空の境界 偽典福音/the Garden of false   作:旧世代の遺物

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 一ヶ月もの間待たせてしまい申し訳ございません。


伽藍の洞/2

 

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 経過報告  一九九八年 六月一四日

 

 両儀織が目を覚ました。

 多少精神的に不安定かつ記憶に混乱が見られるようだ。

 記憶には損傷が見受けられ、私の事は具体的には覚えていないらしい。

 この様子では二年前のお前との交流は全て忘却している事だろう。

 だが安心しろ。記憶が復元すれば奴はお前のことを思い出す筈だ。

 その為の駒はもう絞ってある。後は彼らと接触すれば計画は始動する。

 ゴドーワード及びコルネリウス・アルバとの接触はもう済んでいるな? 次にお前が接触するべき者は浅上藤乃だ。まだ覚醒させるには時期尚早だが機会があれば近付くが良い。

 彼女の本質は両儀と同じ殺人鬼だ。お前も気に入るに違いない。

 私はもう少し両儀を観察する必要がある。私が居らずとも、必ずや成せ。良いな?

 

 

    ◇

 

 

「ふん、相変わらず仰々しい書き方をする奴だと思わないか? アルバさん」

 

 金髪の青年、白純里緒は報告書を手に取りつまらなげに呟く。

 口調とは裏腹にその顔は歪な笑みに満ちていた。

「その割には随分と嬉しそうではないかね? シラズミ」

 

 その言葉に反応したのは同じく金髪の青年、コルネリウス・アルバであった。

 彼の服装は深紅のコートに深紅のシルクハットと極めて目を引く物であり、この様な冷たい闇に潜み密会を行うには不相応極まりない。

 

「そりゃあそうだとも! 何せあの殺人鬼が目覚めたって言うんだからさ、それに新しい殺人鬼まで用意してくれるってなれば嬉しくない筈があるもんか! まったく、どこまでも飽きさせないじゃないかあいつらは!」

 

 白純は極めて芝居がかった口調で語りかける。

 アルバはそれを聞き、嫌悪を隠そうともしない。

 おそらくそれは同族嫌悪と言うものなのだが、アルバが気付く事はこの先ないだろう。

 

「まったく、キミの様な下賤な者を弟子にするとは荒耶も耄碌したものだな。私ならキミみたいな狂人は即刻お引き取り願うものだがね」

 

 その挑発めいた発言にも、白純はむしろ心底喜ばしいと言わんばかりに応答する。

 

「そうさ、下賤で穢れた狂人だからこそ荒耶は俺を選んだのさ! 両儀だってそうだ! 荒耶は異端こそこの世界を救うと言った。なら俺と奴はさながら救世主だってことだろう? くく、この快感はアンタにも解るんじゃないのか?」

 

 アルバは理解した。

 なるほど、これがこの国で言う''蛙の面に水''と言う事か。

 こういった手合いには何を言った所でまともな返答は無いだろう、と。

 アルバは鼻を鳴らし、椅子から立ち上がる。

 

「それではさらばだ。荒耶が会っておけと言うから来てやったのだが、やはりロクな者ではなかったな。キミとはこれで最後である事を祈るよ。それにこの国の空気は淀んでいて吐き気を催す。計画が遂行されればドイツに帰る事にしよう」

 

 その捨て台詞に初めて白純は残念そうに顔を曇らせる。

 

「そっか。ソイツは残念だ。俺とアンタは似たものがあると思っているし、中々嫌いじゃないんだけどな……。まぁ、もう会う事もないだろうが、元気にやってる事を願うよ」

 

 アルバは何も言わずに扉を開け、街へと出て行く。

 白純はそれを──僅かながら惜しむ様に見ていた。

 

 ……まったく、次から次へ変な奴らが現れやがる。

 やりたい事だけやって生きていける。今の状況は楽しいこと極まりないが、少しだけ不満もある。

 

「両儀、黒桐……いい加減恋しくて仕方がないぜ」

 

 もう彼らとの関係を絶って二年もたった。

 いよいよ我慢するのも難しくなってきたが、それでも今は耐えるしかない。

 彼は再会の喜びを想像し、身震いしながら荒耶の報告を待っているのだった。

 

 

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 何事もなく、何の変哲もない朝が来た。

 朝の診察という事で病室に荒耶が入ってくる。

 午後からは家族との面会があるため、長話をするとしたら今が機なのだろう。

 彼が扉を開け部屋に入って来たというだけの事なのに何故か一気に空気が引き締まる様に感じる。

 よくこれほどの存在感がある人物が医師なんてやっていられるものだと、我ながら意味のない事を思った。

 彼がその険しい声で大気を震わせると、自然と僕も耳を傾けていた様だ。

 

「まず一つ報告を。私は明日から転勤となる。つまり私の後任の医師がこれから君を担当するということだ。どうやら年若い女医の様でな。私などよりも遥かに話しやすい人物故、気軽に接するが良い」

 

 特に思う所がある訳でもなく僕はただ素っ気なく返事するしかなかった。

 つまりこれで荒耶とは別れる訳だが、僕の知りえない何かを知っている様に思える彼をタダで逃してしまうのは躊躇われた。

 そんな意図を汲んでくれたのか荒耶は何か質問があれば今の内に、と言った。

 けれども、何も思い浮かばない。

 訊かなければならない事があるという感覚を覚えているのだけれど、記憶にプロテクトでも掛かっているのか一つとして重要な事が思い出せない。

 

 結局僕は最後まで当たり障りのない事しか訊けなかった。

 そろそろ刻限なのか彼は立ち上がり最後の挨拶を告げる。

 

「それではな。後は君の回復を願うばかりだ。……縁が続けば、またいずれ」

 

 ──何故だろう。

 僕はその言葉を何処かで聞いた事がある──?

 

 無理矢理に記憶を引き出そうと試みるが、猛烈な違和感が邪魔して先を見る事はできない。

 そうこうしている内に荒耶はもう行ってしまった。

 自分一人しか居ない病室は空虚さすら感じる程に静かだ。

 あの医師がどれほどの存在感を出していたのか、それを今になってから強く実感する。

 ……また、一人になってしまった。

 ……本当に?

 いや、考えては駄目だ。少なくとも今は。

 

 この後特に何かあったという訳でもなくいつの間にか午前は終わっていたらしい。

 

 

    ◇

 

 

 午後になって家族との面会があった。

 母と兄の二人と二年振りの会話をしたものの、とても血族だとは思えず、会話は難航した。

 苦し紛れに織の記憶通りに応対すると、二人は安堵して帰っていった。

 ──これでは、まるで擬態だ。

 なんだか、自分が自分でなく両儀織という人物の殻を纏った何者かにしか思えなかった。

 

 気が付けばあの荒耶という医師が何者だったのか、訊くべき事とは何だったのかという事すらどうでもよくなっていた。

 

 

    ◇

 

 

 翌朝。

 荒耶の言っていたであろう女医は颯爽と現れた。

 彼の後釜だという女性は胡散臭さすら感じる程に明るかった。

 

「あらあら、聞いた情報よりずっとキレイじゃないの。もっともっと(やつ)れてて亡霊みたいになってると思ってたんだけど、私好みのハンサムでラッキーってところね!」

 

 声から推測するに二十代後半らしき女性は、ベッド横の椅子に座り込むと、自己紹介を始めた。

 

「初めまして。言語療法士の蒼崎橙子です。身分証明書は持ってないんだけど、まああなたにとっては些細な問題よね」

 

 そんな事よりも何故言語療法士なのだろうか。別に失語症でもないのに。

 

「……何をしに来たんだ」

「今回はカウンセラーとしてよ。どうにも今のあなたは精神的に不安定だから改善する手助けをしろってね」

「必要ない。余計な世話だ」

「そういうわけにもいかないのよ。だって自分の目を自分で潰そうとする様な人が正常に見える? それに何だかあなた、面白そうだしね」

 

 ……何が''面白そう''だ。

 しかもそれをはっきりと口に出すこいつは果たして医者なのだろうか。

 あの荒耶の後釜だというから変人であるのも当然かもしれないが。

 

「おまえ、本当に医者かよ」

「あら心外ね。これでも医師免許は持ってるのよ? けど、あなたの疑問は正しいわ。だって本業は魔法使いだもの」

 

 ……呆れて言葉も出ない。

 なんでそんなヤツが副業で医者なんてやってるのか。

 

「後任が手品師だなんて、聞いてない」

「まあ、当然よね。あなたの胸の穴は医師でもマジシャンでも埋められない。普通の人なら一番だけど、似た様な人が居れば埋められるかもね」

 

 ──胸の穴。

 それは荒耶が指摘する以前からずっと気掛かりだったものだ。

 けれど、それは一体何だったか。

 

「前任の先生も意地悪ねぇ。本当は気付いているんでしょ? あなたは、もう一人なんだって事を」

 

 笑う様な調子で、女医は立ち上がった。

 パイプ椅子をそのままに、ゆっくりと立ち去っていく足音だけが部屋に響く。

 

「どうにもまだ早すぎたようね。今日の診察はここまで。また明日ね」

 

 出会って三十分も経たずに彼女は去っていった。

 彼女の最後の問いが頭にこびり付いて離れない。

 もうひとり。

 決定的に胸に穿たれた、穴。

 

 ──わかって、しまった。

 なんという事を忘却してしまっていたのか。

 

 居ないのだ。何度も呼んでいるのに、彼が応えない。

 眠っているだとか、そういう次元じゃない───。

 両儀織の中のもう一人の住人、裏の側面である名前の無い『シキ』が完全に消えてしまっている────。

 

 

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 ──ふと、以前にも考えていたであろう自身の出生が蘇る。

 

 

 両儀織は、一つの肉体に二つの異なる方向性を持った精神を抱える二重人格者だ。

 両儀家は古代においてあらゆる''魔''を狩る退魔の家系であったが、近代化の過程で魔が衰退すると文明社会に抹殺されないように超人的な異能を放棄する事にして、発達した文明に適応できる異能だけを継承することにした。

 そう、それが二重人格、或いは二重存在である。

 両儀家は、一個の人間に無数の人格を持たせる事であらゆる分野を極められる究極の個人を創ろうと画策した。

 その為、両儀の跡取りには必ずその異能を持った子供が選ばれるのだ。

 

 僕もその血を受け継いで、長男である兄を差し置いて跡取りとなっている。

 だが、それは両儀家が本来想定していた形とはかけ離れたものだった。

 

 そう、僕は本来なら『式』という女の肉体と人格に『織』という男の人格を内包した『両儀式』という、両儀の完成作として生まれる筈だった。

 

 けれど、何処かで運命の歯車が狂った。

 何の手違いか、男の肉体を持って生まれた僕には女である『式』が生じることなく、二つとも男である人格が生まれたのだ。

 結果、陽性の男人格に与えられる筈だった『織』の名は『式』の代わりに生まれた僕という陰性の男人格が貰い受け、陽性の彼は名無しとなってしまった。

 その代償か、両儀織は特に悪影響のない染色体異常を患ってしまったものの、両儀家の者達はそれを半陰陽だと尊んだらしい。

 ……僕は生まれからして既に不具合(バグ)だったのだ。

 

 名前を奪われたシキは織の対局として抑圧された感情を受け持つ役割を果たしてきた。

 それを決して外に出してしまわないよう、僕は自分であるシキを殺して常識に溶け込んで生きてきた。

 シキ本人は名を奪われた事にもその扱いにも不満を抱いてはいなかった。

 彼はいつも眠ってばかりで、戦闘技術を磨く時にだけ呼び起こすと、特に文句もなく請け負った。

 こうして考えると別人のようだが、そうではない。

 織とシキは結局『両儀織』という個人でしかないからだ。

 シキが抑圧された感情である以上、どうあってもそれは僕の望みでもあり、結果として僕の行動は彼の望みである。

 抑圧された感情。それは殺人衝動をも含むものだった。

 そう、シキは殺人鬼なのだ。

 幸い一度も実行した事はないが、彼は人を殺す事がどうしようもなく好きだった。

 僕はそれを厭い、無視し続けてきた。

 織とシキは生まれる筈のなかった存在同士、歪ながらも巧く孤独を埋め合わせてきた。

 

 だが、突如としてそれは崩壊した。

 二年前、高校一年生だった時。シキが初めて自らの意思で肉体を使い始めたあの頃。

 そこからの記憶はあまりにもあやふやだ。

 荒耶が言ったように記憶の再生機能が壊れているのか、事故に遭うまでの記憶が読み込めない。

 

 ただ、死体の前に佇む自分の姿だけが再生される。

 赤黒く粘つく闇の中、恍惚に悶える自分の姿。

 だがそれでも、鮮明に覚えている映像が一つだけある。

 燃えるような夕陽の中、教室で誰かと話し合ったこと。

 

 織を導いてくれるかもしれなかった、あのクラスメイト。

 シキが殺したくなかった、ひとりの少女。

 シキがそうなりたいと憧れた、ひとつの理想。

 ……シキだけが本質を知っていた、ひとりの少年。

 

 それらは、ずっと昔から知っていた筈なのに。

 長すぎる眠りは、僕から二人の記憶を奪い去っていた。

 ……その名前や顔すらも思い出せなくなる程に。

 

 

    ◇

 

 

 女医は毎日午後にやってきた。

 荒耶より遥かに親しみやすい人となりである彼女との会話は、いつの間にか空虚な毎日を潰す拠り所になっていた。

 

「へぇ、名無しのもう一人の人格ねぇ。しかも本当は織って名前はそっちに付けられる筈だった、なんておもしろい話よね」

 

 誰に聞いたのか、彼女は僕の事情に詳しい様だった。

 両儀家しか知らない筈の僕の二重人格の事も、二年前の事件の事もよく知っているのは不思議に思える。

 今やどちらもどうでもいい事だが。

 知らず、僕は彼女のペースに巻き込まれているようだ。

 

「じゃあ名無しの方のシキクンは『名無しクン』でいいのかな? でも、彼はどうして何も言わずに眠っていたんでしょうねぇ。二つの人格が同時に存在できているのに、わざわざ何もせずにいるなんて」

 

 シキが眠っていた理由。それは、僕だけが答えを知っている事だ。

 彼はいつも──夢を見ていたから。

 

「でも──彼はもう居ないのよね。二年前の事故であなたの身代わりになって。だからあなたには記憶の欠損がある。彼が居ない以上、真相は闇の中ね」

「──前任者は、記憶は残っているけど再生ができないから復元できないと言ってた」

「そりゃそうよ。記憶っていうのはね、すごく主観的なものなの。その場の観測者の印象で用意に書き換えられてしまうカタチの曖昧なものだから。再生できるのもそれを編集する観測者だけだから、名無しクンの記憶は彼自身にしか再生できない。つまりあなた自身の記憶が壊れているんじゃなくて、再生機である彼が居ないから復元しようにも中身すら確認できくなって、結果的に記憶の欠損という形で現れているという事なの」

 

 ……確かにそうだ。

 織とシキが記憶を共有できているのは、両儀織という肉体に同時に存在できていたからだ。

 記憶というものはそれに立ち会った当事者だけが得られるものだ。

 かつては完全に並行して存在していられた為にどちらの人格も同じ体験をして、それを共有していたが、僕と彼がズレ始めた時期からはそれができなくなった所為で彼しか持ち得ない記憶などという矛盾が生まれたのだ。

 おそらく欠損した記憶というのはその時期だけのものを指すのだろう。

 

 黙り込んでいる間に女医は話を進める。

 

「でも、どうして名無しクンは消えたのかしら。だってあなたが消えていれば、晴れて織の名は彼のものになっていたのに。彼はどうして、身代わりを買って出たのでしょうね?」

 

 ……名前のなかった彼。生まれる理由すら持たずに生まれたモノ。

 彼が消えてしまったのは、自己という矛盾に耐えられなかったからなのか。

 でも、それは僕も同じだ。

 それに僕が消えることで両儀織が彼だけのものになるのなら、消える必要はなかったんだ。

 ……やはり、どう考えても結論は出ない。

 

 僕の思考が行き詰まっているのを察したのか、女医が椅子から立ち上がる。

 

「あ、そうだ。リハビリのお祝いにこれをあげましょう。ルーン文字を刻んだだけ石なんだけど、お守りにはなるでしょう。ドアの下に置いておくから取られないように」

 

 彼女は出口の脇にルーン石を置いて扉を開く。

 

「それじゃ、私はここまで。明日からは別の人で来るかもしれないから、よろしく。……縁があれば、またいずれ」

 

 不思議な言い回しに加え、数日前に聞いた別れの挨拶と共に女医は立ち去っていった。

 

 

 




 今回も伽藍の洞です。
 正直、伽藍の洞は改変できる箇所が少なく原作からズラす事が難しいです。
 こういう回ではやはり原作の式&織とこのssの織&名無しシキの違いを強調していこうと思います。
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