クソゲーの『悪役』令嬢と『デーモンスレイヤー』   作:傘花ぐちちく

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第十三話 燃え尽きる星の願い

 

 人気のない路地。

 

 静まり返った夜の中でペルティアは一人思考する。

 

(引き離された……いえ、そうじゃないわ。彼は私を逃した、足手まといだから――)

 

 巨大な爆発音。

 

 彼女の思考を遮って突如鳴り響いた音は、アズと居た北の方から聞こえたものであった。

 

「何っ!?」

 

 ペルティアが音の方を向けば、闇夜の中に悍ましい巨大な影が二つ浮かび上がっていた。

 

 一方は――筆舌に尽くし難い醜悪なナニカの集合体で、無数の命を持つように蠢く肉の柱であった。

 

 一方は――四頭八腕八脚の、悪魔に似た幽星(アストラル)体を持つ化物であった。

 

 魂さえ凍り付くような化物達の出現に、彼女は心砕かれまいと必死に耐えた。

 

 蠢く柱から空恐ろしい存在(・・)が放出され、ペルティアは底知れぬ悪意と無限の絶望に屈服しそうになる。

 

(あんなのに敵うわけが、勝てるはずが……)

 

 その時、アズの言葉がペルティアの中で駆け巡る。

 

 ――旅は終わりだ。

 

 ――ひたすら西へ。

 

 ――化け物とヒトが共に歩むなど。

 

 ――見せたくなかった。この俺の最も醜き姿を。

 

 ペルティアは自分の太腿を拳で殴りつけ、己の不甲斐なさを叱りつけた。

 

 彼の言い知れぬ深い悲しみが垣間見えたというのに、野望がようやく始まる所だと言うのに、弱さ故に何も出来ない自分に心底怒った。

 

 それと同時に、彼から感じた諦観に激怒した。

 

 やはり、アズは自分をみくびっている――と。

 

(絶対に逃げ帰って堪るものか。戻ってきたら、兜を脱がせて一発ぶん殴ってやるわ!)

 

 ペルティアはギルドへ走った。

 

 夜の街をあっという間に駆け抜ける、凄まじい戦いを繰り広げる二柱を背に。

 

 龍の咆哮が轟いた。邪神の嗤い声が不気味に響いた。肉を打つ鈍い音が何度だって聞こえた。

 

 爆発音は無数で、ペルティアは流れ弾がいつ来るのかとヒヤヒヤしながら走った。

 

 しかし、南を背に彼は戦っている。

 

 街を、人を庇っている。

 

 自分が今何をすべきなのか。彼を助けるために、ペルティアは頭を回転させはじめた。

 

 アズが「逃げろ」と言った以上、街が壊滅する何かが起こるに違いないのだから。

 

(彼があそこで抑えている限り、余波や《召喚》はこちらに及ばないと考えていいわ。だけど私達は居るだけで邪魔ね。

……人を南区へ避難させて、中央で防衛線を張る。カオスゲートは足がかりとして必須、ここが落ちれば計画は復興から始めなくちゃいけない。

これ以上、私から奪うなんて絶対許さないわ)

 

 紅い風が黄金の尾を引いて街を駆け抜けていく。

 

 その足取りに迷いはない。

 

*

 

 宴会会場であった東の冒険者ギルドには、小さな明かりが灯っていた。

 

 “藍紫”のパーティー“愛の星”を中心に、ベテランの冒険者達は卓を囲って各々意見をぶつけ合っていた。

 

 彼らは「何があったか分からないが、とんでもない化物が現れた」という共通認識があり、戦うか逃げるか選択を迫られていた。

 

 

「やはり戦うべきだ!」

「ああ、私達はここに残る」

「戦うって……アレに勝てると思うか?」

「だからといって逃げてどうする。“厳冬期”がもう二日以内には来るんだぞ?」

「俺たちだけなら、一日あれば逃げられるがなぁ……」

「二十五万人を見捨てたクソ野郎になっちまうぜ?」

「評判が地に落ちる。マトモに生きていけなくなるな」

「じゃあ黙って死ねってか? 冗談じゃない、化物同士で内輪もめしてる間に逃げるべきだ」

「その通りだ! ここは引いて、人類全体で戦うべき相手だ!」

「情報を残すのは重要だ。あの化物具合なら、多少は気を遣ってもらえるぜ」

「それなら住民を連れて行かないと説得力がないわよ」

「……足の遅いのが居たら間に合わねぇぞ」

「弱った片方だけでも倒せれば、まだ言い訳の余地は……」

「誰がやるんだ? その役」

「……」

「……」

 

 ギルドの職員も起きているが、命令できる立場の人間が居ないため行動に移せない。

 

 中級冒険者達は眠りこけており、距離が離れていることもあって異常事態に気付いていない。

 

 しかし、彼らは何か行動を起こさなければならないという焦りに支配されていた。

 

 彼らの総意は、消極的な逃走に天秤が傾きつつあった。何かきっかけがあれば、彼らは別の都市へ一目散に逃げていくだろう。

 

 その時、ペルティアが扉を蹴破る勢いで中に飛び込んできた。

 

 彼女はろくに確認もせず馬鹿みたいに大きな声で叫んだ。

 

「全員起きなさいッ! 今すぐ戦いが始まるわよ!」

 

 ビリビリと肌を揺らす声。

 

 寝ぼけ眼の冒険者達は驚いて椅子から転げ落ち、深刻な顔をした冒険者達は彼女を歓迎した。

 

「やっと来やがったな、ペルティア。どこ行ってたんだよ?」“藍紫”の戦士バルライカが完全武装で出迎える。

「時間がないの、今すぐ説明を始めるわ」

「何か知ってるって感じだぜ? 他の連中が起きるのを待ってから――」

D(ドラゴン)の2よ! ブレスが来る防御ッ!」

 

 マリメラの言葉を遮ってペルティアの怒号が響く。

 

 バシュタールの戦いで飽きるほど聞いた命令に冒険者達は半ば反射的に飛び起き、机をひっくり返して遮蔽にしたり防具をそのまま盾のように構えた。

 

 全員が全員、死ぬほど焦って心臓をバクバクと鳴らす。耐性なしにブレスを喰らえば死ぬ。酔っ払った状態ならなおさらだ。

 

 緊張した面持ちの冒険者達は、ブレスが来る瞬間を冷や汗をかきながら待っていた。

 

 しかし、ペルティアは咲くような笑顔を浮かべて沈黙を破った。

 

「全員起きたわね。緊急事態よ!」

「冗談が過ぎるぜ……」

「机をどかして全員集合! さっさとしろ!」

 

 バルライカが気を利かせて指示を出すと、場の空気に呑まれた冒険者達がテキパキと行動してペルティアの周りに集まった。

 

 ペルティアを除いた総勢百五十四名。

 

 ギルド内は十分なスペースがあるにも関わらず、全員肩が触れ合いそうになる距離まで詰めていた。

 

 ペルティアは椅子の上に立って全員の顔を見渡すと、少し間をとってから話し始めた。

 

「今、このカオスゲートに未曾有の危機が迫っているわ。外を見れば分かるでしょう、北区で“邪神ニャルラトホテプ”が召喚されたわ」

 

 空気が張り詰め、一気に緊張感が高まる。

 

 冒険者達は皆つばを飲み、次の言葉を待った。

 

「……しかし、“紫白”の“針鼠の肉屋”の――アズが戦っているわ。状況は貴方達の想像より絶望的ではない」

 

 僅かな動揺はあったが、すぐに収まった。

 

 皆が沈黙し、彼女の声が響きやすくなっている。僅かに放たれるペルティアの自信に満ちた存在が彼らを落ち着かせる。

 

「邪神は遠からず倒される。けれども、街の北から魔物が押し寄せてくるわ。我々は断固として侵略を阻止し! 住民を守らなければならない! でなければ明日は無い。“厳冬期”が迫る中、この困難な状況を打破できるのは我々しか居ない!」

 

 真紅の瞳が冒険者一人一人の心を射抜く。

 

 彼らの頭の中で、市民を見捨てて逃げたい後ろめたさと、街を救える唯一の人間という使命感が、ようやく天秤に掛けられた。

 

「報酬は私が保証するわ。働きに応じて望む物を。金、武具、霊薬、アイテムでも城の権利書でもいいわ。一人辺り、二十万ジェムは保証しましょう」

 

 冒険者が色めき立つ。

 

 ペルティアは機を逃さず声を張り上げた。

 

「この依頼を受ける者は、武器を掲げて応えよッ!」

 

 一拍の沈黙。

 

 まず最初に叫んだのはバルライカだ。

 

「あんたに着いてくさ! 逃げても負けても地獄なら、ここで勝つ!」

 

 “愛の星”が名乗りを上げると、他の超級もそれに続き、次いで上級、中級と呑まれていく。

 

『ウォォォオオオオオオオオオオオオオオッ!』

 

 野太い歓声が建物を揺らし、ビリビリとペルティアの鼓膜を痺れさせる。

 

 彼女はそれを一通り聞いてから、

 

「――よろしいッ!!」

 

 誰よりも大きな声でピタリと鎮める。

 

 各々得物を下ろし、彼女の言葉に耳を傾けた。

 

「では作戦を説明するわ。我々はこれより、市内を横断する壁でバリケードを形成する! 東西の端は北寄りに、中央で南に寄せて器型の防護壁を築くわ。この場に測量ができる者は居るかしら?」

「は、はい!」

「おれ出来ます!」

「私もっ!」

「三人ね。丁度いいわ、名前は?」

「ピエールです!」

「マッシュ!」

「ネクティモです!」

「覚えたわ。作業は《壁生成》の魔法棒を用いて三×三メートル――三重三個積みの壁を作るわ。詳細は後で詰めましょう。では次、足の速い者は居る? ……よろしい、こっちへ寄りなさい」

 

 集まった九名の冒険者に名乗らせて、サラサラと紙にペンを走らせながら指示を出す。

 

「今すぐ市長館と教会、西のギルドに伝令を出しなさい。魔物が出る可能性があるわ、三人一組で、命に換えても届けなさい。カオスゲートの命運が貴方達に掛かっているわ。返事を受け取ったら戻ってきなさい、成し遂げられると信じているわ」

 

 ペルティアは三通の手紙を渡し、それぞれ行き先を指定して冒険者を走らせた。

 

「残った貴方達には戦いが待っているわ。私からの指示があるまで英気を養って頂戴。ピエール、マッシュ、ネクティモ! ギルドのアナタ(職員)、あと“愛の星”の五人もこっちに寄りなさい」

 

 十人は机を囲む。

 

「早速だけど……」ペルティアが職員を見る。

「私はタイマネルムと申します」彼は簡潔に自己紹介をした。

「タイマネルム、カオスゲートの詳細な地図はある?」

「ありますが……許可なしには持ち出せません」

「責任を取るわ。私が脅したことにしなさい。今すぐ地図が必要よ、十分の遅れが千人の命に関わるわ……持って来られる?」

「…………はい! 街をお願いします」

 

 タイマネルムが階段を駆け上がるのを見送ると、今度は別の紙を取り出して簡易的なカオスゲートの地図を書いた。

 

 カオスゲートは、直径五kmの広大な土地が迷宮壁と煉瓦に囲まれて出来た都市だ。街を東西に貫く大通りがあり、通りから北寄りの中央には教会の鐘楼(しょうろう)、市長館、食料庫など重要な建造物を囲む壁がある。

 

 カオスゲートは大円と小円で成り立つ二重壁の都市と言えよう。

 

 ペルティアは円を描き、通りと邪神の大まかな位置、ギルドの位置を記載した。そして南にくぼんだ曲線を、大通りの端の辺りだけがはみ出るよう簡易地図に描いた。

 

「私は、街を横断する器型のバリケードを設置したいと思っているわ。市民から志願者を募って《壁生成》の魔法棒を配布、私達も含めて突貫工事で仕上げる、以上。質問は?」

「はい」

 

 “愛の星”の神官ヒンメルが手を上げた。運命神バーラフバに仕える“藍”の冒険者だ。

 

 種族はヒト、上背はペルティアよりも一回り大きく、短く切り揃えられた緑の髪は風を連想させる。運命神から賜ったという魔法のブーツは運命を変えるとまことしやかに囁かれており、その“幸運”にあやかりたいと願う者は多い。

 

「まず、それだけ大規模なバリケードを築く場合、《壁生成》の魔法棒が少なくとも四万五千回分必要です。それだけの資源は無いと思いますが何か案があるのでしょうか?

 

 第二に、市民・初級冒険者を首尾よく集められたとしても、設置時間が掛かります。千五百人を集めても一時間以上は必要でしょう、これの解決策はありますか?

 

 第三に、魔物の召喚があるそうですが、工事中の安全確保はどのように行いますか?

以上です」

 

「分かったわ。《壁生成》の魔法棒は自宅に五百キログラム分あるわ、不足分はギルドにある混沌核(カオス・コア)から供給しましょう。それで足りる。

 

 次、初級冒険者はこの街だけでも千人は居る筈よ。残りの五百人は人口的に見込めないわけではない。特に、カオスゲート市民は都市の成り立ちからして郷土愛が強いわ。その点を考慮しても二千人は集まると考えている。

 

 次、知っているとは思うけど、魔物は敵意を向けてくる強い存在に惹かれる性質があるわ。私が中央で魔物を食い止める。“愛の星”にも手伝ってもらうわ、それで時間を稼ぐ。

 

 さて、他に質問はある?」

 

 ペルティアが顔を見渡すと、“愛の星”の斥候キットが手を上げた。

 

 彼女は小人族と見間違うほど背の低いヒトで、髪は焦げ茶色。鋭い目つきでペルティアの顔をジッと観察している。

 

「あんたの“戦咆(ウォークライ)”を疑うわけじゃない。バシュタールで散々証明されたからサ。でも、街全域に“存在”を飛ばせるのかい?」

 

 存在(レベル)の揺らぎで空間を波立たせ、声を乗せて遠くまで指示を出す技術を一般には“戦咆(ウォークライ)”と呼ぶ。戦場で、前線で、死線の中で静かに聞こえる声こそ兵士に示す道標であり、貴族や指揮官に求められる技術である。

 

 しかし、ペルティア一人で保たせるにはカオスゲートは広すぎる。

 

「街全域に長時間は無理よ。短時間に二度三度が限度ね。夜通しで戦うなら三人以上は“戦咆(ウォークライ)”ができるといいわ」

「今年はバシュタールに王国軍が来てないから……」

「指揮官に心当たりがあるわ。ダーリニッツ!」

「はっ!!」

 

 冒険者の中から一際大きな返事がする。芯の通った男の声だ。

 

 ダーリニッツと呼ばれた男はキビキビと彼女たちの前に現れた。“青藍”の認識票を下げ、背筋をピンと伸ばした偉丈夫だ。顔に皺が寄りやや老けて見えるが、髭を剃り小綺麗に整えてある。冒険者にしては珍しいタイプだ。

 

 彼は踵を直角に揃え顔を下に向け、掌を正面に王国軍人式の敬礼をした。

 

「楽にしなさい」

「はっ!」

「“鋼の男”ダーリニッツ……いつの間に勧誘してたんだ!?」

 

 マリメラが思わず内心を漏らす。

 

 ダーリニッツは退役軍人であり、王都では後進の育成に辣腕(らつわん)を振るっていたが、東の壁の果てに夢を見てカオスゲートに来た。判断力に優れ、魔道具を使いこなし、常に生存を優先できるソロの冒険者だ。

 

「ははぁ、魅せられたか。元軍人らしいな」バルライカは何故かしたり顔だ。

「あなたには東側、右翼の指揮をお願いするわ。魔物を食い止めて頂戴、詳しい話は……そろそろね」

 

 馬の(いなな)き、蹄鉄が石畳を叩く音。鎧の擦れる金属音が複数。

 

「ケイオーラゲオス様ぁ!」

 

 と、悲痛な叫びと共に勢いよく飛び込んできたのは、寝間着の老人だ。

 

「火急の用! 尋常ならざる怪物! 救援要請! 事情は把握した指揮官は見た所お嬢さんのようだ、が……」

 

 ケイオーラゲオス市長はポカンと口を開けて目を剥き、まるで幽霊を見たかのように青ざめた。

 

「ディセンブ……」

「あら、首を切られた貴族が何ですって?」

 

 ペルティアは食い気味に遮った。

 

「い、いや、何でも無いぞ」

「長女が意志を無くした亡霊になったと聞きますわ。案外、この辺りをさまよっているかも知れませんね」

 

 彼女はケイオーラゲオスの近くで小さく囁いた。

 

 完全に血の気が引いた彼は恐る恐る手を差し伸べ、ペルティアはガッシリと力強く掴み、握手を交わす。

 

 お付きの騎士がケイオーラゲオスの背中を軽く支える。彼はペルティアを訝しむような眼で見ており、上司の動揺が大層珍しかったようだ。

 

「おいおいマリメラ、あの頑固ジジイ腰が引けてるぜ。……マリメラ?」

「ウッソだろおい……マジかよ、何やったんだアイツ……」

「では、簡単に説明しますわ」

 

 “戦咆(ウォークライ)”が使える二人――元軍人のダーリニッツと貴族のケイオーラゲオスが揃ったため、ペルティアは改めて現在の状況を説明した。

 

 指揮に関しては合意が取れ、ペルティアが中央、ダーリニッツが東側、ケイオーラゲオスが西側となった。

 

 ちょうど、ギルド職員が地図を届けたため、ペルティアは詳細を詰めるべく意見を募った。

 

「あの、バリケードについて意見があります!」女冒険者のネクティモが手を上げた。

「測量に必要な道具があるの? それとも人員が欲しい?」

「いえ、カオスゲートの建築法上、指定された通り……戦場になる大通りの建物には迷宮壁を埋め込む義務があります。木の板や布、看板で隠している場合がありますが、通りに面した部分は必ず迷宮壁です」

「ほう、そんな法があったとはすっかり忘れておったわ。ワハハハハハ!」

 

 冗談ではないとお付きの文官がケイオーラゲオスをたしなめる。後から追い付いた兵士が彼の装備を次々と着せていくのを、他の測量士が訝しげに観る。

 

「作業時間が短縮できそうですね」“藍”の魔法戦士ヴェローチェが真剣な表情で地図を眺める。

「つまり、問題が一つ解決したわけね。家屋と家屋の間を埋めるように迷宮壁を配置するように。それと、千メートル毎に穴を五ヶ所あけて――」

「ああ待て待てお嬢さん、定石があってだな――」

 

 ペルティアは測量ができる冒険者達にあれこれと指示を出してから、バリケード構築の詳細な計画を共に練る。

 

「ケイオーラゲオス殿、ダーリニッツ。貴方たちにはここに居る中級以上の冒険者を振り分けて貰うわ。手勢が居るならそれを考慮するように。私が中央で大半の魔物を引き受ける、両翼には魔物の迂回を防いで欲しいわ。“愛の星”はもちろん中央よ」

「ようやくあたしらの出番か!」

「まだよ。バルライカ、あなたにはちょっと荷物持ちになってもらうわ」

「へ?」

 

 編成を二人に丸投げしてから、ペルティアはバルライカを引きずり「五分で戻るわ」と言い残して外へ出た。

 

「ちょちょちょ、どこ行く気だよ!?」

「拠点にしてる部屋よ。倉庫同然……ま、物資が山ほどあるのよ。持ち切れない位に」

 

*

 

 ペルティアは言葉通り五分で帰ってきた。

 

 大粒の汗を滝のように流しながら、小さな魔法のポーチを四つほど抱えて。

 

 バルライカも同様に三つのポーチを持っているが、彼女らの姿勢は重たい物を持つ時のそれであった。

 

「いいっ、ゆっくり、下ろすのよ……」

「わかっ、てらぁ!」

 

 ミシッと床板が嫌な音を鳴らす度、魔法のポーチは床に置かれていく。

 

「お嬢さんこりゃ一体何ごとで?」

 

 マリメラが持ち上げようとしながら尋ねた。当然ながら微動だにせず、すっ転んだ。

 

「物資よ。魔法棒と水薬(ポーション)が山程入っているわ」

「こっちは武具装飾品。この場の全員に支給する分がある」

 

 一袋あたり、五百キログラムは下らない。しかも魔法のポーチだ。重さは実際の十分の一。

 

 早い話、この場に三十五トンの軍事物資があるのだ。

 

「買取は不必要よ。使った分は贈与するわ。この困難な局面で、我々はたとえ一人であろうと欠けてはならない」

 

 “愛の星”の面々やケイオーラゲオスでさえ、事態をこれ程重くは見ていなかった。

 

 遠目で理解できる範囲の観察でも、あの紫白級冒険者が圧倒的優勢であることは見て取れる。

 

 あの肉肉しい柱の邪神は化け物染みた“針鼠の肉屋”が倒すと、戦いを見た者ならば確かに断言できる。

 

 《召喚》された魔物でさえ瞬く間に葬り去り、街の方へ一切寄せ付けない。

 

 多少の事故はあるだろう。何せ龍や王の駒(キング)に召喚地獄だ。

 

 しかし、それもバリケードを作れば安心できる。

 

 あとは高位の冒険者が頑張り、それ補助すればいい。

 

 そう、彼らは考えていた。

 

 だが、ペルティアだけは違う。

 

 邪神ニャルラトホテプの言葉を聞き、彼奴の悪意に身を晒し、アレが仕掛けた陰謀の一端に触れたのだ。

 

(あの邪神は今度こそ、アズに焼け落ちたカオスゲートを見せるはずよ。人も街も灰へと還し、せせら笑うに違いない。ニャルラトホテプが《召喚》をあの場だけに限定する必要は無いわ)

 

 ニャルラトホテプが別の手段を用いて魔物を街に氾濫させると、ペルティアは推測した。

 

 だが、手持ちの戦力で防衛する以上、どう考えても限定された範囲しか守れない。

 

 複雑な命令を冒険者は実行できない上、一人一人の力量でさえバラバラ。

 

 大雑把に都市を感知しても魔物の気配は北にしか感じ取れない。

 

 しかし、虚空に居た化身が気まぐれに現れて《召喚》を繰り返すだけで、カオスゲートはあっさりと滅ぼせる。

 

 最早、一番対処しやすい方向――北から一団に魔物が押し寄せて来ると信じるしか無い。

 

 そこから魔物がやって来るのだと信じさせるしか選択肢が無いのだ。

 

 状況は驚くほど絶望的だ。

 

 それを悟らせないのが彼女の義務である。

 

 これが最善策であり、邪神を誘う(・・)事ができる唯一の策だ。

 

 そこに一筋の希望の光を見出させれば。

 

(あの邪神は私のことを、嬉々として上げて落とす。北から攻めてくれる……かもしれない……多分)

 

 そう、ペルティアの直感が囁いた。

 

 人々はギルド内を駆け回り、役割を分担し、噛み合った歯車のように一つの目的へ向けて回りだす。

 

 ペルティアも檄を飛ばして人を動かし、かき集め、戦いに備える。

 

 初級冒険者達が列を成し、市民も魔法棒を手にとってバリケードを構築する。南への自主避難も進められており、商人でさえ私兵を割いて何かしらの活動にあたらせていた。

 

 ペルティアが始めてカオスゲートに来た時に感じ取った、人々の生きる意志が今まさに渦巻いていた。

 

 三十分も経てば、大通りにはバリケードが築かれつつあった。

 

 東のギルドに居た中級以上の冒険者には、ペルティアが収拾していた物資が行き渡っていた。もちろん、資材は市民にも。

 

 そして、バリケード完成まで魔物を足止めする為、北の通りに十五人程度の冒険者が展開していた。精鋭中の精鋭だ。

 

 彼らを率いるのはペルティア。

 

 彼女は目を閉じ、感知に集中して街全体の魔物の分布を探る。

 

 集中力を必要とする作業だ。冒険者達は隙だらけのペルティアを囲い、万が一にも被害が及ばないように気を払う。

 

 目と鼻の先では二柱の神が霞むような速さで戦いを繰り広げている。一瞬たりとて気は抜けないが、難しい話でもある。

 

 雲を突き抜ける巨影は彼の振るう恐ろしく大きな武器であり、肉柱から伸びる細い触手を――実際にはそこらの家よりも太いであろう――埃を吹き飛ばすようにあっさりと刈り取ってしまう。

 

 それだというのに聞こえるはずの音は小さく、空を切る剣はもちろんのこと足踏みの振動さえしない。

 

 だが一方で、レンガや木の崩壊音、気の狂った女の嗤い声、命を奪い去る《死の音》、魔力の爆発音、魔物達の無数の産声が聞こえるのだ。

 

 視覚と聴覚の不一致は、極端に現実性を奪っていた。

 

 そして、北区に居る大半の市民は、見ている物が幻なのか本物なのか見分けがつかない。窓辺で、玄関先で、通りで、空を見上げ、真横に現れては刹那に溶けゆく魔物を見送る。

 

 ペルティアは一瞬だけ北へ――彼らの戦いの足元へ感知の“目”を飛ばしたが、一秒ごとに何万という魔物が点滅(・・)を繰り返すため脳の処理が追いつかず、彼女は感知を即座に断念した。

 

(……あそこに居る人間は私達では救えないわ)

 

 ペルティアは早々に、断腸の思いで見切りをつけた。感知の“目”は二十五万人の人々を避け、神々の戦いには近づかず、魔物を呼び寄せるような――あるいは邪神ニャルラトホテプに従う敵を探す。

 

 そんなものが居なければ、ペルティアの考え過ぎで終わる話だ。

 

 今だって、彼女はその可能性に希望を感じてすらいる。

 

 血眼になって家屋の隅々を見渡しても新たな魔物の影は掴めない。

 

(もしかして、邪神は、本当は街の破壊に興味がないの……?)

 

 そんな考えが頭をよぎった時だった。

 

 不意に、彼女の知覚する感知(・・)の中に強烈な存在を感じ取った。

 

 “目”は北へ飛び、頭が痛くなる程、二柱に近づいていた。

 

 そこに神はいた。

 

 吐き気を催す不浄の汚泥が積み上がり、毛の無いクリーム色のリングがその上に七つ重なっている。萎んだ灰色の果実のような球体がリングの上に座し、昆虫の複眼に似た目玉が四方を向く。

 

 汚泥はリングの下から絶えず流れ落ち、泡立ち、虹の光彩を放つ。滴り落ちる汚泥はソレの足元で渦巻く汚泥の中に吸い込まれ、永遠に消えて無くなる。

 

 其の名はPathiy・sunua・uu。“渦を呼ぶもの”。

 

 ペルティアの頭の中に、頭痛と共に知識が浮かび上がってきた。

 

 まるで、元から知っていたかのように。

 

(――っ! それが、こいつの名前……パティイ・スナ・ウー、殺すべき敵!)

 

 “渦を呼ぶもの”はその複眼の奥にある瞳孔でハッキリと、彼女の感知の“目”を見つめ返した。

 

 先手を打ったのは“渦を呼ぶもの”だった。

 

 見られたと、気付いたときにはもう遅い。

 

 彼の者の“存在”があっという間に街中に広がる。

 

屈服せよ

(やられたッ!)

 

 口笛のように鋭く高い声、そして低く震えるラッパのような声が同時に響いた。まるで地の底から吹き上げる冷たい風だ。

 

 声は前から後ろへ、右から左へ、渦を描くように頭の中を跳ね回る。

 

 人ならざるその一言で、人間が絶望するには十分であった。

 

頭を垂れよ。 我が(もたら)す死に震え(こご)え堕ちよ

 

 濃厚な死と狂気が嗅ぎ取れる程、“渦を呼ぶもの”の“存在”は全ての者の耳元で感じ取れた。

 

 “戦咆(ウォークライ)”とは真逆、絶望が這い寄る……。

 

 冒険者達は武器を取り落とさんばかりに震え、恐怖し、下を向いて歯を食いしばっていた。

 

貴様達の臓腑を喰らい脳を吸い出さんと、我が魔物は貪食に餓えておるぞ

 

 汚物を煮詰めた腐敗臭と共に品のない舌なめずりの音がやって来る。

 

 見るに堪えない化物の吐息が、すぐそこまで迫っているように感じられる。

 

 この街の全ての人間が恐怖に心砕かれ、暗澹(あんたん)とした気分に呑み込まれていた。

 

 誰もが宛もなく駆け出そうとしたその時。

 

「――うろたえるな」

 

 静かな冷たい声で、ペルティアの“戦咆(ウォークライ)”が街中に広がった。

 

 恐ろしげな声色だが力強く、彼らの臆病に冷や水を浴びせる。

 

「隣を見よ、後ろを見よ。互いを守る戦友と、守るべきものが居るはずだ。勝つのは我々だ! ……作業を続けなさい」

 

 “戦咆(ウォークライ)”の為の“存在”の放出を止めた途端、ペルティアの身体からどわっと汗が吹き出す。

 

 士気はなんとか持ちこたえた。

 

 ペルティアのお陰で冒険者達は自分の作業に戻ることができ、彼女を囲う者達も瞳に意志を宿す。市民もなんとか逃げ出さなかった。

 

 しかし、消耗が激しい。

 

(二度も三度もできないわよ……! こんな事をっ、戦いの最中にやられたら、ただでさえ薄い勝ち目が無くなるじゃない!)

「魔物が来るわ。今の“戦咆(ウォークライ)”で、私の方へ向かってくる」

 

 澄まし顔でペルティアは述べた。疲れはおくびにも出さない。

 

「私がこの通りの北を受け持つわ。貴方たちは脇道から来る奴らを相手しなさい。死にそうになったらさっさと逃げるのよ、私一人でも持ちこたえられるわ」

「ああ、やってやるぜ!」

「任せてくれよ」

 

 冒険者達は口々に意気を込めて、路地の方で待ち構える。彼らは緊張に汗を垂らし、己の感知と感覚器官に集中している。

 

 ペルティアの感知にも、多数の魔物が引っ掛かった。

 

 “渦を呼ぶもの”がランダムに《召喚》を繰り返している。そのペースは、非常にゆっくりだ。

 

 十秒ごとに二,三体。強さはピンからキリまである。とは言え、上はたかが古代の竜(エンシェント・ドラゴン)、下は巨大ノミだ。

 

(……手加減しているの? どう考えても…………いえ、今は戦いに集中しましょう)

 

 感知がハウンドを捉えた。

 

 ハウンドどもはペルティアの居る通りではなく、他の冒険者が待ち構える通路の方へ走っていく。だが、その姿を易易と晒すことはない。

 

 ハウンドは暗がりや曲がり角で敵を待ち構えたり、死角から襲い掛かったり遠距離でブレスを吐いて逃げる魔物だ。今の状況、力押ししてこないだけマシな部類の魔物だ。

 

(……いつだったかしら、あんなのを上級相当の魔物だと思っていたのは)

 

 ペルティアにとって、それが悪い時期であったわけではない。

 

 しかし、今の彼女にとっては、外面だけを装い、貧弱で、時代に流されるだけの弱者だった頃だ。

 

 ペイルティシアは歯車としての道を望み自らの望む道を選ばなかったが、ペルティアはそうではなかった。

 

 今、彼女はハウンドの処理を冒険者に任せる。

 

 別に逃げたわけではなく、単なる役割分担だ。だが、その()は逆転している。

 

 ペルティアは目の前を――より強い敵を見据える。

 

 夜の闇から犬のように、あるいは猪のように四つん這いのまま駆けてくる魔物が一体――古代の雷竜(エンシェント・ブルードラゴン)だ。

 

 概念を抱えていても意志のない魔物にとって、翼は有事の飛行ユニットでしかない。

 

 地面に大きな穴が開かない限り彼らは飛ばないし、飛ばない限り迷宮壁の向こうに居る冒険者を目視することもない。目視しなければ、彼らは独自の法則に従って迂回するだけだ。

 

 尤も、ペルティアにとってただの古代の竜など敵ではないのだ。

 

 彼女は目にも留まらぬ速さで飛び出して竜の鼻っ柱を蹴り上げると、抵抗させぬまま頭を三閃。

 

 祝福された『勇気凛々の』短剣《竜殺し》は、その名の通り竜に対してはナメクジに塩を撒くのと同じようによく効く。

 

 死体になって塵に帰った竜の跡には幾つもの宝石や武具装飾品スクロールなどが現れるが、そんな物にかまっている暇はない。

 

 ペルティアは《鑑定》したいと後ろ髪を引かれながらも、“存在”を強く放出する。

 

 絶え間なく放たれる刺客達は彼女に惹かれ、次々と押し寄せてくる。

 

 迷宮壁のバリケードが完成するまで時間を稼がなければならない。あと三十分か、一時間か、何れにせよ“渦を呼ぶもの”が舐めてくれているうちに。

 

*

 

「随分とっ、楽じゃないか!」

「このペースなら、我々だけで大丈夫ですね!」

 

 バルライカが大盾とメイスを、ヴェローチェが両手剣と魔法を振り回して、ハウンドや不死者を蹴散らす。

 

 敵の質は変わっていない。

 

 攻めは単調で、彼らの心に余裕が生まれていた。

 

 魔物は北の通りで完全に引き付けられており、ペルティア達は目的を達成しつつある。

 

 戦闘時間は三十分も掛かっていない。だが、このまま五時間六時間と、同じ場所で戦っていられるわけではない。そのためにバリケードを築いているのだが。

 

「油断をするな! 今の目的はバリケード完成までの時間を稼ぐ事だ!」

 

 ペルティアは警告を飛ばしつつ、竜や女王の駒の魔法生物(クイーン)を斬り伏せ、北方を見やった。

 

 邪神ニャルラトホテプの化身達とアズが、延々と戦い続けている。

 

 今やあの肉柱は空を埋め尽くさんばかりに増殖しているが、アズは奴らを決して南に立ち入らせない。

 

 切り飛ばし、弾き飛ばし、魔法で消滅させる。

 

 最早、彼女達には何が起こっているのかすら分からないが、対岸の火事のように現実味のない光景であった。

 

ィィイイィイイイィイァアァァアァアアアァアアアァアアアア!!!

オオオォォオオォオ"オ"オ"オ"ォオオァアァオオォォオゥゥゥウッゥウ"ウ"ウウウウッ!

ガァァアァアアァアアギギィィィイィィイイィイィッ!!

ァァァァアアァァッアァア"ア"ア"ァッァアアアッアアアアアァァア"ア"ァア!!

 

 ――彼の鉄を引き裂くような絶叫が木霊する。

 

 それに続いて肉柱が一本を残して消え去り、アズが崩れ落ちた。

 

「は?」

 

 ペルティアが思わず声を漏らす。

 

 彼につられて巨大な腕が街を薙ぎ払い、冒険者達の目と鼻の先を――そう見えるほど彼の腕は長い――横切った。

 

 瞬間、積み上げた石の山を蹴飛ばしたかのように建物が飛び散った(・・・・・)。迷宮壁は小さな石ころに変わり、レンガや木材は空中で分解し――。

 

「今すぐ建物に隠れなさいッ! 頭を守れ――っ!」

 

 カオスゲート全域に響いた“戦咆(ウォークライ)”に尻を叩かれて、外に出ている冒険者と市民は脱兎の如く屋内に飛び込む。

 

 しかし、ペルティアは広域の“戦咆(ウォークライ)”による凄まじい疲労で左の膝をつく。

 

 ひゅるひゅると気の抜けた音が聞こえると、弾丸と化した廃材が雨霰のように降り注ぐ。

 

 土砂降りの雨より激しく音を立て、にわか雨より早く過ぎ去る濃縮された嵐だ。

 

 浴びれば間違いなくミンチに早変わり。

 

 ペルティアはとっさに真紅の円形盾を頭上に掲げたので、軽傷で済んだ。

 

 盾で守れる範囲から僅かに外れた左腕の肉と両足の膝から下を礫で潰された。アーティファクトは無傷だが、衝撃で足首などは跡形もない。痛みに姿勢を崩していればあっという間に地面の染みと化していただろう。

 

 彼女は額に青筋を浮かべたまま魔法のポーチを素早く探り、*体力回復*の薬を取り出す。蓋をガラスごと親指で弾くと、ガラス片の混じった中身を飲み干した。

 

 瞬く間に再生された手足で何事もなかったように立ち上がり、その場にいる全員の無事を確認する。

 

 その最中、誰かが呟いた。

 

「……終わったのか、戦いが?」

 

 何を言ったのかその人でさえ理解していないだろう。

 

 だが、その言葉は真の心から出た不安だ。

 

 なにせ、空を埋め尽くしていたあの肉柱は残り一本だ。四頭八腕八本脚の彼は倒れているが、あの悪夢のような戦いは過ぎ去ったと考えても――。

 

 誰もが終わったと、否、終わって欲しいと思っていた。

 

 ペルティアの側で戦っていた者達でさえも、残り僅かな魔物を平らげれば“終わり”だと無意識のうちに思っていた。

 

 “渦を呼ぶもの”の《召喚》が途絶え、今まで押し留めてきた魔物の流れが丁度止まった。

 

 ペルティアでさえ安堵のため息を吐きそうになった。

 

 死を覚悟していた勇士の顔が、徐々に徐々に変わっていく。

 

(……まずい、今の雰囲気を維持してはいけない!)

 

 “渦を呼ぶもの”やニャルラトホテプの悪意を思えば、ペルティアは冒険者達の緊張を過度に緩めたくはなかった。それどころか、奴らがこれを仕組んでいたとしてもおかしくないとさえ考えていた。

 

 儚い希望を与えてはならない、時に大いなる絶望の糧となるからだ。

 

 断固として“戦え”と命じなければ彼らは抗えない。

 

 ペルティアはその予兆(・・)を誰よりも早く察知した。

 

 一度引いて、他の味方も元気づけなければならない。両翼のケイオーラゲオス市長とダーリニッツが上手くやっている事を期待しつつ、ペルティアは命令を下す。

 

「全員、この通りを封鎖するわよ! 《壁生成》で八段二重の壁を作って、バリケードの方に後退する! 真ん中は八メートル空けなさい!」

「……大丈夫なのか?」マリメラが不安げに囁く。

「私が居る限りね。全員! 駆け足!」

 

 冒険者達は反射的に行動し始めた。バシュタールの経験がなければ、彼らはペルティアの言うことに耳を貸さなかっただろう。

 

「キット!」

「はいはい、何の用かい。何でもいいけどサ」

 

 ペルティアはキットに――“愛の星”の斥候なのだが――バリケードの完成具合を調査する事と、完成間近であれば第二のラインを敷くよう命じる指示を出した。

 

「分かったヨ。それだけかい?」

「そうね、終わったらすぐに戻ってき――」

 

 ――唐突に、夜明けが訪れた。

 

 誰もがその(まばゆ)い輝きに目をくらませた。

 

 腕で遮りながら恐る恐る見上げれば、神々しいほど真っ白な空に暗黒の太陽が鎮座していた。

 

 降り注ぐのは朗らかな光ではなく、腹の底を焼き焦がす憎悪の輝きだ。

 

 それは光を奪い、影を真なる闇にし、角灯(ランタン)の光を曇らせる。

 

 恐るべき熱気で大気が歪み、錆色の雲が急速に渦巻くと雷鳴が轟いた。

 

 雲間に隠れてなお、暗黒は衰えずギラギラとペルティア達を照らしていた。

 

 ジワリと、冬とは思えない暑い風が吹き荒び、ペルティアは喉の乾きと砂粒の食感に眉をひそめた。そして、事態が楽観視など出来ないほど深刻化していることを悟った。

 

(そんな、まさか……)

 

 ペルティアの感知は、北にある一切の生命が消え失せたことを感覚器官にひしひしと伝えている。

 

 その代わりに現れたモノも。

 

 キットは事態が尋常でないことを鋭敏に感じ取ると、急いで駆けていった。

 

「おい……見ろよ!」

 

 冒険者の一人がバリケードの上に乗り出して北を指差した。

 

 彼らはつられて手を止め、見た。

 

 砂漠になった街を。

 

 黒炎で切り取られた街を。

 

「う、あ……」

「何だよこれ、何なんだよ!?」

「俺達の街が、消えた?」

「火事……なのか?」

「ぁま、魔物だ!! 魔物が!? 魔物が!!」

 

 彼らはほとんど悲鳴のように叫んだ。

 

 砂漠を覆う黒い影――それは何千何万という魔物の群れであった。とてもではないが、ちっぽけな壁では押し留めようもないような。

 

 それは砂煙を上げながら全速力でこちらに向かってくる。

 

「う、あ、ああああああああ!!」

「無理だ、無理だ……こんなの勝てっこないぞ」

「ど、どうするんですか!?」

 

 一斉に、怯えた目が彼女に向けられた。

 

 誰もがペルティアの次の言葉を待ち、沈黙を保つ。

 

「バリケードの、建築を、止めるな」

 

 一語一語丁寧に、極めて冷静な言葉を投げ掛ける。

 

 砂漠では地獄の星々が降り注ぎ、想像を絶する威力の魔法が吹き荒れる。

 

「いい? 何が起ころうとも選択肢は決して変わらない。戦うのよ! 命の限り! そのためのバリケードよ」

 

 冒険者達の目を見つめ返し、ペルティアも《壁生成》の魔法棒を振って作業を再開する。

 

 手早くバリケードを築いた後、大通りの方まで撤退する。

 

 “渦を呼ぶもの”はとっくに《召喚》を再開しており、先の倍以上の数が街に解き放たれている。

 

 北の通りと東西の大通りを結ぶ十字路は、北側がほとんど完全に封鎖されていた。

 

 戻ってきたペルティア達を出迎えたのは、非常にオーソドックスな対魔物用のバリケードだ。【憎悪の太陽】のせいか、松明が掛けられている。

 

 迷宮壁の列は十字路の中心十メートルだけ途絶えており、その両端は通路(・・)のように突き出して真横からの視界を遮っている。その通路にも、身を隠せる逆凹型の迷宮壁が幾つか配置されている。更に、半円状のバリケードが五つ、間隔は広いが視界を遮るように北側に配置されている。

 

 魔物は単純な動きをするため、通路を制限するだけで詰まり、簡易的なボトルネックを形成できる。さらに言えば、遠距離からの魔法攻撃やブレスを遮断できる。高さが足りていれば。

 

 ペルティア達が戻ると、キットが駆け寄ってきた。

 

「第一バリケード構築完了! 第二バリケードは冒険者道を使って既に構築中だヨ! 両翼はもう戦闘準備を完了! 隘路(あいろ)も作ったってサ!」

「報告ありがとう。……中央(ココ)はどうかしら、どれくらい動揺している?」ペルティアは声を潜めて言った。

「駄目だ。今すぐにでも、その、“戦咆(ウォークライ)”で……」

 

 キットは言い淀む。

 

 極論を言えば、ペルティア一人でもかなりの時間持ち堪えることができる筈だ。

 

 キットは最も重要な人間――ペルティアの疲労について気を遣った。短期間に二度も、街全域に届く規模の“戦咆(ウォークライ)”を使ったのだ。彼女が隠そうとしても、見る者が見れば分かる。次は過労で動けなくなるかもしれない、と。

 

 無数の弱者より、一人の強者が狂おしいほど頼もしいのだ。どの冒険者も同じことを思っているだろう。

 

 彼女の決断は早かった。

 

「この場に立つ者達よ! 今、己の戦いに挑まんとする者達よ!」

 

 彼女の“戦咆(ウォークライ)”が届く。魔物と戦うべく集まった冒険者や有志の市民、壁の修復班に、火事に備える男衆や駆け回るギルド職員に救急隊――中央に立つ者全てに届いた。

 

「私は貴方(あなた)達の勇気に敬意を表するわ。今から、戦いが始まる。激しい戦いになるわ。怪我する者も、帰ってこられない者も居るでしょう。もしも、あなたが逃げ出したいと思えば、後ろへ下がりなさい。

引いた分だけ私が食い止める。怪我をした分だけ私が踏み留まる。死んだ者の分、私が死力を尽くす。

もし、人に仇なす魔物から、人々を守らんとするのなら! その両足で立ちなさいッ! その勇気の限り叫んでみなさいッ! 神の御下に届くほどッ!」

 

 烈火の如き闘志の咆哮が木霊すると、聞く者の血は沸き立ち、心を熱狂に預けた。背中を押す力強い者の存在を感じるのだ。

 

 彼女は誰よりも強く、誰よりも前に立ち、決して誰も見捨てないだろう――その気概がありとあらゆる者に伝わった。

 

 最初に叫んだのは、なんてことのない普通の市民だった。

 

「おおおおおおおおおおおおお! 俺は戦うぞ! おお! おお! おおおおお!」

 

 【憎悪の太陽】に制圧された空の下、彼らは“戦咆(ウォークライ)”に後押しされて力の限り叫ぶ。

 

 都市中に鬨の声が響き渡る。大地が震え、前に、隣に、背後に仲間がいるのだと彼らに思い知らせた。その熱が彼らの心に炎を灯し、波紋の様に広がっていく。

 

「戦神よ、御照覧あれ!」

「おおおおおあああああああ!」

 

 両翼もつられて爆発のような雄叫びをあげ、彼らの戦意は今や最高潮に達していた。

 

(よし、よしっ! 持ち堪えたッ、これからよ! 戦えば、あとは私次第よ!)

 

 この異様な熱気にはペルティアも興奮させられていた。過度な疲労も乱れそうになる呼吸でさえも、高揚した精神のお陰でなんとか抑えられている。

 

 ようやくスタートラインに立つ事ができた。

 

 一つの要素が食い違えば、ペルティアも“愛の星”も、この場にいる誰であろうとも無事では済まなかった。

 

 あとは戦うだけだ。

 

 押し寄せる魔物の軍勢を跳ね除けて、アズがニャルラトホテプを打倒すれば終わり。

 

(何か……力を感じる。大きな、抗いようのない流れ(・・)が私達を押している……)

 

 ペルティアは運命じみた、何か大いなる力の後押しを感じ取る。

 

 邪神の覚醒を察知したのか、人類側の善なる神々の息吹がそこかしこで察せられる。

 

 大きな流れの終着点に向かって、事態が収束していくような――風が、背中を押している。

 

 着実に、しかし勝利(・・)は迫っている。

 

 だというのに、ペルティアは先の見えない恐怖や不安――本能的な危機感に押しつぶされそうだった。

 

 今まで彼が歩んできた暗闇を、今度はペルティアが切り拓く番だというのに。

 

 そこにあった選択を間違えたのではないか、と。

 

(このまま流されて……本当にいいの? 何かとんでもない、取り返しのつかない事が起こっている……?)

 

 心臓が高鳴り、押しつぶされそうな重圧に彼女の腕は震える。

 

 だが、選択は終わり、戦いは始まってしまった。

 

 あとは戦うだけだ。

 

 例え、抗う術無き絶望が襲い来るとしても。

 

***

 

「はぁぁぁあああああああッ!」

 

 致命の一撃、バルライカは振り下ろした鎚でドラゴンの頭を叩き砕いた。彼女はすぐさま途切れた《*肉体強化*》や《加速》を掛け直し、後方へ駆けるトロールの膝を潰し止めを刺す。

 

「くそっ、いつまで続くんだ!」

「《暗黒の嵐》! 喋ってないで手動かせ手ぇ!」

「うっせぇ! 分かってるよ!」

 

 悪態をつきながらもバルライカは一匹二匹と楽々魔物を蹴散らす。その横で、彼女の頼もしい仲間たちが今もまだ戦い続けている。

 

 マリメラは仲間の背に隠れながら《暗黒の嵐》を連発して雑魚を蹴散らし、仲間の武器に《吸血の刃》を掛けて援護する。キットも同じく隠れながらだが、透明な魔物に染料を投げつけ他にも弓矢や魔法棒で支援する。

 

 ヴェローチェは両手剣を振り回しながら、アンデッドや悪魔、邪悪な魔物を破邪の力で消滅させている。ヒンメルは《結界の紋章》で自分の周囲に魔物を遠ざける力場を貼り、苦戦している味方に《体力回復》や《祝福》を掛けながら、時折メイスで魔物を叩き潰す。

 

 バルライカがチラリと北の方を見やれば、大魔法の眩い光が今も荒れ狂っていた。

 

(早く終わらせてくれよな、アズさんよぉ……でないとペルティアが死んじまうぜ……)

 

 カオスゲート中央、第一の防衛線最前線。

 

 中でも最も激しい戦いを繰り広げるのは、ペルティアの立つ最前列だ。

 

 半円状のバリケードの間を抜けて来た魔物は、まず、その先に待ち構えるペルティアに切り捨てられる。

 

 次に、逆凹型に配置した迷宮壁で待ち構えている“愛の星”や上級冒険者達が手強い魔物を狩り、取りこぼされた魔物は多数の中級冒険者達や市民の繰る魔法棒の集中砲火で始末される。

 

 こうして、殺到する魔物の群れは問題なく押し留められていた。

 

 ペルティアに最も負担がかかるという点を除けば。

 

「さァッ! 来いッ! 来いッ! 魔物共ッ! 私はここに居るぞ!! 私はッ!! ここにっ、立っているぞッ!! 殺しに来い!! 殺してみせろぉぉぉおおおおおおお!!」

 

 己の正しさと信念で以て困難に挑み、他者の為に身を削る事ができるのなら。その魂は(まさ)しく黄金のように輝いているに違いない。

 

 決断する勇気で、恐怖に抗う覚悟で、運命を退ける精神で、ペルティアの往く道は朝日の如く希望で照らし出される。

 

 故に誰もが彼女に導かれる。

 

(私が選んだのよ、戦いも、この傷も、痛みでさえも! 誰にも奪わせない、この誇りだけは!)

 

 彼女は周囲を鼓舞する最中でも呼吸のリズムを崩さず、一ミリのズレもなく短剣を振る。

 

 まず竜が居れば首を刈り、幽体獣のように迷宮壁をすり抜ける魔物は《空間歪曲》、増殖する巨大ゴキブリなどは《プラズマ球》で始末する。

 

 その程度の魔物なら、延々と楽な戦いが出来た。

 

 だが、今や魔物の強さは一段階も二段階も上がり、ペルティアでさえ殺すのに少々時間を要する魔物が現れる。

 

 それらは時に彼女の横をすり抜けていき、“愛の星”や上級冒険者達が決死の思いで殺す。

 

 その間に無数の魔物が雪崩込み――バリケード周辺は混沌と化していた。

 

「“陽気なレプラコーン”だ!! 誰か《抹殺》してくれ!」

「アウェイは止めろ! おとなしく引け!」

「ぎゃぁああああああ!」

「そこのお前、上級冒険者達にポーションを届けろ!」

「俺が行く!」

「うわぁああああ! 壁が壊れたぁ!?」

「急いで塞げぇ!」

「集中砲火で殺せッ!」

「《竜の息吹》の魔法棒を持ってこい!」

 

 悲鳴、怒号、断末魔。喧々囂々(けんけんごうごう)とした場は辛うじて崩壊していないものの、その段階まで最早秒読みだ。

 

 後方にはすり抜けた魔物を始末できるだけのパワーが無い。ペルティアや上級冒険者達が苦戦する以上、勇敢な市民や莫大な物資の存在なしに戦線は維持できなかった。

 

 これ以上の命の浪費は確実な破滅を招く。

 

 ペルティアは十メートルもある巨人――グレータータイタンの激しい打撃をかいくぐり、手足を切り飛ばして消滅させる。一瞬の隙を見つけて、彼女は叫んだ。

 

「この通路は破棄するわ! 十字路入り口まで撤退! 撤退!」

 

 ペルティアが《壁生成》で自身の退路を塞ぎながら指示を出すと、“愛の星”と上級冒険者達は持てる力を振り絞って通路内の魔物を排除し、道幅を狭くするよう迷宮壁でバリケードを作って一息ついた。

 

 ペルティアはそれを見送って距離を取り、己の外套に込められた力を解き放つ。

 

 祝福された『サンライトイエロー』ミスリルの外套《スカードレッド》は、太陽の力を宿し、持ち主さえ焼き焦がす破壊の光を降らせる事ができる。

 

 少なくとも、ペルティアにとっての切り札になり得るパワーを秘めていた。

 

「《太陽波紋》!」

 

 瞬間、半径二十メートルの範囲を猛烈な太陽風が駆け抜けた。百万℃を越す凄まじい炎と変異の混沌が荒れ狂い、彼女に群がろうとしていた数多の巨人や竜や有象無象が灼き尽くされた。

 

 バリケードや人員に被害はなく、魔法の太陽風は瞬く間に過ぎ去る。

 

 ペルティアは焦げ付く臭いと熱を感じ取り、背中の皮膚が融解している事に気づいた。慌てて*体力回復*の水薬(ポーション)を飲み干す。

 

「残り四本……少し配りすぎたわね」

「おーい! 早く戻って来いよ!」

 

 迷宮壁の向こう側からバルライカが呼びかける。ペルティアは大きく息を吸い込み――

 

「全員!! バリケード内に侵入した魔物の排除を完了させなさい!! 《抹殺》が必要な時は上級冒険者に投げなさい!! 今より後は、そこから北には出るな!!」

 

 ビリビリと耳を痺れさせる程の声量で指示を出した。

 

 彼女は単独で、押し寄せる魔物の方へ飛び出す

 

 そして背後からの静止の声も聞かず跳躍。飛び込んできたただの(・・・)竜の額を踏みつけ、短剣で二度切りつけ殺すのと同時にもう一度高く跳び上がった。浮遊の力で宙を飛び跳ね、足場を三つ程経由した位置で腰の袋から一本の杖を取り出す。

 

「周りに人がいると、使えないのよ」

 

 *破壊*の杖だ。

 

 一振りすれば、周囲の地形を文字通り*破壊*して作り変える。

 

 全ての魔物を一撃で消し去るが、本物の生命に対しては、魂と肉体の繋がり(HP)を半分だけ*破壊*する。尤も、それは*破壊*の副次的な作用でしかないが、魔物への緊急措置として重宝する者は多い。

 

 今の状況下において、魔物を問答無用で*破壊*させられるのは心強いが、味方が二度で全滅するのであれば意味がない。街も破壊されてしまう。

 

 必然的に、使うなら一人の時に限られるのだ。そして、たった一人でも生存できる人間は、一人だ。

 

「*破壊*」

 

 跳んだまま、ペルティアは杖を振った。

 

 彼女の半径五十メートルで大地が揺れたかと思うと、全てが――建物も道も空気も魔物でさえも――*破壊*され、生まれ変わる。

 

 破壊は創造と表裏一体。変化は一瞬で劇的だった。

 

 迷宮壁が林のように生い茂り、迷宮壁に囲まれた真四角の空白地帯がモザイク状に点在する。それはある種の秩序を持っており、ダンジョンという混沌と秩序を端的に表していた。

 

 ペルティアは迷宮壁の柱に着地し、誰よりも高くから“針鼠の肉屋”の戦いを見た。

 

 とはいえ、先程と同じ、大魔法による光の洪水だけが目に映る。その境界間近の黒炎は火災とは異なりゆっくりと南下し続けている。

 

「……!」

 

 突如、光の洪水が収まった。

 

 黒炎に遮られ視界は良くないが、それでもペルティアの目は“針鼠の肉屋”を捉えた。

 

「うそ……」

 

 彼の持つ巨大な武器は手から抜け落ち、身体が徐々に傾いて――砂漠の上に倒れ伏した。

 

 敗北だ。

 

 “針鼠の肉屋”が、唯一の“紫白”が、邪神に対抗できるたった一人の人間が、負けた。

 

(ありえない……ありえない、ありえない! 何が起こったの!? 何が……)

 

 混乱するペルティアの思考。

 

 脳の機能不全を叩き直したのは、無数に、無限に、今度こそ、砂煙を上げて殺到する――数万の魔物だ。

 

 【憎悪の太陽】に照らされた真っ黒な影が列を成す。

 

 互いを喰い合い殺し合い、カオスゲートの影を呑み込み、死を象って進軍してくる。

 

 地震の如き足音が、万雷の如き叫びが、いざ滅びの福音を(もたら)さんと列を成す。

 

 人々のちっぽけな勇気やささやかな抵抗を踏み潰す異形の群が、希望を掲げるペルティアの下へ。

 

 パティイ・スナ・ウーが《召喚》した魔物が小川なら、それはさながら濁流であった。

 

 百を超える数の龍のみならず、カオスワイアームや時空ワイアームに真なる龍――ペルティアでさえ戦いを挑もうとすら思わない――機械仕掛けのサイバーデーモン、異形の亜神。

 

 盤上遊戯の駒の兵団。

 形のないエレメントの群。

 地下世界(アンダーグラウンド)のダークエルフ。

 影のエーテルの者共。

 死せる偉大な魔法使い。

 飛来する蟲人。

 空泳ぐ鯨。

 女王アリと死を恐れぬその配下たち。

 天を覆う天使と悪魔の大軍勢。

 

 正しく、敷かれたバリケードは無意味になった。

 

 彼奴らは空を飛び、壁越しに彼らを見下し、時に呼び寄せ、テレポートし、迷宮壁を押し出し、壁を突破するだろう。攻撃を遮るものが無くなる以上、それは僅かな間、彼らの進軍を止めるだけだ。

 

 幸運なことは、皆でパティイ・スナ・ウーの小川を飲み干さない限り、濁流が押し寄せないことだ。

 

 ペルティアは溢れそうになる涙を堪えた。打ち砕かれそうな心を繋ぎ止めた。

 

 決断したのが己だからだ。

 

 あの丘で誓った日、過去の自分を殺した日、時代の流れに殺されるより夢の前で死ぬと決めたのだ。

 

 艱難(かんなん)辛苦を打ち砕き、汗と泥と血に塗れたとしても道を拓くと、自分で決めたから。

 

「私が戦わなかったら、誰が立ち向かうっていうのよ……やるしかないのよ。私が、私だけが……」

 

 白紙の地図を埋めるには、彼が必要だ。

 

 カオスゲートが必要だ。

 

 *勝利*へ至るための決意が必要だ。

 

「そうでしょ、■■?」

 

 あの名前が、呼べなかった。

 

 それどころか、ペルティアの頭の中から名前さえも消えようとしていた。

 

 世界が、時代の流れが、大いなる意志が彼の存在を消し去ろうとしている。

 

 ペルティアは心の何処かで感じ取っていた“針鼠の肉屋”の力が、急速に奪われていく(・・・・・・)事に危機感を覚える。

 

 魂が凍り付くような孤独だ。心の底から何かを分かち合った者同士が、永遠に分かたれる。その前兆に身を震わせた。

 

「冗談じゃ、ない……あなたの、名前はッ!」

 

 ペルティアが感知の目を飛ばす。数万の魔物の情報に鼻血を吹き出し血涙を流そうとも構わない。

 

 “針鼠の肉屋”は共に産まれた仲だ。

 

 世界が認めるたった一つの名は■■だけでなくてはならない。

 

「認めない。認めるものかッ! 誰にだって否定はさせない! 始まってすらいないのに、もう終わりだなんて許さないわよ!」

 

 彼女の目に映るのは、血の海に沈もうとも黄金球に手を伸ばし、決して膝をつかない彼の姿だ。

 

 まだ、負けてない。

 

(いいえ、絶対に*勝利*するのよ)

 

 彼は、世界が名乗らせたArhotztohraなどという名前ではない。

 

 彼の慟哭が聞こえる。彼の絶望が見える。彼の取り零したものが、影に呑まれていく。

 

 彼の心には死が街を覆い尽くす光景がいつだって焼き付いているのであると、ペルティアは思った。いや、考えるまでもなく分かった。

 

 魂が繋がったように自然と理解できる。

 

「アズが守れなかったもの、今度こそ私が守ってみせる。だから、あなたと同じ事をしていたんじゃ駄目……二人で生きる……だから、アズの不足を私が埋める!」

 

 嘆く暇はない。

 

 泣く暇はない。

 

 絶望する暇はない。

 

 一人で立っている時間はない。

 

 世界が名前を奪ったなら、ペルティアはそれを取り戻すだけだ。

 

 世界が全てを奪うなら、ペルティア達は必ず報復する。

 

「それでいいよね……? 私、まだ、戦えるよ」

 

 いざ、Nyarlathotep(邪神)詭謀(きぼう)に復讐を。

 

***

 

 バルライカ達を含む冒険者は、迷宮壁で出入り口を完全に遮断した後、その場に座り込んだ。一部の者は警戒しているが、皆は束の間の休みに精一杯休息する。

 

 もしも処理能力が限界を越えそうになったら、速やかに他の隊に連絡を送りつつバリケードを封鎖する手はずになっている。彼女たちはその通りにしたまでだ。

 

 ペルティアが一人で残ったのは想定外だったが。

 

 ともかく、これをすることで幽体の魔物や壁を破壊してくる魔物以外は街の外――つまり北門(があった場所)から予め開けておいた南門まで回り込もうとする。魔物が持つ最短距離の法則だ。つまり、時間が稼げる。

 

 完全に塞ぐと壁を破壊しようとするので、あくまでも南門付近に魔物が着くまでの間だけだが。

 

 バルライカは辺りを見回して、防衛の要である上級超級が欠けていないことを確認した。

 

 ただし、その要を守るために中級以下には多数の死者が出ている。

 

 後方へ死体を引きずった跡が幾つも残っており、半ばで折れた魔法棒や魔法の巻物(スクロール)の燃えカス、瓶の破片に金属片が幾つも転がっている。

 

 人の命を燃料にしてバリケードは維持された。だがこんなものはいつまでも続かないのだ。

 

「なぁ、マリメラ! こりゃいつまで続くんだ?」バルライカが相棒に囁く。

「あの紫白が――アレが邪神を倒すまでだな」マリメラは喉元まで出かかった名前をボカして言う。

「あー……」

 

 バリケードが完全に封鎖された後の、束の間の平穏。滅びに向かう街で一時を過ごした経験のある“愛の星”の面々は、決意をもう一度固める。

 

「来る所まで来た、という感じがしますね」

 

 ヴェローチェが感慨深く頷く。

 

「ま、ボク達二度目な訳だしネ」

「“愛の星”にはもう、逃げるという選択肢はありませんから」

 

 ヒンメルは遠い昔に思いを馳せた。

 

 彼女たちは皆、“針鼠の肉屋”が滅ぼした都市の地獄を知る者達だ。悪魔から逃げ、正気のまま肉体の操作権を失った人間に追い回され、血と臓物と阿鼻叫喚が降り注ぐ中を幸運にも生き延びた者達だ。

 

 理由は違えど、ペルティアのように此度の戦いに掛ける意気は大きい。

 

 対して、“愛の星”以外の冒険者達は、皆ペルティアに当てられて付いてきただけだ。*破壊*でせり上がった柱の上に佇む彼女を見つめ、その背中に力強さを感じているものの、精神的支柱が無い。

 

 アズが邪神を倒すまで耐えればいい。

 

 彼らはそう信じ、希望を抱き、死力を尽くして戦った。

 

 その幻想は打ち砕かれる。

 

 ――最も忌むべきは、ペルティアが収集してきた魔法の武具を、惜しげもなく皆に配布したことだ。

 

 彼らは悪魔や人型や竜や混沌の“属性(概念)”を持つ魔物に対して、特別強い効果を発揮する道具を得た。

 

 得てしまったが故に、武具に付随する“属性への感知”の力で気付かされてしまった。

 

 認識する魔物の数が二倍、三倍――ああ、悠長に数えている間に逃げてしまった方がいい、そんな考えさえ頭に浮かぶ程に、膨れ上がっていく。

 

 死力を尽くして戦った敵が、巨大な嵐の水の一滴だと思い知らされて、どうして抗う気になろうか。

 

 今まではアズが倒していたので勘定に入っていなかったが、ソレが無くなった以上は希望が絶たれたに等しい。

 

 心砕かれていき、誰もが膝をつく。

 

 誰もが思う。ギリギリの戦いの中で殺される方が、絶望に立ち向かうよりもよかった。希望を抱いて打ちのめされるのは何より耐え難い。

 

 もはや戦意は回復不能。

 

 ペルティアにどれだけカリスマがあろうとも無駄だ。

 

 残された生をどう過ごすか、その段階に入っている。

 

「はぁ……ま、あいつらにゃ荷が重いか」

 

 バルライカは大盾に肘を付きながら後方を見た。

 

 戦意を喪失する中級以上の冒険者達に、魔法の武具を持たない市民や初級、ギルド職員が戸惑っている。

 

「そんなもんさ。全く、あと八百年は生きるつもりだったってのに」

「それなら八百年と言わず、千年生きてみなさいな」

「っ!?」

 

 マリメラは声を出さずに飛び上がって驚く。

 

 死を決意した“愛の星”の前に、音もなくペルティアが現れた。

 

「ペルティアさん、わたし達は引けません。過去に置いてきた後悔を消し去らなければいけないのです」

「真面目臭いわよヴェローチェ。大勢は決したわ。覆しようはない」

 

 あの“真紅の雷光”ペルティアが断言した。

 

「そうですか、やはり……」

 

 ヴェローチェは両手剣の柄頭に掌を乗せ、額を置いてうなだれた。

 

「このままなら、ね」

「……!」

 

 期待の目が集まる。

 

 威風堂々たる様で、不敵な笑みを浮かべ、妖しげな紅の瞳を向けて、ペルティアは両の足で立つ。

 

 絶望に屈しそうな今、彼女たちにはペルティアしか縋れるものがなかった。

 

 いや、ペルティアならば、という思い込みがあった。東の壁を越えて開拓をしようなどと宣ってしまう彼女の大言壮語には、いつも自信があった。

 

 今回も、“愛の星”は信じてみた。

 

「それ、ホント?」

「何だっていいでしょキット、逆転の機会よ!」

 

 ヒンメルがメイスを担ぎ上げて背筋を伸ばす。ヴェローチェはバルライカに支えられ、マリメラが杖を振り回す。キットも渋々といった仕草で――しかし小さく笑いペルティアの下へ小走りで駆け寄る。

 

 次なる策は何か、と。

 

 六人だけが立ち、向かい合い、目に光を宿らせた。

 

「“彼”による状況の打破は見込めないわ。彼はいま偽りの“名”を与えられ、邪悪な存在に転じようとしている。やることは単純よ、今度は積極的に行くわ。彼の名前を取り戻すために、名を叫ぶ」

「……まさか、“命名”されたのか!? 邪神に!?」

「知ってんのか、マリメラ?」

「“名は体を表す”だ! 原初の言葉は真に力を宿し、大いなる者の呼び掛けは世界の(てい)を容易く改める! 神秘の魔法の基礎!」

 

 暗黒の領域の使い手は早口で語る。

 

「えぇ、そうみたいね」

「悠長にしてる場合じゃないぞ“命名”の儀式が完了すれば私達みたいなちっぽけな存在の呼びかけなんぞに答えるわけがない、ペルティア名前は分かるか今すぐ何でもいいから全員に叫ばせでもしないと取り返しがつかなくなる!」

 

 興奮するマリメラをよそに、ペルティアは意外なほど冷めた態度だった。余裕や信頼といった言葉では言い表せない――根深い感情にバルライカは気付いた。

 

「慌てんなよ相棒。で、我らがペルティア様はどうするんで?」

「彼が現れるまで待つのよ。今は沈んでいる、夢に浸るように。声は届かない」

「あー……分かりやすく頼む」

「もう一度アズが姿を表した時――その時がチャンスよ。恐らくね」

 

 その名を呼んだ直後、彼女たちの真上から汚泥が流れ落ちてきた。

 

 虹色に泡立つ不浄は地に落ちると渦を巻いて消え去るが、リング(・・・)の下からは絶えること無く汚泥が流れ続けていた。“渦”に触れたが最後、この世の何処でもない領域に流されて二度と戻っては来れない。

 

 六人は“それ”を中心に距離をとった。

 

 そこに、神はいた。

 

 流れ続ける汚泥にクリーム色の輪を七つ重ねた胴体、萎びた灰色の球形頭部に四方を見つめる複眼の目。

 

 其の名はパティイ・スナ・ウー。渦を呼ぶもの。

 

「総員退避! 誰かを引き摺ってでも第二防衛線まで撤退しなさい!」

「防御陣形1-3-1!」

 

 ペルティアの声に、中級冒険者以上の冒険者は抱えられ、その他の者は跳ねるように逃げた。信号弾が打ち上げられ、全ての戦線で撤退が開始された。

 

 それを尻目に、最も戦術眼に優れるキットの手話と号令で“愛の星”は対特異個体戦術をとった。バルライカを先頭で盾とし、マリメラが後方での固定砲台、他三人が補助だ。

 

苦痛を夢見よ、屈服に歓喜せよ。策は成れり、策は成れり

「希望を見据え、勇気を手繰り寄せなさい。生き残れば、その先が如何なる闇でも道はある!」

 

 滅びに抗うヒトと、流されていく化身の戦いの火蓋が切られた。

 

 “愛の星”がありったけの強化を掛けている間、ペルティアは宙を駆り“渦を呼ぶもの”の懐へ潜り込もうと――

 

「っ!」

 

 刹那、汚泥から伸びた何本もの腕を切り捨て、後ろへ跳ぶ。

 

 “渦を呼ぶもの”は汚泥を波打たせて黒々とした腕を作り、腕は地を這いずって体を動かす。自身で呼び出した腕でさえも汚泥は上から下へと流して渦の中へ消し去るが、お構いなしに腕は呼び出されて這いずり消えていく。

 

 “渦を呼ぶもの”は地を這う蟲の様に素早く動いた。

 

 ペルティアは泡立つ汚泥の腕を切り捨てつつ、迫りくる“渦を呼ぶもの”から素早く後退する。

 

(速い! 腐っても神か、接地したまま汚泥に呑まれたら、何処へ消え去るか分からない!)

 

 ペルティアは汚泥に掠り腐食された腕に、致命傷回復の水薬(ポーション)を振りかけて癒やす。

 

 彼女は“愛の星”と十分に離れている事を確認し、手指を動かして混沌の領域に座す魔法を唱えた。

 

「消し飛びなさいッ――《魔力の嵐》!」

 

 純粋な魔力で形作られた球が炸裂し、“渦を呼ぶもの”の顔面で吹き荒れた。

 

 汚泥が飛び散り、肉体と魂の繋がりが僅かに断たれ、かすり傷の様な跡がポツリと出来た。

 

 ゴム質の表皮が小さく裂けたものの、出血している様子はなく――出血の概念があるかさえ疑わしいが――明らかに軽傷だ。

 

 ペルティアにもそんなことは分かった。

 

 ダンジョンの中でさえ、特異個体を殺そうと思えば時間は掛かるのだ、神の化身であれば尚更で、それが問題だ。

 

(――丸一日、丸一日掛けてやっと相手を消耗させられる、絶望的に手強いわ)

 

 近接攻撃を除けば、《魔力の嵐》はペルティアの持つ最も強い一撃であった。

 

 ペルティアは“愛の星”に一瞬だけ視線を向けた。彼女たちはまだ準備している。バルライカが居なければ攻撃をモロに食らうので、まともに共闘するのは不可能だ。

 

 敵は神の化身。

 

 いや、ほとんど神と言っても差し支えない。

 

 太古、人類という存在が産まれてから、今に至るまで縋り続けてきた存在が神で、それと同等の敵だ。

 

水薬(ポーション)用意!」鋭く指示を飛ばす。

「何を――」

 

 ペルティアが*破壊*の杖を取り出したのを見て、“愛の星”は身構えた。

 

 *破壊*なら、例外なく二振りで殺せると目論んだ。

 

 “渦を呼ぶもの”の汚泥の腕が、彼女の眼前まで迫る。

 

 攻撃が届くよりも早く、ペルティアは完璧な動作で杖を振った。

 

「*破壊*!」

 

 不発。

 

 “渦を呼ぶもの”の萎びた灰色の頭部は皺を深くして喜色を浮かべた。先程汚泥が触れた時、魔力吸収打撃で杖の魔力を吸い切ったのだ。

 

 あまりの出来事に思わず凍りついた表情、ペルティアは一瞬だけ動きを止めた。

 

「ッ――!」

 

 彼女が逃げようとした時にはもう手遅れだ。

 

 汚泥の腕が体にまとわりつき、汚泥の終点――虹色に渦巻いた先さえ分からぬ領域に引きずり込もうとする。

 

「があッ、ぐ、くっ……!」

 

 不浄に蝕まれていく全身には激痛が走り、腕の感覚が遠のいていくが、それでも脚に力を込めて踏ん張る。

 

「ペルティアーーッ!」

 

 キットが*体力回復*の水薬(ポーション)を投擲すると、叩き落とそうとする汚泥を掻い潜り、ペルティアの胴体で砕ける。

 

 刹那、肉体を修復した彼女は短剣を翻し、無理矢理拘束から脱出する。

 

「助かったわ!」

「*破壊*の予備は無いのか!?」

(さえず)るな――《魔力の嵐》

 

 “愛の星”を中心に純魔力球が炸裂。

 

 全員の至る所に裂傷が形成され、血が吹き出した。

 

「っ我が神バーラフバよ、どうか癒やしの力を此処に――《治癒の雨》!」

「クソッ、《壁生成》! 《壁生成》! 《壁生成》!」

 

 ヒンメルが回復し、キットが迷宮壁で射線を遮る。

 

「ペルティア! こっちは気にせず戦え! あたしらはまだ時間が掛かる!」

(――もう強化は終わってる筈……何か策があるの!? でもここでは話せば敵にバレてしまう……連携の巧い彼女たちに任せるしかないわ)

 

 ペルティアは短剣をポーチに仕舞い、新たに武器を取り出した。

 

 それは彼女の背丈ほどもある大剣だった。

 

 肉厚で幅広く、表面は白銀に輝いている。

 

 彼女の細腕ではとても持てそうにないような――大きな両手剣だ。

 

 祝福された『襲撃者たる』古強者のグレートソード《ディフェンダー》。

 

 『殺戮』の概念は先程の『勇気凛々の』短剣よりも遥かに強いが、小回りが利かない。

 

 しかし、リーチで言えば雲泥の差。接近し過ぎが即死を招く“渦を呼ぶもの”に対しては、やっと勝負の土俵に立てると言えよう。

 

 短剣を持って飛び込んで汚泥を掻い潜り、捕まらずにリングを切り裂いて戻るなど、神の化身と相対するに無謀過ぎる行為だ。

 

(有用な武器があるなら、それに自分を合わせる……我ながら無茶を努力でどうにかしたと思うわ)

 

 ペルティアはグレートソードを肩に担ぐ。

 

 彼から教わった――否、死線の中で使い方を学ばされた技術は、短剣術と比較しても謙遜ない領域まで仕上がっている。

 

 使わなかった理由は単純、防衛戦においては押し寄せる魔物の中で十分に効果を発揮できないからだ。持ち替えるだけの隙が出来たとも言える。更に言えば、彼女の象徴でもあったからだ。

 

「ふぅ――――」

 

 ペルティアは大きく息を吐き、担ぎ上げたまま片足を大きく後ろに下げる。

 

 そのまま重心を下げ――駆る。

 

 先程とは打って変わって、小さな殺戮を積み重ねるのではなく、腕力と殺戮で叩き潰すスタイルだ。

 

 ペルティアは階段を駆け上がるように宙を蹴飛ばし、一気に加速して“渦を呼ぶもの”の胴体にグレートソードを叩き付ける。汚泥の終着点たる“渦”とは先程よりも遠く、汚泥の山の頂上に位置するリングと腕をまとめて薙ぎ払える。

 

 同じ戦術であっても、ペルティアならば十分達成可能な域の技だ。

 

(ッ硬い!)

 

 腕の妨害を物ともせずクリーム色のリングにぶち当たったグレートソードは、ゴム質の表皮に阻まれる。

 

 だが、殺戮が作用した裂傷に刃をねじ込み、表面を滑るように裂きながら――ペルティアは横を通り抜けた。

 

 傷は浅いが、《魔力の嵐》よりも深い。

 

 着地と同時に振り返り、追いすがる腕を得物で切り飛ばす。

 

(外皮が硬い、やはり手数を重ねても無理ね。私の魔力じゃ《魔力の嵐》も弱い……だけど、アズから貰ったこのアーティファクトなら!)

 

「別に、倒してもいいんでしょう……!」

羽虫風情が抗うか!

 

 呼吸を一定に、叫ばず、殺意を滾らせ、グレートソードを担ぐ。

 

 屠殺の構え。

 

 死闘ではなく、激戦ではなく、苦戦ではなく、作業として殺す。蟲を潰すように殺す。呼吸をするように殺す。感情を動かさず殺す。一人で踊るように殺す。

 

 人目の殆ど無い環境。士気を気にしなくていいのならば、ペルティアは殺意を漲らせたままに戦える。

 

「ふぅぅぅぅぅぅぅ――――――――」

 

 深く深く空気を吐き出す――それは誰にとっても一瞬のように感じられ――次は肺を満たし、肩が僅かに下がると同時に飛び出す。

 

 “渦を呼ぶもの”は強力なアーティファクトに警戒を示し、複眼がペルティアを視界に収めた。

 

《魔力の嵐》

「っ!」

 

 苦痛に歯を食いしばってペルティアは駆けた。腕を斬り伏せ、払い、避け、表皮に刃を思い切り叩き付ける。

 

 “愛の星”が準備を整えるまで幾度となく《魔力の嵐》を浴び、うめき声一つ上げず、その度に水薬(ポーション)を体に叩きつけて肉体を再生する。

 

 ペルティアはほとんど真横に倒れたまま“渦を呼ぶもの”の周囲を疾走し、腕を掻い潜って彼奴の真上に跳ねた。

 

 彼女は灰色の頭部を真下に、背を反らし――重力に腕と腹の筋肉を沿わせてグレートソードを振り下ろす。

 

 音もなく萎びた果実の頭部は切り裂かれ、刃は半ばまで通った。複眼は瞳孔を彷徨わせ、“渦を呼ぶもの”は呪詛を漏らす。

 

貴ィ様貴様貴様貴様ぁぁああああああ!

 

 ペルティアは空気を蹴飛ばし宙返りで着地した。

 

 瞬間、汗がドッと吹き出す。水蒸気が立ち昇り、人間では耐えられない程に体温が上昇する。心拍数は跳ね上がり、血管を凄まじい勢いで血潮が駆け巡る。猛烈な空腹と乾燥が身を苛み、鉄の味が喉いっぱいに広がる。

 

 間違いなく、己の限界を超越した一撃。

 

 だが呼吸は一定に、グレートソードを担ぐ。

 

「――ペルティア! こっちに!」

 

 キットの言葉とともに疾駆、ペルティアは《魔力の嵐》を浴びながらも“愛の星”の下へ飛び込んだ。

 

「で、何を待っていたのかしら?」水薬(ポーション)瓶を体に叩き付け空腹充足丸を呑み込みながら耳を傾ける。

「神の(ゆる)しを得ました」

 

 ヒンメルが祈りの姿勢のまま答えた。

 

 ペルティアは後背の、第二防衛線やヒンメル自身から神の力を感じ取っていた。

 

 神聖で穢れのない透き通った力。されども、暖かく包み込んでくれる春の陽気や父の如き威厳を感じさせる。

 

 神の力はあちこちに芽吹いていた。ありとあらゆる人類の神が集結し、信徒に、戦士に、親子に、冒険者に力を授ける。

 

 だがそれ以上に、ヒンメルに漲るそれは強い。

 

「人類の興亡この一戦にあり――《神の息吹よ(ゴッド・ブレス・ユー)》!」

 

 ペルティアに痺れるような衝撃が走ると共に、神の力が流れ込む。

 

 神々の意志と善なる力は、最も強い者に宿った。

 

 隅々まで駆け巡った神力に筋肉は溢れんばかりのパワーに満ち、感覚が鋭くなる。まるで己が己でなくなるような――何でも出来ると錯覚する程のパワーが肉体に込められた。

 

 その凄まじい全能感に酔いしれる誘惑を、ペルティアは跳ね除けた。酩酊したままで倒せる敵ではない。噛み締めた唇から流れた鮮血を拭い、己を取り戻す。

 

「これが秘策?」

「ペルティアさん……この逆境を打破できるのは貴女しかいません。神々は、人類の存続を貴女に委ねました」

 

 ヒンメルが冷や汗をかきながら早口で、縋るように言った。

 

「滅亡と繁栄がいま、貴女の上で秤にかけられています……!」

 

 ヒンメルの言葉はペルティアの心に染み入った。

 

 長い間失っていたはずの、砕け散った誇りを取り戻したのだ。神々に未来を託される栄誉――その甘美なる味に、空虚であった器が満たされていく。

 

「私って……意外と単純だったのね」

《魔力の嵐》いいぃいいいい!!

 

 純魔力球が炸裂。だが傷は先程よりずっと浅い。

 

 ペルティアは勝機を見出し――駆けた。

 

(遅いッ!?)

 

 何が神の力だと悪態をつきそうになった彼女だったが、実際はそうではない。

 

 余りある肉体強化をなお追い越す意識の加速。体が重いのではない、感覚が速すぎるのだ。

 

 水の中を進む鈍重さで――風より疾くペルティアは駆ける。

 

 息苦しさで肺が爆発しそうになり、肉体が燃え尽きる程熱くなるのを気にも留めない。

 

 苦痛に喘ぐ肉体、されど体は剣を握る。

 

 鈍臭い動きをした汚泥の腕を遠目に、リングを一裂き。

 

 すぐさま体を反転し、もう一撃。

 

 今度は逆側に駆けて一撃。

 

 腕を切り払い一撃。

 

 切り、伐り、裂いて飛び退き飛び込んで斬る。

 

 精神の限界まで“渦を呼ぶもの”の周囲を跳ね回り、ペルティアは舞い踊る様にグレートソードを振り、着地した。

 

 彼女が振り返って空気を吸えば――――傍目には、刹那の内に化身の肉体をズタズタに引き裂く程の猛攻を見舞っていた。

 

 “渦を呼ぶもの”は苦痛に身悶え、汚泥は剣筋に沿って撒き散らされ、綿の詰め物の如き体液がリングからメリメリと汚物のように溢れ出てくる。

 

 飛び込もうとして出鼻を挫かれたバルライカが「あなたは盾役でしょう」とヴェローチェに引き戻された。

 

下等生物がッ! 神の絞りカスの野糞にも劣るゴミ共がぁあああああああ!!

「勝つのよ、私が!」

Y’dyhauln P’amneelh(無限螺旋へ鬱屈せよ)】【Nilharr B’oovth (無間の呼び声よ)】【Aenomiku S’plazekth velmuze’nt(虹の無幻を暴きし者へ)

「どこでもいいから隠れろぉぉおおおおおおおお!!」

『――Lthyrrm U’npugyr(永劫の渦)

 

 マリメラの叫びに全員が身を翻した直後、“渦を呼ぶもの”から流れ落ちる汚泥が沸騰し始め、虹に煌めく水泡が大量に舞う。

 

 視線を遮っていた迷宮壁が虹の泡に触れると、そこ(・・)は抉れ、何処でもない何処かへ消え去った。

 

「触れたらお陀仏だぞっ!」

薄汚い下等の猿の糞虫がぁ! 永遠の責苦に打ちひしがれるといいッ!

 

 泡の壁が押し寄せる。

 

 冗談ではない、ペルティアは心の中で悪態をついた。おめおめと逃げざるを得ないなど、彼がいま目覚めれば致命的な行動になる。

 

 声は遠ざかり、呼び掛ける余裕はなく、悍ましい化身に磨り潰されて死ぬ末路が誰の目にも見える。

 

(どうする、どうする、どうするの!)

 

 思考は加速するが、現状を打破する手段はほぼ無い。

 

逃げ場など無いぞ! 《龍召――』

 

 その時、世界は凍りついた。

 

 【憎悪の太陽】がバリケードごと化身を焼き払う。

 

 あまりの熱量に“渦を呼ぶもの”の魔法は消え去り、六人は後ろにたたらを踏む。

 

 そして、暗黒の炎の陰から一つの神が立ち上がった。

 

 己を穿つ無数の牙に、暗闇の繭の外套を背負う。

 

 連なる獣の顎門(アギト)に九の星の如き紅の眼を輝かせ、人のように武器を持つ。

 

 だが、アレは最早獣だ。人ではない。

 

 存在(・・)は憎悪と殺意に満ち、広がり、全ての者の希望の空を絶望で(かげ)らせた。

 

 悪の従神。

 

 憎悪と復讐の神。

 

 破滅と再帰の神。

 

 絶望と磔刑の神。

 

 人では呼び得ぬ神の名は――Arhotztohra。

 

 世界は震えて(ひび)割れ、歪みのままに悲鳴を上げた。

 

Y’bhnemerk(血を流せ)

 

 感情のままにArhotztohraは呪う。

 

 《真なる加速》によって世界を置き去りにし、世界中の者を宇宙の只中に突き落とした。

 

 無限の星々の光が暗黒から集い、Arhotztohraと化身の柱を輝く籠に閉じ込める。

 

「どう、なって……」

 

 ペルティア達は、消失した様に見える周囲のあらゆる光景に絶句した。呼吸が出来ない訳ではない。

 

 ただ、大地が無ければ見える筈の光景に、景色が切り替わっているだけだ。

 

 “渦を呼ぶもの”は彼女たちの目の前で光の籠に吸い込まれていき、虫を潰すように殺された。あっという間の出来事だった。

 

「A、A、アルホツズトォーラ……」

 

 我に返ったマリメラが喉を震わせて、恐る恐る異名を呼んだ。ペルティアは射殺さんばかりの気迫で彼女を睨み付ける。

 

「て、手遅れだ……もう呼べない、呼べない……もう」

「……」

「そんな……神よ! バーラフバよ!」

「何か、まだ出来ることがっ……!」

「ボクじゃあ……何も思いつかないヨ……」

 

 世界は邪神の企みに追い風を吹かせた。

 

 邪神Nyarlathotepが勝利してしまったこの世界の、誰一人であろうと彼の者の名を呼べない。

 

 ペルティアは待つべきではなかった――だが、どのみち彼女が彼を呼び戻す事は出来ない。

 

(取り返しの、つかない…………)

 

 彼女の嫌な予感は当たっていた。

 

 喉が裏返る痛みにペルティアは首元を抑えた。グレートソードを手放し、石畳に手を付いてうずくまる。

 

 あまりの衝撃に目は開いても光を捉えず、天地がひっくり返ったようにバランスが取れなくなる。

 

「あァッ、ぁ……っ、だ、め……!」

「大丈夫かペルティア!?」

 

 喉を震わせる彼女にバルライカが駆け寄って、肩を貸して立ち上がらせる。

 

(前が見えない……! どこ、どこに居るの!? 彼の力が、感じ取れない……!)

 

 あらゆる人類の神々の力が霧散していく。

 

 ただ、ヒンメルのか細い祈りだけが、ペルティアの背に暖かな力を繋ぎ止める。

 

 その内に光の籠は解けていき、景色が元に戻る。

 

 六人の目の前には、先程までは街だった筈の――砂漠が広がり、【憎悪の太陽】が光を吸い取って暗黒に輝く。

 

 地表は陰り、嵐の夜の海の如く暗闇を波打たせていた。

 

「け、剣を……!」

 

 ペルティアは嗚咽ではなく言葉を漏らす。

 

 意図を汲んだキットは、彼女の魔法のポーチから常用している短剣を取り出して握らせた。

 

 ペルティアは決意している。

 

 目の前が見えなくなる程辛い現実があっても、戦うだけだ。

 

 例え、抗う術無き絶望が襲い来るとしても。

 

 戦うしかない。

 

「戦え、戦うのよ……わたし……!」

 

 確認するように繰り返し、自分を励ます。

 

 此処で歩みを止めれば、今までの軌跡は何だったのか分からなくなる。己の存在証明のため、彼を取り戻すため、ペルティアは生まれ変わったのだ。

 

 彼女は力が全く入らない手で、前が見えない目で、一歩進む事すら億劫な脚で前へ行こうとする。

 

 例え誰もが名を呼べなくとも、*勝利*のために――彼を呼び戻すために往く。

 

 ヴェローチェが《祝福》の魔法を掛けると、ペルティアの震えは収まり、まっすぐ短剣を掲げることが出来た。

 

「お願い……《勇気凛々》!」

 

 祝福された『勇気凛々の』短剣《竜殺し》は青白く輝き、魔法はカオスゲート中に広がった。そして、彼女自身に並々ならぬ勇気を授けた。

 

 無駄と戦う勇気、一歩を踏み出す勇気、取り返しがつかないとしても……諦めない勇気。

 

 彼女が視界の暗闇を払うと、Arhotztohraが【憎悪の太陽】を呑み込む。

 

 光は完全に消え失せ、何一つとして見通せない夜が訪れた。

 

 本当の夜だ。

 

 二度と開けない闇が降りてきた。

 

「あ"ぁぁァああ"ああぁあああ"あ"あ"あ"あ"あ"ァァァアアアア!!」

 

 彼は暗闇の中で一人咆哮し、紅の星の眼を東に向けて歩み出した。

 

 ペルティアはその姿に、迷子が泣き叫ぶような面影を重ねる。孤独な声だ。冷たい声だ。彼は誰かを探している。

 

 彼女は目を見開き、真紅の瞳で彼の姿を追う。

 

「行くわ」答えも聞かず宣言した。

「待ちな……《影のゲート》」

 

 マリメラが暗黒の魔法を唱えると、暗闇に溶け込んだ門が現れた。彼女に出来る限界まで遠く――Arhotztohraの近くまで繋がる門だ。

 

 “愛の星”は道を示した。

 

 ペルティアは重たいポーチを投げ捨てて、何も言わずに飛び込む。

 

 力の限り駆けるのだ。

 

 腕を振り、脚を回転させ、熱砂を蹴飛ばし走る。

 

 彼の背中を――暗闇で微かに灯る青白い角灯(ランタン)を追い掛ける。

 

 されど歩みは大きく、東へ、東へ、東へ、彼はペルティアを突き放して歩く。

 

「A、A、ぁ…………あ――」

 

 ペルティアは彼の名前を呼ぼうとした。

 

 だが呼べない。

 

 名前が出てこない。

 

 しかし、頭の中で何かが弾けた。

 

 ペルティアは喉の奥に絡まる鎖を打ち砕き、あらん限りの力で叫んだ。

 

「アズぅぅううううーーーーッ!」

 

 少女は世界が掛けた呪いを振り切って走る。

 

「アズっ、アズ! 待って、待ってよ!」

 

 願おうとも彼は待たない。

 

 目の端には涙が浮かび、ペルティアはさらに名前を呼んだ。

 

「私をっ、忘れたの!? アズ! 戻ってきて! アズッ!」

 

 砂の山を駆け上がりながらペルティアは走る。

 

 だが、どれだけ腕を振ろうとも角灯(ランタン)の光は遠ざかり、見上げていた筈の顔が徐々に下がっていく。

 

 青白い星が滲む。

 

「アズが居なきゃ、生きていけないの! 何で置いていくの、アズっ! 待って、待って……!」

 

 涙を拭うことすら惜しんで砂の山を駆け下りたペルティアは、勢い余って転倒する。

 

 鉄臭い砂に塗れて髪が汚れ、肌が焼けても、彼女は這いながら立ち上がって疾走する。

 

 脚が千切れ肺が潰れようとも、止まるつもりなど無い。

 

 文字通り死ぬまで。

 

「アズ! アズ! 待ってよ……待ちなさいよ……! 私が、これだけ言ってるのにっ、アズッ! いや、いやよ、アズ……!」

 

 存在を乗せた渾身の叫びは届かない。

 

 ペルティアはいつの間にか、過去の事ばかりを思い出していた。

 

 一晩中手を握ってくれた彼を、呼べば必ず答えた彼を、悲しみを垣間見せた彼を、決して諦めていなかった彼を。

 

 こうして叫べば、いつものように名前を呼んでくれる気さえした。

 

 当たり前に側に居る人が居ない、それだけで彼女の心は千々に乱れていく。

 

「もう失いたくない! アズ! あなたを……っ!」

 

 ろくに言葉も交わせないまま、一方的な決別を味わう。

 

 そんな絶望から逃げるように彼を追い掛ける。

 

 記憶の中の彼に手を伸ばす度、胸が痛み息苦しくなる。

 

 彼の――かつてない程の悲しみの叫びがペルティアの耳から離れない。

 

 例え獣の如き体に成り果てようとも、引き裂かれた彼の心の叫びを忘れたりはしない。

 

 だからペルティアは走る。

 

 走る。

 

 走る。

 

 走る。

 

 そんな、無駄な行為を続けてしまう。

 

 どれほど彼が遠いのか――今はもう東の壁を越え、万を越す山脈を跨いだところだ。

 

 声が届くはずもない。

 

 脚が追い付くはずもない。

 

 砂漠すら越えられぬ緩慢さで、星に手が届くはずがない。

 

 ペルティアはひたすらに叫ぶ。

 

 存在(・・)を乗せて、喉が千切れる程に咆哮する。

 

 脚はもうクタクタだ。

 

 疲労で姿勢が崩れていく。

 

 無駄な行為だ。

 

 走って叫んで苦しんで、彼女の心は砕けていく。

 

「こんなにも苦しいのに、あなたはっ! 私の気も知らないで……!」

 

 だから、ペルティアは絶望した。

 

「ねぇ、助けて、アズ……私を助けて……助けなさいよっ、ばかっ! 私を、助けなさいよぉぉおおおおッ! アズぅぅうううう!!」

 

 泣き叫び、崩れ落ちる。

 

 もう走れない。

 

 一人では、立ち続けられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 深い深い水の中。

 

 光の届かぬ胎内。

 

 音さえ届かぬ闇。

 

 獣が抱く絶望の中で、男は目覚めた。

 

 理性を形どる男は、己よりも深く沈んでいく子供に話し掛けた。

 

(聞こえただろう、今の声が)

 

 子供は沈んでいく。

 

 目を塞ぎ、耳を閉ざして、丸まって。

 

 男は繰り返す。

 

(聞こえただろう、今の声が)

「うるさい!」

 

 子供は叫んだ。

 

 外は自分を虐めるもので溢れている。

 

 子供はもう疲れていた。

 

(何故諦める。力が在るはずだ)

「……誰かを助けた事なんてないよ」

 

 子供は首を振る。

 

 男は諦めなかった。

 

(少なくとも一人は助けている)

 

 男は沢山の手に押さえつけられた。

 

 理性など、所詮は感情に振り回されるもの。

 

 子供が主となった内的世界では、無力に等しい。

 

(王の手によって死刑となる筈の、ペルティアを救ったのはお前だ)

「ふざけるな! 僕は表になんて出てない! 気狂いの理性がやったことだ!」

(理性だけで生きる者が何故無駄なことをする? 復讐を終えた者が何をすると言う? 俺を動かすのは何時であろうとお前だ)

 

 子供は男の口を沢山の手で押さえつけた。

 

 だが、その力は弱々しい。

 

(今なら間に合うぞ。お前が救った者を、今度こそ救うのだ。心よ、感情よ、真なる願いを取り戻せ)

「い、嫌だ……どうせ、どうせ一人なんだ……誰も僕を助けてくれない!」

(お前は渇望している。理解している。信じたいと願っている。隠そうとも分かるぞ。走り出すのがお前なら、手綱を取るのが俺だ)

 

 子供は絶望の中でもがいた。

 

 諦観に耳を閉ざし、憎悪に目を潰され、深い孤独に押し潰されてなお求めた。

 

 救いを。

 

 ただ一人の理解者を。

 

(ペルティアは手を差し伸べた。答えろ)

「あ、あぁ…………助けて……僕を助けて……まだ諦めたくない!」

 

 男は力を取り戻す。

 

 沢山の手を振り払って子供を抱き、水面へ上がっていく。

 

 上昇するほどに男の中で力が漲り、子供は眠るように瞼を閉じた。

 

「己を誇れ、お前は今、絶望を踏破した」

 

 

 

*

 

 

 

馬鹿な……!? 獣性が剥がれ落ちただと!?

 

 Nyarlathotepの化身は、残された上半身の顔を驚愕に歪めた。

 

何故だ!? 完璧な儀式だった筈だ!? 自力で脱出するなど有り得ん!?

 

 獣の威容は崩れ始めた。

 

 溶けるように彼を包む暗闇が落ちていく。

 

どうやって名を剥がす!? 私の支配から逃れたと言うのか!?

 

 溶け落ちた暗闇の底には巨躯の者が一人立つ。

 

 見るも悍ましいアーティファクトに身を包んだ者だ。

 

何者に出来ると言うのだ!? 何者がしたと言うのだ!? 貴様は何故戻った!? 如何なる方法でさえも効く筈がない!?

 

 彼は黄金球と手斧を持ち、背中から暗黒の幽星(アストラル)体を生やしている。

 

貴様は何で出来ている!? 我の操り人形(プレイヤー)を何処へやった!? 貴様は……貴様は誰だァァァァああああああ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"ァァアアああああああ!?

 

 狂乱する化身――否、Nyarlathotepは最早動く力すら残していない。

 

 全てが上手くいく筈だったから。

 

 アズは空を越え、ペルティアに歩み寄る。

 

 彼女は呆然としたが、涙を拭って砂を払う。

 

「……すまなかった」

「遅いのよ……でも、来てくれたのね」

「そうだ、お前と誓った。今度こそ、俺と共に生きてくれ、ペルティア」

「……ばかね、もう離さないわよ。アズ」

 

 ペルティアは差し伸ばされた手を掴んで立ち上がった。

 

 いつの間にか、東の空が白んでいた。 

 

 二人は微かな日の光に照らされ、お互いに見つめ合う。抱いた気持ちは同じだった。

 

それは何だ!? 何の力も無い小娘が何故ここに居る!? 私の計画を破壊したのは誰だ!? 答えろ答えろ答えろぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおプレイヤァァァァアアアアああああああああああああ!!』 

 

 Nyarlathotepの絶叫が響き渡る。

 

 アズは幽星体の腕で遠くに落ちている化身の上半身をつまみ上げ、自分の目の前に叩き付けた。ついでに、南門周辺の魔物を魔法で一掃する。

 

 上半身は指を鳴らして『思い出せ』とだけ言う。

 

「無駄だ。今の感情の封鎖にお前が介入する余地は無い」

「感情……?」

「後で話そう」

糞袋がァ! 私のプレイヤーを下等生物の売女如きがァアアアアアアアアアアア!!

「下等生物に負けた雑魚が吠えるな」

 

 ペルティアが煽ると上半身は言葉を尽くして罵った。

 

「最早“視”るだけの道具だ。今のお前には何もできん」

掃溜めの肉共めぇぇええええ…………呪ってやる

 

 化身は彼女を指差した。

 

「ッアズ!!」

「無駄な足掻きを!」

お前は“悪”だ、世界が認める“悪”なる存在だ!! 孤独を味わえ、孤立しろ、逃れ得ぬ絶望に屈服しろ、貴様は未来永劫味方を得られぬ!

 

 アズが射線を遮りながら、黄金球で化身を肉塊に変える直前、動きを止めた。

 

「……そうか」

あぁ……

 

 突如、二柱は何かを理解した。

 

「何……?」

「お前は……今呪われたのではない、既に過去を呪われていた」

ハッははハハハッはハハハハハハッはヒィィ――ッヒヒッヒイヒヒはひはひふはへへへははへはははは!! 因果は逆転していた!! なるほど!! 私が気付かないわけだ、ははははははははははははは!!

「呪いって……」

「“悪”の定め、滅びの未来の確約。尤も、その策すら既に打ち破られていたようだ」

破られた? いいや、お前は“悪”だ! 刺客は既に放たれていた!! 逃れられるものかぁぁあぁあああぁぁぁ……必ず殺してやるぅぅぅ……Nyarlathotepはまだ居るぞ、宇宙を越えて貴様らを滅ぼしに来るぞ!!

「そうか」

 

 アズは化身に幽星体の腕を突き入れる。魂の領域で化身の力を破壊し、本体と繋がっている“視”る力だけを残した。肉体は霧散して目玉が一つだけ残る。

 

「お前にはこの“苦悶の球”に入って貰おう。拷問など貴様には何処吹く風だろうが……」

 

 彼は目玉をつまみ上げ、その向こう側のNyarlathotepに話す。

 

 呪われた実感も何もないので、ペルティアはその様子を黙って見守った。言いたいことは山程あったが、それは別の機会に話すことにした。

 

「“視”ろ、お前には俺の憎悪など欠片もくれてやるものか。これは貴様が殺した人間達による復讐だ……死んでも後悔しろ」

 

 目玉は悪魔の拷問道具“苦悶の球”に押し込められ、今もなお悶え苦しむ“支配”の悪魔共と永劫の責苦を受け続ける。

 

 向こう側のNyarlathotepが罵詈雑言を喚き散らして辺りに八つ当たりするのを見て、アズは満足した。

 

 ようやく、過去の忌々しい因縁に終止符が打たれた。

 

「終わった?」

「ああ、終わったよ……ペルティア」

 

 どこか、今を見ていない彼の様子にペルティアは気付いた。

 

「可笑しいか?」

「全然、いいと思うわ」

 

 沈んだ太陽が登る。

 

 夜は去り、朝日が地上を照らす。

 

 二人に付きまとった運命は姿を消した。

 

 道はもう一つではない。

 

 彼らが往く未来は、もう誰かが決めたものではないのだ。

 

「さ、帰りましょう! アズ!」

 

 彼女は満面の笑みを浮かべ、仲間の下へ帰る。

 

 西に伸びる影が一つ、カオスゲートへ……。

 

 

 

 

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