ル・ロンドの港町。そこに降り立った私達は、地元の人たちからジュードの実家だっていう治療院の場所を聞いていた。とはいっても、実際に聞いてくれたのはローエンだけど。
「はやくあいたいね~」
「そうだね、ティポ」
頷いていると、ローエンが戻ってきた。
「聞いてきましたよ、エリーゼさん」
マティス治療院は、港と街を隔てている門がある通りを真っ直ぐ道沿いにいった先にあるらしい。私はローエンにありがとうと言って、一緒に向うことにした。
ドロッセルの部下さんに教わって、基本的な戦い方は身についたつもりだけど、まだ危ないからって付いてきてくれたのがローエンだった。教えられた門は、ここからも見えている。歩いてそうかからないらしくて、さあ向かおうとしたその時だった。
空から、何か大きな鳥が羽ばたいているような音。見上げれば、そこにはワイバーンがいた。
「な、なんだあれは!?」
「お、おい、だれかソニアさん読んでこい!」
一斉に周囲が騒がしくなった。魔物が突然街の中に現れたのだから、仕方ないと思う。だけどどうしてか、私にはあの魔物が襲ってくるようには思えなかった。
「後ろに下がっていて下さい、エリーゼさん」
「えー。たぶんだいじょうぶだとおもうなー」
ティポの声に、私も頷く。そうしている間だった。ワイバーンの背中から1人、人間が飛び降りてきたのだ。大きな樹と同じぐらいの高さがあったのに、その白い服を着ている人はすたっと地面に着地して――――だけど勢い余ったのか前に転がって、そこにあったベンチに頭から突っ込んでしまった。
がいん、と痛そうな大きな音がここまで聞こえてきた。
「………生きてる、のかな」
「え、ええ………ふむ、ワイバーンが退いたようですね…………まさか、獣隷術でも?」
ローエンの言葉は分からなかったけど、さっきまでいた魔物は役目を果たしたといった風に、空高くまで帰っていったようだ。一方で飛び降りた人は、あちこち傷だらけになりながらもがばっと立ち上がった。
「つ、つつ………ええい、こんなもの!」
「あ、あんた大丈夫なのかい!? マティスの大先生に見てもらった方が………」
「それだ! 治療院はどこにある!」
「え、ええ? あの門の道を言って真っ直ぐだけど………」
白い服で褐色の肌、銀色の髪をしているジュードと同じ年か、少し上に見えるその男の人は、治療院の場所を聞くなり走っていってしまった。
ミラ様、と私もよく知っているあの人の名前を、大声で叫びながら。
「エリーゼさん」
「うん、いそごう」
私はローエンと顔を見合わせると、あの人を追うように急いで治療院へと向うことにした。
息せき切りながら、走って追いついた先。そこには、治療院らしき建物の前で揉めている人たちの姿があった。
1人は、さっきの男の人。もう一人はヘアバンドのようなヘッドドレスをつけている女の人だった。二人共、町中だっていうのに武器を構えている。何が起こっているのかさっぱり分からないけど、このままだと不味い気がする。
そう思っていると、ローエンが今にもぶつかりそうな二人の間にナイフを投げた。驚く二人がローエンの方を見る。
「………そこまでです。治療院の前で戦闘行為など、非常識ですよ」
「っ、誰だ!」
「武器を構えて名を問うてくる輩に、名乗る名前はありません。まずは落ち着いて下さい」
ローエンの落ち着いた声に、女の人がまず手に持っていた木の棒のようなものを横に向けた。
男の人はローエンと女の人との間に視線をいったりきたりしていたが、ようやく剣を鞘に収めてくれた。
「では、改めて自己紹介を。わたくし、ローエンといいます」
「え、エリーゼです」
「………イバルだ」
「レイアだよ。ってちょっとまって、イバルってミラの………?」
レイアと名乗った女の人が驚いた表情を浮かべていた。そしてイバルという人は、はっとなって大声を上げた。
「そうだ、ミラ様は! ミラ様はどこに――――」
「ここにいるぞ」
治療院の入り口の扉ががらりと開くと、中からミラが出てきた。それも、自分の二本の足で立ちながら。イバルさんはとても速い勢いで駆け寄ると、ミラの前で跪いた。
「ミラ様、ご無事ですか! お怪我をされたと聞いて、不詳このイバル急いで………?」
言葉は途中で止まった。たぶんだけど、ある程度の事情は知っていたと思う。シャール家のおかかえだっていう医者の人が、あれだけ無理だと言っていたから。私も、こんな短期間でミラの足が治っているなんて思ってもいなかった。
だけど、太ももについているあのアクセサリーのようなものはなんだろう。不思議に思っていると、ミラが少し顔を歪めて扉にもたれかかった。
「だ、大丈夫ですか!」
「声が大きいぞイバル。傷に響くし、治療院にいる患者に迷惑だ」
そういえば、ここはジュードの実家なんだった。怪我をしている人も多いだろうから、確かにあのイバルって人の大声は傷に響いてしまうかもしれない。
イバルって人も頷いて、だけどまたハッとなったように立ち上がった。
「こんな、怪我を――――おい女、あの野郎はどこにいる!」
「あの野郎って………ジュードの事?」
レイアって人が治療院の方に振り返る。すかさず怒っていた人が、ミラとレイアの脇を抜けて中へと入っていった。あまりに突然の事で、反応が遅れていた。だけど不味いと察したのか、すぐに走り出し。ローエンはミラの方へ、私はジュードが居る中へと走りだした。
「ちょ、待って、駄目だから!」
「うるさい!」
治療院の中はそう広くなかった。びっくりしている受付の人を置いて、奥の部屋に。そして、勢い良く気の扉を開いて、叫んだ。
「ここ! …………かぁ?」
「な、何ですか貴方は! この部屋には重症患者が居るんです、出て行って下さい!」
白衣を着ている女の人が、すごく怒ってイバルに怒鳴りつけた。そして、その横のベッドには、包帯でぐるぐる巻きにされているジュードの姿があった。
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所変わって、私達はレイアの宿の中に借りた部屋の中にいた。私もまだ足が万全でなく、すぐに治療院に戻らなければならないのだが、このままイバルを放っておくわけにもいかない。
レイアとカラハ・シャールから駆けつけたというエリーゼ、ローエンも居る。
「それで………イバル。どうしてここにいる。どうして、ニ・アケリアから出てきたのだ」
「それは! ミラ様が歩けない程の重症を負われたと聞いて、いてもたっても居られず………!」
「………私を心配してきたのか。その心は素直にありがたいと思うが、私がお前に命じたのはニ・アケリアの守護のはずだ」
「は、はい。ですが、街に行ってみれば手配者があり………心配で馳せ参じました。村の者達も、ミラ様の力になることだと背を押してくれました」
イバルは家族を早くに亡くしていた。だがその後は村全体で育ててもらったということがあり、村長を始めとした村の者達に恩がある早々出てくることは無いと思って守りを託したのだが、それよりも私を追っかけてきたのか。
―――だが。
「ばかもの。そういう事を言っているのではない」
村を守る人間が必要だから、命じたのだ。相手がラ・シュガルの軍であるからにはア・ジュールの奥地にあるニ・アケリアに攻めてくることはまずないだろうが、ハ・ミルの例もある。万が一にもナハティガルに落とされる訳にはいかないのだ。
「ですが………私が居ないばっかりに、ミラ様にこんなお怪我を!」
「これは私の判断ミスだ。ジュードのせいではない」
刺し違えるつもりはあったが、あの場面ではむしろ退いた方が後々に繋がったと思える。
そもそも、捕まったのは私のミスであり、ジュードは我が身を顧みず助けにきてくれたのだ。
よくやってくれている――――という言い方は失礼に過ぎる、むしろ感謝すべきだろう。
イバルも思い込みは激しいが、決してバカではない。あの怪我を見たからには、全てでなくても一部は理解できているはずだ。
幸いにして命に別状はないが、ガンダラ要塞の時の傷が癒えていない内に新たに負傷を重ねてしまったのだ。
ジュードの父親であるディラックが言うに、全治三ヶ月だという。あの怪我も自分で望んだことであり、無茶な戦いを自ら捨てなかった彼ではあるが、原因としては間違いなく私の迂闊さが。私が居なければ、ジュードはあそこまで苦しい思いをせずに済んだのだ。イバルも、ジュードの姿を見ただろう。そう問いかけると、イバルは目を逸らしたまま俯いていた。
「ですが………いいえ、それでも………っ!」
納得はしきれていないようだ。でも、ジュードが居なければ死んでいたか、他の者達が大勢犠牲になったと思われる状況は多い。
「俺ならば………っ、そもそもそんな目にあわせません!」
もっと上手くやれると、イバルが叫ぶ。元来、私の傍役として我が身を顧みず務める従者を、マクスウェルの巫子と呼ぶ。だから、そもそも余所者に任せるのが間違いだったと。
「それに、あいつが約束を持ちかけたんです。ミラ様を守ると、だから――――」
イバルが更に言葉を重ねようとした時だった。何やら外が騒がしいと思ったら、突然入り口の扉が開かれた。
「………お前」
「よう。悪いな、イバルお前の言うとおりだ」
よろよろと、包帯でぐるぐる巻きで患者用の服を着せられているが、声から分かる。それはジュードだった。背後にはエリン・マティスが沈痛な面持ちで見守っていた。
「確かに………約束を守れなかった。イバルの言うとおり、僕から言ったことだってのに」
「そうだ、貴様は………っ!?」
イバルが驚きの表情に固まった。それだけではない、私を含む全員が。
見れば、ジュードの額に巻かれていた包帯から血が滲み出しているのだ。白い包帯が、徐々に赤く染まって、一筋の血液が頬より顎に落ちていく。
それを床に落とさないよう、服で拭うと、中腰の姿勢のままイバルに一歩づつ近寄っていく。
「原因は他にない。約束を破ったのは僕だ。何を言おうと、言い訳だよな?」
「………ああ、その通りだ」
イバルは立ち上がり、ジュードに向かって歩いて行く。そして目の前まで来ると、ぎゅっと拳を握りしめた。
鋭い動作でジュードに踏み込むと、拳を大きく振り上げた。
「ミラ様を傷つけた罪――――お前の身体で贖え!」
殴られるそう思い、私もレイアもエリーゼもそれを止めようとするが、間に合わない。
だけど、恐れていた事は起きなかった。イバルが振り下ろしたと思われた拳はジュードの目の前で止まっている。一方で、ジュードも。この状態でまともに殴られれば、更に怪我を負って危ない状態になるというのに、避けるどころか防ぐそぶりすら見せなかった。
険しい顔のまま見下ろすイバルと、怪我に呼吸を乱しながらも目を逸らさないジュード。
やがてイバルの口から、ぎりっと歯ぎしりの音がした。
「殴るのは、また今度だ………怪我を直したらまた来る。言っておくが、死んで責任を放棄するなどこの俺が許さんぞ」
「ああ。ありがとう、イバル」
「お、お前に礼を言われる筋合いはない! いいから早く殴られるために傷を治せ!」
ちっ、とわざとらしく舌打ちをしたイバルは、振り返ると私に向き直った。
「非常に納得はいきませんが………一度、ニ・アケリアに戻ることにします。ミラ様のおっしゃる通り、守り役は必要ですから」
「あ、ああ。感謝する、イバル」
それと、と。私はローエンに頼んでイバル以外の人を一端部屋の外に出してもらった後、懐に忍ばせていたものを取り出した。
「イバル。これをお前に託す。誰の手にも渡らないよう、守って欲しい」
「これは………」
「私の命と同じぐらい、大事なものだ。四大の命も、これにかかっている」
「ミラ様………そのような重要な役目を………お任せ下さい!」
「ああ。私の故郷と、お前の故郷。そして大事な四大を取り戻す鍵を、あの地で守っていてくれ」
イバルは、深く頷いたあと頭を下げて。そして、窓の外からワイバーンに乗って、ニ・アケリアに帰っていった。
これで一段落だろう。あれは研究所のあの時に奪ってきた、クルスニクの槍を起動させる鍵だ。
あの場所で今もまた作られている可能性はあるが、それでも完成するよりも、今あるものを奪い返されるよりはマシだ。
イバルも、ワイバーンを使役できる。機動力で言えばシルフを使えない私以上のものをもっている。
ジュードを責めようとした所を見ると、まだ視野が狭く思い込みが激しい部分はあるが、私が与えた使命さえあれば全力でそれを防ぐように努めることだろう。
「だが………」
そのジュードの事で聞きたいことがある。今は彼も治療院に戻っていることだろう。助けられた恩はある。だけど、どうしても確認しておきたい事があるのだ。
レイア達を呼んで、部屋の中に入ってもらう。彼女はいきなりやってきていきなり去っていったイバルに少し怒っていた。今にも死にそうな怪我をしているジュードを殴ろうとした事だろう。そういえば、ローエンは止めようとしなかったな。
聞いてみると、「男のケジメでしょう」と言っていた。当人同士で納得しなければいついかなる時でも再燃すると。推測なので、後は本人に確認した方がいいとも。だが、今聞きたいのはもっと別のことだった。
「レイア、聞きたいことがある。ジュードはいつから“ああ”なのだ?」
「えっと、ミラ? ちょっと意味が分からないんだけど」
「自分の事を低く見積もり過ぎている。まるで、自分の命に価値がないと思っているような………無茶な戦術を躊躇なく決行する」
死を恐れない、ということはないだろう。だけど、それ以上に自分の命を疎かにしすぎているような。あの広間で戦った時もそうだった。遡れば、研究所を脱出した後からだ。
国を相手にするというのに、一切躊躇った様子が無かった。決意に足る理由はあったのだろうが、それでもその決意に至るまでの時間が短すぎるように思えた。
「えっと、それは………どうしても言わなきゃ駄目?」
「心配なのだ。それに、事情を知らなければ何が原因で無茶に走るのか分からない」
「わ、わたしも………私も聞きたいです」
エリーゼも聞きたいと、背伸びして主張してくる。同じように、あの怪我を見てショックを受けているようだけど、ジュードが何かを抱えているということも気づいていたようだ。
唐突に激発することがあり、無茶を越えて無謀なレベルの作戦を。だが、その傾向がいまいち掴めないのだ。急に怒って敵の強さと自分の状態に関係なく猪のようになられると、援護や救助をするのが遅くなる。
推測できる部分もあるが、それはあくまでかもしれないといったレベルだ。例えば、胸のあの傷と。そして、鉱山の中で倒したあの巨大な魔物が関係しているようにも思えるのだが。
「ミラは、鋭いね………それだけジュードの事を見てきたのかな」
「助けられた事も多い。それに、あれだけの無茶を見せられれば気にするなという方が無理だ」
それ以外のことも。
「私も………ジュードのこと、知りたいから。私が助けられたように、助けてあげたいから」
「もう………モテモテだなあ、ジュードは」
「お姉さんも、そう見えます」
「レイアでいいよ。で、ひげのお爺さんもそうなのかな」
「ローエンとお呼びください。気になりますね。何より、気付かなかった私の代わりに主の命を救ってくれたのが彼ですから」
エリーゼもローエンも、純粋にジュードの事が心配なのだろう。レイアもそれは分かっているようで、しばらく黙っていたが、自分のスカートを強く握りしめると顔を上げた。
「私も………あの時の事件のこと、全部知ってる訳じゃないんだ。だけど、何に苦しんでいるのかは………」
辛そうに、レイアは少し視線を落としていた。だけど、何が言い難そうにしている。その理由が分からなかったが、ローエンは気づいたようだった。
「ジュードさんが精霊術を使えない、という事なら知っています。私もミラさんも、エリーゼさんも」
「そ………う、なんだ。知って………うん」
それが原因であると。レイアは、それまでとは打って変わっての暗い声で説明を始めた。
「はじめに、ジュードが精霊術を使えないってわかったのは………いつだったかな。うんと小さい時だったのは覚えてる」
それはそうだろう。ラ・シュガル、ア・ジュールに関係なく、このリーゼ・マクシアに生まれた人間は幼少の頃から精霊術の扱いを学ばされる。霊力野を持たない人間は“本来ならば”居ないはずなのだ。そして人々の生活に密着している精霊術を扱うのであれば、早い方がいい。
だけど、ジュードは使えなかった。発動さえもしなかったと、辛そうにレイアが語る。
「出来ないんだよね。あの時………日が落ちて、暗い中でも治療院の裏庭で何度も試していたんだ。でも、ジュードの声に精霊は応えてくれなかった」
あり得ない存在。そして、精霊術というのは誰しもが使えて当たり前の技術なのだ。それを使えない子供が、周囲の人間からどういった視線を向けられるか。マティス治療院はその職業と二人の有能さにより尊敬を集めているが、それを面白く思わない大人だっている。あくまで少数で、大多数がそうではないが。
だけど、逆にジュードと同年代か少し年上の子供達からすれば、マティスの子供というだけで「あら」と笑顔を向けられるような。その上で勉強が得意であり、大人達より褒められることが多かったらしい。それを面白く思わない子どもたちは多かったという。
そこに降って湧いたような、明確な弱点。子どもたちは、ジュードを徹底的に否定して、いじめていたという。また、精霊術を使えないというのは大人達からも奇異の目で見られる。エリンは特に医療術に関しては飛び抜けた者を持っていて、街でも小さな頃より有名だった。
もしかして拾い子なんじゃないかといった悪意ある噂も流れていたらしい。
そして、とレイアが辛そうに言う。
「唯一の例外は………ジュードが優しくしていた女の子数人と、私だけ。同年代の男友達は、いなかった」
「………それは」
ローエンが同意する。彼が何を考えているのか、私も推測できるものがある。
先にジュードの母親より聞いた話であるが、レイアも宿の主人でこの街有数というかぶっちぎりに強い戦力である“ソニア”という、尊敬と信頼を集めている人物の子供である。
そして本人は気づいていないだろうが、十二分に“可愛い”と呼ばれるような女の子であるのだ。苛めの口実と燃料になるのは、必然であった。その頃はジュードも素直で、悪戯ばっかりしていた同年代の子どもたちとは違い、女の子には優しく接していたという。
だからこそ、意地悪をする男の子達よりは、ジュードの肩を持ったと。
「でも………それだけなら、もっとジュードは………」
「何か、あったのだな? 今のジュードに変わる、決定的な事が」
事件、と言った。そして、彼の心の闇が見えるような、胸の大きな傷。レイアも、ここからは全てを知っている訳じゃないけど、と言いながらも説明をしてくれた。
「その頃は、男の子達の間で度胸試しが流行っていたんだって。最初は、街の中の廃墟に行くんだとか、ちょっと危ないってレベルだったんだけど」
徐々にエスカレートしていったという。大人たちは炭鉱が閉鎖されるかもしれない、という状況で子どもたちに目を向ける余裕がなく、子どもたちも無視されては当然面白くない。
様々な要因が重なって、度胸試しはステップアップしていったという。街の中から、街の境界へ。更にそこを越えて森の中、鉱山の奥まで。
そして、大勢から1人へと。
「………モルクって子がね。私とミラとジュードが行ったあの鉱山に………当時は魔物がほとんど居なくて、だから行けるって」
「まさか、子供1人であの場所に!?」
「鉱石の一つでも取ってくれば勝ちってルールだったみたい。だけど二日経っても、三日経っても、モルクは帰ってこなかった」
魔物がいないので戦う必要がなく、ホーリィボトルを駆使して走れば一日で往復できる距離である。なのに、モルクは帰ってこない。そこで、子どもたちはようやく気づいたのだ。自分たちのしでかしてしまった事に。
何とかしなければならない。その状況においての最善の選択と言えば、大人達に助けを請うこと。だけど色々と当時の街は暗澹たる空気が主であって、子供たちもなんとなく理解していた。とても言い出せる雰囲気ではなく、何より大人達には絶対にあの場所には近づくなと言い含められていた所だった。
大人に怒られるのが怖い、だけ、助けに行かないままの方がもっと怖い。でも、大勢で行くのはすぐにバレて、事が明るみに出てしまう。
「その………モルクという子の親は?」
「父親を、事故で無くしててね。母親の人は………そのショックと、元々が病弱な人だったから」
特に心臓が悪かったと。治療院に入院していて、モルクはその間は叔父に預けられていた。だけどその叔父が、街でも有名な飲んだくれだったのだ。
居ないにしてもどこかに泊まりに行っているんだろうと、楽観して特に気にしなかったらしい。そういった背景もあって、モルクもジュードほどではないが苛めの対象になって、だからこそ1人で鉱山に行かされたのだ。
そこで、子供たちは考えた。なら、もう一人の“弱い奴”を――――ジュードを救出に向かわせたらいいじゃないか、と。だけど、ジュードは断った。大人たちに相談するべきだと主張した。だけど、逆らえばもう二度と友達が出来なくなると、ジュード自身も分かっていたのだ。
苛められてはいるが、ジュードも友達が欲しかった。そして、親であるディラックとエリンに対して後ろめたい感情を持っていて。結局は、公明正大にとサイコロで決めることになった。2つを振って、最も小さい出目の者が救出に向うと。
そのサイコロに仕掛けをするほどには、子供たちも知恵は働かなかった。だけど、子供たちの狙いであるジュードは6と6という最高値を出してしまう。
ジュードはそれに安堵して。だけど、当時のガキ大将に言われたのだ。
――――最高値が出たから、お前だなと。そして子供たちの
ガキ大将の参謀役のようなものだったもう一人の子供の、「運が良いから生きて帰れるって」との誤魔化しの主張に。子供たちの総意による圧力に、当時のジュードが逆らえるはずもなかった。
「でも………ディラックさんとエリンさんは、すぐに気づいた。大慌てで救出隊が結成されて………」
そこで、大人たちは見たという。あちこち傷を負って、胸から血を流しつつも気絶していたモルクを背負い、森の中を歩いていたジュードを。
「………ジュードは、鉱山の奥まで行ったんだな?」
「うん、そこで化け物に襲われて、命からがら逃げてきたって言ってた」
それを聞いてミラとエリーゼが怒りに感情を染めていた。当時は魔物が少なかったというが、1人で夜通し歩かされ、暗い鉱山に行かされて怖くないはずがない。その上で怪我をしていたという。そして子供であるジュードが、それほどの大怪我を負った経験など無かったはずなのだ。
「それで………子供たちは、どうした?」
「………親たちに怒られてた。でも…………っ」
忘れられないと、レイアは言う。何故モルクを、ジュードを向かわせたのかという、その発想の根本を尋ねた時に返した言葉だった。
「子供たちは言ったの。自分たちのお父さん、お母さん達が家で………あの子は駄目な子だって。悪口をいっているから、“要らない”子のように思えたから、別に良いと思ったって」
「な………っ!」
「酷い………!」
レイアの悲痛な声で告げられた言葉に、ミラとエリーゼが憤りを見せた。言い分からすれば、親の真似をしたのだ、というのだがそんな話はないだろう。だけど、その子供の事よりも心配なのはジュードの方だった。
嘘をつかれ騙された挙句に死ぬかもしれない向かわされ、恐怖の中で森を越えて。味わったことのない怪我の痛みに、それでも必死で歩いたのだろう。聞けば、背負っていたから歩くのが遅くなり、街道の途中で野宿することになったという。
襲われれば死ぬこと間違いなしの恐怖の中、当時は戦う方法を欠片も持っていなかったジュードがどういった思いだったのか、想像すらできない。
なのに、帰ってきた子供達は。言い訳と、そして。
「今の子たちは知らない。けど、当時ジュードと一緒にいた男の子達だけだったけど………ジュードを責めたんだ。“お前のせいでバレた”って、“要らない子供の癖に”って。そして、モルクは………」
「………友達になった、という訳ではなさそうだな」
「うん。でも………あの直後にジュードは治療院に運ばれたんだけど、その時に何かがあった事は間違いないんだ。けど、その事情は私も知らされてない」
知っているのは当時の治療院の中にいた大人数人と、ソニアとジュードの両親。そして、モルクとその母親と叔父だけ。レイアも、一度だけ母親にたずねたが、答えてくれなかったという。
「でも………多分だけど、ね。その“何か”があったから、エリンさんも大先生も、ジュードに何かを強いることができなくなったって思うんだ」
後ろめたい何かがあるのだろう。だからこそ二人共、ジュード強引に止めることはしなく、また教授の元に行くことを止めなかったという。また、ジュードも二人から距離を置くことになったと。レイアの母であるソニアを慕っているのも、それが原因かもしれないと、悲しそうな顔で告げていた。
「そこから、ジュードは変わった。それとなく、何を思ってるのかとか………何度聞いてもはぐらかされたけど」
死にそうなほどに辛い献身さえも報われなかった、だからこそ。小さいからこそ胸の奥深くに突き刺さった。小さい視界、小さい視点でも。
自分の周囲にある小さな世界であっても、絶対というべきルールがあると、幼いからこそ根底に刻まれたのだ。
――――精霊術を扱えない人間は、何をやっても認められず。
精霊から見放された自分は、大した価値の無い人間なのだと。
その頃、治療院の診察室の中。
ディラック・マティスは急な客人に、警戒心を最大にしたまま対峙していた。
「業、だよなあ。運命って奴は性格が悪い。神様なんてものが居るなら、そいつ悪戯好きだって思ってるんだよ俺は」
「何故、どうして………君が今更私に。もしかして、レティシャさんが………」
「母さんなら変わっていないさ。いや、変わったのかな」
「………アルフレド君」
測るような視線。その呼び名に、茶色いコートを着た傭兵は唇を釣り上げて、言った。
「今はアルヴィン、って名乗ってるんだ。だから…………よろしく頼むぜ、元アルクノアの一員さんよ」