ありふれた日常へ永劫破壊   作:シオウ

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今回はティオの話。11巻の番外編を元に、再構成している形になります。


龍の世界

 見渡す限りの大海原。

 

 陽の光を反射して宝石のように輝く青の世界に、その島はぽつんと存在していた。周囲数百キロ内において岩礁一つ存在しないそこは、まさに孤島というに相応しい。

 

 その場所でトータス大陸にあるいかなる国とも国交を持たず、鎖国さながらの生活を送っている種族が竜人族。エヒト創世記の時代以前の太古の時代から存在していたトータスに現存する古代種の一種。

 

 そのわずかな生き残り達が、五百年の昔から神の目を逃れながら表舞台に立つ時が来るのを待っていた。

 

「……姫様」

 

 その孤島の南側にて、大陸のある方角を両手を組みながら、祈るようにして見つめている女性の名はヴェンリ・コルテ。代々クラルス一族に仕える従者の家系であり水と幻を司る竜人。そしてティオの従者兼乳母でもある。

 

 かつてない何かが起きる。

 

 そう言って強引に調査役をティオが引き受けたのはもう数ヵ月も前のことだった。その間主の帰還を待ち続けるヴェンリであったが、ティオの実力を疑うわけではなくても不安は尽きない。

 

 事実、トータス大陸では前代未聞の事態が連続で起き始めている。

 

 ティオが旅立って間もない頃、北の山脈にて巨大な魔力反応を感知したのが始まりだった。以後、大陸の方からは竜人族の歴史でも類を見ないほどの力の衝突が繰り返されたのだ。

 

 そんな中で、己らの姫の無事を確認しようと、多くの竜人族が何度も大陸に行こうとしては、姫様を信じるがゆえに自制する日々を送ってきた。

 

 そしてそんな日々は、突如終わりを告げることになる。

 

「ッッこれは!!」

 

 ヴェンリは突如巨大な魔力が現れたことに気付いた。そしてその魔力を探っている内に、よく知った人物の魔力であることも瞬時に把握する。

 

「ヴェンリ様、姫様の魔力がッ!」

「わかっています。しかしなぜカルトゥスの報告が上がらなかったのですか?」

 

 迫っている魔力がティオのものであることに気付いたヴェンリは、それを喜ぶより先に疑うことになった。

 

 竜人族に監視者の天職を持つカルトゥスという竜人族がいる。彼の持つ感知能力は極めて広大であり、異世界より勇者が召喚されたことも彼の技能によって知ることになった。

 

 だが今回はカルトゥスの報告が上がる前にヴェンリは魔力を感知した。感知能力の差を考えればこんなことは本来起きえないはずなのだが。

 

「決まっておろう……それだけティオの魔力が巨大すぎるのだ。感知に長けぬ者達が容易く感知できるほどにの」

「族長!」

 

 南端の場に数多の竜人を率いてやってきたのは竜人族クラルスが長、アドゥル・クラルスだ。そしてその場には監視者であるカルトゥスも存在していた。

 

「馬鹿なッッ、これは本当に姫様の魔力なのかッ!? 巨大すぎて感知がまともに効かない。それに……この島まで信じられない速度で迫っている。この島に到着するまで……あと十五秒ッッ!?」

 

 もし、この島にいる者達が感知したティオの魔力が竜化の際に発した魔力なのだとしたら、その時点で大陸からこの島に飛び立ったということになる。

 

「そんなッ!」

 

 ティオの到着時間を聞いたヴェンリは思わず絶句してしまう。

 

 大陸からこの島まで数百キロ離れているのだ。それをほんの1分足らずで到着することの意味、それは現在ティオが、里の最速を誇る風属性特化の嵐竜ですら足元にも及ばない桁違いの速度を出して移動しているということだ。

 

 そして間もなく、黒き鱗を持つ竜人族の姫が島に帰還した。

 

「ふむ、試しに音の二十倍ほどの速度で飛んでみたが、あっという間に到着してしもうた」

『移動速度は中々だが身体制御がなっておらぬな。これでは直線移動には使えても戦場では、敵の中枢に身体ごと特攻するくらいにしか使えぬ』

「なるほど、捨て身攻撃かの……この速度で突っ込んだ時の全身の衝撃は実に甘美なものになろうな……おふぅ」

『今も立てた誓いの影響で全身に痛みが走っておろうに……ここまで来るとそれもそなたの長所と言えるのかもしれぬな』

 

 現れた黒竜は竜人族達の知っているティオの姿とは異なっていた。

 

 鱗はより強靭かつスマートに、角はより鋭角で研ぎ澄まされ、大きさは以前の変身より一回り大きい。だが、そんな見た目の変化は些細なことだった。なにより違うのは、その身に纏う魔力量。

 

 文字通り以前とは桁が違う。纏う魔力だけでここにいる全ての竜人族を凌駕しており、その力強さは絶対強者である竜という生物を象徴していた。

 しかも先ほど長距離かつ超速度で移動したにも関わらず、ティオに疲弊している様子はない。

 

「む? ヴェンリではないか……それにカルトゥスに……爺様までッ? わざわざ出迎えてくれたのかの! 皆の者、今帰ったのじゃ!」

 

 竜化を解いたティオは以前よりも遥かに力強い魔力を纏い、髪の一部が紅く染まった姿を皆の前に曝け出したのだ。

 

「ティオ様、お帰りなさいませ!」

「ご無事なようで何よりでございますっ」

 

 孤島の海岸に里中の竜人族が次々と集まってきて歓喜と戸惑いの混じった騒めきを響かせていた。

 

「皆様、お気持ちはわかりますが、姫様は帰ってきたばかりです。姫様、すぐに寝所を用意致します。さぁ、まずは屋敷でお休みください」

「いや、それには及ばぬ、爺様、いや族長。報告せねばならぬことがあるのじゃ」

 

 ティオは自身の祖父であるアドゥルに対し、族長と呼び姿勢を正して向き合った。その瞳に宿る輝きに、アドゥルは息を呑むのと同時に気を引締める。

 

 これからティオが告げる言葉が尋常なものではないとすぐにわかったからだ。

 

 そしてティオは、ただ一言だけ告げる。

 

 時は来た、と。

 

「──ッ」

 

 アドゥルの目が見開かれ、竜人の長としての目でティオを見るがその眼に揺らぎはない。先ほど見せた想像以上の力といい、ティオが世界の荒波に揉まれ、確かな成長を遂げたと確信した。

 

 そしてアドゥルの一声により、里中の竜人族が一同に会することになった。

 

 ティオが軽食を取っている間に、隠里の中央広場には全竜人族──老若男女合わせて約三百人が集まっていた。

 集まる者達の動揺は激しい。世界に何かが起きていることは世界中に響き渡っていた魔力の衝突により明らかなのだ。その中で大陸の調査から帰還した姫様の重大発表の知らせ、落ち着こうにもそう簡単に落ち着けない。

 

「皆の者、心して聞いてほしい」

 

 青空の下の歌舞伎舞台。祭りや祝日とあらば催しものも開かれるその場所に、ティオが姿を見せた。両隣にはアドゥルとヴェンリが追従し、そのまま少し距離をおいて床に座る。

 

「世界の終わりが近づいておる」

 

 その言葉と共に、今までの冒険を記録してきた記録用アーティファクトを再生しながらティオが語り始める。

 

 南雲ハジメとその仲間達との出会い。そして旅の中で知ることになる大迷宮の秘密と解放者達の願い。そして世界中で復活する大災害という太古の怪物達。

 

 映像越しにもわかるその圧倒的な脅威に対し、竜人族達は驚愕するしかない。

 

 そして、神の従者を名乗る神父と堕ちた勇者。奪われるアヴァタール王国の女王。

 

「妾達は奪われたユエ……アレーティア女王を奪還するために奴らの居城に攻撃を仕掛ける。間違いなくここが歴史の分岐点じゃと妾は思う。だからこそ、皆に協力してほしいのじゃ」

 

 トータス大陸で起きている異常事態。復活する大災害。奪われた神の器。それらを見てこの世界に起きている異常を察せない者は此処にはいない。

 

「……なるほど。確かに、時は来たようだ」

 

 厳かで、万感の想いが込められたようなアドゥルの言葉に、竜人達の動揺はもはやない。

 

「同胞達よ、立ち上がる時は今ぞ。生き延びた意味を示す時が、ようやく来たのだ!」

 

 アドゥルが立ち上がって、ティオの隣に並んだ。その肩に手を置き、顔を見合わせ頷き合う。

 

「戦の準備をせよ! 今こそ我らの全てを賭ける時だ!」

 

 上がる歓声が竜人達の士気の高さを表している。

 

 もはや何者も自分達を止めることはできない。

 

 

『ふん、盛り上がるのは構わぬがな、今のティオでは堕ちた勇者や堕天使には敵わぬぞ』

 

 

 だがその場に水を差すような声が響く。決して大きな声ではなかったが、その威厳を滲ませるその声に、竜人族達が静まり返る。

 

 

『まだ姿を見せぬ『魔王』の存在もある。群体くらいの数がおるならともかく、結局のところこの戦いの大勢を決めるのは圧倒的な個体なのだ。弱き者がいくら数を揃えようとも、到達者相手には死にに行くようなものだ』

「なんだとッ! 貴様一体何者だッ、姿を現せ!」

 

 自分達が侮辱されていると判断した若き竜人の戦士リスタスがその声の主に怒りを見せる。

 

『事実を言ったまでよ。我が眷属がまだこれほど生きておったのは喜ばしい事だがな、やはり劣化に対しては落胆を禁じえぬ。それに……我はどこにも隠れておらんぞ、小僧』

 

 そしてティオの側に浮かんでいた紅珠が前に出てくる。

 

「ティオ……これは一体なんだ? この珠から感じる龍気は一体……」

 

 まずはティオの話を優先したため、聞きたくてもあえて聞かなかったアドゥルがティオに問いかける。

 

「その……その方はじゃな……」

 

 一方ティオは先ほどまでの気勢とは裏腹に、どう説明しようか迷っているような表情をする。

 例えるなら町工場の社長とその従業員に対して、遥か上位に位置する大企業グループの隠居した会長を紹介する社長秘書兼孫の気分だ。

 

『聞け、我が眷属達よ!』

 

 だがティオの心配を他所に、いつまでも紹介してもらえなかった龍神様が痺れを切らして自ら存在を強調する。

 そしてこの場に、先程見せたティオの龍気を容易く上回る龍気の気配が紅珠から発せられる。

 

「こ、これは……まさかッ!」

 

 この圧倒的龍気を前に、アドゥルはかつて祖父である始祖クラルスの息子から聞いたある伝説を思い出す。

 

 かつて父であるクラルス他竜人の始祖達全ての起源にして神である存在がいた。その偉大なる存在は後のことを現在の竜人達の始祖に託し、永い眠りについたこと。

 

 もしや、とその思考に至ったアドゥルを肯定するかのように……

 

『我が名は紅蓮。全ての竜の始祖にして、紅の龍神と呼ばれる太古の龍だ』

 

 龍神紅蓮は高らかに、その名を名乗ったのだ。

 

『貴様ら頭が高い。控えおろう!』

 

 再び放たれる龍気に竜人族達は己の血に流れる龍の血の本能に従い、行動を行う。

 

「ははっ──ッッ」

 

 その光景に対し、満足そうな気配を漂わせる龍神紅蓮に対し、ティオは恐る恐る口を開く。

 

「その……龍神様や、なぜ同胞を威圧するような真似をするのじゃ?」

『なぁに。最近我を龍神だと思わぬような態度ばかり取られ続けてきたからの、ここらで威厳というものを取り戻しておかねばならぬと思ったのだ』

「うっ……それは……」

「そういえば姫様……今まであえてスルーしていましたが、聞きたいことがございます。先ほどの映像……所々に南雲ハジメという青年から口では言えぬような所業を受けて、光悦とした笑みを浮かべている姫様の姿がありましたが、アレはどういうことなのでしょうか?」

「いや……それはじゃの……」

 

 最近龍神様からお説教され続けたからか、それとも旅がずっと予断を許さないシリアスが続いたからか。自らの性癖を否定する気はさらさらないが、表に出すのは周りの迷惑になるのではと流石に学習したティオ。自らの乳母に問い詰められてどう答えたものか真剣に悩む。

 

「その……実は妾……新しい扉に目覚めてしもうてな」

 

 そして映像記録アーティファクトはついにティオのプライベート映像を写すに至った。

 

『王都での戦いで頑張ったから労ってやろうと思ったのに、要求するのがこれとは……どうしようもないド変態がッ!』

『んはぁ、しゅごいぃぃぃ。ご主人様の愛の鞭、たまらぬのじゃぁぁぁぁ──ッッ』

 

 ある時にはティオがご主人様と呼ぶ青年が嫌そうな顔でティオに文字通り鞭を振るい……

 

『ティオ……本当にいいの? これ……調律は調律でも、所謂下手な人がやるすごく痛いやり方なんだけど……』

『かまわぬぞ香織よッ! ご主人様やシアが絶賛するその魔力マッサージ。是非スペシャルバージョンで行ってほしいのじゃ!』

『まぁ、ティオがいいならいいけど……じゃあ始めるよ』

『ひぎぃぃぃぃぃぃ──ッッ、これぇしゅごいのじゃぁぁぁぁぁぁ──ッッ。ふくぅぅぅぅ、いろいろふきだしてしまうのじゃぁぁぁぁぁあおほぉぉぉぉぉぉ──ッッ』

『ええ……本当に勘弁してほしいんですけど』

 

 ある時には香織と呼ばれる治癒師らしき少女が、真顔でマッサージとやらをティオに施すその光景を。

 

 広場がこの五百年で一番しんっと静まり返る。

 

「ふむ、もうバレてしもうたならしょうがない! これが今の妾なのじゃ! 我が性癖に一切の恥はなし。さぁ、文句があるならいくらでも罵倒するがよいのじゃ──ッッ!」

 

 姫様の無慙無愧の叫びを受けた後、今までで一番の大混乱が広場でおこったのは言うまでもないことだった。

 

 

 ~~~~~~~~~~~

 

『全く、少しはマシになったかと思うたらこれだ、莫迦者が』

「返す言葉もないのじゃ……」

 

 あれからティオは阿鼻叫喚の様相が収まらない広場から追い出されてこそこそ里外れを歩いているところだった。

 

 やはりというべきか、新しいティオは里の者達には受け入れ難いものだったらしい。ここで実は先祖還りの結果である可能性があることを示唆すれば一体どうなったのだろうか。

 

 そんなことを考えている内にティオが辿り着いたのは墓地だった。

 

『ここは……墓地か』

「そうじゃ、かつての大迫害において命を散らした同胞達の、魂の帰る場所じゃ」

 

 そこからティオは墓地の奥へと進み、一番奥の柵に覆われた白い墓石の前まで来ていた。

 

 その墓石に刻まれた名前はハルガ・クラルス、オルナ・クラルス。ティオの両親だった。

 

「父上、母上、報告に参ったのじゃ」

 

 敬愛する両親の眠る墓前にて、ティオはぽつぽつと言葉を落としていく。

 

 旅のこと、己の心で感じたことを語り尽くした。

 

「父上の言う通りであったよ」

 

 ──いつの日か、彼の存在を討つことのできる者が、必ず現れる。

 

 それが父ハルガが残した予言であり、それは五百年の時を超え実現することになった。

 

「父上、母上。妾は好いた男ができたのじゃ」

 

 最初は正直打算だった。自身を打ち破った男の内どちらか、或いは両方が邪神を討ち取るように誘導する。それこそがティオの最初の思惑。

 

「どこが好きかと言われれば正直言葉にはできぬ。あの鋭い目にやられたのか、或いはあの容赦のない態度に惹かれたのか。あるいは……彼でも傷つくところを見た時か。そんなことはどうでもよい。おそらく……一目惚れに近い物だったのじゃろう」

 

 恋とは得てしてそんなもの。何百年も男を袖にし続けた鎖国国家の姫君が、使命をもって海外に出た先にて出会ったまばゆい個性を持つ若者に、強烈に惹かれた。言葉にしてしまえばどこにでもあるラブロマンスのワンシーンだろう。

 

「惜しむはその男には先約がおってな。この想いを届かせるのは非常に困難だと言わざるを得んことじゃな」

 

 ティオもまた、シアの恋の結末は既に聞き及んでいる。

 

 ハジメのユエへの愛は不変かつ不可侵なもの。その証拠を遺憾なく見せつけられるその結果に、全く揺るがなかったかと言えば嘘になる。運命の流れ的にユエより先んじることはまずなかったとはいえ、五百年越しに出会った伴侶候補には、既に心に決めた人がいるというのはいささか理不尽だと思わずにはいられない。ハジメの一途さとハジメの故郷が一夫一妻制を取っている事実を思えば、側室を狙うのも難しいかもしれない。

 

 シアはその初恋にけじめをつけた。

 

 香織は届かぬことを知りつつも想い続けることを決めた。

 

 ならばティオも道を選ばなければならないが……

 

「まぁ、妾は気長にやるとするのじゃ。幸い竜人族の人生は長い。ご主人様もあの身体では人の一生では収まらぬであろう。ならばあと百年くらいはこのままでもよい」

 

 ティオの選択は現状維持に近いもの。竜人族の寿命は長いので気長にアピールしていくという長命種ならではの考え方。

 

 実際ティオも百年おしどり夫婦を続けていたある竜人族の夫婦が、結婚百年目を境に一気に冷めて破局したなんて例を知っている。ハジメとユエに当てはまるかは不明だが、それくらい根気よくやればチャンスは巡ってくるかもしれない。

 

「じゃが……だからといってこのまま恋敵がいなくなってほしいなどとは思っておらぬ」

 

 今ハジメの最愛の恋人は敵に捕らわれている。ティオの心は不甲斐ない想いでいっぱいになる。

 

「何が守護者じゃ、本当に情けない。強くなったつもりで、その実あの時と何も変わっておらんではないか。また、何もしてやれなんだ」

 

 同胞達が戦い、命を落とし、母の遺体が晒され、父と永遠のお別れをしたあの日から、ティオは力を付けてきた。

 

 族長と同等以上と呼ばれるようになり、さらに己たちの始祖であり神である龍神から力を授かりもした。

 

 だがそんなティオを堕ちた勇者は圧倒した。攻撃を切り開かれて、まんまと斬り伏せられて、そのままユエが攫われるのを見ているしかできなかった屈辱を思い出す。

 

「だからこそ、妾は今以上に強くならねばならぬ。だから教えてくれぬか、龍神様、それに爺様よ」

 

 決意を心に秘め、ティオが振り返るとそこにはずっとティオの言葉を聞いていたアドゥルが神妙な雰囲気で佇んでいた。

 

「ティオよ。今のそなたでも敵わぬほど敵は強大なのだな?」

「……少なくとも、今の妾では届かぬものが二人おる」

 

 一人は堕ちた勇者。神父に操られた道化に等しい存在であるとはいえ、その力は本物だ。まさかこの世界を救うものであると竜人族の間で期待されていたものが、最大級の敵になってしまうとは思っていなかった。

 

 そしてもう一人は王都にて出会った堕天使。かつて蓮弥と死闘を繰り広げた堕天使に圧倒的な差を見せつけられたのは忘れたくても忘れられない。一時的に共闘する機会こそありはしたが、だからこそ見せつけられた絶大な力に臆さぬとは言えない。

 

 正直に言えば神の使徒や魔人族は何とかなる。だがこの二人が戦場で暴れるだけで形勢が二転三転してしまうのも確かなのだ。

 

 だからこそ、ある意味上位概念領域の力を使用できる資格を持つティオが、更なる力を引き出さねばならない。

 

『お主の決意は伝わっておる。だからこそここにきたのだからな。そこで現在のクラルスの長よ?』

「いかがされましたか、紅の龍神よ」

『……()()()()()()()()()()()()()()()?』

 

 その言葉にアドゥルは深く悩む。その対応にティオが少し不安そうにしながら見やった。

 

 しばらく悩み続けたアドゥルは、やがてティオの表情を見ると肩の力を抜いた。

 

「そうか……よかろう。ティオよ、ついて参れ」

 

 そう言うとアドゥルは踵を返す。それに遅れるまいとティオが慌てて後に続く。

 

「どこへ行くのじゃ。爺様よ」

「霊廟だ」

 

 霊廟とはかつて存在した初代クラルスの御霊を鎮魂する祠であり、全ての竜人族にとって戒めの場とされている場所のことだ。

 

 初代クラルスとはクラルス一族にとって開祖であり竜人族の聖句が生まれるきっかけになった存在だ。

 

 まだ竜人族が人に馴染めず、迫害されていた時代。旧時代の生き残りであるにも関わらず、積極的に人類との共存を呼び掛け続けた偉大な先祖であったが、ある日理性を手放し獣に堕ち、暴れ続け厄災と称されるようになった存在だ。結果的にアドゥルの祖父が率いる竜人達に討伐されるまで大きな被害を出し続けた。

 

 以来霊廟には歴史と掟が刻まれることになり、竜人族の子供はこの霊廟の前で歴史と掟を学ぶのだ。

 

『クラルスは、破壊と殺戮を好む旧時代の竜の中でも、とりわけ護りに長けた変わった奴であった。竜の本能を抑えるために、我が人の血を混ぜると眷属に宣言した際にも、難色を示す他の竜と違い、真っ先に賛同したのを覚えておるよ。もしかしたらそれゆえに、そなた達クラルスの眷属のみが生き残ったのかもしれぬ』

 

 それはティオはおろか、アドゥルすら知らぬ先祖の姿だった。かつて理性的でありながら、最後には獣に堕ちた先祖に直接会ったものの言葉は重みが違う。

 

 そしてティオ達は霊廟に到着し、祠へと入る。その奥には初代クラルスの偶像が安置されていた。

 

 アドゥルが偶像を手に取り、己の血を当てながら魔力を流し始めた。

 

『これは封印だな。血と魔力と魂を使った封印術式か。クラルスの血が続く限りその封印は解けることはあるまい。南の魔王の封印と同じだ』

「それは答えかねますが、その認識で間違いございませぬ。この中には、我等が決して忘れてはならぬものが入っておるのです」

 

 龍神に答えた後、アドゥルの持っている偶像が真っ二つに割れた。

 

「これは……まさかッ!」

「そうだ。これこそが我らの先祖の一部であり、触れた者を強制的に竜化させ、その理性を奪い獣へと堕とす遺物だ」

 

 入っていたのは一枚の鱗だった。血が黒ずんだような色をしており、そこから凄まじい龍気が放たれていた。この威圧感は紅の龍神紅蓮が発するものに通ずる。

 

「初代様の竜鱗だ。これだけはいかなる手段を用いようとも滅することができなかった」

『当然だな。今の竜族がこれを消すことなどできるはずもない』

 

 そういって龍神紅蓮は、懐かしい気配に引き寄せられるようにその竜鱗に近づいた。龍神が近づくごとに、その鱗から溢れる龍気は増していく。

 

『久しいな。そのような姿になっても我のことを忘れてはおらんかったと見える……受け取れ、そしてその姿を我に見せよ』

 

 そして紅珠からまるで赤い涙のような雫が一滴、クラルスの竜鱗にかけられた。

 

 

 

 ドクン

 

 

 その血を受けた竜鱗が脈動を開始する。ティオはその気配に警戒を示し、アドゥルは未だかつて起きたことがない現象に目を見開く。

 

 

 

 ドクン! 

 

 

 

 

 

創造展開────紅蓮龍晶山脈(グレンドラゴニア)

 

 

 概念領域にある神業が、息を吹き返した竜鱗より放たれる。

 

「なッ……」

 

 とっさに防御魔法を行使しようとしたティオだが遅かった。既に結界術らしきものに取り込まれたティオは目の前で創造されるものに驚愕するしかなかった。

 

 

 見渡す限り視界いっぱいに広がっているのは、緑豊かな巨大な山脈。高い山々がずらりと並び、その肥沃な大地は強靭かつ生命力に溢れ、様々な実りを咲かせている。

 

「ぐぅ……」

「これは……まさか魔素かのッ」

 

 そして何より違うのは大気に満ちる魔素の濃度だった。

 

 まるで超高密度の大気の中に入れられたかのような粘度。息をするだけで魔力がみなぎるが過剰な魔力が毒になるほどの密度。

 

 ティオはとっさに祖父の周辺に結界を施す。自分は少ししたら慣れたが、この環境は祖父には毒だとわかったからだ。

 

 そしてこの空間に似たものをかつてティオは感じたことがある。

 

(悪食の異界に似ておる)

 

 大災害悪食が展開した異界もまた高密度の魔素で溢れかえっていた。だからこそわかる。これは幻覚などではなく、霊廟を覆うようにして創造された異界なのだと。

 

「どうやらこの環境はそなたらには毒であったようだな。許すがいい我が眷属よ。だがここでなければ私は姿を現すことができなかったからな」

 

 その声に引き寄せられるようにして上空を見上げたティオの視界に映ったものは、巨大なドラゴンだった。

 

 全長数キロ、黒い鱗で覆われたその姿はティオにも通じるものがあるが、その力には天と地ほどの差がある。

 

「そして……敬愛なる我が主、龍神紅蓮様。あなたの目覚めを前に、このような姿でしか出ることができない我が身の不甲斐なさを許していただきたい」

『よい。そなたにも事情があったのであろう。いささか怠惰に過ぎた我にも責任はある。気にするでない』

「勿体なきお言葉でございます」

 

 龍神紅蓮との会話からティオは上空の巨大な竜の正体に行きつく。

 

「まさか、そなたは……」

「いかにも。我が名はクラルス。紅の龍神紅蓮の眷属にして、己が定めた『戒律』を破り、邪龍へと堕ちた哀れな竜の残骸だ」

 

 かつて存在した偉大なる先祖、始祖クラルスの竜体が降臨した。

 

「これは、一体どういうことなのじゃ、龍神様よ。なぜ我が先祖が竜鱗から現れるのかえ!?」

『”魂の竜鱗”……竜は生涯に一度だけ、自らの鱗に魂の一部を宿すことで分身を残すことができるのだ。尤も、今の世界の魔素濃度が低すぎて動くことができなかったようだがな』

 

 ティオの祖父アドゥルなど、結界の中で状況についていけずただ立ち尽くすしかない。ティオもようやく高濃度の魔素下の環境に慣れてきたので、何が起きても行動できるように構える。

 

「ようやく動けるようになったか。かつて、龍神紅蓮様が健在だったころの竜の支配領域は、常に魔素が満ちていた。私は我が血に宿る心象領域を創造し、かつての竜族の領域を展開しただけにすぎぬ」

「それは……途方もない世界じゃな」

 

 この場所にいるだけでティオの身体にすさまじい力が染み入ってくるのがわかる。確かに世界にこれほどの力が渦巻いていたのだとしたら、かつての竜人族は今より遥かに強力な力を宿していたのだと納得できる。

 

『さて、ティオよ。以前の試練にてお主は龍の力の一端を理解するに至ったが、我からすればまだまだ未熟と言わざるを得ん。だが我の本体は知っての通り動けぬでな、これからこ奴のもとで龍の力の使い方を学ぶのだ。頼めるか、クラルスよ』

「ふむ、なるほど。理解しました。ただ……」

『わかっておる。そなたにも褒美は取らせよう』

「ほう……それは実に……楽しみですな」

 

 何やらティオが会話に入らない内にティオの修行が決定してしまう。だがそれに対してティオも素直に是と答えることはできない理由があった。

 

「待つのじゃ龍神様、それにご先祖様よ。確かに強くなれると言うのなら歓迎すべきことであろうがな。我らには時間がないのじゃ。決戦までもう日がない。修行などしている暇は……」

『案ずるな、何のためにこの領域を展開させたと思うておる。この場所は通常の世界と時間の流れすら隔絶しておるから安心せい。それに……お主に時間を気にする余裕はないぞ』

「それはどういう……ッッ!」

 

 ティオが龍神に問いかける前に、始祖クラルスの気配が変わる。

 

『心せよ。こ奴はお主の知る竜人族とは一線を画するものぞ。修行だからと言って油断していると死ぬ危険すらある。だが、この修行を超えた時、お主は真の意味で龍の力を手にすることができようぞ。では……覚悟はよいか?』

 

 龍神の問いに対して、ティオは先祖の前で戦意を見せる。

 

「もちろんじゃ! すまぬが爺様よ。ここを出て出発は今しばらく待つように皆に伝えておくれ。妾は……ここで真なる龍へと至るための戦いをするでな!」

「……わかった。どうやらここに残っても私に出来ることはなさそうだ。龍神様よ、私だけここから出してもらえぬか?」

『よかろう』

 

 すると空間の一部に穴が開き、光が漏れだす。

 

「ティオよ。……必ず帰ってこい。必ずだ!」

「わかっておるよ、爺様。妾はまだ死ぬわけにはいかぬでな」

 

 笑顔と共に自らを送り出す孫の姿をみて、アドゥルは静かにこの空間から脱出する。

 

 そして出迎えたカルトゥスを始めとする里の者達に事情を説明しつつティオの無事を祈るのだった。

 




>威厳を取り戻したい龍神様
眷属であるティオが龍神様のお仕置きに感じるようになりつつあるので、ここらで気を引き締めさせる。

>始祖クラルス
ティオを含む全てのクラルスの先祖。原作だと声なき意志のみが宿る竜鱗だが、龍神の力を与えられることで息を吹き返す。なお、本体のクラルスは過去討滅されており、ここに残っているのは竜鱗に宿る魂の一部である。

>創造展開
分類に分けるなら空間魔法に相当する異能。
文字通り自分の心象を模した異界を創造し、展開することができる。効果は様々だが、基本的にこの空間内では術者は普段より強くなり、術者によっては普段制限されている力を発揮することも可能になる。
非常に習得難易度が高く、基本悪食や龍神の眷属のような超越存在の権能だが、稀に存在する最上位の空間支配者の才能を持つ人間も行使できるようだ。

紅蓮龍晶山脈(グレンドラゴニア)
クラルスの創造展開。紅蓮が健在だった頃の竜族の領域を展開する。そこは現実ではあり得ないような密度の魔素が充満しており、その影響で土地そのものも非常に頑丈。龍に連なるものに強大な力を与えるが、龍の血が薄いもの、もしくは人間は常に猛毒に晒されるような状態になる。

次回は開戦前のあれこれ。

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