空の境界 偽典福音/the Garden of false 作:旧世代の遺物
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──継ぐ者達よ、運命は汝らを彼方へと導かん。
◇
その出会いを憶えている。
あれは祖父が亡くなってすぐ、自分がまだ六歳の頃の話だ。
両儀と深い縁故を持つ者だという彼は、祖父の葬式でその姿を現し、そこで初めて顔を合わせた。
当時の自分がもう一人の自分を通して識っていたあらゆる感情を一つのカタチとして表したその貌は、今でも瞼の裏に焼き付いている。
彼の名は荒耶宗蓮といった。
「此方、初見となる。荒耶宗蓮という者だ。君の事は父君から聞いている」
「おじさん、おとうさんのともだちなの?」
当時の自分は無垢で無知だった。
人が人を殺してはならない理由、人が一生に一度しか人を殺せない理由など知る由もなく。
祖父が他界する直前まで、殺人という行為への抵抗感すら無かった程に。
その自分を以ってしても尚、その男は哀しかった。
「おじさん、つらいの?」
「……さあな。その質問に意味はないだろう。私は既にヒトであることを辞退した存在だ。そんなモノを識ったところで、君の益にはなるまい」
荒耶は初めて僕を見た時からその出で立ちには似合わない目で僕を見据えていた。
まるで、絶望の中に見出した一筋の希望を託しているような──。
「おじいちゃんからきいたんだけどね、“人は一生に一度しか人を殺せない”って。おじいちゃんはもうだめだけど、おじさんはどうなのかなって」
僕は何気なく、ただその貌が哀しかったから、そう聞いた。
荒耶はその眼差しを変えることなく、迷いなく答えた。
「そうだな、君の祖父は多くの殺人者達と同じくカラへと消えていくのだろう。だが私はどこへも行くことは出来ない。私の使命は──消えていった者、これから消えていく者の為に道を築き続けることだからな。故に──この世界が果てるまで、果てても尚、私は道を示さなければならない」
「それじゃ、おじさんがかわいそうだよ」
荒耶はじっと、今以上に、遥か彼方を眺めるようにして呟いた。
「……私を憐れむか。やはり君は
「? しきはぼくだよ?」
ただ、しきという名を口にして、荒耶は押し黙ってしまった。
何故その名が彼にとって特別だったのか、今でも分からない。
「……君には一族の使命が、悲願が託されている。私もまた、君に全てを賭けている」
「どうして? みんなトクベツだっていうけど、ぼくとシキはなんにもできないよ?」
一族の使命と悲願。僕は当時それが如何なるものか知らなかったが、荒耶の言っているものはそれとは違うものであると子供ながらに理解できた。
「君は、大いなる力を持ってこの世界に生まれ落ちた。君のその手には全てを救う力がある。故に私は君に賭ける。相克する螺旋の地にて、何れ来たる成就の時を待つ。君こそは始まりの一にして総て。アルファにしてオメガである。これまでの歴史と、これからの世界が渇望する救い主。それが君なのだ」
「ふーん。よくわかんないけど、みんなたすけてほしいんだね。でも、
そこで、荒耶は微かながら初めて笑みを作った。
今思えば、それは途方もなく奇妙な光景だった。
「実を言うと、私もそうなのだ。それでも私はヒトを救いたい。救わねばならないのだ」
荒耶は、途轍もなく深い抑揚で自らに課せられた呪いを垣間見せる。
今でも、何故僕が人を救うなどということが出来るのか分からない。
だって、僕は誰も救おうとしてなんかいない──。
それが、彼と僕の最初の出会い。
そこから先のことは正直憶えていない。
彼はそう長くは留まらず、いつの間にか僕の記憶から消えていったのだから。
そうして──その十二年後、今年の六月に再び出会った。
もし──また会えるというのなら、今度こそ聞きたい。
あの言葉の意味を。彼の悲願を。……僕が持つ、僕の知らない力のことを。
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織は対決に当たってある仮説を立てた。
それは爆弾魔が視ている未来と静音が視ている未来は同じ景色なのではないかというものだ。
もし彼女が視た未来がそうであるのなら、爆弾魔の攻撃を全て躱し、その居場所を特定することも能う筈。
実に単純なことではあるが、織が考案した策とは、彼自身が静音を連れ歩き、爆弾魔が未来を視認したと同時に静音にも未来を視てもらうということだ。
確かに危険な賭けと言えるが、どの道爆弾魔を無効化しなければ静音の安全は保証できない上、同じ未来視である彼女を連れ歩くことでより効率的かつ安全に戦闘を進めることができるだろう。
もっとも──それが真実だとしても、静音自身に未来視の条件が理解できていない為にそれ一つに頼ることはできないが。
◇
伽藍の堂を出て早速に策を実行に移さんとしていた時、懐から着信音が鳴り響く。
その音源は先程送り付けられてきた携帯電話である。
織はボタンをプッシュし、その内容に耳を傾ける。
「やあ、こんにちは両儀織。貴方に対する興味は尽きないが、それよりもっと興味深い相手が出来てね。貴方に声をかけた女、まだ居るかい?」
ボイスチェンジャーを通して加工された、年齢も性別も判りづらい声が耳に入る。
織は一旦電話から耳を離し、静音にそれを差し出した。
「お待ちかねの爆弾魔のお出ましだ。瀬尾、どうにもおまえに興味があるってよ。相手してやれ」
「──!」
静音はいつになく真剣な表情で携帯電話を見つめ、慎重に手に取る。
「……はい。爆弾魔っていうのは、あなたですね」
「そうだ。私は完全外注型の職業的爆弾魔。
爆弾魔は僅かばかり高揚が混じった声音で滔々と言葉を並べる。
その何ら己を恥じることもなく、誇ることもない、厳然たる事実のみを語る語り口に静音は違和感を覚える。
「君に聞きたいことがあってね。単刀直入に言うけど、君は私と同じ、
静音は柄にもなく皮肉げに笑みを作る。
確かに、広義に捉えれば未来視というのは『未来を知る』力だ。
けれど静音は橙子との会話で未来視という異能の本質を知っていた。
予測と測定、二つに腑分けされた力の原理。そして──未来とは『知る』ものではないという、決定的な違い。
未来視というものを『知る力』だと語る彼の言い方は、その力の本質を履き違えているように思えてしまって思わず嗤いそうになる──というのが静音の彼に対する心情であった。
無論、実際爆弾魔は未来とは『築き上げる』ものだと知っているのだが。
「わたしにそんな大層な力はありませんよ。わたしにできることなんて、『現段階で起こり得る未来を予測する』が精々ですから。それに──わたしはあなたなんかとは違う」
静音は言葉に棘を含ませて言い返す。
もし彼女を知る者が今の静音を見れば、きっと物珍しさに言葉を失うことだろう。
それ程に静音の爆弾魔への嫌悪は強いものだった。
「ふむ。それは確かに違うな。私はそれ以上のことができるのだから。私の未来は絶対。決して覆ることのない必然だ。この世界に存在している以上、万物の秩序、事のあらましに逆らうことはできない」
静音、そして傍らで聞いていた織は確信する。
この爆弾魔の未来視のカタチ。それが『測定』と呼ばれるものであることに。
「はぁ。分かっていないですね、あなた。違うというのはそこじゃないです。──あなたは、未来というものを解っていない」
「──何?」
呆れたように静音は嘆息する。
爆弾魔は予想外の応答に彼らしく合理的に思索を巡らす。
されど、その解は決して彼には導き得ない。
「分からないならいいです。でも、これだけは言っておきます。──わたしは、あなたみたいに未来を見限ったりしない」
「──戯言を。未来視とは本来諦観に基づいたものだ。我々は未来を『視て』しまった以上、その場における先行きは殆ど限定されている。私も君もこれから起こり得る当然の、謂わば特定の式から導かれる解を先に視ているだけのことだ。──そこに可能性などという単語が介入する余地はない」
確かに、彼の理論は完璧だ。そこには一点の穴もない。
されど、万物には必ず例外が現れる。高速電算機が時にエラーを吐き出すことと同じく。
完璧であるモノはそうである故にそれ以上になることはあり得ない。
その機械的な完璧さ故の綻びは、静音という『眼』を手にした両儀織の前では決定的な
織は静音から携帯電話を取り上げ、おもむろに語る。
「ふん、そういうことか。ならおまえの負けだな。やってみればいいさ、その未来の固定とやらを。そうすれば全て解る」
「……よく言う。アンタの死は決定している。もう状況は出来上がっているんだ。ならもはや未来は覆らない。始まりの因があれば終わりの果は自ずと見える。そこの彼女とて同じ景色が見えているんじゃないか?」
織はそこで電話を切り、無言で静音を見遣る。
静音は怯えた顔で首を縦に振る。
「瀬尾、この先で何が起こるか視えるか? そこだけじゃなく、起きたコトの先、そのさらに先までならもっと良い」
「えっ……と……、この道を真っ直ぐ進めば地面が爆発します。それで……橋でトラックが爆発して、その先は見えません」
「そうか、それはほぼ確実に起こるんだな?」
「はい。このまま進めば確実です。だからこの道は──っ⁉︎ 織さんちょっと⁉︎」
此処から動くな、とだけ呟くと織は突然静音を置いて疾走を始める。
烈風の如き猛進。織は少しも躊躇うことなく第一の道に突っ込んだ。
結果、小規模な熱風と爆轟が道の一部を包み込む。未来は決して変わっていない。
──されど、織は立っていた。轟々と燃える焔の先に。
彼は、その圧倒的な速力で起爆する瞬間に大砲のように脇に跳躍し、爆風の全てを己に伝えることなくいなしてみせたのだった。
「次は、橋か」
静音が見せた未来に少しも逆らうことなく、織は爆弾魔の決めた因果に沿って道を行く。
あともう少しで、あやふやな筈の未来は
──誰の
間を置くことなく、織は橋に停めてあるトラックの荷台に差し掛かる。
爆弾魔は言い様もない違和感に歯噛みしながらも、右眼が見せる未来に従い起爆装置を起動させる。
──どうあっても、爆弾魔は己が完璧であると結論した未来に従うしかない。それが明らかに本能が警鐘を鳴らす類であったとしても、例外はない。
先のものとは比較にならない程度の爆熱と、身を引き裂いて有り余る衝撃が橋を襲う。
確かに織が爆発に巻き込まれる未来は具現した。だが、爆弾魔は致命的に『見るべき未来』を見誤っていた。
例え爆発に巻き込まれる未来が当たった所で、それで対象が生きていれば何ら意味は無いのだから。
織はトラックを見た瞬間に爆発に備え、その少し先の電灯に義手から出した鈎付きワイヤーを引っ掛け、爆発する寸前に急速に巻き上げることでまたしてもその悉くを避けてみせた。肩口から強靭な義手に置き換えられている影響と、彼自身の極限の身体活用が有って初めて成立する荒技である。
無論、身体への負担は大きいが義手にエネルギーを集中させることで脳や臓器に掛かる衝撃は全て回避される。
その刹那、織は初めて爆弾魔と視線を合わせた。爆弾魔は初めて織と視線が合った。
"ようやく会えたな"
織の唇がそうが動いたのが、本能で理解できてしまう。
だが、想定内だ。未来視は次の段階へ移行するのみ。
『ようやく、此処まで来てくれるか──』
これで未来は完全なカタチを持つことができる。
これはただ織が爆発に巻き込まれるだけではない。その先──完全に死を確認できる状態に持っていける。
『ともあれ、これで幕は下りる──』
爆発魔は静かに嗤った。
/2/2
「ちょっとぉ──! そっちに行っちゃダメなんですってば──!」
何の理由か、織さんはわたしの視た未来を回避しようとせず、あろうことか真正面から突っ込んでいってしまった。
わけがわからない。何の為にわたしが付いていたのか、それすらも。
確かに、二つの爆発で彼が粉微塵になる光景は見えていなかった。
でも、アレだけはダメだ。
少し先の大型デパート、そこで彼は確実に最期を迎える。
どうあっても、そこに踏み込むという状況が出来上がった時点で、如何なる手を尽くそうと未来は変えられない。予測しかできないわたしの眼にもこの上なく明瞭に映る程に。
そこに何の思惑が会ったのかは想像だにできない。いや、明確に視えた未来を回避もしなかった時点で彼の思考様式は理解不能だ。
わたしはただ、スクラップと成り果てたトラックを前に群衆に巻き込まれるしかなかった。
◇
橋から少し離れた廃ビル、その駐車場に爆弾魔・倉密メルカは潜んでいた。
手元には爆薬の起爆装置。最も信頼し、数多くの依頼を果たしてきた頼れる得物を手に、彼は己の勝利を確信し口元を綻ばせる。
これまでの過程は一部を除き彼の想定内であった。
幾度もの攻撃の失敗。路地裏での攻撃は突如として出現したイレギュラーである瀬尾静音に阻まれたが、一度その正体を知った以上、橋での攻撃は彼女によって失敗させられるものとして組んでいた。
そうは考えるものの、よもや両儀織がそれらの忠告を無視してくるとは思わなかったが。
回避し得る手段を持っていて尚、何故か自分の組み上げた未来に悉く沿った挙動をする標的。
その真意は未だ謎として胸の内に燻っているが、彼がここに踏み込んだ時点で結果は同じ。
如何なる過程を歩もうとも、彼の測定した
埃が充満し、密閉された空間に足音が響き渡る。
少しずつ 大きくなっていく足音は、紛れもなく両儀織のものだ。
倉密メルカの仕掛ける最後の爆弾は、正しく
鎮座する四台の廃自動車には全て
彼が部屋の中央に入った時点で、敗北は確定だ。──これで死なない生物など、幻想種くらいのものだろう。
メルカは、その一切がなんとか届かない僅かな安全圏からその結末を
ここは、外界から完全に隔絶された一つの異界と化していた。
そこに、織は無言で速やかに歩み寄る。
彼は手に馴染んだ大型の戦闘用ナイフをコートのホルスターから引き抜く。
部屋の中央──測定された未来の渦中に織はメルカの視界通りの挙動で足を踏み込む。
──これで全ての条件が揃い、寸分の余地なく未来が確定した。
メルカは嗤う。織も嗤う。
二人が得物を振るうのは、奇しくも同時だった。
おそらくは、一秒よりも尚迅く。
四つのIEDと三つの炸薬は同時に爆裂し、鮮烈というのも生温い鋼鉄の暴風をその身に受けた両儀織は、黒焦げた残骸となってこの世界から消え去った。
「っ────⁉︎ なっ、なにぃ…………⁉︎」
あまりにも唐突すぎる展開。
覆らない筈の展開。確定した因果。それらは極限の不条理を前に露と消える。
メルカは、混乱に支配されたまま起爆装置を何度も起動させようと試みる。
だが状況は変わらない。
確かに、両儀織はここに現れた。
されど、その未来を決定付ける最後の一押しである爆弾だけが起動しなかった。
「ばっ、 馬鹿な! 因果の逆転だと⁉︎ あ、あり得ない!」
それは、メルカが久しく忘れていた完全なる未知であった。
確かに、未来視はその場にあるファクターだけで未来を構成することが可能だ。
だが、未来視自身が知りえないファクターは、構成される未来に含めることはできない。
『直死の魔眼』。その力の概要は荒耶宗蓮から聞き及んではいたものの、それだけではついぞその力の真髄を知ることは能わなかった。
魔眼の真の力を知ることなく未来そのものを完全に『カタチに』してしまった時点で、彼の敗北は確定していたのだ。
「因果の逆転? そんなに大層なことじゃない。ただおまえが作った未来にちょいと罅を入れてやったのさ」
織は滔々と語る。
「瀬尾の視た未来は正しかった。あいつの視る未来は予測。その場にある情報だけで最も起こりやすい光景を映像にするだけのカタチのない主観。対しておまえの未来は、因果そのものを状況に依って確定されたカタチのある概念に組み上げている。未来とは偶然で左右され、現在から脈々と続いていく連続性だ。おまえは現在と未来の間に境界を引き、その繋がりを断絶してしまった。なら──その境界を切り裂くのは容易い」
カタチのある概念。そんなものは不鮮明な螺旋のネジ巻きよりは余程視えやすいものだ。
ならばそれは、十二分に殺害対象となる。
「予測に留めておけば瀬尾に察知され、測定に至ったならばオレに破壊される。おまえはあいつとオレを同時に敵に回した時点でどうしようもなく行き詰まっていた。おまえが
「そ、そんな……」
未来を映像として視覚化したとて、それを認識し理解するのはあくまでも観測者自身である。
故に、その果てに待つ結末を正しく認識できないのであれば、それは未来予知足りえないのだ。
そこで織は初めて爆弾魔と向き合った。爆弾魔もまた初めて織と向き合った。
「おまえ──まさか」
織は予想外の展開に、魔眼を維持することすら忘れて呆気に取られていた。
◇
廃ビルの地下駐車場での爆発事件は織が去った後に現実となる。
当然のように死者は無く、その動機も全くの謎である。
警察が現場に踏み込んだ際、そこには何の理由か廃ビルの入り口に右眼に重症を負った十四歳の少年が倒れ込んでいたという。
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「本当にこんなもんで良いのか? 報酬って」
「はい! 大分無茶を言ったつもりなんですけどね、えへへ」
八月三日、正午。
わたしと織さんは最寄りの喫茶店、アーネンエルベにて休憩していた。
その経緯を説明すると、爆弾魔を見事撃退した織さんは即座に橋に居たわたしの下に戻ってきて、事の顛末を説明してから報酬をやる、という話になり、ここに至るというワケなのだった。
「あの、どうやって織さんはあの未来を変えたんですか? あれは確定した筈なのに」
「ああ。爆弾魔には言ったがな、完成した未来なんてものは未知でも偶然でもない。カタチのあるモノは何時かは壊れる。だからそれを早めてやっただけだ」
織さんの言うことはよく理解できない。
というより、何だか話の前提になる情報がわたしの頭からは抜け落ちている。
「おっと言い忘れたな。未来なんて上等なものじゃないけど、オレの眼は特別製でね、おまえと同じく視えるものがあるんだ」
不思議と衝撃ではなかった。
何というか、この人がそういった特別に該当するというのはなんとなく判っていた。
「オレの眼はね『モノの死』が視えるんだ。万物には綻びがある。人間は言うに及ばす、大気にも意志にも、時間にだってだ。オレは──それを断ち切ることで殺せる。カタチのないモノは無理だけど、カタチのある概念なら殺せる。オレが未来を殺したのはそういうコト」
そう言って織さんは炯々と蒼く輝く万華の瞳でわたしを見つめる。
それだけで ──全身が粟立つ感覚が走る。
「それでさ、何か言いたいことがあるんだろ? 一応聞くだけ聞くさ」
織さんは何気なくわたしの真意を言い当てる。
この人は未来視じゃないけれど、それでも隠し事はできないだろうと直感した。
わたしは意を決し、今まで抱え込んできた長年の悩みを打ち明けることにした。
「……わたし、怖いんです。その、何と言うか、いつかどうしようもない未来を視てしまうかもしれなくて。だから今日みたいなことは怖いです。結局、わたしはあなたの助けになんてなれなかった。……わたしなんかの力じゃ、未来は変えられなかった」
……そう、わたしの未来は変えられなかった。
結局、最後に趨勢をひっくり返したのは単に織さんの力である訳だし。
わたしが居ても居なくても、この人は爆弾魔になんて負けはしない。
「はっ、それこそまさか。言っただろ、おまえの未来は確定したものなんかじゃない。実際、おまえが居なけりゃマズかったかもしれん。あの爆弾魔が測定してくれたおかげでぶち壊しにできたが、予測に切り替えられてたらオレだけじゃどうにもならん。正直、おまえが未来を視てくれたおかげで助かったんだ」
「わたしの、おかげ──?」
それは、何度も言われたことのある言葉。
テストのヤマを当てたり、先輩の呼び出しを先読みしたりして、友人に感謝されたことは多い。
けれど、わたしはそれがイヤだった。
「……違うんです。わたし、そうやって自分一人先行きを知っていることが、どうしようもなくズルいことだと思うんです。その度に、必死に努力している人達を無下にしているようで──自分がイヤになる」
「──それでも、感謝されてきたんだろ?」
織さんは飄々としたまま、当たり前のように語る。
なんてことはない、単なる事実の再確認。
けれど、その言葉は熱く胸に残った。
「未来視に限らず、異能というものは治せない。なら、やるべきことは変わらない。おまえは今まで通り未来を視て、誰かの為に役立ててやればいい。例え変えられなかったとしても、きっとそいつはおまえに感謝するだろうさ」
「──」
「まあ、オレは視えないからそう言うしかないんだが。……未来が変わらないのなら、せめて後悔しないように生きる為のモノなのかもな。何よりも、壊すしかできないオレよりはそっちの方が余程建設的だ」
彼が言ったことは、要するに悔いの残らないように足掻け、ということだった。
特別な力には、特別な代償が伴う。
彼もまた、そうやって自分の疎外感と折り合いをつけてきたのだろう。
それに──わたしはもう、自分のやるべきこと、辿るべき道を見つけていたんだ。
「それじゃ、話は終わりか? なら出ようぜ」
織さんは伝票を手に取り、高そうな革財布を懐から取り出した。
「──今日は本当にありがとうございました」
心から、わたしは彼に感謝する。
思えば奇妙な人だけども、その根底にあるのは己の運命に抗おうとする、誇り高い意志だった。
例えその果てに何も残らなかったとしても、その時は苦笑いでもして『それもまた良し』と受け容れる。
その在り方を──わたしは最初から知っていた。
「それと──最後に言いますけど、あなたにはこれからたくさんの困難が降りかかります。もしかしたらその内の一つは現実になってしまうかもしれません。でも──頑張ってください。最期まで、あなたはあなたらしく。わたしも、そうできるようにこれから頑張っていきますから」
例えば──それは白い幽霊とか金髪の青年とか黒い魔法使いみたいな人とか。
彼の行き先には無数の『死』が待ち構えている。
けれど、わたしは彼を信じている。
彼ならば、今回みたいにきっとそんな運命を見事打ち砕いてくれるだろうから。
だからわたしも、最期まで足掻くとしよう。
──その時に、笑って過ごせるように。
「そっか。そいつは前途多難だな。ま、精々足掻いてやるとするかね。全く、オレも奇妙な連中とばかり縁ができるもんだ」
そうしてわたし達は店を出た。
その後は伽藍の堂に赴き、サポートしてくれた一同に感謝してから別れた。
本当に暖かい人達だった。
大げさなようだけど、わたしはこの日を一生忘れたくない。
たった数時間の出会いだったけれど、それは何よりも得難い出会いだった。
わたしは遠くなって行く伽藍の堂と、そこから見送る幹也さんを見届けながら、もう一度だけ頭を下げて駅へむかった。
未来福音・了
/4
「失礼、観布子の母というのは貴女か」
雨の夜、その男は傘も差さずに袋小路の行き止まりに佇んでいた。
男──荒耶宗蓮が話し掛けているのは、観布子の母と呼ばれる恰幅の良い中年の女性占い師だ。
男が客であると認識した彼女は、その亡者のような異様な風体を気にかけることなく冷静に応対した。
「おやまぁ、アンタみたいなのは珍しいね。……なんて面構えだい。ほら、話なら聞いてやるからもっと近くに来な」
「失礼する」
荒耶は亡霊のように椅子に腰掛ける。
そのあらゆる種類の悲嘆と悲憤に満ちた貌を、占い師は真っ直ぐに見据える。
その溢れんばかりの感情を、一つとして見落とさぬように。
「……アンタ、年は幾つ? 見たところ四十五って辺りだけど」
「正確には憶えていない。四百か、四百五十か 」
「はっ、そりゃ長生きなこと。で? そんだけ生きてて今更何を悩んでいるんだい?」
占い師はどう聞いても嘘としか思えない言葉を受け止め、神妙な面持ちで尋ねる。
若者向けの恋愛相談を主とする彼女にとって、このような客は珍しかった。それも、このような異様な人間かどうかすら怪しい者など、五十年を超える人生を歩んできた彼女でも初めて見る類である。
男は少しも表情を変えることなく切り出す。
「私の未来を、占ってくれぬか。私とこの世界の有り様を」
占い師は男の手を取る。
固く、傷だらけの荒んだ手。
それは彼の壮絶な闘いの日々を象徴するものだった。
「……こりゃ驚いた。アンタ、本当に四百年も生きてきたんだねぇ。それも、酷いことばかりだ。良いことなんて一つも……、ん?」
そこで占い師は口籠る。
彼女は見つけたのだ。男の過去、凄惨な苦しみに満ちたその生涯の最も底、そこに眠るただ一つの眩い記憶を。
「ほぉ……これは中々……。アンタの人生、酷いことばかりだけどそれだけじゃないさ。これはきっと後悔の記憶なんだろうけど、忘れられていいことなんかじゃない」
荒耶は押し黙る。
自身すらも忘れ去った日々。そこにかつて輝きが有ったなど、どうして信じられようか。
「それで、結論は如何かな。私はどうなる」
「──驚いた。こんなことも、あるんだねぇ」
占い師は遠い目で、尊いものを見るように微笑む。
──それは男だけでは辿り着けない、ある愚かな女の祈りの結晶。
「悪いけど、アンタの夢は叶わない。──それでもその夢は生き続け、アンタは救われる。本物の奇跡だよ、これは」
「……そうか」
男は一層影を濃くして、短く応えた。
その福音の意味を、彼はまだ知らない。──否、知るべきではない。
「そうとも。どう足掻いてもアンタは失敗する。それでも、止めないと言うのかい?」
「無論、挑み続けるとも。幾度敗れようとも、必ずや悲願を──」
寸分の迷い無く、男は答える。
占い師は笑う。
なんという諦めの悪さ。けれどこの意志が、最後には彼を“答え”へと至らせることを知っているから。
「そうかい。ならこれだけは憶えておきな。──例え世界がアンタを憎んでも、ある一人だけはアンタの味方で在り続ける。こうしている今も、ね」
「──感謝する、観布子の母よ。さらばだ」
そう言って、男は占い師の皺が寄った瞼に触れる。
途端、薄れていた視界が鮮明に晴れ渡る。
驚きながらも、占い師は晴れやかな視界で男の後ろ姿を見送る。
哀愁の漂う、哀しげな背中。
けれども、そこには今も尚彼を支え続ける者の痕跡があった。
「なんだい。そんな顔も、できるじゃないか」
──最後に見えた男の貌は、ほんの少し笑っていた。
あけましておめでとうございます。
今回で未来福音は終幕です。
瀬尾の導き出した未来。それは例え結末を変えられなかったとしても、せめて最後には笑っていられるように悔いなく生きるというものだった。
そうしてまた未来に縛られた奴隷も漸くヒトに還ることができたのだ。
次回からは本格的に過去編を進めます。
1~3話までは以前から投稿していたので次に投稿するのは4話となります。
それではまた次回。