空の境界 偽典福音/the Garden of false 作:旧世代の遺物
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──ある男の話をしよう。
その男は、何も求めていなかった。いや、何も持っていなかったからそう見えたのかもしれない。
男は全てを喪った代わりにユメを手に入れた。それだけが男の全てに成り代わった。
男はガランドウのまま、ユメだけを手に旅立った。
けれどそのユメは一度として男に報いはしなかった。
そのユメに導かれるまま男は救世を掲げる。
だがいつも傍にあるのは同じ結末ばかり。
決して終わらぬ争乱と破壊。夢想する度に見せ付けられる現実。
そこで男は知った。この世界では幸福の総量が決まっていて、それが配られることのない人間が必ず生まれ出てしまうのだと。
世界には不幸が溢れていた。どうあっても報われない者がいるのは当然だと人々は受け容れていた。男もそんな不幸な人間の一人でしかなかった。
けれど、男だけは現実を受け容れられなかった。
だから足掻いた。無様でも、無意味でも、男はそうするしかなかった。
足掻いて苦しんで、その先に多くの救いを──。
それこそが男のユメだった。
叶うならば、目に映る者もそうでない者も、この世界に暮らす人々も獣も、この世の者でない亡霊すらも、全て総て須く悉く幸せであって欲しかった。
確かに、そんなことは幻想だ。笑い話にすらならない、単なる妄言の類だと人々は彼を嘲った。
けれど、彼は識っていた。
当たり前のように滅び、やがて忘れ去られていくのが命あるものの定め。
それでも、その過程には確かに価値がある。
愛し、笑い、苦難の中で支え合うごく普通の人の営み。
ただ側に居るだけで笑いかけてくる男、無邪気に世界の暖かさを享受する幼子。我が子と生きる喜びに綻ぶ女。
そこに彼の居場所は無い。彼自身に返ってくるものは何もない。
けれどそれこそが彼の至福、仏の微笑みにすら勝る人生の歓び/悦びだ。
だからこそ彼はいつまでも、泥に塗れ血を流そうとも歩き続ける。──その多くの辛苦と僅かな幸福に彩られた夢路を。
そこで彼は一人の女と出逢った。
奇しくも女は自分と同じ、滅びの道を行く求道者だった。
似ているようで、全くの真逆。
だからこそ二人は奇妙な絆で結ばれた。
男は女を仲間、友、兄妹、姉弟、師弟、家族とすら形容できない目で見ていた。
女は男を同類、臣、親子、徒弟、理想、縁者とすら形容できない目で見ていた。
二人は同じ理想を異なる理念で繋ぎ合わせ、末期の時まで共に在りたいと願った。共に生きると誓った。
女は数奇な因果から齎された力で男を支えた。
男は普遍の不幸から取り出した経験で女を救った。
そうして二人は世界を救おうと動いた。
──それこそが、全ての過ちの種だったとは知らずに。
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「…………ホントだな」
「…………やっぱり」
──あれから数分後。
突然の爆発に逃げ惑う人々を尻目に、わたしたちは混沌の最中に取り残されていた。
わたしたちはただ立ち尽くしたまま、轟々と立ち昇る煙を見上げる。
確かに、これまでのようにわたしの予知は正しかった──ほんの一部分を除いては。
あの路地裏には本当に時限爆弾が仕掛けられていて、刻限通りにその機能を果たした。
それで残るものはただの爆炎と、今以上に黒いお兄さんだったモノだけ。
けれど──お兄さんは今もここに居る。
初めて、わたしの予知が外れた瞬間だった。
嬉しかった。ここで消えていく運命の筈だったお兄さんはこうして生きている。
でも、どうして? わたしの未来は、決して変えられないものだっていうのに──。
「……なあ」
あと少し遅ければ消し飛んでいたっていうのに、お兄さんは少しも怖がる素振りを見せずに覗き込んでくる。
……聞いてくることは分かってる。
「なんで、識っていたんだ? あそこに爆弾が有ったってコトを」
……この人はほんとうに謎だ。
普通なら絶対に信じてくれなかっただろうに、この人は少しも疑うことなく引き止まってくれた。
それに質問もなんだかヘンだ。
『どうしてわかる』だとかなら分かる。なのにこの人は初めからこうなることを識っていたみたいだ。
でも、その質問にはどうあっても答えようがない。
未来が視える、なんて言ったところで──。
「それは女の──」
「女の勘なんてコトはないだろ」
まあ、そうですよね。ハイ。
これが本当に“女の勘”なんていうものだったらどんなに良かっただろうか、と思うと溜息が出てくる。
「……わたしからすればお兄さんこそ不思議です。どうして、あんなことを信じてくれたんですか?」
質問に質問で返すのは失礼なのはわかっているけど、わたしにとってはあんな突拍子もない警告を疑うことなく信じられたお兄さんの方がずっとヘンだ。
すぐそこに爆弾があるなんて言われたところで、常人なら質の悪い冗談だとしか思わないだろうに。
「……いや、おまえの言うことがあんまりにも
飄々とお兄さんは語る。
このあまりにも超然とした物腰にわたしは心底驚嘆せざるを得ない。
今までの発言を推測するに、この人はもしかするとわたしが言うまでもなく爆弾の存在を知っていたのかもしれない。
だとしたらどこかおかしい。それならわたしが視た未来のように、態々路地裏に行こうだなんて思わない筈だ。
お兄さんは腕を組んで暫し思案するようにわたしを見る。
深く、無機質な黒い瞳。理由はわからないけど、この瞳に見つめられるだけで背中に冷たいもとを感じてしまう。
「──うん。おまえならいっか。実はさ、オレ命を狙われてるんだ」
「────」
喉に固いものが詰まっているように声が出ない。
驚きは発言そのものではない。
不思議なことにわたしはなんとなくだけど、お兄さんの境遇がきっとそうなのだろうとわかっていた。
そうしてその無根拠極まりない予知は完璧に的中したのだった。
「それで、さっきの続きだが、おまえさん、もしかして先のコトとか視える?」
「────はい」
何の逡巡も躊躇いもなく、答える。
本来ならこんなことは誰にも言えない筈だった。
けれど、この人だけは今まで視てきたどんな人とも違う、異質な存在だ。
これも根拠のない推測だけど、この人もまたわたしと同じ、常識の埒外に属する存在かもしれない。
だから──それに一縷の望みを託したい。
「それならよかった。おまえの眼、一つオレの為に使う気はないか?」
口角を上げてお兄さんは問う。
その表情は自然なままで、あくまでもわたしの意志を問うだけのものだ。
……確かに、命を狙われている相手に付いて行くなんて、とんでもなく危険な真似だ。
わたしが断ればこの人は何の未練もなく去っていくだろう。
そうだ、こんなことに手を貸したところでわたしには何の利益もないんだ。
この人がどこでどうなろうが、わたしには関係のない話で──。
「はい! 是非とも! わたしなんかでいいなら!」
──というのは単なる合理的な計算でしかないもので。わたしは考えるまでもなく即答する。
──意味ならある。
どの道人間なんて生き物はいつかは死ぬものだ。どうせそうなってしまえばそれまで追求してきた利益や富なんて塵芥も同然なんだ。
なら、一生の内に一度くらいは意味のあることをやりたいではないか──。
初めから決まっていた、覆しようのない意志に対して、誰に聞かせる訳でもないのにそうやって適当に理由を付ける。
……はあ、こんなことだからわたしはイマイチ自分というものが好きになれないのだろうか。
「あの、わたし、瀬尾静音っていいます! もし良ければお兄さんのお名前を伺ってもよろしいでしょうか⁉︎」
自分でも赤面しているのを理解しながら、唐突に自己紹介を済ましたわたしはついでにお兄さんの名前を聞き出す。
どうせこれから共同戦線を張る相手なのだから、最低限そのくらいは必要だろうと思ってのことだ。
「オレは両儀織。苗字は嫌いだから名前で呼んでくれ」
こうしてこのわたし、瀬尾静音と両儀織さん、そして謎の爆弾魔との闘いが幕を切って落としたのだった。
◇
──馬鹿な。
爆弾魔、倉密メルカは一人歯噛みする。
これまで、数度彼の未来視は失敗した。だがそれはあくまでも彼自身が直接標的を『視ていない』からこそ起こったズレであった。
しかし今回は全くの予想外、断じて起こりえない筈の放逸である。
何の理由か、彼自身が間近で両儀織を視ていたにも関わらず標的は生き永らえた。──これまでとは違い、爆弾に近寄ることすらなく。
いや、理由は分かっていた。
──あの女だ。
あの女は、私が視た未来には存在していなかった──。
唐突に現れ、颯爽と私の攻撃を予知していったあの女──。
彼女は完全なイレギュラー、倉密メルカが初めて遭遇した唯一の例外だ。
そんなものはこの私の計算に有ってはならない──。
だが、興味深くはある。
これは推察に過ぎないが、もしやということもあるかもしれん──。
面白い。
彼は自然と口角を上げ、荒耶宗蓮から依頼を受けた時と同じく歪に嗤う。
この時、彼の興味は両儀織だけでなくもう一人の未来視である瀬尾静音にも向けられたのだった。
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あの後、わたしは織さんに連れられてとある廃ビルへ足を運ぶこととなった。
お父さんには予定が入って遅くなると連絡してあるので、夕方までなら大丈夫だろうと確信してのことだ。
最初に目に入った時はとても信じられなかったけれど、織さんが言うにはこの廃墟そのものな建物が彼の職場であるらしい。
一度手を貸した以上は一蓮托生。多分、爆弾魔はわたしのことも敵だと見なしていると思う。
そう考えるととんでもないことに首を突っ込んでしまったと身震いするが、不思議とこの人と一緒ならどんな脅威も乗り越えられるという確信がある。
そんなことを考えながら歩いているともうオフィスに付いたのか、織さんが少し錆び付いたドアノブを回し、ドアが軋みを上げながら中の空間へとわたしたちを誘う。
部屋には、女の人が二人と男の人が一人居座っている。
「おかえり織。あれ、その娘、お客さん?」
織さんに向かって全身黒尽くめの人の良さそうな黒縁眼鏡のお兄さんが柔らかに話しかける。
そのお兄さんは人畜無害という言葉を具現化したような出で立ちで、近くに居るだけで自然と強張っていた体がほぐれていくようだ。
同じく黒を基調とした色を纏っているのに、怜悧で鋭い雰囲気を醸し出している織さんとは完全に対極となっている。
「なんだ、幹也も居たのか」
織さんもその空気に当てられたのか薄く微笑みながら言葉を交わす。
人となりは正反対なのに、わたしにはこの二人がこの上なく似合っているように思えた。
「トウコ、おまえが言う未来視、見つけて来たぜ」
そう織さんが言うと、部屋の奥の机に鎮座している赤い髪の女性が反応する。
その均整のとれたスタイルと女性らしい体型はわたしの目を引くにはあまりにも十分すぎる。……もっとも、羨望だとかそういう類だけれど。
「ほう、本当に見つけるとは感心だな。つくづくおまえはそういう輩と
「だな。今回ばかりはオレも驚きだ。こんな強運がいつまで続くものだか」
女性は値踏みするように、解析に掛けるようにわたしを観察する。
その鋭く冷たい双眸にはただ肌を粟立てるしかない。
「まあ、そう固くなるな。私は蒼崎橙子。この事務所『伽藍の堂』のオーナーであり、君の隣の男の雇い主だ」
蒼崎橙子と名乗った女性はにかっと笑って自己紹介してくれる。見た目に反してこの人は面倒見がいいのかもしれない。
「へえ。あなたも未来視なんだ。もっと達観してて冷たいイメージだったけど、案外に普通なのね。あ、わたしは黒桐鮮花。この事務所の社員みたいなもので、彼、黒桐幹也の妹よ。よろしくね」
もう一人の女性、黒桐鮮花さんは華のような笑みでついでに眼鏡の人の紹介までしてくれた。
さらさらと揺れる絹のような黒髪。海のように蒼く澄んだ双眸と完璧に整えられた貌立ち。極め付けに彫刻じみた体型と白磁のように白くきめ細やかな肌とくれば、同じ女であるわたしも思わず魅了される他ない。
そんな個性的な面々に囲まれたわたしは、自分がひどく小さな存在に思えてしまうけれど、それに応えて自己紹介を行う。
「瀬尾静音です。織さんとは街で歩いていたところ、偶々爆弾で吹っ飛ばされる未来を見ちゃったので、つい話しかけちゃいまして……」
彼ら、もとい織さんは爆弾魔への対処として未来視を持つ人間を探していたという話なので、わたしは思い切って全てを話すことにした。
織さんと出会ってからまだほんの一時間程だっていうのに、我ながら思い切りが良くなったものだと嘆息する。
「えぇっ⁉︎ そ、そんなことが……⁉︎ それじゃあなたが織の恩人ってこと? ……本当にありがとう」
黒桐さんはそう言って恭しく一礼してくれる。
……その顔を見て気づいた。この人が未来視で見えた女の人だったんだ。
ならこの人は織さんのことを本当に大切に想っているんだろう。
なんだか人を寄せ付けないように見える織さんだけど、こんなに大切にしてくれる人達がいることに、他人事だっていうのに少し安心する。
「さてと、本題に入るぞ。まず、君の未来視について具体的に教えてもらおうか」
そこで蒼崎さんが鋭い眼差しで冷静に問い質してくる。
正直に言うとわたしにとってもこの眼に関しては分からないことだらけなのだけれど、条件や期間などできる限り説明した。
「ふむ。期間は三日先まで。条件は不明、基本的に覆すことは不可能……という訳ではないか。君は友人達に時折助言してあげていたというのなら、これから起きる事象を知ってしまえば防止するのは容易いからな」
「ああ。もし未来視が決して覆り得ない、『確定した因果』そのものを視ているというのなら、オレはもうここにはいない筈だ」
……やっぱり、そうなんだ。
わたしは、二年前の冬に愛犬のクリスの死を回避できなかったことからこの眼に視えた未来は変えられないものだと信じて疑わなかった。
けれど、わたしは偶々視えた未来から友人にその結末を回避させる為の助言を幾度かしたことがある。
つまりそれは、この眼で視えた未来は確定したものなんかじゃなくて、その場で起こり得る可能性の中で最も確率が高い出来事を映像にしているのかもしれない──。
何よりもここにいる織さんの存在がそれを証明しているのに。
「織から話は聞いているだろうが、今彼はある爆弾魔に命を狙われていてね。そいつはどうにも君と同じ、未来視のようなんだ。そこで君に助力願ったと言うことさ」
「──え?」
──未来視の爆弾魔。
その悪夢みたいな存在に、わたしは慄然とする。
この眼を持っている人がこの世には自分以外にも居るんだっていう事実は福音の筈なのに、わたしはむしろ想像するだけで途轍もなく恐ろしいとしか思えない。
未来を変えようとするんじゃなくて、絶対に変わらないようにする為にあらゆる手を尽くして可能性を潰す。──それも人のこれからの未来なんてものを、何の罪悪感も持たずに。
そこで、初めてわたしは誰かを心から許せないって思った。
「……脅しではないがね、君が一度織を助けた以上、このままタダで帰れるとは考え難い。それも同じ未来視であるなら尚のことだ。例の爆弾魔が君を未来視だと知ったら、織よりも君を優先して排除しようとするだろうから。一応聞いておくが、織に手を貸すつもりはあるかい? 瀬尾静音」
橙子さんはあくまで諭すようにわたしの意志を問う。
……正直言うと、怖い。
こういう状況に陥って、改めて実感する。
自分では自分がどれほど特別で異端な存在だと思っていても、本当は色んな人達の善意に支えられて日々を廻しているんだっていう、簡単な事実を。
それでも、わたしは決めたんだ。
織さんに最初に問われた時から、覚悟は変わらない。
むしろ、爆弾魔がわたしと同じ未来視だって聞いて、腹が立って仕方がない。
これは誰かの為なんかじゃない。わたしが勝手に抱いているだけの身勝手な憤りだ。
せっかくこんな意味のわからない力を持っているっていうのに、誰かの為に使うんじゃなくて、誰かの未来を食い潰して自分の為だけに利益に替える爆弾魔。
そんなヤツを許しているようじゃ、わたしが何の為に今まで苦しんできたのかわからない──!
「はい! もちろんです! 是非とも手助けさせてください!」
それがどんなに危険なことか、未来なんて視えなくても一目瞭然だ。
それでも、わたしは今の自分を信じていたい。
それで、誰かの助けになれるというのなら、わたしはもう迷わない。
「いいね。気に入ったよ瀬尾。それだけの威勢が有ればあんな屍人に負けはしないだろうさ。オレにも一つ策がある。正直賭けだが、試してみる価値はあると思うぜ」
織さんは真っ直ぐに、淀みのない瞳でわたしを見据える。
……単なる憶測だけど、この人はたったこれだけの時間でわたしを認めてくれている。
わたしはこの人のことをヘンだと思っていたけれど、本当はそれだけじゃない。
むしろヘンだからこそ、どんな人間とも対等に接することができるのかもしれなかった。
だからこそ、この人をむざむざ死なせるのは絶対にイヤだし、ここの人達を悲しませるのも駄目だ。
その為にも、今わたしにできることをして、不幸な未来とやらを回避してみせようではないか。
期限は今日の夕方まで、一夏の未来視対決がここに火蓋を落とした。
今回はここまで。
ここに予測と測定、二つの未来の対決が始まる──。
今作では静音の未来視をバンバン生かしていこうと思います。
実は静音と幹也って原作で式が警戒していた程に相性が良いんですよね。
この世界線では幹也はフリーですし、もしかしたら静音にあげちゃうかも……。
お読み頂きありがとうございます。
また次回お会いしましょう。