Word of “X”   作:◯岳◯

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25話 : 出会いと別れの町で【後】

 

 

ドロッセルと執事のローエンからお茶会の招待を受けた後、僕達はひと通り町の中を歩きまわっていた。そこかしこに珍しいものが。種類も量も、半端無いぐらいにある。流石は"世界の物はひと通りここを通る"と言われるぐらいの事はある。

 

そしてひと通り回った後に、約束の時間となった。事前に聞いていた場所へと赴く。そこは観光名所として知られる広場の中央に見える風車の、その正面にある大きな石畳の通路、その先にある門を抜けた向うにあるらしい。言われた通りに歩くと、カラハ・シャールの南西地区が見えてきた。

 

この区画は見たところ、有力な貴族か商人達が大きな家を構える、いわゆる貴族街らしい。何やら猛烈に塀や壁に落書きをしたくなる衝動に駆られる。が、いらん追手も抱え込みそうなので自重した。ミラとエリーゼはどうやら僕とは異なる感想を抱いているようで、大きな建物や庭をしげしげと眺めている。

 

だが、ミラはいつもと違う。なんか、そわそわとしていて落ち着きがない。あまり見たことのない様子に、一体どうしたのだろうかと聞いてみると、ミラは真顔で頷いた。

 

「うむ………私はどうやら初めてお茶会に招待されて、少しワクワクしているようだ」

 

「そんな他人事みたいに」

 

あるいは、実感がないだけなのかも。

 

「で、ワクワクするのはお菓子目当て?」

 

「それもある」

 

真顔で頷く精霊の主。きっぱりと断言するその様は偉大なるマクスウェルでもないし、断じて女性のそれではないような。何やら無駄に男前すぎて、何やら今から戦いに赴くようで。つーか渋ってたのに調子いいなーこの人。あるいは、やると決めたのならば後ろを見ないタイプなのか、どうやら本気で楽しみにしているようだ。

 

先ほどのソフトクリームのことと言い、マクスウェルってお菓子の大精霊だったっけと思わせてくれる程のはっちゃけぶりである。

 

「私も、です」

 

「うん、エリーゼはお菓子の精霊っぽいね」

 

ふわふわしているし、とエリーゼの頭を撫でる。エリーゼの方は、意味が分からないと首をかしげているが、それでいいのだ。

 

「しかし、シャール家の本宅って一体どこだろうな。説明がなかったのは、来れば分かるってことだろうが」

 

アルヴィンは、頭の後ろで腕を組みながら歩いている。こうしていると、普通のにーちゃんに見えるから恐ろしい。しかし、言う通りではあった。家の正確な場所は教えられていないが、近くの人に聞けということだろうか。そう思った時に、正面に大きな家が見えた。

 

その屋敷は周囲の家よりも明らかに大きかった。大通路の行き止まりとなる場所に建っている大きな豪邸は、風格さえも感じられるほどのものだ。作りこまれているというか、見るだけで圧倒されるような。僕はそっち方面の芸術に長じているわけではないが、それでも何かしらを思わせる見事な造りであることは分かる。いや、これはむしろ"そびえている"といった方がいいだろう。そんな入ったことのない大邸宅の正面に、二人の姿が見えた。

 

あの童顔と胸は見覚えがあった、ドロッセルだ。どうやら僕達を待っていてくれたようで、きょろきょろと当たりを見回している。お嬢様を待たせるとは男の名折れ。すぐさま声をかけようとするが、目の前に見えた光景に声が止まってしまった。

 

邸宅の入り口。その大きな扉が開き、中から赤の装具を見に就けている兵士が出てきたのだ。

 

「ラ・シュガル兵………しかも重軍曹か、かなり上の奴らだな」

 

下っ端とは明らかに違う。正確な力量は分からないが、それでも研究所の警備兵とは明らかに違う雰囲気を纏っていた。

 

「………どうする?」

 

「今は、剣は抜かないで。もう帰るようだし」

 

出てきた兵士は、正面に止まっていた場所の前に立った後、邸宅の入り口の方に振り返ると戈を空に立てた。直後、奥から二人の人物が出てきた。距離が離れていて、わずかに輪郭が見えるぐらいなので顔つきはよく分からない。が、その二人が妙に特徴的な外見を持っていることだけは分かった。

 

一人は、巨躯の武人。ジャオとはまた違うタイプの身体つきで、歩く様もジャオとは別種の、どこか精錬されている威厳に満ちていた。まとっている服も違う、将軍クラスが身につけるような上質のもののような。そしてこの距離からでも分かるぐらいの、威圧感というのか見えないプレッシャーを放っていた。

 

もう一人は、こちらも背が高い男だ。だが、こちらは服装を見るに秘書というところだろう。身体の線は太くなく、どこかシャープな印象を思わせる。シャール家の客だろうか。その二人は、こちらに一瞥もくれることなく、そのまま馬車に乗って去っていった。

 

だがドロッセルは彼らを気にした様子もなく、僕達を歓迎してくれた。

 

「お待ちしておりましたわ」

 

明るい声に導かれ、僕達は邸宅の中へと案内された。

 

 

 

 

 

 

まるで別世界。何もかもが違う大邸宅の中、僕達はお茶を飲むサロンのような場所に案内をされた。そこで、自己紹介をかねてひと通り話すことにした。

 

「ジュード・マティスです。あの、もしかして?」

 

「ドロッセルの兄、クレイン・K・シャールといいます」

 

もしかしなくても、この街のトップだった。目の前の若いイケメンは、この家の当主でカラハ・シャールを治める領主様だという。ヒゲモジャのやり手の領主様を妄想していたが、全然違ったようだ。思っていたよりもかなり若い。物腰は柔らかく、貴族ということを仕草だけで分からせてくれる。上流階級の人間とはこういうものなのか。そういえば、家の中の何もかもが違っている。ゴージャスというのか、リッチというのか。そこいらにある小物でさえ、複雑かつ工夫されている細工が。

 

このソファーだって、イル・ファンの店の一ヶ月分の売りあげで足りるかどうか、という所だろう。しかし、納得できてしまうかもしれない。椅子ひとつにしたって、すわり心地がまるで違うからだ。やや呑まれた印象の中で―――ミラは相変わらずだったが――――僕達は、自己紹介をしあっていた。

 

(というか、名前も聞かないでお茶会に招待するとか、箱入りにもほどがありませんかお嬢様)

 

きっと甘やかされて育ったのだろう。ローエンか、クレインさんの苦労が偲ばれる。兄に僕達のことを紹介しようとして、まだ名前を聞いていなかったことを思い出した後に「いけない」と口を抑えたドロッセルにはかなり可愛かったが。つーかドロッセル嬢普通にかわいいな。18に見えない。あと、何気にスタイルが爆発している。

 

流石は六家のお嬢様ということか。仕草も話し方も表情も、これ以上ないってくらいお嬢様過ぎる。

 

(でも、あの銀髪もたしか六家のお嬢様………うん、オジョウサマ?)

 

オジョウサマという言葉に、哲学さえ感じさせてくれる。ていうか目の前のドロッセルは本物か。

ほんとにナディアと同じ種類の生き物なのだろうか。いかん、だんだんと不安になってきた。

 

「あの、どうしたんですかジュードさん」

 

「いえ………あの、つ貴方は突然フレア・ボムとかぶつけたりしてこないですよね?」

 

「はい?」

 

首を傾げるオジョウサマことドロッセル。ちがう、ここで首を傾げて可愛い仕草見せるとかおかしい。お嬢様ならここは「何言ってんだ、とうとう最後の脳みそまで消えちまったか霊力野と同じで」と返すところじゃあないのか。

 

てーか、こともあろうに、可愛く首を傾げるだけとか、何たることだよ。

 

「あの、身体のお加減が悪かったなら、すぐに言ってくださいね」

 

「はい。いいえ、なんでもありません」

 

心底心配そうな顔に、思わず軍人口調になってしまった。同時に、このお嬢さまはナディアたる全方位砲火型お嬢様とは異なる生物なんだと理解する。

 

いや、それはそれで問題なんだが。

だって、なにを話していいのか、まったくもって分からないのだ。

 

そういえば、僕もミラと同じで、こういった場所に呼ばれた経験が無いことを思い出す。年上の人と話すのも。医学校にいたころは、仕事関係で話すことをしていたが、こんなお嬢様な人と会話をしたことなんてない。

 

(どうしたものかなあ)

 

あの銀髪とはちょっと話し合った後に拳と剣での語り合いになることが多かった。でもまさか、この天然純粋箱入り培養お嬢様にそんなことはできない。ていうか、普通に外道な行いだろう。なのでここは、ミラとエリーゼと任せることにした。ちょうどお茶とお菓子がやってきたようだ。

 

ケーキは見事なもので、の外見にはどこか優美なものを感じることができる。きっと馬鹿みたいに高いのだろう。イル・ファンでも見たが、高いケーキは本当にばか高いのだ。一度だけだが、ハウス教授に連れられて行った事がある。娘のケーキを選んでほしいと頼まれた時である。

 

(………伝えきれてない、な)

 

遺言でもあった。でも、この状況で迂闊に伝えればまずいことになるだろう。

 

(イル・ファンに戻れば、必ず)

 

手紙では危険だ。直接会って話さなければならない。その時のことは、その時で考えるしかないだろう。僕は気持ちを切り替え、正面にいる面々の顔を見た。

 

ミラもエリーゼも、一口一口に驚きながらケーキを食べている。アルヴィンも素直に喜んでいるようだ。甘党だといったが、あれはあれで間違いないことなのだろう。お茶も美味しく、喉や口、鼻の中までも美麗な香りで潤してくれる。そうなると口も軽くなるのか、会話が弾んでいった。

 

例えば、お茶会に招待をされるようになった経緯など。

事情を聞いたクレインさんが、ドロッセルを見ながら言う。

 

「なるほど。また無駄遣いするところを、みなさんが助けてくれたんだね?」

 

「無駄遣いなんて! 協力して買い物をしたのよね」

 

ドロッセルが、すぐ隣に座っているエリーゼに笑顔を向ける。

だが、「ねー」と返事をしたのはティポだった。

 

「ははは、そうかもしれないね」

 

しかしクレインさん華麗にこれをスルー。全く驚くことなく、それどころか優雅な笑顔で同意していらっしゃる。そういえば、ドロッセルもふふふと笑ったまま、全く驚いていない。

 

(………あれ、初見であれだけビビったのって、僕とアルヴィンだけ?)

 

もしかして僕達って、割りとヘタレな部類に入るのか。アイコンタクトでアルヴィンに確認をしようとする。だが、胡散臭男は華麗にこれをスルー。ケーキに夢中で、僕のことなど全く見ていない。てーか甘党すぎるのもいい加減にしろ。一方で、女性3人の方はなんだかんだで話が弾んでいる様子だった。と、そこでローエンが背後から現れた。

 

クレインさんは耳打ちをして何かを伝えられると、少し表情を変えて「分かった」と頷き、席を立つ。

 

「すみません。僕は少し、用ができましたので………ローエン、みなさんのお相手を頼むよ」

 

「かしこまりました」

 

クレインさんは礼をすると、おなじく頭を下げるローエン、そしてドロッセルの方を見て、そのまま館の奥へと去っていった。

 

(………急用か。交易の中心となる都市だし、さっきも客が来ていたようだし)

 

物騒な噂もある。その一因を担っている僕に言えたことではないだろうが、町を治めるモノとしては忙しいに違いない。領主の仕事も、まだ18のドロッセルには頼めないだろうから、一人でまとめているのだろう。そのドロッセルの方と言えば、目を輝かせながらミラとエリーゼの話を聞いていた。内容は、僕達のこれまでの旅の話についてだ。ドロッセルはカラハ・シャールから出たことがないらしいので、例えば船に乗ったというなんでもない話でさえ、未知の領域なのだろう。

 

冒険譚はちょっとしたものでも、想像力豊かな人間ならば聞くだけで見たことのない新しい世界を旅しているように思える。ミラが語る直線的かつ端的な説明も、エリーゼがたどたどしく話す抽象的な言葉も、どちらも興味津々で、聞く度に大きな反応を返していた。ミラとエリーゼにしても、ドロッセルの素直な反応に嬉しく思ったのか、あるいは気持ちが乗ってきたのか。

 

まるで、明日の朝まで語り明かしそうな勢いである。アルヴィンはと言えば、席を立ち上がるとトイレに行った。声には出さず唇の動きだけで伝えてきたので確信はできないが、まあそれ以外にないだろう。ローエンは残ったままだ。というか、さりげにお菓子やお茶を補充している気遣いがすごい。主にドロッセルに気を使っているのだろう。話を中断させないようにと、気配を消しながら粛々と執事の仕事をこなしていた。

 

と、その視線がこちらを向く。

そしてローエンはどこか申し訳なさそうに、視線だけで何事かを告げている。

 

(………ん、席を? ああ、そういうことか)

 

ミラ達の話を中断させたくないということだろう。すっと気付かれないように席を立ち、離れていく。僕も、それについていった。

 

「すみませんね」

 

「いやいや、そろそろ居心地が悪くなってたし」

 

ガールズトークに混ざるものじゃない。そう痛感した僕である。こうした、遠くで見ている――――この距離にも、懐かしさと虚しさを感じるものだが。いや、今は思い出さない。

 

「ローエンさん、だったっけ。クレインさんは?」

 

「ローエンで結構でございます。クレイン様は、その急なお仕事で………申し訳ありません。私のようなただの爺いが相手では、退屈なさるでしょう」

 

「いやいや、とてもとても」

 

少なくとも油断ができないってことは確かだ。というか、さりげにこちらの間合いを外しているくせに何を言う。お前みたいな立ち振舞ができる"ただの爺い"がいるもんかっての。

 

だけど、余計な詮索はすまいと決めた。あの空間を壊すのも無粋だし、普通の会話だけで済ませばそれでいい。虎の尾を踏むのはゴメンだから、まあ毒のない普通の会話を切り出した。

 

「ローエンって、執事だよね」

 

「そうですが、何か気になりましたでしょうか」

 

「いやいや、何も。むしろ見事な執事っぷりに感動したぐらいだ。髭すらも執事っぽいし」

 

「はは、執事たるものまずは外見から整えなければなりませんので」

 

「そうなんだ」

 

「従者が主に恥をかかせるようなことなど、許されませんから」

 

そうなんだ。でも圧倒的年下に頭を下げるとか、どんな気持ちなんだろう。というより、いつから執事になったのだろうか。信頼っぷりが半端じゃないように見えるけど―――

 

「ローエンは、クレインさんの執事になってから、長いの?」

 

「はい、とはいえませんな。本職の方に比べれば、私などまだまだ。二年など、経験の内にすら入らないと聞きます」

 

「聞いた、ってことは先輩とかいて、それにいびられたとか?」

 

「いびられてなど。引退された前の執事の方に伺いました。ですが、あの方に仕えられたのは幸運であると思っています。クレイン様はまだお若いですが、民の自由と平等を重んじる立派なお方ですから」

 

「ああ、それは町を見れば分かるなあ」

 

造りもそうだけど、何より町の人の表情がいい。落ち込んでいる人も極稀にはいたが、それでも大抵の人達の顔には、笑顔が浮かんでいた。ミラも印象を受けていたのか、僕と同じ顔をしていたように見える。行き交う人々を見ながら、何やら満足そうに頷いていたし。

 

単純に楽しかったのか、それとも、守れたものを――――壊れなくてすんだ自分が好ましいと思う形、その価値を確かめていたのか。どちらかは分からないが、その表情は明るいものだった。ドロッセルも同じだ。連れはローエンだけで、周りに気にせず安心して笑顔で買い物ができる、というのを見れば、何となくだが治安の程度も分かるというもの。もっと警備兵を連れたほうがいいとは思うが。

 

「はは、以前はそうでした。ですが、その………クレイン様は、妹のドロッセル様には甘いですから」

 

「もっと軽い気持ちで買い物を楽しみたい、とか?」

 

「おっしゃる通りで」

 

そして、それが許されるほどの治安なのだろう。警備兵を連れてがちゃがちゃするのが嫌だというのは何となく分かるが。

 

僕はそんな調子で、ローエンと取り留めのない会話を続けていた。自分の事をただのじじいと言ってはいたが、ローエンの知識は奥が深かった。普通に会話するだけで面白いと思えるぐらいには。

話術の方も巧みで、こちらを退屈させないようにしてくれてもいるのだろう。

 

そうして10分ほど経過しただろうか。気づけば、ミラは席を立っていて、家の奥にある、皿を飾っている棚の前にいた。ドロッセルはといえば、エリーゼとまるで年の近い友達のように、楽しそうに会話をしている。

 

「………悪いけど」

 

「はい、いってらっしゃいませ」

 

ローエンの洒落の聞いたを背中に。僕は話に夢中になっているエリーゼとドロッセルの横を通り、ミラへと近づいてた。ミラは、熱心に家宝みたいな皿のようなものを見ている。表面には、美事としかいいようのない細工が施されていた。製造年月はかなり昔のもので、どうやら骨董品のようだ。

 

「ミラ、ずいぶんと熱心だね。もしかして骨董好き、とか?」

 

「ジュードか。いや、私が興味深いと感じているものとは少し違うな」

 

ミラは自分の綺麗な形をしているあごに指をあてた。

 

「興味があるのは………美という抽象概念を実用品にまで適用したがる、人間の不合理性についてだ」

 

「………難しいことを考えてるなぁ」

 

てっきり、この皿に料理を盛り付けたら美味しそうに見えるとか、あるいは単純に食べ物を思い出しているのかと。ともあれ、その話にはおかしい部分がある。不合理ではないだろう。

 

「ふむ、それはどういう意味でだ?」

 

「僕は合理的な思考だと思う。美しく、好ましいものならばいつも一緒に居たいってな。そう思うのは、別におかしいことじゃないだろ?」

 

欲望に正直ともいう。

 

「そういう、考え方もあるか」

 

「別の捉え方もあるけどね。好きだけど形になれば、壊れて失う恐怖もついてくるものだし。そう考えれば、不合理とも言えるのかもしれないけど」

 

「道理だな。しかし、君はそれに賛同していないようだが」

 

「まあ、ね。それでも、いっそ最初から手元になければ、なんて。考える前に諦める人間なんかいないから」

 

例えば――――明確な絶望を付きつけられてさえも、諦めを受け入れない人間だって存在する。それでも、欲しいものがあって叶えたい夢がある人ならば。時には正しさをかなぐり捨てて手を伸ばしてしまうこともあるだろう。

 

賢くは、ない。だけどそれは、誰にも否定できないことだって思う。

 

「きっと誰だって、そして誰からも、何かを憧れる気持ちを奪うことなんてできない」

 

例えば夢のはなし。

 

夢が叶うなんて夢を、最初から持たなければ――――なんて思う奴はいないだろう。

 

「………夢、か」

 

「ああ、夢さ。ミラにだってあるだろ?」

 

あるいは、夢というほどに大仰なものではなくても、欲しいものがあるって。

そう思い聞いたのだが、返事は予想していたものではなかった。

 

「考えたこともないな。そもそも、聞かれたことがない」

 

使命のほかには何も。直接は言葉にしていないが、そう言っているように見える。

 

「考えれば、お前もおかしな奴だな。私が何であるかを忘れたわけじゃないだろう」

 

「忘れるには強烈過ぎたからね。でも………」

 

見ていたら、思うんだよ。

 

「夢をみる大精霊。そんな人がいたって、いいじゃん」

 

精霊としての在り方には反するものかもしれないけれど、良いと思うんだ。僕だって医者――――両親の姓であり生業である"マティス"の名前通りには、生きてない。シャールが、トラヴィスが貴族という家と、その義務を示すものならば、僕の姓は医者を示すものなのだ。

 

そして僕は医者失格の烙印を押されている。押したのは、自分ではあるが。言うまでもないことだが、精霊術を使えない医者など有り得ない。薬学の知識だけを持っていたって、この世界では認められないのだ。患者は医者に身体を預ける。病気を治すために。だから医者は信用が第一なのだ。知識の多寡か腕の上下はあって、その信用度も変動する

 

だけど、治癒術を扱えない医者など、ありえない。存在してはいけないというぐらいには。

駄目だと、考えるまでもなく一言で切って捨てられるぐらいには致命的だった。

 

実際に言及されることなどないだろう。だって、持っているのが当たり前な技能なのだ。最低限も最低限の条件で、それが無いということがどういった事になってしまうのか。それを僕はこの5年で、嫌というほどに思い知らされてきた。

 

でも、当たり前かもしれない。精霊術を扱えるということは、文字の読み書きと同等の持っているのが当たり前の教養とされているのだから。それを持っていない医者を信用することができるのか。問われ、躊躇いなく応と返せるものはいない。それが正しい反応である。資格がないと指さされても、反論できないことで。

 

「ミラはすごいよ。精霊術は言うに及ばず、剣術の才能だってある。ミラなら、望めば何だって叶えられるさ」

 

「お前は違うというのか?」

 

「違う、とは言いたくないけど………今はそんな所かな」

 

それも、精霊術を使えるようになれば解決する。それまでは、医者には成り得ないだろう。誰だって、そんな最低限のものを備えていない人間に、自分の大切な身体を預ける気にはなれないだろうから。だから僕の方は"マティス"にはなれなかった、と言うのが正しい言になるか。

 

「難しい言い回しだな。しかし………夢、か」

 

「うん、考えたことがないのなら、今回がいい機会だよ。少し考えてみたら? ていうか、どうしたの急に難しいこと考えて。

 

 確かに色々とゴージャスな屋敷だから、そういう事を考えるのも分かるけど」

 

「………そういう日もあるということだ。もちろんシンプルな思考もしているさ。例えば、我々の現在の状況だが――――」

 

と、ミラは入り口に立っているカラハ・シャール兵の方に視線を向ける。

 

「ばれてはいないようだな。そして領主の人柄を見るに、もしかすれば協力を仰げるかもしれない」

 

「そう、だね」

 

良い人過ぎてちょっと本題の方を忘れかけていたのは内緒だ。

しかしどうやって話を切りだそうか。ミラと二人で悩んでいると、入り口の扉が開かれた。

 

鉄のきしむ音。それが止んだ後、入り口には3人の姿があった。クレインさんと――――緑の装具をつけた兵士。カラハ・シャールの兵だ。手には槍を、そして視線には戦意を携わせている。そして、その目の方向は僕とミラに向けられていた。

 

「ふむ、どうやらバレてしまったか。どうするジュード。強行突破してしまうのも手だが?」

 

「………やめとこう。扉で見えないけど、外にはかなりの数の兵士が配置されているだろうし――――」

 

座っているエリーゼとドロッセルを見る。

 

「この場所を暴力で汚したくない。それに、いい機会といえばいい機会だし」

 

話してみてからでも遅くはない。僕が言うと、ミラは分かったと頷いた。

 

「もしもの場合はどうする」

 

「庭側の窓のガラスを蹴り破って、脱出する。あ、エリーゼは僕が抱えるから」

 

「ふむ、アルヴィンはどうする?」

 

「自称プロの傭兵だからなんとかするでしょ」

 

信頼という名前の放置とも言うが。僕はミラに向けて頷くと、クレインさんの方へ歩いて行く。警戒しているのだろう、兵士が戈を構えようとするが、クレインさんが手でそれを制す。やはり、ここで早々にドンパチするつもりはないようだ。しかし、その表情は緩いものではない。

 

「………要件をお伺いしても?」

 

「イル・ファンのラフォート研究所について…………アルヴィンさんから、全てお聞きしました」

 

あの野郎。僕は心の中でアルヴィンに悪態をつき、表向きはため息をついた。

 

「アルヴィンが騙っているという可能性は?」

 

「考えました。なので、ひとつだけ確認したい」

 

クレインさんの視線が、ミラの方を向く。

 

「アルヴィンさんから聞きました。アナタの名前は、ミラ=マクスウェルだと………相違ない、ですか?」

 

「その通りだ」

 

ミラは間髪入れずに頷いた。ここまで来て隠すことに意味はないと悟ったのか。あるいは、自らの名前を誤魔化すつもちはないのか。何にせよ、クレインさんの顔が確信に満ちたものになる。

 

「ならば、間違いないでしょう。研究所での件、四大精霊を使役するものが暴れていたということは、確認が取れていることです」

 

あとは、ひょっとしてローエンか。ドロッセルの買い物の話で、疑いは抱いていたということだろう。ならば、なおさらに分からないことがある。怪しいのであれば、ドロッセルをここに留まらせている理由が分からない。なんらかの理由を持ちだして、連れだしたほうが安全なのだ。

 

聞けばクレインさんはドロッセルには甘いというし、まさか人質に取られるという可能性を考えなかったわけでもないだろう。つまりは――――

 

「僕達の情報………いや、研究所内の情報が欲しいってところ?」

 

捕まえようとはしていない。だけど、兵士を連れてやってくる。目的は威圧か。こちらの面子の力量は分かっていないようだけど、良い威圧にはなる。エリーゼもいることだし、後ろにはいつの間にかローエンがいるし。

 

"見せ"ている。荒事になる空気を漂わせている。その上で本気で捕まえるつもりはないとなれば、話はひとつしかない。

 

「ええ………話が早くて助かります。あなた達がラフォート研究所で見たことを、教えて欲しい」

 

「それは………なぜ?」

 

「ラ・シュガルは、ナハティガルが王位に就いてからすっかり変わってしまった。何がなされているのか、六家の人間ですら多くは知らされていない」

 

独断で政治を行うこと、それを人はなんというのか。

 

「そして、逆らえる者はいない………つまり今のラ・シュガルは、ナハティガルの独裁状態にあるわけか」

 

ミラの直球の言葉に、クレインさんは頷いた。

 

「研究所でのよからぬ噂も聞きました。しかし兵を動かすわけにはいかない」

 

下手をすれば内乱にまで発展する。そして僕達に聞くということは、派遣したであろう諜報員も帰って来なかったのか、あるいは情報を得られなかったのか。ドロッセルやエリーゼに聞かせる話でもないので、その辺りは言外に納得する。

 

「分かった、説明する。だけど、条件がひとつだけある。僕達がガンダラ要塞を抜けられるよう、工作をして欲しい」

 

「………目的はなんですか?」

 

「イル・ファンに。あの研究所の中にある、物騒なものを破壊したい」

 

「要領を得ません。それほどまでに危険なものだと?」

 

「それは、これから説明する………良いよね、ミラ」

 

「ああ。協力を得られるのならば、これ以上の事はないだろう」

 

ミラの了承を得て、僕は研究所であったことを全て話した。

軍が、民間人からマナを強制的に吸い出していたこと。

 

そして、大きな黒匣(ジン)の兵器、賢者(クルスニク)の槍についても。

 

「イル・ファンの研究所で人体実験を!?」

 

「この目で見た。きっと多くの人が犠牲になってる」

 

「そんな………まさか、とは思いましたが、ナハティガル王はそこまで………」

 

クレインさんは沈痛な面持ちで頭を抑えている。

驚いている様子はないので、どうやら予想の範疇であったようだ。

的中して欲しくないといった類の、だろうけど。

 

「最近、イル・ファンでの行方不明者数が増加していましてね」

 

最悪としての予想ですが、あたって欲しくはなかった。

 

「首謀者は、ナハティガル王だと?」

 

「間違いありません。つい先刻帰られましたが………王が私に告げられた内容を考えるに、それ以外は有り得ないかと」

 

王命として、告げられたらしい。カラハ・シャールの民の一部を強制徴用すると。

 

「本人が動いているなら、疑いようがないな…………でも、あれがナハティガル王だったのか」

 

「ええ」

 

「くそ、一発殴っときゃよかった」

 

「………は?」

 

クレインさんが驚いているようだけど、なんでだろう。

見れば、ドロッセルやローエン、エリーゼまで驚いている。

 

「って、僕の目的の方を言ってなかったか。え~と………つまり僕は、研究所の首謀者を殴りたいんですよ」

 

「それは………どうして?」

 

「目の前で、恩師を殺されたからです。あの人は、ハウス教授はあの研究所に捕らえられていまして。僕の前でマナを吸いつくされて………」

 

最後は溶けて消えた。命も身体もなくなったのだ。

 

「それは………いえ、よしましょうか」

 

「助かります」

 

「いえ。しかし貴方が望むのは、敵討ちか―――あるいは復讐ですか?」

 

「それもある。けど、知りたいことがある。ハウス教授はあの研究に協力していたようで………その内容を知りたい。僕はハウス教授の助手だったし、もしかすればあの考えるのもおぞましい研究に協力してしまっていた、という可能性もあるから」

 

「そうですか………ミラ殿は?」

 

「私は一度目の侵入と変わらないさ。あの黒匣《ジン》を壊す。あれは、人と精霊に害為すものだからな。あれほどの規模のものだと、どれだけの歪みが出るか分からない」

 

「歪み、ですか」

 

「ああ。人のマナを吸い尽くす、というのも凶悪ではあるがな。目に見えない部分での被害は、それ以上になる」

 

「エリーゼは………」

 

「理由は分からないけど、ラ・シュガル軍に追われていてね。だから僕達が匿っているというか、安住の地を探しているというか」

 

これ以上は僕の口からは言えないのだけど。それでも、苦労をしているというか、悲しい思いをしたのが分かったのだろう。ドロッセルがエリーゼの手を握っていた。クレインさんやローエンも似たような面持ちだ。ナハティガル王の話もあってか、信じたくないことを突きつけられたからだろう。

 

「それで、受けてくれるのか、どうか」

 

「………時間を下さい。何より、確認したいことがある」

 

「ラ・シュガル軍には売らない、と受け取っていいのかな?」

 

「国に仇なすものならば、捕縛もそれ以上の事もしましょう。だけど、あなた達はそんなことをする人物には見えない」

 

甘いとも言える考えかもしれませんが。クレインさんは言いながら、こちらを見た。

 

「それに、ドロッセルの友達を捕まえるつもりはありません」

 

「………了解した。分かったよ」

 

妹の名前を出した。つまりは、妹の名前に誓ったのだ。しかも本人の目の前で、だから疑うことはしない。恐らくは最愛の家族であろう妹の名前を出したからには、裏切りは有り得ないだろう。僕とミラは頷くと、取り敢えず邸宅を出ることにした。僕達は指名手配されている身だし、一般人でもある。そんな僕達がこの家にとどまると、否が応でも目立ってしまう。それは色々とまずい事態を引き起こすのだ。

 

あくまで秘密裏に。ばれても切れる関係を、あるいはしらばっくれることが出来る関係がお互いにベストなのだから。エリーゼは少し違うが。クレインさんも同じことを考えているのだろう。だが目の届かない所には行って欲しくないらしく、宿を手配してくれた。

 

了解することで、互いの意見の確認を取る。そうして頷き合い、僕達は別れた。

 

大きな家を出て、大きな扉をくぐる。合図があったのか、そこに配置されていただろう兵士の姿もない。そのまま出口へと歩いて行く。

 

だが、その最後に、僕だけがローエンに呼び止められた。

 

「えっと、何か用事が?」

 

今からミラと一緒に、殴りにいく所なんだけど。あいつを。

具体的にはケーキ食ってとんずらこきやがったあいつを。

 

あ、一緒に行きます?

 

「いえ、少しお話がしたくて…………あなたはナハティガル王を殴ると言いました。それは、彼の恐ろしさを知った上でのことですか?」

 

「いえ、まったく。でも、知っていたとしても殴らずにはいられないというか」

 

研究所のこと。主導した人物は、間違いなく殴られるべき存在なのだ。殺して、殺して、殺した。人をまるで道具のように、使って壊すみたいな感覚で殺されたんだ。ハウス教授と同じく、家族がある人達を一方的に、理不尽に。

 

「だから、まずは殴ります。その上で研究所の真実を暴いて、国に叩きつける」

 

殺しなどしない。そんな一瞬で終わらせてたまるか。最後までその責任を全うしてもらう。

何よりこんな外道の行いをする輩の命なんて背負いたくはない。

 

「しかし、ナハティガル王は一体何をお考えなのか………」

 

「他人の痛みが分からなくなった、というのは間違いない。でなきゃ、あんな真似はできない」

 

正気であれば、いやどっちでも同じだ。

 

「人の痛みを知れ、って意味でもおもいっきり殴ってやります。絶対に、忘れちゃならない――――思い出すべきなんだ」

 

「王としての、その在り方を思い出せと?」

 

「それ以前に人間としてダメでしょう。何より人道に反した人間は、まず殴られるべきなんです」

 

過ちは放置されれば災厄となる。だから、誰かが正さなければならないものだと思う。僕があの時、師匠にされたように。そうして、目を覚まさせてもらったように。そう告げると、ローエンは何とも表現できない表情になった。そして、僕の顔を見て、問いかけてくる。

 

「だから、ですか………それが、例え心を許せる友だとしても?」

 

「だとすればなおのことですよ。逃げたって何にもならないじゃないですか」

 

目を逸らしているだけで何もかもが解決するなら、人は部屋に引きこもっていればいいのだ。そうでないから、人は外に出ることを求められる。人と交わり、苦労しながらでも接することを求められる。膝を抱えて部屋の隅にうずくまっていても、誰も助けてはくれないのだから。

 

「そうですか………ジュードさんはお強いのですね」

 

「ぜんぜん強くはない。簡単なことで揺らいでしまう、まだ若造の未熟者ですよ」

 

一人で居た時は、あまり考えなかったことだ。あるいは、思うがままに行動していた、ナディアと一緒にいた頃とは違う。いざ守りたい者ができて、ようやく分かった。自分の弱さと、情けない部分が。

 

「いえいえ。こうして年を重ねても、自分の弱さすら認められない爺いもいます。向き合っているだけ、あなたは立派ですよ」

 

「………ありがとう。それじゃあ、また」

 

別れを告げて歩き出す。そして遠ざかった後に、誰にも声が届かないようにと、言葉を紡いだ。

 

 

「嫌われるのが怖いから、隠す………そんなことをしている僕が、立派な人間なわけないじゃないか」

 

 

ナディアのことも。情けない声は、だからこそ弱々しく響き。

 

 

遮るもののない、大きな広場の奥にまで、響きわたっていった。

 

 

 


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