Word of “X”   作:◯岳◯

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間話の2 : ル・ロンドの一日

 

 

穏やかな街は嫌いだ。アタシに、居場所なんてないことを思い知らされるから。

そんな嫌な町の中を歩く。

 

「ったく、なんでこうなったのか」

 

朝に港を発ち、昼に嵐に揺られ、揺られ続けて気づけば夕焼け。船は目的地であったイラート海停に辿りつけず、船航路の途中にあったル・ロンドに寄港することになったのだ。

 

『本当に申し訳ありません!』

 

頭を下げながら謝る船員の姿を思い出し、苛立ちに襲われる。嵐だから仕方ないと言えば頭のひとつでも小突いてやるつもりだった。だけどああも素直に謝罪を示されたら、文句の一つも言えないじゃないか。正論は卑怯というが、ああいうのも卑怯だと思う。他の客も同じように謝られていたから、あれが誠意から来る謝罪というのが分かる。だから腹が立つ。宿の宿泊券が配られていたのも。財布の中に収まっている紙切れを思い出し、また苛立つ。

 

ル・ロンドに唯一あるという宿屋、一日で修理しますからここに泊まって下さい、と船長から直接に渡されたもの。急な話しだがよく対応できたものだ。どうやら船長の知り合いが経営している宿屋らしいが。

 

(………連絡は済んだし、やれることはないか)

 

ボーボーもしばらくは戻ってこないだろう。あのくそヒョロ男――――ウィンガルは、ボーボーを酷使するむかつく奴だ。今頃はあちこちに情報を伝達しているに違いない。参謀だから、あの手の連絡手段は重宝するのだという。一度、譲ってくれと頼まれ――――いや、頼みじゃない。"譲れ"なんて、命令にしか思えない言葉があった。本人は頼みのつもりだったと言っていたが、流石は元最高位上級部族のロンダウ族だ。アタシが言うのもなんだが、言い方ってものがなってない。あの貴族連中ほどに悪意が見えていたら、アタシはこの仕込み杖を抜いていただろうけど。もしくは、ジュードの奴のような――――

 

(………あー、やめだ、やめ)

 

思考が横に逸れるのを感じて、アタシは首を横に振る。本当は炎の一発でも吹き出してやりたかったが、嵐のせいか身体が酷く疲れている。今は宿に行くべきか。ここは鉱山都市だし、さぞかし汚い宿が待っていてくれていることだろうしな。聞けば、港のすぐ傍にあるらしい。いけ好かない潮の香りの中を歩く。周囲には馴染みの施設。海停というか、港の造りはどこも同じだ。混乱しないように、と決めたらしいが、こうも同じでは飽きがくるってもの。それでも、人が全て同じということでもないらしい。行商人から買い物をしている人間の様子が違う。見るからに屈強な体格を持つ者が何人かいる。あれはおそらく元鉱夫ってやつらだろう。イル・ファンに居た頃に聞いたこともある。かつては鉱山として賑わっていた街だけど、その資源も尽きかけていて。そのせいで鉱山の多くが閉鎖され、職を失った者も多いらしい。聞いた場所は首都。王都だからか、イル・ファンには色々な場所から流れてくる人間が多かった。種類にも様々あるけど。一時期のあの酒場にもたくさんいた、夢敗れたという鉱夫が、うるさくも毎日、飽きずにくだらない歌を歌っていた。

 

嫌になるぐらいに聞かされたから、メロディーも歌詞も覚えてしまった。たしか、こうだったか。

 

『掘れよ、掘れ掘れ掘りつくせ。男はだまってツルハシ振って、ヨホホイよさいと振り下ろせ。輝く石も輝く夢も、掘って壊して掘り起こせ。宝は女、そして美女。魅惑の笑顔で待っている。いつしか見えるさ岩の向こうに、彼方に眠って待っているから』

 

簡単なメロディーを軽く口ずさむ。本当に小さな声で、他人には聞こえないような音量。

しかし、それを確りと聞いていたやつが居た。

 

「おー………おー!」

 

子供だ。いや、ガキだ。6つぐらいか、ガキとしか言えないようなガキが、驚いたような顔でこっちを見てやがる。嫌な、予感がした。そしてそれは的中した。

 

「おねーちゃん!」

 

「なんだガキ」

 

睨みつけるが、聞きゃしねえ。ガキはそのまま、何かを喜ぶように言った。

 

「すっごい、歌うまいねえ!!」

 

「―――ばっ?!」

 

急いで口を塞ぐ。聞かれてたのも恥ずかしいのに、まだ恥を上塗りさせようとするがこのガキは!

ああもう、この街のやつらはこんな阿保ばっかりなのか。アタシはうんざりしながら、ガキに言い聞かした。

 

「ストップだ。これ以上喋るな、いいな?」

 

ちょっと脅してやると、ガキは青い顔をしたまま黙った。ふん、いい気味だ。

そうだ、こいつにちょっと聞いてみるか。

 

「なあ………この街に、治療院ってあるだろ。そこはどこだ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこは、歩いてすぐの場所にあった。建物の大きさはそれほどでもない。他の家と同じぐらいの大きさ。違う所があるとすれば、それは人の出入りが多いことか。客の回転が早い。というよりは、患者と呼ぶべきなのだろうけど。それでも、出ていく人間と入っていく人間の数は多い。尋常な早さではないと言えるかも。

 

(プランはいつも、患者の数が多すぎるって愚痴ってたけど………)

 

酷い時は10人が一気に押し寄せるとか。それでも、ここの医者とやらならば上手にさばけるのかもしれない。ディラック・マティスとエリン・マティス。あいつが語ろうともしない両親、医者の夫婦ならば。遠い、と。あいつが言っていたそんな二人ならば。

 

――――そんなくだらないことを考えながら、治療院を見ていた時だ。

 

とんとんと、肩を叩かれた。

 

(――――な)

 

気づかなかった、ということに驚くと同時、アタシは臨戦態勢になりながら急ぎ振り返った。

 

「きゃっ!?」

 

急に振り返ったことに驚いたのか、肩を叩いてきた女はいやに耳に障る悲鳴を上げた。そう、女だ。治療院の場所を聞いたガキに連れられてきたのか、同い年ぐらいの女がそこに居た。ヘッドドレスに、馬鹿みたいに明るい服。アタシには死んでも似合わないだろう服だ。そんな、むやみめったら、無駄に明るい服を着こなしている女は、やっぱりムダに明るかった。

 

「えっと、この人が?」

 

「うん! 歌うまいけど、おっかないおねーちゃん!」

 

「おいコラそこのガキ」

 

黙ってろって言っただろ。言いながら頭をわし掴んでやる。痛い痛いと叫ぶが、いい気味だ。

 

「ちょ、ちょっと!?」

 

「黙ってな。約束も守れないくだらねいガキにゃ、良い薬だろ」

 

「た、助けてレイアお姉ちゃん!」

 

「ほいきた」

 

瞬間に、掴まれたのは腕の付け根だった。軽くそこを握られたと思ったら、次には腕の力が抜けていた。ガキがアタシの手から逃れ、ぱぱっと逃げる。腕を掴まれてるアタシを見ながら、自分の唇を横に引っ張る。

 

「っ、やーいやーい、ざまーみろ! レイアおねーちゃん、この目付き悪いやつ、やっつけて!」

 

「って、コラ! 知らない人にそんな事言っちゃダメでしょ!」

 

ガキの脳天に、拳骨が決まった。たまらず頭を抑えつけ、痛いといいながらうずくまる。互いに悪意の見えない、ぬるま湯のようなやり取りを見たアタシは、思わず舌打ちをする。しかも、だ。

 

「レイア………?」

 

聞いた名前。そしてこの町は、あいつの。そこまで考えた時、自然に口が開いた。

 

「アンタ、もしかしてレイア・ロランドか」

 

「へ? そ、そうだけど、なんで私の名前を知ってるの!?」

 

狼狽える女は無視して、観察する茶の髪に、小柄で細身な体型。花飾りがついたヘッドドレス。極めつけは、無駄に元気で明るい声。確かに、あいつが言った通りだ。

 

「それに、胸もない」

 

「………って、はあ!? え、ちょ、今なんて言ったのあなた!?」

 

いきなりの言葉に、数瞬反応遅れての激昂。なるほど、妙に間抜けなところもあってるな。幼なじみだろうか、あいつは本当にこの目の前の女のことをよく知っているな。その深さまでは知らないけど、少し話しただけで分かるぐらいに知り尽くしている。そう思うと、なんか腹が立った。

 

「っ、声色たけえ。キンキンうるせーよ、アンタ」

 

自然、対応にも遠慮がなくなってくる。はじめからする気もないけど。心底うざったそうに耳を塞ぎ、鬱陶しいという視線を向けてやる。するとレイ――――いや、もうブスでいい。ブスは、手をわなわなさせて震えはじめた。

 

「こ、この傍若無人さには覚えがあるなぁっ………!」

 

と、何事か思いついたこっちを見ながら顔を指してくる。

 

「あなた! ひょっとしてジュードの友達かなんかでしょ!」

 

「何を根拠にそう思うんだ?」

 

「ん、乙女の勘!」

 

両腕を挙げて乙女とかほざきながら胸を張るブスがいた。アタシが着ている服はイル・ファンのもので、そのあたりから推測したのかも――――とも考えたけど、まさかの勘一本勝負ってないよ、バカ。

 

あの陰険でも妙に頭の回るバカとは違う、正真正銘の馬鹿だ。自信満々なところも鼻につく。ともあれ、これだけは否定しておかないとね。

 

「友達じゃないさ。でも、そいつが無駄に腕のたつ、頭もキレる陰険な医学生なら、あたしの知ってるバカかもな」

 

「んー………キレるってどっちの意味で?」

 

「両方だよ」

 

「ってやっぱりジュードのことじゃない!」

 

「即答かよ………」

 

あと、これ以上の会話は駄目すぎるね。会話のテンポがとことんあわない。話していると、何かイライラしてくる。

 

―――――もういい、これ以上の深入りはしないほうがいいか。

 

あの馬鹿から聞くに、あいつの師匠、こいつの母親は想像以上の化物に違いない。ア・ジュールへ行く途中である今、余計なやぶ蛇に手をつっこんで怪我をするのも馬鹿らしい。興味はあるけど――――

 

「いや、いいか。それでアンタ、ここに住んでるってんなら、宿の場所知ってんだろ」

 

「へ? えっと、うちに用?」

 

「………ぁんだって?」

 

で、話を聞けば、こいつの家がこの街唯一の宿だということ。

 

「マジかよ………死ねよ船長………」

 

「え、なに。私の家が宿だとまずいことでもあるの?」

 

当たり前だろうが。決意した途端それかよ、と思わず声が漏れてしまう。

 

「滅茶苦茶問題ありありだよこのブスが………」

 

「ちょ、何!? 失礼な人――――ってそんな所までジュードに似てるし!」

 

「ああ!? アタシのどこがアイツに似てるっていうんだよ!」

 

「なんかこー、妙にひねてるところ!」

 

「お前もあたしに失礼だろうが………っ!」

 

「あ、ごめん」

 

途端にしゅんとなる。散々言われてるってのに、ちょっと言った後に指摘されただけでしおれた草のようになるブス。

 

(ああ、いやだ。いやだいやだいやだ。毒がない会話はいやだ)

 

毒がある会話は、あしらうのが面倒くさい。だけど慣れているから、何とも思わないのに。こういった会話は、心が痛まないけど、別の所が痛んでしまう。ああ、嫌だ嫌だ。特にこういう奴は苦手だ。無駄に明るい。だから、光ものは臭い"。こちらまで侵食されそうで、たまらなくなる。話しているだけで、感情が暴走していく。そうして、高ぶりそうな感情のままに、更に口を開こうとした時だ。

 

――――突然、気配がそこに生まれた。

 

「こらレイア、店の前で喧嘩すんじゃないよ!」

 

「痛っ、ってお母さん!」

 

叩かれたのだろうか、後頭部を抑えるブス。それは、普通の親子の会話で。

だけど―――――

 

「っ、どうやったんだよ」

 

アタシは固まらざるをえなかった。だって、一切が見えなかったし感じられなかったのだ。このアタシが、今の刹那に何があったのかって聞かれたとして。それを説明できる材料が、"抑えているから、そこを叩かれたのであろう"という根拠だけなんて、こんな馬鹿な話があるかよ。

 

その当事者は、何食わぬ顔でこちらを見ると、納得したように頷いた。

 

「で、アンタがお客さんだろ? 船長から話は聞いてるよ、部屋に案内するからついておいで」

 

およそ客商売をする者ではない口調。だけど、それに不快感を感じず、何より逆らえないものを感じたのは初めてだった。

 

 

 

 

 

そうして案内された部屋は二人部屋だった。他の乗客は全員男性客だったから、アタシに配慮したのだろう。

 

(しかし、あれがあいつの師匠か………なるほど、陛下に匹敵する化物だ)

 

アタシも、並外れた達人なら見たことあるし、知っている。剣を向けられるだけで、敗北を悟らされるほどの傑物。いずれがリーゼ・マクシアの頂点に立つ、本物の英雄だ。このアタシが、心の底から敵わないなんて、そんなみっともないことを思った初めての人。だけど、あのソニアとかいう女将は別タイプの人外だ。なにせ――――とても"そう"は見えない。

 

(あいつの師匠だ。それにさっきの気配遮断。達人だけど………見た目からは、なにも察することができなかった)

 

初対面で。案内されるまで、色々と確かめたが、分からなかった。達人であるのは間違いないのだ。なのに、そうは思えないとはどういった理屈だろうか。あらかじめ事情を知っているからこそ分かるが、知らないなら絶対に気づかないだろう。それほどまでに、あのソニア・ロランドという女将の隠形は完璧だ。まるで思考の迷路にはまってしまうような。あるはずなのに、そこにないという事実が逆に恐ろしさを際立たせてくれる。見えないからこそ怖い、というのか。

 

確かに、宿を経営する時に武の威圧感は必要ない。理屈は分かる。だから悟らせないようにしているのだろう。だけど、こうまで完璧に隠されるなんて。

 

(あのバカが強くなるはずだ)

 

さっきのことといい、あのバカジュードといい。師匠が師匠なら、弟子も弟子ということか。それでも、今のあいつと陛下が戦ったらどうなるのか。

 

アタシは――――考えるだけ馬鹿だろうと、思考を切った。そして夕食の知らせがあるまでベッドの上に横になることにした。外に出るのも面倒くさいからだ。

 

 

外からは、子供の声が聞こえる。まだ遊ぼうぜ、とか。また明日、とか。母親らしき人が怒って、連れ帰る声とか。

 

(本当に………気に食わないよ)

 

穏やかな街は嫌いだ。アタシに、居場所なんてないことを思い知らされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕食はすぐに。呼ばれた先のテーブルに、料理が出されていた。どこにでもあるような、普通の料理。しかし、その味は悪くなかった。そう、味が悪くない。すぐに食べ終えたし、食後の飲み物も悪くない。だけど――――なんだ、この従業員は。

 

「アンタ、なんでアタシのテーブルに?」

 

「えーっと………ちょーっと話を聞きたいかなあって」

 

「………ジュードの話か?」

 

「そう!」

 

「失せろ!」

 

「ちょ、一刀両断!? ちょっとは考えてくれても!」

 

「うっさいよ馬鹿、人の食後のティータイムを邪魔するんじゃないよ!」

 

しっしっと手を振る。だけどこのブス、諦める様子がない。正直鬱陶しいので、どっかに行って欲しいんだけど。そう考えていると、ブスの背後に影が見えた。

 

「………レイア?」

 

「ひっ、お母さん!?」

 

「あんた、お客さんになにやってんだい?」

 

「えーっと、これは、その………てへ?」

 

舌を出して誤魔化すブス。当然、長年の付き合いであろう、というか母親である女将に通じるはずもなく、襟首ひっつかまれると、奥の厨房に引きずられていく。

 

「ちょ、お母さん勘弁! 勘弁だから!」

 

「大丈夫。痛いのは一瞬だよ」

 

「おとーさーん!」

 

「すまんレイア、無力な俺を許してくれ………!」

 

まるで寸劇だ。というより、話が噛み合ってないような。そんな様子を、他の客――――おそらくは地元の者だろう。夕食を食べに来ている客は、「またレイアちゃんか」とか笑いながら眺めているだけだった。

 

「いや――――!!」

 

「レイア――――!!」

 

断末魔が。しかし、客はスルーしたまま、食事を続けている。なんだかね、この店も。まるでイル・ファンにいる、店長のあの店のようだ。

 

(そういえば、弟子だって聞いたような………まあいいか)

 

面倒くさいと、出された紅茶を飲む。悪くない味だ。そうして、落ち着いていると、入り口の扉が開き、また客が入ってくる。その客は疲れた顔をしていた。黒い髪に、白衣が映える。どこかで見たことのある顔だ。と、いうよりも―――――ジュードに似ている。

 

(あれが、あいつの母親か)

 

疲労に染まってはいるが、凛とした表情は残っている。

普通の母親に、疲れた医師を足したような顔。

 

「お、エレンじゃないか。しかし、今日もかい?」

 

「ごめんなさい、ソニア。最近は患者も多くて、ちょっと長引いてしまうから、ね………あら、レイアさんの姿が見えないようだけど?」

 

「ちょっと休憩しているのさ。あの子も疲れてるようだしねえ」

 

しれっとそんな事を言う下手人。ジュードの母親の方も慣れているのか、苦笑ですますと、荷物を受け取って店から去っていく。

 

(………ふ~ん。見た感じ、普通の母親だったけどね)

 

あいつは零していた。母親は苦手だ、父親は嫌いだ、と。しかし、母親の様子を見るかぎり、あいつが苦手とするような、そんな風には見えない。一体何が原因っていうのか。紅茶を飲みながらそんなくだらないことを考えている。だけど、どうにも首が座らないというか。疑問を感じると、解決しない性質なのだ、アタシは。それでも、誰かに聞かなければ答えの出ない問いだろう。そうして考えこんで数刻。気づけば、客はアタシだけになっていた。女将はといえば、テーブルとその周辺の掃除をしていた。今なら、聞けるかもしれない。そう思った時、ふと視線が返ってくるのを感じた。

 

「………なんだい、女将サン。アタシに何か用があるとでも?」

 

「無いさ。というより、アンタの方が何かあるって見えたけどね」

 

「ちっ…………」

 

視線というか、意識の方向を感じ取られていたようだ。変に言い訳するのも趣味じゃない。

 

「女将サン、ジュードの武術の師匠だってな」

 

「まあね。そういうアンタは、あの子の友達かい?」

 

「はっ、あり得ねーよ」

 

頭から否定してやる。友達の対極に位置するやつだ、あいつは。

そういった道もあったかもしれないが、今更無理だしね。

 

「………話に聞いていた通り、気難しい子だね。それに、あの子に似てる」

 

「勘弁してくれないかねえ、その台詞はアンタの娘に何度も言われてんだよ。ま、否定してやったけど」

 

「そんな枠で収まりたくない、ってかい?」

 

――――不意の一言に、心臓が跳ねた。どういうこった、ババア。

 

「睨むんじゃないよ。ただそう感じたから言ってみただけだよ。その様子を見るに、図星だったようだけどね」

 

「ちょ………そんなんじゃねーよ、ババア!!」

 

「まあ、女の子が照れなさんな!」

 

バンバンと背中を叩いてくるババア。腕で振り払ってやろうとしても、上手く避けられてあたりゃしねえ。まるで酔っている時のアイツのようだ。棘出しても何でか知らないままにするっと躱され、気づけば懐に入られるような。

 

「それで、あの子は元気かい?」

 

「あー………元気っちゃ、元気かもなあ」

 

指名手配されるぐらいには元気だよ、とは周囲に聞こえないように言った。当然のように聞こえていたのか、ババアは表情を変えずに、マナの調子をわずかに変えてきた。敵意ではなく、探るようなそれに、アタシは感嘆した。こんなの、ア・ジュールの諜報部隊にだって、逆立ちしてもできやしない。それでも害意はない。真意を探りたいのだろう。アタシは気にした様子も見せず、そのままに調子を変えず、会話を続ける。

 

「変わらないって感じかな」

 

「………その様子じゃ、ねえ。やっぱり、あの子は変わっていないのか」

 

「変わっていない所もあると思うけど? みょーにスケベ、というよりも―――――男と見れば突っかかって、女には優しい所とか」

 

アタシ以外の女には、敵対していたとしても、それなりの配慮を見せる。だけど、男は別だ。取り敢えずは社交辞令、ちょっと踏み込んでくると、口悪く対応して遠ざける。まるで試すかのように、悪ぶって対応するのだ。その上で牙を向いてくる奴には、本気で容赦しないけど。

 

(例外はガンダラ要塞の門番と、ハウス教授だけ………)

 

口ずさむと、聞こえていたようだ。ぴくりと、マナが動くのが見えた。そういえば、そうだった。この師匠に薦められて、あいつはイル・ファンにやってきたのだ。尊敬すべき、我が師匠。何度も繰り返されたせいで、耳にはタコができているだろう。

 

そんな師匠が――――こんな言葉を聞かされれば、どう出るのか。好奇心にそそのかされたアタシは、とある言葉を装填した。しながらに、考える。今からいう内容は、全くの嘘である。責任はあるかもしれないが、直接に関わってはいない。だけど、今のこの女将では、分からないことだ。だから口に出せば、信じこむかもしれない。

 

そういった時、憧れの師匠はどういった様子を見せてくれるのか。知りたいという誘惑に勝てず、アタシは呟いた。

 

『ハウス教授が死んだし。まあ殺したのは、アタシなんだけどね』、と。

 

「――――」

 

化物は、宿の中の空気を変えなかったな。そのままで、マナを戦闘態勢のそれに持っていく。鋭い刃のような、大金槌のように破壊力が高そうなそれを、アタシだけに叩きつけている。

 

対するアタシは―――まあいいかとも、思っていた。何故そう思ったのかは、自分でも分からない。ただ、そう思ってしまったのだ。手から力が抜ける。足からもだ。こんな手練、一対一ではどうしようもない。なにもかもが弛緩する。緩まっていく。

 

だけど、次の瞬間には別のものに変わった。なぜなら――――

 

(マナを、戻した?)

 

ババアは、マナを平時に戻した後。こちらを見て、にやっと笑った。

そのまま、ぽんと頭を叩いてくる。

 

「聞いてた通り、難儀な子だね」

 

「なにを………!」

 

「あの子じゃなくても、罰されたいのかい?」

 

その言葉は、矢となって胸に突き刺さった。死角からの言葉。それは、すとんとアタシの胸に突き刺さり、場所を占有しやがった。

 

「でも、それは私の役割じゃないようだしね」

 

「あ、私は………」

 

続く言葉に、何も言い返せない。だけど、なんだろうこの感情は。気づけば、脳裏にあの時の声と顔が浮かんでくる。怒った顔も声も、見てきた。だけど、あれほどまでに突き抜けたのは、見たことがない。

 

『ナディアァァァァァァッッ!! ハウス教授を殺ったの、テメエかぁ!?』

 

あんなに怒るなんて。分かっていたけど、正面からぶつけてくるなんて。あれから数日たったが、毎日のように夢に出る。そして、夢の中のアイツは言うのだ。裏切り者、と。

 

(そうさ、裏切り者さ………分かっていたはず。事実、そうさ。だけど、なんでアタシは………)

 

こんなに落ち込んでいる。

馬鹿馬鹿しい思考だけど、それが泥のようにへばりついて離れてくれない。

胸が痛い。抑えても、収まらない。それに、頭も痛い。

 

―――と、その時。ぽんぽん、と誰かが頭を叩いた。

 

それはまるで大切なものを扱うようだった。優しく、労るような手の調べ。

 

(――――)

 

その感触にアタシは、母さまとプランの母親、乳母のことを思い出していた。優しかった二人。頑張って、頑張って、見てくれて、褒めてくれた二人。もう居なくなってしまった人達でもある。アタシから、"私"に戻っていくような感覚。何も知らなかったお嬢様。トラヴィスという馬鹿げた檻を、壊す前のお嬢様。あそこに戻るなんて、未来永劫有り得ない。

 

だから"私"は―――――必死に、振り払った。

 

(甘える、なんて………それだけは、出来るもんか!)

 

既に戻れない所にまで来ている。最後の分水嶺とも言えるが、決意したアタシにとっては、もう戻れないのだ。だから、この感触に浸ることはできない。席から離れると、女将から距離を取った。睨みつけ、殺気をこめたマナをも叩きつけてやる。だけど、返ってきたのは敵意ではなく、悲しみの感情だった。

 

「やっぱり、かい………それが、アンタの選ぶ道なんだね?」

 

「ババア………?」

 

「本当に、難儀な子だよ。あと、ババアはやめとくれ」

 

こつん、と頭を叩かれる。

 

「悪かったね。これ以上は聞かないよ………だけど、一つだけ。あの子は、元気かい?」

 

言葉を聞き直す。少し悲しそうなその顔に、私は――――何故か、敵わないと思ってしまって。力でもなく、本当に、勝てないなんて思ってしまった。だから、正直に答えてやる。

 

「有り余るぐらいに、元気だと思う。念願の巨乳の女としけ込んだようだし、ねえ?」

 

意味ありげに行ってやる。だけど、返ってきたのは苦笑。そして、宿の奥に消えたブスの叫びだった。

 

「な、それは一体何よ――――!?」

 

「ちょ、うるせーよお前は!!」

 

「うるさくてもいい! それよりも、巨乳の女って誰!? あと、しけ込んだってどういう意味!?」

 

「うるせーな! 前半は、火遊び大好きな、危ない女だよ!」

 

イフリートを使役した、とは言ってやらない。

 

「で、後半は…………えっと、どういう意味だ?」

 

後半は、プランが言っていた言葉をそのまま言っただけ。けど、アタシにも分からない。しけ込んだって一体どういう意味だろうか。

 

「おかーさん?」

 

「女将サン?」

 

「えーっと………そうだ、おとーさんに聞きな!」

 

そこでババアの華麗なスルー。奥からタイミングよく、旦那の方が出てきた。

 

「お父さん! えっと、シケコンダってどういう意味!?」

 

「しけ込んだ!? まてレイア、お父さんは許さないぞ、そんなこと!! 相手は一体誰だ、お前ジュードくん以外にそんな男が!?」

 

「落ち着けよ………で、旦那サン。しけ込んだって言葉だけど、いったいどういう意味なんだ?」

 

聞くが、混乱したように周囲を見回す。

 

「ちょっと、聞いてんだけど」

 

「ちょ、よその娘さんと実の娘に卑猥な言葉攻撃のコンビネーション………? これは夢か、夢であってくれ!?」

 

なんかオロオロしているが、知ったこっちゃねえ。追求すること、一時間。ついにはダウンした旦那サンのせいで、アタシもブスも、真実を知ることはかなわなかった。

 

 

 

 

 

目覚めは爽快だった。朝日に、鳥の鳴き声。朝食にも文句をつける所なんてない。平穏無事な一日が始まるのだろう、そこかしこから安らかな空気が流れこんでくる。

 

「もう、行くのかい?」

 

「行かなきゃ、ならないからな」

 

「そうかい」

 

止めもしない。何もこちらの事情を話していないのに、おおよその様子は知られているかもしれない。そんな荒唐無稽考えさせてくれる女将、あいつの師匠は、黙ってアタシの頭に手をおいた。

 

挙動さえも見せない、正真正銘の達人の業。驚く暇もなく、女将は告げる。

 

「泣きたい時に、泣ける相手を探しなさい。可愛いんだから、頼めば誰だって胸を貸してくれるさ」

 

笑っいながら、諭すように。

 

「弱さも強ささ。できれば、あの子とよろしくね」

 

「………それは。それだけは出来ないと思うけど?」

 

「誤解は解くべきさ。その上でなら、誰も文句は言わないよ」

 

事情を知らず、端的に、告げられる言葉。だけどその言葉には、抗いがたいマナのようなものが含まれていて。思わず、私はうなずいてしまった。

 

そして置き土産として、一言だけ残してやる。

 

ブスの姿も見えたようだし、ちょうどいい。

 

「ジュードを追ってくる奴らがいるかもしれない。そしてあいつが一緒に消えた相手っていうのは――――マクスウェル。ミラっていう、四大精霊を使役する女だった」

 

それだけだ。告げて振り返し、港に向かって走る。途中に、治療院の正面に、メガネをかけた医師が立っていた。聞こえていたのか、驚愕の表情を浮かべている。

 

 

「アンタは嫌い、だってよ」

 

 

そのまま、港まで駆けていった。道すがら、朝だと慌ただしい街の人の様子が見える。

頑張ればいつもと変わらない明日が続くと、そう思い込んでいる人間がたくさん。

 

本当に――――穏やかな街は嫌いだ。かつての光景は遥か遠く。

一緒に居たかった人達は。一人を残して、全て死んだ。

 

もう、アタシに。居てもいいなんて場所が存在しないことを、思い知らされる。

 

 

(だから、アタシは行くしかないんだ)

 

 

決めたから、戻ることはしない。例え、あいつと殺しあうことになったとしても、立ち止まらない。

 

走るんだ。

今となってはただ一つとなった、アタシが存在してもいい居場所に向けて。

 

守るために、貫くために。

 

 

 

どうしてか、遠く懐かしい母さまの声が聞こえたような気がした。

 

 

 

 


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