クソゲーの『悪役』令嬢と『デーモンスレイヤー』   作:傘花ぐちちく

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第四話 『黄金』の誓い

 ペイルティシアが所属していたエゲレス王国には”六本柱”と呼ばれる六人の天才がいる。

 

 彼らは農業、工業、内政全般、外交、軍事、経済に関する逸材であり、五〇年でエゲレスの国力を一気に近世、近代付近まで持ち上げた。

 

 千年に一度の人材が一気に六人も政の場に現れた上、歴代の国王が鉄人と凡人だけだったこともあり、改革は一気に進んだ。

 

 “六本柱”達が現れる前は混沌の勢力の大攻勢で国が疲弊しており、人外達の攻勢を跳ね除ける力が求められていた。

 

 時代は英雄ではなく、より多くの兵を、大勢力を、人と鉄の動く強大な国家を求めた。

 

***

 

 “針鼠の肉屋”達はフライス帝国の首都パルスを囲む長大な城壁が見える丘に転移した。

 

 黒竜の死体を連れて城門に歩みを進めると、城壁がにわかに騒がしくなり武装した兵士が八人程出てきた。

 

「だ、誰かと思えば“ローグライク”様でしたか……」

『連れが竜を持ち帰った』

「どうぞ! いま道を開けますので、お通り下さい!」

 

 小馴れた様子で兵士達が対応するが、竜は想定外だったようで少なからず動揺が見えた。

 

 順番待ちをする多くの人間から畏怖の視線を向けられつつ、強大な竜の死骸は帝都パルスに持ち帰られた。

 

 帝都のよく整備された交通網には馬車が多く走っているが、ゴーレム達が歩けば商人たちは道を開けてポカンと竜を眺めた。

 

 市民は帝国の武を誇り、瞬く間に噂が伝播する。

 

 兵士達も報告を行い、竜殺し(ドラゴンキラー)は皇帝の知るところにもなった。

 

 そうして全長二〇メートルを超える黒竜を屈強なゴーレムたちが持ち上げて行進する様は、帝都中の人間にあっという間に知れ渡った。

 

 その報が冒険者ギルドに持ち込まれれば熟練の者達は我が耳を疑い、若い者は我も我もと功を急く。

 

 冒険者ギルド――平たく言えば退治屋と探索家の集団だ。

 

 2種類の人間に大別されるが、片や混沌の領域より来る魔物やゴブリン等の妖魔を殺す者、片やいつの間にか作られるダンジョンを攻略する者。

 

 それらはまとめて冒険者と呼ばれた。

 

 竜殺しは禁忌にして、最上の富か名誉をもたらす。

 

 ダンジョンの奥深くで待ち構える竜は宝を蓄え、人間の領域に攻め込む邪竜を討伐することは英雄として唄われる程の偉業。どちらにしても、最高の冒険者でなければ務まらない。

 

 故に異様な熱気がギルドを渦巻く。

 

 そして、ギルドの前で大歓声が上がった。竜だ、竜の死骸が届いたのだ。

 

 歓声に続いて暗褐色のローブの魔術師、迷彩色の鎧の巨漢、見目麗しい金の美女の奇妙な三人組がギルドに入ると、蜂の巣をつついたような騒ぎが起こった。

 

 彼らはその騒ぎを一瞥すらせず、一直線に受付の猫人(キャットマン)に話し掛けた。

 

「買い取れ」

 

 “針鼠の肉屋”の言葉に猫耳を生やした受付嬢はブンブンと首を縦に振る。

 

「まぁ、汚い穴ぐららしく、汚い獣が居るのね」

「フライス帝国は多種族国家だ。エゲレス王国のように人族主体というのは非常に珍しい」

 

 ペイルティシアの何気ない侮辱に、何人かの獣人が席を立つ。

 

 小人族や妖精族は猛る彼らからは距離をとった。

 

「それで、いくらだ」

「え? ……え?」

「買い取れないのか?」

「いぇ、ぁの……」

 

 こんなものを自分の一存で決められるわけないだろ! と涙目になった猫人がプルプルと震えると、奥から飛ぶようにやってきた別の職員が応対した。

 

「いえいえ、もちろん買い取らせていただきます。皆様お疲れのようですし、どうぞ奥の方で話を――」

「交渉は私がやりますわ、案内なさい」

 

 “針鼠の肉屋”の前にずいと現れ、彼女は戸惑う職員を連れて個室へ入った。

 

『ここまで面倒を見れば十分だろう、俺は行く』

「世話になった」

『新たな冒険に出る。次はもう無いだろう』

「そうか」

 

 それ以上言葉を交わすことなく、“ローグライク”は《テレポート》で消えた。

 

 “針鼠の肉屋”はペイルティシアの後を追うように個室に押し入った。

 

 

 

 ホクホク顔の職員に見送られてギルドを後にした二人。

 

 手にした金貨は相場よりもかなり少ない。

 

「随分と、買い叩かれていたようだが」

「よく考えれば、エゲレス王国に戻るだけの資金で十分ですわ。それと、あれは貸しにしただけ。竜殺しから竜を買い叩いたなどという悪評をバラまかれて困るのはあちらですもの」

 

 ペイルティシアは手にした金貨を持ってライダーズギルドで馬を2頭購入し、飼料と水、道中の食料を買い込んで“針鼠の肉屋”に持たせた。

 

「さぁ、王国に帰りますわよ」

「そうか、付いていこう」

「……?(アッサリ認めましたわね。誘拐した挙げ句、私をものにすると言っていますが、どうにも目的が分からないわ)」

「馬に乗るのか、馬車ではなく、馬に?」

「目立つわ。私ほどの貴族なら誘拐してやろうとする輩がごまんと居るわ。口が堅い者を見分けるのは至難、あなたが護衛すればその点は…………」

「どうした」

「いえ、なんでもありません。行くわよ」

 

 言葉を切ったペイルティシア。彼女はプリプリと怒ったように馬の手綱を引いて城壁の方へ歩いていく。

 

 二人で馬を引き、入ってきた方とは逆の門へ。

 

 何事もなく外へ出られると思っていた二人だが、門を守る兵士とは装備の質が一段違う者達が、外に出ようとする二人に気づいた。

 

 彼らが二人をあっという間に囲むと、ペイルティシアは“針鼠の肉屋”を盾にするようにその背に隠れる。

 

「我らは皇帝直属のインペリアルガードである! 竜殺しの冒険者よ、皇帝陛下がお呼びである」

「断る」

「……我らにも我らの事情がある。手荒な真似をさせないでくれ」

「掴まれ、ペイルティシア」

「――捕えろッ!」

 

 ペイルティシアが迷彩色の外套を掴むと、彼は目にも留まらぬ速さで《テレポートの巻物(スクロール)》を使う。

 

 瞬間、飛び掛かったインペリアルガード達は空を掴み、呆気にとられた。

 

***

 

「……あなた、もう少し穏便に解決できなかったの?」

「国を滅ぼすのは容易いが、口実を作って逃げるほうがまだマシだろう」

「そ、そうなの」

 

 ペイルティシアはピクピクと引き攣った笑いを作る。

 

 やることのスケールが大きいのか小さいのかハッキリしてほしい――そんなことを考えていたが、“針鼠の肉屋”は彼女を馬の上に放り投げて乗せた。

 

「――ちょっと、何を!」

「《テレポート》の飛距離はあまり長くない。帝都の壁が霞んで見えるまでは欠片も安心できんぞ」

「もう! 街まで行けるような呪文は無いの!?」

「……」

 

 沈黙で返すと彼は馬を走らせた。ペイルティシアも遅れないように手綱を握ると、彼の後を追い掛ける。

 

 王国へ続く北への街道を走り、星が輝けば横道に逸れて野宿する。

 

 朝日と共に馬を駆り、道のない平野を北へ北へと駆けていく。

 

 冬場で草丈は低く、冷涼な風を遮るものは何もない。

 

 肌を刺すような寒さに外套を幾重にも被り、馬で駆け抜けること更に三日。

 

 ついに二人はエゲレス王国の国境を越えた。

 

 彼らは東に見える巨大な山脈を見送りながら、王国領内を再び北へ走る。

 

「この近辺の地形は知っているわ。もうしばらく走れば、我がディセンブルグ侯爵家の領地よ」

「そうか、お前の土地か」

「ええ、そうですわ。私の家の、土地ですわ」

 

 実家へ帰れるとなったペイルティシアが嬉しそうに顔を綻ばせる。

 

 風の高い鳴き声が二人の間を駆け抜けていって追い越す。

 

 枯れ草のささやきに気付いたペイルティシアが昔の記憶を手繰り寄せると、いつの間にか口は勝手に話し始めていた。

 

「この辺りは大穀倉地帯よ。我が領の兵士達が巡回を行い、妖魔達の侵入を徹底的に防いでいるわ」

 

 暗い雲が風に流されていって空気がじっとりと湿気を帯びる。

 

「東の防壁の切れ目が近い領域だったな。生きている妖魔を狩ったことはあるか?」

「そうね。子供の頃、父と共にヒポグリフ狩りを行ったわ。鷹で兎を狩るよりも迫力があるのよ?」

「ヒポグリフか、騎獣になるというが。生きたものを見たことがない」

 

 鷹の上半身と獅子の下半身を持つグリフォンと馬のハーフがヒポグリフであり、馬力が凄まじく気性が穏やかなので、どの国でも騎獣として積極的に登用されている。

 

 だが“針鼠の肉屋”には縁がなかった。というよりも、見たことがあっても、それはダンジョンに出てくるものだ。“生きている”とは言えない。

 

 それを聞いたペイルティシアは満足そうに頷き、意地悪そうに笑みを浮かべた。

 

「……そう、そう、そうなの。えぇ、えぇ、あなたが見たいというのであれば、見せてあげますわ」

「そうか、是非とも見せてもらいたい」

「まぁ、あなたは私を誘拐した大罪人。その一生を掛けて罪を贖いなさいな。気まぐれで牢からは出してあげてもよくってよ? オーッホッホッホ!」

 

 幼少より、ペイルティシアは王都が生活の中心で長らく帰郷していない。

 

 都会的な文化の方が快適で親しみ深いが、昔と変わらないディセンブルグ領の景色につい童心を思い返す。

 

(――帰ってきたのよ、我が故郷に。十六日はあまりにも長かったわ……父上にはまず手紙を出して、それから十分に話し合わなくては)

 

 大きな丘を越えると一陣の風が吹いた。

 

 雨も降っていないのに雷が鳴り、龍の代わりに雲間へ消える。

 

 黄金の髪がたなびいて、彼女は馬上で曇天に気付いた。

 

 生まれ故郷の都市ディセンブルグ。

 

 昔と異なる門構えに尖塔から突き出た大砲。

 

 ペイルティシアは物々しい雰囲気を漂わせている故郷に、産まれて初めてやって来たような気がした。

 

 二人が城門に近づくと、汚れた軍服を着た老齢の門兵が驚きの表情を浮かべた。

 

 彼は手に持った槍を投げ捨てて彼女の乗る馬に駆け寄り、真っ赤な顔で臣下の礼をとった。

 

「そのお顔、その気品ある立ち振る舞い、この老骨見間違えますまい! ペイルティシアお嬢様、ご無事で、よくぞご無事で……」

「お前は、騎士ラルドね。心配掛けたわ。出迎えご苦労、早速屋敷へ案内なさい」

「…………」

 

 高圧的な命令に老齢の門兵は答えない。

 

 我儘には慣れていたはずの、元・騎士は答えない。

 

 彼女に駆け寄った時の喜びは今や消え失せ、顔を伏せたままだ。

 

「聞こえなかったかしら、屋敷へ案内しなさい、と言ったのよ」

「……ありません」蚊の鳴くような声だ。

「なに?」

「お嬢様、お屋敷はもう、もうありません……。侯爵様は、第二王子への暗殺未遂と、国家への反逆により、ディセンブルグ家の皆様と共に処刑されたと、聞き及んでおりました」

「――――何を、言っているの?」

 

 元騎士の言葉にペイルティシアは目を見開き、絞り出すように言葉を発した。

 

 大貴族が一族もろとも処刑されるなど異例中の異例。

 

 されどこの忠義に厚い騎士が冗談を言うはずもないとよく知っていて。

 

「無礼、よ……そのような、そのような主への反抗的な、言葉遣いは」

「……伝令は、王都の広場で、ギロチンにかけられたご当主様方を見たと」

 

 心臓の音が聞こえるほどの沈黙。

 

 徐々に近づく雨音。

 

 家臣であった彼は、彼女が無事であったことだけは喜んでいたのだ。

 

 哀れみを含む視線に気付いたペイルティシアは、自分に言い聞かせるように叫んだ。

 

 家主を拒まないのが家だろう。

 

「黙りなさいっ! 我が家は滅びないわ、屋敷へ、父上の下へ案内しなさい!」

「しかしっ、お嬢様!」

「くどいぞ! 我が目で見た事が真実よ! 騎士風情が意見するな!」

 

 怒鳴りつけて黙らせ、ペイルティシアは馬を歩かせた。

 

 ラルドも観念したのか、トボトボとペイルティシアを誘導する。

 

 馬がヒン、と(いなな)けば、“針鼠の肉屋”もそれに続く。

 

 

 

 都市の中心、鉄柵で囲まれた広大な敷地には三階建ての豪奢な屋敷があり、鉄門の前には背筋をピンと伸ばしたマスケット銃兵が二人立っていた。

 

 真新しい軍服に身を包んだ青年たちは、三人を目で捉えた。

 

「……何よ、あるじゃないの」

「お嬢様、ここは既にエゲレス政府の、ディセンブルグ市役所になっているらしく……」

「門番! ディセンブルグ家の長女が帰ったわ。お父様にもその旨知らせ――」

「――うるせぇぞガキ! てめぇみたいな奴はもう死ぬほど見たんだよ!」

 

 門番の大声に驚いたペイルティシアがビクリと肩を震わせた。

 

「おいアンタ、門番のラルドさんじゃないか? こんな奴を連れてどうしたんだい。しかも馬なんかに乗った」

 

 もう一人の青年はすがるような、ウンザリしたような視線をラルドに向けた。

 

 ――理解が、追い付かない。

 

「……済まない。知り合いの子でね、真似をしないように注意しておくよ」

「ならいいんだけどよ」

「そっちの冒険者のあんちゃん! 見ない顔だね、ギルドは移転したぜ、向こうの方へ行きなよ」

 

 空気の悪さを察した青年は爽やかな笑顔をみせ、親切に道を教えてくれる。

 

 ――悪意はない

 

 雨が降り始めて青年達が笑う。雨具がありゃ濡れなかったんだがなと。

 

 ――悪意がない

 

 国軍兵はただ仕事をしているだけ。

 

 だから余計に分かってしまう。

 

 ――ディセンブルグ家は、滅びたの?

 

 受け入れがたい現実が彼女の頭を()ぎった。

 

 “針鼠の肉屋”が馬の手綱を引いて、ラルドと冒険者ギルドのある区画とは逆の方へ行く。住宅地や高級宿の方だ。

 

 ラルドが捨て犬のように背中を曲げて、早足で馬を引いた。

 

 強い雨がペイルティシアの髪を濡らす。

 

 濡れることさえ嫌がらず、脱力したままラルドの言葉を反芻(はんすう)する。

 

 ――暗殺未遂と国家反逆、ディセンブルグ家の者は処刑された

 

 彼女も問題の火種に心当たりがあった。何かが起こると思っていたが、よもや王家が性急に苛烈な対処をするとは思ってもみなかった。

 

 後ろめたさや急な不安に視線を巡らせると、辺りは見た覚えのない景色。

 

 知らない場所では無いはずだけども、ここは自分の居場所でない。

 

 ――ディセンブルグ家は、処刑された

 

 空から光が一筋落ちて、大きな雷鳴が轟いた。

 

 肌に貼り付いた髪の毛が視界を塞ぐと、髪を伝って雨が流れ落ちる。

 

 ――処刑された

 

 馬が歩みを止め、ペイルティシアは促されて下馬する。

 

 その表情は暗く、瞳は弱々しい。

 

「お嬢様、今夜はこちらの宿に泊まりましょう」

 

 ラルドの言葉を否定したくて、彼女は強がりを口にした。

 

「……う、嘘よ、そんなの、うそにきまって……」

「お嬢様?」

 

 溢れ出たのは涙と嗚咽、拭えども拭えども涙が溢れ、口を塞いでも嗚咽が漏れる。

 

 ペイルティシアは理解した、家が潰れて一人残って、膨らむ期待が破裂した。

 

 なまじ賢いばかりに正しく理解した、誰も何も見向きもしない、貴族の娘に気付かない。

 

 この世界の誰もがペイルティシアを必要としていない。

 

 「無価値となった貴様に誰が手を差し伸べるものか」「役を果たせぬお前に用など無い」幻聴が彼女にそう囁いた。

 

 彼女は付加価値の消え失せた女に成り下がった事を理解した。

 

 真実はペイルティシアの存在を根幹から否定し、彼女自身に自分の醜い虚飾を突き付けた。

 

「あぁ、あぁ……っ、なぜ、お父さま……! うっ、ぅぅぅぅ……」

 

 偉大な父へ縋り付ければ、どれほど安心できたことだろうか。されど嘆く事しかできないその絶望は、ペイルティシアの心を粉々に踏み砕いた。

 

 彼女は膝を折りそうになり、“針鼠の肉屋”の冷たい手に支えられた。

 

 ずぶ濡れのまま宿に立ち入った3人を呼び止めようとした従業員に、“針鼠の肉屋”は金貨の詰まった袋を投げ渡した。有無を言わせず押し入って、一番近い空き室に彼女を運ぶ。

 

 ヨロヨロと連れられて歩くペイルティシアの姿は痛々しく、背を見送ったラルドの唇から血が流れた。

 

 肉親を喪った悲しみ、全てが消え去った虚無感、崩れ去った心の悲鳴、ペイルティシアはその全てを押し留めた。

 

 他人の目と空っぽの誇りが、辛うじて栓になっていた。

 

 “針鼠の肉屋”が扉を閉めると、ペイルティシアは食いしばった歯を震わせ、思いを吐き出した。

 

「うぅぅううっ、あぁぁああ! どうして、どうしてっ! うぁぁああああ!」

 

 ペイルティシアは両手で涙を何度も拭いながら、抑えていた声を漏らし、慟哭(どうこく)する。

 

 帰る場所があることを当たり前のように思っていた。

 

 ディセンブルグ家が国の行き先を支えていると自負していた。

 

 何の価値もなかった。

 

「ああぁああああ! ああああ――――!」

 

 絨毯に跪いて、身を切られる思いに号泣した。

 

 泣き出した彼女の口から激しい哀しみが堰を切ったように溢れ出た。

 

 どうして、どうして、ただそればかりを幼い少女のように繰り返す。

 

 ペイルティシアはどんな役割を背負わされようとも誇りを持っていた。

 

 何もかもが知らず知らずのうちに消え去っているはずがなかった。

 

 全て砂上の楼閣で、半月足らずで消え去った。

 

 取り戻したいと思ったもの、迎え入れてくれるもの、支えてくれるもの、大切なものは何処かへ行った。

 

 容赦ない事実に打ちのめされたペイルティシアは、ただ泣き叫ぶ事しかできなかった。

 

「雨が強いな……」

 

 ペイルティシアに残されたのは、深い絶望とどうしようもない後悔だけだ。

 

***

 

 “針鼠の肉屋”は泣き疲れて眠ったペイルティシアをベッドに寝かせると、部屋の外で待っていたラルドに声をかける。

 

「待たせた」

「……お嬢様を、守って頂いた事に感謝申し上げます」

「そうか」

「冒険者殿、お願いがあります。どうか、お嬢様を、お嬢様をお守り下さい……私では力不足、従者として不足なのです……!」

 

 ラルドは歯を食いしばって涙を流し、“針鼠の肉屋”に向かって頭を下げた。

 

 誘拐した時から既に彼は彼女の悲しみ、恐怖、怒り、虚無、その全てを背負う覚悟をしていた。

 

「元よりそのつもりだ」

「ありがとうございます、ありがとうございます……!」

 

 ラルドは涙を拭い、何度もお礼を述べながらこの場から去った。

 

 “針鼠の肉屋”は部屋に戻ると、眠るペイルティシアの側に腰掛け、天井を眺め続ける。

 

 窓を叩く強風、大雨は過ぎ去って、嵐がまた来るかもしれない。

 

 明日は晴れずとも、彼は彼女を連れて行くだろう。

 

 

***

 

 幼い頃、ペイルティシアの中にあったのは“役割”だった。

 

 両親に愛された反面、厳しい教育と貴族女子としての義務を教え込まれたペイルティシアには、家を最も繁栄させる男は誰かという発想があった。

 

 平民の言う恋愛や自由など馬鹿馬鹿しい、家と派閥の力を高めることが将来の――人類の為になる。

 

 優秀な兄が家を継ぎ、ペイルティシアは他家に嫁入りする。

 

 有力な貴族か王族と縁を結べば、ディセンブルグ家の影響力はより高まる。

 

 教育の甲斐あり、ペイルティシアは第二王子の婚約者として選ばれた。

 

 崇高な使命を果たし、より良い世界を、より良い高み(・・)を目指す。

 

 そこに疑問の余地はない。

 

 “六本柱”が始めた貴族学校に入るのも箔を付けるため。

 

 卒業すれば正式に結ばれ、貴族社会を成立させる歯車として動くつもりであった。

 

 ペイルティシアなりに、“歯車”としての誇りがあった。

 

 役割を背負う者が全てを投げ出して、己の価値が崩れ去るまでは。

 

 ――神よ、見ておられるのなら答えて下さい! 私は何のために産まれてきたのか!

 

***

 

 ペイルティシアは昼近くまで寝続けた。

 

 目覚めると、側に腰掛けていた“針鼠の肉屋”が動いた。

 

「起きたか」

「……おはよう、ございますわ」

 

 喉が枯れている。ペイルティシアは確かめるように口を開いた。

 

「あなた、その姿勢で疲れないの?」

「ああ」

「着替えたいわ、あっちを向いて。湯浴みの用意もして頂戴」

「分かった」

 

 “針鼠の肉屋”が着替えを置いて外へ出ると、彼女は震える手をギュッと握り締めた。

 

(この手には、もう何も無いのね……)

 

 窓の側に寄ってカーテンを開け、差し込んできた日差しに手をかざす。

 

 侯爵令嬢ではなくなったと自覚すると、自分の支柱が壊れたような気がした。

 

 足元が覚束なくなり、彼女は背中からベッドに倒れ込んだ。

 

「ペイルティシア、準備ができたぞ」

 

 音もなく“針鼠の肉屋”が入ってきた。彼は天井を見つめたまま放心している彼女の手を握った。

 

 ここは誰も見ていない密室だ。

 

 彼は顔も合わせず、ただ聞いた。

 

「恐ろしいのか」

「ええ」

「誇れるものが無いからか」

「ええ」

「そうか」

 

 ペイルティシアがグルリと人形のように顔を向け、“針鼠の肉屋”の兜に手を差し伸べた。

 

「……ねぇ、あなたの顔、見せて」

「……駄目だ」

「恐ろしいから?」

「何がだ」

「私が恐れるのを、恐れているわ」

「そうかもしれん」

 

 彼女はふふふ、と小さく笑う。

 

「あなたにも、怖いものがあるのね」

「……君も、自信を失うのか」

 

 そして起き上がった。

 

「街へ行きましょう」

 

 

 

「号外、号外だよ~!」

 

 冒険者ギルドのある区画に行くと、陽気な声で紙を配る男がいた。

 

「あれを一部」

 

 見慣れないものを見たペイルティシアが指をさし、“針鼠の肉屋”が銀貨を渡して新聞を手にとる。

 

 彼はペイルティシアにそれを渡すと、後ろから紙面を覗き見た。

 

「国王、腐敗する貴族を断罪。貴族制を徐々に廃止すると共に、国家のための国民による国軍を編成する。……他は、断罪された貴族の名前ね。ディセンブルグもあるわ。大分配っていたみたいね」

 

 彼女は他人事のように呟くと、紙をクシャクシャに丸めて“針鼠の肉屋”に押し付けた。

 

 ペイルティシアは心底腹が立った。言うだけならば結構だが、貴族など要らんと捨て去った世界の選択に。

 

 彼女はそんな知らせを聞いて無邪気にはしゃぐ民草を射殺すような目で睨みつけ、歯を軋ませながら拳を握りしめた。

 

 お前が捨て去った者は代替不可な存在だと宣言できればどれだけ心が晴れ晴れとするだろうか、彼女の脳裏をよぎるのはそんなことばかりだ。

 

 けれども、ペイルティシアはふとした拍子に思い出した。

 

「冒険者は、何をやっているの?」

「ギルドに行けば分かる」

「帝国では分かりませんでしたわ」

「説明しよう」

 

 二人は僅かに言葉を交わし、冒険者ギルドへ赴いた。

 

 木の扉を押し開けて入ると、中に居た何人かの冒険者や受付嬢に衝撃が走った。

 

 片や処刑された侯爵令嬢にそっくりの娘、片やあの迷彩色の冒険者。

 

 特に、“針鼠の肉屋”はディセンブルグ領から出た傑物であり、その姿はよく知られていた。

 

 ディセンブルグ領こそが彼の始まりの土地、孤児同然のガキが紫白(しはく)級に成り上がった場所だ。

 

 二人の天上人に、意味深な視線が向けられた。

 

「汚い場所で、汚い連中が酒を飲み、食い詰め、命を懸ける場所だ」

「そう。依頼、をこなすのよね?」

「掲示板に貼ってある。今は昼、目ぼしいものは取られている」

「そうなの」

 

 ペイルティシアは掲示板に近づくと、貼られた紙を一つ一つ読み始めた。

 

「ゴブリンの巣穴掃討、銀貨一枚。オークの斥候が南に出現、注意。パーティー募集、戦士一名。下水道のゼリー討伐、銀貨十枚。森の大蜘蛛の巣の破壊、銀貨八枚。魔犬の退治、銀貨十五枚」

「目ぼしいものは、無い。どれも危険だ」

「どれも簡単そうよ……どんな風に危険なの?」

「ゴブリンの巣、これは油断が死を招く。オークの斥候、近々集団が現れるだろう、南には近づかない方が良い。戦士の募集、前衛を見捨てたか使い捨てたか、真に信ずるべきは己と知れ。ゼリー、素人では判別がつかず、格上のスライムと間違える者がいる。大蜘蛛、奴は恐ろしく狡猾であり、火の用意がなければやるべきでない。魔犬は巨体だ、慣れていない者が戦うべきでない」

 

 早口でひとしきり言い終えたあと、ペイルティシアが聞く。

 

「それは体験談?」

「そうだ、どんな手を使ってでも生き延びた。生存は勝利だ」

「そうなの。お腹が空いたわ、遅めの朝食をとりましょう」

 

 ペイルティシアは昨晩から何も食べていなかった。腹の空き具合でやはり己は変わらぬという実感を得た彼女は、彼にどこでもいいから連れて行くように頼んだ。

 

 “針鼠の肉屋”の案内で訪れた店は、老婆が営んでいる食堂だ。

 

「夜は酒屋になる。汚いが、安く、多い。駆け出しはここの世話になる」

「そう、入るわよ」

 

 およそ見たこともないような――目を逸らし続けていた汚さにペイルティシアは頬を引くつかせたが、腹をくくって扉に手をかけた。

 

 中に入ると、鋭い眼光の老女が二人を睨み付けた。

 

 今の時間帯は、冒険者がいない。

 

「あんた、生きてたのかい」

「一番安いものを、二つ」

「銅貨四枚だよ」

 

 ぶっきらぼうに述べた彼女に、“針鼠の肉屋”は金貨数枚と銀貨の詰まった袋を渡した。

 

「ちょいと、多いよ」

「受け取れ」

「ウチに強盗が来たらどうする気だい」

「来ない。この辺鄙な店にはな」

「ふん!」

 

 しばらくして出てきたものは、白い粒が沢山乗った器と、卵と野菜を一緒に焼いたものだ。

 

「……これは?」

「白米と、卵と野菜だ」

「見れば分かるわ」

 

 そういう事ではない、これは本当に食事なのだろうかと聞いているのだ。

 

 しかしこれは未熟な冒険者の腹を膨らます料理。値段に対して量が多い分、質は落ちる。当たり前のことだ。

 

 ペイルティシアはスプーンでモソモソと咀嚼し、苦虫を噛み潰したような顔になる。

 

「不味いわ」

「食え、食事は活力、未来の血肉だ」

「あなたは?」

「まだ満腹だ」

 

 不満げな顔のペイルティシアだったが、時間を掛けて完食する。

 

 不味くても食って死ぬことはない、であれば誰にだって出来て当然だ。

 

「生きていればまた来る」

「そうかい、死ぬなよ」

 

 老女に別れを告げて外に出る。

 

 まだ昼の太陽が輝いており、乾いた風がペイルティシアに吹き付けた。

 

 彼女は陽の光に目を細め視線を下げると、地面に伸びる影を見つめて思案に耽った。

 

 そのまま二人であてどもなく街中を彷徨い続けていたが、やがて決心がついて“針鼠の肉屋”にこう切り出した。

 

「街の外へ、連れて行って」

 

***

 

 二人は街を見下ろせる丘の上に来た。

 

 茜色に輝いて、街は燃え上がるような色に染まる。

 

 風が吹き、黄金の長い髪がたなびく。 

 

「ここで何をするつもりだ」

「私のドレス、靴、下着、色々あったでしょう? それを出して頂戴」

 

 “針鼠の肉屋”は言われるままにそれらを魔法のポーチから取り出すと、訝しげにペイルティシアを見た。

 

 彼女は地面を指し、

 

「ここで焼いて」

 

 ためらいもなく言った。

 

「いいのか」

「いいの……今の私には必要ないわ」

「……《ファイアボルトの巻物(スクロール)》」

 

 ゴウッ、と炎の矢が放たれる。

 

 それはペイルティシア・マルトイ・ディセンブルグの身に着けていた衣装を燃やし、灰へと変える。

 

 煌々と輝く炎と空へ昇る黒煙を見送りながら、ペイルティシアは屋敷の方角を向いた。

 

「お父様、お母様、そしてお兄様。

 私、ペイルティシアは必ずや、成し遂げてみせます

 その日まで健やかに、誇り高く在ってみせます

 だから、どうか、見守っていて下さい」

 

 彼女の瞳から一粒の涙が溢れ落ち、大地に吸い込まれていく。

 

 まずは悲しみに決別を。

 

 眠れる思い出に捧げる地で、愛した全ての者への別れを告げた。

 

「短剣を、貸してくれる?」

「……」

 

 黙って差し出された小さなそれを受け取ると、ペイルティシアは切っ先で――――黄金を切った。

 

 長かった髪は肩口で途切れ、輝く毛束が風に乗って空に舞い上がり、見えなくなって大地へ還る。

 

「この日、この瞬間、この私、ペイルティシア・マルトイ・ディセンブルグは死んだわ」

「……」

 

 彼女は次に誓った。

 

 全てを差し出して、それから、取り返す。

 

 夕日を背に、彼女の真紅の瞳が燃え上がる。

 

 見返してやるために、己を不要と断じた世界へ告げる。

 

「死んでも私は生きるの。生きなくてはいけないの」

「……」

 

 決意は血であり、鋼であり、夜に光る灯火だ。

 

「これからは、ペルティアと名を変えて生きるわ。それでも、あなたは、私と――」

「――誓おう」

 

 “針鼠の肉屋”が長剣を縦に構えて、跪いた。

 

 見よう見真似でやった騎士の作法だ。

 

 彼女の覚悟に彼は応えた。

 

「尽くそう、守ろう、愛そう

 心果てど、世界総てを敵にしても

 我らを引き裂く尽く(ことごと)を根絶やそう

 お前の苦痛を振り払い、地獄の底まで寄り添う事を誓う」

「――――――――」

「全てを捨てて、隠れ暮らしても良い」

 

 不安そうな顔をしていたペルティアは、泣きそうになって頭を振った。

 

 暁に二人、血と鋼で結ばれた絆が芽生えた。

 

「まさか、まさか、まさか!

 私の誇り、自由、心、体、何だって誰にも汚させませんわ!

 足掻き、足掻き、足掻いて、足掻いて、這い上がり、素知らぬ顔で微笑むまで戦うの!

 私を愛するなら結構、死ぬまで逃さないわよ

 後悔しながら付いて来なさい!」

「歓迎しよう」

 

 夕日に照らされて“針鼠の肉屋”は立ち上がり、ペルティアの横に並ぶ。

 

「何処へ行く、何を為す、従おう、気高き者よ――黄金の輝きを放つ者よ!」

 

 彼女は一拍おいてから、大きく息を吸った。

 

 その瞳に映るのは、鋼鉄の決意が行き着く夜明けの景色。

 

「冒険よ。世界にあまねく知れ渡るまで、白紙の地図を埋めるまで、塗り替えられない偉業にかつての名を刻むわ。それこそが第一の目標よ」

「導こう、世界の果てまで。過酷を後に、辛苦の大河を渡り、真に栄えある*勝利*をもたらそう」

 

 彼女は、作り笑いではない、小さな笑みを浮かべた。

 

「ねぇ、あなたの名前、教えて?」

「我が名は復讐の炎に消えた。灰と化し、瓦礫に埋もれたままだ」

「では、生まれ変わりなさい」

「終わりと始まりを表す、アズと名乗ろう。今日より旅は始まるぞ、ペルティア」

「よろしくお願いするわ、アズ」

 

 二人は――ペルティアとアズは、お互いの手を固く握りしめた。

 

 傾いた太陽が二人を朱に染めて沈む。

 

 旅路の終着点は果てしなく、世界はこれから夜を迎える。

 

 夜明けは、遠い。

 

 

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