救出した民間人を街まで護衛し、戻ってきた夜。僕達は再びシャール家へと招待されていた。だが、当主であるクレインさんはマナを大量に吸われたせいで今は寝込んでいる。それでも、僕もミラもエリーゼも。きっとアルヴィンにも不満はないだろう。
何しろ、先ほどまで見事と言える当主っぷりを見せつけられたのだから。クレインさんもマナを吸われ今にも倒れこみたいはずなのに、救出した民が治病院に運ばれる最後まで陣頭で指揮を取っていたのだ。この街に入院ができる病院は二つで、捕まっていた人達の住所から近い方へ。迅速に調べさせながら指示を出しきった。
そうして、全員の無事が確認されて館の中に入ると同時だった。力なく、膝を落としたのは。
それでも倒れこむことはなく、ローエンの肩を借りながらも自室へと戻っていった。
――――そして。
「ありがとう。お陰で、助かりました」
去り際に、僕達に礼を言う時は背筋をピンと伸ばしていた。返す言葉は、決まっていた。
「どういたしまして」
助けた甲斐があるってものです、と。お美事、としか言いようが無い。上に立つ者とはかくあるべし、を体現した人だろう。その気合は一時の師匠にも匹敵するように感じられた。それに加え、最後まで優しさを忘れず。アルヴィンも霞むほどの好青年っぷりだ。そしてシャール家のもう一人だが、こちらは見事な可憐っぷりを魅せつけてくれた。まず、戻ってきた時だ。顔色を悪くしているクレインさんを見るなり、涙目であたふたし始めた。
だけどクレインさんが一言二言告げるとじっと押し黙ったまま頷き、その後は指揮を取るクレインさんの横で、救出した民へと声をかけていた。
そして、最後にドロッセルお嬢様は僕達に頭を下げた。
『みなさん………本当に、ありがとうございました!』
声も大きく、感謝の意を示したのだ。あの時の光景は、しばらく忘れられそうにないだろう。言葉はもちろんだが、あれだ。可憐なお嬢様が、涙目の可愛い笑顔でお礼である。人の目がなければ、バンザイを三回していたかもしれない。
いや、論点がずれた。問題は、そう、大貴族であるドロッセル嬢が一介の旅人にしか過ぎない僕達に、頭を下げたのだ。
何も考えていないのか、あるいは理解した上での行為なのか。
判断はつかないが、どちらでも構わないって思えた。礼を言われるということ、イル・ファンに来てからはミラと店主以外の人間からは、久しく受けていなかった行為である。
故に身体は震えた。何より示されたその誠意と、そして――――頭を下げた瞬間に見えた驚異的な胸部に。ちらりと見えた谷間と、屈んだ時に見えた輪郭。もしかするとミラに匹敵するかもしれない。
正しく、傑物であろう。貴族っぷりも含め、どこぞの平坦胸貴族とはえらい違いである。
クレインさんの懐の深さも含めて。ああまでした理由は、きっと別にあるのだろうけど。
「で、その辺りの説明をしてくれるって?」
「………気づかれましたか。驚かせようと思ったのですが」
背後から足音を消して近寄っていたローエンに、一言。
でもこの爺さまは、驚いた様子もなく飄々としたままだ。
「しかし、クレイン様がすぐにお休みに成られなかった理由、ですか。観察眼もそうですが、やはり頭の回転もお早いようで………無礼を承知でたずねますが、本当にただの医学生ですか? 実はかの
なにその
「ご存知、ないのですが。ガイアス王直属の最精鋭と呼ばれる4人です。2年前のシュレイズ島でラシュガルの特殊部隊120人がその4人に倒されたと聞いております」
なにその関わりあいになりたくない人達。特殊部隊ってーと、研究所にいたあの雑魚兵とは一線を画するほどの強さを持っているはずそれを戦力比1:30で勝つとか。特殊部隊の力量にもよるけど、どんだけ手練なんだよその4人の化物は。
「あいにくと、心当たりはないな。というより僕の出身はル・ロンドなんだけど」
あそこはガイアス王が治めるア・ジュールではなく、ナハティガルが治めるラ・シュガルの領に入る。遺憾ながら。
で、だ。いくらなんでも、敵対国を故郷とする者が、そんな大幹部になれるはずがないだろう。
「しかしながら、ガイアス王は革新的な政策を取られていると聞きます。有能であり、忠誠を誓うものであればどのような出自でもあれ受け入れると」
「いやいやいくらなんでもあり得ないでしょ………もしそんな事があるなら、そいつにキスを捧げたっていいぐらいだ」
そいつが男ならば、我が世の地獄。
女ならば、痴漢も真っ青な犯罪者確定である。エリーゼにも嫌われてしまうかもしれない。
「それは私も同感ですが………まあ、そうですか。あり得ないでしょうなあ、ほっほっほ」
「そうでしょー、はっはっは」
笑い合う僕達。
――――遠い何処かで、誰かがくしゃみをしたような気がした。
ともあれ、だ。ローエンを見ると、少し唇を笑みの形に曲げていた。
「ふふ、今のは冗談ですよ。何よりあなた方はクレイン様と民の危地に怒りを覚えておりましたし」
ゆえに信じましょうと、ローエンは話を戻した。
「クレイン様がその当主としての在り方を示した理由。それは、先の化物が取った行動に繋がっております」
あの蝶が、民を優先目標としたこと。ローエンは即座に相手の意図に気付いたという。
「想像してみて下さい。もし、私達が民を守れず、死なせてしまった時のことを」
「そうなれば………当主失格って言われる?」
行為と意志は立派。それでも守れなかった場合、立ち上がれども力無き民を守れなかった当主としてクレインさんは扱われるだろう。信頼が崩れるのは一瞬だ。全部が崩れ去ることもないだろうが、街に兵に、少なくない動揺が走ることは想像に難くない。
「あるいは、敵方もそれを見越し、助長する噂を流すことでしょう。そうなれば、カラハ・シャールはイル・ファンに反抗できなくなります」
もともとの戦力が違う。それに加え士気も低下すれば、勝ち目もなくなるというもの。無駄な犠牲を嫌うクレインさんにとっては、特にそうであると言える。なにがしらの強攻策を取れば解決、また、民の被害も増えるが故に。
それに、シャールの兵は私兵の域を脱しきれていないように思える。会戦を経験した優秀な軍人は、全てイル・ファンにいるだろうし。だから、最後まで立って指揮した。無言で示したのだ。クレイン・K・シャールはここに在り、そして我が民を守る当主であると。
「………エリーゼを預けても、心配なさそうだな」
「そうして下さい。今のイル・ファンでは、何が起こるか分からない」
ローエンの言葉に頷く。次に行く場所は、いわば敵の本拠地である。そして敵は未知の技術を使ってくる。相手の強さも、今まで通りというわけにはいかないだろう。エリーゼを守りながら、というのはどう考えても無謀だ。
「………分かった。守れなければ、なんてことは考えたくもないし」
「ええ。それと聞いておきますが、この屋敷にずっと、というつもりはないのですな?」
「本人にも聞くけど、それはないんじゃないかな。僕にとっても、エリーゼを預けてはいサヨナラ、なんていくらなんでもあり得ない」
自分で言い出したことだ。エリーゼはそんな僕を信じて、ここまで付いて来た。そんな少女を預けて去る―――放置して他人任せにするなど、男としてやっちゃいけないことだろう。でも、一時とはいえ預かってもらって本当にいいのだろうか。
「問題ありませんよ。むしろドロッセルお嬢様がお喜びになりそうです」
実は今もそうである。エリーゼとお茶を飲みながら、色々な話をしているらしい。それを言い出したのは、エリーゼなのだけれど。クレインさんが心配で夜も眠れなさそうなドロッセルを見て、ならお話をすればいいかもしれない、と言い出した。
一人は寂しいから、と。呟いた時の顔が印象的だった。
「………その事も含めて。明日、クレイン様からご提案があるようです」
そして、次の日。見るも優雅な朝食の中、エリーゼとドロッセル嬢はある提案をした。
曰く、ミラを市場に連れていきたいのだという。
「………私が? 二人で行ってくればいいだろうに」
「いえいえ。ミラさんと一緒でなければ駄目なんですよ。ね、エリーゼ?」
「………うん」
こくりと頷くエリーゼ。対するミラは、困惑していた。
「いや、しかしまだ落ち着いたという訳ではないだろう。これからガンダラ要塞を越える話をするつもりだったのだが」
「あー、いいよ。今はシャール家の私兵も警戒態勢にあるようだし」
ミラの腕も、イル・ファンで力を失った後よりは格段に上がっている。それでも安全とは言いがたいけど。
「なら、俺がお供しましょうかね。旨い朝飯の礼もあるし、運動しないと太っちゃうからな」
言いながら、こちらに視線で合図を送ってくる。クレインさんの話か。エリーゼかドロッセルか、どちらかに聞かせたくない話なんだろう。仕方ない、と僕は視線で了承の意志を示した。
「よし、決まりだ。俺は先に外に出てるぜ」
アルヴィンは言うなり立ち上がると、玄関へと歩いて行った。
ミラの方は、かなり困惑気味だったけど。
「………待て、何故私と。話が見えないのだが」
「え、だってミラ、昨日にお話したじゃない。いつか一緒にお買い物に行きましょうって」
「確かにいったが、何も今日である必要は―――」
「でも、お話が済み次第出立するつもりなんでしょう? 善は急げっていうじゃない」
「それはそうだな。ではエリーゼとドロッセルの二人で行ってくるがいい、私は――――」
そっけないミラの言葉。しかし対する二人は笑顔でアイコンタクトすると、ミラの腕を掴んだ。
そのまま、玄関へと引きずっていく。
「ま、待て、なぜこうなるんだ? 私が行く必要はないだろう?」
「出発ー」
「「しゅっぱつー」」
ミラは抵抗するが、しかし二人と一匹は聞いちゃいなかった。
それを黙って見送る。なぜかといえば、あれだ。
「ミラさんは綺麗ですし、エリーゼは可愛いし。着飾りがいがありそうで、なんだか私わくわくしてきちゃった」
僕は黙って頷いた。是非ともやって下さいと親指さえ立ててやった。
だってそんな事を聞かされちゃあ、反対する理由が思い浮かばないではないか。
ドロッセル嬢にサムズアップをすると、同じくサムズアップとウインクで返されてしまった。
「ジュード! 待て、何故黙って手を振る!」
「諦めたほうがいいと思うから。それにミラは女の子なんだし、たまにはお洒落したっていいかと思うんだ」
「いや、だが、厳密には私に人の性別が当てはまるとは――――」
そんなスタイルをしておいて何を言うか。現出するさいに人の象をなしたが~、とか何とか言っていたが、ハンカチを振りながら見送ってやった。話は僕が済ませておくから、お元気でと。
やがて引きずられたミラは、二人ともども外へと去っていった。
扉が、バタンと閉じられる。しばしの沈黙が流れた。そうして少しした後、クレインさんはこちらを見て、言った。
「少し、玄関まで行きませんか」
「うん、いい天気だなあ………」
屋敷の正面から見える空は、街の中で見上げるそれより、広く思えた。耳をすませば、子供達の談笑と、市場が賑わう音が遠雷のように聞こえてくる。結構な距離があるはずなのに、だ。かなりの賑わいを見せているのが分かるというもの。そして僕は、半歩だけ横にずれた。目の前には、クレインさんがいる。
彼はこの音に耳を傾けているのだろうか。
眼を閉じたまま黙り込み、やがて開くと同時に僕の方を見た。
「良い、街でしょう? 何より人々に活気がある。自慢ではありませんが、国内でも有数の都市だと自負しております」
それに反論する材料はない。皆無と言っていいほどだ。霊勢の関係もあるのだろうが、このカラハ・シャールにはイル・ファンよりもずっといい空気が流れているように思える。この当主の人柄が、その人の良さが伝搬したのだろう。
それを考えると、当主として何より誇っていいことだと思うんだけど。
「………いえ、まだまだ若輩者です。若くしてこの地位を継ぎ、何とか頑張ってこれたのは民の助力による所もあります」
一人では到底ムリだった、と。苦笑するクレインさんだったが、急にその視線を変えた。
緩やかなものから、鋭いものに。まるでカミソリを思わせるものに、変質する。
「それを守れぬというのであれば、当主として失格であります―――民あっての当主。父より幾度と無く聞かされた言葉であります。僕は、その理を死しても貫くことでしょう」
その言葉には、覚悟があった。威厳に満ち溢れた姿は、あるいは王と呼べるものにも感じられる。
「故に、民の命をもてあそび。独裁に走る王にこれ以上従うことはできない」
「………反乱を起こす、つもりですか」
戦争にするつもりか。その言葉は、視線の光によって肯定された。今までに抱いていた印象が、払拭された瞬間だ。いつの間にか、思い込んでいたのかもしれない。
このクレイン・K・シャールとう当主は、当主として見事な男ではあるけど、一種の甘さを持っていると思いこんでいた。
まさか、だ。ただ甘いだけの男ではない。
「ナハティガル王―――いえ、ナハティガルの独裁はア・ジュール侵攻も視野に入れたものと考えられます。そして一度走りだした彼は、民の命を犠牲にしてでもその野心を満たすことになるでしょう」
告げられた言葉は、過激なもので。そして、どこか確信的な匂いを感じさせられた。いくら当主と王とで関わりはあるだろうけど、ここまで確信できるものなのか。違和感があったが、言葉は更に聞きたくない調べを奏でていった。
「このままでは、多くの民の命が奪われる事態に。いつかの会戦と同じに、ラ・シュガルやアジュール両国に多大な犠牲者が出ることになるでしょう。無為な命が失われる―――それは看過できることではない」
確かにそうだろう。いつかの会戦の後は、餓死者さえも出るほどに国土が疲弊したと聞く。それを許さないというクレインさんの言葉。それには、言いようのない力があった。
「僕は、領主です。領主としての僕の成すべきことは、この地に住まう民を守ること―――あの輝きを汚す存在を排除すること。そして何よりも人間として。事情を知った今、外道を為す王をこれ以上許すことはできません」
「当主………そして、人間として………成すべきこと」
「はい。それを止めることが――――クレイン・K・シャールとしての、使命だと考えています」
誓うような言葉。そしてクレインさんは、僕の眼を見て言った。
「ジュードさん。力を、貸してくれませんか。僕達はナハティガルを討つという同じ目的をもった同志になれると考えています」
そして、非道を厭わない王を共に討とうと。
故に、協力してはくれませんかと、手を差し伸べてくる。
シャールの当主が、僕に。
正直を言えば、僕はこの提案が酷く魅力的に思えていた。
(良い、当主なんだろうなあ)
良識あり、覚悟ありだが基本的な人格は高尚の一言。
王や貴族といった人達との付き合いはないが、それでもこの人は最善と呼べる領主ではなかろうか。
その決意に嘘はない。その覚悟に濁りはない。その方向性に、誤りはない。あるいは、歴史的な瞬間に立ち会っているのではなかろうかと。そう思わせてくれるだけの人だ。
だから、僕は一歩斜め前に踏み出して。
そして、"進路を塞ぐように手を上げて"、答えた。
「それでも、お断りします」
――――同時に、鮮血が舞った。
「な………っ!」
驚愕の声は、ローエンのもの。そしてクレインさんも。二人の視線は、一つのものに注がれていた。
そこにある、手を握らす水平に薙いだ僕の手を――――"鏃の見事な一本の矢が突き刺さっている僕の手"を。
真っ直ぐにクレインさんの心臓へと、直線で結ばれる軌跡。
そこに僕は、手を差し込んでいたのだ。
「………できませんよ。僕は、医者を目指しています。その僕が、多大な戦死者が出る戦争の、手助けをするわけにはいかない」
医療術も使えない、医者の卵の不肖での端くれでもあるけれど僕にも目指すものがある。
だけど、こんな下らない矢に貫かれる人を増やすわけにはいかない。
僕が矢の進路に手を入れなければ、間違いなくクレインさんは大怪我を負っていたことだろう。いや、それ以上か、あるいは。
だから、許せない。こんな良い人を暗殺させるなんて、あってはならないことだ。
マティスではない僕の本音も同じだ。ただ、許せない。
そして人を助けるためにという信念の元に研究を行なっていたハウス教授。
その、助手だった身としても許容できるものではない。
「こんな腐れた手を使う輩は放っておけない、それには同意しますが」
「ジュード、さん」
「クレインさん。その選択を、否定はできません。それでも――――愚かと言われても、自分なりに諦めずにやってみますよ」
それだけを告げると、僕は矢を放った暗殺者へと走りだした。
一方で、ミラの方も緊急事態となっていた。
「エリーゼ、ドロッセル!」
「く………まさかこんな手で来るたぁな」
アルヴィンは、肩から血を流している。もう一人、ミラの方も腕にかなりのダメージを受けていた。二人が睨むのは、ラ・シュガルの兵だ。その兵装は、今までに対峙していた者とは明らかに違っていた。そして、力量も。
「貴様ら………よりにもよって!」
だが、私達二人でも十分に対峙できるレベルだ。そう、詠唱も何も必要がなくなる"あるもの"を使わなければ。
そしてミラは、"あるもの"に――――兵士たちが今も構えている武器に、見覚えがあった。
「それは、
ミラの怒りの叫びに、兵士たちは答えない。それは、対峙する指揮官も同様だった。
―――紫色のショートカット、その下にある美貌も。
凹凸の少ないスレンダーな身体をぴくりと動かすこともせず、ただ部下に命令をするだけだった。
「その女をただちに捕らえよ……分かっているとは思うが、お前たちは動くなよ………動けば、この小娘の命は保証しない」
警告の言葉と同時に。命じられた兵士達は、ミラへと襲いかかっていった。