空の境界 偽典福音/the Garden of false   作:旧世代の遺物

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彼方を継ぐ者/4 -誓約-

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 紫希が私に己の本質を語って以来、私と彼女の関係は変化した。

 以前は何処か観察するかのように、余所余所しく私を見ていたのたが、今では家族のように接してくれている。

 幼くして両親を亡くした彼女にとって、家族とは何よりも眩しく恋しいものであるのだろう。

 私をそのように扱うのはきっとそれ故のこと。

 私には大義がある為、何時までこの村に居座れるかは分からないが、それでも彼女の孤独を埋める手助けになれることを切に願っている。

 ……それに彼女には弟がいる。だから此処を去る時は、せめて意味のある思い出を残せるようにしたい。

 

 そんなことを考えていたのは、今日は何の故か眠れなかったからだ。

 紫希も召使い達もとうに寝静まった丑三時、私は一段と美しい月明かりに照らされながら意味も無く縁側に座り込んでいた。

 そうして今までの様々な感慨に浸っていると、横から涼やかな声を掛けられる。

 

「何だ宗蓮、おまえも起きていたのか」

 

 声の主は紫希の弟である阿紀であった。

 

「奇遇だな。どうにも、満月が眩いものでな」

 

 私も軽やかに返す。

 私と彼の関係は友とも家族とも言える、或いは何方とも言い難い奇妙な絆で結ばれている。

 他者の内面に深く踏み込もうとせず、飄々と振る舞う彼の気質故か、私と彼の会話は往々にして徒然なることに終始する。

 だが、今日の彼は少し違った。

 

「なあ、宗蓮。おまえ、何時まで此処に留まるのだ?」

「さてな。私には果たすべき理想、貫くべき理念が有るが、正直な所果てが見えぬ」

 

 ……確かに、大乱の世は終わり、天下は泰平に近付きつつある。

 それでも苦しむ民衆が居ることに変わりなく、まだまだ救いが必要であるのが現状だ。

 それ故に私は何時までも此処に留まる訳にも行かないのだが……。

 

「理念、理想か……。姉上から聞いたぞ、おまえのそれは『救世を為す』ことだと。ならば、おまえにとって救いとは何だ?」

 

 阿紀はいつになく真剣な、されど風に揺れる柳のように涼やかなまま問いかけてくる。

 ──救い。その定義。

 私は多くの人々と同じように苦境の中で生き、偶然に出会った僧侶達の理想を継いで先鋭化させてきただけの人間だ。

 もし、私が救いというものを定義するならば、それはきっと人々が考えているものと大差ないのだろう。

 

「……私はただ、万人が幸福であって欲しいだけだ。平等に誰もが傷つかない世界。喜ぶ者の陰で悲しむ者が現れない、そんな世界を望んでいる」

「……なんだ、それは。はは、それを人は『極楽浄土』と呼ぶのではないか。これは何とも珍妙な! 極楽を目指す者はあれど、よもや現世(こちら)の方を浄土と取り替えようとは! それでは叶わぬは道理ではないか!」

 

 彼は明朗快活に哄笑する。

 夢を笑われていると考えれば大抵の場合憤慨するものだが、私はむしろそれこそ道理であると感じた。

 そうだ。このような夢想、果てなど無いに決まっているではないか──。

 

「いやいや、まことおまえは飽きさせぬ。果ては無いと言ったな、宗蓮。いいや、おまえの旅路には確かな果てがあるとも。つまり為してしまえばよいではないか。極楽を我が手の内に。浄土を我が足の元に。それこそが理想の果てであろう」

 

 ユメの、終わり──。

 ああ、それはどんなに尊い眺めであろうか。

 もしそんなものに手が届くのだとしたら、この命など──。

 

「……少し、語り過ぎたな。すまんが話を変えるぞ。言っておくが、これは冗談などではない。心して聞き入れよ」

 

 阿紀は少し間を置いて冷ややかな表情で私を見据える。

 普段の面持ちとはまるで異なる様相に思わず躰が強張る感覚が走る。

 

「荒耶宗蓮よ。これからは天邏宗蓮と名乗るつもりはないか」

 

 ──名を改める。それはつまり──。

 

「……私を養子にしたいと言うのか君は?」

 

 座っている状態であるというのに、阿紀は盛大に滑る。

 そんなにまずい返答だったのだろうか?

 

「違うわ! 全く、なんと鈍い男なのだ……! つまりは我が姉、紫希の伴侶として共に在るつもりはないかと言ったのだ」

「──」

 

 彼の面持ちに軽薄さは微塵も無い。

 阿紀は、本気でそんなことを言っている。

 

「それこそ真逆だな。私などではアレは到底釣り合わん。それに外法の徒とはいえ私は僧侶。妻帯など以っての他」

「なればこそよ。我ら天邏とて外法の一族。姉上はその果ての存在だ。正直、おまえ以上に相応しい者など他に居らなんだ」

 

 ……だが、それでも。

 私が私である以上、彼女にそのような想いを向ける訳にはいかない。

 もしただ一人に肩入れしてしまえば、きっと他の誰かの手を掬うことは叶うまい。

 私は静かに首を横に振った。

 

「そうか。では致し方無し。……我ら退魔は真っ当な武家ではないが故、相手の身分に婚姻を縛られることはない。家としての目的も本家たる両儀より先にほぼ果たしている以上、姉上は己以上の子を産むこともなかろう。だからこそおまえが相応と考えたが……」

「今は断る」

 

 阿紀は心底惜しそうに息をつく。

 この分では当分諦めそうにないだろうと思うと背中がむず痒くて仕方がない。

 

「……それにな、これは姉上の為なのだ。姉上は、父母を喪い己の力の危険性を自覚してからは俺以外の誰にも心を開かなくなった。きっと大切な誰かを奪ってしまうことを恐れてのことだろうが。それからはただ手当たり次第の人間を救おうと力を振りまいた。人を救い続けることだけが贖罪で、存在価値だと語っていたからな。──確かに、姉上は多くの者を救ったさ。この近辺に彼女を尊ばぬ者は居らぬ程に。だが、姉上だけは。紫希だけは一人、訳も分からず与えられた力に苦しんでいる。……あの力の源は遠い『空』(カラ)とやらに有るとは言っていたが、このままではいずれ、そう遠からぬ先に姉上は……」

 

 ──知っていた。私はあの時の対話でその傷みの一旦を知っていた。

 だが、私たちは互いにその話題を避けている。

 おそらく、彼女らしい気遣いなのだろうが、それはただ逃げているだけなのではないか。

 

「だが、おまえが現れてからは変わった。姉上はおまえに家族以上の──無二の情を向けている。頼む。彼女の力はおまえの助けになる筈だ。だからどうか──紫希を救ってやってくれ。おまえにしか出来ないことなのだ。おまえだからこそ任せられるのだ」

「……紫希を私が救う……?」

 

 ──違う。

 救われたのは私だ。

 果てのない苦難の中で潰れようとした私は──彼女という光によって蘇った。

 魔術も法術も悉く無意味にしてしまう程の奇跡の持ち主。

 だからこそ、私は彼女の力を使って何か大きなことを為そうと思った。

 

「……もし、叶うのならば、私は紫希と共に世界を救いたい。そうすれば、きっと彼女の望みも、彼女自身も救われる筈だ。だから──今は、まだ」

 

 世界の救い。それが叶えば紫希も救われる。故に今は彼女だけを選ぶことはできない。

 

「ふふ……おまえという男はまったく……。ああ、おまえに叶えられないことは無いさ。初めは南蛮の仙術など法師か陰陽師の類だと思ったが、おまえは(まこと)の神通力だ。おまえの抱えている懊悩、絶望は解せぬ。だが、その瞳を見れば判る。多少の迷いはあれど少しの濁りもない、焔が如き瞳。この先如何なる地獄が待っていようと、おまえは決して折れぬ。何故ならおまえは願いを託された──『彼方を継ぐ者』なのだから」

「彼方を継ぐ者──」

 

 ──彼に、私の苦悩は理解できない。彼はその地獄を知らない。

 けれど──ちっぽけな筈のその言葉は、いつまでも胸に熱く残った。

 

 

    /2

 

 

 紫希との日々は瞬く間に過ぎて行った。

 桜の咲き誇る春、蛍の煌々と煌めく夏。そして暑さの残る秋。

 私は既に半年もの時間を此処で費やしていた。

 これこそ奇跡としか言い様のない泰平だった。

 だが先月に太閤は世を去り、その一派と内府の軋轢は強まり、決壊に達そうとしているのが現状だ。

 だからこそ、決戦の時に備えて行脚の支度を整えなくてはならないのだが……。

 それでも尚、私は彼女の元を離れることができない。

 

『あの力、その源は遠い(カラ)とやらにあるという』

 

 阿紀の言葉が、何度も脳裏を過る。

 ……その力が、天に在るというのなら──何れ涅槃に至ることも能おうか。

 もし、私がその力を世界の為に使いたいと言ったら、彼女は付いて来てくれるだろうか?

 もしもこの村のような光景を、世界全てに齎せると言ったら?

 きっと紫希は拒むまい。

 衆生の救い。それだけが彼女が己に定めた存在価値だと言うのだから。

 それでも──私は遂に一度もその話を切り出せなかった。

 私は──決定的に何かを恐れている。

 理想の成就。私だけでは決して為せない夢物語が、彼女の手なら為せるかもしれないのに──。

 

「ねぇ、今日も満月が出ているわ。肴にお団子でもどうかしら」

 

 懊悩する私に、紫希はいつものように儚い笑顔で話しかける。

 海のように深く濁りのない瞳。

 常に憂いを浮かべているというのに、楽しむべき時は誰よりも笑う。

 ──私はこの笑顔に一度も勝てたことがない。

 

「……本当に良い月だ」

 

 紫希に言われて初めて天に浮かぶ満月と、満天の星空に気が付いた。

 私が生まれてから、幾度も満天の星は現れたことだろう。

 されど、此処に来て初めて──私は泥ではなく星を見ることを知った。

 思えば、屍を見ない日など一日もなかった。

 誰も泣かなかった日は──誰も叫ばなかった日は一日すらなかった。

 それも──半年前までの話。

 紫希に出会ってから、私を囲む世界は幸せの記憶に埋もれようとしている。

 だからこそ──それが苦しい。

 誰かが今も苦しんでいる事実は変わらないというのに、私はそれから逃れようとしている。

 これを堕落と言わずして何と言う──。

 

「……今日はいつにも増して浮かない顔ね。どうしたの?」

 

 紫希は神妙に私の顔を覗き込む。

 今日は月が綺麗だからだろうか。私は己の心の澱を今にでも吐き出してしまいたかった。

 

「……怖いのだ」

「何が?」

「上手く言えない。だが……私はいずれ大きな選択を強いられる予感がする。もし、私が選んだことが間違いだったなら……君はどう思うだろうか」

 

 紫希は少し哀しげな顔で考え込む。

 欲を言えば、何もかもを抱え込んでいる彼女にもうこんな顔をさせたくなかった。

 それでも、いつかは決着を付けなくてはならない。

 

「例えば?」

「……もし私が、君を置いて此処を出て行ったとしたら──君はどう思う?」

「悲しいわ。三日は泣いてしまうかも。でも──あなたが選んだことだもの、責められる筈がない」

 

 無論、何も言わずに彼女と別れるなどあり得ない話だ。

 それは彼女の力をむざむざ手放してしまうことだから。

 それほどに私を想ってくれる彼女の純朴さが、今は痛い。

 

「……聞いてくれ、私の理想は人を救うことだと言ったな。だが、それが私の独り善がりで、実はそれが世界に仇なすことだったなら。それで私が世界全ての敵に成ったとしたら、君はどうする?」

 

 私が抱えていた恐れの根源、それは。

 己の在り方が、初めから間違いではないかという根本的な懸念。

 人を救う。そんなこと自体が誤った理想だったなら。

 私は、それを恐れてきた。

 

「──それでも、あなたが正しいと信じたのなら」

 

 紫希は透き通った声音で、私の心を打つ。

 

「──しょうがないわね。例え世界があなたを憎んでも、わたしだけはあなたの味方で在り続ける」

 

 そう言って、彼女はクスリと笑った。

 ──ああ。

 私は、この瞳に惹かれたのだ。

 

「紫希……ありがとう……」

 

 その時、私は己にまだ目頭を過剰に熱くする機能が残っていることを悟った。

 

「大丈夫、あなたの祈りは間違いなんかじゃない。もしそうだったとしても、わたしも同じよ。出来るわ。わたしとあなたなら。だから──そんな顔しないで」

 

 紫希は私を優しく抱き締める。

 その所為か、堰を切ったように感情が溢れ出てくる。

 

 そこで初めて気が付いた。

 私が彼女を手放せない理由。

 奇跡の力を持っているからだとか、()()()()()()()()ではなくて。

 ただ、その全てが救いだったから。

 世界中の誰に許されなくてもいい。それでも、彼女にだけは許して欲しかった。

 彼女の言う通りだ。私と紫希なら、きっと成し遂げられる。

 私は──決定的に壊れた人間なのかもしれない。

 それでも、もう孤独には戻れない。

 

 私も彼女を抱き締めていた。

 気が済むまで、ずっとずっとそうしていた。

 

 

    ◇

 

 

 ──初めて触れた彼の肌は温かかった。

 この温もりをわたしは遠い昔に忘れてしまっていた。

 初めて彼に出会った時。

 彼がわたしを見つけた時。

 あの人はわたしに出会うべきではなかったのだと直感した。

 何故ならわたしは彼の枷。絆という名の軛。

 わたしは彼の(のぞみ)(ゆかり)ある者にして、天を(めぐ)阿摩羅識(あまらしき)

 彼を拾った僧の姓がアラヤであったのは一体何の因果か。

 出会うべきではなかった。されど因果は(めぐ)り、わたしたちは出会った。

 

『もう、後戻りはできないわね──』

 

 驚喜しながら諦観し、達観しながら歓喜した。

 

 覚悟はできた。

 わたしの望みは罪に塗り固められた偽善だったけれど、彼の祈りは本物だ。

 だから──わたしはわたしの為に、この身を彼に捧げよう。

 

 本当は幸福になる道を探せたのかもしれない。

 それでも、その理想を汚すことだけはできなかった。

 だって、あなたに綺麗なままで居て欲しいから。

 あなたを好きで居る為に。

 あなただけに救われたい為に。

 あなたを信じ続けるなんて都合のいい言葉だ。

 こうでもしないと、あなたはわたしを置いていってしまうから。

 だから──もう手放すなんて、してやらない。

 

 月は陰り、陽は昇る。

 それでも月は空にこびり付き、消えることはない。

 

 これが、アラヤとアマラの始まりの刻だった。

 




 今回もお読みくださりありがとうございます。
 斯くして因果は巡り、いずれ始まりへと至らん。

 本作オリキャラの天邏紫希ですが、実は読みさえアマラシキなら良いと考えていて、漢字はあまり考えずに付けてしまったんです。
 そうしたらなんだか自分的に良い感じに言葉遊びができたという偶然……。

 彼女の外見に関しては黒と白の小袖を着たセミロングの「 」さんを想像していただければ……。
 元のプロットでは名前の無い、荒耶の回想に少しだけ登場するだけの人物の予定でしたが、式の男体化の設定と荒耶の過去を膨らませる為に本格的に登場させることにしました。
 オリキャラを作ったのは初めてなので(二章の相川春菜はモブなので除外)、何らかの感想を頂けると今後の創作の糧になります。

 それではまた次回。もし良ければ評価の程をお願いします。

 
 
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