クソゲーの『悪役』令嬢と『デーモンスレイヤー』 作:傘花ぐちちく
アストラル界。
僅かに物質が存在する精神を基盤としたその世界には、十四柱の悪魔が群雄割拠する塔があった。十五階層からなるソレは一層一層が太陽の表面積と同程度の広さであり、一柱の悪魔が一層と少しの領域を支配していた。
朝と夜の概念は無く、広漠とした空間にはただ暗黒だけが広がっていた。
しかしある時間、魔法の
そこは階層支配者が一柱“死に至る螺旋”の配下――“捻れたる歯車の繰り手”ゲマジェフが治める大規模な領地だ。
ゲマジェフの全身は絞った布のような暗黒のアストラル体で構成されており、紐状のそれが団子になって胴体や手足を模倣している。波打った顔には三対の裂け目のような眼球と
おぞましい暗黒雪だるまの下半身から短い手足を生やした醜い螺旋の怪物は、青白い光に照らされて倒れ伏していた。
ゲマジェフの棲家“苦肉の拷問塔”最深部、その広大な執務室には数多の破壊の跡が残っている。
生き物の精神をつぎはぎにした彫刻や、精神だけを奪われた者が延々と拷問され続ける生きた絵画など、悪趣味な芸術品が見るも無残な姿になっていた。
破壊者は“針鼠の肉屋”だ。
彼は“死に至る螺旋”の部下の中でも最も強大とされるゲマジェフを打倒した。
空まで届く大きさの巨体は横たわり、膨れ上がった身体の断片はいたる所にバラ撒かれている。その破片一つ一つは“針鼠の肉屋”よりも大きく、眼球一つでさえ大樹のように大きい。
ゲマジェフは右半分が潰れた顔で、眼下を動き回る“針鼠の肉屋”を見ていた。
しかし彼の眼中にゲマジェフはいない。保管されている物資や封印されたマジックアイテムに目が向き、“針鼠の肉屋”はそれらを物色し始めた。
ゲマジェフの命の灯は消えたが、その巨大な存在故に消滅までに時間がかかる。残された僅かな時間、その全てで彼は呟いた。
【よもや、吾が……貴様如きに負けるとはな】
彼は殺した悪魔を気にせず、使えるアーティファクトや物資がないか虱潰しに捜索するだけだ。
【お前は死すべき運命にあった。吾が配下の前に塵と化し、消え去る存在だった】
ゲマジェフは三つの目玉を上に向け、確かめるように言葉を積み上げていく。
肉体を構成していた暗黒のアストラル体が散っていく中で、悪魔は天井に描かれている宇宙の闇を見据える。
【その身に魔を取り込んだお前は因果を捻じ曲げた。那由多の砂漠の憎悪のみで吾らを死に至らしめるとは称賛に値する】
「お前のアストラル体は、じきに俺の一部となる。だが魂だけは抽出し、苦悶の球に押し込める」
【お前を手繰る糸の先、天蓋の球を見よ】
「死に絶え続けろゴミめ」
会話は成り立っていない。だが、飛び散ったゲマジェフの触手は天井を指した。
【“死”は続く……吾らは死の運命に辿り着けぬ。お前は螺旋を下り“死”に至るまで生き続けよ】
「死はお前を望まない」
【“死”が続く、吾の役目は引き伸ばすこと……歯車はお前の為に動き続けていた】
“針鼠の肉屋”は崩壊しかけていたゲマジェフを完全に叩き潰した。
それから、音の途絶えた執務室での用事を済ませた“針鼠の肉屋”は、吸い寄せられるように天を向いた。
それは半透明な球体だ。
完全な球体であり、膨大な魔力を秘め、幾何学的かつ無限に刻まれる模様を中心に向かって伸ばし続けている。
だが“針鼠の肉屋”には、中心から枝分かれした模様が表面に向かって刻まれ続けているように感じられた。
飛び上がって手に取ると、彼の頭の中に様々な場面が絵画のように浮かび上がってきた。
それは数多の無を映し、幾つもの地獄絵図を見せ、最後に一人の女を示した。
彼女は黄金の髪を血で汚し、真紅の瞳に慈悲を湛え、“針鼠の肉屋”を見据えていた。
彼は目が離せなかった。それは鮮やかに色褪せていく最期だ。
――忘れなさい……私は、あなたを縛る女……
力なく口を動かし、女は眠るように目を閉じる。
この時、進むべき路は定まった。
十の頃から十四年続いた復讐を終え、“針鼠の肉屋”は新たな旅を始めた。
無限大の砂漠から勝利の砂粒を一つ掴み取る、宛のない旅を。
***
カオスゲートに朝日が差した頃、二人の冒険者が帰ってきた。
一人は未明の闇より蜃気楼のように現れ出でて、夜を目指して同行者の先を進んだ。
彼は頭部全体が八色のオーラに包まれており、そのヴェールの下に脈打つような暗赤色の兜を着けて顔を隠している。魔法の
彼は全身を闇夜に紛れるような黒で染めており、てらてらと輝く玉虫色の鎧や夜色の外套はその最たるものだった。十の指輪をはめた両手には、身の丈を超える歪な黄金球の鈍器と禍々しい暗黒の瘴気を放つ手斧をぶら下げている。
およそ日向で生きる者の格好ではなく、死を誘う不気味な雰囲気を醸し出している。彼を見て“獣配りの夜”を想起する住人は多い。
槍を立てて震える男が開かれた門の両脇に立ち、朝日の中に二人目の冒険者を見つけた。
もう一人は寒々しい朝焼けの空を背負い、真っ赤な瞳を見開いて黄金色の髪をたなびかせながら、堂々たる足取りで門兵の間を通り抜けた。
彼女は真紅に照り返すミスリルで編まれた外套を纏い、首には紅に輝くルビーのネックレスを、額には玉虫色の意匠を凝らしたサークレットを身につけていた。彼女の皮鎧は空に浮かぶ都市が描かれ、立ち昇る元素のオーラが蜃気楼のように空気を歪め持ち主を守護している。
緑竜の皮と鱗で仕立てられた篭手には加速の指輪が二つはめられ、金の縁と深紅で彩られた円形盾が括り付けられている。
街を歩けば誰もが振り返る冒険者ペルティア――赤を基調とした勇ましい装いの彼女に、寒さに身を震わせながら起きた住人の視線が集中する。
それは彼女の美貌のみならず、抱える”
人々は「今年も無事に厳冬期を越せるといいが」と口々に不安を呟く。
また、数年前の厳冬期直前、カオスゲートの住人は食糧難に喘いだため、対策は抜かり無い。
西の方に行けば、今の時間帯でも多くの人々が行き交い、食料を山程積んだ荷馬車が開け放たれた門から次々とやってくる光景が見られるだろう。
「ちょっと、西のはあっちよ?」
「力量は既に上級を越している。超級まで一足飛びに駆け上がる時だ」
二人は冒険者道を通って東の冒険者ギルドへ足を運ぶ。
「このまえ中級になったばかりじゃないの」
「竜殺しは一角の猛者たる証。並の者にできると思うたか」
「……さすが私ね」
東の冒険者ギルドにはカオスゲート中の上級以上の冒険者達が集まっていた。総勢五〇人程度の集団が出立の準備を済ませており、陽気な声が聞こえてくる。
「何かあるみたいね」
「
厳冬期がもたらす寒波というものは、迂闊に外に出てしまったが最後、上級冒険者ですら極低温と劣悪な視界のせいで死んでしまう程厳しい環境を作り上げる。人々は厳冬期を乗り越えるため、家の中に大量の熱源と食料を貯めて、一ヶ月前後を静かに過ごす。
だが、冬籠りを生き抜いて春を迎えるには、事前に都市や村の周辺にいる魔物をある程度排除しなければならない。もし排除を怠れば、魔物は雪をかき分けて門を越え、家の分厚い壁を壊して好き放題に殺戮をばら撒くだろう。
冒険者がまだ開拓者だった時代から続く伝統行事だが、王都周辺のように未攻略ダンジョンが少なく魔物の流入がほとんど無い内陸地では廃れはじめていた。
「……ああ! 新聞に書いていたわ。今までの冬籠りは退屈だったけど、アズはどうやって過ごすのかしら?」
「今年は“冬”を始末する。厳冬期を二週間早く終わらせるつもりだ」
「まだ私じゃ勝てなさそうな相手ね……終わったらすぐに帰ってくるのよ」
「分かっている。「No.2 竜の巣穴」を攻略した。報酬はいつも通りでいい」
エルフのギルド職員が年若いヒトの受付嬢を押しのけて、ペルティアから大きな
受付の奥の木板にデカデカと書かれていたダンジョン名が赤いバツ印で上書きされると、二人は周囲の冒険者達の羨望や嫉妬のまなざしを浴びる。
ペルティアは冒険者たちのざわめきに耳を傾け、事の大きさを認識するとともに鼻高々に胸を張った。
「ついでだ。ペルティアを超級に推薦する」
視線に殺意や怒りが混じる。
「彼女はラーヴァワイアームを単独で討伐できる。
「え……っと、こういう時は……」
エルフの職員が真新しい紙束を捲って、引きつった愛想笑いを浮かべながら対応する。
「昇級条件は緩和されていまして、
「あら、目標達成じゃない」
ペルティアが嬉しそうにのたまうが、昇級条件が緩和されていることは喜ぶべき事柄ではない。
人類で見て、
つまり、竜窟を攻略できる冒険者が著しく激減しているということだ。
「緩和が原因か。ならいい。ペルティア、次は
「あら、
「神に認められる実力が必要だ。そのうち許可を出そう」
「そのうちって、神にでもなったつもり?」
「四分の一程が神だ」
「教団でも立ち上げましょうか」
「やめておけ」
至って真面目な回答にペルティアは面食らうが、神に関して軽口を叩ける程度には図太くなっている。
(アズのやること為すこと全部にいちいち驚いては、気がもちませんわ)
「俺の権能は復讐に特化している。俺を手放したくなければ、誰にも祀らせないことだな」
「お互い嫌われたものね」
「好き嫌いは些細なことだ。お前には誰もがついていくだろう」
呆然と会話を聞いていた受付嬢は、数十万人の命を支える
「……あの、それでは、
「そうよ!」まるで良い事を思いついたようにペルティアが叫んだ。
「
「ヒェ……ち、中級以下は三日目のみですが、超越は確定ですので、特例ということで……」
「当然よね。アズ、いいことを思いついたわ」
ペルティアはアズの腕をとって、冒険者達がたむろするラウンジの方へ引っ張っていくが、席は全て埋まっていた。
二人に一番近い冒険者たち――
ペルティアは当然の権利のように空いた席に座ると、アズを向かいに座らせてた。ついでに退かした冒険者にウインクしてから、声を小さくして話し始めた。
「東に国を作るなら、私達はどうしてもカオスゲートに基盤を置かなくてはならないわ。ここが最前線ですから」
「そうだ」
「けれど、カオスゲートでちまちまと何かをやっても地味よ。そこで私は考えたの。いっそのこと防壁の向こう側に街を作ってしまえば派手でいい……ここまでは理解できるわね?」
「ああ、言わんとすることが分かってきた。つまり――」
「派手に目立って人を集める」
二人の声がピッタリと重なる。
ペルティアは口角を上げて微笑み、肉食獣を思わせる獰猛さを醸し出した。
「あなたの力を借りるわ、
「承知した。
「……そういえば! カオスゲートにも
ペルティアのハキハキとした声がざわめきの間を縫う。
暫定藍紫の彼女はギルド内の誰かにもよく聞こえるように尋ねた。
「聞く必要があるだろうか。だがあえて言うならば、お前だ」
「ふふふ、そうでしょうそうでしょう」
アーティファクトに着られていたペルティアは、一週間の竜窟スカムを経て、背伸びをした格好程度には成長している。
実力そのものは身についているが、竜窟スカムというものを誰もが容易く行えるのであれば、人類は今頃世界の覇者だ。ペルティアはアズが付いていなければ軽く千回は死ねただろう。
超高難易度ダンジョンで行うスカムというものは、魔法の
どれ程精神をすり減らすか、それは体験した本人にしかわからない。心折れて実力に見切りをつけた者もいれば、強い魔物が落とす“ドロップアイテム”に惹かれて死んだ者もいる。
数多の死の可能性をくぐり抜けて、ペルティアは今ここに立っている。
尤も、それは実情を知る者の話である。
横から口を挟んできたのは、ペルティアが見極めてみたいと思った相手だ。
「誰が、
「鏡を見なさいな」
「てめぇ! 」
絡んできたのは藍紫の戦士、バルライカだった。
超越者であるはずの彼女が、冒険者を始めて精々二ヶ月弱の高下駄を履いた女に煽られただけではなく、わざわざ挑発するように、劣等のお墨付きを“針鼠の肉屋”に押させた光景を見せつけられた。
よほど人間ができた人物でもなければ、即座に激昂してもおかしくない。
(気骨がありそうなのは戦士ね。他の四人は腑抜けている――ああ、諦観ね。“針鼠の肉屋”には敵わないと諦めている)
「それで、怒鳴って一体何の用かしら? せ・ん・ぱ・い?」
「たった二ヶ月で――わたしの十年を超えられてたまるかッ! 何をした、何をやった!」
曲がりなりにも藍紫としての矜持があった、悠々と自分の頭上を飛び越えていく者を見過ごすことはできない。
バルライカの怒りに呼応して空気が熱を帯び、風がペルティアの髪を揺らす。
「ほんの少し、恵まれただけよ。どうしても強くなりたいって言うのなら、私の話に乗る気はないかしら?」
「な、に……?」
***
またもや血相を変えて飛び込んできたギルドの支部長が、おっかなびっくりペルティアに出所不明の藍紫の認識票を手渡した。
不正もいいところであるが、その辺りは解決済みだ。
「予め用意してもらったものだ。処理上の問題は一切ない」
「あなたが交渉したの? 代金は?」
「今年の
「……随分とぼったくられたわねぇ」
呆れ顔でペルティアがぼやく。彼女が交渉していればケツの毛まで毟れただろうが、そんな事をすればアズの世間離れが加速するだけだ。
軍事的に全人類より比重の重い個人など、毟られる程度がちょうどいい。その辺りを分かっているのでペルティアも深くは追求しないが。
「それじゃあ、私が何をしようとも
「拒否する選択肢もあった。その場合は俺と上級以上の冒険者だけだ」
「へぇ~? 私を置いて? あなた一人で?」
「ああ」
「……私が心配じゃないの?」
「
ペルティアはドンドンと机を叩いて無言の抗議をするが、アズにはこういった機微には疎い。
二人が話している内にギルド側の準備が完了していたようで、ギルド長が上級・超越の冒険者たちに向けて今回の
国軍――今まで通りなら領軍――の出番が無いことに冒険者たちは動揺し、その代わりに“針鼠の肉屋”が出張ることに疑問を抱いた。
当たり前だが、個人で行えることには限度というものがある。
例え大きな力を持っていたとしても、十の力を持つ魔物を殺すのに一万の力は無駄が過ぎる。
そして人間という枠に収まる以上、溢れ出た魔物の群れと戦い続けることはできない。戦い続ければ疲労し、魔物を警戒しているだけで精神が削られ、補給する暇がなければ数時間と保たずに力尽きる。
上級以上の冒険者であろうとも、小集団で
多数を排除するなら数の力は偉大だ。
一方で、四年もの間失踪し、伝聞のみで実力のハッキリしない“針鼠の肉屋”。具体的な情報が一切ない彼をどうしてギルド長が用いるのか、冒険者の疑問は氷解しない。
その不安を嗅ぎ取ってか、ペルティアがアズに耳打ちする。
「あなた、まとめて片付けるのは得意?」
「できなければ安請け合いしまい。大船に乗ったつもりでいろ」
準備を完全に終わらせた冒険者たちは胸に一抹の不安を抱きながら、東の門を出て“東の防壁”の方へ歩き始めた。
その先頭を歩むのはペルティアとアズだ。
「こういう行軍って暇ね。何をすればいいのかしら」
「感知に優れ、足の早い者を斥候として出せば良い。先んじて敵を見つけることは何よりも優先すべきだ」
「……そうする必要は無いと思うけれど」
「何故だ」
「街の近辺をうろつく魔物程度に
「……まぁ、いいだろう」
東へ、東へ。
王国の東端を南北に横切る巨大かつ長大な壁が見える場所まで移動する。
高さ五〇〇メートル、長さ一五〇〇キロメートルにも及ぶ“東の防壁”は彼方からでもよく見える。森や林が視線を遮ることはなく、丘の上から平原を一望すれば地平線に沈む“東の防壁”を観察できるはずだ。
更に目を凝らせば、“誘引の穴”に群れる魔物がうじゃうじゃと蠢いて見えるだろう。
“誘引の穴”に集った魔物の内、悪の概念と善の概念を持つ魔物同士は殺し合い、勝手に数を減らし合う。ただの超越では対処しきれないような魔物も攻撃に巻き込まれ反撃し合っているので、下手に手を出すことはその連鎖を途切れさせる危険がある。
単純な魔物の数のみならず質でさえも人間を凌駕している魔境――故に“誘引の穴”は絶対で“東の防壁”以東は未踏領域なのだ。
だが、《召喚》などの魔法で呼び寄せられた魔物が殺戮の渦から逃れることがある。対立関係を持たない魔物が戦いの間を縫って平原に散らばることもある。
もしも“東の防壁”の模様がよく見えるような距離にいたとしたら、魔物は草むらの陰に潜み今すぐに命を奪いに来るだろう。観光気分で生還できる者はいない。
バシュタールの一行はそのラインよりも遠く、魔物とよく遭遇しはじめたところで止まった。鎧袖一触で蹴散らすには数が多く、たまに厄介な魔物が出始める場所だ。
本来のバシュタールは領軍・国軍と共に人海戦術で隙間なく魔物を排除していき、手に負えなければ冒険者に任せるという流れができている。
だが今回はアズ一人だ。
恐ろしくて口には出せずとも、五十数人の冒険者の意識が“針鼠の肉屋”に寄せられる。
「ペルティア、一つ話をしておこう」
「……ええ、聞かせてちょうだい」
「魔法をあえて区別するならば、二種類に分けることができる。
一つは、ダンジョン産の魔術書を用いた秩序の魔法。手指の動作と魔力で以て力を引き出す。お前や俺が使う混沌や生命の魔法がこれにあたる。
もう一つが、魂や精神を通じ、魔力に働きかけ、未知の原理によって力の顕現を行うものだ。人類では今や廃れているが、神秘の魔法と呼ぶべきものだ」
「ええ、二種類ね、二種類。魔術書の魔法と神秘の魔法、それで?」
「今から用いるのは神秘の魔法だ」
「話の流れからしてそうでしょうね。何も言わないから、精々派手なものにしてちょうだい」
アズは“東の防壁”を見下ろせる高度まであっという間に飛び上がると、地上にいる魔物を目とアーティファクトによって認識する。
彼はアストラル体で構築された発声器官を喉に創り上げると、人類では決して発音できない言葉で神秘を紡ぐ。
悪魔殺しの女神アトゥスライアーが存命であれば、
「【
瞬間、彼の視界に居るほとんど全ての魔物は何かに吸い込まれるように身体が引き伸ばされ、渦巻状に捻じ曲げられた。
完全な渦巻きになった魔物は光を反射しない黒に染まり、気泡をいくつも破裂させながら沸き立ち、炸裂した。飛び散った黒い雫は暗黒の魔力を帯び、平原のあらゆる生き物に死を与える。
【閃輝暗点の誘惑】は視界内の敵全てに攻撃する魔法だ。彼の視程は“東の防壁”にまで届くが、実際にはその半分ほどの距離しか攻撃できていない。
(彼奴らの編んだ魔法は何やら使い勝手が悪い。数にも限りがあるとはな。その分強力だが……初めて使ったにしては上出来か)
魔法を唱えた後、アズは速やかに降下して冒険者たちの下へ戻った。
が、様子がおかしい。
顔色は皆一様に青ざめ、膝をついて震えている。
ペルティアの症状は軽いが、額を抑えて呼吸を荒くしている。
「……魔力に当てられたか? 神秘の魔法には余波があるのか?」
「は、“針鼠の肉屋”さんよ……あんな強力な、暗黒魔法を使ったら……邪悪な意志が振りまかれるだろうに……」
苦言を呈するのは、藍紫の魔術師マリメラだ。魔術書にて暗黒と自然の魔法を修めているが、神秘の魔法を研究している数少ない魔術師の一人だ。
「そうだったのか」
「いや、なんで知らないんだ……」
「盲目の者に目くらましは効かんだろう」
「まぁ、精神力如何ではどうにでもなるけど、気付かないのはちょっと……」
「悪かった。だが《四重詠唱》で《魔力の嵐》を繰り返すよりは効率的だ」
開いた口が塞がらないマリメラをよそに、一行は休憩を挟み、バシュタールに乗り出した。
アズが一人であまりにも多くの魔物を排除してしまったのでわざわざ大声を出したりして魔物を呼び寄せたのだが、この日は結局“ドロップアイテム”をいくらか回収して終わった。
今年のバシュタールはえらく段取りが良くない。
「これじゃ実入りが少ねぇ」
「ドロップはくれるって言うが、これじゃコジキだぜ」
「つーかよ、アイツ一人でいいなら呼ぶんじゃねぇよなぁ」
冒険者たちの不安不満を肌で感じとったペルティアは、帰りの道中で彼らの会話に耳をそばだてた。
(これはまずいわ、何一つ目的を達成できていないなんて……)
・アズを良い意味で目立たせる。
・ペルティア自身が注目される。
・冒険者全般に好ましく思われる。
密かに三つの目標を掲げていたペルティアにとって、神秘の魔法があのように怖気の走るものであったことは完全に予想外であった。
派手なものにしろとは言ったが、何だっていいというわけではない。
(……とはいえ、竜はヒトと肌が違うと言うもの。アズの事を分かった気になっていたけれど、思っていたよりも問題は根深いわね)
冒険者ギルドで各々報酬を受け取り、バシュタールの一日目は解散となった。
***
バシュタールの一日目が終わるともうすっかり日も暮れて、アズとペルティアはほとんど物置状態になっている宿へ帰還した。
カオスゲートでも数少ない高級宿の彼らが滞在する部屋には、ペルティアと共にダンジョンから持ち帰った品が山程転がっていた。
どこの国の宝物庫だと怒鳴りたくもなる品々だが、超越冒険者の一部にはしばしば起こり得ることだ。
二人の部屋に入るやいなや、風呂場に飛び込んだペルティアは装備を脱ぎ去ってうんと背筋を伸ばした。シャワーなる温水を出す魔道具で身体を清め、浴槽に溜めた湯に浸かった。数十日ぶりに生身の肉体を曝け出す開放感に全身を脱力させ、長く長く息を吐いた。
なにせ上級悪魔が潜んでいると分かった時から、装備を脱ぐことを許されなかったのだから。
体臭や汚れといったものは、隠密の概念を持ったアーティファクトや《清浄》の魔法でどうにかできるが、ペルティアの感情的な問題は全く解決しない。今日という日を待ち望んでいた彼女はあれこれと用事を済ませ、着替えて部屋に戻った。
「アズ、何をしているの?」
「整理だ。こうも散らかっていては、苦労するだろう」
「……誰が?」
「お前だ。ペルティア用の魔法のポーチに種別に詰めておく。不要なものは俺に渡せ」
見ていて気持ちよくなるほどスポスポと回収されたアイテムは数種類の袋にまとまってしまった。
「魔道具と
「重量は一割になるが、量が量だ」
「持てなくはないですが。……空のポーチに詰めれば軽くなりません?」
「圧死したくはないだろう。止めておけ」
すっかり片付いたお蔭で、埋もれていた机と椅子が発掘された。ペルティアはアズを向かいの席に座らせると切り出した。
「やっぱり、どうにも認識が合わないことが分かったわ」
「俺と奴等ではほどんど違う生き物だ」
「そうね、私とあなたもどこかズレてるわ」
「擦り合わせるとしよう。これからのためにな」
「まず神秘の魔法、廃れていると言っていたけれど、どこで習ったの?」
「悪魔共が研究していたのでな、俺も覚えた。悪魔由来だ、今後は使用を控える」
「そうして頂戴。魔術書の魔法は何が使えるの?」
「基本的には生命と変容の領域だ。条件付きで暗黒と混沌の領域の魔法が使える」
一般的な冒険者たちの間で言われていることには「実戦で使える魔法は精々二領域」だ。
神秘であうと魔術書であろうと関係なく魔法に傾倒しているような奴――“ローグライク”のようなスペルマスターを除けば非常に稀有と呼べるだろう、アズはそう付け加えた。
「……条件付き?」
「奥の手だ。お前にも明かせん」
「それならいいわ。生命と変容の魔法って何ができるのかしら」
「生命の魔法は《*体力回復*》や《結界》、《究極の耐性》に《リジェネレーション》といった回復や防御に関する魔法だ。変容ならば《地形変化》や《竜変化》、《*筋肉増強*》や《知覚延長》だ。特筆すべき事はない、言葉通りの魔法だ」
「……他に、私に明かせるものはある? 例えば、アーティファクトに秘められた魔法とかよ」
「そうだな…………今の装備全てで何かしらの効果を発動できるが、特段教えられるものはない。回復か加速か、奥の手と呼べる攻撃だ。お前の装備にも何かしらあった筈だ」
「私の装備に?」
「覚えているのは、祝福された『守護者の』アイアスの円形盾《メルトダウン》だ」
「長っ……それで、この盾にどんな効果があるのかしら?」
金の縁と深紅で彩られた円形盾。ペルティアは使い勝手がいいと気に入っていたが、よもや馬鹿みたいに名前が長いとは――何らかの魔法を秘めていたとは露程も思っていなかった。
「効果は一分ほどしかないが、非常に強力だ。ありとあらゆる攻撃を無力化する《無敵》の魔法を発動できる」
「《無敵》!? そんなものがあるのなら早く言いなさいよ!」
残念だが、とアズは平坦な口調で述べた。
「《無敵》は確率論的防御膜で構成されている。故に僅かな確率で攻撃が通る上に、《魔力消去》で効果が掻き消される。《原子分解》や純魔力攻撃の《魔力の嵐》も防げん」
「どの魔法も使われなかったわよ。竜相手なら楽ができたじゃない」
「今ならいざ知らず、スカム前に使わせれば
「う……未熟を指摘されたら反論できないじゃないの」
「いや、存在を教えておかなかった俺に落ち度はある。意義を考えれば、使用させずとも伝授する必要はあった」
「それじゃあそういう事で。不毛な話はおしまいね」
「《*鑑定*》で確認できる、後で見ておくといい。それよりも、話を本筋に戻すぞ」
「そうね。私からは一言、魔術書の魔法だけにして頂戴」
ペルティアがきっぱりと断りを入れる。
「《四重詠唱》も駄目か」
「……聞いたことないわ」
「教えたことはない。アストラル体に働きかけることで、魔法の発動を四回同時に行う事だ。魔術書・神秘の魔法の両方に適応することができる」
「……それは、そういった魔法なんですの?」
「ただの技術だ。昔の超越は使いこなしていた。ペルティア、《四重詠唱》は魔術書の魔法を完全に会得しなければできないと言われている。俺が体得したのもその
「それなら存分に使ってくださいな」
「これ以上は恐らく無い。切り札は山ほどあるが、使わないようにしておこう」
「それなら次の話に移りましょう」
アズが部屋のどこかから葡萄酒とグラスを取ってくると、ペルティアは注がれたもので喉を潤した。
「冒険者たちに話をつけようと思うわ。“東の防壁”に作る開拓村のね」
「お前が鞭で俺が劇薬だな」
「私が飴であなたが鞭よ! ともかく、あの“愛の星”を誘えたことは十分な説得材料になるわ。バルライカとマリメラ、藍紫の冒険者が開拓に乗り出すとなれば、続かない者は居ないはずよ」
「あれはそういうことだったのか。では、飛竜便で各地の冒険者ギルドに広告を出してはどうか」
「広告? それって何かしら」
「人を集めるための貼り紙だ。ギルドの依頼書のように、仕事内容と条件を書いて貼っておくものだ」
「人伝以外に集める方法があったのね」
貴族出身のペルティアには人を集める為に労を取るという概念はなかった。
命じてやらせておけば下僕など、ディセンブルグ家に自然と集まるものであった。他家との繋がりのために下級・中級貴族の男児女児を雇用することはあったが、これもまた勝手に集まるものだと思っていた。
「……それなら、新聞とやらに載せてみましょう」
「ディセンブルグで配っていた紙きれか。あんなもので人が集められるのか?」
「冒険者は依頼書と手配書ばかり見るものね。でも私が集めたいのはもっと沢山の人間よ。暇そうにしている市民は新聞をよく読んでいたわ」
「そうなのか?」
「帝都でもディセンブルグでもカオスゲートでも、そんな感じだったわよ」
「気を払っていなかったな。ではそうしよう。どのような人を集めるのだ?」
ペルティアは頭を捻ってしばらく黙ると、乏しい経験からなんとか言葉をひねり出した。
「コックに庭師にメイドに、あと冒険者がいれば開拓できるかしら?」
「大工も必要だ。食料も必要だろう」
「それなら商人を呼ばなくちゃ。ああ、服飾の工場も欲しいわ」
「鍛冶師も要る。針も武器も彼らがいなければならない」
街が生えてくると思っているのか、なんとも杜撰な計画であったが、開拓の障害ならば暴力で解決できるのが大半だ。
その点について、彼らの開拓村は発展しないがそこそこ上手くやれるだろう――“東の防壁”以東でなければ。
開拓話や求人広告についてあれこれと話していた二人だったが、やはり話題は直近の問題に当てられた。
「……今の今まで忘れていましたが、“
「……そうだな、この街はかなり臭う」
「に、臭う?」
すん、とペルティアが空気を嗅いだ。葡萄と酒精の香りが目立ったので首を傾げたが「違う。魂から発せられる“何か”だ」との言葉に赤面した。
しばらくの冒険者生活で、淑女としての作法をすっかり忘れてしまっていたのだ。なにせ、どれほど激しく戦おうともアーティファクトがどうにかしてくれる。
背筋をピンと伸ばし直してペルティアは話に耳を傾けた。
「四年ほど前から、俺にはどうにも“何か”の気配を嗅ぎ取れるようになっていた」
「――何か、ですか?」
「そうだ。俺にもハッキリとは断言できない。邪なる神の陰謀か、それとも人間の悪意でも嗅ぎ取っているのか。何であろうが、カオスゲートにはその臭いが――腐り落ちた臭いが充満しているように感じられた。“
「邪神か、悪意か、正体は分かりませんが、最大限の警戒をすべきでしょう。あなたが危険を感じる程ですもの」
「だが、バシュタールの三日目には“
「奴等を見極め、あわよくば一網打尽にするのね!」
「落ち着け。俺を相手に、聖国が手出しできないというだけの話だ。始末すれば人目につく上に、そのまま建国すれば聖国と王国が障害になりかねない」
合点がいったと立ち上がるペルティアだったが、これをアズがなだめる。
基本的に、二人は
ペルティアは座り直して葡萄酒を煽ると、舌を潤して考えを改めた。
「確かに、足元の人心は掌握しておかないといけないものね」
「必要があれば刈り取るが、あくまでも最終手段だ。Ratloypanehtという偽りの神に操られているかもしれん。仮に正体が掴めなくとも、最悪奴等の拠点に乗り込めば解決はする」
「解決……するのかしら?」
ペルティアは頭に疑問符を浮かべた。
「“
「……暗黒の膜を通らなければダンジョンの中を覗けないが、踏破すれば関係ない。奴等が一体何をしでかそうが何を考えていようが、踏み越えれば全て解決する。奴等の本拠地にいる敵は多少腕が立つ、イレギュラーの可能性もある、ただそれだけの話だ」
彼の
ある行動をすればある結末を導ける、というものを知っている。ただ詳細は知らない。
何故そのような行動をしなければならないのか、アズは理解しようとしたこともないが、選択肢は常に「殺す」ことだ。
だから敵は殺す。
彼は常にそう宿命付けられている。
「倒せば解決する……って、その敵は一体何者なの?」
「敵とはつまり、生存していること自体が罪に値する者だ」
「つまり、誰?」
「…………■■■だ」
アズが個人名を出した。彼の未来予知じみた
だがそれは決して彼女に伝わらない。
「? 今なんて言ったのかしら」
「取るに足らない者だ、気にするな」
「そうじゃないの、発音が不明瞭だったとかじゃないわ、聞こえなかったのよ! あなたが話している時だけ、意識が遠いたわ」
「■■■……聞こえたか?」
「いいえ。質問を変えましょう。その……敵は、アズの言う腐り落ちた臭いの元凶かしら?」
「違う、だが近いな。指摘されて気付けたが、奴はどうにも邪神の性質を帯びている」
「邪神……ああ、だからなのね」
「何に納得した?」
「アズがいる街で、わざわざ騒動を起こそうとしているお馬鹿さんの正体よ。それは確かに、倒せば解決するわね」
「ああ、奴等は待っている。時間は限られているが、まだ動かずとも良い」
待っている、という言葉に引っかかったペルティアはすぐさま追求しようとしたが、後ろから舐め回すような視線を感じて振り返った。
彼女が感じ取ったのは視線だけではない。多脚の虫が肌の上を這い回るような不快感、アズの放った《閃輝暗点の誘惑》よりも邪悪な意志、そして悍ましい狂気を孕んだ息遣いを耳元で感じたのだ。
「――ッ! ぁ、っ――」
言葉が喉から出ようとしてつっかえた。
いきなり氷水に沈められれば声が出せないように、底冷えする殺気を感じたのだ。
「……どうした」
「い、ま……殺気を感じたの。何かが過ぎ去っていくような……」
「そうか、俺の感じた“何か”をペルティアも感じたのかもしれん。“何か”は未だ気配だけだが、念の為に俺の近くにいるといい」
「ええ、でも今日はもう疲れたの……そろそろ寝るわね、おやすみなさい」
ペルティアが装備をつけたままベッドに横たわると、アズは明かりを消して彼女の側に立つ。
真っ暗闇の中でも、アーティファクトによる人型感知がお互いの場所を確かに保証している。
しかし、漠然とした不安感がペルティアにはあった。いつまたあの殺気が飛んでくるか――本体が襲ってくるのか分からない。
アズが知っていてもペルティアは知らないのだ。
「アズ……その、私が寝ている間、手を握ってちょうだい」
「容易いことだ」
ペルティアはするりと手を絡め取られたが、あるべきものをあるべき場所に収めたような気がして、あっという間に眠りに就いた。