明け方、僕らは海停の出口前で準備体操をしていた。起きてばかりだからか、身体が硬くなっているためだ。
「よし、これで十分だし行こうか」
「ああ。弁当とやらももったしな」
「いや、ミラさん………さっきあれだけ食べて、もう心は昼食にいってるんすか」
喜色満面なミラを見て、思わず呆れる声がこぼれ出てしまう。昨日の料理の衝撃が強かったらしい。少なからず感じていた壁も、今ではだいぶ薄まっているみたいだ。
「しかし、そんなに食事が楽しみですか」
「ああ。楽しみにしているぞ」
「いや、そんなに不敵に笑わんでも」
何このムダな格好よさ。威厳があった精霊の主が、今ではまるで飢えた狼のようです。
「いや、原因は少年のせいだよなあ?」
「ノーコメントで」
ていうか、料理作っただけであそこまで喜ぶなんて、誰が思うか。
「でも、慎重に行こうって意見は聞いてくれないのね」
「それはそれ、これはこれだ。私には使命がある………一刻も早くニ・アケリアに帰らねばならないのだ」
「分かってるよ。でも、中途半端な時が一番危険だってのになあ」
ミラは昨日の実戦でコツをつかんだらしく、剣を振る様もそれなりに形になっていた。マクスウェルとしての力を失う前までの感覚を、少し取り戻したのだろう。それでも、強行軍ができるような腕にはなっていない。下手な自信は、いらん油断を招くもの。生兵法は大怪我の元なのである。
「大丈夫だ。初歩だけだが、精霊術もいくらかは使える。それに、お前たちが居るのだから多少の無茶はきくだろう」
「それは………まあ、確かにそうだけど」
「だーいじょうぶだって少年。医療術は使えないらしいけど、薬草があるじゃねーか。昨日の内に買い込んでたんだろ?」
いいながら、肩に手を乗せてくるアルヴィン。馴れ馴れしい仕草を横にそっと移動して避け、反論する。
「それでも危ないって言ってるんだ。薬も万能じゃない。速いほうがいいってのは分かるけど、せめてもう一日は連携の確認をした方が良い」
怪我してからじゃ遅い時もある。それに、取り返しのつかないような大怪我をしたらそれで終わりだろう。そこまでいかなくても、骨折以上の怪我をしてしまえば十分に意味のないことになる。そうなったら余計に時間を取られるってのに。
「………駄目だ。連携の確認は、移動しながらでもできる。それにな、ジュード」
「なんだよ」
「私を守ってくれるんだろう?」
じっと眼を見ながら、言う。一切の遊びがない、真剣な眼差し。約束したのだろうと、眼で訴えかけてくる。
「はー………あい分かりました、はいですお嬢様。わーかりましたミラ様ー。降参です、降参ー」
「なんだそのやる気のない返事は。それに、様は止せと言っただろう」
手をあげて巫山戯る僕に、むっとするミラ。見ていたアルヴィンが、手を叩きながら仲裁してくれる。
「はいはい、喧嘩すんなって。連携が鈍って怪我すれば、どっちの主張も通らないぞ」
馬鹿みたいな結果になるぜ、とアルヴィンは肩をすくめながら提案してくる。対する僕は、いくらか納得できない部分もあるけど、折れることにした。
「………分かったよ」
アルヴィンの言うことは最もかつ正論であり間違っていない。それに約束したのも事実なのだ。僕はアルヴィンの言葉に頷き、念の為にと手持ちの装備を確認することにした。
「それは………」
僕の手にあるナックルガードを見て、ミラが息を呑む。それはそうだろう、今まではもっと安いやつ使ってたからな。でもこれからは本格的な戦闘になるだろうし、用意しておくにこしたことはない。
まあ、この街道の敵は弱いから相手にはならないだろう。だけど、ラ・シュガル兵や雇われた傭兵が僕達を追ってこないとも限らない。だから僕は、今までは使わなかった自分の武器を装備した。
「そのナックル………"グランフィスト"か。いいもの持ってんな」
「まあね」
修行中の素材の大半はショップに持っていったからな。ちなみにショップで売っている武器は、装備者のマナを増幅させる効果がある。精霊術を使うものならば、その威力を。肉体強化して戦う者ならば、そのマナの強度を増幅してくれるのだ。アルヴィンで言えば大剣。これは"バスタードソード"だったか。それなりにいい装備をしているな。
「そんないい装備もってるとはな。なんだ、血に汚れるから使わなかったとか?」
「いや、これ装備してるとな。修行になんないし、何より警備兵みたいな一般兵レベルだと――――打ちどころ悪ければ殺してしまうから」
進んで殺人をやる気はない。アルヴィンは察したのか、なるほどなと頷いている。
「そういえば、アルヴィンは剣を持っていないのか?」
横からミラがアルヴィンに訪ねる。予備の装備でもあれば、貸して欲しいと言うつもりなのだろう。実際、ミラが持っている剣はちょっと鈍らな数打の剣だから。
「いや、剣は持ってない。それに、最初の内はその剣を使った方がいいって」
「何故だ?」
安物の剣を見ながら、ミラは不思議そうに言う。
「最初に強すぎる武器を使うのは良くないからな。武器に頼ってるようじゃ、いつまでたっても半人前は卒業できないぜ?」
「………つまりは、性能に頼るなと言っているのか?」
こちらを見るミラに、僕はああと頷いた。
「強くなりたいなら、痛い思いをしないとね。それに武器によりかかってもらうのも困る。もし武器が壊れでもしたり、弾き飛ばされたりした時を想像してみなよ」
そんな機会は、いくらでもある。それで、失ったの時にショックを受けて硬直されてもらうようじゃあ困るのだ。命を賭けた戦闘をすると言うのなら。今までは圧倒的な力で粉砕していたかもしれないが、これからはそうはいかない。
「そう、だな」
そう言うと、ミラは精霊の力があった頃を思い出しているのだろうか。神妙な面持ちで頷くと、自分の剣を握った。
(いや、本当に強い
説明して、その理屈に納得すれば頷き、肯定する。女性は割りと感情で動く人が多いと思ってたんだけどな。使命があるからか、芯が揺らいでいない。確固たる自分を持っている、というのか。その分、強情になってるけど。
(これなら大丈夫かもな)
一番恐れていたのはパニックになって怪我をすることだ。混乱している時、心が弱っている時にそれが起こりやすい。だから今は様子を見るべきだと考えていたのだけど、この調子じゃあ心配はいらないみたいだ。
――――そうだ。ミラは、精霊の力を失っている。恐らくは10年以上、連れ添ってきた相手を失っている状態だ。常に傍にあったものが失う。それはどれほど痛みを伴うか、僕には想像もつかない。
だから、強く見える彼女の心中も、小さくなく揺らいでるだろうと考えていた。だが、それは杞憂のようだ。
(それも、歪な事だと思えるけど)
常ならざることを異常というのなら、ミラのこれはどうなのか。それでも、ここで延々と問答してても仕方ないか。
「じゃあ出発するね。先頭はミラでよろしく。ああ、昨日と同じく、"合図してくれたら"後ろの方はフォローするけど………前の敵は絶対に倒してね」
だけど今は、ミラの剣の腕を上げることに専念すべきだろう。強い志があるならばそれに沿うだけ。いつか僕達は、イル・ファンに特攻するのだ。その時にミラが弱いままじゃあ、色々と取れる選択肢が狭まる。強くなってもらわなければ困るのだ。だからの雑魚街道の道中、僕とアルヴィンが無双しても意味がない。
「了解だ」
「じゃあ行こうか」
そうして意気込んで出発した旅路だが、道中では特に何も起きなかった。現れたのはあくびしながらでも対処できるぐらいの弱い魔物だけ。それでもミラにとってはいい経験になったのか、戦う度に剣の腕が成長していった。あるいは、四大無しで戦っていた時の感覚を思い出しているのか。単に成長しているのかもしれないが。
それでも、未だに剣速は定まらない。だけど、剣にこめる意志が揺らいでいないのは見事だった。振るとなれば斬る、傷つける。それを熟知していなければ、ああまで真っ直ぐに剣を振りきれないだろう。使命を第一に考えているからか。戦う者としての気構えは、あるいは僕以上かもしれなかった。それにしても、剣の腕だがその上達速度が異様に過ぎる。なんにせよ、あれだ。
「ほんと、どこにでも天才って居るんだよね。手を伸ばした先の更に先まで、一足飛びで行っちゃう人とか」
このままの調子でいけば、半年程度で追いつかれそうだなあ………凹む。こちとら5年も血に汗に流して頑張ったっていうのに。
「いや、数ヶ月間戦い続ける、ってそんなこと有り得ないだろ。なんだ、戦争でも起きんのか?」
「修行は戦争だよ?」
「いや、ねーよ。まあ少年も大したもんだと思うぜ? 何か格闘術でも習ってたみたいだが、かなり出来る師匠についたと見えるね」
「あー、近所に居る地上最強の主婦からちょっと教えを」
師匠、元気にしてるかなあ。僕はいつの間にか夢破れ、追われる身になってしまいました。思い出す度に何かを捻りたくなる。今は目の前の魔物に拳を向けてるから大丈夫だけど。で、アルヴィンは地上最強発現を冗談だと思ったのか、またまたご冗談をって顔になってる。
ちっとも嘘じゃないのに。でも説明しても信じてくれないだろうから、別の話題をふった。
「アルヴィンって、それ。面白い武器もってるね?」
「ああ、これか」
言いながら、何か礫を高速で射出する武器を見せる。
「火の精霊術のちょっとした応用でな」
「聞いたこと無いけど、どこにでも売ってんの?」
「貴重なものなんで、ツテが無いとちょっと無理だな。なんだ、欲しくなったのか?」
「いや、いらないけど――――っと」
そこで、リンクからミラの危機を察した僕は、すぐに駈け出した。
リンク。リリアルオーブが持つ特殊能力で、組んだ相手とある程度の意思疎通を可能とするもの。
(後ろの事は気づいていたか)
ミラの合図が無ければ、追いつけなかった距離だ。合図がなければ、昨日の戦い始めのように、後ろから攻撃を受けていただろう。
(昨日のはわざとだけど)
戦いの最中に後背を気にしない、というのを実地で知ってもらったつもりだが、良い具合に学んでくれたようだ。今日の戦闘はこれで10度ほどになるが、戦い始めてから二度目ぐらいには、もう後ろに注意を払えていた。一歩でトップスピードに、二歩目には敵を間合いの内に捉えている。
ミラを背後から襲おうという、狼の魔物の背後を。
「しっ!」
踏み出し、体重を載せた右拳の一撃が相手の肉にめり込む。
会心の一撃を後ろの受けた狼は、血反吐を吐きながら飛んでいった。
(次―――)
右後方からミラを狙っていた植物の魔物の方を向き、踏み出す。こちらに気づき、迎撃の蔦を鞭のようにして攻撃してくるが、遅い。顔面に迫る鞭を左手で打ち払い、その勢いで回転。右の回し蹴りから体を回転させ、左の後ろ回し蹴り、最後には右の足刀を相手の頭らしき部位に叩きこむ。
「飛燕連脚、っと」
技の名前を後には、魔物は塵へと還っていた。ミラの方も、狼の魔物を倒せていたようだ。死骸が塵になっていくのが見える。
「………じゅるり」
「先生! ジュード先生! 何やら麗しい筈の女性が一人、とても見てられないような見苦しいよだれを垂らしております!」
「いいから落ち着いて。あと、先生言うな」
慌てるのは分かるけど、あんたキャラ崩壊してるがな。ミラも、女性としてどうかと思うよ。あと医者のアレ思い出すから先生言うな。てーか、なんだこの事態は。昨日の食事で美食道に覚醒してしまったのだろうか。
「食い意地が張っているというか、なあ。俺も、何となくだけど気持ちは分かるがな」
アルヴィンは苦笑しながら言った。僕も同意する。
なんせ、前方に見える村から、それはもう本当に美味しそうな香りが漂ってくるのだ。
「甘い甘い果物の香り………ナップル、か。そういえばそんな季節だったな」
前に来たのは、ちょうど一年前ぐらいか。
あの頃は色々と旅に修行に研究に、忙しかった時期だった。
(そういえば、あの妙な幼女は元気にしてるかなー)
僕は前にあった奇妙な少女の事を思い出しながら、足を早めた。
山奥にある小さな村、ハ・ミルへと。