空の境界 偽典福音/the Garden of false   作:旧世代の遺物

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  不定期更新です 
  今回は短編です


3/伽藍の洞 -The hollow shrine-
偽典福音/0


一九九七年某日

 

「久しいな。此処の住み心地は如何なものかな」

「久しぶりだな、荒耶さん。そうだな、造形や装飾は悪くないがいかんせん疲労が溜まる。床は傾いているし、妙に目に悪い塗装と照明をしてやがる。どうなってんだよここ」

 

 その返答に荒耶と呼ばれた男は珍しく皮肉げに嗤って言葉を紡ぐ。

 

「当然だ。此処は元より神殿。敢えて負担となる構造にしておくことで儀式を円滑に進めているのだ。その様では、無駄ではなかった様だな」

 

 その言葉には僅かながら喜色が浮かんでいるのが見て取れる。常人ならばこの荒耶という男の感情の起伏になど気付く事はないであろうが、彼と対面している青年は須く常人などではない。

 

「おいおい、俺の部屋ぐらいまともにしてもよかったじゃねぇか」

 

 荒耶とは対極に青年は不平を口に出す。青年は荒耶の徹底した合理性に不満を抱いている様でもあった。

 

「詮方なき事だ。もう居住者の枠は埋まっている故、空いた東棟の一室を使って貰う他無かった」

「そっか、なら仕方ないか。それより本題に入ろうぜ。まさか''顧客満足度アンケート''の為だけに態々呼びつけたワケ無いよな?」

「無論。この装置を起動する為にお前を呼んだのだ」

 

 青年は机に置いてある装置を目にするとその珍妙さに目を瞬く。

 それは頑丈な金属で造られた幾何学模様が描かれた匣であり、何故か内側に向かって映写機が取り付けられていた。

 

「なんだ、これ」

 

 当然彼は困惑する。

 この様な用途も分からないある種の芸術品じみた装置を起動すると言ってもどうすれば良いのか検討もつかないからだ。

 

「そうだな、この絡繰自体に意味など無い。だがもし事を仕損じた時に保険となるやも知れぬと思い製作したのだ」

「保険? こんな置物が? それに起動すると言っても俺は魔術師じゃないから分からねぇ」

「案ずるな。起動自体は条件を満たせば自動で行われる。必要な事項は管理者と観測者の登録のみ」

「登録ねぇ。正直、少しもピンと来ないがまあやる事はやるさ」

「この手続きはその''世界''に於いて私とお前に自我を持たせる為に必要な事だ。設定された以上の自我を持てぬ様では意味が無いからな」

 

  ──世界、装置、管理者と観測者、──匣。

 それらの単語は彼にこの匣が一体何を行う装置であるのかを推測させるには十分すぎた。

 

「まさかとは思うが、この匣ってのは」

「おそらくお前の想定している通りの物だ。起動条件は私の死亡が確定することのみ。その閉じた世界の中に在っても抑止力の影響を受ける事は避けられん。故に抑止力の影響を受けずして活動できるお前が必要なのだ。観測者として、記憶を消される事のない確固たる自我を持つ存在。その役割をお前に担って貰う為に登録が必要なのだ」

「……なるほど、面白いじゃないか。そういう事一度はやってみたかったんだ。まあ、条件からして起動することはないんだろうけどな」

「だからこそこれはあくまでも保険に過ぎぬのだ。最早この螺旋が完成した時点で抑止力は機能しない。故に我らの計画が失敗する事などあり得ぬ。これは無駄ではあるが、同時に必要でもある。…説明は此処までだ。早速取り掛かるとしよう」

 

 そうしてその世界は開闢を迎えることとなる。

 だが、彼らはまだ知らない。

 その世界こそ最後の決戦の地にして、同時に彼らの墓場でもあるという未来を。

 

 これは、一つの虚構の始まりにして終わり。

 あるいは無価値なる偽物への福音。

 

 匣は、ただ静かに待っている。

 ────その閉じた世界、そしてこの偽典(ものがたり)の運命の終焉を。

 

 

    ◇

 

 

 一九九八年六月

 

 東京都三布子市。

 何一つ変わることのないようで、その実忙しない変化を遂げつつある日常の中、一人の青年が街を逍遥していた。

 彼の名は白純里緒。社会的には既に消えた人間である。

 それもそのはず、一九九五年から翌年三月に掛けて連続殺人事件が発生した時期に失踪しているのだから。

 故に彼の生存を信じる者は極僅かな一部を除けばいる筈もなかった。

 何故そんな彼が今雑踏の中、新聞を手にベンチに座り込んでいるかと言うと、理由はあまりなかった。

 

 里緒はこの二年間の間、特に大きな行動を起こす事はなかった。

 代わりに学んだ事と言えば。

 

 結局、俺なんて居ても居なくても変わらないらしい。

 

 ただ、それだけの二年間だった。

 無論、彼とて無為に日々を浪費していた訳ではない。

 自身が師と仰ぐ人物の元で自己のあらゆる能力を引き出す修行を受けてきたし、極秘にヒトの''起源''に干渉する手管を学ぼうと研鑽を積み重ねてきた。

 だが、それでも。

「……連続殺人が起きなくなったってだけで、直ぐにでも俺を忘れちまうなんてな」

 

 両儀織が眠りに就いてからというものの、連続殺人は突如として止み、街は平穏な日々を取り戻していた。もはやあの事件を気に掛ける者など遺族を除けば居なかった。

 ……それが、彼には何よりも苛立たしくて、何よりも虚しかった。

 

 嘗て、殺人鬼の師である荒耶宗蓮は言った。

 

『この世界にはありとあらゆる死で満ちている。幾ら屍を生んだ所で、所詮は無間に等しい時間とそれを上回る屍の内に埋もれるのみよ。お前の為してきた事など、天に唾するに等しいものでしかないのだ』

 

 それに加え、『だが、必要な事ではあった。お前の力があってこそこの世界を変革する事能うのだからな』と言われたものの、過去の自分の行動を覚えていてくれる人間が殆ど居ないという状況はやはり虚しいものだった。

 

 ──今頃、家族はどうしているのだろうか。

 唐突に、そんな想いがアタマの内を過る。

 彼は薬屋の息子であり、将来はとても明るい筈だった。

 だが、彼を囲む世界の人間は誰も彼も富と名声に固執する者ばかりであった。

 勿論、両親とて例外ではなく、彼にはただ結果を出す事ばかりを求めていた。親戚や教師もまた同様だった。

 そんな世界を彼はただ冷めた目で見つめていた。

 

''どうしてこの人達はそんなにつまらない幻に縋りつくのだろう? 僕もいつかこんなに浅ましい人間になってしまうのだろうか?''

 

 それでも彼には、ただ従う他にはなかった。それは彼自身の弱さだったのかもしれないし、強さだったのかもしれない。

 そうやって無意味に日々を過ごしていた時、とある人物が現れた。

 

 そう、両儀織その人である。

 彼の存在は、里緒にとっては革命にも等しいものだった。

 何も求めず、何も憎まず、何も愛さず、何も望まない。

 その虚無にも似た無駄の無い在り方は正しく''特別''そのものだと確信した。

 

 その時里緒は、初めて人を心から美しい感じることができた。初めて人に憧れを持つことができたのだ。

 だが、誰とも関わりを持ちたがらない織と交友を持つ事は至難の技でもある。

 そうして仲間を探している内に、里緒はもう一つの運命と出会う事となる。

 

 黒桐鮮花。里緒と同じ、特別の探求者だ。

 彼女は織とは対照的に、友好的な人物であった。 

 彼女と話して初めて人と関わる事が喜びに満ちた事だと知った。

 自分は一人ではないのだと孤独を遠ざける事ができた。

 そうして何時しか、里緒は鮮花に対して恋慕の情を抱くようになっていった。

 彼女は自分と同じで、特別なモノ、不変の価値を望む者であると確信した為である。

 だが、悲しいことに彼女にとっての特別は織以外にはありえなかった。

 そう、鮮花が特別の探求者である以上、同類である自分ではなく理想の体現たる織を選ぶのは必然であった。

 

 彼は絶望した。

 自身の理想にすら敗れ、同類であると信じた者すら贏ち得なかった。

 

 そうして、彼は正しいと信じた道を選んだ。

 その結果、今まで生きてきた世界の全てを捨て去り、今に至った。

 ──果たして、あの選択は正しかったのか?

 答えはただ、彼自身が決める他なかった。

 

 あの瞬間、白純里緒は死んだ。 

 黒桐鮮花も両儀織も手に入れられないと解った以上、白純里緒は不要な存在となった。

 だからあの時、半ば自暴自棄に行動を起こしてしまった。

 だが、何の因果か彼に手を差し伸べる者が現れた。

 魔術師、荒耶宗蓮。そう男は名乗った。 

 彼と出会った事で漸く自分は特別になる道を見出した。…求めていた理想へと走り出せたのだ。

 そう考えると、あの場で彼の手を取った事、それ迄の世界と決別した事は間違っているとはとても思えなかった。

 

「まあ、どうでもいいか。あんなくだらない世界で生きる連中なんて」

 

 そう、事実彼にとっては家族なぞ最早気にかける存在ではなかった。

 ただ、それでも。

 

「……こんな姿で、会える訳ないじゃないか……」

 

 なんてつまらない、なんて意味のない、感傷。

 それは、彼もまだヒトである証明なのかもしれない。

 

 ──それよりも。

 

「両儀…黒桐…早く会いたい…」

 

 自分は強くなった。自分は特別になった。

 だからこそ、特別と信じた二人に会えない事が悲しい。

 そしてそれは、新たに生まれた弱さだった。

 

「それでも、俺は待ってるよ。だから…」

 

 ──どうか、俺を失望させるなよ?

 

 それだけが、彼の望みだった。

 その哄笑と共に彼は新聞をゴミ箱に放り込み、雑踏へと消えていく。

 行き先は無論、『相克する螺旋』である。そこだけが、彼の家なのだから。

 

 ──両儀織、未だ目覚めず。

 




 お読み頂きありがとうございました。
 今回は最終章への伏線と先輩の内面を少しだけ描写した短編です。
 できる限り更新頻度は保ちたいと思っています。
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