Word of “X”   作:◯岳◯

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間話の3 : 目の中に見えるもの

 

 

「わぁ………!」

 

「おっきいねー!」

 

どこまでも広がっていく海原。向こうの向こうにまで広がっていくそれは、途中から青空と溶け合っていた。青と蒼がいっぱい。漂ってくるのは、潮の香りっていうらしい。ハ・ミルではこんな臭いがなくて、だから最初は驚いてしまった。もしかしてなにかいけないものが漂っているんじゃないかって。ジュードに説明されて、これが海の香りだということが分かったけど。

 

新しく知ったことがまた一つ。見るものなにもかもが新しい、発見の連続だった。山奥のあの村では出来なかったこと。それに数少ない記憶の中でも、見たことのないものばっかりだった。生まれてはじめて、連れられながら自分の足で踏み出したこの旅は、どきどきのわくわくだった。見ているだけで、退屈しない。街道でこっちを食べようとしてくる魔物は怖かったけど、それも退屈しないもののひとつだ。怖いだけですむのは、ジュードが守ってくれているから。戦えば前に立ち、一番に魔物を退治してくれるから、怖いけれど恐ろしくはない。魔物に襲われるのも初めてだった。ハ・ミルに来る前は、魔物と出会うことすらなかった。あの時は、おじさんのワイバーンで移動して、空中に魔物はいなかったから。

 

(だけど、その前はどうしていたんだろう)

 

今は忘れてしまった記憶。それは、ハ・ミルに来る前にいた、炭鉱のような場所――――じゃなくて。それより前に居た場所のこと。今、傍にいないパパやママのことを、私は覚えていないのだ。でも、誰かが私を守っていてくれたのは覚えている。大きな背中。あれはきっと、パパのことなんじゃないかって、思う時がある。

 

(それが、私の旅の目的)

 

ジュードからは、旅の目的を持った方がいいと言われた。連れ出すのは僕だけど、歩くのは私で。だから、自分の足で歩くための力を支えるものとして、目的や目標のようなものが必要だって。寄りかかることは許さない。そう言われたような気がしたけど、悪い気はしなかった。何故必要かというのを、丁寧に説明してくれたから。自分で歩いた方が、疲れるけれど楽しいこと。また、目標を持つとそれに向けて頑張れること。

 

頑張ることはいいことだと、昔。あのおじさんも言っていたような気がする。

だから、私は目的を持った。持ちたいとも思ったから。

 

そう、すぐに浮かんだことがあったの。それは、パパとママを探すこと。

私の、私が居てもいい居場所を探すことだって言ってもいいかもしれない。周囲の人からイジメられない場所が欲しいから。

 

石が飛んでこない、嫌な視線も飛んでこない、私をいじめるものが飛んでこない場所。

そこにいる人が居てもいいって、笑って言ってくれる場所を探したいと思った。

そんな場所があるはずもなくて、もしかしてって私が勝手に考えてるだけのものだけど。

 

ジュードは、両親がみつかるまで、私の居場所が見つかるまで、私を一人ぼっちにはしないと約束してくれた。ジュードにも目的があってその最後の最後を果たす時は危険だから、故郷の街にいる"ししょうさん"という人に預けるけど、やることが終わったら、私の目的を手伝うって言ってくれた。

 

(戦いに行く………んだ、ジュード達は)

 

ぜんぶは説明してくれなかったけど、ジュードとミラは、今から危ない所へ向かうそうだ。人を不幸せにするものを壊しに行くって。少しだけど、説明してくれた時のミラの顔を思い出す。本当に真剣で、村の人達とはまるで違うものがあった。

 

本当につよくてかたそうなものがこもっているって、そう感じられた。

 

(私も………戦える…………?)

 

ぎゅっとティポを抱きしめる。精霊術で戦う。身を守るために戦う。ジュードを守るために。助けてくれた彼を守るために。もし死んだら、なんで考えたくもない。私は、その、みんなの助けになる術を――――持っている、けど。

 

(護身のためだと、おじさんに教わった術があるけど)

 

人を助ける術も。村人に受け入れられるようにって、怪我を治す術を教えてもらった。でも、戦うのはとても怖い。マナで防御すれば傷は負わないって知ってるけど、間に合わなければどうなるか。それに、私なんかが戦っても意味がないと思う。雇われ傭兵と説明されたおじさん、アルヴィンは強いとおもう。ジュードはちょっと調子が悪いらしいけど、それでもアルヴィンと同じかそれ以上に強いってミラが言っていた。そのミラも、詠唱もなしに精霊術を使えるぐらい、すごい人だ。剣も使えるし、私なんかよりずっと凄い人だ。背も高くて、ジュードが格好いいって表した意味もわかる。おっぱいもおっきくて、戦ってる時にも揺れて。時々ジュードがそれをじっと見つめている時もある。というより、ミラってあんな格好で恥ずかしくないのかな。自慢のばでぃーというやつなのだろうか。

 

「ばりぼー!」

 

「うん、そうだねティポ」

 

ちょっと、羨ましく感じる。私も、あんなに………ジュードを魅了できるような、大人の女の人に成りたい。そんなことを考えていると、船室から考えていた人が出てきた。居るだけで、周囲の視線を集める人なんて、そんなに多くない。

 

そのミラは、外に出るなり船の前の方へ行った。まだ到着しないとは聞いているのに、何をしにいくのだろうか。ちょっと知りたいな、と思った私は、ミラの後をついていく。

 

船はそんなに広くない。少し駆け足をすると、すぐに追いつくことができた。

その先に見えたものは、また見たことのないもの。

 

(まるで、絵本のようだね、ティポ)

 

船の前の方に出たミラは、じっと船の進路の先を見据えている。こっちからは背中しか見えないが、それでも特徴的な美しい髪が印象的だった。風と共に、さらりと流れていって。陽の光のせいか、輝いて見える。すっと立つその姿は後ろから見ても格好よくて、女の人だっていうのに、弱さを感じさせない。まるでおとぎばなしに出てくる剣士のよう。

 

その剣士様は、しばらくすると振り返った。

そして私とティポに気付いたのか、こっちにやってくる。

 

「エリーゼか。船は初めてらしいが、船酔いは大丈夫か?」

 

「だい、じょうぶ………です」

 

「エリーは回復も早いんだよねー。って、そんなことよりミラ君は何をしていたの?」

 

「私か? 私は………少し、考え事をな」

 

そう言うと、ミラは私の顔をじっと見てくる。一体何だろうと、私は首を傾げて聞いた。

 

「えっと…………な、なんですか。私が、なにか?」

 

「ふむ………いや、そうだな」

 

すると、ミラは突然、私の頭の上にその綺麗な手をおいた。

確かめるように、すっと頭を撫でてくれる。

 

「………あの、ミラ?」

 

それでも、何故いきなり撫でてくれるのか。

何もしていないのに。聞くと、ミラは真剣な顔で答えた。

 

「ふむ………里の者の、な。子供にしていた行為を真似たのだが………嫌か、エリーゼ?」

 

子供は喜んでいたのだがな、と首を傾げるミラ。

 

「えっと………あまり、やってもらったことが………ないし………」

 

「エリーは嫌じゃないって!」

 

「そうか」

 

ミラは優しく、触れるようにすっすっと頭を撫でてくれる。ちょっと不器用な手つきで、髪に引っかかったりもしたけど、この感触は嫌じゃない。それにしても、突然どうしたんだろう。それより、行為を真似たというのが気になる。自分はやってもらったことがないのだろうか。

 

「えっと、ミラ君は頭を撫でてもらったことがないのー?」

 

ティポが、私の聞きたいことを聞いてくれた。ちょっと聞きにくい問いだ。

 

「ふむ、無いな」

 

即答だった。迷いなんて少しもなかった。思い出すとかそんなことはしないで、有り得ないと断言していた。それだけ言い切れるのは何故なんだろう。たずねると、ミラは説明をしてくれた。

 

「そもそも、だな………私には親というものが存在しない。私を守護する者たちは居たが、頭を撫でることはなかったな」

 

「えっと、里の大人の人達からもー?」

 

ティポの言葉に頷く。もしかしたら、私と一緒で。住んでいた村の人達から、嫌われていたのかも。親がいないというのも、私と同じだし。そう考えて聞いてみるが、逆に大切にされていたという。

 

「………触れるのも恐れ多い、というぐらいにな。敬われていたし、彼らにとって私は特別な存在だ。頭を撫でるなど、考えもしないだろうよ」

 

それは良い事のように聞こえる。だけど、ミラは笑ってはいなかった。

そうであるのが当然だって、事実を述べているだけのように、言葉を紡いでいる。

 

「特別な、存在」

 

繰り返してみる。特に別な――――そう、別な存在。そういう意味では、私とミラは一緒だったのかもしれないな。私の方はもっと違う意味での別だったと思うけど、距離が遠いって意味では同じかもしれない。

 

「うん、エリーとミラ君は似ているところがあるよねー」

 

「ふむ、似ている?」

 

「うん、私は…………村のみんなから、嫌われていたけど」

 

「ミラ君はボクでも想像が出来ないぐらいに敬われていたんだねー。それでも、距離を置かれていた、っていう点では同じ?」

 

「それは………」

 

「もう、ティポ!」

 

怒る。ミラが、硬直してしまったじゃない。それでも、ミラは苦笑しながら、言った。

 

「いや、それも一理あるな」

 

何かを思い出したのだろうか。ミラの様子が、少し変わっていた。何を考えているのか分からないけど、これは悩んでいるのだろうか。

じっと考えた後。ミラは、私とティポに優しく笑いながら、言った。

 

「撫でてくれる人もいない、か。それでもお前たちの方が、辛かっただろう?」

 

「うん。でも、ボクもエリーも、ジュード君に助けられたからねー。だから、僕達は平気だよー」

 

「………そうか。強いんだな、エリーゼもティポも」

 

優しく頭を叩いてくれるミラ。ぽふ、ぽふ、という音がしているような。その手つきは、さっきよりずっと優しくて。熱がこもっているように、思えた。

 

本当に、優しくて、暖かくて。だから、ちょっとした光景が浮かんできてしまった。

 

(………ママ?)

 

感触が重なる。かつてと今。昔と現在。

 

遠く――――本当に昔、まだママと居られた頃に、こうされたような気がして。

 

(そして私は………)

 

お返しに、とやって、喜ばれた事があるはず。

少しだけど、それを思い出して――――だから私は、ミラの腕をつかんだ。

 

「どうした、エリーゼ?」

 

「うん………その、ちょっと、頭を」

 

「ふむ、屈めばいいのか?」

 

はっきりとは言えなかったけど、言葉の意図を読んでくれたのか。ミラは膝を曲げて、すっと頭をこっちに降ろしてくれる。そこで私はすかさず、ミラの頭の上に手をおいた。

 

――――そして、◯◯にしたのと、同じように。ミラと同じように、頭を撫でた。

 

「エリー、ゼ?」

 

「撫でてくれたから。お返し、です」

 

少しびっくりしたのか、ミラの眼が丸く見開かれている。

もう子供じゃないけど。それでも、ママは喜んでくれたと思うから。

 

そして、ミラもママと同じで。驚きの眼が、優しいそれに変化していく。

 

「………優しいんだな、エリーゼは」

 

柔らかいものを帯びた眼。ミラは美人で、眼も綺麗で、だからちょっと怖かったけど。

今のミラの眼は、私から見てもとても魅力的だと、そう思えるものになっていた。

 

 

 

○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●

 

 

頭を撫でるエリーゼ。されるがままになっているミラ。ほんと、こっちに来てからあまり見たことがない――――心温まる光景ってやつか?それにしても、酷い境遇だってのに、他人を気遣うことができる、か。

 

「………良い、()だよな。ああ、皮肉でも冗談でもないぞ」

 

「分かってる。うん、アルヴィンと違って素直ないい子だね。だから連れだしたんだけど」

 

ジュードが皮肉まじりに返してくる。素直じゃないのは、お前も一緒だろうよ。

 

「それより、あの子はあの村で何してたんだ?」

 

「匿われていた、ってのが僕の予想だけど」

 

「やっぱりねえ」

 

一目見た時から、何か既視感はあった。そして二度目だ。ラ・シュガルの軍に追われているようだし、間違い無いだろう。

 

(ともあれ、今は迂闊なことはできないか)

 

ジュードとミラ。この二人を敵に回して、勝てるとは思わない。特に実行した時の、ジュードの奴の反応。それはそれは、想像以上のものになるだろう。激怒した隙をつくまでもなく、やられる可能性が高い。そんな事を考えている時、連絡用の鳥がやってきた。手を掲げて、そこに鳥を留まらせる。足にある手紙を取り、用意しておいた手紙をくくりつけ、放してやる。

 

白い鳥は、そのままばさばさと羽ばたいて、青い空の向こうへと飛んでいった。

見送りながら、手紙をポケットの中に入れる。

 

(これは………後で見よう)

 

ここで見られるような内容は書いてないだろう。それに、目の前の光景がどうにも――――らしくなく、引っかかってしまう。一端、間をおかないと、とてもじゃないが手紙を読めそうもない。

 

「手紙? 珍しいね、それ。鳥でやり取りしてるんだ」

 

「ん、まあな。多少場所がずれていても、マナを追って追跡してくれるし。俺のような風来坊にゃ、最適なのよ」

 

「ふーん。で、何の連絡? 何を送ったの?」

 

疑いの視線を向けてくるジュード。旅の途中だってのに、一体何をやり取りする必要があるのか。追われている身としては、それが知りたいのだろう。

 

(これは、下手に誤魔化すとまずいな)

 

肩をすくめながら――――答える内容を組み立て―――――説明を、してやる。

 

「遠い異国の愛する人に。素敵な女性が、目の前に現れたってな」

 

「………アルヴィンって、ロリコンだったんだ」

 

「ちげーよ! そっちじゃねーよ! いやエリーゼも可愛いけど!」

 

「やっぱり………」

 

「なんだその納得した面は!?」

 

昨日の発言といい、俺のことをどう思ってるんだ、こいつは。

小憎らしい坊主、しかし今度は話題を変えてくる。元に戻した、というべきか。

 

「ふーん。で、手紙でやり取りしてるって人って? もしかして、恋人とか」

 

「あー、そんな所だよ。こうして手紙を出さないと、ちょっと心配なんでな」

 

「もしかして、前に襲ってきた痴女とか」

 

その問いには、肩をすくめるだけで、何も答えない。しかし、また微妙なことを聞いてくる奴だな、こいつも。それだけ疑っているということだろうけど、このままでもまずいか。

 

(切れる札を一枚、もったいないけど)

 

仕方ないと、決心する。この先のためにも。二人が離れている今、ジュードに叩きつけるのが最善だろう。

 

「なあ、ジュード。俺だって人間だ。お前と同じように隠したいことがある。大人だし、他人には知られたくない部分があんのよ」

 

「………僕の、隠し事?」

 

「あるだろ? 例えば――――お前が」

 

特に気負わず、告げる。

 

「精霊術が使えないこと、とかな?」

 

「――――っ!?」

 

思ったとおりだ。俺の言葉を聞いたジュードの、その反応はまるで雷鳴にうたれたような。それぐらいに劇的だった。まるで用意しておいた言葉がショックによって軒並みかき消されたように、驚愕の表情で、こっちを見てくる。

 

「な、んで………」

 

「身近に、似たような奴がいるのを知っているからだ」

 

本当に、一番に身近な奴が、な。

 

「それは………その、ミラには?」

 

「言ってねーよ。どういう反応されるか分からないからな」

 

ある程度は、予想もつくが。まず真っ先に――――疑うだろうさ。お前は、"そう"なのかってね。

 

(それは、今はちょっと不味いんでね)

 

言わないというより、言えない。とばっちりがこないとも限らないからだ。

ほぼ、こっちの都合での理由である。でも、ジュードはいい具合に勘違いしてくれているようだ。

 

「心配しなくても言わないさ、って変な顔だな」

 

「いや………新鮮な反応だと思って。知ってるなら、もっと、こう…………」

 

「馬鹿にしないのかって?」

 

言うと、頷いた。まあ、このリーゼ・マクシアに生きている人間ならもっと別な反応をするだろうな。精霊術を扱えない。それを公言することは、文字の読み書きが出来ないということよりも重たい。少し努力すれば誰だって使えるものだからだ。それをしなかったということは、怠けていたということ。社会的信用はボロクズだ。誤魔化す手はあるし、精霊術をあまり使わないような連中もいることはいるが。

 

「医師志望だったか。そりゃ重いよなあ」

 

医師というのはつまり、治癒術を行使するもの。どうしたって、それを使う必要が出てくる職業だ。

その基本さえもクリアできていない人物なら、落ちこぼれとして扱われるだろう。

 

「だから蔑みの視線があったはず、ってか。まあ、今までがそうだった事は予想もつくが。精霊術が使えて当たり前のこの世界じゃあ、異端扱いされるだろうがな」

 

「………実際、されてきたよ」

 

声には喩えようのない重みがあった。さぞかし、酷い思いをしたんだろうな。

今ので分かった――――とう考えても、10やそこらの坊主が出すような声じゃない。

 

「アルヴィンもそうだろ? ―――精霊術さえ使えない、半人前ですらないって」

 

その目は、端的に表すととてもよろしくないものだった。だから、俺は。

 

「………それでも、おにーさんも色々と見てきたことがあんのよ? 少年と同じ、隠したいことが、さ」

 

だから、責めない。そう告げると、少年は目を丸くしていた。

 

「そもそも深い部分を追求しあわないのが傭兵だろ? いいじゃないの、使えない人間が居たってさ」

 

お高く止まっている頭デッカチの坊ちゃんならともかく、俺はそんな事に目くじらを立てるほど暇じゃない。笑いながらいってやると、ジュードは深い溜息をついた。

 

「………分かった。悪い、アルヴィン。余計な詮索して」

 

「良いさ。お前だって間違えることがあるんだなって、安心した」

 

「は、間違えてばっかりだと思うけど?」

 

自嘲するその顔に嘘はなかった。本当に、間違え続けてきたのだろう。でも、今は違うだろ?

 

「それが見えないから不安になんだよ。あー、いい。ほら、現美女と将来美女の二人が呼んでるぞ、色男」

 

「は? って、あ………」

 

見れば、前方に。ジュードを呼んでいる、二人の姿がある。

 

「行けよ」

 

「分かった………ごめん、アルヴィン」

 

「いいさ。体調も戻っていないようだし、存分に癒されてきたらいい」

 

「りょーかい!」

 

そのまま見送った。ジュードは駆け足で、遠ざかっていく。その足に、ゆらぎはない。疲れているだろうに、マナの調子は万全に戻っていないだろうに、それでも誰にも感づかせないと、しっかり一歩、踏みしめている。

 

「本当に不安定だけど、しっかりとした奴だな――――いざとなれば、ばらされても殺すんだろうけどな、お前」

 

人質には成り得ない。長年の経験が警鐘してくる、あれは一筋縄ではいかない奴だと。

弱点は多いが。何をしてくるか分からない怖さも持っている。素性をばらした上での、リーゼ・マクシアでの生活。笑ってられるほどに、容易いそれではなかったはずだ。世界に一人だけという孤独。助ける手はあったろうが、抱えるのは自分しかいない。それなのに、今この時でも前に突き進めている。

 

(強いと言うか、異常というか)

 

狂っているのかもしれない。ひょっとして、どこか壊れているのかもしれない。

そうでないのなら、揺らがないだけの何かを持っているからだろうか。

 

(それは、行動する意志を変えない。自らを支える士気の根っこ)

 

それは一体なんだったのか。言葉になるようで、やっぱり形にならなかった。それでも、さきほどの光景を思い出してしまうのは何故か。ミラとエリーゼ、美女と美少女がやっていたのはまるで、仲の良い姉妹か、親子のようだった。

 

互いが互いを慈しみ。見ているだけで、ほっとさせるようなものがあった。

 

(………母さん)

 

かつての光景が、重なっていく。今ではもう、そんなことを望めるような年でもないし、望めるような立場でもないけど。

 

(最悪の気分だな、マジで)

 

昼かどうかは知ったことか。酒でも飲んで寝ちまおうと、俺は船室へと向かった。

 

一緒にはしゃいでいる、少年少女の喧騒を背にして。

 

 

 

○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●

 

 

取り敢えず頭を撫でてみた。問答無用。エリーゼと同じ、柔らかい感触が掌に返ってくる。

 

「ちょ、ミラ!?」

 

「大人しくしていろ、ジュード」

 

透き通るかのような、柔らかい髪質。顔に似合っていると言った方がいいのか。童顔の、ある意味少女のような容貌。性格は正反対だが、それにしても肌が綺麗すぎるのはどういうことか。身体に傷を負っているのは分かるが、顔に傷を負っていることはない。

 

「えっと………ミラ?」

 

「そのまま。では、次はエリーゼの番だな」

 

「う………ん」

 

返事をするエリーゼの腰を掴んで、抱え上げる。エリーゼは少し嬉しそうにしながら、それでも目的の行動を完遂した。すなわち、ジュードの頭を撫でるのだ。

 

「ありがとう、ジュード。えっと…………よく、やりました?」

 

「うむ、それで正しいぞエリーゼ」

 

「いきなり男を子供扱い!?」

 

「感謝の気持ちを表したのだ。それとも、嫌なのか?」

 

「え………っと、嫌じゃないけど」

 

それきり、頬を染めながら黙るジュード。とても、私とエリーゼを守ると豪語してみせた猛者には見えない。

 

「ならば受け入れろ」

 

と、私も頭を撫でる。

 

―――実際、本当に感謝しているのだ。守ると誓ったし、責任を持つといった。それ以上に口を出せるわけがない。

 

(………私との先約があるのに、と、あの時。ちょっと、思っていたということは言えないが)

 

それでも、エリーゼはいい娘だ。あのような境遇にあって、私のような者を気づかえるほどに。使命を優先しなければならない私には助けられなかったが、あのままでいたら果たしてどうなっていただろうか。一連の事象を考えると、胸が痛む。それを考えると、ジュードには感謝せざるをえないだろう。今の私ができないことを、自ら受け持って、責任を持って果たすと言ってくれたのだから。

 

(最も、本人はそう考えていないようだが)

 

感情というもの、そのままに。自分自身の気持ちで動いた結果だろうと思う。そういう点では、本当に――――思ったこともない感情だが、尊敬できる部分がある。痛いのは嫌で、疲れるのは嫌。それが人間だ。ジュードは、それを知りつつも行動できる男。

 

大した奴だ、という以外に表現のしようがない。あるいは、いい男というのか。

 

(大人しく頭を撫でられている様子を見ると、とてもそうは思えないのだが)

 

ただの少年にしか見えない。この身体のどこに、あれだけの意志の力を宿しているのか。危うい所はあろう。里に居たという化け物のことも。あれから、体調も戻ってはいないだろうに、それでも私との約束を守るべく、意志を組むべく、休むことを拒否する。

 

一体何が、彼をつき動かしているのだろう。そんなことを考える時がある。

マクスウェルと知って。それでも私をミラと呼んで、その上で守ると宣言する少年。

 

(…………ん、なんだ。鼓動が早くなったような?)

 

ドクン、と心臓が跳ねたような。考えとき――――恥ずかしい?

そんな感情と同時、妙に甘い感覚が頭の中を占有したような。

 

(いいさ。今は、撫でくり回してやる)

 

エリーゼと一緒に。そして、その頭をくしゃくしゃにしている最中だった。

 

「取舵いっぱーい」

 

「よーそろー」

 

船の前の方から声が聞こえる。その直後、船は左に曲る。進路変更に船がわずかに傾いた。

 

「うわ!?」

 

油断していたのだろうか。バランスを崩したジュードが、こちらに倒れこんでくる。

私とエリーゼにしても予想外のことだったので、踏ん張ることもできず、後ろに倒れてしまった。

 

「っつ――――――!?」

 

痛い、ということよりも先に、異様な感触に支配された。

 

胸。

 

胸に、ジュードの手が。あの夜と同じように―――――って、エリーゼも!?

 

「痛ぇ…………っ!?」

 

「ジュー、ド………」

 

「あー! ジュード君、エリーゼを押し倒したー! ミラのおっぱい揉んでるー!」

 

「ティポ!?」

 

「ってそれより手をどけろ!」

 

「うわ、ミラ!?」

 

声が聞こえる、同時に、ジュードは起き上がろうとして―――――手を支えに、起き上がろうとして。

 

「んっ?!」

 

胸に、妙な感触がして。私は思わず、変な声を出してしまった。エリーゼも一緒なのか、赤い顔で自分の手で胸を押さえ込んでいる。まるで隠すように。それを見たジュードは、顔を赤くして、その場で頭を下げた。

 

「ご、ごめん!」

 

「ジュード………」

 

「ジュー、ド」

 

「ジュード、君」

 

「ちょ、今のは予想外のアクシデントだって! ってエリーゼ、ほっぺたを桃色に染めて上目遣いはよして、ほんと洒落になんないから!」

 

「ジュード………君という奴は」

 

「そんな眼でみないでよ、ミラ!」

 

そう言われても、そんな事をされたらな。ちょっと気持ちよ………げふんげふん。

 

(いや! そんな事は考えていないぞ!)

 

イフリートに知られたら炎と共に怒られそうな思考が浮かぶが、即座に振り払う。その隙に、ティポがジュードの前にすすすと飛んでいった。そして、面白そうな表情を浮かべながら、言う。

 

「ジュード君………男は正直になった方がいいんじゃよ? ほら、本能のままに突き進め! でも、責任は取った方がいいね!」

 

「ちょ、この謎生物がけっこうな重いことを言いやがるな!?」

 

ジュードが、ティポの頭をわし掴む。そのまま、びょんびょんと伸ばそうと縦に引っ張った。

 

「わー! やめて、ジュード君~!」

 

「黙れ! いい機会だ、解剖してやるぜ!」

 

顔を真っ赤にしているジュードが、眼をぐるぐる回しながらも、ティポを掴んで振り回す。エリーゼは我にかえったのか、急いでジュードを止めるべく抱きついた。

 

(………まったく)

 

慌ただしい光景を、私は苦笑しながら眺め続ける。

 

(でも………もし、ジュードに撫でられたら、どういう感情を浮かべるのだろうな?)

 

そんな、埒も無いことを。全くに有り得ない未知の光景を想像して。言葉には言い表せない、でも温かい感情に胸を占拠されたまま。

 

触れられた胸とその奥にある感情を、自分の腕で包んで隠しながら。

 

 

 

不安定な波に揺蕩う船の、水しぶきの音と共に、眺め続けた。

 

 

 

 


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