クソゲーの『悪役』令嬢と『デーモンスレイヤー』 作:傘花ぐちちく
朝まで眠りこけたペルティアが「今日は一日遊んで過ごすわよ」と確固たる決意を持って述べた。
「時間は有限だ。ペルティアよ、頂は遠いぞ」
「人間は娯楽がなくては生きていけないの。紅茶とスコーンの傍らでのんびりと過ごす時間がなくては、一体何のために生きているのか分からないわ」
「娯楽がなくとも生存は可能だ」
「黙りなさいな。そもそも、愛する私がこんなに苦痛を訴えているというのに、それを蔑ろにするなんて酷いと思わない?」
「導くとも言った。偉業を為すなら回り道をしている場合ではない」
「アズの最短距離が私の最短距離とは限らないわ」
「……成る程、一理ある」
「なら決まりね。今日は私をエスコートしなさいな」
「……?」
ペルティアの前でアズが逡巡する。
「“娯楽”、“遊ぶ”、何をするものだ」
「産まれて一度もないということはないでしょう!?」
「……追いかけっこやかくれんぼ、草笛、そのくらいか」
「子供ですか! アズは変な所ばかり抜けているんだから……」
彼女はテキパキと身なりを整えて、アズの腕を引っ張り外へと繰り出した。
カラリと晴れた空は雲ひとつない。
空気は澄んで、東の大山脈の頂が街からでもよく見えた。
「さ、あなたに本当の遊びというものを教えてあげるわ」
「ああ」
キラリとペルティアの目が光る。
ただ、世間知らずのこの男はいまいちピンときていない。あまりにも浮世離れし過ぎたのだ。
「朝食を食べに行きましょう、受付の方に良い場所を教わったのよ」
「そうか」
「そもそも、今までのあの食事はお腹を満たすだけで良くありません。食品の属性を研究している友人がいたのですが、黄色の穀物ばかりを摂取すると無駄に太ってしまうそうで」
冒険の運動量とあの圧縮された穀物ブロックは釣り合うのだが、ペルティアにとって重要なのはワンタパーンな食事を改善するための本音と建前。
味気ない食事は文句を言うに足り、太るかもしれないというのは十分な恐怖で、アズを心配しているのも理由になる。
「太ったのか」
「余計なお世話です」
デリカシーがない発言に怒るのは尤もで、ペルティアが渾身の力を込めてアズの腕を抓るが、何ら痛痒を与えない。
「遊ぶのですから、お互い楽しい気分にならなくてはいけませんの」
「そうなのか」
「決して、決・し・て! レディの体型の大小を比べるような表現をしてはいけませんわ。必ず褒めなさい」
「ああ」
「はいよろしい。今日はカオスゲートを目一杯楽しむわよ」
命の危険が絶えない街、カオスゲート。
そんな場所に数多の冒険者たちが集い、精神をすり減らしながらも戦えるのは、日々の癒やしがあるからだ。
元貴族令嬢が楽しめそうだと思う程度には、大体の娯楽が揃っている
それからというもの、食事に舌鼓をうち、
「いいわね、これ。携帯食にできないかしら」
「……保存用の魔道具があれば」
衣服を買い集め、
「北部の紡績工場のお蔭で、服は安価になったのよ? 最近はドレスのデザインも増えて、着飾る楽しさが増してきましたの」
「買うのはいいが、着用は許可できない。危機に即応できる実力があれば別だが」
「またそれなの? そのうち悲鳴を上げるまで付合わせますからね」
使う機会の無さそうな小物に悪趣味な宝石類を買い集め、
「このネックレス、とっても豪奢で私に似合うでしょう?」
「…………」
カジノで豪快に散財し、
「あら、負けが続くわね。そろそろ勝ちの目が来そうですし、半分ほど……」
「……引き際を見極めろ」
早めの夕餉をとる。
実際には大して遊んでなどいないし、アズの役割は大抵が子守に似たものだ。
大きな楽団や高名な芸術家はこの都市に来ないので、芸をやるにしても規模は個人がほとんど。たまたまやっていた演劇を見に行っても、ペルティアのお眼鏡に適わなかったので途中で抜け出した。
面白そうだが実際はつまらなかったものが多かった、と彼女は内心がっかりしていた。
残された楽しみは食事だ。
二人が訪れた店は、領主や豪商、超級冒険者等が通う所だ。
落ち着いた雰囲気の個室で、真っ白なテーブルクロスが敷かれた円卓に向かい合って座り、手間の尽くされた料理を堪能する。
毒耐性のために酔うことはできないが、果実酒で喉を潤しながら穏やかな時間を過ごす。
前菜は、マーマンカウという二又に分かれた殻を持つ
フォークで殻の中の身を刺し、ゆっくりと引き抜けば綺麗に取り出せる料理だ。
ペルティアの手付きは高級料理によく慣らされた迷いないもので、一方のアズはそういった作法が子供未満だ。殻を指で圧壊させて、千切れた身を殻ごと食す。
見るに見かねたペルティアが食事の仕方を教えなければ、アズの食事方法は一生手掴みかスプーンに限定されただろう。
「意外と飲み込みが悪いわね」
「努力する」
「ふふふ……これに関しては私の圧勝ね」ペルティアがほくそ笑む。
「これは……何のために行う?」
「テーブルマナーかしら。私は守らせる方でしたが、何事も美しい方が格好がつくでしょう?」
「お前に
今度はメインの肉料理を切り分けたが、アズの口に運ばれる前に汁がボタボタと滴って、純白のテーブルクロスを赤く汚す。
アズの席だけ幼児の食事後のように汚れているが、この男にしては十分な方だ。
そもそもマナーを指摘するなら、装備を付けたままというのはいただけない。が、彼の大抵のマナー違反を笑って誤魔化さなければならない者が、この世界には多く居た。
そういった意味でアズに食事の作法は必要ないが、それはペルティアが許さない。
「――だが、貴族の礼儀が必要なのか?」
ペルティアは一瞬だけ顔の筋肉を強張らせた。
二人の間にはいらない、という甘ったれた意味ではない。
死んだ事になった女に必要なのかと問うているのだ。
ペルティアはワインで唇を濡らし、アズを軽く睨みつける。
「試すような真似は不快よ」
「純然たる事実だ」
アズが断言する。
「何が為に望む?」
彼が求める答えは、ペルティアが為したいと望む偉業の過程だ。
まず最初に何をするか、具体的な方針をペルティアに問うた。
「国。私とあなたの国が欲しいわ」
「
「建国よ!」
ワイングラスの水面が揺れるが、それはテーブルを揺らしたわけではない。
ペルティアの内に秘めたる
殺気や気配とも呼ばれるソレを感じ取ったアズはアーティファクトの刀を抜いて一閃。
極限まで引き伸ばされた時間の中、剣先はペルティアの目玉に極限まで近づき――否、それは円と直線が概念上の点で接するのと同等の
音はおろか風すら立てずに得物が魔法のポーチへ収まった後、ペルティアの目蓋はまばたきを再開した。
彼女は剣閃にこそ気付かなかったが、残り香のように眼前で漂う濃密な
「っ!」
「アーティファクトの補助を受けて尚、気配を漏らすは未熟の技。建国などと大層な寝言を言うものだ」
無数のアーティファクトを纏うペルティアに「死の危険」を忘れさせないため、アズはいくつかの制限を設けた。いつ何時であろうとも気配を漏らさないことは決まりの一つで、破れば眼前に死が迫る。
迫るだけだが、薄弱な精神の持ち主は死ぬ。
「……建国も些末な話よ。いいこと、アズ。私達の手には世界があるの、建国如き踏み台でしか無いわ! オーホッホッホッホ!」
高らかに笑うペルティアの、その野望は果てしない。
建国それ自体が、千年前から語り継がれる偉業なのだ。
ペルティアを捨てたエゲレス王国が今の地を切り拓いた頃、かつて冒険者が開拓者だった頃――それが千年前。
「西か、東か」
「勿論東よ。大陸西の半島部奪還と、エゲレス王国・フライス帝国以東の山脈超え。支配権を奪われた土地と混沌に埋まった土地、掘り起こすなら難しい方でしょう?」
いま、ペルティアは人類未踏の地に踏み出し、そこに新たな国を築こうとしている。
「東か。天を衝く程の山脈を三,四つ越えた先には、広大な――人類の生存圏と同程度の平野が広がっている」
「……その話は初めて聞きましたわ」
ペルティアがワインを煽る。
アズは不慣れな手付きで鶏肉の赤ワイン煮を切り取り、兜の下から口に運ぶ。
「であろうな。そこは混沌に最も近き場所。“混沌”へ繋がる“世界の穴”が広がり、雲霞の如くダンジョンが湧き、混沌の勢力が絶えず蠢く大魔境。平定すれば不死者の軍勢、妖魔大連合、ビーストマンの国と境を共にする。更には南北の海からマーマン共が押し寄せ、更に東に行けば
ダンジョンと僅かな妖魔、デーモンにすら苦戦する人類が多様な種族と争えば、その末路は想像に難くない。
「挑むか?」
「望む所ですわ。永久の歴史に刻む大偉業、その一歩として人類未開拓地に国家を築く」
「では手始めに」
「鍛錬? 休みは欲しいわ」
「いいだろう。だが、あまり時間はない」
「何故かしら?」
「何もかもが足りないからだ。全てが不足している。一々説明するのも億劫になるほどな」
「そうね……」
二人の間に沈黙が訪れると、デザートの紅茶ゼリーが運ばれてきた。
「それなら、アズの実力はどの程度なのかしら?
「ふむ、一〇〇体の
一〇〇〇体の
「分かったわ、
一般的には、この
アズの成し遂げた悪魔の一族の根絶は、世間一般では
それもその筈で、“ローグライク”や国の重鎮を除けば、
「一〇〇体の
一万体の
「……は?」
「六百六十六体の
ペルティアの反応は極々一般的で、続々と飛び出した新しい単語に戸惑うのも無理はない。
「一体の
ゲマジェフ、アダイア、ローグリンの三体がそれぞれ十七体の
始祖のデーモン“死に至る螺旋”が三体の側近を統べる
“死に至る螺旋”を血族ごと滅ぼしたのが俺だ」
「――は?」
「分かりやすい単位で表せば、
「――――」
ペルティアがスプーンに乗せたゼリーをこぼした。
それもそのはず、近年のエゲレス王国では民衆の国民意識が高まり、ディセンブルグ侯爵を筆頭とする貴族閥粛清によって中央集権体制がほぼ完全に整った。
“六本柱”による卓越した政治手腕と五十年近くに渡る改革により、エゲレス王国の人口は他三ヶ国より抜きん出て三五〇〇万人。ペルティアの知る限りでは常備軍を二十万抱え、戦時体制に移行すれば銃剣を携えた兵士が少なくとも一〇〇万人配置される。
それはダンジョンから溢れ出る魔物や妖魔、人間の軍勢程度であれば容易く撃破出来る精強な軍隊だが、蓋を開けてみれば塵芥も同然。
一億と少しばかりの人類が一人一殺でデーモン達と刺し違えたとしても、デーモンは人類を二七〇万回以上は滅ぼせる。
「これがあと十三柱」
「おかしい、人類が滅んでいないわ」
「おかしいか? 当然だ、十三柱全てが互いに争い、身内で喰らい合う。無能の極みをコチラへ送り込み、人類をかき回して
上には上がいるとは言うが、度が過ぎる。
身近に感じていたハズのデーモンの脅威が、その膨大な数の中でも最も使えないゴミの部分で、そのゴミが人類を玩具にして遊び、より高位のデーモンが足掻く様を見て喜ぶ。
地獄めいた構図だ。
数多の都市を支配した貴族の娘として、ペルティアは己の双肩に掛かる命の数に戦慄し、人類が住むのは薄氷の上の小屋であることを理解してしまった。
「……アズ、あと十三回繰り返せる?」
「不可能だ、一つか二つ俺に比類する手が足りぬ。神にも等しい彼奴らを何柱か滅ぼせば、喰い合う内の余剰戦力がこちらに来る。つまり、攻め手と守り手が要る」
デーモンに加え多種多様の脅威が在る以上、建国には安寧が、揺り籠には守護が、護国には力が、デーモンスレイヤーには強大な仲間が必要なのだ。
「そう……ええ、理解してしまいましたわ」
「再び忠告しよう。建国などと大層な寝言をよくも言えたものだ」
それは決して甘くない、
迂遠な道のりと諦めを踏破した者に*真の勝利*が訪れる。
故に、その覇道を突き進む意志は『黄金』なのだ。
***
「アズ、強い知り合いに心当たりは?」
「何だ、唐突に」
朝一番、起きて早々にペルティアが言う。
「寝ぼけた頭に思考は難しいか。居れば先んじて言っている、つまりそういうことだ」
「意外と役に立たないのね。将来の家臣候補よ?」
「皮算用は止めておけ。欲しいものがある時ほど、引き際を見失う」
「ダンジョンの宝部屋とは訳が違いますのよ」
身支度を済ませたペルティアといつもより長めの朝食を済ませ、意気揚々と冒険者ギルドへ赴く。
西の冒険者ギルドはいつも人で溢れかえっているが、今日は少々様子が違った。
掲示板に張り出された数々の依頼書の中に、一際大きなものがある。
冒険者たちはそれを読むと、テーブルで待つ仲間の下へ返って様々な噂を口にする。
「あれは何かしら?」
「市長からの依頼だ。この都市で二十八人を連れ去った誘拐犯の情報を求めている」
「成る程。解決するわよ!」
「……敵は人間だ」
「ダンジョンの魔物よりは御しやすい、そうでしょう?」
「では行くぞ」
「へ? 行くってどちらに!?」
アズが駆け出すと、ペルティアも置いていかれまいと走る。
「行き先は!?」
「犯人の場所だ。感知した」
「それ被害が出る前にやりなさいな」
「俺とて常に見ているわけではない」
「官憲は?」
「不要だ。遅い」
「ん――もう!」
彼は群衆に行く手を阻まれて一瞬だけ立ち止まり、ペルティアに手を掴まれた。
「相談くらいしなさい! どこで何をしてどうするつもり? 状況は? 何でも一人でやるのは止めなさい!」
彼女は貴族の頃であれば考えられない程の大声で怒鳴る。
一ヶ月のブートキャンプで鍛えられたペルティアの喉は、迷宮でなくとも声をよく響かせた。
「必要か?」アズは振り返りもせずにのたまう。
「必要よ、私とあなたに」
「不要だ」
アズは拒絶し、手を振りほどいて走る。
――見失ってはいけない。
彼の姿が雑踏に紛れるが、ペルティアは見失わないように必死に足を動かす。
(アズは厳しいけど冷酷ではないわ。どんな時も焦らず淡々と物事をこなすタイプ……誘拐された人が生きていても、こんなことはしないハズなのに――)
胸騒ぎがした。
「《
彼の背中は見えるのに、酷く遠くに感じられる。
このまま行かせてはいけない。
取り返しのつかない何かが起こる。
背筋に這い寄る悪寒がどうしようもなくペルティアを駆り立てた。
が、彼女がどれほどの力を込めて大地を蹴っても、アズの姿は遠のくばかり。
「待ちなさいっ、待ちなさいよッ! アズーーッ!」
ペルティアに警戒の仕方を教えたのはアズで、ペルティアをあらゆる危険から守ると誓ったのがアズで、ペルティアの中で最も頼りになる男がアズだ。
アズと過ごした時間が現世で一番長いのはペルティアだ。
ペルティアは限界を振り切って脚を酷使し、どうにかしてやっとアズを見失わなかった。
彼は人混みを抜けた直後、人の居ない建物だけをぶち抜いてほぼ一直線で駆けていたから、辛うじて行き先がわかった。
場所は、貧民街の廃教会。
開け放たれた扉から見える内部は、蜘蛛の巣が張っている割に床の埃が少なく空気の淀みがない。間違いなく人の出入りがある場所だ。
ペルティアが生唾を飲み込んで一歩足を踏み入れようとした瞬間、建物全体を揺るがす振動と爆発音が轟いた。
一拍遅れて、教会奥の祭壇から粉塵が巻き上がる。
ペルティアが目を細めてその元を辿ると、地下へ続く階段が暗闇に続いていた。
意を決して踏み込むと、一本道が伸びている。
部屋が左右に三つ、奥に一つ。
開放された奥の部屋から、魔法の
だが、何よりも先に感じられるのは鼻を突く異臭。
鼻血の時の鉄臭さが呼吸の度に鼻腔を刺激する。
ペルティアが奥へ進む度それは強くなる。
地下空間とは思えないほど広い部屋に踏み込むと、その中央で彼が黒いローブの男に手をかざしていた。
「アズッ!」
アズが立っているのは血の海で、血の飛び散った痕が壁中にあるが、彼の身体はアーティファクトのお蔭で汚れていない。
「ペルティア」
「っ……!」
ペルティアの嗅ぎ取った異臭の正体は血だけではない。
そこには骨も脳漿も臓器も死体も飛び散っていた。
ペルティアは押し寄せた吐き気を抑えきれず、吐瀉する。
「神よ……我を助け給え……」
「ここに居た者は邪教に身を寄せ、生贄として28の無辜の民を誘拐した」
「神よ……我が神よ……」
「成人が二十人、子供が八人。生きたまま四肢を切断され、祭壇と称される鉄板で焼かれて殺された」
部屋の隅にはひしゃげてひっくり返った鉄の塊がある。それはまだ熱く、肉の焼けた臭いと悪臭が漂っていた。
ペルティアはその残骸を見ただけで、彼らがこの部屋で行った残虐な行為を理解できた。
「……遺骸は、どうしたのかしら」
「残された魂が晒されるのを拒絶した。故にペルティアが来る前に全て破壊した。早ければ、生還はできたがな」
心なしか語気が荒くなったと感じたペルティアは、オーラ立ち昇るアズの顔を捉えた。
当然ながら彼の顔も表情も分からない。
しかし、殺気も何も出していないアズの存在が大きく感じられ、彼女は足元が崩れたような錯覚に陥った。
「この男を殺せ」
「……それは、何故?」
ペルティアには意味が分かっていた。
ペルティアとて、貴族時代に命令を下して野盗を殺しはした、ダンジョンに潜り人型の敵対生物を屠ってきた。
常に命を握る側だった。
故に一部の殺人は肯定する、だが今は違う。
(何かが
視線を下に落とすと剥き出しの眼球と目が合う。よく見れば髪の張り付いた皮膚や何本もの歯が散らばっている。
アズは命を奪い、死体を踏み付け、死者の魂の願いを聞き遂げた。
ペルティアは彼が積み上げた死者の数を思い出した。
(私は、とんでもない思い違いをしていたのかもしれないわ……)
彼女の体が震える。
装備の持つ恐怖への耐性が心を守護しているのに、身動きが取れない。
ペルティアはアズが駆け出した理由を理解した、
果たして、彼は無感情のまま、都市で人々を殺したのだろうか?
(いえ、そんなことない。絶対)
男は頑なに語らない、理解を求めない、心を見せない、だから信用されない。
デーモンの始祖でさえ打ち倒せなかった屈強さに見合った殻がある。
ペルティアは厳重にも守られた心を垣間見た、アーティファクトで覆ったアズの中に。
憎しみで歪んでしまった、子供のように不器用な優しさを。
「殺せ」
「ぁ――」
何かを言おうとして、喉の奥で言葉が詰まった。
彼の言葉は深く大きな縦穴から吹き上がる冷たい風と同じだ。死を孕み、黒い輝きを放つ
ペルティアは地の底から手を伸ばすアズを幻視した。
深い深い闇の中で、彼は待っていた。
それが彼女には分からない。
「……無理か」
彼が黄金の鈍器を持ち上げる。
その巨大な物体は、膝を突いたまま手を組んで祈る邪教徒の男の真上で静止した。
「邪教徒は全部で十五人。これで最後だ」
「アズっ!」
「後ろを向いていろ」
「――止めなさい!」
ペルティアは勢いよく血溜まりを踏み越えて彼の腕を掴む。
「離せ」
「殺す必要はないわ。拘束して連行すればいいの」
「……そうなのか」
ペルティアの言葉に納得した彼は武器を収め、ロープを押し付けた。
彼女は邪教徒の手を背中に回し、拙い手付きで胴体ごと腕をぐるぐる巻きにする。
無言のアズと外に出ると、ペルティアは肺一杯に空気を吸い込んだ。
教会の地下に入って五分と経っていないのに、過ごした時間がやけに長く感じられた。雲に隠れた太陽の光が、少しだけ目に痛い。
男を官憲に引き渡せば、事件は一旦解決だ。
「私に向かって“殺せ”と言ったわね」
ペルティアは邪教徒に前を歩かせながら、真横のアズに批難の視線を向ける。
「私の前でそのようなことを二度と言わないで」
「……ああ」
「それと、行動を起こす前に事情があれば話すこと。可能な限り人は殺さないこと。この三つを守りなさい」
「……」
「いつまで腑抜けているのかしら。あなたがすべき事は返事をするか、忠告をするかのどちらかよ」
「……分かった」
二人は西の冒険者ギルドに立ち入り、邪教徒を突き出す。
官憲に引き渡さないのはペルティアの判断で、アズの力による『良きに計らえ』が通じにくいからだ。
そうして手続きをしていると、副ギルド長の老年のヒトの男性がやってきて説明を求めた。
彼の名はコルパ、ペルティアが会うのは二度目である。
その理由は一ヶ月ほど前、ペルティアがこのカオスゲートに潜むデーモンをどうにかしようと、アズの伝手を使い権力者を集めて緊急の会議を開いたことがあった。
その時の会議に参加したのは組織のNo. 2ばかりで――端からデーモンをどうにかできると思っていないわけで――ペルティアはデーモンの排除が人間には不可能であるということを突き付けられた、という経緯がある。
「この前あなた方が述べた《夢時空》という魔法を使うデーモンとは、手口が全く異なりますな。人間に取り憑いているわけでもなく、拠点を持って活動している」
「ああ、奴らはRatloypanehtと呼ばれる神を信仰しているようだ」
アズははっきりと聞き取れない発音で神の名を呼ぶ。
「らとろいふぁにぇっと?」ペルティアが真似する。
「人間の舌では発音できない。仮にラートロイパニェートとしよう」
「不思議な発音ですなぁ……」
「奴らは
「しかし集団ともなれば目立つでしょうな。相手はデーモンではなく人間、であれば影の形を捉えられるはず」
「宛があるのか」
コルパの意味ありげな発言にアズが返す。
「つい先月に出来た教会が一つ。今は亡き悪魔殺しの神――鉄槌と天秤を司る秩序にして中庸の女神アトゥスライアーを祀る教会です」
「死んだ神を祀る教会か」
「ええ、女神アトゥスライアーが死したのは四年前。信仰厚き者が今なお復活を信じ、祈りを捧げることはさして珍しい事ではありません」
「隠れ蓑としては最適か」
「そういうことですね」
「……ありふれているなら、どうして怪しいと思ったのかしら?」
ペルティアが疑問を呈する。
「ああ、それですか。彼らはアトゥスライアーの教えに反するばかりか、“
「……教義を違え、間違った信仰を捧げる? 人間は神々が創った生き物ですのよ!? そんな冒涜的な行為をして無事で済むはずがありませんわ!」
遥か昔、神々が地上に在った頃に創造したのが、ヒトやエルフ、ドワーフに小人、妖精といった“人間”である。
人間が神の位に招かれるといったこともあり、神は全ての人間が信仰を捧げる絶対の存在ではない。
だが、既に神々の教えは常識に根ざしており、神の恩恵があれば実在もしている。蔑ろにされる可能性はゼロにも等しい。
人間が宗教を作るというのはよっぽどの事であり、基本的には多方面から袋叩きにされる自殺行為である。
特に、鉄槌と天秤を司る女神アトゥスライアーは創世紀の頃から逸話が存在する古い神であり、人間由来の新しい神ではない。太古の神の教えを捻じ曲げて愚弄することは、手の込んだ自殺と同義だ。
「そうだねぇ。ついでに言えば、奴隷種族の獣人が作り出した妄想の宗教でもない」
「何故もっと早く潰さなかったのですか!」
「それがねぇ……調査のために派遣した人員が全員「問題ない」と報告するんだよ。おまけに信者は神から授かる祈りの魔法を行使して、中級冒険者を多数排出する。……信者の数は多くないけど、冒険者ギルドとしては影響力を無視できないんだ」
「それなら他の教会は何をしているのですか!」
ペルティアが憤慨して立ち上がる。
彼女は特に信心深いわけではないが、蔑ろにするほどではない。人間としての良識はあるのだ。
「各教会本部のあるドイチェ聖国からの返事待ちだよ。祈りの魔法が使える以上、信仰対象の神は居るんだ。まだ手出しはできない。“聖人”、“聖女”選定のせいで回答が遅れているけど、既成事実を作ることもこっそり排除することも出来ないんだ」
「ぐぬぬ……」
ドイチェ聖国は神々が降り立った地を中心に発展した国であり、多種多様な信仰と信徒を守るために組織された多神教連合と言っても過言ではない。
そして人類とドイチェ聖国をあらゆる脅威から守るために、宗教を問わず結成されたのがドイチェ聖騎士団であり、その旗印となるのが“聖人”と“聖女”だ。
その二席を埋める人物の選抜終了まであと二,三ヶ月といったところだが、東の最果てに出現した怪しげな教団の善悪を確かめる手続きは優先度がどうしても低くなってしまう。
故にあからさまに怪しい“
他に宛はないのかとペルティアが切り出そうとしたところで、アズが何かに気付いたような声を漏らした。
「つまり、俺か」
「聖国も“針鼠の肉屋”には手が出せないからねぇ」
四年ほど前、アトゥスライアー教から輩出された“聖女”を同教の“聖人”が殺害し、破門と共にその座を降ろされたという事件があった。その“聖人”がアズだ。
四年前ならば異端審問官か邪悪殺しが聖国から派遣されてアズの命を狙っただろうが、彼はデーモンの支配領域に飛び込んで始祖殺しを成し遂げた。
この馬鹿げた実力を持つ男は、二つの意味で殺せない。
一つはアズに匹敵する戦力が存在しないという点、二つは猫の手も借りたい程人類が追い込まれているという点。
人類の滅亡と超重要人物の起こす比較的些細な問題、優先して対処するのは間違いなく前者だ。
コルパは始祖殺しまでは知らずとも、冒険者の質がここ数年で著しく低下している事をひしひしと実感しており、彼の重要性をよく理解していた。
「……まぁ、襲撃する前に調査はしておきませんと。そうよね、アズ?」
聞き覚えのない名にコルパが首を傾げた。
「ああ、すぐに調査する。何かあれば知らせよう」
ペルティアは同意するアズの手を引っ張って退出した。
コルパはギルドからアズたちが遠ざかるのを窓越しに確認すると、長い長い溜め息を吐いた。
扱いづらい
***
市長からの依頼、それをわざわざ見過ごすペルティアではない。
東の地での建国を志すのであれば、この地との関係は良好である方がいいに決まっている。
アズは気付いた時から都市内部の感知を始めた。
「解決するわよ!」
(だろうな)
彼女が即答した時、既に場所は分かっていた。
廃教会の地下の最奥の部屋。
ローブを纏った十五人の狂える者達が神の名を叫び、悍ましい儀式に臨んでいた。
魔道具によって熱せられた鉄板の上で、デーモン達が
耳目の片方がくり抜かれ、四肢が欠け、添え物のように胴体の側で焼かれていた。
彼らは叫ぶ力もなく僅かに身体を痙攣させながら貴重な水分を垂れ流していた。
狂信者達は死を前にした彼らを救うこともなく、神へ祈りを捧げている。
生贄にされた28人は、一分も経てば死ぬ。
逆に言えば、間に合いさえすれば助けられる。
アズは相方の返事を待つことなく駆け出した。
冒険者ギルドからその場まで、アズの脚で走って五分。
アズが《加速》して飛び出した直後、行く手を群衆に阻まれた。
跳ね飛ばせば人間は死ぬ。
急停止したアズの隙をついて、ペルティアが手を掴む。
彼女が居ても居なくても変わらない。
既に破滅は決定的だ。
だが走る。
《テレポート》を使おうか考えるが、行き先はランダムな上、用途は基本的に逃走だ。
アズは儀式を
彼が全力で走っている間にも彼らは焼かれ続け、一人また一人と脱力していった。
何か、もっと良い手段があるはずだが、彼は思いつけない。
しかし最後の一人が息絶えた時、気付いた。
――最初から《テレポート》をするのが最善手だった。
わざと答えに封がされていたように、頭の中に解決策が転がり落ちてきた。
復讐の炎に身を焦がした時から、アズは第六感と呼ぶべき超常的な閃きがあった。
神の声か、はたまた魂に知識が身に付いているのか、それとも内なる声なのか、正体は不明だがアズはこれに助けられてきた。
(今は違う)
解決策自体は特別難解でもなんでもない。
一分とは言え、アズの
始めから間に合わないなら、極小の可能性に懸けるのが正しい。
そのことに気付けなかった。
故に人が死んだ。
もう教会の地下では誰も救えないが、行く理由はある。
いま彼を衝き動かすのは怒りではない、悲しみではない、後悔ではない、無念ではない、恨みではない、嫌悪ではない、苦しみではない。
憎悪。
それは殺すべきだと叫んでいる。
悪魔の祖さえも滅ぼしたどす黒いものが全身を駆け巡り、今にも膨れ上がって爆発しそうな程、報復と暴力の嵐を切望している。
――殺せ。
アズの中で誰かが囁いた。
気付けば既に廃教会の地下最奥。
狂信者の一人が叫んだ。
「らーとろいふぁにぇっと様に捧げよう!」
彼らは笑顔で武器を取る。
――Ratloypanehtは存在しない神、意味のない儀式。
アズに囁きの意味が伝わる。
三つの華が咲いた。
アズに血が降り注ぐが、アーティファクトが水滴を弾いた。
狂信者達が同胞の死に悲しみ、それでも
「きみも救ってあげるよ!」
アズが黄金の鈍器を軽く振って彼らを跳ね飛ばす。
それだけの動作で部屋中に鉄臭さが充満する。
たった十四人の狂信者を始末すると、残ったのは司祭格の男だけ。
――彼だけは理解している。
彼は幼児のように身体を丸めると、手を組んで祈り始めた。
ぶつぶつと神に祈りを捧げており、正気を失ったようだ。
アズは彼から視線を外し、二十八人の遺骸に目を向けた。
接地面の皮膚は焦げ付き、誰も彼もが苦悶の表情で息絶えていた。
舌を垂らし、目を剥き、泡を吹いて、糞尿を垂れ流す。
あと四分あれば間に合っていた。
知恵を借りれば間に合っていたかもしれない。
朝食を手早く済ませていれば全員生きていた。
彼女をもっと早く起こせば助ける時間はあった。
そもそも、普段から都市を
アズは全てを切り捨ててきた。
――仕方ない。
その結果がこれだ。
彼がさらなる憎悪を滾らせていると、遺骸が呻いた。
それは肉声ではなく、魂の声。
死後、地獄へ吸い寄せられる魂が肉体に執着し、この場に残っている。
求めるのは救済と嘆き。
肉体が感じる痛みを今も味わい、それでも尚生きたいと願い、晒される屍にすがり付いている。
彼らの魂はほとんど地獄へ向かい、残っているのは一部分だけ。
放っておけばアンデッドに成り果てるだろう。
アズは全身全霊の力を込めた黄金の鈍器で、その場の物質ごと魂を薙ぎ払った。
鉄はひしゃげ、肉は消し飛び、魂は苦痛なく世界へ還る。
一拍、二拍、三拍遅れて雷に似た轟音が鳴り響く。
それと同時に押しのけられた空気が暴れだし、地下室全体に吹き荒ぶ。
ちっぽけな葬送の音が地獄で鳴らされ、どこかの誰かに届いた。
だが、まだ生きている者が居る。
神に救いを求める狂った男だ。
憎悪が叫ぶ。
抑えられない衝動。
胸の内を晴らすには何が必要なのか?
アズの答えは
――《支配》。
彼の頭の中で誰かが囁いた
《支配》の魔法。
始祖のデーモン“死に至る螺旋”の一族のみが使える魂を縛る魔法。
アズが復讐で得た魔法。
《支配》を使えば、狂気を煮詰めた拷問を魂が自壊するまでご馳走できる。
――《支配》しろ。
彼の頭の中で囁いた。
蠱惑的な誘いだが、殺した記憶を繰り返し思い出すくらい憎悪したデーモンの魔法だ。
《支配》だけは使えば最後、引き返せない。
――憎悪は晴れない。
その通りだ、彼は常に憎しみを抱いている。
全ての感情の中で唯一それだけを抱いている。
何をしようともそれだけは消えなかった。
立ち塞がる全てを殺し殺し殺し殺して死の果てに着いてもなお消えなかった。
――死ぬべき者が生き、生きるべき者が死んだ。
アズは手を伸ばす。
抑えられない。
死と苦痛はこの男にこそ相応しい。
《支配》して命令すれば、彼は永遠に苦しみ続けるだろう。
――お前。
そう、この男が。
――お前だ。
死ぬべき者が。
――お前がやるのだ。
憎悪の果てに、
――《支配》しろ。
手を差し伸べた。
「――アズッ!」
アズの頭の中に風が吹き込んできて、霧が晴れた。
視界が明瞭になり、今になってペルティアが居ることに気付いた。
「ペルティア」
「ここに居た者は邪教に身を寄せ、生贄として二十八の無辜の民を誘拐した」
死ぬべき者が生き、生きるべき者が死んだ。
「成人が二十人、子供が八人。生きたまま四肢を切断され、祭壇と称される鉄板で焼かれて殺された」
それは罪だ。
アズは告白した。
彼もこの行為の意味はわからない。
「この男を殺せ」
ただただ憎しみが止まらない。
この場に死ぬべき者が居るだけで気が狂ってしまいそうになった。
「殺せ」
ペルティアが直接手を下すことはない。
アズもそれを望んでいる。
その『黄金』を求めて尚、口から言葉が出てきた。
――これ以上血で汚れはしないよ。
アズが黄金の鈍器を持ち上げる。
その巨大な物体は、邪教徒の真上で静止した。
「これで最後だ」
――終わらない。
「アズっ!」
――穢れろ。
「後ろを向いていろ」
――振り下ろせ。
「――止めなさい!」
ペルティアが血溜まりを踏み越えて、アズの腕を掴んだ。
「離せ」
ただの人間の力でアズの腕力をどうこうすることは不可能だ。
身じろぎするだけで事が済む。
しかし止まった。
――振りほどけ。
止まってしまった。
――殺してしまえば楽になる。
アズにとってそれは初めての経験だった。
「殺す必要はないわ。拘束して連行すればいいの」
「……そうなのか」
心の底から出た言葉だ。感嘆しかない。
彼は生きる術と殺す術しか知らなかった。
ペルティアにもそれしか教えてこなかった。
必要ないと思っていたのだ。
生き生き生き生きて生の終りに沈み、死に死に死に死んで死の始めに生きる。
だが、ヒトを殺さなかったことで初めて生きていることを実感した。
確かに、アズの手の中に命があった。
握り潰さず掬い取れたものは、陽の光に照らし出されていた。