空の境界 偽典福音/the Garden of false   作:旧世代の遺物

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 不定期更新です。


彼方を継ぐ者/3 -憧憬-

 

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 ──不審な者が村に入り込んでいる。

 

 天邏家に住み込んで三月(みつき)ほど経った日の事だった。

 夜中、念の為山の中に張ってあった侵入者探知用の結界に反応があった。

 私はすぐさま身を起こし、屋敷の者に気付かれぬよう支度をする。

 だが。

 彼女──紫希が居ない。

 こんな時間に一人で外出だと? 有り得ないことではないが、よりにもよってこんな時に──。

 それに何故屋敷の者達も気付いていないのか。

 嫌な予感がした私は間髪入れずに結界のある山に行く事にした。

 

 

    ◇

 

 

 ──ここか。

 どうやら既にコトは起きている様だ。

 山中の結界に続く獣道にはまだ新しい血痕がある。

 それは進む度段々と濃く多くなっていく。

 紫希、どうか無事で居てくれ──。

 

 そう思った矢先、薄っすらと人影があるのが見えた。

 

「紫希……?」

 

 そこには、初めて会った時と同じ様に何をするでもなく佇む紫希の姿があった。

 ただし、右手に紅く妖しい輝きを放つ刀を持ち、黒い羽織りを纏い、血に塗れた幽鬼の様な姿になっているが。

 不思議とそれはあの日見た眩い後ろ姿と全く同じ様にしか見えなかった。

 

 とにかく、彼女が無事なのかどうか。私にとってそれが最も重要なことだ。

 私が何かを切り出す前に彼女が口を開く。

 

「……荒耶? 駄目じゃないの。こんな時刻に一人で出歩いては……」

 

 彼女は柔らかな笑みを浮かべたまま、当たり前の様に私を咎める。

 この状況もあって私の混乱は一層深くなっていく。

 

「そんな場合ではないだろう! 大事はないか? 誰にやられた?」

 

 焦りを隠せない私は捲し立てるも、彼女はあくまで平然と答える。

 

「これはただの返り血よ。それよりもっと聞きたい事があるのではなくて?」

 

 そうだった。無事であるのはいい。だがこの状況はどう考えても異常だ。その返り血も、明らかに呪詛を帯びたその刀も。

 とにかく、何か一つでも説明して貰わなければ。

 

「君はいったい何を……? その血は誰のものなんだ……?」

「そうね、ただの鼠狩り、鬼退治と言った所かしら?」

 

 そう言った彼女は刀で地面を指す。

 そこには明らかに人ではない、異形の者どもの屍が転がっていた。

 そう、彼女が戦っていたのは人ではない。

 彼女は村に侵入した鬼を討つ為に山に入ったのだ。

 当然、そんな事はただの人間には到底不可能だ。

 つまり、彼女の正体は……。

 

「そう、わたしは退魔の者よ。天邏家というのはね、退魔四家の一角たる両儀の分家。あなたも僧侶だったのなら、聞いた事がなくて?」

 

 ──退魔四家。確かに寺に居た頃に聞いた事がある。

 両儀、浅神、巫淨、七夜から成る人ならざる(あやかし)を討つ者達が居ると。

 天邏家も、その一端だと言うのか。

 

「……君は、たった一人でこんな事をしているのか」

 

 彼女は何の感慨もなく、ただ静かに語る。

 

「そうよ。でもこれはただの雑務、ただの掃除に過ぎないわ。それだけなら阿紀がやっても同じ事。魔を狩るのは退魔の本分だけど、わたし自身の役割は違う所にある」

 

 紫希は、退魔は自分の役目ではないと語る。

 確かに、それだけなら男である阿紀を差し置いて紫希が当主である必要はない。

 そこには必ず、私の知りえない事情が隠されている筈だ。

 

「でも、それは内緒。隠し事なんて嫌いだけど、これは村の外の人には知らせない決まりだから。それに謎が多い方が魅力的でしょう? 謎多き女、天邏紫希。なんてね」

 

 それは、彼女なりの深入りしない方が良いという忠告なのだろう。

 ……確かに、あくまでも部外者でしかない私にそれを教えたところで意味などない。

 それどころか秘密が漏洩してしまっては、敵対者の利になりかねない。

 秘密とは隠し通さなければ不利益に繋がるからこそ秘密なのだ。

 

「分かった。これ以上は詮索しない事を約束しよう。……ただ、次''鼠狩り''をする時は私も同行されてはくれぬか?」

 

 あまりにも予想外だったのか、彼女は目を丸くして押し黙る。

 勢い付いた私は彼女が驚いている内に続ける。

 

「私は幾度も妖の類を討った事がある上、除霊にも覚えがある。同行が無理なら代わりに私に任せるのはどうだ?」

 

 正直、勢いだけで要求した事に自分でも驚いているが、理由だけなら思い付く。

 以前から彼女には言いようのない危うさを感じているのだ。

 その明るさも柔らかさも、押せば壊れる硝子細工の様な脆い均衡の上に成り立っているとしか思えない。

 魔を祓う事は退魔の義務だと彼女は語った。

 だが、私はその様な使命感から生じた行動ではないと思う。

 今思えば、屍の山で佇む姿はひどく悲しそうで──罰を待つ罪人(つみびと)みたいに怯えて見えた。

 言い過ぎかもしれないが、これは自傷行為なのではないか。

 自身を危険に晒すことで自らを罰する。

 少なくとも、''鼠狩り''だけはそういう行動原理が潜んでいると思った。

 私は、紫希の事も天邏家の事も多くは知らない。

 けれど、もう放っておくことなどできそうにもなかった。

 だから──無理を承知で助けになりたいのだ。

 当然、彼女は厳しい眼差しで問う。

 

「──どうして? 化生を討つのは私だけの責務。あなたが巻き込まれる謂れはないでしょう」

「謂れなら、ある。……君は初めて私と会った時、''目的は同じ''と言っただろう。そうだ、それが人を救うことに繋がるのであれば即ち私の責務だ」

 

 ……そう、彼女と私は同志。

 彼女がどんな苦しみを抱え、何を思って救済を志したのかは知らない。

 思い上がりでしかないが、その理想だけならば共にできるだろうか。

 

 それに対し紫希は哀しげに、宥める様に語った。

 

 

    ◇

 

 

 ──荒耶宗蓮という男は初めて見る類の人だった。

 戦場跡で何もできず立ち尽くしていたわたしに声をかけてきた彼は、今まで見たどんな人よりも真っ直ぐで、しかし異質に思えた。

 ──同類かもしれないと。

 自らの意志で屍の山を闊歩し、弔うことしかできない現実に膝を折るその姿はなんだか鏡写しの様。

 余所者など滅多に来ない事もあって、気紛れを起こしたわたしは彼を側に置いて観察していたいと考えて連れ帰る事にした。

 

 彼と暮らし始めて暫く経ってからの事。

 わたしは彼の炎の様に一途な瞳の奥に僅かばかりの濁りを見出した。

 

 彼の内に潜む小さな、けれど確かな(くすぶ)り。

 それは、きっと憤怒と呼ばれる類のものだ。

 彼の最も奥に沈む、心の澱。

 その怒りがいつしか彼を飲み込んでしまうかもしれないという危惧がわたしには芽生えていた。

 彼はわたしを同志だと思っているようだけど、本当はわたしは綺麗な人間なんかじゃない。

 けれど彼は違う。

 彼の抱く想いは、その理想はとても純粋で美しい、剥き出しの真実(ほんとう)から生まれ出たもの。

 ……わたしが唯一持っている、後ろめたさから生まれたニセモノとは根底から異なるものなんだ。

 だから彼には綺麗なままであって欲しい。

 そう願ったからこそ、彼に余計な重荷を背負わせたくなかった。

 この件に関しても何の含みも無い、純粋な使命感から願い出たのだろう。

 そうであるのなら、わたしはそれを受け入れなければならない。

 ──それが、彼の望みなれば。

 でも、これだけは言っておかないと。

 

「……いいでしょう。同行を認めるわ。でも勘違いしないで。あなたが自身に課した責務は『人を救う』こと。決してこんな忌み事なんかじゃない。何もかもを受け容れるという事は最も不浄である事と同義よ。魔を討つ者はその業を背負う。この意味が解らないなんて事はないでしょう?」

 

 彼は何の迷いもなく即答する。

 

「識っているとも。理想を掲げ、その為に生きる、その代償を──幾度も払ってきたのだからな」

 

 全ては理解した上での行動だった。

 そんなこと、最初から知っていたというのに──。

 彼を危険な目に会わせるのはどうしても躊躇われてしまう。

 理由なんて知らない。それでも、彼が傷付けられる場面を想像するだけで肌が粟立ってしまう。

 彼が理想を掲げ続けるというのなら、わたしはそれを後押ししてあげないといけない。

 ……それは彼に綺麗なままでいてほしいという、酷く身勝手で、どうしようもなく醜い願望でしかないのだけど。認めると言った手前、そうせざるを得なくなったのだが。

 

「ならいいわ。お好きに戦いなさいな。けど、足手まといだけは勘弁願うわ」

 

 棘を含ませた言葉に彼は明確に安堵し、感謝すらして見せた。

 理由は当然決まっている。今更語るまでもないけれど。

 

 ──ああ、わたしは何て弱いのだろう。

 彼がどうしても引き下がらない事が分かっていたから、こうも易々と危地に連れて行く事を約束してしまった。

 本当に彼を想うのなら、どんな手を使ってでも止めるべきだったのに。

 

 ──ああ、わたしは何て醜いのだろう。

 そんな彼の在り方が好きだというだけで、無意味に重荷を負わせてしまう。

 ただわたしの充足の為に、彼にヒトとしての道を説いてやれない。

 

 それでも、後悔だけは無かった。

 彼を危機に陥れているのはわたしなのだけど、これからは彼を守りながら戦うという新たな責務が生じた。

 今はそれが、少し嬉しい。

 

 

   ◇

 

 

 あれからもう三月(みつき)ほど経った頃。

 私は奇跡を目の当たりにした。

 

 日が落ちて村も眠りに落ちた頃、瀕死の重傷を負った村人が天邏邸まで担ぎ込まれてきた。

 熊にでも襲われたのか骨は皮膚から突き出ており、内臓すら露出している、即死していない事が奇跡と言える程の深い傷。最早魔術ですら助からないのは明白だった。

 私はそれでも諦めまいと必死に治療を試みるものの、焼け石に水程度の効果しかなかった。

 そうして、狼狽し半ば諦めかけていた私の前に突如として紫希が現れた。

 魔術を知らない彼女ではどうすることもできないだろうと諦観している私を前に、彼女は村人の患部に優しく、子供をあやす様に触れ、念じる。

 その瞬間──彼女の手から青く淡い輝きが発せられ、瞬く間に傷が癒えていく。

 ──まるで初めからそんな傷は無かったかの様に。

 

 多分、あまりの出鱈目さに私は固まっていたのだろう。

 その間に村人は意識を取り戻し、私と紫希に感謝を告げて家族に運ばれていった。

 

 あれ程の傷を、触れるだけで癒す。そんな魔術、聞いたこともない──。

 

 当然すぐに今起きた奇跡について問い質すも、彼女は口を開きたがらなかった。

 幾許かの逡巡の後、お互い落ち着ける場所に行き、仕方ないという風に語りだす。

 

「……そう、これがわたしの本当の役割。天邏が受け継がせてきた異形の力。これはその一端」

「それが、君の……退魔としての真の異能という事なのか」

「半分は正解よ。でも、天邏家はそんなことをわたしに期待した訳じゃなかった」

 

 私が問いを投げかけるより先に、紫希は自らの出自を語る。

 

「かつて、両儀家は万能で完璧な個人を創り出す為に一つの肉体に二つの人格を住ませる事にした。陰と陽、男と女。相反する二つの性質を持つ、その名の通り『両儀』である太極を体現した人間を創る事でその悲願を遂げようとしたのよ。その分家である天邏も同じ目的を持っていた。けれど所詮分家でしかない天邏には両儀の伽藍創りの技術は無かった。そこでわたしの先祖達は『二つの人格を持たせられないのなら、相反する性質を持った二つの異能を持った人間を創ればいい』という考えに至った。その果てに生まれた完全体がわたし。目論見通りに二つの異能を持って生まれたわたしは女の身でありながら当然に当主となった」

 

 そうか……紫希が当主になったのはそういった理由有ってのことだったのか。

 彼女が隠し続けてきたもの。それがこの異能なのだろう。

 だが、それだけではない筈だ。

 

「……でも、わたしはこの力が憎い。わたしには『収奪』と『譲渡』の力があるから、それで出来るだけ沢山の人を助けようとしていたわ。けどそれは思い上がりだった。幼いわたしは無闇矢鱈に力を譲渡して、救世主を気取っていた。……無限に湧き出す力なんて都合の良いものがある筈ないってコトすら考えずにね」

 

 彼女はその端正な顔を悔恨で曇らせながら、半ば懺悔する様に言葉を絞り出す。

 

「そうして数年と経たない内に、わたしの両親が死んだ。理由は明白だった。……わたしが生命力を『収奪』していた対象は両親だったの。その事実に気付いた時、心の底から生まれて来なければ良かったと思ったわ。わたしは誰かを救えるっていう思い上がりで、名前も知らない人々の為に一番大切な家族を手に掛けたのよ……」

 

 ──知らなかった。

 彼女が抱える苦しみ。それが何であるかすら考えずに、私は紫希を人間の理想像と重ね合わせていたのだ。

 ──何という、蒙昧。

 ──何という、愚物。

 私は知らず頭を抱え、部屋は通夜めいた空気に呑み込まれていた。

 

「でも、引き換えにわたしには''道''が視えるようになった。不思議な事にこの''道''を辿っていくと、そこには門があって、中は見えないのだけどそこから流れてくる''力''を手で掬うことができた。成長したわたしは確信した。''これこそが無限に湧き出す力、世界の果てに繋がる道に違いない''とね。『天邏(あまら)』には『天を巡る』とは別に『阿摩羅識(あまらしき)』という意味がある。擬似的な太極として創られたわたしの肉体は、それに近しい何かと微弱な繋がりを持っていた」

 

 私は更に愕然とする。

 阿摩羅識? 繋がり?

 ──それは、魔術師の最終目標である『根源の渦』と同一の存在ではないのか。

 

「流れに干渉することはできずとも、わたしには流れの一部を奪い取る力がある。そうしてそれからはそれを生命力として村人達に譲渡することにした」

 

 そうか、それがこの村を覆う怪奇の真相だったのか。

 通りで傷病者が居ない筈だ。

 

「つまり、君がこの秘密を口外する訳にはいかないと言ったのは……」

「……もし村の外の者がこの力を知ったら、わたしを放ってはおかないでしょうね。村人達はわたしを手放しはしないでしょうから、大名──それも内府がこの村を焼き尽くすことになるわ」

 

 これで彼女の謎は全て明らかになった。

 だが、これで私にはもう一つ責務が生まれた。

 ──その様な非道、決して許してなるものか。

 

「分かった。秘密は必ず守る。仮に知られてしまったとしても、この村も君も、この荒耶宗蓮がどんな手を使ってでも守り通す」

 

 私はありきたりな言葉でしか表現できないが、それでも最後まで皆を守るという決意があった。

 だが彼女はむしろ私の期待とは真逆の反応を見せた。

 

「──違うの。わたしはあなたが思っている様な綺麗な人間なんかじゃない。あなたはわたしを同志だと言ってくれたけど、本当は違うのよ。……わたしはただ、贖罪がしたいだけ。そうしないと自分を許すことができないから。わたしには理想なんて無い。それは後ろめたさから生まれたニセモノでしかない。……だからあなたが眩しかった。本物の、美しい理想を抱くあなたが。身勝手にも、そうであり続けて欲しいと願っていた」

 

 彼女は半ば諦めたような苦笑いを浮かべ、自嘲する。

 

「わたしは誰かに守られる資格なんてないの……。あなたが抱える理想はいずれあなた自身を傷つけるって解っているのに、そうで在って欲しいと望む。幸福の意義なんて考えもせずに人を救う真似をする。自分が許せないというだけで、他者(ひと)を守るふりをする。──本当、何て無様」

 

 ──違うんだ。

 私はただ、誰にも傷ついて欲しくないだけで──。

 

「──それは違うな、紫希。私は……確かに多くの報われない死を見てきた。人を救えた事など、一度として無かった。それでも──後悔はしていない。私はこの理想を抱けて良かったと思っているのだ。君にこそ問おう。君はその力を誰かの為に使った事を、誰かを救った事を後悔しているのか」

 

 そう、私とて知っているとも。

 己一人幸福でいることがどれほど罪深く感じられるかなど。

 君はただ、人一倍優しいだけなんだ。

 

「……わからない。わたしはただ誰かの役に立てるんだと思いたかった。だから誰にでも力を行使した。どうして自分一人で満ち足りていられなかったかは知らない。……両親を殺した事は当然後悔しているわ。でも、それで誰かが救われたというのなら──その結果だけは悔やまない」

 

 理解した。

 君は弱くなどない。

 たとえ自分の為、贖罪の為だとしても、自らを投げ打ってでも人の助けになりたいという想いが君にはある。

 君はそれを偽善だと蔑んでいるのかもしれない。無様だと嘆いているのかもしれない。

 それで大切な何かを失くそうとも、誰かを救えたのならば受け入れる。

 そんな強さが、君にはある。

 

「君は、とても人間的なのだな」

 

 ただ、その強さと人間らしい脆さが眩しくて、知らず呟く。

 

「君は──綺麗だ。己のものでない業を負って尚、自分にも他人にも手を差し伸べる。始まりが後ろ暗いものだとしても、それは間違いなどではない」

 

 そう、彼女は美しい。

 風貌ではない。その在り方が、人としての生き方が、ただ眩い。

 他者の因果も己の業も背負い、それでも自分も人も見放さない。そんな在り方が。

 普通は憐れむべきなのだろうが、私はそうは思わない。

 憐憫も同情も、贖罪を望む彼女には傷になってしまうから。

 

「私は君を酷く勘違いしていた。君と私は全くの別物、反面と言えるのかもしれない。……私には、理想はあっても望むことが無いのだ。だが君は違う。君がニセモノだと言うそれは、理想ではなく望みだ。自分がそうでありたいというのではなく、他人にそうであって欲しいという願望。これが私には、決定的に欠けている」

 

 彼女はそんな事、考えもしなかったという風に私を見る。

 

「一聞すると、その願望は醜く感じるかもしれない。だがな、他人に尊くあって欲しいという願いとは、その人物を信じているからこそ生まれるものなのだ。しかし私にはこれが無い。私には、自分一人尊くあればいいという傲慢な理想しかない。私はつまり、誰も信じていないし興味も無い、ということになる」

 

 ──君に出会うまでは。と最後に付け加える。

 彼女はぼんやりした瞳で私を見る。

 

「わたしも、あなたを勘違いしていた。あなたの理想って何だか……とても寂しいものなのね。──あなた、わたしを綺麗だと言ったけど、わたしからすればあなたの方こそ奇跡みたいに綺麗よ」

「……はは。そうか、私たちは本当に正反対だな。だからこそ、お互いが眩しく見えるのかもしれないな」

「そういう……ことなのね。わたしたちはお互いが持っていないものを羨んでいる。だからこそ、その穴を埋め会えるのかもしれないわ」

 

 紫希は心からの『苦笑い』で結論を語る。

 つられて私も苦笑いを浮かべる。

 

「──紫希、君は綺麗だな」

「──宗蓮、あなたって綺麗ね」

 

 理想を抱く魔術師であれ、望みを抱く聖女であれ、根底にある感情は同じ。

 はじめから、自分に無いものを求めていた。

 それこそが人間の本質なのだと、私たちは苦笑いした。

 そしてそれは、その小さな手が握っていたのだ。

 

 この瞬間から、天邏紫希は荒耶宗蓮の世界の半分を占めるようになったのだった──。

 

 

    0

 

 

「私は何も望まない」

 

 目の前に佇む男に、私はそう答えた。

 ……どうやら私は、彼処に望みを置いていってしまったらしい。

 では何故、私は望みを忘れてしまったのか?

 何故、理想だけが胸の内に残っているのか?

 結論は無い。

 

 だが、それを出せる者は見つけた。

 ──両儀織。両儀の完全体たる世界の歪み。

 私は彼が『両儀式』でない事を知っている。

 十二年前、彼と出会った時から私の内面には奇妙なしこりが残り続けている。

 ……あの時は気付かなかったが、今思えばあまりにも似ているのだ。

 天邏紫希。私の半身であった彼女に。

 きっと、織が式に成れなかった因果は、彼女にこそあるのだろう。

 

 私は何者でもない。ただ結論(こたえ)が欲しい。

 故に私は夢を見る。

 遠い昔の夢を見る。

 そうしていつかの夢を織る。

 はかなく失せた、夢を織る。

 

 夜の終わりは後少し。されど夢には終わりなし。

 故に私は待っている。夜の終わりを待っている。

 

 




 以上、過去編第三話でした。

 そう、両儀織が両儀式に成れなかったのは、両儀の分家たる天邏紫希が関係しているのでした。
 理想しか持たない荒耶宗蓮。
 願望しか持たない天邏紫希。
 結局、どちらも無いものねだりなだけなのです。
 それを理解してしまったからこそ、お互いが無くてはならないと認識したのです。

 さて、漸く愛情らしきものを理解した荒耶ですが、ここからどう地獄の釜にブチ込むか悩みますな(愉悦)

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