エリーゼを宿に連れて帰って、その翌日の早朝。
僕はミラと一緒に買い出しに出ていた。エリーゼは昨日に夜更かしをしていたため、昼間では起きないだろうとのことだ。同じ時間に寝た僕も実は眠たくて、このまま昼まで寝てしまいたいのだが、迷惑をかけたこともあるので、こうして買い出しをすることにした。横にいるミラも少し眠たそうにしている。今はエリーゼが起きた時を考え、アルヴィンが宿に残っているのだが、あいつも眠たそうにしていた。
「ふあ………しかし、朝だというのに、人が多いな」
あくびしながら、ミラが言う。僕はそうだね、と頷くとこのカラハ・シャールという街について説明を始めた。
「ここは六家のひとつ、シャール家のお膝元。それもラ・シュガルの交易の中心となる街だからね。一般には、出会いと別れの街って言われているぐらいだから」
このカラハ・シャールはラ・シュガルにおける交易の、その大部分が集中する都市である。物が行き交い、そして人も行き交う。物の流れは人の流れとはよく言ったものだ。故に出会いと別れもこの街に集中する。
「人生の区切りにもなるからね。新しい仕事との出会い、それが都合で別れる人………傭兵の終着点とも言われているけど」
「出会いと別れ、か」
言ったきり、ミラは周囲の人たちをじっと見回し始めた。どうやら街の人たちを観察しているようだ。交易の仕事としてやってくる、荷物を抱えた商人。傭兵を生業としているのだろう、腰に剣を差している男。どこかの学生だろうか、見るからに観光に来ましたと集団ではしゃいでいる女性。まだ朝だというのに、元気なことだ。店側も稼ぎになると分かっているからか、こんな時間から営業を始めているようだ。さすがに武器防具や装飾品を扱っている店はまだ開いていないようだが、食料品屋に普通の道具屋は開店している。
「ちょうどいい、グミの補充をしておくか」
財布を取り出し、商人に話しかける。まず最初に見せるのは、ギルドのカードだ。溜まった交易品のポイントを見せて、それを確認してもらった後、グミを割引で買っていく。
「ジュード、それは?」
「グミだよ。アップルグミにオレンジグミ、数は少ないけどレモングミにパイングミ。って、ミラってひょっとしてグミを買ったことがない?」
「魔物が落としたものは何度かな」
「ああ、それもあるね」
グミとはマナの結晶だ。魔物が死んでマナに還る際、一定確率で特定の形に変わっていく。少ないマナならアップルグミやオレンジグミ。こちらは弱い魔物が落としていく。保有マナの総量が少ないからだろう。反面、強い魔物はそのマナの量も多く、レモングミやパイングミを落としてくれる場合が多い。
「しかし、なぜ果物の名前に?」
「いや、色と味がね。偶然似ているから、らしい」
誰がつけたかは知らないが。まあ、果物は自然のもので、このグミもマナという自然のパゥワから生み出されたものだ。何も、おかしいことはない。
「そういうものか。そのグミの効果は?」
「一言で言えば滋養強壮薬、かな」
「栄養薬のようなものか。ん、傷が癒えたりはしないのか?」
「はっはっは。やだなあ、ミラさん――――グミ食べて瞬間的に身体が回復するとか、あるわけないじゃないですか」
何かを敵に回した気がするが、それは置いといて。
「アップル、レモンは体力を。オレンジ、パインはマナを回復してくれるんだ。まあ、食べる過ぎると中毒になるから、使い所は限られてくるけど」
それに、値段も高い。商人ギルドに交易品を提出して、貢献していない者ならば特に。
「ここから先は何があるか分からないからね。ちょっと補充しておこうかと」
「用意周到なことだな」
「一人の身体じゃないからね」
前衛である僕が倒れると、なし崩し的に後衛がピンチになるだろう。それだけは避けたい所だ。
「………やはり、エリーゼの申し出を、受けるのだな」
「聞いてたのか、やっぱり」
昨日の夜遅くまで話していたこと、聞かれていたようだ。気配は感じていたから、そうなんだろうなとは思っていたけど。
「説得は無理そうだったから。下手に動かれてボン、ってのはまっぴらごめんだし」
「それならば指示に従え、と。確かにエリーゼは譲らなかっただろうしな」
足手まといになりたくない、役に立ちたい。それはダメだと言った。危ないからと。だけど、エリーゼの最後の言葉には抗えなかった。
死んでほしくないと、エリーゼは懇願してきた。面と向かって真正面からそう言われたからには、もうどうしようもなかった。その目にこめられていた意志は強く、抗いがたいような色の光を発していた。そしてその裏には梃子でも動かないという、強固な意志が感じられたから。
(それに、実際に回復役が居ると居ないのとでは、パーティの安定感が全く違う)
戦闘において、回復役がいるのといないのとでは、その安定感は雲泥の差だ。
具体的にいえばアグリアとミラぐらい違う。胸的な意味で。
「うん」
「人の胸を見て何を納得している。全く………お前も分からない奴だな」
「何が?」
「エリーゼに対する接し方についてだ。守るといったり、その反対の態度に出たり。その直後にはまた一変していたり」
「う………」
耳に痛い言葉とはこのことだ。確かに、情けないことをしてしまったのだから。
「決めたことならば、最後までやり通すべきだろう。それとも、簡単に揺らぐような決意だったのか?」
「それは………違う、けど」
もう決めて、これからは揺らがないと決めた。それでもミラとアルヴィンには迷惑がかかった。何よりエリーゼを傷つけたに違いない。そんな自分の行動を鑑みると、外からは確かにそう見えるわけで。でも、言い訳ができるような事でもない。
色々ある、と言っても言い訳にしかならない。こうだと決めて、最後まで揺れずブレず貫き通す、なんて強い心を持っている人間の方が少ないのだ。そう言えればいいのだが、それでは厚顔無恥であろう。ならば、はじめから言い出さなければいいのだ。
決めた挙句に揺らいで、それを人間だからと言い訳をするのは恥を知らない行為だと思う。全面的に僕が悪い。それ以外に、解答はないだろう。
世界にはそうした一念を貫けるような、強い人間だって存在するのだから。
そう、例えば――――
「そういえば、ミラは? リーゼ・マクシアを守るために
「ああ」
答える声と、瞳にも迷いは無かった。まるで雲ひとつない蒼天のような煌き。
純粋な意志だけが感じられる。
「でも、なんでそれだけの意志を持てたの? 決意した、理由とかは………」
ミラは、基本的な行動方針をブレさせない。イル・ファンの研究所の前でも感じたことだ。やると決めたのなら、自分の命を勘定にいれない。そんなミラだから、僕も助けたいと思ったんだけど。まあ、"マクスウェルだから"と言われればそうなのかもしれないが、ミラとしてはまた別の想いがあるのかもしれない。
「理由、か。それは…………人が好きだからだよ」
「人が、好き?」
「ああ」
言うと、ミラはポケットからひとつのビー玉のようなものを取り出した。
「私にも子供の頃があってな。これは、その時に友達からもらったものだ。日が暮れるまで一緒に遊んで………楽しかった。そうして、またあしたと約束した後に、これをもらったんだ」
「それで、次の日も?」
「いいや。その日だけだったよ。遊びに村の外へと抜けだしたのも、シルフと一緒に抜け出したからだ。帰った後にイフリートに見つかって、二度とするなと怒られた。もう遊ぶことはなかったのだが………」
それでも、あの時の記憶は宝物だったと。子供のように笑うミラが、一層魅力的に見える。
「旅をしながらでも感じる空気がある。ハ・ミルだって、そしてこの街でだって。守りたいと思わせる、何かがあるんだ」
「………そう、か」
声にまた、迷いはなかった。でも―――なにか、納得しきれないものを感じる。
(それだけで、とは言えない。でも、それだけで…………自分の命を賭けて、世界中を飛び回って。眠ることも食べることもせずに、長い間戦えるものなのか?)
僕だって、夢見がちな少年ではない。人並み外れた決意や覚悟には、相応のものがあると思っている。例えば、悲しい過去。それを見たくないからと、そこから抜け出したいと。そう思った果てに、自分を変える決意をするのが人間だ。例えば、大切なもの。例えば血や情の縁の果てに感じたこと。
絶対に失いたくないと、自分と繋がっている人たちを守りたいから、覚悟をもって苦境に挑むのが人間だ。使命も同じだろう。ミラの決意と覚悟は、半端じゃない。その使命という炎にくべる決意や覚悟の量は、並ではダメなはずだ。なのに、どうして。人間臭さを感じるミラから、そんな言葉を聞くと。どうしても、違和感を覚えてしまう自分がいる。マクスウェルは特別だと、そう納得してしまえれば別なのだが。
「どうした、ジュード」
「いや……ミラは、強いんだね」
「お前だって強いじゃないか」
「いや、叶わないよ。そうだね、例えば………目の前に賢者《クルスニク》の槍がある。意志ひとつで壊せる。でも、ニ・アケリアの村の人達が人質に取られていて、槍を壊せばその村人を殺すという。そういう時は、どうする?」
「そうだな。出来るだけ助けたいが………方法が無いとすれば、私は槍を壊すことを選ぶだろう」
「村人は、見殺しにするんだ」
「従ったとして、その村人を殺さないという保証もない。諸共に殺される可能性もあるからな。そうなれば、数え切れないぐらいの人間が死んでしまう………だから、見殺しにするな、私ならば」
ミラは断言した。だろう、などという逃げの言葉はなく、口調にも迷いがなかった。
「お前はどうなんだ? 例えばエリーゼが人質に取られたとしよう。お前の譲れないもの目の前にあって、それを取ればエリーゼを殺すと敵が宣言する………お前ならば、どちらを取る」
「僕は………」
守ると決めた。言ったんだ。それでも、医者の夢を諦められるのか。エリーゼを見殺しにすれば、精霊術を使えるようになると言われたら、僕は?
「………意地の悪い質問だね」
「お前の言ったことだろうに」
呆れたようにミラが言う。だけど、確かにそうだ。あるいは、そういった残酷な二択を迫られたときに、自分はどうするのか。
「どちらも選択しない。両方取る、ってのはダメ?」
「可能であればな。だが、それは恐らく厳しい道だと思うぞ。不可能を可能にしようとするのなら、自分の命をも捨てる覚悟が必要だ。私とて………イフリートとウンディーネを同時に使役することはできない」
両手でもってしても、救えるのは一人だけ。そうした時にどうするのか、とミラは問うているのだ。あるいは、命を差し出さなければならなくなると。
「そう、だね。肝に命じておくよ」
言いながらも、ずっとその問いは僕の頭の中に残っていた。
そうして、昼。昼食を済ませると、僕達はまた街へとくり出した。
「また、一段と人が増えたな」
「すげー熱気だな。ア・ジュールの街とか、イル・ファンとは違うわ」
「人が、いっぽいです………」
「目が回る~!」
「あ、エリーゼは僕の手を。ティポはちょっと上の方に飛んでて。低いと、人の流れに巻き込まれるから」
エリーゼの手を握って、引っ張りながら皆も連れて歩いて行く。目的地は武器屋だ。
ミラと、そしてエリーゼの武器を新調しなければならない。ミラも剣の技量はあの頃よりは、格段に上がっている。今ならば、性能の良い武器をもっても、それに振り回されないだろう。エリーゼは、マナの効率変換が高い武器を。戦いに挑むというのであれば、今の僕に買える、最高級のものを買うべきだ。あとは、マナの効率変換、特に防御に関しての効率が上がる装飾品を一つ。手持ちの金が全部なくなる勢いで買うべきだ。
「正直、嬉しいのだが………いいのか、ジュード?」
「わたしも、少しだけなら、お金もってます………」
「今のままでも、エリーは戦えるかもよジュード君ー?」
「いいよ。ミラは朝のと、昨日の………その、迷惑をかけたお礼に。エリーゼは未来のために」
「みらい、ですか?」
「うん。治癒術があるからって、深い傷なら後に残ってしまうし。ほら、傷物にさせるわけにはいかないし」
ジャオのおっさんとの約束もある。
傷つければ、あのハンマーで今度こそ叩き殺されるかもしれない。
(あのおっさんの力量も、尋常じゃなかったよなぁ)
力だけじゃない、技も持っていた。戦い慣れているようだったし、あのおっさんが本気で殺しに来る光景とか、ちょっと想像したくない。
(グミと午前中の集気法でかなり調子が戻ったとはいえ、な)
怪物の影響は少なくなっていた。あれだけマナの巡りが悪くなっていたというのに。
昨日になぜだか大幅に調子が戻ったのも大きいが、あれはなぜなのだろう。
(マナと心は密接な関係があるって師匠は言っていたけど)
錬無き心に意味はなし。心なき拳に威力なし。マナは自らの意志を試すものである。どれも、師であるソニア・ロランドの言葉だ。だから、拳と一緒に心も鍛えなさいと。その方向性が、一端の男にと、そういう事だ。自らに胸を張れるようになれば、拳の筋もまた通ると。
そんな事を考えているが、エリーゼの返事はない。見れば、耳を真っ赤にしてうつむいている。ティポは目を×にして飛び回っているが、何故だろう。まあ、いいだろう。今は買い物だ。そうして、ミラとエリーゼの装備を見繕って、買った後には入り口の所にまで来ていた。アイスクリーム屋に興味しんしんなミラとエリーゼにソフトクリームを買って、当たりをぶらつく。
(誰も、こんなくつろいでいる僕達が手配されている人物だとは思わないだろうな)
それでも、周囲の警戒は怠らない。360°、人の数が多くて全てのマナの気配を探るのは無理だが、それでもさり気なく視線を配っていく。と、そこで特徴のある人物を見つけた。
入り口の正面。まるで露店のように、屋台の上やその前に出された台の上に品物を並べている、骨董品屋らしき店。その前に、その二人はいた。
一見すれば、少女と老人にしか見えない。誰もが、そう考えることだろう。
実際、一人に関しては取り立てて警戒するような人物ではなかった。見るからにお嬢様なオーラを出している少女だ。年は、僕よりひとつふたつ上ぐらいと見た。普通に美少女ではあるが、戦いの経験もない、いかにも箱入り的なお嬢様だろう。いや、顔はすげー可愛いし、性格が優しそうで、温厚な顔立ちをしているからそれはそれで注目に値するんだけど。
だが、重要なのはもう一人の方である。
一見すればただの老人にしかみえないが、こいつは"違う"だろう。好々爺然としていて、その表情におかしい所はない。見る限りは、良家の執事のようにしか思えない。けど、マナのコントロールに関しては違う。特にマナコントロールと気配を探るのが得意な僕だけには分かる。その老人が纏っているマナが、あまりに整いすぎているということ。そして、重心の落とし方も臭かった。ただ立っているように見えるが、この爺さんはいつでも動けるようにという体勢を保っている。
それをお嬢様の方に気づかせないのも見事だ。まるで師匠のよう、無警戒を見せながらもまるで隙というものが存在しない。いや、師匠よりはレベルは落ちるんだけど。
それでも、積極的に立会いたい種類の人間ではない。エリーゼを抱えている今では特に。
と、いった結論に達するが――――ミラはそんなの関係ないとばかりに、骨董品屋に近づく。
「骨董品屋か………」
「いらっしゃい、見ていってくださいよ」
ミラの言葉に、店のマスターが答える。ミラは頷き、前に屈みながら台の上に並べられている品物をまじまじと見ている。
「なんだか、街のあちこちが物騒だな」
「ええ。なんでも、首都の軍研究所にスパイが入ったらしくて。王の親衛隊が直々に出張ってきて、怪しいやつらを検問したり、街を見回っているんですよ」
アルヴィンの言葉に、店主は手早く答えた。商人は情報に詳しくなくてはいけないというが、それでもすらすらと淀まず答えが出てくる所は流石である。ともあれ、王の親衛隊か。
「まったく、迷惑な話で………」
「ははは。検問止められたら、商売にならないもんなあ」
と、世間話をして注意をそらしてくれるアルヴィン。その横では、エリーゼが美少女の背中ごしに、置かれているカップをまじまじと見つめている。
「………キレイなカップ」
「でも、こーゆーのって高いんだよね?」
エリーゼの言葉に、ティポがすかさずツッコミを入れた。一方で老人は全く動じていない。僕でさえ初見の時は思わず飛び上がってしまったのに。
(並の胆ではない………って、僕が臆病とか、それはないから。ないから)
強がりなんかじゃない。って煩い目で見るなよアルヴィン。
「ああ、お目が高い。そいつは、『イフリート紋』が浮かぶ逸品ですからねぇ」
店主が調子良さそうに喋る。その一言に、美少女が反応した。
「イフリート紋! イフリートさんが焼いた品なのね」
友達か。
ツッコミそうになったが、こらえる。その天然気味な美少女はまた、まじまじとカップを見つめはじめた。なんか、素直すぎて騙されやすそうな子だ。見るからに素直そうでもあるが、見ていてちょっと不安になる子である。
―――と、そこでミラが手を伸ばした。
少女が持っていたカップを手に取り、宙に放り投げた後に手元でくるくると回して、カップの全てを観察しているようだ。そして、うんと頷くと、はっきりと告げた。
「ふむ。それはなかろう。彼は秩序を重んじる生真面目なやつだ。こんな奔放な紋様は好まない」
「ファッ!?」
思わず変な声を上げてしまった。こんな衆目の場でなにいってんすかミラさん。
そして、その言葉に爺さんが反応した。
「ほっほっほ。面白い人ですね。四大精霊をまるで知人のように………確かに、本物のイフリート紋はもっと幾何学的な法則性をもつものです」
言いながら、カップの皿を手にとって観察する。
「おや………このカップが作られたのは、十八年前のようですね」
「それが………何か?」
店主がどもりながら同意すると、爺さんの目が光ったように見えた。
「おかしいですね………イフリートの召喚は20年前から不可能になっていませんか?」
「う………」
店主がうめいた。その通りで、それは一般教養で、いわゆる一つの常識というやつだ。その後の事は、言葉にするまでもない。
ただ、美少女だけはカップを手に取ると、ちょっと落ち込みながら呟いた。
「残念………イフリートさんが作ったものではないのね」
「お、お嬢様………」
ちょっと狼狽える店主。だけど、美少女は表情を一転すると、店主に笑顔で告げた。
「でもいただくわ。このカップが素敵なことに、変わりないもの」
笑顔で告げられた店主は、ちょっと驚いていた。それはそうだろう。僕ならば至近距離でメンチを切った後、「にーさん、話ちがうんですが………これはどういうことや?」と告げていただろう。チンピラ風に。それに比べればこの美少女の、なんで器の大きいことか。ちょっと胸大きいし。この年齡を鑑みても、大きいし。
「はい………お値段の方は、勉強させていただきます」
店主の方も毒気が抜かれたのか、素直に応対することにしたようだ。
その後、お嬢様は5割引でカップを購入していった。
一段落してから、僕達は大通りに集まっていた。だけど、こうして何もしないのも暇すぎる。
そこで僕達は、休憩がてらにソフトクリームを食べることにした。
「ふふ、あなた達のお陰でいい買い物ができちゃった」
「いえ、やったのはミラですから」
「気にすることはない。こうして、ソフトクリームも買ってもらったことだ」
言っておくが、ミラは2本目である。なんていうか、今日もミラは食に対しては絶好調であった。特に甘いものに覚醒しはじめた様子だ。
「って、ああ。クリームがほっぺたについているよミラ!」
「ああ………っと、取れにくいな」
手でクリームを拭っているが、広がるだけでクリームは残っている。上質のミルクを使っているせいか、妙に柔らかい。純粋なアイスではないのか。で、そうして拭いている内に、逆の手に持っていたクリームがついたようだ。気づけば、ほっぺたとか鼻とか、顔のあちこちに白いクリームがついていしまっている。
「………ほら、ミラ」
「ありがとう、ジュード」
されるがままにするミラのクリームを、ハンカチで拭きとってやる。
ハンカチで拭うと、わりとすぐに取れた。
その後に僕は、振り返ってお嬢様の方を見るが――――
「って、アルヴィンどうしたの?」
かなり顔が赤い。ていうか、なあ。なぜかこっちを注視していた周囲の野次馬共、主に野郎共が前かがみになりながら去っていくのだろうか。
「ほっほっほ」
爺さんは笑顔のままだが、何か別のオーラを感じる。エリーゼとお嬢様の方も見るが、二人は訳がわからないという顔をしていた。
その純粋な瞳に、心が痛む。なぜだろうか。一方で、ミラも首をかしげていた。女には分からないものなのか?
――――まあ、いいか。取り敢えず無視して、僕はお礼をいう事にした。
「ごちそうさま。ありがとう」
「うむ、おいしかった」
「ありが、とう」
続いて礼を言うミラとエリーゼ。対する美少女は、笑顔でどういたしましてと答えた。
「それに、こちらこそです。私は…………ドロッセル・K・シャールと言います。よろしくね」
「執事のローエンと申します。どうぞお見知りおきを」
美少女の名前はドロッセル、爺さんはローエンというらしい。
「それで………お礼に、お茶にご招待させていただけないかしら」
ドロッセル嬢のいきなりの提案だった。見るからに貴族のお嬢様からのお誘いだ。ぶっちゃければ初めてである。それでも、何があるかは分からない。私兵などがいても遅れをとるつもりは毛頭ないが、騒ぎになるのも困る。なので僕はどうしようかを少し考えようとしたが、それより先にアルヴィンが返事をした。
「お、いいねえ。じゃあ後でお邪魔させていただきますか」
笑顔で答えるアルヴィン。止めようとするが、遅かった。
「はい。私の家は街の南西地区です。それでは、お待ちしておりますわ」
そう言うと、ドロッセルは優雅な礼を見せたあと、最後まで笑顔のまま。
礼をして去っていくローエンを後ろに連れ、街の中心部の方へと去っていった。
で、残った僕達は尋問タイムである。まずミラがアルヴィンにきっつい視線を飛ばした。
「アルヴィン………どういうつもりだ? 私たちには、そんな暇などないのだが」
ミラがアルヴィンを睨む。ここは、一国も早くイル・ファンに向かうべきだと思っているのだろう。
「どうもこうも………なあ、ジュードよ。彼女の姓を聞いて気づかなかったのか?」
「姓って………K・シャールだろ? ―――ってあのシャール家か!」
シャール家といえば、この街の領主だ。六家のひとつで、最高位の貴族と言っても過言ではない。
「さて、どうする………?」
「………ここは乗ってみるのも手だと思う。考えてもみろよ、あの堅牢無比なガンダラ要塞を抜ける手立ても見つかっていないんだぜ?」
情報を収集するにも、利用するにも、これ以上の相手はない。
アルヴィンは、そう言っているのだろう。
「まあ、相手は六家だし。あのお嬢様の人柄とこの街の様子を見るに、シャール家は悪い家じゃないとは思うんだけど」
「ふむ、六家か……」
「うん。ファン家に、イルベルト家に、シャール家に、ズメイ家に、バーニャ家に――――トラヴィス家」
ラシュガルの貴族の中でも、特に位の高い貴族のことである。貴族という風潮からして、僕にはどれも好きにはなれないが。特に最後の家のイメージが強すぎるのが問題か。
(ナディア―――――ナディア・L・トラヴィス)
それは、ナディアのフルネームである。本人から直接は聞いたことがないが、それでも耳には入ってくる。裏にあった事件も、貴族だからして、そしてあのナディアの様子から見ても。どう考えても、碌なことがなかったに違いないのだから。
「あとは、現王の名前もね…………確か、ナハティガル・I・ファンだったと思う」
「近しい立場にいるか。なら、手を借りられるかもしれないな」
それとなく情報を匂わせれば、利用できるかもしれない。特に研究所で行われていた実験だ。あれは後ろぐらいってレベルじゃない。ともすれば、六家内の騒動にまで発展しかねないほどの爆弾だ。それでも、シャール家が承知で協力していれば家の中で消される可能性はあるが、その時は逃げればいい。あの優しそうなお嬢様に告げるだけでも、場を引っ掻き回せそうだし。
(そうはならないと思うけど)
街を見れば領主の人となりは分かるとはよく言ったものだ。ここはイル・ファンとは違う。霊勢のせいもあるのだろうが、どう見ても良い街にしか見えないのだ。ドロッセルにしてもそう。あんな少女が居る家ならば、ひょっとしてという想いもある。街の様子が示している。そういえば、昨日の夜にも出歩いたが、治安が良いように思えた。朝も昼も治安が良いとは、思ったよりも良い街だ。良い為政者がいるということだろう。
それにここに来るまで観察していたが、地元らしき住民と、緑を帯びた装備をつけているシャール家の兵士との仲はかなり良好に見える。無理な弾圧が行われていないのがその証拠だ。反対に、赤を帯びた装備――――イル・ファンでも見たラ・シュガル国軍か。あるいは、また別の。国王の親衛隊はそうでもないらしいが、どうなんだか。
「それで、どうする?」
「………まあ、一時間程度で住むだろうしな。お茶をしてからでも、情報収集は出来る」
「決まりだな」
「お茶、楽しみです!」
「ははは、エリーゼは可愛いなあ」
和みまくるわーと、エリーゼの頭を撫でる。まるで猫のように目を細めて、頬まで染めるエリーゼの姿に、いつまでも僕の手は止まってはくれなかった。
その様子を、遠くから監視している者があった。大きな家が立ち並ぶ家の、その屋根の上で。
見るからに怪しい服装。黒い外套に、仮面をつけているその人物は、小さな声でつぶやく。
「く、まさかここで接触するとは………少々予想外ですね。少し、作戦を変える必要がありますか」
実に忌々しい、と。黒い人物はそう告げると、最後に見るものを見て、去っていった。
眼下に去っていく、ファン家の馬車を後にして。