TRICK 時遭し編   作:明暮10番

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救い手

 暫くして午後の授業が始まる。

 机に肘付き、遠い空を窓から眺める少女は、魅音だった。

 

 

 雲が近く、空が低い。目を離せば落ちて来てしまいそうだ。

 夏の陽に輝いて、山は深緑を映えさせた。

 

 教室は暑く、窓が開けられている。

 蝉時雨が飛び込み、村は広いジオラマのようだ。

 

 一人ごちに見渡し、ちょっとだけ乱れた頭の中を整理。

 ただ目線は空ではなく、地に向かう。

 

 

 

 消えた者が、ひょっこり歩いていそうで。夏の幻想がまた、夢を見せてくれそうで。

 

 

 

「コラっ」

 

 

 頭をバサっと、教科書で叩かれ気が戻る。

 恐る恐る顔を上げると、顰めっ面の知恵先生がいた。

 

 

「授業中ですよ」

 

「……た、たはは……いやぁ、ごめんなさいです」

 

「……はあ。心配なのは分かります」

 

 

 部活メンバーが魅音以外欠席、しかも圭一に至っては消息不明。

 部長である彼女が先生以上に心配しているとは、知恵も気付いてはいる。

 

 

「……また先生がみんなの家を周りますから。だからほら、元気出して?」

 

「いやいや、大丈夫大丈夫! おじさんはメンバーを信じているってば」

 

「……そう? それじゃ前を見て、次の問題解いてくれます?」

 

「そ、それは遠慮したいかな〜……なんて?」

 

 

 結局答える事になり、嫌々ながらも席を立つ。

 

 

 

 席を立ち、もう一度だけ窓の外を眺める。

 ひたすら信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、山田と圭一は、富竹が帰って来るまで寛いでいた。

 

 

「……大丈夫っすかね?」

 

「大丈夫でしょ。なんか凄い自信でしたし」

 

「それより主人!」

 

「まだ肩書きつけるのか」

 

「あの三つのマジックって、どうやったんですか!?」

 

 

 作業員らの囮になるに辺り披露した、三つのマジック。

 暇潰しがてら、それらの種明しをしてやる事に。

 

 

 

 

「まず一つ目。同じ絵柄だった四枚のカードが、四枚とも変化するマジックですけど……実は四枚とも、別々のカードなんです」

 

 

 上からクラブの五、ハートのクイーン、スペードの八、ジョーカーの順番に重ねたカード。

 

 

「一枚目のカードを見せている隙に、残り三枚の一番下をこう、弛ませて薬指で開けるんです。見せたカードは、一番下に入れる振りをして……下から二枚目に差し込みます」

 

 

 引き抜いたクラブの五を、ジョーカーの前に入れる。

 

 

「あとは上の一枚を抜く振りをして……三枚重ねて同時に抜くんです。そしたら相手には二枚目のカードを引いたように見えて、それがクラブの五だって錯覚させられます」

 

「おぉ……!」

 

「次は三枚ともをひっくり返し、上の一枚……つまりハートのクイーンだけを下にすれば、クラブの五は一つ上がって二枚目に来るので、同じ要領でひっくり返せば良いだけです」

 

 

 あとはそれを繰り返して、ハートのクイーンに化けさせたり、ジョーカーに化けさせたりするだけ。

 

 

 

 

 

 

 

「お札の変化マジック……これは本当に簡単です」

 

 

 マジックに使った五ドル札を見せる。

 後ろにひっくり返せば、すでに折り畳まれた千円札が貼り付けられていた。

 

 

「五ドル札を折り畳んで、後ろの千円札と同じ形にする。あとはこっそり返して、この貼り付けていた千円札を開くだけ」

 

 

 リンカーンがパッと、聖徳太子に変わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後は缶コーラの復活マジック。これは圭一も興奮していた。

 

 

 

「缶コーラは、元から開けていないんです。軽く糊付けしていた、黒い紙を飲み口に貼って開いているようにみせていただけです」

 

 

 缶の側面に穴を開け、缶を潰しながら中身を抜く。

 ある程度ベコベコになったら、穴を赤いテープで塞ぐ。これで空き缶に見せられる。

 

 

「後はこれを振ると、残ったコーラの炭酸が内側から缶を押して、凹みが無くなるんです。グラスを用意して残ったコーラを出してやれば、さも缶コーラの時間が巻き戻ったように見える仕掛けです」

 

「すげぇすげぇ……!!」

 

「ジオ・ウエキには一回騙されかけましたからね。同じ缶のマジックを披露してやりました」

 

「一生付いて行きます! 嗚呼、女神様ッ!!」

 

「……いつか変な宗教にハマりそうだなこの人」

 

 

 圭一の将来を少し心配しながら、山田は「あっ」と思い出す。

 

 

「そう言えばレナさんは? レナさんも一緒に捕まっていたんですよね?」

 

「逃げたんですけど……途中で、親父さんに婚約者の正体を教えるって言って別れました。そのまま自宅に隠れるつもりだそうで」

 

「美人局か……えっぐい事するなぁ。しかもジオ・ウエキの妹……私の方が美人に決まってるだろ!」

 

「我が主はスレンダーでクールっす!」

 

「…………それ喧嘩売ってんのか?」

 

 

 マジックに使ったコーラを飲みながら、圭一はふと壁に掛かっていた時計を眺める。もう正午を過ぎていた。

 

 

「……時間の進みが早く感じましたね」

 

「……私も昨日の今日でだいぶ濃い時間を過ごした気がする……全然寝足りない……」

 

「……御山田様」

 

「なんだその呼び方」

 

 

 圭一はずっと抱えていた疑問を、彼女に聞く事にした。

 

 

 

 

 

「……あの。『鬼隠し』……何か知っているんですか? だったら……教えて欲しいです」

 

 

 魅音から口止めされている禁句だ。

 それを一対一の室内で問われ、山田はどうするべきかと口を歪めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──ここで時間は戻る。圭一と別れ、自宅へ向かったレナの話だ。

 何とか帰ってこれた家には電気が点いており、不在では無いようだ。

 だが家にいるのは父親だけとは限らない。恐る恐る、扉を開け、リナこと律子がいないか慎重に侵入する。

 

 

 居間からドタバタと、忙しない音が聞こえる。

 大勢ではなく、一人だけのもの。

 

 

 襖を少しだけ開けて、覗く。そこにいたのは父親だった。

 

 

「お父さん……!!」

 

 

 居間に入り、事の真相を彼へ教えてあげようと父を呼んだ。

 だが次に言うべき律子の正体は、喉につっかえてしまう。

 

 

 

 父親は、必死の形相で、身支度を整えていたからだ。

 

 

「礼奈……! どこ行ってたんだ!?」

 

「その、お父さんごめんなさい……聞いて欲しい事が」

 

「あぁ……それより礼奈ッ!!」

 

 

「それより」。一晩消えていた娘への心配は無いのか。その違和感が、レナを愕然とさせた。

 

 

「お父さん……?」

 

「すぐに支度するんだ!……リナさんが、園崎に狙われているらしいんだ……!」

 

「…………え?」

 

「早くッ!! この村から出るんだッ!!」

 

 

 

 言っている意味が一瞬だけ、理解出来なかった。

 父の話を理解出来なかったのは、これが初めてかもしれない。

 

 

 彼はレナより、律子を優先している。

 

 

 

「……お父さん……!?」

 

「リナさんは今、二階に隠れている……! 良いかい? 園崎の人が来ても彼女の事は……」

 

「お父さん、聞いて……!!」

 

「さあ、早くッ!! 車に荷物を!!」

 

「聞いてッ!!」

 

 

 レナの叫びに、やっと父親の手が止まった。

 そのまま続けて、震える口で律子の正体を暴露する。

 

 

「あの人は……お父さんの事を愛していない……! あの人はお父さんを騙そうとしているんだよ!?」

 

 

 やっと告げられた。

 だが、父親は形相を厳しくさせ、レナへ詰め寄る。

 

 信じていないようだ、実の娘を。

 

 

「……礼奈。お前は何を言っているんだ……!?」

 

 

 憤怒し、語気を強めた、責め立てる声。

 レナの脳裏に、フラッシュバックする。

 

 

 

 離婚の原因は母親の浮気だった。

 その浮気相手の事を知っていながら、父親に黙っていたのはレナだ。

 

 その事を問い詰められた時のようだ。あの時も父親はこんな顔をして、レナを殴った。

 

 

 

 

 恐怖が湧き上がる。言わなきゃ良かったと、妙な後悔まで。

 押し黙ってしまった隙に、父親はレナの肩を強く掴んだ。

 

 

 

「リナさんに騙されている……!? こんな時に、何言っているんだ……!!」

 

「ぅ……うう……ッ……!!」

 

「お前がリナさんに懐いていないのは聞いていた……けど、彼女の命が危ない時に……!」

 

「…………ッ!!」

 

「……そうか……また、お前は壊すのか……!?」

 

「ッ!?」

 

 

 心臓が痛くなる。

 

 

 

「ああ、そうなんだな……お前は前からそうなんだな!」

 

 

 握られている肩が痛い。

 

 

 

 

「……お前なんか……! こうなるんだったら、あっちの方に行っていれば……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 彼の言葉がレナの心を抉った。

 

 抉って抉って抉って、底の底まで到達した。

 ヒビ割れたようにも、まるで掘り返したようにも。

 ただ奥まで行く途中、今までの事が走馬灯のように巡っていた。

 

 

 幸せも、間違いも、「嫌な事」も、「良い事」も。

 

 

 

 

 

 深奥にあったモヤモヤが、抉った穴から噴き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 気付けば、父親の手を引き剥がし、頰へ平手をぶつけていた。

 

 

 

「……ッ!?」

 

 

 唖然とする父親の丸い目には、叩いた側だと言うのに酷く狼狽しているレナの顔があった。

 

 

「…………!!」

 

「…………礼奈……?」

 

 

 真っ直ぐ合わせた視線と視界。

 目と目、顔と顔。

 

 レナは大粒の涙を流していた。

 そしてやっと、自分の娘の異常に気付けた。その顔は酷く汚れていて、その服は酷く寄れていて、顔をクシャクシャに歪ませながら泣いていた事を。

 

 

 

 

「ごめんなさい」

 

 

 彼女の言葉は、謝罪だった。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

 涙を拭う事はしない。

 流れ落ちるままだ。

 

 

「ごめんなさい……ごめんなさい…!!」

 

 

 

 一、二歩、後退り。自分でも何をしたのか分かっておらず、混乱していた。

 

 

「……礼奈……?」

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!!」

 

 

 とうとうレナは駆け出し、家から出て行く。

 

 

「礼奈ぁッ!!」

 

 

 父親が急いで彼女を呼び止める。

 だが彼女はもう遠くまで、行っていた。

 

 

 

 

 

 階段を降りる音。

 

 

「……ね、ねぇ! もう準備は良いでしょっ!?」

 

 

 隠れていた律子だ。玄関先で呆然と立ち尽くすだけの彼の後ろ姿を、鬱陶しく思う。

 

 

「早く車出してよぉ……!! 私、殺される……!!」

 

「………………」

 

「ちょっと!? 聞いてんのッ!?」

 

 

 叩かれた頰を、触る。

 そして思い出した。

 

 

 

 自分は礼奈を殴った。怒りに任せて、殴った。

 その時も彼女は泣いていた。

 何度も何度も謝って、泣いていた。

 

 

 後悔したハズだった。

 何もなくなってしまう自分に、彼女はずっと寄り添ってくれたじゃないか。

 いつの間にか礼奈の幸せの為を、願い始めていたではないか。

 

 

 

 今、自分は何をしていた。

 また礼奈を──自分の娘を、支えを、泣かした。

 信じてやれず、出て行くその手を掴めずにいたではないか。

 

 

 

 

 

 律子が彼の背中を揺さぶる。

 

 

「早くぅ……!! 死にたくないのぉ……!!」

 

 

 

 彼はくるりと、振り返る。

 そして一つの質問をした。

 

 

 

 

 

「……君の正体は、なんなんだ?」

 

 

 

 律子の目が丸くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──午前の診察が終わり、夕方まで休憩だ。

 淹れたコーヒーを飲み、ずっと抑え付けていた逸る気持ちにやっとの事で向き合う。

 

 

「……沙都子ちゃん……」

 

 

 入江は所内から、空を見上げる。

 誰もいない待合室に座り、上田が沙都子を連れ、ここに来るその時を待つ。

 

 

 

 約束した。

 沙都子を助け出せたら、真っ先にここに連れてくると。傷付いた彼女を診察してもらうと。

 

 

 だからそれまで、彼は待っていた。

 笑顔の沙都子がやって来るまで。

 

 

 

 

 

「……入江先生」

 

「おお!?」

 

 

 物思いに耽っていた為、背後にいた鷹野に気付かなかった。

 驚きで身体が跳ね、立ち上がった拍子にコーヒーをこぼしてしまう。

 

 

「うわわ!? やった!?」

 

「あぁ……もう、何しているの!」

 

「す、すいません! あぁ、ボクがやりますんで!」

 

 

 ハンカチを取り出し、染みを拭う。そんな彼へ呆れながらも鷹野は告げる。

 

 

 

「仕事の方も気にして欲しいわね」

 

「…………」

 

「楽しんでばかりはいられないのよ? 時間はないんだから」

 

「……分かっています」

 

 

 思わせ振りに微笑み、彼女は診療所の奥へ。

 一人残された入江は唇を噛み、また座り込んだ。

 

 

 染みのついた白衣を脱ぐ。ふと真っ白のものなんかこの世に無いのだろうかと、思ってしまう。

 それでもただ入江は、今はひたすら信じるだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こっちなのです!」

 

 

 神社から暫く歩き、上田と梨花は北条家前へ。

 雛見沢村に於いて有力な家系だったともあり、なかなか大きな家だ。

 

 

 上田は到着したと同時に颯爽と飛び込み、戸を叩く。

 

 

「沙都子!! いるなら出てきてくれッ!! 俺が来たぞー!」

 

「沙都子! 出て来て欲しいのです!!」

 

 

 二人の必死の呼び掛け。

 鉄平が出て来たのなら対処すると上田が言った為、恐れる事なく声を出せた。

 

 

 

 何度も何度も、「沙都子」と叫ぶ。

 暫くすると内側から、廊下を歩く音が聞こえ、それが玄関先まで近付いて、戸を開く。

 

 

 

 現れたのは──

 

 

 

 

「沙都子……!」

 

 

 

──変わり果てた、彼女の姿。

 前に見た快活さは顔から面影と共に消え失せ、濁った目と悪い顔色と、暗い影を落としていた。

 

 

 だが梨花と上田の姿を見て、目に少し、闇夜の中の蝋燭のようだが微かな光が宿る。

 

 

「梨花に……上田先生……!?」

 

「なんてこった……! おい、大丈夫か!? ほら、野菜を食べないからそうなっちまうんだ! 完全に貧血の見た目だ!」

 

 

 沙都子の憎まれ口を期待したが、出て来たのはか細い謝罪だった。

 

 

 

 

「……ごめんなさい……」

 

 

 謝罪の意味が分からず、梨花は震えた声で返した。

 

 

「…………なんで謝るのですか?」

 

「……もう、そっちに帰れませんの……」

 

「沙都子……?」

 

「……お声掛けが遅れました。私はこっちに暮らしますわ」

 

「…………」

 

 

 ああ、やっぱりそうだと、梨花の心にまた諦念が燻り始めた。

 だがそれを、意思の力で払う。

 

 

 もう後悔したくない、間違えたくない、見殺しになんかしたくない。

 頭の中がそんな決意に満ちつつあった。

 

 

 梨花はこの日、自分に素直になると決心した。

 

 

「もう……良いのですよ……」

 

「……え?」

 

「……どうして……自分にばかり罰を与えようとするのですか」

 

「梨花、私はそんな……平気ですわ。こっちのでの生活も、悪くはありません」

 

「嘘つきは上田で十分なのですっ!!」

 

「おう!?」

 

 

 不意打ちされて驚く上田を余所に、梨花は大きな声で捲したてる。

 自分でも、こんなに話せたんだと思うほどに、言葉や沙都子との思い出が連々と舌から放たれた。

 

 

「っ!?」

 

「沙都子はずっと、頑張って来たのですよ! 頑張って頑張って、頑張り続けて……ボクはそんな沙都子の強さに憧れているのです!!」

 

「……私はちっぽけで、弱いですわ」

 

 

 

 梨花は必死に首を振る。

 それは彼女の言葉を否定するものではなかった。

 

 

 

 

「ちっぽけで弱いのは……ボクだってそうなのです……!」

 

 

 堰を切ったように梨花は、そこからは思いの丈を捲し立て始めた。

 

 

「沙都子は確かにお野菜苦手だし、その癖に得意料理は野菜炒めだけだし、泣き虫だし、お茶は渋過ぎる!!」

 

「確かにあの渋さは考えた方が良い」

 

「でも……でも……!」

 

 

 空に浮かぶ雲のように当たり前に感じていたのに、まるで違った世界のようだ。

 梨花の心に一点の曇りはなく、ずっとここまで抱いていた不安はどこかに行った。

 

 

「すぐに笑って、精一杯……ボクを手を引いて歩いてくれるのです……」

 

 

 晴れ渡り、夏の始まりを予感させる、大きな入道雲。

 それを一緒に眺めて来たのだろ。

 

 

 

 

「……いつもボクより早く起きて、朝食を準備して……ボクの手を引いて、暗い部屋から朝日に連れ出してくれる……それにボクはどれだけ救われたのか……」

 

 

 思い出が巡れば巡るほど、涙が溢れ出す。

 

 

「……してくれただけじゃない。ボクだって、やらなくちゃ……」

 

 

 その「思い出」は一年、二年、三年、四年五年六年……ずっとずっと、連続して行く。

 先に行けば行くほど記憶は断片的。だけど、それを必死に掻き集めてみせた。

 

 

 

 

「……ボクは沙都子を見て来た。だから知っているのです……あなたの苦しみや、辛さを」

 

 

 少し雰囲気の変わった彼女の口調に、沙都子は驚いたような顔を見せる。

 

 

「でも挫けなかった。喪失も苦難も、沙都子はそれを抱えて歩いて来た。でも、抱えるには重過ぎて……いつしか、その重さを罪だと思ってしまった」

 

「……ッ!」

 

「……あなたの過去は決して、あなたのせいじゃない……すぐにはそう考えられない、認められなくても良い。ならせめて、あなたの悲しみを……私にも抱えさせて欲しいのです……」

 

「り、梨花……」

 

「ボクだって沙都子に救われた……だからボクも、沙都子を救いたいのです」

 

 

 目を背けてしまう沙都子だが、梨花はそれを許さない。

 眼前まで近付き、顔を押さえ、無理やり目を合わさせる。

 

 

 

 

「沙都子……ボクたちは、親友でしょ……!? その苦しみを私にも、抱えさせて……一緒にまた……みんなと遊びましょう……?」

 

 

 声が震え、次第に喉に力が入って行く。

 固まった喉からは声は出ず、か細い嗚咽。泣き出してしまった。

 

 

 

 呆然と彼女を見るだけの沙都子に、黙って見ていた上田が続ける。

 

 

 

「……沙都子。強さってのは、我慢する事だけじゃない。思いの丈を言う事もまた、強さだ……」

 

「…………」

 

「……梨花は本心で話した。次は、お前の番だ……さぁ。本当の事を教えてくれ……」

 

 

 

 その目に、光が宿る。

 暗い夜が終わりを告げ、黎明を迎えたかのようだ。

 

 上田に促され、沙都子は目を泳がせながら、何か言わねばと口を開き始める。

 

 

 

 

「……わ、私……私は……!」

 

 

 

 

 二人の顔が綻んだ。

 だが、障害は最後にやって来る。

 

 

 

 

 

「沙都子ぉッ!! 誰かおるんね!?」

 

 

 家の奥から、寝癖のある鉄平が飛び出して来た。玄関での騒ぎを聞き付け、昼寝から目を覚ましたようだ。

 再び沙都子の目から光が消えた。

 

 

「ひっ……!」

 

「おお!?……あん時……!」

 

 

 鉄平が梨花の姿を捉え、舌打ちを鳴らす。

 

 

「まぁた沙都子、誑かしに来たんか!?」

 

「お、おじさま……!」

 

「沙都子!!」

 

 

 梨花は叫び、家に戻ろうとした彼女を引き留める。

 

 

「……私から絶対に目を離さないで」

 

「え? り、梨花……?」

 

「何やっとんじゃタワケがッ!? また蹴られたいんか!?」

 

 

 背後から近づく罵声と怒号。

 怯えて震え、すぐに戻らなければと沙都子は思う。

 

 

 でも真っ直ぐと視線を奪う梨花を見ていたら、頭の片隅で「もしかしたら」と希望が照り出す。

 

 

 

「お前も離れんかいッ!!!!」

 

 

 

 鉄平の腕が沙都子に伸び、肩を掴んで無理やり引き摺り込もうとした。

 

 

 

 

 

 

 

 その腕は、戸の死角から現れた何者かの手によって逆につかまれてしまい、外に引き出されてしまう。

 

 

「な、なんじゃぁ!?」

 

「お前が沙都子の叔父か」

 

「誰じゃおま……うっ!?」

 

 

 そこにいたのは自分より大きく、筋骨隆々とした男──上田。

 そんな男が自分を見下ろしている。とうとう鉄平は怯えを見せた。

 

 

「……沙都子の叔父なんだな?」

 

「ほ、ほうじゃ! さ、沙都子とワシは、家族じゃ……! 法的にも認められとるわ!」

 

「つまりお前は沙都子の親って事だな。親は子に対し、扶養義務がある……この時間は学校のハズだろ? 学校にも行かせないのなら、それは親の扶養義務に反するッ!!」

 

「きょ、今日の沙都子は、調子が……!」

 

「調子悪い子に家の番をさせて、怒鳴りつけるのか?」

 

「ウチのシツケにケチつけるんかのぉ!?」

 

(しつけ)って字を書いてみろッ!!『身を美しくする』と書くだろッ!? 支配する事ではないんだッ!!」

 

 

 上田が、梨花と沙都子の前に立つ。

 絶対に二人には指一本触れさせるつもりはないと、鉄平の前に塞がる。

 

 

「……裁判所に申告し、沙都子を証人にしてお前の親権を停止させる。……しかもどうやら梨花を蹴ったようだな。それはもはや『暴行罪』!! そんな危険な奴に……親の自覚がない奴に、親になる資格はないッ!!」

 

 

 

 言い放った。

 

 

 だがこれで下がる男では無いと分かっている。

 鉄平は明らかな殺意を込め、睨み付けた。怒りが勝り、もう上田への怯えはなくなっている。

 

 

 

 

「……上等じゃあ。ぶっ殺してやるからのぉ……!」

 

 

 ポケットから取り出したのは、折り畳みナイフ。

 ギラリと刃を輝かせ、上田の前に突き付けた。

 

 逞しい身体つきの上田とは言え、凶器を持つ人間に敵うのか。危険を察した梨花は上田に注意する。

 

 

「上田!? 危ないのです!!」

 

「おぉ!? 逃げるんか腰抜けェッ!?」

 

「………………」

 

 

 上田は立ちたちはだかったまま、逃げも構えもしない。鉄平を睨んだまま、動かない。

 

 

 

 

「……梨花。沙都子」

 

 

 二人の名を呼ぶ。

 彼は、やるつもりだった。

 

 

 

「俺の戦う姿を……」

 

 

 

 一歩、鉄平に近付く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……見ないでくれ」

 

「……え?」

 

「あっち向いてろ。こんな奴に、拳を使うまでもない」

 

「ワシを舐めとるんか!?」

 

 

 なぜか二人に忠告させる上田。

 何が何だか分からないが、梨花は沙都子を引っ張り、後ろを向かせる。上田と鉄平が何をするのかは分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 聞こえるのは、声と音のみ。

 

 

「ぶっ殺してやるからのぉ!!」

 

「……フンッ! 武器を使うのは弱い奴の証ッ! 武器なんか捨ててかかって来いッ!!」

 

「なんじゃとぉ!?」

 

「俺は……自分の身体一つで、戦う……来いよべネット……!」

 

「ベネットって誰なんじゃぁッ!? ふざけおってからに……! テメェなんか怖くねぇ……! 野郎ぶっ殺してやらぁぁぁぁッ!!」

 

「待てッ!!」

 

 

 なぜ待たすのかと、疑問に思って振り向きかける梨花。

 声が止み、今度は音が鳴る。

 

 

 

 

 

 

 ジーッ。

 

 

 ゴソゴソ。

 

 

 パサッ。

 

 

 ストンッ。

 

 

 ボロンッ。

 

 

 

 

 

 

「あ……あぁ……あぁ……ッ!!」

 

「……ほぉら!」

 

「ああああああああああッ!!??」

 

 

 

 聞いた事のない鉄平の絶叫が響く。

 次にはバタバタ逃げる音が鳴り、一人の気配が消えた。

 

 

 

「鉄平が逃げた……? 上田、やったのですか!?」

 

「待て待て待て待て待て!? まだ振り向くなッ!!」

 

「は?」

 

「よぉし……ホッ……ベルトが嵌らないな……買い替え時か……おうっと、ポジションが……良し、いいぞぉ」

 

 

 振り返ると、何も変わったところのない上田が、してやったり顔で立っていた。

 癖かどうかは知らないが、ズボンをずり上げている。

 

 

「上田、一体……どうやったのですか……?」

 

「はっはっは!『男の器』だよ!」

 

「…………意味が分からないのです」

 

「まぁ、奴は大した事ないな! 生物学的に声のデカい奴ほど小さいって聞くが、あれじゃタカが知れるぜ!」

 

 

 

 

 改めて梨花は、沙都子へ目を向けた。

 

 そこにいるのはもう、暗く、絶望に染まっていた彼女ではない。

 信じられないと言いたげな丸い目は、年相応に幼い。

 

 

「……沙都子。もう、自由なのですよ」

 

「……梨花」

 

「……ボクたちの勝ちなのです」

 

「……りかぁ……りかぁあ……!!」

 

 

 涙を流し、抱き着く沙都子。

 穏やかな表情でそれを受け入れ、頑張って来た彼女を労う。

 

 

 そんな二人を見て、上田も鼻をすする。

 

 

「……上田、泣いているのですか?」

 

「グスッ……な、泣いていないッ!! ドライアイなんだ!」

 

「………………ふふっ!」

 

「……なんだ、何がおかしいんだ?」

 

 

 目からは涙の痕がある。

 でも今の梨花は、満面の笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

「上田はやっぱり、嘘つきなのです。にぱーっ☆」

 

 

 

 

 その笑顔を見て、拗ねた表情で顔を背ける。

 

 

 

 二人から見えないところで、上田も笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上田から逃げた鉄平は、道をひた走る。

 

 

「クソが……!! 覚えてやがれよ……!!」

 

 

 夜になれば奴らは眠る。

 その隙に仲間を集めて襲撃してやる。殺してバラバラにして、沼に捨ててやる。

 強烈な殺意を抱きながら走り、ある所で石垣を曲がった。

 

 

 

 

 

「どこ行くんですかぁ?」

 

「うげっ!? てめぇは……!?」

 

「フンッ!!」

 

 

 角で待ち構えていた何者かに腕を掴まれ、地面に突き倒される。

 その上にのしかかられ、鉄平は動けなくなった。

 

 

「ナイフですかぁ……こんな物を持ち歩いちゃ、銃刀法違反ですかねぇ?」

 

「な、なんめテメェがここにおるんじゃ!?」

 

 

 のしかかったまま彼は、淡々と述べた。

 

 

 

 

 

「銃刀法違反及び、『恐喝』と『麻薬の使用と所持』の疑いがある。署まで、ご同行願いますよ?」

 

 

 

 その男は警部補の、大石であった。

 少し離れた先に覆面パトカーが停められており、その中から詩音が出て来る。

 

 

 見た目は詩音ながらも、彼女は腰に手を当てて豪傑のように笑う。

 

 

「……あっはっは! なぁんだ! 結構強かったりするぅ?」

 

「……全く。あんたの口車に乗せられちまうたぁ、こりゃ参った参った。今日は厄日ですよ!」

 

「まぁまぁ。治安維持に一役買ったんでしょお? 定年間際に検挙率上げられて良かったじゃーん!」

 

「…………二度と、あんたの話は聞きませんからね」

 

 

 呆れた顔で彼女を見つめ、名前を呼んだ。

 

 

 

「……『園崎魅音』さん」


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