その日、私はいつもの椅子に座らず、その近くのソファに横たわっていた。正確に言えば、座らなかったのではなく、座れなかったのだ。
「アァ……、ウゥ……」
こんな罰当たりな日は、久しぶりかもしれない。
*
昨日から寝不足である。確かに、こいしと共に帰った後は、早く寝ようと思って風呂に入り、日記をつけてから就寝した。しかし、しばらくして、こいしが何時もの様に「悪夢を見た」とかでベッドに入り込んできたので、安心させるために優しく頭を撫で、あやした。普段なら、これで寝付いてくれるが、この日に限って、それに手こずってしまった。翌朝、妹に起こされて、彼女の身の回りのことを済ませ、出かけるのを見送ってからまたベッドに戻った。
再び目が覚める。それは、腹痛による目覚めだった。
(うわ……、最悪な目覚めなんだけど……)
そう思って体を伸ばすと、両足のふくらはぎに激痛が走った。あまりの痛さに、
「ヴゥッ!」
と、私は思い切り悶絶してしまった。
今日は何もやる気が起きなくなった。腹痛も、徐々に大きくなっていく。私は、昨日の夕食を思い出してみた。
(昨日は和食だったはず……あっ)
私は、腕を目に当てた。
(刺身か~……)
痛みが多少引いてきた。ここで私は発起して、取り敢えずいつもの図書館に行こうと試みた。まず、自身で浮遊しようとしてみた、が……、
「……ヴゥッ、アァ……ッ!」
それは、却って足の攣りが酷くなる結果を生んだ。しかし、私は諦めない。
(そうだ、能力を使えば……!)
すぐに、
「巨腕『十二柱の巨人』」
を発動し、鎖の右腕を作り出す。それをドアノブに向かって飛ばす。腕に対してドアノブが小さいので、人差し指を器用に使って、これを下げる。……壊さずに開けることができた。
次に、私は部屋から出る方法を考えた。これに関しては、すぐに思いついた。……ドアを開けたことでできた縁を、腕でしっかりと掴み、一気にそれを引き込んだ。廊下の壁にぶつけてしまうような捨て身の作戦だったが、今はそんなことを考える暇はなかった。当然、私は全身を壁に強打する。
(痛ッ……!後は……図書館へ飛ばすだけ……)
痛みに耐えつつ、掴めそうな場所を探す。しかし、廊下にそのようなものは見当たらない。
(しょうがない……。石壁に穴が開く程度なら……)
私は腕を解き、2本の鎖を、図書館のドアを外すようにして、鎖を正面に飛ばす。……木材を射抜く音が響かなかった辺り、しっかりと壁に刺さったようだ。引っ張って安全を確認し、鎖を引き込む。案の定、ドアにぶつかる。しかも、ドアノブにだ。しかし、
(やった……!図書館だ!)
達成感に浸っていた私には、眼中にない。
あとは簡単だった。鎖でドアノブを引き、また石壁へ鎖を飛ばして、調整してソファによじ登るだけ。ついに図書館に到着したのだ。
*
達成感が冷めるも、腹痛と足の攣りは治っていない。足の攣りは、二度食らうと早々痛みは引いてくれない。下手すると一日かかる。
(今日は安静かぁ……)
じゃあ諸々はペットに頼もうかしら、と考えていると、ノック音が聞こえた。
「はいはい」
この時間の来訪者は、大体決まってた。
「お邪魔します……て、何に魘されてるんですか、ぬし様?」
言うまでもなく、ピースである。
「魘されてる……って、もしかして、音漏れてた?」
「えぇ、ドア少し空いてましたし」
しまった、と私は恥ずかしく感じた。
「足が攣ったのよ。運動不足が祟ってねぇ……」
私は空笑いした。しかし、ピースは満更でもない様子だ。
「え、ていうことは今日一日は動けないっていう事じゃないですか。私がぬし様を手伝いましょうか?」
彼女は、私の手を優しく握ってそう言った。
「……えぇ、お願いするわ」
そう言うと、ピースはすぐ図書館に備え付けたキッチンへ向かい、料理をし始めた。見ると、時計は既に12時を過ぎていた。
(もう昼時なのね……)
だが、腹痛のためか、食欲は全くない。良かれと思って調理しているのだろうが、私には必要ない。彼女に断りを入れようか、入れまいか。そう考えているうちに、彼女が私の方に戻ってきた。
「上手に出来たかは、自身ありませんが……」
そう言って、私の前に1つのお椀を置かれた。私は、起き上がって確認する。見ると、そこにはトロトロに煮込まれたお粥が入っていた。
「さっきから、ずっとお腹を摩っていたので、もしかしてと思って……」
ピースは、私の体調を見抜いていた。
「あ、ありがとう……」
意外な対応に、私は驚きを隠せない。しかし、それは心地よいものだった。
差し出された木材のスプーンを使って、温かいお粥を掬って口に入れる。あっさりとした出汁味で、病人(?)には優しい食事だ。具材には、卵の他にホタテの貝柱が使われていた。
「ホタテの貝柱ねぇ。いいアクセントじゃない」
誉め言葉しか見つからなかった。
「キッチンにあった『ほんだし』って、便利ですね!今日ご主人様に教えようかなぁ……」
そう言って、ピースはもう一つのお椀を手に取り、スプーンを持って食べ始めた。
「あなたって意外に料理とかするのね。驚いたわ」
「えぇ。興味があって、週に何回かはご主人様に教えてもらってるんです!」
ピースは、誉められて体を横に揺らす。何とも微笑ましい光景だ。
スプーンは、自分でも驚くような速さで進んだ。腹痛は、行くも地獄、退くも地獄。どうせなら、行ったほうが解決が早い。これは、その起爆剤だ。
お粥は5分足らずで完食した。
「どうですか、お腹の調子は……?」
「えぇ、だいぶ楽になったわ」
実際に、腸内が回り始めた感触はあった。足の攣りも、辛うじて歩けるくらいには回復した。私は、ゆっくりとソファから起き上がり、重い足を引きずって図書館を出る。
「さて、長い戦いに赴こうかしら……」
10分くらいかかったのであろうか、長い戦いからついに脱すことができた。
図書館に戻ると、ピースが私の机上を整理していた。
「あ、机の上が散らかってたんで……つい」
「だ、大丈夫よ。むしろ、ありがたいわ」
日記は引き出しにしまってあるし、他に隠すものもない。ガサツだったので、助かった。
「では、続けてますね。……ぬし様は休憩しててください」
「え……いや、もうだいぶ調子が戻ってきたんだけど……」
「安静が一番です」
言葉が詰まる。このまま、あの妖精に家事云々を任せてよいのだろうか。――いや、考えるのは止めよう。お言葉に甘えて、私は少し彼女に甘えることにした。
私は、ソファ前のテーブルに指をさす。
「じゃあ、ここにある本を片付けてほしいな~」
「分かりました!」と言ったのと同時に、数冊本を積んでから、本棚へ戻していく。
「適当に入れてっていいから」
迷いを無くすよう、念を押す。
しっかりと意が通じたようで、ピースは問題なくやってくれた。彼女が、近くにやってきて、
「できましたよ!」
と、脱帽して顔が迫ってきたので、
「そう……、ありがとう」
と、頭を撫でた。やはり、思わず笑みを浮かべてしまう、綺麗な髪だ。
(こういう日も、悪くはない……)
*
図書館の読書スペースは、十分に綺麗になった。
「……今日は、本当に助かったわ」
私は、少し起き上がり、再度礼を言う。すると、ピースが妙なことを言った。
「いえいえ、ぬし様は、ご主人様たちと同じ“家族”ですから!」
「はて?」
私は疑問に感じた。一応、一つ尋ねてみる。
「それは、私
ピースは、首を横に振る。
「フフッ、何言ってんですか~。妹さんもですよ」
「そう……、なら良かった」
どうやら、杞憂でしかなかったようだ。
時計を見ると、既に5時を過ぎていた。
「そろそろ帰ったら?もうそろそろこいしも帰ってくるし。きっと後はやってくれるわ」
「そうですか。では!」
ピース脱帽したまま礼をして、図書館を後にした。ドアが閉まったのを確認し、私は、また寝込む。
「本当に……よくできた娘ねぇ……」
11月7日
ピースに悪いことをしてしまった。物事を色々やってくれて。おかげで机もだいぶ綺麗になった。ご主人さんの教育かな。
……菓子類を揃える必要があるな。別に地霊殿菓子まみれにしても、怒る人もいないし。