、ハジメは引き金を引かなかった。もしかしたらはったりの可能性もあることをハジメは考慮してはいたが、同時にこれがはったりじゃない可能性も否定できないのだ。そしてハジメは基本的に何事も計算しないと行動できない人間だ。僅かでも失敗の可能性がある限り、行動に移すことができない。
『ああ、言っとくけどハルツィナ大迷宮の時のように蓮弥に頼って無理やり神代魔法を手に入れても意味ないから。あの時は合格判定が出てたから許されたのであって、攻略に相応しくないと判定されたのに、他人の力で神代魔法を手に入れるような甘ったれた奴に概念魔法は習得できない。この世界の魔法の深奥はそれほど甘くないよ』
そう、ハジメにとって、神代魔法すらも通過点に過ぎない。仮にハルツィナ大迷宮の時のように、蓮弥の力で無理やり神代魔法を習得して七つの神代魔法を揃えたとしても、肝心の概念魔法に至れなくては意味がない。解放者が作った大迷宮は、それを攻略していくにつれて極限の意思に近づくようにできている。
『だけど君の言うことも尤もだ。どうやら今この大迷宮で僕が想定した以上に面白いことが起きているようだし。そろそろ始めようか。君の試練をさ』
再び『ハジメ』が手を合わせると壁の一部が透き通り始めていく。
『待たせたね。君の試練を発表するよ。とはいってもそう難しいことじゃない。これまで僕は散々君は変わっていない、昔の雑魚で卑屈で、人生舐め腐ったクソガキだと言い続けてきた。そしてこの大迷宮は自分の負の部分を振り払えるかが試される』
奈落に落ちた時、暗い洞窟の中で確かにハジメは変心したのだ。もし本当の意味で地球にいた頃のハジメでは奈落の底を生き抜くことはできなかった。つまり、何も変わってないわけではない。
『要は初志貫徹。君が奈落の底で誓った誓いを貫き通すことができるのか。それを僕の前で証明してほしい。もしかつての誓いを貫くことができれば君は芯が通った男だと認めざるを得ないし、その時は潔く攻略を認めようじゃないか』
壁が段々透き通っていく。それはハジメのいる部屋だけではない。隣室の、そのまた隣室の壁まで透き通っていく。
そして……ハジメにその光景を見せつけることになるのだ。
「……は? …………あ、ああ……そんな……嘘だ……」
ハジメが見た光景、それは思わずハジメを呆然自失させ、ドンナーを取り落とすほど動揺するに相応しい光景。
アレはなんだ。いや、違う。そんなわけがない。よりによってあいつらがそんな……
「あり得ない!!」
『あり得ないも何も、あれは真実さ。良く見なよ。
それは……そうとしか形容できない光景だった。
氷の地面に仰向けに倒れるユエ。その目は虚ろで、瞳に光がない。そしてそんなユエの真上に立ち、ユエに向かって自身が作ったアーティファクトを振り下ろし続けている少女。
見たことがない様相をしていたから、よく似た別の人物だとハジメは思おうとした。だが、ああだが。ハジメの目に組み込まれた魔眼は正確にシアの魔力を捉えて離さない。
例え髪の色や魔力光の色が水色から薄紫に変わろうとも、目の色が血のように紅く変貌しようとも、あれがシア本人だとわかってしまうから。
「どうして……ユエッ、シア!!」
『あわてるなよ。簡単な話だ。……シア・ハウリアは大迷宮の攻略に失敗し、自らの心の闇に飲み込まれてしまった。そんなシアがユエを殺し続けている。それだけだろ』
「だからあり得るわけないだろッッ!! あいつは俺達の中じゃ、一番勇気があって、強くてッッ、それで……」
『察しが悪い奴だな。そんなシアを、お前が壊したんだろ』
「あ……」
ハジメの身体が震えていくにつれて、『ハジメ』の存在感が増していく。
『昨夜の出来事が、シアを闇に落とすきっかけになった。それくらいお前にもわかるだろ。つまり……アレは全部お前のせいなんだ』
「あ……ああ」
『だけどまだ間に合う。言っただろ。初志貫徹、君の誓いを果たしてほしいと。だから、君は君の流儀に乗っ取って、これまでと同じことをすればいいんだ。つまり……』
『今からシアを撃てよ』
「………………は?」
ハジメには『ハジメ』の言っていることがわからなかった。視界がぐらつく中、『ハジメ』の声もどこか遠くのように聞こえる。だがそんなことは『ハジメ』が許さない。耳が聞こえないと言うのなら念話で直接語り掛ける。
『つまりシアを殺せって言ってんだよ。アレはもう駄目だ。ああなった以上、もう元のシアには戻らない。このまま発狂しっぱなしで、目につくもの全てを破壊するただの狂暴な魔物だ。そして君はかつて誓ったじゃないか』
『ハジメ』がハジメの耳元でささやくように言う。
──自分の生存を脅かす者は全て敵。
──そして敵は必ず殺し、喰らう。
それこそが、かつて奈落の底で変心する際に誓ったことだろうと。
『そしてユエを脅かすものは全て例外なく、南雲ハジメの敵だ。つまりシア・ハウリアはもう仲間なんかじゃない。ただ冷酷に殺処分するべき対象だ。大丈夫、今のあいつはかなりやばい怪物だけど、シュラーゲンの一撃で頭を吹き飛ばせばまだ殺せるはずだ。それに、ああなって辛いのはシアも同じだろう。せめて愛する男の手で死なせてやることが、シアの本望なんじゃないかな』
「あ、あああ、あああああ、嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ」
涙ながらに声を震わせるハジメを気にすることもなく、『ハジメ』が容赦なく追い詰める。
『そうそう。『未来視』という貴重な技能を回収することも忘れないようにしないとね。もう知ってるだろ。
「ああああああああああああ!! 嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だぁぁ、そんなこと、やりたくないッッ!!」
狂乱するハジメに対し、冷や水を浴びせるような冷たい声と表情で、『ハジメ』がこれから先に起こることを伝える。
『ならいいの? ユエ……死んじゃうよ』
「ッッ…………」
狂乱していたハジメがピタリと止まり、ガクガクと震え、『ハジメ』に救いを求めるような目を向ける。
『僕は大迷宮でもあるからね。ユエの状態もおおよそ把握できる。それで言うけど……ユエもほぼ堕ちかけてる。何があったかはわからないけど。心が屈服してる。碌に抵抗しないのがその証拠だろう。見て見なよ。ユエの自動再生が段々遅くなってる。つまりあれは、ユエが自らの死を、シアに殺されることを認めている証拠じゃないか』
ハジメには何があったかはわからない。だが見ればユエも大迷宮の試練に相当打ちのめされているのが伝わってくる。
『……いいの? たった一人、初めて本気で好きになった人なんだろ。初めて出会った時のことは今でも鮮明に浮かんでくる。彼女と話をするだけで心が晴れていくようだった。彼女と出会って僕は人間に戻れた、否、
その言葉を聞いて、ハジメは反射的にシュラーゲンを取り出し、透き通る壁越しにシアに向けて構えていた。手は振るえて照準が定まっていない、安全装置もついているのでこのままでは撃つことはできない。
だがそんな今までの勇敢な姿が見る影もないほど涙ながらに震えるハジメをそっと支える『ハジメ』。
「嫌だ。嫌だ。嫌だ。お願いします。お願いします。
『それは聞けないなぁ。だけど心配しなくてもいいよ。銃は僕が構えてあげるから。照準も僕が定めてあげる。弾を弾装に入れ、魔力を充填し、遊底を引き、安全装置も僕が外してあげよう。君はただ、殺意を持って、数グラム引き金に力を入れるだけでいい。それだけで、ユエは助かるんだ』
「許してください。許してください。お願いしますッッ!!」
そこにいたのは、魔王の鍍金が剥がれ落ちた、一人ぼっちの少年がいた。かつて不良に絡まれたおばあさんを助ける時に、土下座して許しを請うことしかできなかった頃のハジメ。そしてあの時とは違い、ハジメはただひたすら無様で、弱弱しかった。
そう、簡単に周囲に影響を受けるほどに。
『殺せ──ッッ!!』
「う、うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ──ッッ!!」
耳元で鳴り響く怒鳴り声。スコープ越しにユエに止めを刺そうとするシア。それらが重なり、ハジメの精神も限界を超えた。
ならばこそ、これから起きることはある意味必然だった。
氷で閉ざされた狭い一室、その中で数秒後──
一発の銃声が響き渡った。
ハジメについての考察
さて、知っている人は知ってるかもしれませんが、場所によっては光輝以上にボロッカス言われているのが南雲ハジメというキャラクター。
やっていることが小物のチンピラだとか、酷いことしてるのに自分は正しいと思い込んでいるとか。地の文が絶賛しすぎて、読者が感じるハジメ像とズレがあるとか。モブに厳しく、自分とヒロインには優しいとか結構言われていますが、アフター初期のハジメは作者も苦手です。もっとも、私のハジメ像が揺らいだのは第六章のあとがきで長々と書いた内容通りなのですが。
そして私が思うハジメという少年は
『好きな女の子のために、一生懸命魔王のふりをしている不器用な少年』
と言ったところでしょうか。
本作では原作のチート科学能力から凡人では無理があるとの解釈により、実は天才だったという設定が加えられており、それゆえに、孤立することになった過去があります。
そんな突出した才能を持ち、世間を斜めに見ている捻くれたコミュ障の陰キャラの少年が、一人の女の子に恋をしたことをキッカケに変化し、その子のために苦手なことも必死に頑張る物語が作者の中でのありふれ。
ユエのためならなんでもできる。例え自分には向いていない魔王ムーブだってやれるし、ユエが望むならハーレム築くのも努力する。
だけど根が平凡な男の子なハジメでは色々限界があるわけで。その辺りのユエとのすれ違いがハジメを追い詰めました。
ユエのためなら何でもできるけど、ユエに否定されたら途端に脆くなってしまう。偽物は魔王の鍍金が剥がれると表現しています。
そんなある意味奈落の底以上に追い詰められたハジメがどうなるのか、それはもうちょっと後でわかります。
なぜなら次回は最後の難関であるユエのターンだから。
シア回、ハジメ回でも匂わせていますが、実は彼女が一番やばいことになっている可能性がありありです。
一体何が起きたらあんなことになるのか。
随分前にプロットを組んでいたのですが、ユエはハジメ以上に長くなる可能性があるので二つに分けるかもしれません。もしかしたらユエの過去編も挟むかもしれませんし。
既に主人公蓮弥とヒロインユナが出てこなくなって一月経ちますが、作者も書きたい欲があるので別の形で出すかもしれません。
作者がもう一つ連載している内容という意味で。