「ふむ、なんという容赦のない責め苦。ご主人様の与えるものとは趣が違うが、これもまた善きものじゃ。流石は解放者といったところかの……此度の大迷宮も侮れぬ。心してかからなければなるまい」
「何開幕良いこと言ったみたいな雰囲気出してんだこのド変態。少しは空気を読めや駄竜がッ!」
「あひん。ああ、やっぱりご主人様が最高なのじゃあ~」
メルジーネ大迷宮入口にて、多少疲弊している他のメンバーとは違い、ただ一人元気が有り余っているティオがいつも通りハジメにお仕置きされている。
「なんなら、お前だけ、帰りは、生身で、帰るか? 深海の超水圧がお前の身体に内蔵が飛び出すまでみしみし圧力をかけてくれるぞ」
「あひん、あふん、ああ、なんというゴミ扱いじゃあ〜たまらぬ。けど流石にそれ、妾死んでるじゃろ」
ハジメが言葉を切るたびに踏みつけ、そのたびにティオが嬌声を発するのはいつも通りの光景だった。久しぶりに再会したはずなんだが何も変わっていないところがこいつららしいと思う。
「お前ら、SMプレイはそこまでにしておけ。見たところ海底洞窟みたいな感じだが」
「ん……水没してなくてよかった」
蓮弥のSMプレイ呼びに納得いかない顔をしたハジメだが、ユエの言葉で攻略モードに切り替えたようだ。
「お前ら、もう平気か? 特にシア」
一番酔いの影響が酷かったシアに確認を取るハジメ。シアは香織に酔い止め魔法をかけてもらったおかげか、それとも端っこの方で盛大にリバースしたおかげか、ずいぶん顔色が良くなっているように思える。
「はいぃ~、なんとか大丈夫ですぅ。……少し頭ガンガンしますけど」
「少しだけ我慢してね。多分そのうち効いてくると思うから」
どうやら行動可能であると判断したハジメが潜水艇を宝物庫に収納する。そして一行が洞窟の奥に見える通路に進もうとした時、ハジメがユエに呼び掛けた。
「ユエ……」
「ん……」
それだけで、ユエは即座に障壁を展開した。
刹那、頭上からレーザーの如き水流が流星さながらに襲いかかる。圧縮された水のレーザーは、かつてユエがライセン大迷宮でハジメ作成の超水鉄砲で多用した〝破断″と同じだ。直撃すれば、容易く人体に穴を穿つだろう威力。だが今更この程度の攻撃で動揺するものはいない。
はずなのだが……
「きゃー、ハジメくーん」
突然の攻撃に軽く悲鳴をあげてハジメの腰にしっかり抱き着く香織。どうやら香織には荷が重かったかと思っていた蓮弥だったが、雫とユエがジト目を香織に向けているのに気づく。
「香織……あなたね……」
「竜の大群が襲ってきても、一切動揺しなかった香織がこの程度で怖気づくわけがない……どさくさに紛れてハジメに抱き着きたかったのが見え見え」
「えへへー、ついね」
すぐさま舌を出して笑う香織。どうやら蓮弥が思っているより余裕があるようだ。その態度に微妙にイラッとしたのか、ユエが香織に無茶振りを言いはじめた。
「次、あれが襲ってきたら香織がやって」
「ユエ……私、治癒師なんだけど」
「私は香織を過小評価しないし甘やかさない。いいからやりなさい」
言った側から天井から第二波が襲いかかり、それを香織が文句を言いつつも聖絶を四重に展開して攻撃を防ぎきる。蓮弥は自分が知っている香織の魔法レベルが以前とは全く違うことに軽く驚いていた。
(やっぱりわからない。香織は一体どうやってこれほどの高速展開を)
そしてそれは香織の魔法行使をジッと見つめていたユエも同様だった。グリューエン大迷宮でも見たが、このレベルの魔法陣の高速多重展開はユエでもできない。聞いたところ想像構成の技能は持っていないようだが、何か自分の知らない技能を使っていると確信する。
ユエが香織の秘密を解き明かそうとしている内にティオが天井を火炎で焼き払う。フジツボみたいな魔物であり、穴から超高圧の水を飛ばしてくるのは中々嫌な光景だった。
その後も手裏剣のように飛んでくるヒトデのような魔物や、海蛇のような魔物が襲ってきたが、ハジメがドンナーで撃ち落とし、ユエが魔法で串刺しにすることで攻略に支障はなかった。いや、無さすぎる。
「蓮弥……どう思う?」
「魔物が弱すぎるという話か?」
「ああ、大迷宮の魔物にしては大したことが無さすぎる。これじゃあ試練になってねぇ」
大迷宮の敵というのは、基本的に単体で強力、複数で厄介、単体で強力かつ厄介というのがセオリーだ。そして真の大迷宮での戦闘は雫以外の全員が経験済みだ。だからこそわかる。大迷宮の魔物はこんなものではないと。だからこそ逆に裏があるとしか思えない。
「ユナ、何かわからないか?」
こういう時にはユナに聞いてみるというのが、蓮弥とハジメパーティの共通の認識だった。特にハジメ、ユエ、シアからの信頼は絶大だ。ライセン大迷宮でのユナの貢献は未だに計り知れない。もしユナがいなかったら、今なおライセン大迷宮を彷徨っていたかもしれない。ミレディが聞いたら流石にそんなことねぇと怒りそうだが。
ユナが大迷宮の壁に手を付いて目を閉じ数秒ほど経過した後、目を開ける。どうやら大迷宮の構造を掌握したらしい。ユナの能力も記憶を取り戻してから確実にパワーアップしていた。いや、むしろこれがユナの真の力なのだろう。
「ここは……巣です」
「巣?」
「はい、ここの魔物は試練ではありません。正体はまだはっきりしませんが、試練のために利用されているナニカのための餌です」
「つまり……ここの魔物を喰らって生きているような化物が、奥に巣を張って虎視眈々と俺達が来るのを待ってるってわけか」
ハジメが獰猛に笑う。そうでなくっちゃなという気合が表情に浮かび上がっているようだ。他のメンバーもユナの忠告に対して気を引締める。道中が思いのほか楽である分、そのナニカに試練が全振りされている可能性だってあるのだ。なら、生半可なものがいるわけがない。
一応メンバーで予測を立ててみる。
「ここは王道で巨大イカとか巨大ダコとかないかな?」
「海の怪物といえば定番ね。他にも巨大サメなんかもあり得るかもしれないわ」
「パニックホラー要素の方に寄りがちだけど、もっとファンタジー的な生物もあり得るだろ。神話のレヴィアタンみたいな怪物かもしれないな」
香織、雫、蓮弥で案を出してみるも、どれもありえそうで困る。
「なんにせよここでじっとしてるわけにもいかねぇんだ。何が来ても薙ぎ倒して進む……だろ?」
「ん……私達は最強」
だが皆の顔に悲壮感はない。確信しているからだ。ここにいるメンバーがそろって、乗り越えられない試練など一つもないと。各々がそれだけの修羅場をくぐってきたという確かな手応えを感じていたのだ。
各自警戒しながら先の道へ進む。そしてしばらく進んだ先に大きな広場があり、そこで試練と遭遇する。
「来るぞッ、各自警戒を怠るなよ!」
蓮弥の叫びと共に、入口が半透明のゼリーのようなもので塞がれる。
「私がやります! うりゃあ!!」
咄嗟に、最後尾にいたシアは、その壁を壊そうとドリュッケンを振るった、が、表面が飛び散っただけで、ゼリー状の壁自体は壊れなかった。そして、その飛沫がシアの胸元に付着する。
「! シアッ、動かないで! ティオ、お願い!」
「心得た!」
そのゼリーの正体に真っ先に気付いた香織がティオに懇願する。それに快く応えたティオがシアについていたゼリーのみを器用に燃やしていく。燃やした後のシアの胸元は溶解液のようなもので溶かされた跡が残っていた。どうやら溶解性のゼリーであるらしい。うかつに触れたらまずい気がする。
『蓮弥、あのゼリーは物質だけでなく魔力も溶かします。そして魂も……』
「つまり、霊的装甲も突き破れるわけだな」
聖遺物に戻ったユナを十字剣に形成し、蓮弥が上から襲ってくる触手ゼリーを切り払う。どうやらこの触手ゼリーも同様の成分らしい。
「ユナは平気か?」
『はい、私は大丈夫です。それより他のメンバーは?』
直接十字剣で斬り飛ばしたが流石は超一級の聖遺物といったところか。この程度ではびくともしない。そして他のメンバーはというと。
「ふむ、どうやらこやつら、炎に弱いらしいの。なら妾の独壇場じゃて」
「気を付けて……このゼリー、魔力も溶かすみたい」
ユエが聖絶を張って守り、ティオが火炎の魔法で迎撃し、やることがないシアはハジメに迫っていた。
「おい、シア。状況わかってんのか? 今はギャグパートじゃねぇぞ」
「いや、ユエさんとティオさんが無双してるので大丈夫かと……最近参入したにも関わらず、ハジメさんに対する固有ポジションをさらっと手に入れた香織さんを見習わなくちゃいけないと思ってまして……」
「あのな……流石にここでは自重しろ。……香織」
「天恵」
「ああ、そんな~、あっさりと治さなくてもいいじゃないですか。せっかくハジメさんに薬を塗ってもらえるチャンスが〜」
どうやらコントができる辺り余裕らしい。がっかりした表情のシアといい笑顔の香織の対比がなんとも言えない雰囲気を出していて思わず笑いそうになってしまう。
「いい加減にしておきなさい! 上から何かくるわよ」
雫の叱責と共に、ゼリーを操っているであろう魔物が姿を現した。
天井の僅かな亀裂から染み出すように現れたそれは、空中に留まり形を形成していく。半透明で人型、ただし手足はヒレのようで、全身に極小の赤いキラキラした斑点を持ち、頭部には触覚のようなものが二本生えている。まるで、宙を泳ぐようにヒレの手足をゆらりゆらりと動かすその姿は、クリオネのようだ。もっともこの世に前全長十メートルを超えるクリオネなどいればの話だが。
その巨大クリオネは、何の予備動作もなく全身から触手を伸ばし、同時に頭部からシャワーのようにゼリーの飛沫を飛び散らせた。
「ちょっと手が足りないね。私が代わりに守りに入るから、ユエも攻撃に回って!」
「ん……わかった。”緋槍”」
あらかじめ炎が弱点だとわかっているので、聖絶による守りを香織に任せたユエは、お得意の上位炎魔法を繰り出し爆散させる。ハジメは周囲の感知に専念し、ティオは炎のブレスを、シアはドリュッケンの砲撃モードで焼夷弾を放つ。
そして蓮弥と雫はというと……
『
お馴染みである蒼い炎を纏った斬撃により、周囲のゼリーを燃やしていく蓮弥。そして雫は……
「咒法……”火焔”。八重樫流抜刀術……”焔・薙旋”」
印を結んだ雫の刀が、蓮弥とは違う紅色の炎を纏っていく。その刀を腰だめに構えた雫は抜刀するように刀を振ることで、雫を中心に東西南北に流れるように四連の炎の斬撃を放ち、ゼリーをまとめて焼き斬る。魔法を構成する魔力すら溶解するため、炎単体だとどうしても燃やし尽くす前に炎の勢いが落ちるという問題を……細かく切り刻んでから燃やすことで解決している。
「おお、中々雫もやるのお。……なるほど、燃やすだけでは効率が悪いなら切り刻んで燃やすか。なら……」
ティオが炎単体だけでなく風と炎の組み合わせである”焔風”に切り替える。どうやら効果が出たらしく、ティオの殲滅力が増していく。各自の奮闘の成果により、巨大クリオネが爆散して消える。
「まだだ。魔物の気配が消えてねぇ。香織は、障壁を維持しろ……なんだこれ、魔物の反応が部屋全体に……」
『皆さん、聞いてください。この魔物には核がありません。ここで倒しきるのは不可能です。早々に脱出を!』
「なっ、この魔物には魔石がないということか?」
「ああ、ユナの言う通りだ。この魔物……いや、周囲全てが赤黒く見える。まるで奴の胃の中にいるみたいだ」
魔物の急所である魔石がないということは、弱点がないということである。力づくで倒してしまえばいいパターンもあるが、この魔物の再生力を見る限り、その選択は賢いとは言えない。一応蓮弥には創造という切り札があるわけだが……
『やめておいた方がいいです。おそらくこれは本体ではありません。仮に端末を倒してもしばらくすると復活するでしょう』
「つまり、逃げの一手か。ハジメ!」
「わかってる。地下に空間があるみたいだからそこから脱出するぞ!」
周囲を火炎放射機で燃やしながらも周囲を探っていたハジメが地面の亀裂に渦巻きが発生しているのを発見した。
「どこに繋がっているかはわからんが、脱出口はそこしかない。覚悟を決めろ!」
ハジメが地面に向かってパイルバンカ―を放つ。そこから亀裂が一気に広がっていき、間もなく地面が崩壊した。
足元の水に流される形で激流に飲み込まれる一行。蓮弥達が落ちた場所は巨大な球体状の空間で、何十箇所にも穴が空いており、その全てから凄まじい勢いで海水が噴き出し、あるいは流れ込んでいて、まるで嵐の海ような滅茶苦茶な潮流となっている場所だった。
『
すぐさまユナが蓮弥の周囲に空気の結界を張ることで蓮弥の身体を水中の激流から守る。
「ユナ、雫は!?」
まずは雫の行方を探る蓮弥。聖遺物の使徒の超感覚を総動員して探した結果、雫はほどなく見つかった。何やら蓮弥と同じく空気の膜のようなものを纏っており溺れる心配はないみたいだが、激流を操作することはできないようだ。時々ぶつかりそうになる岩壁をすり抜けて対処しているのが見える。
蓮弥は雫を回収しようと動きだしたが、途中で香織が漂っているのを発見する。どうやら呼吸の問題を解決できておらず。なんとかこらえているような状況らしい。このままだとどこに流されるのかわからない。一瞬雫と目が合う。そして雫は香織の方に視線を移した後、ハジメが吸い込まれた穴と同じ穴に消えていく。
雫のメッセージを受け取った蓮弥は香織を救助し、同じ穴に吸い込まれていく。
「けほっ、けほっ、うっ」
「はぁはぁ、無事か、白崎?」
「藤澤君……ありがとう。助かったよ……皆は……」
「どうやら分断されたみたいだな」
蓮弥の目には真っ白な砂浜が映っていた。周囲にはそれ以外何もなく、ずっと遠くに木々が鬱蒼と茂った雑木林のような場所が見えていて、頭上一面には水面がたゆたっていた。結界のようなもので海水の侵入を防いでいるようだ。広大な空間である。
蓮弥はびしょぬれになった軍服を脱いで乾かす。ユナによる聖術を付与しているため、どんなに汚れてもすぐに元の状態に戻る性質がある。しばらく放置すれば着れるようになるだろう。そして香織は、素早く服を着替えた後、何やらステータスプレートを確認している。
「白崎? さっきから何を見て……」
香織のステータスプレートを覗き込んだ蓮弥が思わず固まる。
「……なあ、白崎……少し質問していいか?」
「えっ、うん、いいけど……」
「……このステータスプレートって白崎のだよな」
「そうだよ。それがどうかした?」
「…………なんでハジメのステータスが表示されてるんだ?」
蓮弥が香織のステータスプレートを覗いて見えてしまったのは、見覚えのあるハジメのステータスだった。当たりまえだがステータスプレートは一つにつき一人のステータスしか表示されない。他人のステータスを表示できるのなら身分証明の意味がなくなってしまう。
「ちょっと頑張って弄って表示できるようにしてみたんだ。……うん、ハジメ君は無事みたい、周囲には雫ちゃんだけだし距離もそんなに離れてない。少し歩けば合流できそうだよ」
「なあ、白崎……なんか表示されているものが増えてないか?」
まるで大したことではないと言わんばかりの態度で、ハジメの無事と居場所を察知した香織。だが蓮弥としてはまだ気になるところがあった。
「……それ、ひょっとしてハジメの脈拍か? こっちは血圧で、こっちが体温……他にも所謂バイタルサインと呼ばれるものが揃ってるわけだが……」
しかも心拍数が心電図のように表示されており、その数値がリアルタイムに変化しているあたり、このデータは常時更新し続けているようである。
「ハジメ君の主治医だからね。ハジメ君の健康のために常時チェックするようにしてるんだよ」
「…………」
ハジメの常に動いている心臓の動きをチェックして若干トリップしている香織を見て、蓮弥はこれ以上何も聞かないことにした。何となくこれ以上聞いたら不味い気しかしない。どうやらハジメを取り巻く環境は、香織の加入で変化しているらしい。……ハジメ包囲網が着々と構築されつつあるのかもしれない。
「ハジメ達が近くにいるって言ってたな。じゃあまずはハジメ達と合流するか」
「少しだけ待ってもらってもいいですか?」
そういって形成するユナ。その目線は香織の方を向いている。
「えっと……ユナちゃん? どうしたのかな?」
「……あなたと出会ってから聞きたかったことがあるんです」
ユナは心なしか少しだけ香織を警戒しているようであり、彼女にしては珍しい反応だった。
「何かな? ああ、雫ちゃんのことについてならなんでも聞いてね。私は大親友だから何でも知ってるよ」
「あなたの使う魔法と
ユナが香織の目を見て、再度問いかける。
「単刀直入に聞きます。香織、あなたは……魔術師ですか?」
彼氏(違う)の心音を確認してトリップする女子高生がいるらしい。常時愛しの彼のバイタルサインを把握している系女子はありですか?
次回は香織についての話。