僕達が生きるこの世界、リーゼ・マクシア。ここは精霊と人が共存する素晴らしき場所である。
――――そうほざいた奴の頭を、無性に殴りたくなる時がある。
それは今で、この時であった。世界で最大の規模を持つであろう都市の中心で、僕はそんな事を考えていた。この世界にある二大国のひとつ、"ラ・シュガル"、その首都の名前をイル・ファンという。夜の霊域が発達している常夜の街で、観光に訪れる者も多い。見あげれば、巨大な街灯樹の光が夜の空に映えている。そんな光の樹が咲く都市の中心で、僕は一人で通路である階段の上に座っていた。一応は敵国とされているもう一つの大国、"ア・ジュール"の影もない。20年前は大きな戦争があったらしいが、最近はその噂も聞かない。
刺激はないが退屈もない、平和な街の中で一人で何も考えないまま、ただ夜空を見上げていた。前を見ればやるせなくなるからだ。なんでって、そこかしこに精霊術を使う人達の姿が見えるから。
風を足場にして、街灯を調整する職人。橋のへりを修復する職人。水の精霊術を見せ合っていちゃつくカップル。自慢気に小さい火の玉を友達に見せつける少年。何気なく、当たり前のように使われる精霊術。
―――そのすべてが目障りだった。まとめて潰したいぐらいには。
「なあ、お前もそう思うだろ」
後ろに居るバカ女に告げる。気配を殺しているようだが、こいつはそういった忍び足が下手なのだ。忍び寄るには向いていない。そもそもそういった性格をしていない。何故ならばこいつは火の大精霊である“イフリート”に愛されているからだ。誇張だと揶揄する奴も居たが、こいつの使う精霊術を見れば誰もが黙りこんだ。
まるで火を従える主であるかのように、炎を自在に操りやがる天才。名前をナディアというらしい。僕はこいつは嫌いだ。それを自覚している所が余計に僕を苛立たせるから。
「………ちっ、このクソジュードよ。街中で物騒な殺気出すんじゃねーよ。つーか、気づいてたのか」
「お前みたいなクソ騒がしい、面倒くさい気配の持ち主なんか他にいねーよ。てか隠す気すらないんなら、ふつーに来いよふつーに」
「アタシもそうしたかったさ。でも、飽きずに辛気臭い顔してる馬鹿がいるんなら仕方ないだろ? その間抜けな後頭部を殴ってやろうと思っちまっても」
「それは通り魔だ。もっとやわらかーいコミュニケーションをしようとか思わないのか、不良娘」
「はっ、アタシもアンタにだけは言われたくないよ………それで、できてるんだろ?」
「へいへいまいどまいど」
答えながら薬を後ろに放り投げる。薬の名前は「グッド・ナイト」。命名したのは店長だ。この薬は、そこいらの店には売っていない、曰くつきのシロモノである。
………まあ、ただの安眠薬というか睡眠薬なんだが。
「ったく、お家でお抱えしてあらせられるお薬師にお頼み申せばいいだろうになぁ?」
「敬語のつもりかそれは。ま、あのヤブ医者にはいの一番に聞いてみたんだけどね。アンタに借り作るのは嫌だったし。でも、こんなもん作れねーって。無駄に手え光らせるのは得意みたいだけどね」
「………治癒術と言ってやれよ」
ああ羨ましい。まったくもって羨ましい話だ、それは。分かって言ってやがる、こいつは。苛つきの度合いが一気に上がり、それをナディアも察知しているだろうにこいつは言葉を止めなかった。
「馬鹿の一つ覚えみたいに、外傷を治すだけ。血ぃ止めるだけとかつまんねー奴さ。体力やマナ回復する、アップルグミとかオレンジグミと同じレベル………いや小煩くない分、あっちの方がマシってもんか」
「えー………ついにはグミ以下かよ、可哀想に。でもこんなもん医者としてはふつーだろ? 薬学も学んで一人前って教授は言ってたぜ? つか、一昔前にはふつーに作れたはずだって聞いたけどな」
外傷を癒すのだけが医者の役目じゃなかったはずだ。母さんから聞いたことがある。それにここいらの医療室もった医者は縁もないんで知らないが、ハウス教授や、故郷のル・ロンドで治療院を開いている父さ………………親父は違った。母さんも。患者を見て、何が悪いか"診て"。それから治療をしていた。治癒術で治せるのは外傷だけだから。
「はっ、おべっかと手え光らせて血ぃ止める術だけは一級品だけどなぁ。生憎と、そういった方面の知識の幅はお前以下だ。ああ、そういやあいつらは口も上手かったかねえ」
「はっ、世も末だな」
「貴族のとこ行く医者なんてそんなもんさ。元がいいとこの坊ちゃんだ。貴族様にもわかりやすーく、見えてる傷だけ癒すのが仕事だから―――――せいぜいが風邪薬程度。その点、アンタは本当に変態だね?」
「炎狂いのアバズレに言われたかない。で、いい加減金払えよお前」
「あいよ」
まるで読んでいたかのように、すぐに投げ渡されたガルド入りの袋。それは今までよりも少し多かった。
「………おい?」
「色、つけとくよ。で、余分があればそれも貰いたいんだけど?」
それは、今までにはない要望だった。しかし大して気にもせず、予備に持ってきていた余りの分を投げ渡す。懐に持っていた分――自分用も一緒に投げ渡した。どうせ、家に戻れば残っている。惜しい程でもない。
「容量用法だけはお間違えのないように。まあ、お前のことだから自殺だけにゃ使わねーと思うけど」
「はっ、自殺なんかするかよ。それならお前に殺された方がマシだ」
「………ああ、それについちゃ同感だ」
俺もそうだからな。そう答えかけた所にナディアの声がかぶされた。
「そうだろ。だって、そうだな。アタシが自殺するなんて―――――」
一息おいた、その後に。いつものように。通常の会話をするように、何でもないことのようにナディアは言った。
「それこそ、アンタが精霊術を――――治癒術を使えるようになるぐらいに、有り得ないことさ」
瞬間、血液が沸騰した。脳の中が一瞬にして沸き立ったのが分かる。まあ、このクソ女が。よりにもよって、よくもそのことを面と向かって、言ってくれやがったもんだぜ。
(ああ、わかってるさ。言われたいんだろ?)
口が歪む。そのまま、歪んだ言葉を開いた。なら、僕も奥の奥の傷まで引っ掻き回してやるよ、という意識を携えて。
「ああ、そうだなあ? 貴族のくせに――――ヒス起こして手前の家に放火した、お前ぐらいにありえねーことだわなぁ?」
「――――テメエ」
声は低い。まるで火が灯ったかのように、ナディアの中の何かが燃え盛るのを感じる。だけど、それがどうしたと見返してやった。
互いに臨戦態勢。一触即発。触れれば即爆発。空気が物理的に緊張していることを錯覚する。いや、現実なのかもしれない。僕は拳にマナを。ナディアは仕込み杖にマナをこめていた。
互いの武器に手をやって殺意をぶつけ合っているのだ、空気の一つや二つ根を上げていたっておかしくはない。
――――でも、それが開放されることはなかった。
「………ちっ。言いたいこといいやがるね」
「お前が言うな。でもまあ、アレだよ。こういうのって、なんつーの? 気の置けない友人っつーの?」
「思ってもないこというんじゃないよ」
そう。そんなことは思っちゃいない。僕にとってのこいつも、こいつにとっての僕も、そんな生なもんじゃない。
――――ただの無機物。冷たい外見をもつ、たたの"鏡"だ。
今でも思い出す。ガンダラ要塞に続く街道、その平原の中央で僕はこいつと出逢った。最初は、共感した。だけど次の瞬間に憎みあった。それは必然だったのかもしれない。互いに傷を―――似たものを持っていて。酷く似通っていて。本当に見たくもないものを、自分の肉眼で見せつけられたから。それはこいつも同じようで。
気づけば殺し合っていた。その途中で通りがかった店長に止められて、決着がつくことは無かったけれど。それでも、今でも関係は同じでずっと変わらないでいる。
………こいつは僕にとっての鏡で、僕はこいつにとっての鏡だ。虚飾なくそのままに互いの姿見と心を映し合う、心の鏡そのもの。互いに似たような傷をもっていて。
――――そして互いが、"奥に持っている傷を忘れることを許さない"、そんな感じだ。
(店長は同じような傷を持っている者が出逢った場合。それが男女なら、傷の舐め合いをするような関係になるって言っていたけど)
僕とこいつにおいては有り得ない。そうはならない、絶対にならない。出来るはずもないからだ。傷を舐めあうぐらいなら互いに傷つけあい、殺しあう方が万倍もマシだと断言できる。
でも、ああ、本当に非生産的も極まる関係だという店長の感想には同意できる。それでも、一緒にいて退屈しない間柄だというのはある。こいつは腹は立つが、腕も立つ。武術の上達の程度を試す相手にはちょうどいい。何より自分が死んでいないことを思い出させる程度には役に立つのだ。それにまあ、付け加えて言えば互いの奮発剤にもなっているというか。
"このまま無様な己でいられるか"と、初心をまざまざと思い返させてくれるのだ。見るだけで思い出させてくれるという相手は貴重だと思う。
あの心を忘れるな、と言葉なく訴えてくれるから。でも行き過ぎる事もしょっちゅうある。何事も計算では全てをカバーできないのが世の常なのだ。さっきみたいに、殺気のやり取りをするのも日常茶飯事だ。慣れたもので、日常の一風景と化している。
でも、それなりに上手くやっていた。以前は傭兵として互いに雇いあったりしていたし。俺は目的の資料を探す度の護衛に。こいつは、よく分からない任務だかなんだか知らないが、変な仕事の護衛に。きな臭いが、実力は信用できる。一度頼まれたら、絶対に裏切らない所も。その点でいえば、どの傭兵よりも信頼できる。今はもうどちらもそれなりのレベルになったので、最近は雇う間柄でもなくなったけど。
「で、入り用ってなんでだ?」
「ちょっと、大きな仕事があるんでね。しばらくはあの店にも行けなくなる」
「珍しいこって。店長が寂しがるな」
「………あの人も、ほんと物好きだね」
魔物の肉で串焼きを初めて、10年。今では裏町限定だが、人気店の一角となった――――串焼き屋『モーリア坑道』。
何故に飲食店なのに坑道とか、そういうことを言っちゃいけない。あの店長にまともに突っ込んで答えが帰ってくるとも思えないから。まあ、たまにちょっと酷い味付けの肉を出してしまうことがあるが、大概は貴族様をもうならせるぐらい美味しい串を出す、迷宮のような迷店――――違った、名店だ。
そしてグスタフ店長は本当に頭のイカレタお方だ。具体的にはモンスターの"ジェントルマン"の肉を調理しようとか言い出しやがりました。きっと、あんな事言い出したのはこの人が世界で初めてなんじゃなかろうか。
無駄に、多方面への新商品開発意欲に旺盛で、先週あたりに道具屋へ緑と黄という素晴らしい色合いのグミ――――ドリアングミを提供していた。ドリアンて、あんた。効果はおして知るべし。でもギャンブル性というか食べる直前のスリルがたまらないと、一部のイカレタ傭兵には人気なんだとか。
ちなみに、店長も以前は傭兵をしていた。本人曰くだが、冒険者も兼ねた傭兵戦士という職業についていたらしい。
自称だけど腕も立つので疑うことはしていない。ア・ジュールの武道大会でも決勝までいったらしいし。何より、武術の師匠が僕と同じ、"あの"ソニア先生だということで腕のほどは知れるというもの。少し前にソニア師匠に手紙で聞いたけど、"あいつは筋だけは本当に良かった"と言っていたからには、腕の良さは疑いようもない。
それもそうだろう。あのど外れて制御が難しい活身棍を使えるのは、師匠を除けば二人しかいない。グスタフ店長か、ソニア師匠の娘で僕の幼なじみでもあるレイアぐらい。店長の腕は今でも衰えておらず、真正面からやればいかな僕とて負けてしまうかもしれない。でも割りと寂しがり屋だ。あと、本人が変人だからか、変人からよく好かれている。時期によっては店がヘンタイの巣窟になってしまうのだ。それでも通うものは絶えない。例えば目の前のこいつとか。
「………なにか、変なこと考えてるね?」
「ああ、いつもな。でもって、お前もな」
「胸を張っていうことかよ」
「まあな。お前には張る胸もないが」
ちょっと殺意が増しましになったのは気のせいじゃないだろう。でも今日はそんな気分でも無かったようだ。
「………いいさ、ここは黙って帰っておいてやるよ。それじゃあな、クソジュード。生きてりゃまた、変なところで会うかもしれないね」
「は、なんだそりゃ? ………まあいいや、良い夢を」
「そりゃ、死ねってことかい?」
「言わせんなよ恥ずかしい」
互いに毒を吐きあって別れる。そのままぼーっとすること数分。近くに、銀髪で炎染みた気配を放つ小娘はいなくなった。しかし、入り用でしばらく顔出せないか…………初めてのことだな。
「えっと………ジュード、くん?」
「はい?」
突然かけられた声へ、反射的に返事をする。この声は………ハウス教授の、診察の時の助手の人か。足がきれーな人。
「こんな所で座り込んで、何をしているの?」
「この風景を見ているんですよ。普段は忙しいですから。座ってみるイル・ファンの風景も、またおつなものですよ?」
「ふふ、そうね。私も暇ができれば一度試してみようかしら」
他愛もないことを話しあう。ああ、心が癒されていく………他意もなく敬語を使える相手なんて、この街じゃ4人ぐらいだからなあ。
「それで、何か用事があって来たのではないでしょうか?」
「ああ、そうだ! えっと、ハウス教授が呼んでいるんです。なんでも、実験の手伝いをして欲しいって」
「分かりました………っと、そこ段差になってます、気を付けないと危ないですよ?」
会話をしながら、僕は助手の女性と一緒に、医学校へと歩をすすめる。
空には、いつもと変わらない夜空が広がっていた。
「叶わない夢のために、か………本当にバカだよ、バカジュードが」
「あの、アグリア様?」
「話は分かったよ。研究所には顔も聞く。しばらくは入り込んで情報を集める。そう、陛下に伝えな」
「了解しました」
下がっていく部下。その服装はこの国のものだが、身のこなしは違う。
銀髪の少女は、去っていく部下が姿を消すのを確認すると、空を見上げた。
相変わらず遠い、とつぶやく。
「ふん………次に会う時は本当に殺し合いになるかもね」
面白くもなさそうに搾り出されたその言葉は、ただイル・ファンの夜の闇へと消えていった。