Word of “X”   作:◯岳◯

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35話 : 帰ってきた街で

 

船の甲板から、ル・ロンドの港に。降り立ったけど僕は、それどころじゃなかった。何って、腕がやばい。二の腕に感じるマシュマロティックな感触が、その、ひゃっほうである。

 

………本音が出てしまったが、問題はそこではないのだ。船酔いになったミラを支えている腕が、そこから感じられる感触が体温がやばいのだ。そして、悪ふざけな言葉を出す空気でもない。道中にあんな会話をしたせいか、なんて言うか何を言ったらいいのかわからなくなっていた。それはミラも同じようで、軽口もなしに黙り込んでいた。

 

どうすればいいのか。悩んでいた所に、救い主が現れた。

 

 

「あーどいてどいてーーーっ!」

 

 

車椅子の音。そして声。その方向を見て―――――てい、とマナで強化した足を出した。

 

車輪が静止し、乗っていた人物は放物線を描いて飛んでいった。

 

 

「あああああぁぁぁぁぁ………」

 

 

ぽちゃん、という音がした。海に、美しい波紋が広がっていく。

 

「―――よし!」

 

「いや………どう見てもよしじゃないと思うのだが………?」

 

そう言ったミラの声は戦々恐々としていた。しかし僕はあくまで、これでいいのだと主張する。だって彼女はレイア・ロランド。師匠譲りの頑強さを持つ、僕の幼なじみなのだ。理不尽なという言葉が枕につく幼馴染なのである。

 

だからして、勿論泳ぎも得意である。あるいは僕よりも達者かもしれない、故に良いのである。レイアと一緒に走っていたであろう少年少女がぽかんとしているが、これでいいのである。

 

僕は怪我人であるミラを車椅子に座らせ、そう諭した。納得していないようだが大丈夫、だってレイアは優しい奴なのであるのだから、分かって―――――

 

「ウエイクアップ、私ィ!」

 

「ぐはぁっ!?」

 

くれなかったようで、証拠となる足蹴りが僕の背中に炸裂した。結構な勢いで繰り出された蹴りはかなり強烈で、そのまま石畳の上を転がされていく。咄嗟に手を離していたおかげでミラは巻き込まずにすんだけど。つーか真面目に痛い。そのせいですぐに立ち上がることができなく、地面に倒れていると、何故か胸ぐらを掴まれた。

 

「え、ジュ、ジュード!? ジュードよねどうしたの包帯。なんで、その怪我は!?」

 

「蹴っといて言うのかよお前は」

 

突っ込んだが、無視された。僕も大概だったからか。しかしレイアは何でか滅茶苦茶に動揺していて、襟を掴まれるとそのまま全身ごと上下に揺さぶられた。寝転んでいたままなので視界が激しく動かされ、そのせいで吐き気がこみあげてくる。

 

やめろ、頭痛いんだっての。そんな反論も許さないような強めのシェイクは、ミラが止めるまで続いた。命の恩人という言葉を知った瞬間でもあった。

 

「あー死ぬかと思った。あー頭痛い」

 

「ご、ごめん………でも、ジュード」

 

何だかんだでようやく落ち着いた後、レイアはそんな彼女の様子をたっぷりと見て、そして僕の方を見た。頭と、そして身体中の傷を見て――――

 

「痴情のもつれ?」

 

「よしそこに直れ」

 

そのまま数分後は説教をかましてやった。昔と変わってない、走る前に前を見ろ、自分の馬鹿力を自覚しろ、とか。考えてから行動しろ、相変わらず胸のように貧相な頭だな、とか。

 

そうしてようやく落ち着いたレイアを前に、僕はミラを紹介した。

 

「いや、ジュード。ほっぺたに赤い手形をつけて………大丈夫か?」

 

ミラが何かを言いたいようだけど、話が進まないのでまずは自己紹介をさせた。

 

「み、ミラ=マクスウェルだ。よろしく」

 

「レイア・ロランド、です…………」

 

自己紹介をする二人。しかしレイアは握手をしながらも、その視線をミラの胸部に向けていた。

そこにはたわわに実った果実が二つ。そしてレイアは、何かを言いたそうにこちらを見てくる。

 

「ジュード………信じてたのにっ!」

 

「いや、ちょっと待って。待ってくれ頼むからお前説教聞いてねえのお前よぅ」

 

いくらなんでも鳥頭すぎる、と思っていたがそうでもないようだった。何が別の事情があるらしい。なだめすかしながら情報を聞き出していると、驚愕の事実が判明した。何故か僕は医学校を中退し、巨乳としけこんだということになっているらしい。色香に迷った青少年の逃避行がどうのこうの。

 

なんでも某銀髪の少女からタレコミがあったとのことだが―――あの腐れ貴族貧乳風味チンピラ和えめが。よりにもよってわざわざ、この町でやってくれましたよあのチビ。

 

「でも、この人は巨乳だし!」

 

「ああ、確かに巨乳だけど!」

 

「ふむ、私は巨乳なのか?」

 

ミラの言葉に肯定を返す。ミラの胸が巨乳じゃなかったら、レイアなんてどうなる。ただの板だ。いや、街道で時たま大回転しつづけてるバキュラにも劣る。ミラとドロッセルさんのダブルインパクトを知ったせいか、今は余計にそう思えるのだ。

 

「………な~んか腹立つんだけど。いっちょ活身根で、頭に一発入れていい?」

 

「流石にやめてくれ。頭ぁ痛いつってんだろ、何より―――」

 

ミラの足を見ながら、言う。いいかんげに治療院に行きたいと。

 

「え、ちょっと、彼女の足………!」

 

「ああ。だから、この町に帰ってきたんだよ」

 

ミラの足を治す方法はここにしかない。だから、だから早く行こうと。胸中も複雑に、自分の口から提案すると、レイアは戸惑ったままそれでも頷いてくれた。レイアは子どもたちに指示し、大先生に連絡をお願いと言われた子ども二人は治療院へと走っていった。

 

それに僕達も続いていく。揺らしすぎるのも良くないと、ゆっくりと。僕はミラが座っている車椅子を押して歩きはじめた。

 

そうして港と街の境にある門を抜ければ、そこは見慣れた故郷の姿があった。相変わらずのしけた街だ。昔は鉱夫で賑わったらしい街も、今では見る影もない。とはいっても、賑やかだった頃なんて知らない僕だけど。我ながらひねくれた感想を抱いていると、海からの風が吹いた。

 

緩くも頬を撫でる風は、港から運ばれた潮の香りを運んでくる。少しきついそんな匂いに鼻をくすぐられながら、石畳を歩いていく。昔には慣れた道中。

 

――――辛かった、思い出したくもない、過去の道の徒然。そんな言葉が浮かんでは消えた。少しどころではなく、気が重い。だから下を向いたのだけど、そこにはミラの瞳があった。こちらを見上げながら、僕に言った。

 

「いい町だな。寂れている部分もあるが、どこか風情がある。人の表情も暖かだ」

 

「まあ、ね」

 

同意する。鉱山の採掘が盛んだった頃は、露店も並んでいたような道だ。夜になれば、それはもう綺麗だったらしい。採掘がなくなり、人が少なくなった今でも宿場町のような雰囲気は無くなってはいない。ああ、いい場所だとは思う。イル・ファンのように華やかではないけど、それでも趣きのある町並みだとは思える。

 

(だけど、それは見る人によって違うんだよ、ミラ)

 

目に映る光景は同じでも、見る人が異なれば感想も違うものになるんだ。例えば、高所恐怖症の人と夕焼けが好きな人。二人がパレンジの樹の上から見える夕焼けに思う感情は、浮かぶ言葉は決して同じものではないように。僕だってそうだ。例えば、今も感じるこの視線のように。

 

すれ違う人。窓から僕を見下げる人。そして向こうに見える見も知らぬガキ達。

その全てが遠い。汚いものを見たかのように、自然と足は遠く、視線さえも向けてこない。

 

「ジュード………」

 

「慣れたさ、もう」

 

レイアに返答しながら、そんな事より急ごうと前へ。ミラは不思議そうな表情でこちらを見ていたが、その視線も振り切って歩を進める。それから、間もなくだった。前方から、歳若い男の集団が歩いてくるのが見えた。向こうは見えてないだろうが、こっちには十分に顔が判別できる距離だ。

 

そして僕よりも5つは上だろう、成人である彼らの顔には酷く見覚えがあった。そう、“酷く”である。それは、絶対に。死んでも忘れられない顔だった。だけど向こうはこちらに気づかないまま、そのまま道の横へと消えていった。

 

「………ジュード? 怖い顔だが、傷が痛むのか」

 

「ある意味でね。でも、今はミラの傷を治す方が先だ」

 

だから、前に歩き続けた。空は相変わらずの快晴だ。クソッタレと言いたいほどの晴れっぷりだ。だが、心の中はいつになく暗雲立ち込めていた。今ならば大雨だって降らせそうなぐらい。それでも、ミラには関係のないことだ。そのまま歩き続け、間もなくして見えてきたのは何年かぶりの我が家だった。信頼厚きマティスの治療院。ル・ロンドで最高と呼ばれる腕は、時にはイル・ファンにまで届いてきた。

 

故にいつものように、診察待ちの患者が外にまで溢れている。お年寄りの人はベンチに、比較的元気そうな人は立って待っている。

 

「ジュード、ここが?」

 

周囲の建物よりひときわ大きく、また特徴的な形式で建てられている建物を見ながら、ミラの言葉にそうだと答える。左奥に見える、レイアの家。この町唯一の宿となったあそこに行って師匠に

 

そう、ここがディラック・マティスと、母さん、エリン・マティスが経営する治療院だ。ちょうど昼になった頃だからか、昼休みに入るらしい。待っている人は順番待ちの札を持たされ、それぞれが家に帰っていく。

 

そして入り口にいた僕を見ると、驚いたのか目を丸く見開いていた。全身にある包帯に驚いたのか、はたまた別の理由か。でも今はどちらでも良いと、視線を無視して治療院に入る。今から昼休みだろうけど、こっちは急患だ。そして急患であれば何においても対応してくれることを、僕は知っている。だから家から出てくる人の間を抜け、家のドアを開けた。

 

懐かしい、木の扉の軋む音と共に扉が開いていく。

 

最初に見えたのは、母さんの姿だった。

 

「ああ、すみません今から昼の――――っ!?」

 

僕の顔を見るなり硬直する。だけど次の瞬間には我に返ると、ざざっと駆け寄ってきた。

そして上から下から、僕の姿を見る母さんに告げた。

 

「ただいま、母さん」

 

「た、ただいまじゃないでしょ!? どうしたのその怪我は!」

 

酷く不安げな表情で、おろおろとしている。瀕死の急患でも見なかった、珍しい様子だった。

だけど、心配はないと答える。

 

「大丈夫だって。ちょっと派手に転んだだけだから」

 

「転んだ、って………」

 

じっとこちらを見て、数秒で表情が変わった。恐らくは、僕の傷の性質に気づいたのだ。数秒で見ぬくあたりが、流石の熟練の医師の業である。ちらりとお客さんを見ながら、すみませんと帰宅を促していた。母さんは、受付に居るおねーちゃんまで少し昼でも食べにいってちょうだいね、と謝りながらも外に出てもらっていた。

 

「ジュード――――説明しなさい。尋常な事で出来た傷じゃないのは、分かってるわよ」

 

母さんは特に、痛そうにしている腕を見ていった。それは一度だけ、あの岩の巨人の一撃を避けきれずに防御した時の傷だ。服をめくって実際に見せると、絶句していた。

 

だけど、心配ないと笑ってごまかす。

 

「心配ないって、貴方………!」

 

「大丈夫だって。ああ、僕は"大丈夫"だって、母さんも知ってるでしょ?」

 

すこし皮肉をこめて、言ってやる。すると母さんは泣きそうな顔をして、一端黙り込んだ。その顔を見ると、胸の奥が軋んだ。ああ、こんな事を言うつもりじゃなかったのに。後悔に、息がつまる。それでも必死で診察を続ける母さんを見ながら、じっとし続けた。

 

しばらくすると、母さんはレイアの方を見て言った。

 

「レイアちゃん………ごめん、お願いするわ」

 

「は、はい。でも………」

 

どこか、気まずいような表情。何故だろうかと、その理由は次の瞬間分かった。

レイアは、そして母さんは僕の身体にそっと触れて、しばらくして告げた。

 

「「活力満ちよ………"ファーストエイド"!」」

 

治癒のマナが身体をめぐる。身体の各所から、脳に訴えていた痛みが徐々に緩んでいく。

だけど完全には治せないようで、しばらくして二人はそっと僕から手を離した。

 

「応急処置は………できたわ。でもジュード、貴方どうしてこんな傷を」

 

刃傷のことを言っているのだろう。そして、身体中のマナのラインが傷んでいるのにも気づいているようだ。僕はミラをちらりと見ながら、はぐらかすように説明した。大勢の山賊が現れたこと。不届き者が、ミラともう一人の少女を誘拐していったこと。苦戦するも、何とか勝利を収めたこと。それでもゴーレムの傷には納得がいっていなかったようで、母さんはこちらを心配そうな顔で見つめてきた。

 

それでも、振り切って問う。実際に――――もう、結構、限界だった。

 

レイアが治癒術を覚えていること、半ば覚悟はしていた。精霊術に関しても優秀で、マナの使い方も母親譲りの才能を持っているレイアだ、覚えないはずがなかったから。治癒術の素養があるとも言われていた、そしてそんな便利な技術を武術家の娘でもあるレイアが習得しないわけがなかった。

 

それでも、想像と実際に目の当たりにするのとではあまりに違う。違いすぎたと言ってもいい。胸の奥を叩く痛みに、頭痛に、そしてまだ物理的に痛む全身に。色々と磨り減っているのだからもう勘弁してもらいたい。痛みには慣れているけど、それでも痛いのはそれだけで疲れるのだ。

 

だから、帰ってきた理由を告げようとしたその時だった。

右手にある大きな扉が開き、中から人が出てきた。

 

「エリン、用意が出来た……………ジュード?」

 

「………ただいま、とうさん」

 

目を逸らしたまま、棒読みで告げる。そんな僕の態度に何を思ったのかは知らないけど、僕と、そして隣にいるミラと交互に視線を向けていた。やがて、顔を顰めるとこちらを見てきた。

 

だけど何事かをいう前に、用意していた紙を懐から出した。そして、ここにミラの容態が書いてある事を告げた。だけど紙には書ききれなかった要因と、解決するのに必要な情報について全てまとめていると説明をした。

 

足の怪我もさることながら、合併症による免疫力低下があったこと。それは栄養価の高い高価な食べ物とアップルグミで補ったけど、今後も十分に注意する必要があること。足が動かない原因の推測も加えた。治療術により神経は繋がったけど、マナの繋がりが途切れてしまっているせいで足が動かなくなっている可能性が高いと。

 

「話は分かった。しかし、まさかお前はあれを使えというつもりか」

 

「それ以外に方法があるなら、そっちを選ぶけどね」

 

一度だけ見たことがある。

同じような症状で、足が動かなくなった人に施した処置を、僕は覚えている。

 

「………エリン、患者を頼む。ジュードはこちらへ来なさい」

 

話があるのだろう。ミラは僕の方を見るが、大丈夫だと視線を返すと頷き、母さんにつれられて奥の方へ去っていった。僕は言われるがまま、父さんの診察室に入る。何故かレイアもついてきたが、今は気にしている余裕もなかった。

 

そして、診察室の中央。椅子に座る父さんは、僕の書いたカルテを読みながら不足していた情報を埋めようと、質問をしてきた。彼女には、体の状態を告知したのか。怪我の要因をもっと詳しく。他に気づいた点はないのか、など。

 

僕は淡々とそれに答えて、最後にこういった。

どうしても、これだけは確認しておかなくてはいけない。

 

「父さんなら、治せるんでしょ?」

 

「………完全には不可能だ。だが、歩けるようになるという意味で治すことは可能かもしれん。方法はある。だが、それ以外の問題点が多すぎる」

 

だから、施術はできん。予想外の言葉に、僕は驚かざるをえなかった。方法はあるのに不可能だと、何故やる前からそう言い切れるのか。問い詰めると、父さんは苛ついたように答えた。

 

「あれは………医療ジンテクスは、お前が思うほど生易しい施術じゃないんだ」

 

そう言うと、問題点をつらつらと上げてきた。その医療ジンテクスとやらは医療用の装置ではあるが、神経に直接繋ぐため、患者は想像を絶する激痛に耐えなければいけないこと。常人にはまず耐えられないほどらしい。そして材料として特殊な石が必要になるが、そのためには鉱山の奥にまで潜らなければいけないこと。

 

だけど、僕は反論した。本当にあれ以外に方法はないということ。そしてミラならばきっと耐えてみせるだろうということ。

 

――――そして。

 

「石が何だか知らないけど、あそこなら僕が行ける、取ってこれるさ! ガキだった"あの時"に行けたんだ、今の僕がいけない道理なんかない!」

 

「っ、ジュード!」

 

そこからは言い合いだった。ミラならば大丈夫だと言い張る僕に、あくまで一般的な観点から駄目だと主張する父さん。やがて、最後にこういった。

 

「駄目だ………諦めなさい」

 

それが限界だった。張っていた何かが切れる音が聞こえ、同時に僕は叫んでいた。

諦めなさいって、巫山戯るなと。

 

「諦めろと――――よりによって父さんが、僕にそれを言うのか!!」

 

床を力いっぱい踏みつけながら怒鳴る。それを聞きつけたのか、母さんが駆けつけてきた。部屋でおろおろしていたレイアと一緒に、僕と父さんを落ち着かせようと言葉をかけてくる。だけど、僕はそんなものを聞いてやるつもりはなかった。そして、父さんは言った。

 

「っ、ハウス教授ならば知っているかもしれん。悪い事は言わん、相談して――――」

 

「ハウス教授は、死んだよ!」

 

最後には、消えて果てて死体さえも残らなかった。そう告げると、3人はぎょっとなって僕を見た。

そこで僕は、失言に気づいた。しまった、今のは言うべきではなかった。

 

「………死んだ、だと? あのハウス教授がか!?」

 

父さんは心底驚いた様子で、問い詰めてくる。母さんは、その時の状況を。レイアの顔は、見えなかった。だけど、真実は一つだ。

 

「ああ、教授は死んだ。僕の目の前で、殺された」

 

そして、これ以上言うつもりはないと口を閉ざした。父さんも母さんも、僕の雰囲気から何かを感じ取ったのかそれ以上は追求してこない。無言のまま、時間が過ぎていく。

 

そんな重々しい沈黙を破ったのは、治療院の入り口の扉の音だった。

 

先生、と呼ぶ声。あれは近所の誰かだったろうか。祖父が屋根の修理中に落ちてしまい、全身を強打。意識がない状態になっているらしい。

 

「………いつもの急患だろ。行きなよ」

 

告げるなり、僕は診察室から外へ。ミラがいる方向へと歩いて行く。残る3人のうち、母さんは急患の元に行った。最後までこちらを気にしていた様子だったけど、医療具が入ったカバンを片手に外へと出て行った。

 

父さんは、追ってこない。そしてレイアは、僕の方を追ってきた。

 

「………ジュード」

 

「答えるつもりはない。僕も、思い出したくないことだから」

 

あの糞な馬鹿王は殴った。だけど、それだけだ。ハウス教授が戻ってくるわけでもない。残された人の思いはどこにいくというのか。それを考えてしまうと、イル・ファンに居るハウス教授の妻子になんと言えばいいのか分からなくなってしまう。

 

だから、今も。レイアに振り向けないまま、じっと立ち止まるしかできない。

 

「………泣いてるの?」

 

「………まさか」

 

レイアの前でなんて、泣いてやらない。だって先生に言いふらされるだろうから。

そう言うと、レイアはふっと笑った。馬鹿らしくない、悲しそうな顔で。

 

「まだ、何だね。まだ、ジュードは………」

 

そこで、レイアは言葉を切った。黙りこんだまま、じっと僕の背中を見ているようだ。そのまま何十秒が過ぎただろうか。いい加減に怒っている場合じゃないとレイアの方に、父さんの診察室がある方に振り返った時だ。

 

ぐわんと、視界が揺れた。そのまま、世界が急速に色を失っていく。あ、れ、と声を出すこともできないまま、自分の体が前に傾いていくのを感じる。そのまま顔面から倒れるコースかぁ、と思ってはいたけど違った。柔らかいようで硬い感触の何かに受け止められたようだ。

 

「ちょ、ちょっとジュード!?」

 

「あー………わるい、も、限界」

 

 

何かに抱きしめられる感触を最後に、視界は闇に閉ざされていった。

 

 

―――――気絶する瞬間、背後から扉が開いたような音が聞こえた。

 

 

 

 


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