未成年飲酒ですが、ジュード君はリーゼ・マクシアの法に従って呑んでいます。
地球のみんなは真似しないように。
「それでは、ナディアお嬢様?」
「ああ。陛下に渡す情報は以上だ」
ラフォート研究所で行われていた実験の内容。それに携わっていたもの。
クルスニクの槍の詳細も含め、イル・ファン内で得られた情報を書いた手紙を、ボーボーの足に括りつける。
「じゃあ、頼んだよ」
クルックーと返すボーボーを見送る。分かっているのか、分かっていないのか。だけどあの子は間違えない。卵から孵した私の愛鳥。学術名はシルフモドキと言われるあの子は、私にとっては風の大精霊そのものだ。力強く羽ばたくその姿には、少し嫉妬を覚えるけれど。
「ナディアお嬢様?」
「アグリアと呼んでよ、プラン」
間違ってもナディアとだけは呼んでくれるな。思いを言葉に乗せて送るが、プランは堪えた様子もない。さすがは肝が太い。"医学校で情報収集をこなせるだけはある"か。
「これから発つのですか?」
「アタシはここで目立ちすぎた。迂闊に動くのもまずいからね」
研究所で動き過ぎた。警備の者には顔を覚えられてしまったし、これ以上この街で、陛下のためにできることはない。あの槍の"鍵"も、今はマクスウェルが持っていってしまった。鍵を作りなおす動きがあるらしいが、そんなに速くは作り直せないだろう。
―――そう、マクスウェル。ジュードと一緒にこの街を脱出した大精霊。
なるほど、あのマナの量は――――確かに、本物であることを疑わせない。どう奪い返そうか。考えている時、プランから予想外の言葉が。
「ではお嬢様、ジュード君との進展はいかほどに?」
「はあっ!?」
思わず答える。何を言っているのか。分からないと言う前に、プランは言葉を挟み込む。
「お嬢様唯一のオトモダチでしょうに。私は心配しているのですよ?」
「余計なお世話だよ!」
「………なら、そういうことにしておきますが」
落ち込んだ風に、プランは言う。まて、なんでアンタがそんなこと。
「お嬢様が、素で喧嘩できる唯一の相手。それはもう、私も覚えていますよ――――職場も同じですからね」
プランの言う通りで、彼女はハウス教授の医療室の看護婦を務めている。教授の助手であった、ジュードにも近い位置にいる。
「しかし、ハウス教授は?」
「死んだよ。研究成果だけはもっていかれたみたいだね。用済みとマナの補充、一石二鳥ってやつさ」
そう、ハウス教授はイル・ファンで活動する組織に消されてしまった。マナを吸い取られ、殺されたのだ。教授はマナのやり取りなしで。
つまり
「そうですか………ジュード君、落ち込んでいるでしょうね」
「まあ、な」
ダメージは受けているに違いない。それ以上に、アタシの事を憎んでいるとは思うけど。
あの状況では、そう思われて当然だ。教授をアタシが殺した。そう見るのは自然なこと。
(手は下していないんだけどね)
だけど仮に説明をした所で誰が信じるのか。ジュードはきっと信じないだろう。だから、わざわざ説明なんかしてやらない。アタシを殺すというなら、殺し返すだけだ。事情を説明して和解するなんて、そんな光景、想像もつかないから。
「ナディアお嬢様?」
「だからアグリアと呼べって言ってるだろ。ジュードの事? はん、今頃は凹むあまりやけ酒にも手を出しているんじゃないか?」
言いながら、あの惨事を思い出す。思い出したくもない、あの時の言葉。声。言動。肌の温もり。
「何やら顔が赤くなっていますが」
「うるさいよ!」
叫ぶ。あんな事、思い出すだけで顔から火が吹き出そうになる。あれは、ジュードと一緒に傭兵じみた任務を受けていた時。村に魔物が出て、それを蹴散らして。ジュードは、驚いて高所から落ちた村人を治療して。勘違いされた後にもらったものが、バレンジワインだった。しかも10年以上寝かせた、ムーンライトという超高級酒、それも2本。アタシも一度飲んでみたかったので、イル・ファンに持って帰ってきて。店長が作ったハーブ鳥と、アタシが持ってきたチーズと、ジュードが作ったミートパスタ。
交えて、飲んだ時に"あれ"は起きた。
(美味しかったよ。口当たりもよくて、飲みやすいからって、どんどん飲んだ。それがいけなかったんだ)
しばらくしてジュードは変わった。変貌した。豹変した。
「お嬢様、もしかして酒宴での?」
「あれは、アタシの生涯の不覚だったよ」
「詳しくお願いします」
食い入るように迫ってきたプランにちょっと引きながら、思い出す。ガラにもなく、祈った。
――――どうか、アタシと同じように。
酔ったジュードにからまれて、痛い目を見る誰かがいますように、と。
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あいつは、駆け込むように入ってきた。家主のイバルに怒られているが、まるで聞いちゃいねえ。いいから酒を飲もうぜ、と村のどこからか買ってきたのか、酒を5本手に持っていた。俺も飲みたい気分だったし、イバルもそうなのだろう。ヤサグレ気味だった巫子殿は、「なんで俺が」なんて顔をしながら、ジュードの意見を飲んだ。ミラ様がどーとか言っていたが、あいつも興味があったのだろう。友達いなさそうだし。
それよりも、対等な立場の人間がいなかったのかもしれない。ミラは上で、村人は下。その上下を繋ぐ役割を担っている巫子は、実は対等な相手に飢えていたのかもしれない。だからか、ジュードのただならぬ勢いもあって、結局は男3人で飲みだした。
ジュードが買ってきた食材で、簡単なつまみを揃えて。そうして酒宴が始まって、30分が経過した頃だった。
――――見るものを"呑み込む"黒髪の悪魔が、出現したのは。
まず、優しくなった。ジュードは酔ったのか、顔を赤くしながらも、イバルの言葉を真剣に聞きつつ、うなずいて、話の流れに乗って。うんうんと同意を示しつつ、時には感情を交えて話を盛り上げていく。聞き上手とはこういうことか。
「ミラ様は俺の憧れなんだ」
「お役に立ちたくて、頑張った。修行だって必死にやった」
「時々俺が買ったアレ系の本をかってに持っていかれて、後が怖い」
などといった。素面ではとても言えないだろう発言を次々に引き出している。いや、酔っていたって普通は言わないだろう。恐るべきはジュードの話術とオーラだ。にこにこと、いつもとはまるで人が違うようなそれは、警戒心を薄れさせるには十分な効果があった。
(こういう所も、あの医者と違う。似ていない)
ずっと昔に去っていった"主治医"。ニ・アケリアに到着した後、私用だと外した際に受け取った組織の伝書鳩で確認したから間違いない。ジュードはあの生真面目を絵に描いたような医者の息子なのだ。そんな、今となってはどうでもいいことを思いつつ、俺は二人の事を観察していた。
場が急変していた。なにか、ジュードはニコニコしながら――――イバルに質問を連発していた。
その様子は異様だ。イバルは顔を赤くしながら、眼をグルグルと渦巻のように回している。それも、ジュードの質問の内容が揃って"アレ"だったからだろう。
「ミラの胸って大きいよね。実はあの衣装ってイバルの趣味?」
「空気読んだ方がいいと思う。そうしたら、ミラもイバルの事を見なおしてくれるって」
「イバルって強いよね。冗談抜きで、イバルより強い相手と戦ったことって無いよ」
「ふとももは至高。そうだろう、同志イバル」
「ねえ………パンチラって言葉、素敵だよね」
―――これをなんと言おう。笑い上戸ではない。泣き上戸でも、ましてや絡み酒でもない。基本は素直だ。褒めていることもある。だけど、臓腑をえぐるような発言も色々とある。イバルは誤魔化そうとするが、ジュードは脈を手に取り、「嘘だね?」と笑顔。責めずに事実だけを告げてくるもんだから、イバルとしても反撃ができない。じっとされるがままになっている。
(おいおい………天然上戸? いや、これは)
―――鬼上戸か。人を襲う魔物とは違う、また異質な生き物のような。まずい。これはまずい。
と、思った時には遅かったのだが。気づけばジュードは何やら床に倒れ込んでいるイバルを背にして俺の方に。
酒と盃を持ちながら迫ってきたのだ。
「飲もうよ、アルヴィンも」
そして地獄が始まった俺も、最初の方は自分のペースを保てていたし、ジュードの話術に乗せられなかった。酒は強い方でもないが、我慢はできる。しかし、酔ったジュード。子鬼といおうか、こいつの恐ろしさはとても抑えられるようなものじゃない。それに気付いたのは、ちょっとつまみを作るから、と。ジュードが席を外し、料理を持ってきた後だ。
「はい、アルヴィン」
「あんがとよ」
軽く礼をいいながら、つまんで。
俺の脳髄に電撃が走った。
(これは、この味は…………)
故郷の味だ。こいつが知るはずもない、俺の故郷の味。一体なんのつもりか。問い詰めようとする寸前、ジュードは自分から答えた。
「んー、アルヴィンって父さんと似た空気をまとってるし。なら好物も、好きな味も同じかなって。あはは」
酔いに顔を真っ赤にしながらジュードは言う。間違いない、こいつは気づいていない。それなのに、勘というか、訳のわからない感覚で真実を的確にとらえてやがる。
(まずい………!)
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「では、お嬢様。ジュード君は酔うと感覚が鋭くなるんですか?」
「頭の回転も速くなりやがるな。アタシが好きな料理を、しかもいつもとは違うレベルで。それで美味しい酒を進めながら言葉巧みにこっちを褒めてくるんだ。アタシが言いたくもないことも、引き出してきやがる」
「それは………お嬢様のような方には辛い。ある意味天敵ですね」
「そうだよ。それに………」
褒める言葉にも、何やらジュードの"想い"といったものがこめられている。
普段なら絶対に言わないような褒め言葉。でも、それは本当に感情がこもっていて。
「感極まったのか、抱きついてくるし………」
「お嬢様?」
「っ、なんでもない! なんでもないからな!」
余計なことを口走ってしまった。急いで取り消すが、プランには聞こえていたようだ。
口元を抑え、笑いをこらえている。
「ご、ごほん! それで、お嬢様は何を言われたのですか?」
「………髪がきれーだの、眼つきがよければ可愛いだの。思ってもいないのに、よ」
いつものやさぐれジュードなら、絶対に言わない言葉。でもそのギャップと。頭が混乱させられるのもあって。酔いがどんどん進められていくのもあって。いつの間にか、恥ずかしいことを口にだしていることもあって。翌朝、アタシは羞恥のあまり、ベッドを焼き壊してしまったほどだ。
(二度と、あいつと飲むか………!)
陛下にだって誓おう。というか、あいつは危険だ。酔ったあいつは兵器になる。ほっとけば何人虜にするか分からない。だから飲むなといった。次にあんなことを言えば許さないし、抱きつくことも許さない。
「で、その言葉の中で。お嬢様が、一番覚えていられたものは?」
プランの言葉。笑いもあるが、真剣な言葉もある。
――――こういった所は、母親と同じだ。アタシの乳母だったプランの母親。
優しい声で、似たような顔で。もう一人の母親と言えるそんな風に言われたから、アタシは思わず素直に答えてしまった。ジュードに言われるまで。まったく気づきもしなかった、ジュードにほめられた、アタシの長所を。
「………声が、綺麗」
歌がうまい、かな。
プランに教えた後耐え切れなくなって、"私"の顔はあの時のように、炎のように熱くなった。
○ ● ○ ● ○ ● ○ ●
「アルヴィンって、寂しがり屋だよね」
「………ああ?」
「誕生日とか祝ってもらったこと少なそう」
かちんと来る。なんでお前にそんなことを言われなければならない。言うが、次の言葉を前に、何も言えなくなった。
「僕も、そうだから。だから何となく分かるんだ」
「お前………お前は、両親が居るだろ」
「医者だからね。誕生日に祝ってもらえることは少なかったよ。でもまあ、ソニア師匠やレイア、ウォーロックさんには祝ってもらえたんだけど」
イル・ファンに来てからは、全く。笑いながら言うジュードの言葉に、俺は過去のことを思い出してた。確かに、誕生日を祝ってもらえたことなんて、数えるほどだ。
こっちに来た頃は母さんに。仕事についてからは、全くと言っていいほどに無かった。
(いや………あったか)
相手は、かつて同棲していた彼女。別れる前、一度だけ祝ってもらった事がある。おままごとみたいな真似を、と俺はバカにしていて。それでも、言い様のない感情に襲われたのを覚えている。今はもう、一緒にはいられない関係になったが。
(あいつも、変わっていないな)
格好も前のまんまだ。青少年には目の毒だってのに。
(そういえば、あの時も。酒を、強くもないのに飲んでいたっけな)
大人の振りをしていた。大人になりたかった。他人の都合に振り回される存在から、子供から、そんな立場から脱却したかった。だから、大人ぶって。
(………っ!)
たまらず、酒をあおる。鼻に、きついアルコールの香りが抜けていく。
涙が出た。きっとアルコールのせいだ。決して、悲しいからじゃあない。
言い訳をするように、隣を見る。そんなんじゃねえ、と。
だけどジュードは、変わらぬ笑みを向けていて。
(こいつも、複雑だよな)
俺が気づいていること、ミラも気づいているだろう。こいつの歪は分かりやすい。疑ってみれば一目瞭然だ。微笑ましい部分もある。汚れた方向に突出していないのも、違った面白さを感じさせてくれる。思わず手を貸してしまいたくなるぐらいには。その奥が見たくて。こうして乗って、酔った後に豹変するかとも思っていたが、どうにも想定していた"傷"とは違うようだ。
(ほんと、分からねえよ。人間も、精霊も、この世界も。分からないことだらけだ)
愚痴るように言う。と、その時玄関の入口が開いた。
「すまない、明日の予定を…………ってなんだこの臭いは!?」
ミラだ。入るなり彼女の知らない臭い、アルコールのそれを感じて。驚いたのだろう、一歩引いて戸惑っている。だが、これが何の臭いなのか。ミラは気付いた後、ジュードに向かって詰め寄る。
「ジュード! お前たち何をしている!」
怒っている。そりゃそうか。怪我人、病人にアルコールはご法度だ。ミラとしても、それぐらいは知っているのだろう。
「聞いているのか?」
怪訝な顔をするミラ。しかしジュードは、ミラの顔を見たまま硬直している。そうして、徐に口を開き、言った。
「綺麗だ」
「………は?」
「ミラって、綺麗だね」
「いや、あの、ジュード? 大丈夫か?」
ミラにしては珍しい。真正面からの唐突な言葉に、ちょっと混乱しているようだ。顔も赤い。こっちからは見えないが、さぞかし真剣な眼をしているのだろう。
「綺麗だ………」
一歩、ジュードはミラに詰め寄る。そして、また徐に手を差し出し。
「えい」
その手が、ミラの胸元に埋まった。ふにゅっと、いう擬音が鳴った気がした。
「っっっっっ!」
ミラの顔が炎に鳴った。顔が、夜に輝く山火事よりも赤く染まる。
「ばかものっ!」
強烈なビンタが炸裂した。イバルに折り重なるようにして倒れた。音からして、その強烈さは分かる。眼をぐるぐる回して、気絶していようだ
ミラはそのまま出ていった。社の方に戻るのだろう。俺は呆然と見送ることしかできなかった。
そして、折り重なって昏倒する二人を見る。
「………ほっとくか」
最後の一杯を飲むと、寝ることにした。その日は、夢は見なかった。