「――気安く話しかけないでくださる?」
冷たい瞳の色を意識して、私は眼前の少女に言い放った。
そんな言葉を投げかけられるとは露とも予想していなかったのだろう。彼女は呆然としたような表情を浮かべていた。
黒いセミロングの、清純そうな雰囲気の少女。クセの少ない髪型と顔立ちをしているのは、やはり“万人受け”する容姿と言えるのだろう。
そんな彼女は、おどおどと不安そうな仕草で、ふたたび私に尋ねてくる。
「あ、あの……わたし、何か失礼なことをしてしまいましたか?」
「……あなた、少し頭が足りないのではないかしら? わたくしと、あなたに、どれだけ差があると思ってますの?」
「差、って……。その、でも……先生も身分にとわられずと言って……」
王都のソムニウム魔法学園に入学直後、教師たちは口々にそのような言葉を述べていた。ここには大貴族から小貴族、もしくは金持ちの平民、あるいは魔法の才を買われた奨学生などが集まっているのだが、階級闘争の類を起こされては学園側にとって堪らないので、そういう“建前”を立てているわけである。
もっとも実際は、学生に派閥ができることをとめるすべはない。だからこそ、“ゲーム”ではヴィオレが大貴族の女子グループの長となって、小貴族の主人公――アニス・フェンネルを侮蔑し、いじめていたわけである。
だが――なんとも健気なことに、このアニスという少女は私と仲良くしようと声をかけてきたのだ。泣けてくるね。なんて良い子なのだろう。
だから、私は彼女に言ってやるのだ。
「おーっほっほっほ! まさか、あんな建前を本気にするなんて! とんでもなくおめでたいのね、フェンネルさんはッ!」
心底、馬鹿にするような感情を込める。われながら素晴らしい演技ではなかろうか。
「このオルゲリック侯爵家のわたくしと! どこの馬の骨とも知れない子爵家のあなたが! 対等に付き合えると思っているのかしら? 本当に笑ってしまいますわ」
辺境を支配している領主の家柄、というのは貴族の中でもトップクラスの地位にある。なぜなら、隣国と接する自国の重要な防衛線でもあるからだ。国に帰属し忠誠を誓っているとはいえ、辺境侯爵家はほとんど独立国にも近い権力を持っていた。はっきり言ってしまえば、そこらの実力が伴っていない公爵家よりも“格上”である。
「どうせ、格式高い家柄のわたくしに取り入ろうと思って声をかけたのでしょうけど……残念でしたわね? わたくし、あなたのような下賤な方とはお付き合いしませんの」
「そ、そんなことは――!」
いや、知ってる知ってる。本当に仲良くなりたい一心で話しかけているのだ、アニスちゃんは。くぅー、純真すぎてハグしてあげたいくらいだよ。
などと気持ちの悪いことを考えながら、まったく別の振る舞いを表に出せる私は、伊達に十数年もヴィオレを演じているわけではなかった。
「――もうよろしくて? さようなら」
ぴしゃりと告げて、私は彼女に背を向けて歩きだした。たぶん、彼女は泣きそうな顔になっているのだろう。ゲームの時と同じように。
なぜ、わざわざこんな仕打ちをするのか――
というと、単純に彼女を私のそばに近づけたくないからである。あの子はいちど仲良くなってしまうと、しつこいくらいに友達を気に掛けるタイプなのだ。べたべた纏わりつかれると、私としても邪魔である。
あとは“ゲームどおり”のシナリオに寄せたいという考えもあるのだが、ヴィオレが私な時点で思いっきり軌道がズレているので、どれだけ効果があるのかはわからない。まあ期待もしていないが。
――主人公の働きに任せる、などとは思っていない。
私は、私自身の力で、できるだけ良い方向を模索すべきなのだ。
「……下手な尾行ですこと」
私は廊下を歩きながら、後ろをつけてくる気配にくすりと笑った。
たぶん、こちらに物申したいことがあるのだろう。大した話でもないだろうが、この際だからきちんと言葉を交わしておくのも悪くない。
中庭に繋がる通路まで来たところで、私は振り返った。
その人物は、びくりとした様子で立ち止まった。
「わたくしに、何か用事かしら?」
「あ、いや……まあ……」
困ったような顔で、茶髪の頭を掻きながら、同年代の青年は曖昧な返事をした。
「はっきりしない殿方は嫌われますわよ? ――こちらで話をしましょうか」
私が中庭に歩を進めると、彼は少し驚いた様子ながらもついてくる。
「――てっきり、“格下”の相手には付き合わないと思ったが」
「あら? ヴァレンス公爵家でしたら、話くらいはしてさしあげますわよ」
「話くらい、か」
「ええ、話くらいだけなら」
婚約者のはずなんだけどなぁ――とヴァレンス家の次男たるフォルティス・ヴァレンスは、苦笑交じりにぼやいた。
周囲にひと気が感じられなくなったところで、私は立ち止まって彼を見据えた。
身長は平均的で、中肉中背といった体格。顔立ちはわずかに少年の面影を残しているが、気さくでトゲのない雰囲気は、女性からさぞモテるだろうという印象を抱かせた。
眼前の青年は、ヴィオレの婚約者――であると同時に、アニスにとってはメインヒーローに当たる存在である。
――なぜヴィオレがやたらゲーム中で死ぬのか。その答えはもうおわかりだろう。婚約者が死んでくれたほうがシナリオの都合がいいし、別ルートでも寝取られ感がなくていいからね。しょうがないね。
「それで? どのようなご用件ですの?」
「いや……さっきのだよ。なんで、あんなこと言った?」
「あら? わたくし、何か変なことを口にしました?」
「――あのな、あんな暴言を吐いたら気品を疑われるぞ。お前の評判が悪くなりゃ、婚約者の俺の名誉にもかかわる」
なんという真っ当な指摘であろうか。
親が勝手に決めただけの婚約であるが、それでも私とフォルティスには極めて重大な関係性がある。私の名誉が損なわれるのを恐れるのは、彼にとっては当然のことなのだ。
「――なら、婚約を破棄してはいかがかしら?」
だから、私はそう言った。
フォルティスは一瞬、間の抜けた表情をしたが、すぐに正気を疑うような目の色を浮かべて応える。
「はあぁ? 親が決めたことだろうよ、俺たちが勝手に破棄できるか」
「随分と古臭いものの考えですのね。大事なのは当人同士の気持ちではなくて?」
「恋愛小説の読みすぎだぞ。平民ならまだしも、俺たちのような貴族だとそうもいかないさ」
やはり、この男は道理を弁えた人間である。ゲームでも常識的な思考と言動で、主人公を助けてきただけのことはある。
まあ、こんな常識人だからこそ、婚約者を持ちながらアニスに惚れていく中での葛藤がよいのである。私はきみのことが好きだぞ、フォルティスくん。
……こうして実際に目の前にしても、恋愛感情なんて微塵も湧かないけど。
ようするに、ストーリーとして面白くて登場人物として好きなのであって、自分が当事者となったら話は別なのである。
「――わたくし、あなたのような人は嫌いですの」
唐突でも構わず、私はフォルティスにそう伝えた。
実際に婚約破棄に持ち込めるかはわからないが、少しでも彼から嫌われておきたい思惑があった。私ではなくアニスと仲を深めてくれたら、ある程度はゲームと似た展開となって先のことが予測しやすくなりうる。それに、こんなふうに付きまとわれて“無駄話”に花を咲かせることは御免だった。
――私にとっては、時間は貴重だから。
「……そう、はっきり言われると傷つくな。参考までに、どの辺が嫌いなんだ?」
フォルティスはわりとショックを受けていそうな様子で尋ねてきた。女性から好意を示されたことはあっても、敵意を向けられたことはなさそうな人物だから、意外と心に刺さる言葉だったのかもしれない。
私は彼の目を見つめて、笑みを浮かべた。
「だって、あなた――弱いでしょう?」
「……は?」
「わたくし、弱い殿方と付き合うつもりはありませんの」
フォルティスがもし武道の達人だったら、その教えを乞うために時間を割いて付き合うのもやぶさかではなかったが――
今の私に必要なのは、強さだった。どんな障害が立ちはだかろうとも、それを打ち壊して進む、圧倒的な力。それを手に入れるために、私は尽力しなければならなかった。
「おいおい……。いちおう、これでも騎士称号を得られるように、小さい時から訓練してるんだぜ。そこらの学生よりかは圧倒的に強いと思うんだが」
フォルティスの反論は正しかった。
魔法を使いこなし、一定のレベルに達した魔術師は王国から“騎士”の称号が得られる。貴族にとって騎士であることは名誉であるし、平民でも騎士になれば俸禄が授与され、貴族に準じた扱いを受けられる。それゆえに、騎士を目指して努力する者は多かった。
そんな騎士志望者の中でも、貴族として幼少から恵まれた環境で修練を重ねてきたフォルティスは、学園でもトップの実力者であることは間違いないだろう。
――彼は強い。
だが――
「私よりは弱い」
口調を忘れても気にせず、私は地面に転がっていた石を右手で拾い上げた。人差し指と中指の二指で、第一関節の間に挟み込む。
指の太さの二倍くらいある直径の石を、掲げるように見せつける。いつもの白手袋を装着しているから、彼の目からもはっきりと確認できるだろう。
「何を……」
困惑した彼を無視して、私は小さく息を吸った。
わずかな“気”が、体内を巡る。
だが、今はその程度の量でも十分なほどだった。
肉体に存在する気を操り、右手の先に集中させる。腕を伝い、手首を通り、先端の二指へと。
そして私は力を込めた。
「――――」
息を呑んだ彼の顔は、信じられないものを目の当たりにした様子だった。
そこにあるのは、恐怖か戦慄か。どちらにしても、私にとっては好意と対極の感情であれば構わなかった。
粉々に砕かれた石の欠片を、私は手袋から払い落とすと――
「……ッ!?」
今度は、息を呑む暇すらなかったのだろう。
二メートルほどの間合いは、私にとってはゼロ距離に等しい。油断していた彼には、おそらく相手が瞬間移動したように見えたはずだ。
私は、彼と密着していた。
まるで、秘密の逢瀬で抱き合う恋人のように。
お互いの胸が当たっていた。
そこから伝わる鼓動は、相手が生きている証であった。
「……その気なら、あなたの心臓を抉れたわよ」
かつてデーモンがヴィオレの胸を貫いたように。
今の私がフォルティスの胸板を打ち抜くのは、赤子の手をひねるよりも簡単だった。
彼の耳元でささやいた私は、くすりと笑うと、そっと体を引き離した。
冷や汗を流したまま硬直しているフォルティスに向けて、私はいつもの調子で言い放った。
「この、わたくし! ヴィオレ・オルゲリックと付き合いたかったら! もっと精進することですのね! おーっほっほっほっ!」
馬鹿みたいな高笑いをしながら、私は彼に背を向けて歩きだした。
私は忙しいのだ。やるべきことが山のようにあった。
――体を鍛え、技を磨き、強さを得る。
進むべき道は遥か遠くまで続き、終わりなどない。武の道とは、そういうものなのだ。
――私は進みつづける。
背後で私の名を叫ぶ声が聞こえても、けっして振り返ることはなかった。