空の境界 偽典福音/the Garden of false 作:旧世代の遺物
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夢のつづき。あるいははじまり。
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1595年3月、私は彼女に出会った────。
西暦1595年。
豊臣秀吉による天下統一が為され、大きな争いを見る事は次第に少なくなっていった。
だが依然として農民一揆や戦など大小様々な抗争は絶えなかった。
私は義父の想いを継ぎ諍いあらば各地を行脚して回った。
魔術というものを身に付けた私は以前よりも遥かに多くの人を助ける事が出来た。
時に結界で賊を遠ざけ、魔術で傷を癒し、体術で弱き者の剣となる。
間に合った時もあれば間に合わなかった時もある。
しかしそれでも世が少しずつ泰平へと向かいつつある事に私は安堵していた。
そうして京から遠く信濃の戦場跡へ向かった私はそこで一人の女が立ち尽くしているのを見つけた。
◇
──あの女は何者だろうか。
生き残りと考えるのが妥当なのだろうが、それにしては余りにも場違いなほど整った身なりをしている。
白と黒、混ざり合う事なく分かたれた二色の着物を身に纏い、綺麗に切り揃えられた黒絹のような髪。
そして何より──その身が放つ静謐ながら途轍もなく眩い神か仏にも似た気。
彼女を構成する有りとあらゆる要素がこの戦場という死臭の世界から彼女を切り離していた。
私は知らず、見惚れていたようだった。
僅かばかりの逡巡の後、声を掛けてみる。
「……君はこんな所で何をしている」
女は仏頂面のまま、しかし柔らかな声音で応える。
「あら、まだ生きている人がいたのね…。あなたこそ、何?」
「私は供養の為、それから生者を救う為に来たのだ。……どうにも君は巻き込まれた訳ではないようだが?」
「あなたも、わたしと同じ……。自らの意志でここに足を踏み入れているのね」
なるほど、彼女は私と同じ目的でここに居るという事か。
だが、それにしては服に汚れが少なすぎる。
つまり長旅をしてきた訳ではなくこの付近に家を構えているという事だろうか。
「君は、この近くに住んでいるのか」
「ええ。ここから少しばかり離れた山間の村に家があるの」
驚いた。こんな戦場近くに村があるとは。
山間にあるという事が幸いしたのか、彼女の暮らす村は特に被害を受けてはいないらしい。
「それにしても、『生者を救う』か……。少なくとももうここは手遅れね……。わたしにできる事なんて、いつだって供養だけだった」
「……これは私の不徳だ。私さえ間に合っておけばこんな事には…」
そうだ。何時もそうだった。
私はもう、救う力を手に入れた筈なのに。
……それなのに、どうして誰も救えない。
そうやって一人苦悩を顔に浮かべてあると、唐突に彼女はとある質問を繰り出してきた。
「あなた、旅人よね? この辺りに宿なんてないけれど、何処に泊まるつもりなの?」
「無論、野宿だが。…君には帰るべき場所があるのだろう? ならばこんな所には長居するべきではない」
「それもそうね。結局ここにあるのは屍だけだから…。提案なんだけど、わたし達目的も同じみたいだし、折角だから村に来ない? 当面の間なら面倒を見てあげられるけど」
それはつまり、彼女の村の者に世話になるという事だろうか。それとも彼女自身の家に宿泊するという事だろうか。
どちらにせよ、このご時世に何処の誰とも知れぬ者を暫くの間とはいえ住み込ませるなど余程豊かな村なのだろう。
……だとすれば尚更不可思議だ。
こんな片田舎の戦場近くにそれほど余裕のある集落があるなど。
諸々の疑問や懸念は置いておき、とにかく決断することにした。
「君がそれで良いと言うのならばそうしよう。だが村の者達は? 旅人など泊められるだけの余剰など無いのではないか? それに私には身分を証明する手立てなど無いのだぞ」
「それなら心配無用よ。わたしの家に泊めてあげるから。それにあなた言ったでしょう? 人を救う為にこんな辺境まで来たって。どうにもあなた嘘なんてつけそうにないし、そんな炎みたいに真っ直ぐな瞳をした屍体漁りなんている筈ないもの」
「……そうか。ならば世話になるとしよう。君の厚意に感謝を」
「ふふ、それなら行きましょう、わたしの村へ」
……
ただ旅の宿を用意して貰ったというだけなのだが、奇妙な事に私は彼女に対し強く心惹かれている様に思えた。
彼女も私と同じ、人助けを目的にしているからだろうか?
いや、それだけではない。
あのあらゆる邪気を遠ざける眩い気。柔和で端正な貌に似合わぬ深海の如き昏く深い瞳。
それはまるで、仏にも似た────。
……いや、錯覚だろう。
あの女人は只者には見えぬとはいえ、人である事には変わりない。
だが、それでも──。
既に荒耶にはあの人物しか見えていなかったのだ。
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「おんや? 当主様、見かけないお人をお連れのようですが……どうしたんですかい?」
「ああ、この人はね……ええと……」
「荒耶宗蓮。戦場供養の為訪れた旅の者だ。宿を見つけあぐねていた所、彼女が提供してくれると言ってくれた故随伴して来たのだ」
あれから半刻。
村に到着した私は村人から質問責めに遭っていた。
無理もないだろう。彼女の様な高貴であろう人物が私の様に明らかな他所者を連れているなど滅多に見ないであろう故。
彼女は私への好奇の視線を受け流しながら坂を登っていく。
おそらく上にあるあの武家屋敷が彼女の家なのだろう。
屋敷に着く前に、一通り自己紹介をしておく事にした。
「そう言えば自己紹介を忘れていたな。私は荒耶宗蓮。既に僧籍ではないが、衆生救済の為国中を行脚している者だ。君は?」
「わたしは
そうして彼女は枝で地面に己の名を書く。
天邏、全く聞き慣れぬ苗字だ。ここまで珍しい名を持つ家など聞いた事がない。それなり以上に名のある武家に思えるのだが…。
そうこう考えている内に彼女は門の前に立ち帰宅を告げている様だった。
すると門が開かれ使用人と思しき者と共に家族であろう男が現れる。
「姉上! こんな時刻まで何をして居られたのだ!」
「何かって、いつもの様に出歩いていただけよ」
「それにその者は何者だ? この村では見かけぬ様だが」
「この人は荒耶宗蓮。この近くの戦場跡に供養に来ていた旅人だって。どうにも宿に困っていたようだから連れてきただけ。大丈夫、この人見かけはちょっと怖いけどきっと優しい人よ」
「姉上がそう言われるなら止めはせんが……しかしこの時勢に一人旅とは剛毅なものだな」
「私には使命がある故、一つの土地に長居する事にもいかぬでな。ここで見えたのも何かの縁。無骨な物言いしか出来ぬが宜しく頼む」
「俺は天邏家当主紫希が弟、
男はどうやら紫希の弟であるらしい。
確かにこの筋骨隆々ながらもやや細さを感じる、均整の取れた体は武家の男と言うに相応しいだろう。
しかし、長女とはいえ女の身である紫希が家を継いでいるのは如何なる事情あっての事か。
疑問は尽きないが二人に随伴して屋敷へ進んでいく。
「入って、どうぞ」
「失礼する」
一応挨拶を交わしてから屋敷の中へ入る。
坂からは大きく見えたものだったが、中はそれなりに簡素なものだった。
豪勢な調度品といった洒落た物は無くただ幾つもの部屋が襖で仕切られているだけの実に飾り気の無い、殺風景とすら言える屋敷。
その光景に私は僅かに寂寥感を覚えていた。
そうして屋敷を見ているとどうやら日が落ちたらしく、使用人が私と彼女達の分の布団を用意する。
ともかく、これで当面の宿は確保できた。
どれほどの期間滞在するかは分からないが此処なら良い拠点となるだろう。
山に囲まれた堅固な防備を持つ農村。確かに魔術師が潜むには格好の場所だ。
彼女達も眠りに就いたらしく、灯りは既に消えている。
私も今日は休むことにして布団に入る。
長旅で酷使した体に対して上質な布団が齎す柔らかな感触は瞬く間に私の意識を刈り取っていった。
◇
翌日。
何やら良い香りがしたので目を覚まし匂いを辿って居間に向かうと、そこでは紫希と阿紀が朝食を摂っていた。
どうやら私の分も用意していたらしく二人と同じ料理が綺麗に配膳されている。
「これは……」
「ああ、あなたが眠っていたから先に作っておいたの。遠慮なく頂きなさいな」
「かたじけない。重ね重ね感謝する。」
そうして一応の礼を払い私は箸を取る。
用意された料理は簡素ながら極めて整った盛り付けでとても見栄えがいい。
「……美味い」
私は知らず呟く。
思えばこれ程の逸品を口にするのは何時ぶりであろうか。
寺に居た頃も同じような物を食べていた記憶があるが、ここまで美味だった覚えはない。
……幼少期に口にしていた物など、思い出したくもないな。
特に会話もなく黙々と食事を終えた後、私たちはお互いの身の上を語り合った。
どうやら二人の両親は亡くなって久しいとの事で、今は両親の使用人たちと暮らしているらしい。
私も覚えている限りの事を話した。
戦と病で父母を亡くして戦場で生きてきた事。
巡礼の僧に拾われ共に学び、旅に出た事。
義父に託された
そして今は僧籍ではない旨も。
流石に魔術師である事を暴露する訳にはいかなかったが。
二人はそれぞれが全く異なる反応を示した。
阿紀は慰めるべきか決めあぐねている様な苦い顔を。紫希は穏やかな相のままただ静かに相槌を打っている。
私はとりとめもないことながら姉弟ですらこうも違うものなのかと内心驚いていた。
しかし私の方も最大の疑問が残っていた。
何故男である阿紀でなく女である紫希が家を継いだのか。
私は出来る限り慎重に言葉を選び問いを投げ掛けた。
「……それに関しては今はまだ。何時か機会があれば答えましょう」
「……そうか。失敬した」
「けど、そうね……わたしの体質が関わっている、とだけ言っておくわ」
私はそれ以上問い詰めることはしなかったが、極めて気がかりな言い方だ。
──体質。それがどう関係していると言うのか。
「そうだ、ここまで世話になったのだ。何か手伝える事があれば何なりと命じてくれ。私にはそれしか返礼する手がない故」
「お礼なんてそんな……なら村の皆の作業を手伝ってきてくれないかしら」
「承った。それだけで良いのなら、行くが?」
「ええ。行ってらっしゃい」
やはり二人共その風貌に相応しく謙虚な人柄であるらしい。
私は門から出ると共にすぐ下に見える村落へと向かう。
存外、この村には長く世話になるやも知れんと思ったので観察もしておくと良いだろう。
◇
──もうすぐ夕が訪れようとしていた。
屋敷から下りて村人の作業を日中手伝ってみた処、幾らか奇妙だと思う点を見つけた。
どうにもこの村はそれほど豊かというわけではないものの、これ迄見てきたどの村よりも人々に活気があるのだ。
そう、老若男女問わず精気があり病や障害を抱えている者が一人も居ない。
それ故か皆他所者である私にも極めて好意的で、私を訝しむそぶりさえ見せなかった。
これは珍しいという言葉すら越した事だと思う。
私が見た村落というものは基本的に貧しく殺伐としていて閉鎖的で、誰もが己の生を背負うのに精一杯だった。
それにこの村の人間は例外なく心から天邏家の二人、特に紫希を心から尊敬──いや、『生き仏様』と呼び崇拝すらしている様だった。
やはりあの紫希という女は只者ではなかった。
ならば彼女は一体何者か。
それを、知らねばならない。
そも彼女には初めて会った時から何か鮮烈なモノを感じていた。
そう、初めて彼女を見たあの時、私は何故か怖気にも似た感覚を感じたのだ。
''アレ''に関わってしまえば、決定的に''何か''がズレてしまう────。
それは神仏か、或いはそれすら越えた存在からの警告の様に思えた。
だが、それでも私は彼女に近付いた。
幾許かの不安はある。
ただ、もしかしたら彼女こそ私の
私は諸々の懸念と何の根拠もないほんの僅かな希望を抱いて屋敷への帰路に着いた。
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──今思えば、アレは私にとって何だったのだろうか。
確かに彼女は私の特別だった。
そう、あの頃の私にとって彼女の小さな背中こそ己の全てであったのだ。
だが、結局救いにはならなかった。
それは何故か。
……いや、結論を出すにはまだ記憶が足りなすぎる。
もう少し、夢を見るとしよう。
今回もお読み頂きありがとうございます。
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それではまた次回。