空の境界 偽典福音/the Garden of false   作:旧世代の遺物

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忘却録音/3

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 ──それは、一振りの刀だろうか。

 

 どこからともなく、細い囁きが染み込むように響き渡ってくる。

 

 ″わたしは、ここにいる──″

 

 いつかの夢で聞いた、どこか馴染みのある声。

 その澄んだ響きは、果たしていつ耳にしたものだったか。

 知らないはずの、でも忘れられなかったそれは、誰に対して発せられたものか。

 

 ″あなたは、そこにいるの──?"

 

 何も言えない。

 僕はこの仄暗い闇の底で、ただ一人穏やかな微睡みに身を委ねるだけ。

 

 わたしはここよ──

 

 無明の闇を切り裂くように、紅く煌めく刀が茫洋と輪郭を現す。

 その妖しい輝きの奥、錆一つない漆黒の刀身には僕でなく、見たこともない女の顔が薄っすらと映りこんでいる。

 その人形のような、されど幾重にも哀しみが刻み込まれた面持ちは──どうしようもなく自分と似ていると思えてしまった。

 それはまるで──鏡を見ているみたいだ。

 

 ″だから──いつか会いに来て──″

 

 何も言えない。

 何もできない。

 されど、僕にはその言葉に対する返答を考えることだけは許されている。

 

 そうしていると、周囲の闇の中から画面のようなものが現れ、ノイズ混じりの映像が映しだされていく。

 

 映っているのは、穏やかな日差しに澄み切った川、一面の緑に包まれた美しい丘。

 その中心に、周囲との調和を崩すことなく一つの簡素で小さな祠が慎ましやかに鎮座している。

 その眺めは幻想的ながら、されどどこまでも現実味を帯びて確かな存在感を醸し出していた。

 この場所は、間違いなくこの世界のどこかに存在しているのだろう。

 僕は夢と現の境界、自分だけがあるこの場所で、眼前の誰かに向かって言葉を紡ぐ。

 

「必ず、会いにいくさ」

 

 口をついて出たその言葉。

 発したのは間違いなく自分なのに、自分のものとは思えない厳めしい響きが暗闇に木霊する。

 そこでふと、自分の存在を確かめるように足元を見やる。

 

 目に映るのはぼろぼろに擦り切れ、岩のように厚くなった掌と年季の入った僧服に身を包んだ長躯だけ。

 これは──いったい誰なんだ?

 今見えているのが自分でないのなら、ここにいるはずの僕は誰なんだ?

 

 そんな焦燥を余所に()()は迷いなく、信託のように高らかに──されどどこまでも穏やかに告げる。

 

「だから──そこで待っていてくれ。私もそこにいくから」

 

 ″うん。わたし──ここで待ってる″

 

 刀に映る女は今にも消えてしまいそうに儚く微笑む。

 そして黒玉のような伽藍の瞳に映し出された誰かは──まるで救われているかのように安堵して、されど地獄の業火に焼かれているかのように苦しげに頷いた。

 

 それと同時に映像は闇に吸い込まれ、半透明な階段が足元に出現する。

 僕と誰かは、その先から道標のように射す一筋の光に向かって確かな足取りで歩を進める。

 いずれ訪れるだろう夢の終わり。その最果てへ────。

 

 

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 ──あの教師は──。

 

 僕たちは一旦事件が起きたクラスの担任に事情を聴取することにした。

 そこで準備室に入り、いざ顔をあわせたところ、その並みならぬ既視感に二人して面食らうこととなった。

 ──あまりにも似ているのだ。隣に立つ友人の兄である黒桐幹也に。

 それも顔立ちだけでなく、身にまとう空気や在り方までもが。

 

 まるで同一の人物が二人存在しているかのような違和感に、僕も彼女も愕然と立ち尽くすほかなかった。

 

 

「……玄霧皐月」

「やっぱり、あなたも気になるよね」

 

 どうやら鮮花も同じことを考えていたようだ。

 アレはそっくりだとか、そういう域の話ではない。

 まさしく生き写し──けれど、何か決定的に違うような。

 

「似てる、って思うでしょう?」

「まあ、玄霧の方が"ハンサム"っていうのはあるけどな」

「あー、そう言われれば確かにそうかもね……」

 

 彼女はなにやら訝しむように思案している。

 どうにも、僕とはまた違う捉え方なのだろうか。

 

「……瀬尾」

「ん?」

「瀬尾静音。あいつ、役に立ってくれるかな」

 

 露骨に話題をずらす。

 瀬尾静音。未来視の女。

 未来を限定するのでなく、可能性の高い未来を視る異能。

 二か月ぶりの再会を果たした彼女は、妙に落ち着いた態度で、何もかも知っていたという風だった。

 ……大方、見えていたのだろうけど。

 

 彼女の持つ異能はあらゆる面において強力だ。

 されどそのタイミングはまちまちで、しかも因果関係を推測する上で重要な情報が抜け落ちていることが多い。

 前回の爆弾魔の際は似て非なる能力であることを利用できたが、まったく未知の敵を探さなければならない今回はどうだろうか。

 機転が利く鮮花であれば有効に使えるかもしれないが。

 

「ええ、おおいにね。現状、魔術師について判明していることは妖精使いであること。どんどん情報を引き出していけば戦略の幅も広がると思う」

「そりゃそうか。味方は多いに越したことはないからな」

 

 記憶を奪うという、こと隠れ潜むにはこの上無く優れた能力を持つ魔術師。

 しかも本人は一切動くことなく触媒を使役して広範囲を監視できるとまでくれば、無策で向かうには無謀な相手と言えよう。

 だからこそ断片的ながらも先んじて状況を予測できる未来視が生きてくる。

 

「瀬尾と玄霧のことは置いておくとして、これからどうする」

 

 現状彼らの事を話しても仕方ない。

 玄霧が何も知らないという以上、他に事情を知る者を探すべきだ。

 

「まだ時間もあるから他の生徒の話を聞くのも良さそうね。でも午後六時以降は寮に居ないといけない規定だから、手短にね」

「それじゃ、それ以降の調査は内密にやるしかないってか。これは少々厳しくなりそうだな」

 

 ただでさえ限られた期間、平日であれば授業があるため生徒と会話する機会は貴重なものとなるだろう。

 ならば、最も多く時間を確保できる時間帯である放課後に接触するのが一番だ。

 

「今はもう四時過ぎか、それじゃさっさと済ませるか」

「決まりね。──あ、そうだ。一人助けになりそうな人を知ってるの。あなたもついて来て」

 

 ……少し嫌な予感がする。

 いや、まさか。

 

 胸に渦巻く不穏な予感を隠しつつ、何かを思いついた様子の鮮花について行った。

 

 

    ◇

 

 

「その声は──鮮花さん?」

「うん、やっぱり居ると思った。久しぶり」

 

 ……そりゃ、こうなるか。こいつもここの学生だからな。

 

 鮮花の呼びかけに振り向いたのは、白杖を手に佇む長髪の少女。

 その名も浅上藤乃。

 三ヶ月前の殺人事件にて対峙した、退魔四家に縁を持つ"歪曲"の異能者。

 ……そしてかつての後輩でもあった。

 

「……よう。その様子だとまあまあ元気なようだな」

「──織さん? どうしてここに」

 

 その混濁した紅の瞳。どうやらあの対決で視力を喪ってしまったらしい。

 それは結局、因果応報ということになるのだろうけど。

 それでも、多少思うところがないわけでもない。

 ……やはりもう会わない方が良かったのかもしれない。お互いの為にも。

 

「──ただの調査だ。一年四組で起きた事件についてのな。おまえも知っていることがあれば教えてほしい」

 

 あくまで冷然と対応する。

 その方が相手にとってもいいはずだ。

 それでもどこか気まずい空気が漂う。

 

「はあ。あのね藤乃ちゃん、わたしたちは探偵としてここに派遣されてきたの。色々訊きたいこともあると思うけど、まずはちょっとお話しましょう」

 

 鮮花は柔和な態度で浅上を宥める。

 どうやら想像以上に浅上は困惑しているようだ。

 

「……ええ、大丈夫です。その、それではお二人は探偵ということなんですね。ではわたしにもできることがあれば手伝いますので……」

 

 俯き、もう光のない瞳でちらちらとこちらを見る彼女。

 表面上は平静を保っているが、そこには隠し切れぬ無数の感情が覗いている。

 ……ここで調査を行う以上、どのみち避けては通れない相手だ。

 なら、多少なりとも溝を埋めておく方が賢明かもしれない。

 

「……そう気負うな。これはオレたちの仕事だ、負担になるようなら無視してくれたっていい」

「そうよ。別に特別なことじゃないわ。わたしたちは必要な話を聞くだけ、それだけだから」

 

 どうにも浅上はあの事件のことで負い目があるのか、どこかぎこちなく不安げだ。

 それをフォローしてくれる鮮花の存在は、他者との交流が不得手な僕にとって大変ありがたい。

 

 浅上が見ているのは僕の左腕。おそらく目の利かない彼女にとって、それはまだ喪われたままなのだろう。

 何も口に出さない彼女に対し、直接言葉を投げかける。

 

「左腕ならうちの所長が代わりを作ってくれた。支障はない」

 

 白く機能性に特化した人形の腕。

 それは大変目立つ物であり、確かに過去の痛みを思い起させるものだ。

 そして彼女も多くを失った。

 それこそが自分と彼女に対する因果、罰というものなのだろう。

 

「おまえがこれまでのことをどう思っているかはともかく、オレはただやるべきことをやるだけだ。おまえは自分の内面に正直であればいい。……解らないならそれでもいいさ」

 

 彼女も僕も、まだ多くの迷いがある。

 それでも、目覚めたばかりの頃のように虚ろなだけではない。

 幾つかの痛みや罪を目の当たりし、僅かでも何かを積み重ねてきた。

 彼女もまた、罪と同様に積み重ねたものがあるはずだ。

 そしてそれは──無価値なものなのだとしても、ただ無意味なものではないと思う。

 自分自身の内面に正直である限り、いつか残るものもあるだろう。

 ──少なくとも今はそう信じたい。

 それがどんな結果をもたらすかなんて、誰にも判らないけれど。

 

「……また必要があれば訊きにくる。鮮花、オレはちと気になることがあるから廃校舎に行ってくる。おまえは生徒への調査を続けてくれ」

「ええ……って、単独行動するつもり? ちょっと──!」

 

 どうにもあそこには異様な気配が漂っていた。

 僕は二人を振り切って旧校舎へ駆け出した。

 後には"六時までには職員寮に入るのよ──!"と言う鮮花と愕然と立ち尽くす浅上が残されていた。

 

 

    ◇

 

 

 ──結果から言えば、大したものは見当たらなかった。

 見つかったものといえば妖精一匹程度で、しかも反射的に潰してしまったせいで捕獲できなかった。

 そういうわけで、今は自分たちの為に用意された職員寮の空き部屋に居る。

 もともとこの学園は女ばかりで、男の教師はごく少数なのだという。

 しかもその希少な男教師である玄霧、そして失踪したという葉山は寮を使っておらず、実質的に女性寮となっている。

 寮の規定は厳しく、生徒の移動は午後六時以降厳しく制限されている。僕たちも同じことだ。

 鮮花は当然離れた部屋に居り、そう易々とは連絡を取り合うことはできない。

 それでもあくまで僕たちは外様だからか、他の生徒達のようにシスターが部屋を見張りに来るようなことはない。

 つまり──いざとなれば窓からワイヤーを使って降下し、外出することもできるということだ。

 それを考慮すれば実際の調査に使える時間はかなり確保できる。

 

 とはいえ魔術師もこの学園に隠れ潜んでいることを考えれば、職員寮か学生寮で待機しているだろうから、大した成果は上げられそうにないが。

 とやかく、まあ。期限は無制限なのだ。そういった緻密な調査は自分の性分に合わないし、何なら鮮花に任せてもいいだろう。

 ……幹也だったら、あっさりと発見しそうなものだけど。

 今日できることはもうない。時間も時間だしさっさと眠るとしよう。

 

 ──浅上の透視能力、もしかしたら役に立つかもしれないな──

 

 そんなことを考えている内に眠りへと落ちて行った。

 

 

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 夕暮れの職員室。

 玄霧皐月は穏やかな笑みを貼り付けたまま、思案していた。

 

 ──ようやく出会えましたね、両儀織。

 

 彼らは上手く荒耶が仕掛けた餌に食い付いてくれたようだ。

 いや、偶然などではない。蒼崎橙子に情報を流し、彼らを派遣するように仕向けたのは彼自身なのだから。

 これもまた運命の導きというものなのだろう。

 

 唐突に窓を叩く音が響く。

 ブラインドを上げると、そこにはヤモリのように人間が張り付いていた。

 いや──それはもはや人間と言えるものではない。

 

 窓を開けると、一人の──否、一匹の獣が部屋に入る。

 獅子のような金の髪と、蛇を想わせる同色の瞳。

 外見こそヒトの形を保っているソレは、とうにヒトの在り方を逸脱している。

 されど、ソレにはまだ存在を表す名が残っていた。

 

「お久しぶりですね、白純里緒。荒耶の想定通り、両儀織はここにやって来ました」

「へへへ、荒耶さんのやる事にミスはないさ。それで、様子はどうだ?」

 

 瞳を紅に輝かせ、心底恍惚とした様子で青年は尋ねる。

 炯々とした瞳を向けられてもなお、玄霧は揺るがない。

 その何にも動じぬ佇まいは、見る者にある種の超越性を感じさせる。

 

 そもそもこの礼園は異界として成立し得る程に強固な警備を誇っている。

 白純がこうして容易く侵入でできているのは、彼が人外としての能力を有しているためである。

 そんな彼とそうして連絡を取り合う玄霧もまた、尋常な人間ではないのだ。

 

「変わりはないようです。おそらく想定通り彼らは黄路美沙夜を追い詰めるでしょう。そこで私の出番ということです」

「統一言語ねぇ。はは、"望郷"か。あんたも相当に特異な起源を持ってるんだな。どうりでお尋ね者ってわけね、統一言語師(マスターオブバベル)

 

 統一言語師(マスターオブバベル)。またの名を偽神の書(ゴドーワード)

 現存する中で最も魔法使いに近い魔術師。

 その定義で言えば、魔法としか言えない神秘を行使する荒耶もまたそうであるのだが。

 

「起源においては私など知れたもの。あなたや彼には到底敵わない。私はただ言葉を掛けるだけです」

 

 ──よく言うぜ化け物が。

 

 白純は彼に内心畏れを抱いていた。

 あらゆる言語を自在に司る──それがいったいどのような意味か理解しているからだ。

 起源の古さでは到底自分には及ばないそれは、それでもたったそれだけで地球に存在する万物を支配し得るのだから。

 この男は──下手すればかの守護者すらも無力化しかねないほどの怪物なのだ。

 性格上あり得まいが、この男が本気になれば両儀を殺すことなど実に容易いことだろう。

 力に固執する白純にとって、自身を遥かに上回る怪人が二人も存在することは好ましくないことであった。

 

「どうやらあなたもここに留まるようですね。くれぐれも彼女の妖精にはお気を付けを。発見されては仕事が増えますので。……お食事も控えてくださいよ」

「それこそまさかだ。何なら犬か猫、鷹なんかに化けていれば誰も気にせんだろうよ」

 

 白純が既にヒトでない所以──それは彼の起源に由来する特異な異能であった。

 起源を覚醒した者はその起源に縛られる。そして存在そのものが根源の渦より分離した時から積み重ねてきた全ての記録を手にする。

 彼の起源は『食べる』。その本質は『消費』であり、生命という存在そのものの根底となる概念である。

 そのため彼の内には五億年を超える生命としての記録が刻まれている。

 全ての前世を手にし、その力をも手に入れた『生ける概念』。

 それが今の白純里緒なのだ。

 

 彼が怪しまれることなく侵入できたのも、カラスなどの猛禽への変形によるものである。

 

「では、荒耶への報告をお願いします。私は引き続き彼らの動向を観察しますので」

「了解だ。ああそう、あの黄路という女だが……」

 

 その名について言及した瞬間、玄霧の笑みに隠されたナニカがごく僅かに反応する。

 その一瞬を、白純は見逃さなかった。

 

「……いや、忘れろ。それじゃまた」

 

 玄霧が視る隙もなく、白純は部屋から消えていた。

 ──まだまだ運命の刻は遠い。されどその舞台は順当に整えられつつあった。

 




 本当にお久しぶりです。
 およそ半年振りの投稿……実に多忙な毎日でした。
 スランプもあって一時は筆を折ろうとすら考えていましたが、なんとか一話分投稿まで漕ぎ着けました。
 これからも極めて不定期な投稿になると思いますが、何とか失踪だけは避けようと尽力します。

 それから、白純先輩の起源が『消費』になっているのは、英語版でconsumptionと訳されていたからですね。うまく食べるということの本質を捉えた名訳だと思います。

 それではまた次回。

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