TRICK 時遭し編   作:明暮10番

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6月9日木曜日 時を越えた二人
鳴く頃


 照り付ける。

 

 風が吹く。

 

 川がせせらぐ。

 

 青葉が揺れる。

 

 雲が流れる。

 

 夕立が起きて、

 

 嘘のように止む。

 

 そして鳴き出す、

 

 ひぐらしたち。

 

 

 

 

 

 蒸し返す暑さの中を、風が駆け、心地良さを与える。

 

 風は葉をざわざわと鳴らし、大きな入道雲を呼び込んだ。

 

 黒い雲は雨を滝のように降らせて、飽きっぽく止めてしまう。

 

 濡れた草の隙間を光風が抜け、驚いて声をあげるは小さき者たち。

 

 

 光を浴び、短い命を、嘆くように。

 

 

 

 

 

 

 

 変わらない景色。

 

 変わらない音色。

 

 変わらない感覚。

 

 変わらない運命。

 

 

 また、やって来た。

 

 ひぐらしがなく頃に、戻って来た。

 

 

 

 キキキキキ………………

 

 キキキキキキ………………

 

 

 

 

 

 

第一章 時を越えた二人

 

 

 

 

 

 

「う……う〜……」

 

 

 脳までつん裂くような、喧しいアブラゼミの鳴き声に叩き起こされる。まず薄く目を開け、一度二度瞬いた。

 

 

「い……いたたたたた……」

 

 

 ズキズキと痛む頭を押さえながら、上半身を何とか起こす。

 思考はぼんやり霞んでいるかのようだが、辺りに注意を払える程度の意識はある。

 

 

 

「……あっつ!!」

 

 

 まず感じたのは蒸し風呂の中にいるような暑さ。羽織っていたダウンを急いで脱ぐ。

 

 

「なんだこれ……ペッ! ペッ! うぇ……木屑食べちった……きったなっ!」

 

 

 ゆっくり立ち上がった折にやっと頭が冴え始め、ふと気が付いた。

 懐中電灯で視界を確保していたほど暗かったのに、祭具殿内はいやに明るくなっていた。

 

 

「……え? 朝まで寝てた?……てか、あっつ! なに? 火事?」

 

 

 火の熱さと言うより、まるで夏の燦々とした陽光を浴びているかのような陽の暑さだ。

 今は冬だよなと思っているだけに、とうとう自分がおかしくなったのかと疑ってしまう。

 

 

 

 

「……あれ?」

 

 

 折れて頭に降って来たハズの柱は無く、綺麗な状態の神輿が堂々と立っていた。

 振り返ると、あの仏像。片腕がないのは相変わらずだが、手前に置いてあった木箱が無い。

 

 

「てか……なんか……」

 

 

 全体的に堂内が綺麗に見えた。

 古ぼけて埃っぽいのは変わらないが、もっと廃墟同然だったハズと想起する。

 

 

「……上田〜?」

 

 

 相方の名前を呼ぶも、返事は無し。

 何度か声に出すが、返事が返って来ないので呼ぶのを止める。

 

 

「あのヤロー、まだ寝てんのか……」

 

 

 悪態吐きながら歩き出し、神輿を通り抜け、彼が気絶していた場所へ行く。

 

 

 

 しかしそこに上田はいない。

 更に言えば、落っこちていたハズの「古手梨花」の書道作品が、元通り額縁に飾られていた。

 

 

「……遠山の金さん」

 

 

 意味不明な事を呟き、額縁の前に行く。

 

 微かに埃を被っているものの、傷一つ無く、比較的新しい。

 劣化で若干霞んでいた墨の字も、くっきり見える。明らかにさっき見た物よりも、幾分か新しい。

 

 

「……おかしい」

 

 

 そう言えば神輿にも、過度な腐食がない。古ぼけてはいるものの、それなりの管理が為されている程度には綺麗だ。

 数々の違和感に気付き、不安を抱いた彼女は急いで祭具殿を出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白い玉砂利に、こんこんと清らかな水を流す手水舎、繁る鮮やかな青葉の木々。

 そして荒廃とは程遠い、厳かで堂々とした拝殿。

 

 

「…………は?」

 

 

 それよりも彼女の目を奪ったのは、空。

 

 

 照り付ける陽光、心地良さを感じる風、高い空と入道雲。

 肌を焦がすような暑さの感覚。

 そして一層喧しい、蝉時雨。

 

 

 

 

 

 年の瀬だったハズの世界は、夏に逆戻りしていた。

 

 

 

 

 

 

「……はああああああ!?」

 

 

 山田はこの頓珍漢な状況に、叫ぶしかない。

 その叫びに驚いたアブラゼミが一匹、どこかへ飛んで逃げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『鬼ヶ淵死守連合・雛見沢じぇねれ〜しょんず』

 

「ダムは〜ムダムダ〜!」

 

「「ムダムダ〜!」」

 

 

 山田の前を、「ダム建設反対」の旗を掲げた集団が通り過ぎて行く。

 彼女がいたのは神社を降りて少し歩いた先、駄菓子屋の前。

 

 

 

 

「……どーなってんだ……!?」

 

 

 ここはとっくに廃村になっている為、自分たち以外の人間がいる時点でおかしい。

 通り去るその集団を、まるで幽霊でも見るかのような愕然顔で見送った。

 

 

 放心状態の山田の後ろから、駄菓子屋の店主である老婆が話しかける。

 

 

「カンカン棒、食うかい?」

 

「……それ、チューチューじゃ?」

 

「チューチュー? なんでぇ。おんし、ヨソモンかいね……なんつー格好しとるか。今、夏やど?」

 

 

 呆れ顔の老婆が親切にもチューペットを差し出した。

 少し躊躇したが、がめつい山田はそれを受け取った。

 

 

「あ、ありがと、ございます」

 

 

 チューペットを口に含む前に、溢れる疑問に耐えきれず山田は質問する。

 

 

「……あのぉ、聞きたいんですけど」

 

「なにか?」

 

「今って……何年の、何月何日ですか?」

 

 

 山田の質問を聞いて、店主はまずキョトンとする。

 

 

「暑さで頭おかしなったか?」

 

「んな訳ないじゃないですか!」

 

「貧乳だし」

 

「貧乳関係ねぇだろっ!?」

 

 

 コンプレックスを指摘されて怒り狂う山田。

 店主は怪訝に思いながらも、これまた親切に教えてくれた。

 

 

 

 

 

「六月の九日。んで、一九八三年の昭和五十八年やろ」

 

 

 

 

 間違いなく、今の自分は三十五年前の雛見沢村にいる。

 あまりの衝撃事実に、寧ろ現実味が持たずに大声で驚き喚く気力が出てこない。

 

 

 

 

「……マジか」

 

 

 気持ちと反面に、淡白な態度を取ってしまった。

 茫然自失のままチューペットを口を付ける。すると老婆が手の平を差し出した。

 

 

「はい、お会計」

 

「……え!? 商品だったんですか!?」

 

「十円」

 

「たっか」

 

 

 お金を寄せ集め、十円を払う。もうガマ口の中は空っぽだ。

 

 

 

 

 

 

 押し売りされたチューペットを手に持ち、腕にダウンを掛け、茹る暑さに顔を顰めながら村を歩く山田。

 

 

「絶対おかしい……いや、おかしくない訳ないが……それより上田どこ行った……」

 

 

 チューペットを啜ると、甘いイチゴ味が口に広がる。

 頰や首筋にそれを当てて冷やしたり、袖で汗を拭いながら、消えた相方を探す。

 

 

 村内の共用掲示板を発見し、ちらりと見た。

 

 

『六月十九日・綿流し 雛見沢村青年会』

 

『ダム建設に、あり〜べでるち 雛見沢じぇねれ〜しょんず』

 

『鬼退治、ご相談ください 鬼殺隊』

 

 

 どれを見ても消えた村、「雛見沢村」の文字がある。

 間違いなく、ここは本物の雛見沢村だ。

 

 

 

 

「……夢かなぁ」

 

 

 自分は気絶して夢でも見ているのだろうと思い立ち、チューペットで顔をがしがし叩く。

 

 

「ほっ! 目覚めよ! フランチェーン!」

 

 

 何度も何度も、現実を受け入れられずに顔を叩く。

 少しこの熱波に浮かされているのか、変な言葉も添えて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 丁度その頃、二人の男女が近くを歩いていた。

 中学生くらいの少年と少女で、紙を広げて難しそうな顔をしている。

 

 

「んんん〜? ここじゃないのかぁ!?」

 

 

 唸る少年の隣で、メモ用紙に筆算を書いて何か計算をしている少女。

 

 

「一二九七?……一二九二? それとも全部……う、うん?」

 

「……これじゃあいつの行きそうな所巡ってるだけになるよな……やっぱ解くしかねぇかコレ」

 

「もうワケワカメ。圭ちゃん解いて。おじさん、お手上げ! 万歳!」

 

「全く役に立たねぇ……」

 

 

 何やら謎解きゲームの類をしているようだ。

 少年はその問題が書かれた紙に指差し、話す。

 

 

「この、二と三だけ……なんでカッコついてんだろな?」

 

「んー……ヒント、なんて言ってたっけ?」

 

「これまた数字だ……『五十』」

 

「お手上げ。万歳」

 

「諦めんなよ!?」

 

「駄菓子屋でカンカン棒買おっと」

 

「おい!? おーい!? 待てってオイ……はぁ。聞いてねぇし……自由過ぎだろあの馬鹿……」

 

「今馬鹿って言った?」

 

「なんで悪口は聞こえんだよッ!?」

 

 

 駄菓子屋に行こうと角を曲がった時、二人は奇怪な光景を目の当たりにする。

 

 

 

 

 

 

「フランチェーン! フランチェーン!」

 

 

 奇声をあげながら掲示板の前にて、チューペットでひたいを叩く、やけに厚着の女。

 そんな不気味な光景に二人揃って真顔となり、思わず同時に一歩後退る。

 

 

「……ちゅ、チューチューで叩いてる……」

 

「カンカン棒でガンガン叩いてんね。え、怖い……」

 

「……あーゆーの、お前、慣れっ子だろ?」

 

「さすがに本物の狂人はちょっと……」

 

「てか、フランチェーンってなんだよ」

 

「あの人でしょ。賞取った人」

 

「『アインシュタイン』だそれは!! お前が言いたいのは『フランケンシュタイン』だろ!!」

 

「……賞取ったってだけで良く分かったねぇ」

 

 

 チューペットを叩く女へと、二人は恐る恐る近付く。不気味ではあるが、好奇心の方がまだ勝っている様子。

 少女の方が目を凝らし、見覚えはないかと女の顔貌を確認した。

 

 

「……知らない人かな。おじさんは見た事ない」

 

「お前が知らなかったら俺も知らねぇよ」

 

「……声かける? 無視する?」

 

「その二択なら後者だ」

 

「こうしゃ? 学校に戻るの?」

 

「『校舎』じゃない」

 

 

 ボソボソ話し合いながら近付いたばかりに、女はとうとう二人に気が付いた。

 チューペットでひたいを叩く奇行を止め、ジィーっと二人を見やる。

 

 

「………………」

 

「「………………」」

 

 

 目が合ってしまい、互いに気まずくなる。

 五秒間ほど沈黙した後、少年から恐る恐る挨拶をした。

 

 

「……ど、どうも〜……い、いやぁ……暑いですね……?」

 

「……こんばんわ」

 

「……昼ですけど……」

 

 

 向こうは自分の奇行を見られたと気付き、恥ずかしくなったようだ。イソイソと身支度を整え、その場を颯爽と離れようとした。

 

 

 

 だが急ぎ過ぎて、腕にかけていたダウンを地面に落としてしまう。

 

 

「あっ!」

 

 

 涼しげな急風が吹き、ダウンはひらっと少し舞い、彼女より離れた。

 彼女の手を離れて道に落ちたダウンを、通りかかった自転車が踏む。

 

 

「今年はぁ、巨人は負けたな」

 

「………………」

 

 

 野球の文句を言いながら、おじさんはダウンに気付かず自転車を漕いで去って行く。

 白いダウンの上に、茶色い線が出来た。

 

 

「………………」

 

 

 苛立たしげな表情で腰を折り曲げ、渋々拾おうとする。

 

 その時に溶けたチューペットの中身が、ドロっと飲み口から下へ零れる。

 今度はダウンに、桃色の模様が出来た。

 

 

「………………」

 

 

 さすがに哀れだと感じたのか、少女は気を遣って励ましの声を掛けた。

 

 

「え、えと……さ、災難だったね! ま、まぁ、こんな日もある! うん! おじさんもそうやって日々成長して来て…………うん! こんな日もある!」

 

「お前言葉思い付かなかっただろ」

 

「………………」

 

 

 全てに諦めたような顔でドロドロになったダウンを拾い、不機嫌そうに彼女は二人へ振り返る。

 

 

 

 その女とは、山田の事であった。

 

 

「……なんですか。星占いじゃ良いって出てたのに……」

 

「見ない顔だけど、村の人じゃないよね?」

 

 

 まだ彼女を危険人物だと見做しているのか、少女はややおよび腰で質問する。

 だが一瞬の気の迷いでああなっていたものの、山田は普通にまともだ。質問に対してはすんなり答えた。

 

 

「……えぇ。その……東京から来まして……」

 

「……え!? 東京!?」

 

 

 次に反応したのは少年だった。

 

 

「あの、俺も東京からここに引っ越して来たんです」

 

「ほぉ! 圭ちゃんと同じ!? なになに? 雛見沢って、実は東京でブームなの?」

 

「はぁ……」

 

 

 最近の子どもはドライと聞いたがとよぎったが、ここはだいぶ過去の世界と思い出す。昭和の子はフレンドリーなんだなと山田は思った。

 

 彼女が自分と同じ東京の人間だと知った少年は、警戒心を解いて話しかける。

 

 

「でも東京から、何しに? 旅行ですか?」

 

「綿流しにしては早過ぎるもんね?」

 

「えと……まぁ、あの……」

 

 

 まさか未来から来たなんて言えない。暫し言い澱み、口から出まかせを吐く。

 

 

 

 

「自分探し……?」

 

 

 山田は言わなきゃよかったと思ったし、二人も聞かなきゃよかったと思ってしまった。反応に困り、二人は山田の前で微妙な笑みを浮かべる。

 

 

 その痛々しい視線を受けるのが厳しくなった山田は、はぐらかすように質問をする。

 

 

「……そ、そう言う二人は!?」

 

「あ、私たちは」

 

「デート?」

 

 

 デートと山田に言われて少女は一瞬表情が固まり、次に真っ赤になった。

 

 

「んぇ!? いや、あの、でで、デートじゃ、デートじゃないない!!……そ、その、えっと……でも、そう見えるのかなぁ〜なんて」

 

「いやいや。こいつと謎解きゲームしてるんです」

 

「………………」

 

 

 恨みがましく睨む少女を無視し、少年は紙をペラっと山田に見せた。

 

 

 

『19「2」4037「3」1238』

 

 

 

 数字が横並びに羅列して書かれており、二と三だけがなぜか括弧されている。

 意味が分からずに山田は首を傾げる。

 

 

「……なにこれ?」

 

「お宝探しです。この数字が、村のどっかを表しているみたいで……」

 

「足しても引いても、語呂合わせにもならないし……括弧入った二と三が分からないんだわ」

 

 

 諦めたように肩を竦める少女の前で、山田は真剣に考え込む。

 

 

「んー……ヒントとかはありますか?」

 

「『五十』ですって。んだけど、これが何なのか俺らにはさっぱり……」

 

 

 メモ紙を見て、少年からヒントを聞き、眉に皺を寄せていた山田。

 

 次に小声で何かを呟きながら、何かを数えるように指を折る。

 どうしましたかと少年が聞く前に、彼女はやっと眉間の皺を離す。

 

 

 

 

「五十ってこれ……『五十音』の事じゃないですか?」

 

 

 山田はしゃがみ、砂の地面にチューペットの先で文字を書いて行く。

 二人も合わせてしゃがみ、その文字に注目する。

 

 

「あ、い、う、え、お、か、き……」

 

 

 つらつらと山田は五十音を書き出して行き、最後の「ん」まで到達する。

 

 

「この紙に書かれているのは、五十音順を数字にしたもの。数字を五十音に当てはめれば……」

 

「……あ! あーっ!! そう言う事か!?」

 

 

 気付いたようで少年は声を上げる。

 

 

「19は……五十音で『て』!」

 

「……ああ! なるほど!『レナ』も考えたなぁ!」

 

 

 少女も理解したらしく、感心したように手を叩いた。

 続けて山田は解説を入れる。

 

 

「括弧が付いているのは、それ単体の数字と言う意味です。その他は二桁で一つの数で……」

 

 

 山田は地面に書いた五十音表と数字を当てはめて行き、それをまた書き出して行く。

 

 

 

『19「2」4037「3」1238』

 

『19・2・40・37・3・12・38』

 

『て「い」りゆ「う」しよ』

 

 

 

 停留所。

 答えが判明し、二人は歓喜の声をあげて立ち上がる。

 

 

「停留所! この村で停留所は一つだけ!」

 

「村外れのだな!? いや! お姉さんマジ凄いです……!」

 

 

 あまり褒められ慣れていない山田は困ったように頭を掻き、照れくさそうに笑う。

 

 

「えへへへへへ!」

 

「おおう……こ、個性的な笑い方っすね……」

 

 

 感動したりドン引きしたりと、二人忙しない。

 

 ともあれ役目は済んだと山田も立ち上がり、上田探しを続行しようとした。

 しかしどこかに行く気持ちを悟った少女が、山田に握手を求めて引き止めた。

 

 

 

「私、『園崎魅音』! こっちは『前原圭一』!……ねぇ、村を案内するから付いてこない?」

 

 

 差し出された手を無下にする事が出来ず、おずおずと握る。

 それを少女──「園崎 魅音」は了承の意思だと受け取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃の上田次郎。

 実は彼は、祭具殿から一歩も出ていなかった。

 

 

 

 

「……うはぁ!?」

 

 

 悲鳴をあげながら勢いよく起き上がる。

 彼が寝ていたのは、神輿の上。そこは山田からは死角となり、気付かれなかったようだ。

 

 

「は!? 山田!? 山田ぁ!?」

 

 

 一緒に横たわっていた次郎人形と鞄を拾い上げ、神輿から飛び降りようとする。

 しかし長身の彼は天井に頭をぶつけ、足がもつれ、真っ逆さまに床へ落っこちた。

 

 

 それでも再び立ち上がり、出口の方を見た。

 開きっ放しの戸口の向こうから、陽光が上田の顔へ差している。

 

 

「……朝か? と言うか……あつ!」

 

 

 蒸し返すような暑さに耐えきれず、上着とベストを脱ぐ。

 次郎人形と鞄をとそれらを抱えながら、大急ぎで祭具殿から出た。上枠に頭をぶつける。

 

 

 

 

 

 

 目の当たりにしたものは蝉の合唱と、青い葉。そして、綺麗な境内。

 廃墟となっていたハズで冬だったハズの景色が、様変わりしていた。

 

 

「……? まだ、寝ているのか? はぁあ!」

 

 

 彼もこれは自身の夢だと疑い、手を前に突き出して謎の構えを取る。

 

 

 

 

「目覚めよ……その魂……!」

 

 

 両手を腰に当てて、目を開ける。

 景色は変わらない。どうやら目も頭も覚めているようだ。

 

 

「……ど、どうなってんだ!? これは……!?」

 

 

 事態の理解が追い付かず、辺りを頻りに見渡してひたすら混乱。

 取り敢えずいなくなった相方を探そうと、祭具殿に戻る。上枠に頭をぶつける。

 

 

「山田ぁ! 山田ぁ!? 山田奈緒子ぉ!?」

 

 

 祭具殿にはいない。

 自分より一足先に出て行ったのかと思い、また外に出る。上枠に頭をぶつける。

 

 

 

 

 

 

 

「祭具殿の鍵かけ、忘れていたわ……」

 

 

 急いで神社への階段を駆け上がる、小学生くらいの少女がいた。

 長めの紫の髪を靡かせ、テテテと駆ける。

 

 

 

 

 その時、茹る暑さと喧しい蝉時雨の中で、奇怪な声を聞いた。

 

 

「貧乳ー! 貧乳ーっ!!」

 

 

 思わず足を止める。

 最初は後ろの道からと思ったが、信じたくない事に自分の神社から声はした。

 

 

「どこだ!? 貧乳ーーーっ!!!!」

 

「……ヤバい奴が参拝に来てる……」

 

 

 本能的に危機感を抱き、途中まで登っていた階段を今度は降り始める。

 だが声の主は鳥居を抜けて、颯爽と彼女の視界に現れた。

 

 

「くそぅ! 肝心な時に役に立たない奴め……!」

 

 

 階段を駆け下り、大粒の汗を流しながら、声の主である巨漢がやって来た。

 びっくりした少女はつい足を止め、男との邂逅を許してしまう。

 

 

 

 

 

 視線を下げていた上田と、少女の目と目が合う。

 鳥居の下、晴天の青、入道雲が俯瞰している。

 蝉が鳴く中、顔を合わせた二人。

 

 

 暫く見つめ合い、上田の方から、話しかけた。

 

 

 

 

 

 

 

「君の名は……!?」

 

 

 

 

 

 彼女にとってこれが、運命の出会いでもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 山田は知り合った、村の住人である魅音と圭一に連れられて雛見沢村を歩いていた。

 停留所までの道中にある、色々な場所を魅音に案内して貰う。

 

 

「この川を上っていったら『鬼ヶ淵』って沼に付くよ。この村はその沼から流れる小川の谷間にあるって訳」

 

「殆ど自然ばっか……」

 

「お店とかそう言うのは興宮に集中してるからねぇ。どう? 気に入った?」

 

「まだ来てそんなにだから分からないんですけど……」

 

 

 見渡す限りの田畑と自然。遠くで納屋の水車が回り、田圃に張られた水の上をアメンボが滑る。

 深緑に満ちた森の向こう、遥かまで山々が連なって、更にその向こうより入道雲が蒼天の中から顔を出す。

 

 

 まさに日本の原風景とも言える景色。自然と心は穏やかとなり、山田は微笑みながら述べた。

 

 

 

 

「……良いですね、とても。お婆さんになったら、ここに住んでみたい」

 

 

 とんでもない状況に飛ばされたとは言え、今ある景色のお陰で落ち着けそうだ。

 山田は本心からそう思えた。

 

 

 

 

「ええと……山田さん、でしたっけ?」

 

 

 圭一がおずおずと話しかける。

 

 

「なんですか?」

 

「いやぁ。ずっと敬語ですから。俺ら、山田さんより歳下ですから、タメでも構いませんよ?」

 

「そうそう! それに山田さんは村にとってもお客様! ドーンと構えても良いって!」

 

「お前は構え過ぎなんだよ!」

 

 

 二人の会話を聞いて山田は何も答えず、愛想笑いだけ見せた。

 

 

 

 山田は友達が少ない……と言うよりいなかった。

 言いたい事をガンガン言う性格の上に、元から感情が希薄なタイプだった。

 

 

 つまりは人との距離の掴み方を知らない。だから敬語になっている。

 そんな事言って場を白けさせたくない山田は、はぐらかすぐらいしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

「……あ」

 

 

 朗らかだった魅音の表情に翳りが。

 それに気付いた山田と圭一が彼女の視線を目で追う。原因はすぐに、二人にも見えた。

 

 

 

『鬼ヶ淵死守連合・雛見沢じぇねれ〜しょんず・ほえば〜』

 

『雛見沢を愛してくれたあなたへ』

 

 

「ダムは〜、ムダムダ〜!」

 

「「ムダムダ〜!」」

 

 

 過激な文言が書かれた看板や旗を掲げ、数十人ほどの集団が畑道を並んで歩いている。

 山田も駄菓子屋前で見た、ダム反対を謳う者たちだ。

 

 

「……あー……気持ちの良くないもの見せちゃった?」

 

 

 魅音は申し訳なさそうに山田に聞く。

 

 

「ダムの工事があるんですか?」

 

「雛見沢村を丸ごとダムにする計画があってさ……昔からあったけど、ここ数ヶ月で突然、話が進められてね。もしかしたら本当に村が無くなっちゃうかもってさ」

 

 

 圭一も腕を組んで厳しい顔付きになる。

 

 

「俺もどちらかって言うと反対ですけど……デモで逮捕もされたり、怪我人も出したりしてますし……やり過ぎな気もするんスよね」

 

 

 ダム建設云々の話を知らなかった山田は、参考程度に聞いていた。

 そう言えば廃墟後もダムは建てられていなかったなと思い出す。

 

 

 

 

 デモ集団が前を通り抜けるまで、三人は暫し待つ事にした。

 待っている間、山田は思い出したように、探し人である上田の事を二人に聞いた。

 

 

「そうだ。あの〜」

 

「ん? どしたの山田さん?」

 

「人探しているんですけど。こう、背が高くて、もじゃもじゃ髪の、髭生えた性格悪そうな男の人見ませんでした?」

 

 

 魅音と圭一は同時に首を傾げる。

 

 

「いやぁ〜おじさんは……圭ちゃん見た?」

 

「俺も見てないな……お役に立てなくてすみませんね?」

 

「いえ、大丈夫です。そんなに優先してませんので」

 

 

 とは言うが、やはり上田の事は心配だ。もしかしたら自分一人が、ここに飛ばされたのではと不安にもなる。

 

 

 

 

 ぼんやりそう考えている最中、集団の声が一際大きく響いた。

 

 

「ダムは〜、ムダムダ〜!」

 

「「むだむだー!」」

 

 

 三人の後ろで、いつの間にか集まっていた幼児たちが真似した。

 それに呼応するように集団も声を張る。

 

 

「「ムダムダー!」」

 

「「むだむだー!」」

 

「「ムダムダー!」」

 

「「むだむだー!」」

 

 

 シュプレヒコールに挟まれ、自分たちも言わねばなるまいと言う強迫観念にやられた山田は、意を決して叫んだ。

 

 

 

 

「む、ムラムラーっ!!」

 

「ムダムダですよ! 山田さん!」

 

 

 集団と幼児たちは白けた顔をして離れて行った。

 

 

 

 

「ムラムラーっ!!」

 

「まだ言うんスか!?」

 

「ムッシュムラムラーっ!!」

 

 

 山田の奇妙な山彦が村に響く。




・1983年のセ・リーグは巨人が優勝する。

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