空の境界 偽典福音/the Garden of false   作:旧世代の遺物

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 不定期更新です。


5/未来福音 -Möbius ring-
未来福音/1


 

 

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 ──これが、理想の果て──。

 

 自分はその結末を識っている。その始まりを憶えている。

 

 ──これが、人の望み──。

 

 この痛みは、嘆きは、人が求め欲するものだと。

 

 此処は何時、何処なのだろうか。

 夢か現世(うつしよ)かすら判らない忘却の中、自分はただ訳もわからず世界を傍観している。

 辺りは一面焔が這い回り、まるで篝火の中に収まってしまっているかのようだ。

 空は緋く焼け落ち、地は黒く焦げ付いていて、もしかすると自分は本当に薪になってしまったのかもしれなかった。

 そこで、行き先もなく焼けた骸で舗装された道を辿る。

 絡みつく砂利は全て骨。流れる水は全てが血。漂う死臭は三千世界を満たそうと絶えることはない。

 

 これは、僕が知り得ない筈の──けれど微かに識っている原初の風景。──本当に?

 

 暫く歩くと、人影が目に入る。

 

「────」

 

 ありとあらゆる存在が煉獄に抱擁されていく中で、その人物だけは唯一形を保っていた。

 がっしりとした長身の、黒い僧服に身を包んだ年若い男。

 かつて輝きが灯っていたであろう双眸には最早光など無く、ただ虚無だけが渦を巻いている。

 そしてその腕に力なく頽れる、白黒の小袖に漆黒の羽織を着込んだ妙齢の女。

 その傍には紅い妖気を放つ黒い刀が転がっていて、この地獄を引き起こした元凶と激闘を繰り広げた痕跡が残っている。

 女は、菩薩のような慈愛の微笑みを浮かべたまま、物言わぬ死者となっていた。

 

『例えこの世界があなたを憎んでも、わたしだけは──』

 

 そんな声が、どこからか木霊する。

 柔らかく、気品を保ちながらも仏のように穏やかな声。

 これを聞いたのはきっと僕でなく、眼前の男なのだろう。

 

『──泣いてくれるのね、■■。でも、これであなたは──』

 

 それらはきっと過去の言葉なのだろう。ならこの言葉は思い出の中だけにある筈なのだ。

 それが、この男を介して伝わって来ている。

 そこで漸く理解する。

 ここは、男の心象世界だ。

 

 ここで崩れ落ちたのは、世界だけではなかった。

 崩れ、燃え尽きたのはきっと男の全てだ。

 何故なら、この景色こそ彼の求め欲した理想の果てだったのだから──。

 

 男は、怒り嘆き悲憤悔恨後悔慚愧懺悔憤怒絶望苦痛全てが詰まったような慟哭で空を穿つ。

 空は硝子のように罅割れ、音を立てて割れていく。

 その罅は大地に伝播し、全てを奈落に呑み込んでいく。

 

 世界が最期を迎えるその瞬間まで、僕の脳裏にはあの慟哭だけがこびり付いて離れなかった。

 

 

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 八月三日、晴天。

 わたしこと、瀬尾静音は父の実家に帰省する為に礼園女学院のある郊外からバスに乗り、一時間程街の風景を眺めていた。

 見えるものは、喧噪に溢れ真夏の日光が照り返すコンクリートで構成された世界ばかり。

 それらは皆この街に生きる人々なら当たり前の光景だけど、礼園という隔絶された異界の住人であるわたしにとってはこの眺めこそ異界だった。

 バスの蛇腹の扉が開かれると同時に舞い込む夏の熱風。

 そんな風景は想像するだけで、『未来』を見るまでもなく溜息が突き出てくる。

 わたしの見る未来と同じく、そんな変えようのない予測は当然のように現実となる。

 バスの扉は何の容赦もなく開かれ、予期していた通りの熱い風がわたしと乗客を出迎える。

 

 そうして冷房の効いた車内から熱気に包まれた外界に飛び出したわたしは、JR観布子市駅を目指して人の犇く街を足早に歩いていた。

 そんな中、ある一人の男の人が目に止まる。

 この蒸し殺すような猛暑の中だというのに、深紅のワイシャツの上に漆黒の膝丈まであるコートを着こなしている青年。

 その状況とそぐわない服装だけでも目を引くには十分すぎるけれど、惹きつけられたのはそれだけじゃない。

 その鴉の濡れ羽色と形容する他ない漆黒の、けれど絹のように柔らかで流麗な髪。

 とても男性のものとは思えない程、綺麗で凛々しい怜悧な美貌。

 そして──女の子であるわたしですら羨む程鮮烈な美しさを放つ、厚めの瞼と長く形の良い睫毛で飾り付けられた伽藍の瞳。

 それらのあまりに強烈な印象にわたしはつい気を取られ、振り返ってその美青年を二度見する。

 

「──あ」

 

 激烈な目眩に足が竦む。

 街行く人々は足を止め、時間の流れさえも停滞していく。

 あまりにも突然に、眼前にスクリーンが現れ映像が映しだされていく。

 見える映像はまさにマフィア映画さながらだ。

 人通りの少ない路地裏に入って暫く進んだ後、大爆発に巻き込まれ、黒砂糖みたいに真っ黒に飛び散るお兄さん。

 元々鴉みたいに黒いのに、更に肌も骨も黒焦げになってしまったお兄さんは、本当にかりんとうみたいだった。

 

「え……? 嘘……こんなのって──」

 

 どうしよう。どうしよう。どうしよう──!

 あの人、このままじゃ死んじゃう──!

 話しかけようか。でもどうやって?

 あの人のことなんて知らないけど、どことなく浮世離れした顔立ちから妙に話しかけ辛かった。

 でも、あの人はちょっと怖いけど悪い人には見えなくて、大切に想っている友達や職場の人の姿も視えた。

 自分でも訳のわからないことを言って怒られたくないだとか、笑われたくないだとかいった打算ばかりが頭を過るけど、悲しむ人達──特に生気のない顔で咽び泣く女の人の姿なんて視えてしまっては背を向けられる道理もなかった。

 なら、そのくらいの損がなんだって思う。

 

「ちょっと、待ってください!」

 

 自分が呼びかけられているとは気付いていないのか、お兄さんはすたすたと運命の路地裏に向かっていく。

 

「貴方ですよ! この暑いのに黒いコートなんて着てる──しかもすごく似合ってる粋なお兄さん!」

「──?」

 

 くるりと自然に振り向く、さっきと同じ真顔のままのお兄さん。

 

「──オレに、何か」

「ええ! お兄さん、もう少し先の路地裏に行くんでしょう? でも絶対行っちゃダメです! そこに爆弾が仕掛けられていてですね……! どっかーん、って爆発してお兄さん黒焦げになっちゃって、それで、それで……!」

 

 しどろもどろになりながらも懸命に訴えるわたし。

 お兄さんはそれを──びっくりするくらい目を丸くして聞いていた。

 当たり前だ。誰がこんな無茶苦茶な話、信じてくれるもんか──。

 

「……なんで」

 

 お兄さんは当然のように驚きを浮かべる。

 そうは言ったって、どうしてなんて、説明できるわけがない──。

 

「なんで、識ってるんだ」

「──────へ?」

 

 あまりにも予想外の返しに、逆に素っ頓狂な声をあげるわたし。

 これがわたしこと瀬尾静音と、お兄さんこと両儀織さんとの奇妙な出会いだった。

 

 

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 ……あれは、夢だったのか。

 夢にしてはあまりにも鮮明すぎる焔の熱。むせ返るような焼けた肉と脂の匂い。

 そして目に焼き付いて離れない終末の光景。

 あの僧服の男とその腕に抱かれる小袖の女──。

 何故だが僕は両者を知っているという確信があった。

 そんな筈はない。

 僕はあんな地獄は見たことないし、二人の服装から推測するにあの光景はずっと昔である筈。

 それでも──僕は二人が他人とは思えなかった。

 もしかすると、彼らは両儀の関係者なのかもしれない。

 でも、どうしてあんなことが──?

 

「……こんなこと、相談したって……」

 

 目を覚ますと、カーテンの無い窓から強烈な日光が射し込んでくる。

 デジタル時計に目を遣ると、八月三日の八時を指していた。

 家のベッドとは違う、固いソファーの感触。

 それでもここは自分の知る限り最も安全な場所だ。

 ここは伽藍の堂。蒼崎橙子という超一流の魔術師が潜む工房にして事務所。

 僕は数日程前からここで寝泊まりしている。

 自分の部屋ではなく、敢えて職場であるここで寝泊まりする理由。

 それは、少々特殊な事情有ってのことだった。

 

 

    ◇

 

 

「どうしたんだ織? 荷物なんか抱えて」

「ああ。何せ暫くここに泊まるからな」

「へえ。そりゃまたどうして」

 

 橙子は思わず疑問を漏らす。

 思えば、誰かが自分の住居で寝泊まりするなんて久しいことだった。

 

「なんだって、こっちは命狙われてるんだからな」

「──ほう?」

 

 織の聞き捨てならぬ言葉に対し、橙子は怪奇の匂いを感じ取ったのか興味を示す。

 

「爆弾魔だよ。ほら、先日の散歩の時に出会した」

「ああ、例の異形の件か……。しっかし、おまえも大層恨みを買っているようだな」

 

 織は暫し思案するような素振りを見せる。大方どこで原因を作ったのか探っているのだろう。

 

「しかしねぇ、わざわざ外注してまでおまえを狙うとは、まさかとは思うが両儀家と敵対する組織の仕業か?」

「それこそまさか。あんなに行動を先読みしてピンポイントに仕掛けられる能力があるなら、本家を爆破した方が早いだろ」

 

 それもそうだな、と橙子はつまらなげに呟く。

 

「ともかく、あの爆発はすぐ人為的なもので、しかも明らかにオレを標的としたものだと判った。なんせ薄暗い路地裏だ、標的無しに爆破したところで大したメリットもないからな。そこで家ごと吹っ飛ばされるかもしれないと思って、という訳だ」

「ははあ、確かにおまえと言えど家を更地にされるのは御免ということだな。それよりも鮮花には言ったのか? あいつなら知らずに家を訪ねて、『ボン!』なんてことになりかねんぞ」

 

 鮮花、という単語を出すと織は即座に剣呑な表情を浮かべる。

 そこには、件の敵への明確な殺意が込められていた。

 

「言った。暫くあいつはオレの家には近寄らないさ。……とは言え、巻き込まれないとは限らないからな。だからこそ、さっさとケリを着ける」

「いい覚悟だ。だが相手は何処にいるかすら判らないんだ。取り敢えず、当面は調査が必要だな」

「ああ、そうする。なら、誘い出すのが一番だな。標的が憚りなくふらふらしてたらあっちも黙っていられないだろ」

 

 織は実に彼らしい、実直な行動で敵を炙り出し、情報を収集することを提案した。

 彼自身は橙子が反対すると思っていたものの、彼女は意外にも首を縦に振る。

 

「ふむ。それは一番手っ取り早い手段だな。しかし、相手の行動をピンポイントで予測し完全に位置を計算して時限爆弾を仕掛けるとはな……。もしやその爆弾魔、『未来視』ということもあるかもしれんぞ」

 

 そう言って橙子は机の引き出しを漁り始める。おそらく、その膨大で雑多な紙の中に埋もれた未来視とやらの資料を探しているのだろう。

 織は長話になると直感し、小さく溜息をついた。

 

 

    ◇

 

 

 八月三日、昼。

 僕は真夏の炎天に曝される街を逍遥している。

 理由は簡単。

 標的である僕自身を囮にすることで例の爆弾魔の正体を炙り出す為だ。

 初めての遭遇から数日、攻撃は既に三度に及んでいた。

 そのどれもが人気のない場所で、負傷者も死傷者も出ていない、一見無意味な破壊工作だ。

 もっとも、死傷者は僕一人になる()()だったのだろうが。

 そして攻撃は全てが時限爆弾による完璧なタイミングでの爆破。

 ここまでくると偶然という言葉では片付けられない必然性を感じる他ない。ほぼ確実に爆弾魔はトウコの言う『未来視』とやらで間違いないだろう。

 未来視──有り体に言えば未来予知。事象の根源となる“因”から到達点である“果”を先読みする越権行為。──因さえあれば、その事象がまだ発生していないにも関わらずだ。

 曰く、それは常人なら棄て去るものを含む、視覚で得た全ての情報を記録し、それらを統合して『これから起こり得る必然の結末』を導き出すのだと。

 そして未来視には二種類有り、予測と測定に枝分かれしているのだという。

 トウコは、予測の未来視は人として正しい者が多いと言い、測定の未来視は往々にして反社会的な危険人物だと語る。

 今回の敵は未来視、そして外注で仕事を請け負う爆弾魔、とくれば──。

 

 ──『未来測定者』か。そんなものが有ったところで楽しいのかね?

 

 僕はただ、意味もない疑問を声に出さず呟いていた。

 

 そうして今、僕は手当たり次第に人気の無い場所に近寄ることで爆弾魔の攻撃を誘発しようと適当な路地裏へ踏み込む。

 これまでの攻撃、敵は未来測定者であるにも関わらずその全てが失敗に終わった。

 そう──敵が本当に未来そのものを確実に当てられるというのならば、これはあり得ない事態だ。

 つまり、その未来測定とやらには何かしらの条件があり、弱点もまたそこに隠されている筈。

 そして僕はそれを漠然とではあるが把みつつあった。

 

 雑踏に包まれ、激烈な熱気が渦を巻く街。

 数日前から謎の爆発が相次いでいるというのに、気に留めることなく日々を廻す忙しない人々。

 現代にうず高く積もり、社会の澱として時に人々に牙を剥く諸々の闇。

 私見ではあるが、こういった危険に対する無関心、自らに火の粉が降り掛かるまで危機を危機とも思わない意識の乏しさこそがそういった闇の苗床となっているのだろう。

 もしここで僕が消え去っても、明日には誰もが忘却しているように。

 

「────! って──ください!」

 

 背後から、雑踏を突き抜けて高い声が響く。

 誰に呼び掛けたものかは判らないが、雑踏は乱れることなくある種の秩序を保ったままだ。

 それでもその人物は呼び続ける。そしてそいつが対象にしている人物の特徴を口に出した時、それが僕であるのだと気付いた。

 そうして振り向くと、高校生らしき女が恐慌寸前の顔で僕を見ていた。

 女は何やら訳ありな顔で必死に言葉を紡ごうとする。僕はただ黙って女が口にしようとしていることに傾聴する。

 そして──驚くべきことに、なんと女はこの路地裏に爆弾が仕掛けられていることを知っていた。さらに僕が最悪のタイミングで爆発に巻き込まれることまでも。

 

「……なんで、識ってるんだ」

 

 思わず疑問が漏れ出る。

 だが、何故か困惑しているのは女の方だ。

 陽の当たる雑踏と日陰となる静謐の境界。

 僕たち二人は世界から切り離されたかのように互いの姿を見合っているだけ。

 それが、僕と『未来視の女』こと瀬尾静音の出会いだった。

 

 




 今回から未来福音です。
 徐々に明かされていく因縁の全貌、現在を繋ぐある男の過去。
 そして二人の未来視が導く青年の未来とは──。

 それではまた次回。
 もし良ければ感想、評価の程をよろしくお願いします。その一つ一つが作者の血となり肉となります。
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