「おっさん………アンタ、何でここにいる? いやそもそもどうやって………」
まさかラ・シュガル側の大陸の、しかもこんな僻地で遭遇するとは夢にも思ってなかった。
情報は漏れていないはずだ。ならば、見つかった原因は何なのか。
考えている内に、まもなく判明した。
ジャオの横に居るのは狼型の魔物だ。その頭を撫でながら、褒めていた。
「おうおう、よう知らせてくれたわ」
「………魔物を、使ったのか」
「そのようだ。まさか、イバルの他に魔物と対話できるものが居ようとはな」
驚いた風に言う。そうだ、確かイバルも魔物を使役することができたはず。あの夜、酒を飲む前にあいつが自慢していたかのように話していた。記憶の片隅の残滓程度だが、かすかにそんな単語が残っている。
「魔物使役………それで、そんな希少能力を持つアンタが、どんな御用で?」
「知れた事よ――――さあ娘っ子、村へと帰ろう。少し目を離している間に、まさか村を出ているとはのう。心配したぞ」
ジャオは優しく、手を差し出してくる。そこに悪意など、欠片も感じられなかった。純粋にエリーゼを案じているのだろう。だけど、エリーゼはそれを拒絶した。差し出された手を避けるように、僕の背中の後ろへと回りこむ。すかさず、ティポが叫んだ。
「イヤー! ジュード君と離れたくないー!」
目をバッテンにする謎生物。それを見たジャオが、うめくような声を出す。
そして困ったように、頭をかいた。しかしその態度は一体何なのか。
「………どういうことだ?」
「何がじゃ」
「とぼけんな、アンタ知ってるはずだろ! エリーゼがどういった目にあっているのかも!」
ジャオは、エリーゼの身を案じている。そして、その意志を尊重している。
無理に連れ帰ることなく、同意を求めているのが証拠だ。
「………すまんとは、思っておる」
「だったらなんで! それに、エリーゼの親はどうしたんだ!」
「――――それは」
それきり、ジャオは口を閉ざした。表情は渋いにもほどがあるってぐらい。
よほど言いたくないことなのかもしれない。
「………生まれた場所は」
「村は、知らん。だが………その子が、以前いた場所は、生まれ育った場所ならば」
「その、場所は?」
率直にたずねる。だが、言葉は返ってこない。返ってきたのは沈黙。そして、ジャオの視線がわずかに逸らされたこと。横目で見るエリーゼの視線は。おずおずと僕の背中の横から顔を出していたエリーゼの視線は、地面へと向けられていた。
――――言葉になくとも、理解ができてしまった。
その場所は、エリーゼの故郷は、もうこの世には存在しないのだということを。
「アンタは…………だから、ハ・ミルを故郷に? エリーゼの帰る場所にしようってのか。あんな、女の子一人を追い出すような場所を………!」
「………連れ歩くよりは安全だろう」
「っ、だからって………!」
「村の外は危険だ! そこに連れていったのはお前たちであろうに、何をいうか! それに、こんな所にまで連れ回すとは!」
「っ、危険な目にあわせているのはわかってる! だけど、隠れ家みたいな倉庫で一人泣かせているよりは………!」
「お前たちには関係ないわい! さあ、その子を返してもらおう!」
手を、エリーゼに伸ばしてくる。僕はそれを、身体でかばった。
「………仕方あるまい!」
ジャオが、背負っていた大木槌を右手にもって構える。尋常ではない重量のはずだ。なのにそれを、片手で軽々と――――しかもアルヴィンの大剣よりも軽いとばかりに。
「来るぞ!」
アルヴィンの声が、戦闘開始の合図になった。さっきまで言葉をぶつけあっていた距離だ。だからこそ、最初の衝突は僕とジャオになった。いい加減腹の立っていた僕は、真正面から踏み込んでいった。
そして先制の一撃を、
「甘いわぁ!」
と思った時には大木槌は振り下ろされていた。
機先を制された鋭い一撃を、間一髪でなんとか避ける。前髪に掠ったが、なんて速さだ。
そしてその一撃は、柔らかい地面を叩いた。岩盤ならばともかく、たかが土の地面がその強烈な衝撃に耐えられるはずもなく、砕け散った。その破片が、僕に襲いかかってくる。
「くっ!」
石はないし、巨大な破片でもない。だからダメージにはならないが、
(目眩ましか!)
次の瞬間には、間合いを詰められていた。今のは攻撃ではない、僕の攻撃を止めると同時に牽制をしてきた。引っかかってしまった僕は、すぐさま攻撃に転ずることができなくなっていた。
そこに再び、振り上げられた大木槌が僕の脳天に降ってくる。防御、は無理だろう。受けたとしてもかなりのダメージを負ってしまうし、悪ければ一撃だ。そう判断した僕は、咄嗟にバックステップで脳天の一撃を回避する。
直後に、大木槌が再び地面を叩いた。
(好機!)
木槌を振り上げて、振り下ろす。その速度は早いが、対処できないほどではなかった。そして今は攻撃の直後。こちらの攻撃の方が早い、絶好のチャンスになりえるだろう。
僕はバックステップした足を踏み台に、前方に跳躍したままジャオの懐に飛び込んだ。すかさず、先制の一撃を――――というつもりだったが、何故か僕は宙を舞っていた。右頬が、痛んでいる。そして飛ばされる前に、視界の端に見えていた相手の挙動。そこから分かる回答は、ただの裏拳でぶん殴られただけということ。
しかし、問題はそこにない。今のは誘われたということが分かる。ジャオは初撃に大木槌の一撃を見せた。威力を見せつけ、だがそれを囮にしたのだ。僕はまんまとそれに引っかかってしまったということ。恐らくジャオは木槌を振り下ろした直後に、武器から手を離したのだ。
そして飛び込んできた僕の攻撃に、カウンターを合わせた。
(例え一時でも、武器を手放すなんて!)
増幅器の役割も果たす武器は、戦いにおいて重要なキーアイテムとなるもの。それを手放すとは夢にも思っていなかった。と、長々と考えている内に影が。目の前には、追撃を仕掛けてきたジャオの巨躯が。
「っとぉ!」
またもや間一髪。そのまま後方に転がり、一端距離を取った。
立て直しだ。幸い、先の一撃はそう痛くない。
「ジュード!」
「っ、こっちは任せて! ミラとアルヴィンは周囲の魔物たちを!」
相手は恐らく歴戦の勇だ。マナの量も半端無く、素の筋力も相当なもの。今のミラじゃ相手にならないだろう。そして周囲の魔物も厄介だ。連携がとれているのか、つかず離れずで入れ替わり立ち替わりで攻撃を仕掛けてきている。
攻撃後に生まれる隙を、数で上手くカバーしあっているようだ。
見事な連携に、ミラとアルヴィンは押さえこまれていた。
「くっ、この、舐めるな!」
「っ、深く踏み込みすぎるな! 突っ込めばすぐに囲まれるぞ!」
苦戦しているようだが、こっちも不味い。恐らく、命令を出しているのはジャオで、倒せばすぐにでも事態をひっくり返せるのだが―――
「貴様に、出来るか!」
「やってやるぁ!」
挑発のままに踏み込み、まっすぐに――――と見せかけて、サイドステップで側面に回りこむ。
巨体は怪力、力が厄介だが利点ばかりでもない。小回りが効かなくなるから、
「烈破掌!」
「ぬうっ!」
速さで撹乱し、突けばいい。手のひらの先から、確かな手応えを感じる。
「く、小僧が!」
「なんだよ、おっさんが!」
言いながらも、横に横にと動き続ける。ジャオの体勢が十分であれば、真正面から当たっても押し負けるだろう。だが速度で撹乱し、重心を乱せば腰の入った一撃は放てなくなる。
「この、ちょこまかと! コソコソと動きまわりおって、それでも男か!」
「クソでかいおっさんと力比べなんてしてられっかよ!」
小刻みなステップで翻弄する。
「くっ、早すぎる――――」
おっさんが苦渋の声を。そしてついに、背後をとった。
素早く間合いの内に、わずかに跳躍して飛燕連脚を叩きこもうとするが――――
「とでも言うかと思ったか!」
読まれていたようだ。どこに居るのかなんぞ知らん、とばかりにおっさんは大木槌を横に大回転させた。跳躍したからには避けられるはずもない、なんとか防御は出来たがそのままボールのように宙へと飛ばされてしまった。
視界が揺れ、背後に痛覚が走る。どうやら樹の幹に背中を打ち付けたようだ。
そして、そのとなりにはエリーゼがいた。今にも泣きそうな表情で、だから僕は手を出した。
エリーゼも、急いで手を差し出し。僕はそれを握り、支えにしてもらって立ち上がる。
「咄嗟に防御したか。しかし、小僧のくせにしぶといな………よくやる」
「何がだ」
「対人の戦闘なんぞ、正気の沙汰じゃできんもの。兵士か、それに近い職業に就いているものでなければ」
すうっと、おっさんの纏う空気が変わった。殺気さえ混じった物騒なマナを発っしている。
「小僧、貴様もしかしてラ・シュガルの密偵か?」
「ありえるかよ、バカが。断じて違うわ。細い目え見開いてよくみてみろ、どう見てもただの医学生だろうが」
「ただの医学生――――いや、一般人は戦いに命など賭けん」
「………言いたいことは、分かるけど」
思うに、僕とおっさんの力量は互角か、あるいはおっさんの方が上だ。そんな状況で、命が一つしかないこの世界で、逃げを選択せずこの場に留まるような者は多くない。例外はある。傭兵ならば依頼人が、兵士ならば愛国心が逃亡を許さなくするのだろう。だが、今の僕はそのどちらでもない。僕とエリーゼの間に金銭のやり取りがないこと、おっさんは看破している。
だからこその質問だろう。理由は何か、聞きたいのだ。
それを、僕は鼻で笑ってやる。
「約束は守る主義なんだよ」
そして何より、エリーゼのために。
「膝を抱えて泣かせるのは、二度とゴメンでな!」
だからマナを練った。今出せる、最大級のマナを手のひらに集める。そうだ、それにエリーゼの保護者を――――村の外でも大丈夫だと示すためには、その根拠たる力を示さなければならない。
だから僕は、正面からジャオに向かっていった。
ジャオも、木槌を両手に正面から待ち構えていた。だけど迷わず一撃を叩き込む。
「獅子戦吼ォッ!」
「
奇しくも、同系統の技。獅子の形をしたマナの奔流が僕とジャオの間でぶつかり、そして砕け散った。追撃は、スピードに勝る僕の方が有利!
「掌底破!」
「ぬうっ!」
体重がたっぷりのった右掌底の一撃が、ジャオの腹部に突き刺さる。
そこからは追撃だ。返しとしての左の突き、そこから側頭部へ向けての右回し蹴り、
「飛燕連脚!」
勢いを殺さず、飛び上がりながら連続の蹴撃を繰り出した。だけど打突点の先から返ってきたのは、硬い感触だけ。初撃を除く全ては、その大きな腕で受け止められていたのだ。
(は、んしゃ速度も――――!?)
達人級かと、驚いている暇はない。まず見えたのは、軽い振り下ろしの一撃。マナをこめた腕で、それを受ける。だが、止めはしたものの腕はしびれてしまう。そこに、追撃が入った。振り下ろした大木槌を片手で、ひるがえしたかと思った瞬間、それは弧を描いて僕の側頭部に迫ってきた。
「ぎっ!?」
とっさに片手で防御したが、今度は止められなかった。勢いに圧され、僕の身体がわずかに飛ばされる。同時に、ジャオのマナが膨らんだ。
それは大木槌の先に。集まったかと思うと、ジャオは地面へと勢い良く叩きつけた。
「
技の名前と同時だった。叩きつけられた地面は裂け、まるで魔王の顎のように大きなものに。同時に吹き飛んできた地面の破片が、僕の身体を打ち据える。
右腕と腹部に、やや重度の打撲。内出血が起きる自分の身体を客観視で診察する。
(マナの防御が足りてない!)
万全であれば、こうまでダメージは受けなかった。
とはいっても、もしもを語るのはおろかだろう。
「どうした、小僧! そんなものか!」
「っ、誰が!」
言葉を返しながら、正面へと―――――突っ込んだ瞬間、右に跳んだ。
今までいた空間を、ジャオの一撃が通りすぎる。そして僕は、側面から襲いかかる。
左の突きは脇腹に。返す刀で右足刀、そのまま左腕にこめたマナを振り上げる!
「魔神拳!」
「ぬおっ!」
速度を重視した連撃から、至近距離での魔神拳。全て直撃し、ジャオの体勢が崩れるのを察すると同時にさらなるに追撃に入る。
まずは左右の拳と蹴撃の高速コンビネーション技、連牙弾。
そこから巻き込みながらの裏拳と打ち上げの拳撃を組み合わせた、臥竜空破。
最後に得意である飛天翔駆を連続で叩きこんだ。
だけど、全部は直撃しなかったようだ。硬い感触がわずかに残る。しかし大半は当たっていたはず。事実、ジャオの顔色はわずかに変わっていた。
「マクスウェルに付き従う、ただの小僧だと思っていたがな」
「っ、アンタ知って!?」
「今は関係ない! それより、まだだぞ小僧!」
「はっ、こっちこそ!」
余計なことなど、考えている暇もない。少しでも気を緩めれば叩き伏せられて潰される。
毛ほどの隙さえも見せられない相手だ。だから緊張感を保ちつつも、しかし決着は中々つかなかった。互いの技量は離れていないからだろう。そこからは攻撃と防御が激しく入れ替わる、殴り合いになった。視界が揺れ、だけど拳を固めて打ち出し。
その度に、どちらともなく傷が増えていく。
時間にすれば、一分も経過していないだろう。だけど、僕にすれば一時間に思えるほど、長く感じていた。巨漢に、大木槌。何をするにもスケールの大きい一撃が、間断なく襲ってくるのだ。恐怖もあってか、攻と防、それらを一合するにしても、雑魚より何倍も長く感じられている。それでも僕は、小回りを意識しつつも攻撃を捌き、回避しながらも反撃に出ていた。守りに回っては、押し切られるだけだ。必死に追いすがり、攻めの意識を保ち続ける。
そうしてしばらくは、戦えてはいた。だが、時間が経つにつれ、形勢は完全にあちらへと傾いていく。最初の方にもらった一撃、特に打撲の影響が大きいのだ。激しい動作をすると痛みが増加してしまい、どうしても動きが阻害されてしまう。
ミラとアルヴィンも、統制のとれた狼の攻撃に翻弄されていて、仕留め切れないでいる。
「ジュード!」
「だ、いじょうぶ、だから!」
「冷静になれ! ここで、倒れる気か!」
「大丈夫だ! こいつを倒して通れば、問題ない!」
そうだ。エリーゼを一人にしないと誓った。
誓ったのだ。だから、ここでこいつを倒さなければならない。
「馬鹿者が…………アルヴィン、あれを狙え!」
「なにを………っとお、分かったぜ!」
「エリーゼはこっちに!」
「は、はい、でもその前に!」
「ボクもー!」
背後から何やら声が聞こえる。
「ジュードの、怪我を…………行きます!」
マナが膨らむ。エリーゼのマナが、不自然なほどに大きく。
「みんなに、安らぎを…………」
聞こえるのは、詠唱の声。やがて声は、その術の名前を描いた。
「ピクシーサークル!」
足元が光る。見えたのは、光に輝く方陣だ。そして僕はそれを知っていた。
――――夢にまで見た、医療術の上位版。
一度に多くの人の怪我を癒す、方陣形式の治癒精霊術なのだから。
(――――――――)
がつん、と。脳みそが何かに殴られるような音がした。
「っ、ジュード! ぼけっとしてんな!」
同時に、アルヴィンの怒声と。そして僕の脳裏に響き渡る音と、同質のような激音が。
アルヴィンが放つ銃弾、その銃撃の音が空間に反響した。
同時に、煙が当たりに立ち上る。
「ぬ、ケムリダケか!」
「―――――ジュード、こっちだ!」
僕の腕が掴まれる。布で口をおさえているかのようなくぐもった声。
でもこの声は、アルヴィンだろう。
鼻と目に、催涙性のものが染み渡っているので誰かはよく分からないが。
「おい!」
「あ、う、うん」
近くでの大声。そこで僕はようやく正気を取り戻していた。
「分か、った…………逃げ、る」
でも、声がうまく出てくれなかった。
なにより、今のあの"輝き"に思考のほとんどが占拠されていた。
それでも走る。出口へと走らなければいけないんだ。
だけど、ケムリを抜けたと同時に、背後から声がかかった。
「くっ、エリーゼ………」
ジャオだ。でも、襲ってはこない。視界の晴れない今、下手に攻撃をすれば、エリーゼに当たるからだろう。ジャオはそのまま、声だけをエリーゼに向ける。
「………なぜだ、娘っ子。その者たちといても、安息はないぞ」
胞子の霧の中から聞こえてくる声に、淀みはない。催涙性のガスはジャオの目と鼻に直撃しているだろうに。考えられないが、ジャオは尋常ではない精神をもって催涙性ガスの刺激に耐えているのか。
それでも、宣告するように、それでいて優しい口調だった。
だけどエリーゼは、地面に視線を落としている。
「あんそくって、いったいなんなんですか………? それに――――」
声は、掠れていた。まるで泣いているかのように。だけどエリーゼは、顔を上げた。
「ジュードは…………友達って言ってくれたもん! ミラは、頭を撫でてくれたもん!」
叫び、ティポも叫んだ。
「もう、一人で寒い部屋に残されるのは嫌! 寂しいのは、イヤだよ!」
少女とぬいぐるみ。孤独を知った二人の叫び声が樹界に響いた。
悲しみの感情に染まっているせいか、声は奥の奥にまで届いてくる。
「エリーゼ…………ワシも、連れて行くのは本意ではない。だが………」
言葉の間に、自嘲の笑いが挟まった。ジャオは、首を横に振る。
「ワシが…………許してくれなどと、口が裂けてもいえないな………っ、ごほっ」
ついにジャオが、目を押さえてうずくまる。
「行け、小僧………今回だけは見逃してやる」
どういったつもりか。その疑念を感じ取ったのか、おっさんは鼻を鳴らして答えた。
「諦めたわけではない。それまでは守れるだろう。だがもしエリーゼを死なせれば、ワシがお前を殺しにいくぞ!」
「っ、あぁ………ああ、分かってるよ!」
そのまま僕は、エリーゼと手をつなぎながら、脇目もふらずに走った。
暗い暗い樹界の終わりへ。光の射す方へ。
ミラが、居る方向へ――――後ろめたいものから、目を逸らすように駆けた。