TRICK 時遭し編   作:明暮10番

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6月14日火曜日 ワシらの登場
公安見参


 矢部たちは旧雛見沢村に通じる道の、入り口に来ていた。

 

 

「……お? なぁんか、見覚えのある車があるなぁ?」

 

 

 車に近付き、ナンバープレートを確認する。

 

 

「『品川5・せ40-68』……先生の車やないかい! やっぱ、先生も旧雛見沢村に行っとるんやなぁ!」

 

「ここからは歩きになるみたいだな。おい、私を担ぎたまえ! 私のフェラガモの三十万もする革靴が汚れるではないか!」

 

「フェラっ!?」

 

 

 菊池の履いている靴のブランド名に過剰反応する秋葉。

 そこへ一度役所に戻っていた石原がトコトコと三人の元へ帰って来る。

 

 

「兄ィ! 許可は取ったけぇの!」

 

「よっしゃ! ほな行くでー!」

 

 

 矢部たちもまた、立ち入り禁止の看板を抜けて村に続く道へ足を踏み入れた。

 担げ担げとゴネる菊池は、また殴って黙らせる。

 

 

 

 

 

 

「んで、こいつどこまで付いてくんねん」

 

「オキティいぃぃぃぃぃいいぃいいぃいッ!!!!」

 

 

 おっきーとは別れる。

 

 

 

 

 

 

 とうとう訪れてしまった、旧雛見沢村。

 どの家々も崩れかけ、苔に蝕まれ、切ない廃墟となっていた。

 三十五年前までここは実際に人がいて、生活していたハズなのだろう。

 

 

 

 タブレットを確認していた菊池が、警視庁から送信されたデータに気付く。

 

 

「公安からメールだ。何でも、大災害が起きるまでの事件らしい」

 

「なになに?……籠城事件で学校吹っ飛んだぁ? 何があったんや」

 

「ふむふむ、なるほどなるほど……おぉ。ちょうどここが事件現場のようだぞ」

 

 

 菊池が手を広げた先、古く大きなクレーターのある空き地があった。

 

 

「例の事件は、ここで発生した! 何でもガソリンを大量に撒き散らし、そこに発火だとか!」

 

「えげつないコトしますねぇ〜。なぁ〜んでそんな事したんでしょ?」

 

「頭クルクルパーじゃのぉ!」

 

「それについても送られたメールにあるだろうが、電池が勿体無いから興宮に戻るまで切るッ!!」

 

 

 廃墟と化した村を、暫し散策する四人。

 歩きながら、菊池は違和感を口にする。

 

 

「……火山ガス災害にしては、緑が豊かではないかね? 諸君」

 

 

 ずっとスマートフォンでネット掲示板を読んでいた秋葉が、そこで噂されていた旧雛見沢に関した都市伝説を教えてくれた。

 

 

「えーも……大災害後に旧雛見沢村の封鎖が解禁されたのは、災害の二十年後だったそうですよぉ? 火山ガスの影響が消えるまでにしても、ちょっと解禁まで長いっすよねぇ〜」

 

「兄ィ! そもそも図書館の資料がたったの二冊ってのがおかしいんじゃ! おっきーも言っとったけぇ!」

 

「ここでそんな話すんなや! 怖なって来たがな!」

 

 

 冬に加え、山間の為に空気が異常に冷たい。

 吹き荒む風を浴び、村の異質さに慄き、四人は身体を震わす。

 文字通り臆病風に吹かれた石原が、不安げに矢部へ話しかける。

 

 

「オヤシロ様って本当におるんかのぉ!? ワシら余所モンが来て、怒ったりしとらんかのぉ!?」

 

「安心せぇ! 今のワシは矢部コンプリートフォームや! 何が来たって怖ないわ!」

 

「兄ィカッチョイイーーっ!!」

 

 

 その時、一際大きな突風が吹く。矢部の頭の上にある何かが空を舞った。

 

 

「あー!! 矢部さんの矢部さんがーーっ!?」

 

「追えーッ!! あれがないと、矢部コンプリートフォームは成り立たへんッ!!」

 

 

 

 矢部は瞬時に顔を真っ青にして、メンバーと共に飛んで行ってしまったアレを追い掛け始める。

 

 

 黒いアレはあり得ないほど高く飛び、神社の鳥居を潜り抜けた。

 四人は大急ぎで階段を駆け上がり、境内へ。

 

 

 アレは寂れた拝殿の前辺りに落ちていた。地を這うようにして、それを矢部は回収する、

 

 

「あー、あったあったあった……危ない危ない、世界を破壊するところやったな」

 

「はぇ〜。廃墟の神社! なんか神秘感増し増しましろウィッチですねぇ!」

 

 

 秋葉は感嘆し、境内をスマホで撮影する。

 革靴を労わって控えめに走っていた為、菊池は遅れてやって来た。

 

 

「全く……ここまで歩かされたのは久しぶりだ……これは労災だ……!」

 

「遅いのぉ、ゾンビィ一号の参事官さん!」

 

「君と佐賀で会ったのが全ての始まりなんだよッ!!」

 

 

 飛んで行った何かを再装着し、気を取り直して辺りを見渡す。

 関西人としての習性か、賽銭箱が気になる矢部。

 

 

「こんな廃墟でもお賽銭するやつおるんかなぁ?」

 

「あー! 矢部くん、やめたまえ!」

 

「なんでや菊池」

 

「その賽銭箱の中に」

 

「おう」

 

「少女の死体が詰められていたらしいぞ!」

 

「おおおおぉう!?」

 

 

 肝が冷えるような悍ましい話をされ、矢部は一気に離れた。

 菊池の話に興味を持った秋葉が、ふと彼に尋ねた。

 

 

「それはなんの話ですかぁ?」

 

「警視総監も仰っていただろう……村の破滅を予言した少女。なんでも、その賽銭箱に死体があったみたいだ」

 

「酷い事しよるのぉ! ワシがここの警官じゃったら、犯人のケツに手ぇ突っ込んで、奥歯ガタガタいわせたのにのぉ!」

 

 

 義憤に燃えながら右手をガタガタ振るう石原の隣、矢部は真剣な眼差しで賽銭箱を見ていた。

 

 

「ワシには見えるで……! その少女の怨念が……!」

 

「矢部さーん、やめましょうよぉ〜」

 

 

 それでも気になるのが関西人の性分。ゆっくりゆっくり近付き、ヒョイッと賽銭箱を覗き込んだ。

 

 

 

 五円玉が数枚と、一円玉が一枚ある。

 

 

「一円玉入れとる奴がおるな……絶対呪われとるで!」

 

「兄ィ! 知っとるかのぉ!? 一円玉一枚作るのに、三円かかるそうじゃ!」

 

「ホンマかそれ? なら二円放り込んだら五円に勝てるなぁ? つか、これワシがもろうて帰ったろうか」

 

 

 菊池が待ったをかける。

 

 

「刑法第二三五条ッ!! 他人の財物を窃取した者は窃盗の罪とし、十年以下の懲役または五十万円以下の罰金に処するッ!! 賽銭箱に入れられた時点でそれは浄財ッ! つまり、所有権は神社側に移るッ!! 所有権が確立している物を取るのは、立派な窃盗罪だッ!! そこらの道端で一円玉拾うのと、賽銭箱から一円玉を取るとでは雲泥の差だッ!!」

 

「確か、お賽銭箱から一円玉を盗んだ人が一年の実刑判決受けたってニュースが昔ありましたねぇ」

 

「へえ〜! 二人とも物知りやのぉ! らしいで兄ィ!」

 

「冗談に決まっとるやろ! マイケル・ジョーダンじゃい! 第一、そんな罰当たりな事したらワシ、祟られるがな!」

 

 

 

 

 

 ゴトンッと、どこかで音が鳴る。

 誰もいないハズの村での異音。四人は思わず身体が跳ねた。

 

 

「だ、誰だッ!?」

 

「どどどど、動物じゃないですかね〜?」

 

 

 怯える菊池と秋葉に対し、矢部と石原はやけに呑気だった。

 

 

「あれやろ。先生も来とるんやろ。先生ぇー! お久しぶりでーす!」

 

「兄ィ、あっちから聞こえたけぇの!」

 

 

 音がしたのは、祭具殿の方から。

 四人は恐る恐る、その中へと足を踏み入れる。

 

 

 

 中は埃っぽくて暗い。

 それでも中が見渡せる程度の明るさなのは、腐って空いた天井の穴から日光が注いでいるからだ。

 矢部は上田に呼びかけながら足を踏み入れ、残りの面子もそれに続く。

 

 

「先生ぇ? ここにいらっしゃるんですかぁ?」

 

「こんな所に入るのか!? 僕のスーツは銀座でオーダーメイドの」

 

「まぁまぁ、お先にどうぞ〜」

 

「暗いのぉ! まっくろくろすけ出ておいでーッ!!」

 

 

 祭具殿内の梁が抜け、四人の上に落ちて来るのは、そのすぐ後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、梨花と沙都子は学校が始まる前に、一旦神社へ戻っていた。

 

 

「梨花! 急がないと遅刻しますわよ!」

 

「朝から走らせるなんて鬼なのです……みぃい……」

 

「元を辿れば、梨花が私を起こすと言って寝坊したのが原因でしょっ!」

 

「入江がいなくなってたのが悪いのです」

 

 

 まだ蝉も鳴かない穏やかな朝。

 沙都子にとっては何だか久しぶりにも感じる神社へ。

 

 鳥居を見上げると、爽やかな気分になれる。こんな気分も久しぶりだ。

 

 

「……梨花」

 

「うん?」

 

「……ただいま!」

 

 

 その言葉を聞き、梨花は寝ぼけ眼をパチクリさせ、満面の笑みで返す。

 

 

「……おかえりなのです。沙都子! にぱ〜☆」

 

 

 階段を一緒に上がり、神社へ向かおうとする二人。

 

 

 

 

 

 だがその足は、上からやって来た男のせいで一旦止まる。

 長く不潔な髪を振り乱し、大きな袋を担いだ男が叫びながら降りて来た。

 

 

「う、うわぁぁぁ!! 夏だぁあ!! 幻想郷は雛見沢にあったんだぁ!! 僕らタイムフライヤーッ!!」

 

 

 そのままドタバタ、どこかへ走り去る。

 次にやって来たのは、見た目からアホそうな金髪のスーツの男。

 

 

「兄ィがおかしくなったー! 兄ィ! どこにおるんじゃ兄ぃぃーッ!!」

 

 

 ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、どこかへ消える。

 そのまた次に降りて来るのは、高級スーツのエリートっぽいいけすかない男。

 

 

「一体これは……!? 青天の霹靂ぃぃぃぃいいッ!!!!」

 

 

 ふらふら足を動かしながら、どこかへ駆け出して行った。

 最後に降りて来たのは、妙な髪型の、前の三人より歳をとった男。一段一段静かに踏みながら、二人の隣を抜けた。

 

 

 

 

 

 

「だからねぇソウゴくん? おじさんの髪は本物だって、言ってるでしょ?」

 

 

 辺りをキョロキョロ見渡し、驚いた顔。

 

 

「あれ? ソウゴくん? ソウゴくーん?……ゲイツくんもいないなぁ」

 

 

 頻りに見渡しながら、どこかへ誰かを探しに行ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 四連続で変人が降りて来たので、梨花と沙都子は固まっている。

 

 

「…………梨花、お知り合いですか?」

 

「あんな知り合いいないのです、沙都子も冗談やめるのです」

 

「……上田先生にしたって、古手神社は変な人ばかり来るような」

 

「ボクの神社を変人集会所みたいに言うのもやめるのです」

 

 

 二人はさっきの出来事を記憶から消去するよう努めながら、また階段を上がって行く。

 

 

 

 

 

 

 昭和五十八年に、また四人の異邦者がやって来た。

 

 

 

 

 

 

 

第五章 ワシらの登場

 

 

 

 

 

 

 

 歯を磨く上田と山田。狭い洗面台の前に二人横並びになり、お互い腕をぶつけて押し退けあいながら、鏡を凝視し続ける。

 時折、歯ブラシを咥えて喋りもした。

 

 

「……ジオウが妹ともども殺されたって?」

 

「えぇ。圭一さんが見つけて通報しまして……私もチラッて見ましたけど、ジオ・ウエキなんか鉈かなんかで顔をメチャクチャにされていましたよ?」

 

「……良くお前はその後、飯を食えたよな」

 

「なんと言うか、死体とか慣れちゃいましたからね。えへへへへ!」

 

 

 歯ブラシをシャカシャカ動かし、コップの水を含み、上田は排水口に向かって吐いた。

 

 

「ハーッ! そんで、妹の方は?」

 

「プハーッ! 聞いた話じゃ自殺みたいです」

 

「お前飲んだだろ」

 

「なんでも持ってたナイフで、自分の首を切っていたそうですよ。こう、イーッ!……って」

 

「なんでまた……逃げ切れないと悟り、見捨てた姉を殺した上で自殺したのか?」

 

 

 上田が疑問を口にしたと同時に、二人は揃って洗面台を離れる。

 

 

「そのジオ・ウエキの妹が、三億円事件の時に屋敷内で化けていた女みたいですね。同一人物でした」

 

「それで思い出したんだ! 実は鉄平の家からジオウの服が出て来たんだよ。恐らく、YOUの言っていた『二人目』の正体だ。免停を食らっていたのに運転してたからな、まぁた余罪が増えたぞぉ?」

 

「鉄平って誰ですか?」

 

「あぁ、YOUは知らなかったか。あいつとの鮮烈なる戦い……是非、語ってやりたい所だよ!」

 

 

 ちゃぶ台に置いていたコップに、山田はジュースを注ぐ。

 大きなペットボトルのコーラだ。

 

 

「ペプシマーンっ!!」

 

「朝からコーラか……おい、それはどうしたんだ?」

 

「ジオ・ウエキが根城にしてた作業員小屋から見つかったんですって。アレなら私たちにくれるって……」

 

 

 冷蔵庫を開くと、ペットボトルのコーラがびっしり並べられていた。

 

 

「譲って貰ったんです。十本セットやったぜ! うひょひょひょひょひょひょひょ!」

 

「作業員……まさかジオウ、ダム関係者と通じていたとはなぁ」

 

「でもそのお陰で、ダム計画を止められるって、魅音さんたち喜んでいましたよ。有名な弁護士抱えているっぽいし、今回の件で間違いなくダム計画は凍結するだろうって」

 

「まぁ、現地人を誑かして暴動を起こさせた上、金を強奪したんだ。そんな奴らのいるダム計画なんざ、任命責任含めて凍結する他ないだろ!」

 

 

 山田はコーラを、上田は牛乳を飲む。

 

 

「プハーッ! それよりだ。竜宮レナ、あれはどうなった?」

 

「クゥーッ! 結局見つからなかったですね。なので、園崎家の人たちが村や周辺地域を一斉捜索するそうですよ」

 

「これも次期頭首の器か。まぁ、それならすぐ見つかるだろ」

 

「ですねぇ」

 

「今日はどうするんだ? 綿流しまで時間はある……何が起こるか分からんが、色々調査したいが」

 

 

 そう言えばこの村、近い未来に滅んでしまうのだった。

 思い出した上で山田は、眉間に皺を寄せて彼へ疑問を投げかける。

 

 

「……そもそも、災害ではないのなら、何があって村が壊滅したんでしょうか?」

 

「それが分からないんだ。だが、火山ガスの可能性は限りなく低い」

 

「もしかして、人の手によるものだったり?」

 

「なに?」

 

「今までそうだったじゃないですか。奇跡も厄災も、結局人が起こしたものでしたし」

 

「村人全滅だぞ? 人の手によるものだったら、一体何者なんだそれは?」

 

「……園崎?」

 

「どうして園崎家が本山の雛見沢を潰したがるんだ……」

 

「ですよね〜」

 

 

 何にせよ、情報が欠乏している。ピースがあまりにも足りない。

 とりあえず現時点での推理と考察は取りやめ、上田は意気揚々と立ち上がった。

 

 

「ひとまず現状、様子見に徹する他ない。俺は入江さんの所に行って、改めて沙都子の件を報告しに行く」

 

「私もやる事ないなあ。三億円取り返したし、園崎家に金せびりに行くかー」

 

「鬼隠しの犠牲者になっても知らんぞ……」

 

「大丈夫ですって! ダムの事は終わりましたし、今回の私たちは大手柄ですから! ははっ! ざまーみろ園崎のババア!」

 

「思っても言うなッ!! 殺されるぞッ!!」

 

 

 山田は昼までゴロゴロすると言って、上田だけ外に出た。

 

 

 

 

 そこはまた別の別宅だ。前の別宅は酷く荒らされた為、今の二人は別の場所を当てられていた。

 前より若干広く、山間にある家。空気が澄んでおり、吸い込む空気が美味い。

 

 

「さぁて。鷹野さんに会いに行ってから、知恵先生に会いに行こう!」

 

 

 ルンルンとスキップしながら、山道を歩いて行く。

 途中足を滑らせ、斜面を転がり落ちた。

 

 

 

 

 

 

 軽やかな足取りのまま入江診療所に到着。

 今度は入り口で頭をぶつけた。

 

 

「鷹野さーん! 入江先生!」

 

 

 呼び掛けに応じて現れたのは、入江だけだった。

 

 

「上田教授!」

 

「……鷹野さんは?」

 

「今日は要用でお休みです」

 

「……そうなんですか」

 

 

 見るからにガッカリする上田に気付かず、入江は彼の手を固く握る。

 

 

「それより上田教授……沙都子ちゃんの件、本当にありがとうございました……!」

 

 

 沙都子の件について、改めて彼への感謝を述べた。

 そう言えば昨日は会えなかったなと、上田は思い出す。色々トリップし過ぎて忘れていた。

 

 

「いえ、私は結局、沙都子を叔父から引き剥がす事しか……聞けば、園崎魅音が色々と便宜を図ってくれたそうで」

 

「北条鉄平から沙都子ちゃんを守ってくださった。沙都子ちゃんに仲間がいると示してくれた……教授の行動で救われた事は事実です。僕は、沙都子ちゃんの何でもありませんが……感謝しております」

 

 

 深く深く頭を下げ、同時に感謝の念を深く深く表す。

 またそこから更に頭を下げ、深く深く土下座する。

 

 

「あ、そこまで下げるんですか」

 

「本当に……! 良かったです……!」

 

「頭を上げてください。先生……」

 

 

 土下座した彼を起こしてやる。上田がここに訪れたのは、入江に会いに来ただけではない。

 沙都子の事を思っている彼に、その彼女自身の事を聞きたかった。

 

 

「……診察の時間は?」

 

「九時からなので、まだ一時間もあります。もしかして、患者として?」

 

「いえいえ! 生まれてこの方、インフルにもノロにも罹った事はありませんからねぇ!」

 

「ノロ?……牡蠣の名産地」

 

「それは能登ですな」

 

 

 聞きたかった事は沙都子もとい、村八分を受け続けている北条家についての経緯だ。

 上田はいつになく神妙な顔付きで尋ねた。

 

 

 

「……沙都子の、『北条家』について聞きたいんですがね」

 

 

 事態がひと段落し、彼は本格的に鬼隠しの調査を始めるつもりだ。

 上田の話を聞いた途端、にこやかだった入江の表情が曇る。

 

 

「……上田教授も、あの事件をご存知なんですね」

 

「…………少し、歩きませんか?」

 

「え? は? 歩く?」

 

「レッツ……ウォーキンッ!」

 

 

 

 

 二人はなぜか、診療所の近くの畦道を並んで歩いていた。

 

 

「…………なんか、サスペンスドラマみたいですね」

 

「一度やってみたかったんですよ! 京都の河原を歩きながら色々質問するアレ!」

 

「京都でも河原でもないですけど……」

 

「まぁまぁまぁ。良いじゃないですか! ロケーションは最高です!」

 

 

 気を取り直し、上田は話し出す。

 

 

「北条家は沙都子の両親、それにお兄さんと叔母が亡くなった、或いは行方不明となっていますね」

 

「……その通りです。特に沙都子ちゃんのお兄さん……悟史君は僕の草野球チームのメンバーでしたから、当時はショックでした」

 

 

 消えた沙都子の兄、悟史の名前が出る。良く彼の事を知らない上田は、その悟史の人となりについて聞いた。

 

 

「悟史君って子は、どんな子だったんです?」

 

「おっとりした子でした。大人しくて、少し気弱でしたけど……とても優しい子でした」

 

「一応聞きますけど、ダム建設云々に興味とかは」

 

「そう言った話は一度も……両親が亡くなってからは、彼自身もしたくなかったのでしょうね」

 

 

 ダムには比較的無関心だったと聞き、上田は唸る。

 

 

「悟史君にはダム建設に関する思いは薄く、二人を引き取ったと言う叔母も……まぁ、北条鉄平の妻ってだけで分かりますが、無関心だったでしょうな」

 

「えぇ、間違いなく」

 

「なら、この三年目の事件の意義が分からない。既にダム賛成云々の話は子供たちには関係ない。なら、なぜ二人を『オヤシロ様の祟り』として消す必要があったのか? ダム反対の不穏分子を取り除くにしても、あまりに執拗だ! 無意味過ぎる!」

 

「……なにを、仰いたいのですか?」

 

「実は三年目のみ、鬼隠しの犯人は違うのでは?」

 

 

 彼の推理に、入江は愕然とした顔を見せる。

 

 

「それは、誰が……?」

 

「分かりません」

 

「分からない……」

 

「一、二年目は不穏分子除去と言う動機があった……この点、反対派筆頭の園崎家が限りなく黒に近い。しかし、三年目だけは執拗過ぎる……実は、園崎家と交流する機会がありましてねぇ。あそこは、無関係な者には手を下さないだろうと思ったんですよ」

 

 

 園崎家の内情を知ったからこそ、上田はこの推理が出来た。

 入江は何とも言えないと表情で示し、少し言葉を選ぶようにして話し出す。

 

 

「……村の古い人々は、そう思っていません」

 

「……はい?」

 

「ここは閉鎖的な村です。村の人たちは自然と、集団主義が根付いています……家族、繋がり、連帯責任、因果応報……」

 

「……そう言う事ですか」

 

「……親のした事は、子も同様……その証拠に」

 

 

 彼の目は冷めていた。

 

 

「……今も、古い方々は……園崎家の方も含めて、沙都子ちゃんへ村八分を敷いているじゃないですか」

 

 

 確かにそうだ。

 園崎家の行政まで動かす力さえあれば、鉄平から沙都子はすぐに離せられた……が、それを向こうは拒否していた。

 梨花も言っていた。この村は、まだ古い慣習から抜けられない者の方が多いのだろう。

 

 

「………………」

 

「……そうでしょう?」

 

「……は、ハハハッ! いやぁ、都会に住んでいると、こんな考えは浮かびませんよねぇ! おばあちゃんが言っていた。田舎は粘着系が多いって!」

 

「お婆さん都会の人間なんですか……?」

 

 

 あっさり自分の推理を撤回してから、話の軸を沙都子の家族についてに戻す。

 

 

「えーと……では、沙都子ちゃんの家族とか、知っている事は?」

 

「殆ど、沙都子ちゃんと悟史君しか……その、僕も鬼ヶ淵死守同盟に入っていましたから、表立っては交流出来なくて……」

 

「そうだったんですか」

 

「ただ悟史君が言うには……母親は何度も再婚していて、家庭環境は不安定だったようです。父親とも上手くいっていなかったとも」

 

「多感な時期にその家庭環境じゃ……沙都子には辛かったでしょうね」

 

「両親が亡くなられた後に引き取った叔父夫婦は……まぁ、北条鉄平を見たら分かりますけど、酷い方で……魅音さん達の部活、あるじゃないですか」

 

「はあ」

 

「アレ、沙都子ちゃんと悟史君の為に作られたんですよ。虐待されている二人の、心の拠り所にと……」

 

「仲間は味方でいてくれたんですねぇ。粋な奴らだぜ!」

 

 

 子供たちには村の古い悪習が根付いていない事が幸いだった。

 次にぽつりと彼から漏れたのは、後悔と懺悔の言葉。

 

 

 

「……僕が最初から彼女に寄り添っていれば、こんな不幸は無かったのかもしれないのに」

 

 

 彼にとって、沙都子の為に能動的に動いてくれた上田は恩人でもあり、同時に羨望の対象にも映ったのだろう。

 上田もどう言葉を続けようか迷い、それでも何か言わねばと口を開く。

 

 

 

 

「……あなただって、沙都子の立派な心の拠り所ではありませんか」

 

「……上田教授」

 

「そこまで彼女を思ってやれるなんて、今のあいつは幸せ者ですよ」

 

 

 ふと遠くに見えた学校を眺め、上田は続ける。

 

 

「そろそろ学校の時間か……そう言えば、オヤシロ様信仰はここ独自なんですよね」

 

「ここ以外では聞きませんね。最近は無宗教の人が多いって聞きますけど、ここは若い子もオヤシロ様を信じています」

 

 

 顎を撫でてながら語り出す。

 

 

「思うんですよ。世界には様々な宗教があります。神を信奉し、その教義に従う……今ではそれらに胡散臭さを感じる層がいますが、彼らだって一つの宗教のような物を信じている」

 

「……宗教のような物?」

 

「あの会社の製品が良い、あの作家の本はいつも傑作だ、あの先生の教え方は素晴らしい……私たちはある種の確信を抱き、様々な場面で様々な人や物を信奉しているんですよ。我々は何かを信じ、それを拠り所に生きている」

 

 

 上田はにやりと笑う。

 

 

 

 

「と、なると……この現代社会で一番の宗教は、医学ですね。誰も彼も、医者を信じてかかりますから」

 

 

 その医学のエキスパートである入江は目を丸くした後、これは上田なりの励ましだと察して頰を綻ばせた。

 

 

「……医者は神になれるって事ですか?」

 

「まぁ、そうなるかもですが! 尤も、神にならずともあなたはあなただ。信じられている限り、あなたの存在を幸せに思う人は多いんですよ……沙都子含めて」

 

 

 蝉が鳴き始める。時間が九時に迫ろうとしていた。

 

 

「またお話を伺いに上がりますよ!」

 

「是非また、気軽に訪ねてください」

 

「……あ、あとこれ、鷹野さんに……」

 

 

 去ろうとする入江に上田は、自身の代表作たる「なぜベストを尽くさないのか」を渡した。




・一円玉を作るのに三円、五円玉は七円と高め。
 十円玉はそのまま十円で作れ、五十円玉は二十円、百円は二十五円、五百円は三十円と原価の方が安い。
 また千円は十五円、五千円は二十円、一万円は三十円と、やはり原価の方が安い。実は紙幣よりも、一円玉と五円玉を作る方が赤字になる。

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